そんなわけで呂蒙を探して建業を走り回る時間が始まり───
「呂蒙ー!? 呂蒙ぉおおーっ!!」
「ああ一刀? どうしたの、そんなに慌てて」
「あっ……とと、おふくろっ、実は───」
地を駆け店を巡り、親父に呼び止められ、表通り裏通りを駆け抜け、町人たちに呼び止められ、さらに駆け、呼び止められ、呼び止められ、呼び止められ……その度にどうしたのどうしたのと訊かれ───また走り、また呼び止められ───
「んもーっ!! 一刀ってばいったいどれだけ呉の人たちに手を出したのー!? さっきから呼び止められて走ってで、シャオ疲れたよ~っ!!」
「誤解されるような言い方するなぁあーっ!! それだけ信頼があるってことなんだからいいことじゃないか!!」
途中、シャオがキレた。
ちなみに疲れたとか仰っておられるが、走っているのは俺だけである。
「それにみんなも見つけたら教えてくれるって言ってるんだから、感謝以外にすることなんてあるもんかっ!」
「ぶ~っ! 一刀って本当、町人にばっかりやさしいんだから~!」
「……はぁ。あのね、シャオ。俺はやさしくしたくもない相手を抱きかかえて、町を走り回ったりなんか絶対にしないぞ?」
「…………」
何気ない言葉を発しながら走る。
途端にシャオがなにも言わなくなったんだが……ハテ、と思いお姫様抱っこ継続中のお嬢様の顔を覗いてみると、なんだかとろける笑顔と妖艶さを混ぜたような、とても華琳チックな笑みを浮かべたシャオが……!
うあ……なんだか今ものすごく、シャオのことを下ろしたくなってきたかも……! もちろんそれはしないわけだが……そうした途端に首に巻きついてくるシャオの腕が、もう離さないって意思を存分に放っていた。
「えっへへぇ~♪ ねぇ一刀~」
「───! あっ……呂蒙見つけた! 急ぐぞシャオ!」
「へぁぅっ!? ~……もーーーっ!」
人ごみに紛れて、微かだけど赤い……キョンシーのような帽子が見えた。
数瞬だったから呂蒙かどうかなんて確信は持てないけど、手掛かりが無いよりはマシってもんだ。
グッと足に力を込めて速度を上げる俺に、どうしてかシャオがぷんすかと怒っていたけど、今はごめん、追わせてくれ。
……。
気づかれたのかそうでないのか、途中で再び視認したキョンシーハット(?)は駆け出し、人通りが少ない場所までを走る。───それを追い続けることで、それが呂蒙であることを確信する。
あれだけ騒いでいれば、目が悪かろうが気づかれるってもんだが……それでも今、ようやく追いついて───
(……あ、猫)
───人通りが少ないことに安心しきっていたのかもしれない。
呂蒙と俺の間にある距離の隙間にひょいと現れた猫が居た。
当然このまま走ればすぐに逃げるか、俺が飛び越えるかをしていた筈なのだが。
「お猫様っ!」
「へっ……? あ、だぁあわぁあああっ!!?」
困ったことってのは重なるもんだって、どれだけ理解すれば気が済むんだろうなぁ。
猫を追ってシュザッと参上なされた周泰を、猫の小さな体を飛び越えようと準備していた俺が飛びこせるはずもなく。
肩に手をついて跳び箱の要領で飛ぼう! とも思ったが、俺の両手に小蓮さん。
きっと途中で呂蒙を発見して、すぐさま追ってきたんだろうけど……途中で猫を見つけてしまったんだろうなぁ。
とろける笑顔に「勘弁してください」とツッコミを入れつつ、俺は周泰との激突を果た───さなかった。
「へっ?」
「呆けるな、さっさと行け」
衝突に備えて硬直していた体が、最初に踏みしめるはずだった大地に落ち着くや、声がする。
即座に状況を理解して、周泰を進行路からどかしてくれた思春に感謝しながら走る。
……って、腕も軽い……と思ったら、シャオも居なかった。
「ふあっ!? 思春殿っ!? い、いえあのここここれはっ……!」
「言い訳は聞かん。代わりに別のことを話し合おうか。……まさか、呉国の将たるお方が庶人の話を聞かんとは言わんだろう?」
「しし思春殿、なんだか公瑾様みたいで───あぅあぁーーーーっ!!」
「ちょっと思春~っ! シャオは一刀と~っ!」
「ご容赦を。あのままでは追いつくのに時間が───」
遠ざかる声に苦笑をもらしながら、今は一直線に。
氣を込め、身を振るい、自分が出せる全速力で駆け───やがて通りを抜け、景色が開けたところで───ようやく、その手を掴ん───だぁああああっ!!?
