真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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120:IF2/人=タイミングに縛られる生き物①

172/誤解、戸惑い、擦れ違い様に静泣

 

-_-/曹丕

 

 歯を食い縛って耐え、辛さに体を順応させてゆく。

 三日などとうに過ぎ、十日を過ぎてもまだ土まみれの日々は続いた。

 鍛錬以外に服を汚すことなどなかった自分にとって、警備隊の仕事は過酷だとはっきり言えた。

 

「はっ……! はぁっ……!」

 

 今日も青空の下、賑わう街を駆けている。

 無駄口は叩かない。

 無駄を口にすればそれだけ体力を消耗する。

 氣を使わないで動かす身体は、氣でそうするよりも遥かに重く、すぐに痛んだ。

 三日休むなどという余裕もなく襲い続ける痛みに顔が歪むけれど、街で起こる諍いは休息し終える時間など待ってはくれない。

 鍛錬で周囲に吸収が早いなどと言われ、調子に乗っていたと自覚すると、男を下に見る理由など霞んだ。

 女だから男だからなど関係ない。

 この天下は……男も女も居たからこそ叶ったのだから。

 ある日にそれを知った。

 将が女だけで、女だけが強いのなら女だけで戦っていろと男が言えば、女は戦ったのだろうか。別の国が兵を連れて突撃する中、女だけが駆ければ果たして勝てただろうか。

 以前の自分だったら頷いていたかもしれない。

 男と見れば下に見た自分はしかし、氣を使わなければ警備隊の疾駆にさえ満足に追いつけなかった。

 

「ほれ新入りぃっ! ぼさっとするなぁ!」

「───っ!」

 

 無駄口は叩かない。

 前を走る、やたらと私に絡んでくる男に頷き返し、今日も諍い処理。

 魏の警備体制の見直しをして治安を良くしてみせた者とも長い付き合いとなる彼は、隊の中でも発言力がある。凪や真桜や沙和を除けば最も“彼”に詳しい人、だそうだ。

 よく話題に出る“彼”に付き合って鍛錬もしたことがあるらしいが、当日に吐き、翌日に全身筋肉痛で苦しみ、その翌日に行動が遅いと凪に怒られ、さらに翌日に少しずつ回復に向かい……その翌日に同じく鍛錬に付き合い、泣いたそうだ。

 そんな自分の過去を笑い飛ばして語る辺り、彼にとっては既にいい思い出らしい。

 

「頷くんじゃなくて返事っ! お前はいつでも誰かに見られているつもりかぁっ!?」

「目を合わせて頷いているのだからいいでしょう!?」

「返事がねぇから振り向いたんだろが! 警備隊に志願するやつなんざぁなぁ、民と楽しげに会話するところばっか見て“楽そうだから”なんて理由のやつばっかりだ! 実際やってみりゃあ一日目が終わる頃には死んだ目で吐いてやがる!」

「それが私となんの関係があるというのよ!」

「走ってる途中で逃げた馬鹿が居るんだよ! お前さんはついてくるがなぁ! だから面倒でも嫌でも返事はしろ! 足音で気づくだろうなんて返事は無しだ!」

「っ……」

「お、お?」

 

 後ろを振り向きたくないのならと、横に並ぶ。

 一気に身体に負担がかかるけれど、横に並べば先ほどと同じ速度で走ればいいだけだ。

 ふふん、どう? これなら文句はないでしょうと笑むように睨んでやると、彼は速度を落として止まった。

 

「おいこらー? 急いで何処行くんだー? ここだぞー」

「なぁっ!?」

 

 慌てて止まる。

 無理に止まった所為で余計に疲れて、だらしなく息を乱しながら戻ってみれば争いをしているらしい……春蘭。

 ………………母さま。私、もう帰りたい。

 なんなの? 騒ぎを起こすのが民や兵じゃなくて、主に将ばかりってなんなの?

 ……い、いえ、落ち着きなさい曹子桓。

 こんなところでいちいち目くじらを立てていては、偉大