「ふえ……っ!? ひゃっ……ひゃぁああーーーっ!!」
「呂蒙っ!!」
通りを抜けた先は坂になっていた。
そこまで急斜面じゃないにしても、平面を走るつもりでいた体は急な差についていけず、あっさりとバランスを崩して……というか、止まろうとした呂蒙を俺が勢いよく掴んだために、俺が巻き込む形で転がり落ちていった。
当然すぐに呂蒙を腕に掻き抱き、来たる衝撃を彼女に受けさせないために身を捻って自分を下にして。
転がってるんだから、完全に守ることなんて出来やしないが……やがて転がり終えて、仰向けに倒れた自分の上に呂蒙を抱き締めた形のまま、とりあえずの安堵を吐いた。
「呂蒙……呂蒙? 大丈夫か?」
「ふ……ぁ……あ、は、はい……大丈───ひゃうっ!?」
片方だけの眼鏡越しの瞳に、俺の顔が映る……と、呂蒙の顔は瞬間沸騰したかのように真っ赤に染まり、慌てて離れようとするんだが───
「は、ふっ……? あ、あれっ……動けなっ……あれ……!?」
……なにやら腰でも抜けたらしく、動けないでいた。
涙目でわたわたとして、どうしようかと戸惑うたびに俺と目が合って真っ赤になる。
人の顔なんてよっぽど親密でもなければ間近で見つめ合えるものじゃないだろうけど、こう何度も逸らされると切ない気分になるな……。
「落ち着いて、呂蒙。ゆっくり下ろすから、あまり慌てな───……」
「……? か、一刀様? どど、どうされましたか……?」
「……ごめん。俺も腰……抜けたみたい……」
「え……?」
腰が抜ける……あまりに驚いたり慌てたりすると、脳が体に正確な信号を送らなくなるために起こる現象……だったっけ。
まさか坂道から転がり落ちただけでこんなことになるなんて、思いもしなかった。
「ぷっ……ふ、くふふっ……あっはっはっはっは!!」
「え? え……? か、一刀……様?」
「い、いやごめっ……あっはははははは!!」
他のことが考えられなくなるほど、呂蒙を守ることで頭がいっぱいだったって……受け取っていいんだろうか。
そんな答えに行き着いたら可笑しくなって、気づけば声をあげて笑っていた。
急に笑い出す俺に、呂蒙は戸惑いと慌てた風情を混ぜた顔で呼びかけるけど……だめだ、無駄にツボに入ったらしい。
呂蒙の呼びかけにも途切れ途切れにしか返せなくて、俺はしばらくそうして笑い続けていた。
28/接吻という名のスイッチ
…………。ツボに入った笑いも終わりを迎え、いい加減体も動くだろう頃になっても、離れるタイミングを無くしたままに寝そべっている俺と呂蒙。
下った坂の先は人気のない開けた場所で、とりあえず呉の将が腰を抜かした、なんて状況を見て笑うような輩は居なさそうだ。
そんな場所で仰向けに倒れる俺の上に寝そべる形で、呂蒙は顔を赤くしたまま俺の顔を見ては逸らしを繰り返していた。
そんな呂蒙に、俺は……言い訳になるだろうけど、事の経緯を話すことにした。
「呂蒙、まずはごめん。呂蒙との約束があったのにシャオと───」
「っ……い、いえ、いえっ……! 一刀様が謝るようなことは、何もないんですっ……! その……本当は、わ、わかっているんです……一刀様は約束を違えるようなお方ではありませんから……。そ、その、尚香様に命じられてのこと、だったのだと……」
「呂蒙……」
「それなのにわたし、わたし、はっ……。一刀様が、約束を破らないと知っているのに……わ、わたしはっ……勝手に裏切られた気分になって、悲しんで……」
顔を長い袖で隠し、目をきゅっと瞑りながら……全て自分が悪いかのように語る。
まるで懺悔だ。呂蒙は何も悪くないのに、どうしてこんな……罪を吐き出すような……。
「一刀様という人としてだけじゃない……私は“友達”を信じきれなかったんです……。何よりも自分が許せなくて……すみっ……すみませっ……! わた、わたしはっ……こんなわたしでは、一刀様の友達としてっ……!」
「………」
黙って聞いている理由なんてなかった。
もっと早くにそれは違うって否定してあげればよかったんだろうけど、全部を聞いてからじゃなくちゃ、何を言っても届かないと思ったから。
だから、手を伸ばすなら今で……安心させてやるならこの時にこそ。
客観的に見ればほんの些細なこと。それでも彼女にとっての人との関係っていうものは、とても大切で……こんな状況は辛かったのだろうという事実をしっかりと受け止めた上で、頭を撫でて……やさしく微笑みかけた。
「あ……か、一刀……様……?」
「勝手なんかじゃないし、友達だよ。それと……ありがとう、呂蒙。繋いだ手のこと、そこまで大事に思ってくれて」
「そ、そんなっ、わた、わたしはっ、わぷっ!?」
「こっちこそ、本当にごめんな。どんな理由があっても、呂蒙を悲しませたことに変わりはないよな」
何かを言おうとする呂蒙の顔を、彼女が被っていた帽子で覆う。
突然のことにわたわたと帽子を被り直し、改めて俺を見る呂蒙に、俺は続く言葉を言ってやる。
「こんな俺でも……まだ友達だって言ってくれるか?」
卑怯な言い方かもしれない。
罪の意識を利用するみたいで本当は嫌だけど、こうでもしないと彼女は自分を責めることをやめてくれない気がしたから。
「と、ととっ当然、ですっ! わたひっ……わたしのほうこそ、一刀様の友達でいられるのか……いていいのかっ……!」
「………」
今まで散々と逸らされていた目が、真っ直ぐに俺の目を映す。
不安なのか、涙さえ滲ませている彼女の瞳に自分の顔が映っていることが、どうしてか嬉しい。そうとわかるほどの距離で、俺と呂蒙は言葉を発していた。
「わたし……わからなくなっていたんです……。一刀様に目のことを褒めていただいて、手を繋いで……お友達になって。それだけでとても嬉しくて、楽しくて……。一刀様が呉にいらしてから、手を繋いでから、世界が広がった気がしました」
「世界が?」
世界が広がって見える……それは普通、喜びと一緒に聞ける言葉だと思ってた。
だというのに呂蒙の目は涙に滲んだままで、その涙もやがてこぼれ落ちそうになるほど溜まってきていた。
「一緒にお話をしたり、天の国の学校についてを教わったり、足りない知識を分け合ったり……とても、とても楽しくて、嬉しくて……でも、でも……」
伝えたいことがあるのに上手く動いてくれない喉に、自分自身が悲しむみたいにきゅうっと目を閉じて……拍子、涙がこぼれ、俺の頬を濡らした。
「わたしは……今日のことだけではありません、一刀様が思春さんを真名で呼び始めたとき……自分で自分がわからなくなるくらい、悲しい、寂しいと感じてしまいました……」
「え……?」
「思春さんが仰っていました……友になったから真名を預けただけだ、と……。で、ですが、でしたらっ、わたしは……一刀様に友達だと言われ、わ、わたしの目を真っ直ぐに見て微笑んでくださった一刀様を、口では信じていると言っているのに真名を預けていないわたしはっ……いったいなんなのかとっ……」
「…………呂蒙……」
何かのきっかけ、なんてものは……本当に、自分の預かり知らない物事から起きるものだ。
けど、たとえ知っていたとしても、俺に何が出来たのだろう。
真名を預けてくれた思春に“畏れ多い”と言って断り、自分から伸ばした手を拒絶すればよかったのか?
俺から“仲良くなったんだし真名を預けて”なんて図々しいことを言えばよかったのか?
“そうとわかっていても回避出来ないこと”はどうしようもなく存在する。ああ、それはわかってる。
問題なのは、“それ”が起こってしまったあとに“自分が動けるか否か”なんだから。
だから……北郷一刀。今ここで動けない、動かないなんていうのは……人として、男としてウソだろ?
目の前で、俺との、人との関係のことのために泣いてさえくれる人が居る。
……俺の手は魏を守るためにある───それは確かだけど、目の前で泣いている人の涙も拭ってやれない俺が、いったい何を国に返していけるんだろう。
目の前で困っている人の全てを助けるだなんてこと、俺一人で出来るなんて思ってないけど……それでも。伸ばせば届いて、届けば助けられる人が居るのなら、伸ばしたいって思うんだ。
「な、呂蒙」
「…………?」
声をかける。ひどくやさしい気持ちのままに出した声は、自分でも驚くくらいにやさしいもので。
そんな声に反応して俺の目を見る呂蒙の滲んでいた涙を、指でやさしく拭ってやる。
ハンカチでも……と思ったが、周泰の治療のために使ってしまった。
「俺さ、嬉しいよ。本当に、そんなに大切なこととして受け取ってくれて」
俺の胸の上で、まるで猫が体勢を低くする格好のように折りたたまれている呂蒙の手を、そっと握る。
友達として、そんなにも悩んでくれてありがとうって思いを込めて。
「でも、焦らないでほしいんだ。“誰かが預けたから自分も預けたい”じゃなくて……うん。呂蒙が俺に真名を預けたいって……預けてもいいって思ってくれたときにそうしてくれたほうが、俺はすごく嬉しいよ」
「一刀様……で、でも、だって……」
「もっと“自分”を持って。俺は誰かに言われたから預ける真名や、誰かが預けたから自分も預ける真名じゃない……呂蒙が俺に預けたくて、呼ぶことを許してくれた真名で呼びたいよ」
「え、あ……ふええっ……!?」
「だからさ。焦らないで。せっかく友達になったんだから、もっとお互いを知って、仲良くなってから……呂蒙が預けてもいいって思った時に、預けてほし……い?」
言葉の途中、真っ赤だけど強い意思に溢れた目が俺の目を真っ直ぐに覗き、やさしく包んでいた手にはその意思の表れか、強いと思えるくらいの力が込められた。
「……呂蒙?」と疑問を込めた視線を送ってみるけど、呂蒙はさらにさらにと顔を赤くして……やがて、言葉を発した。
「あっ……あー、しぇっ……!」
「……え?」
「亞莎……亞莎と、呼んでくださひっ、か、一刀様っ……」
喉を通らず、詰まってしまった息を吐き出すかのように言う呂蒙。
つい今、焦らないでいいと言ったばかりなのにどうして……と口にするより先に、涙に滲んでいるけど真っ直ぐな瞳が俺の目の奥を覗いていた。
そこから受け取れるのは真っ直ぐな意思。
言われたからとか、誰かが許したからとかではなく、自分が自分として預けたいと思ったから……そう思わせてくれる、強い意思がこもった視線だった。
「………」
口ではどもってしまっていたけど、目は口ほどにモノを言うとはよく言う。
握られた手にさらなる力が込められたとき、俺は自然に微笑んで、彼女の真名を口にしていた。
いいのか? とは訊かず、真っ直ぐに見つめ返し、空いている手で彼女の頭をやさしく撫でて。
「……これからもよろしく───亞莎」
「っ………………はいっ!」
真名を呼んでから、一呼吸も二呼吸もおいてからの返事。文字にすればたった二文字を噛まないよう、きちんと返事できるように何度も心の中で繰り返したのだろうか。
赤くした顔を再び隠そうとする手が俺の手を掴んだままだということも忘れ、彼女はまるで俺の手に頬を摺り寄せるようにし───それに気づいた途端に余計に顔を赤くして慌てた。
そんな彼女の頭をさらにさらにとやさしく撫でて、落ち着いてと何度でも口にする。
慌てる人を見ると逆に冷静になれることもあるだろうけど、冷静というよりはやさしい気持ちになれた。
口足らずながらも精一杯に伝えようとしてくれた彼女を見たからだろうか。
それなら逃げる前に話を聞いてほしかったな~とは思うけど、人間そんなに器用には生きられないし、不器用がどうとかの問題じゃない。
不測の事態を前にしても、心身ともに冷静で居られる人間を俺は知らない。
知らないからこそ、逃げはしたけど……今こうしてきちんと話し合ってくれた彼女の勇気に感謝を。
「……うん」
泣き笑いの眩しい笑顔を僅かな眼下に。
吐いた息とともに真っ直ぐに戻した視線が、大きく広がる蒼を映す。
そんな蒼が、ふといつかのように遮られ……誰かが自分を見下ろしていることに気づく。
「かっ、かか一刀様っ」
いやに真剣な目をした、けれど顔は赤い周泰だった。
頭部の少し先に立って俺を見下ろす彼女は、何度か深呼吸をしながら手に巻いたハンカチにもう片方の手を重ねると、急に身を屈め、吐いた息が互いの顔に触れるほどの間近で俺を見た。
「しゅ……う、たい?」
そんな彼女に「どうした?」と投げかけるも、周泰は「あぅぁう」と目を回し始め、一向に話は進まなかった。
えぇと……これはいったいどういった状況なのか。
(ていうかな、呂蒙……じゃなかった、亞莎を腹に乗せたままで真面目な話をするのって、どうにもおかしな気が…………あれ?)
ふと、腹というか胸というか、そこにきしりと圧し掛かる重み。
周泰が目を回しているなかでチラリと見てみれば、頭を撫でられながら穏やかな寝息をたてている亞莎……って、えぇえっ!? ね、寝るか!? この状況で寝れるのか!?
かっ……仮にも男の上で、こんなにも穏やかな顔で…………あれ? もしかして俺、男として見られてない?
や、そりゃあ友達になろうって言って手を伸ばしたんだから、そのほうがむしろ付き合いやすくもあるかもしれないし、血迷って手を出す確率だって十分に減ってくれるわけだが……手放しで喜べないのはどうしてだろうなぁ。
「………」
そうは思うものの、そんな預けられた体の重みがくすぐったい俺を、どうかお許しください華琳様。
と、心の中で盛大な溜め息を吐き、苦笑をもらした丁度その時。
「話は済んだか」
「ん……? ああ、思春」
頬を膨らませているシャオを連れ、俺の頭部の左横に立つ思春。
済んだには済んだんだが、今の状況がよく解らない俺は、どう説明したものかと思案する。
しかしながらまあ……なんだ。女性を寝転がりながら胸に抱き、頭を撫でている彼女は眠っていて、そんな俺の目の前ではもじもじと顔を赤くしてなにかを言おうとしている周泰。
こんな状況、他人の視点で見れば何事かってもんだ。いやむしろ……亞莎には悪いけど、状況を改める必要がございませんか? これ。
「あ、い、いやっ、これはだなっ」
思考がそこに行き着けば行動は速いものだ。
出来るだけ眠っている亞莎を揺らさないよう、少しきつめに抱き締めたままに体を起こした。
いや、起こそうとした。
しかし、やっぱり人生っていうのは無情なものであり、嫌なタイミングっていうやつは重なるもんなのさ、と心の中の自分が呟いた気がした。
「あ、あああのっ! 一刀様っ! 私も、私も真名で呼ふぐっ!?」
「んむっ!?」
「あ」
「───」
上半身を起こそうとした俺と、座った状態でペコリと頭を下げた周泰との口が、その……重なった。
微かに“がちっ”という音が鳴って、それが互いの歯と歯が小さくぶつかる音だということに気づくまで、随分と時間がかかった。
つまり……それだけ俺と周泰は硬直していたわけだ。……唇と唇を重ね合わせたまま。
お辞儀する瞬間はきゅっと閉ざされていた目も、口の違和感に気づいた瞬間に見開かれていた。当然俺もそんな調子であり、俺と周泰は───
「あぅあぁあああーーーーーーっ!!!」
「うわっ、う、うわわわぅわぁあーーーーーっ!!」
「あぅあぅあぅあぁあーーーーっ!!」
「うわっ、うわっ、うわぁあーーーーーっ!!!!」
「はぅぅあぁあーーーーーーっ!!!」
互いの顔の熱さが最高潮に達するや、喉の許すかぎりに叫び続けた。
もうこうなってしまえば胸に抱いた眠っている亞莎を気遣うことなど出来るはずもなく。
心の準備も出来ないままに起こった出来事を前に、俺も慌てるだけ慌て、叫ぶだけ叫ぶしか自分を保つ方法が見いだせなかった。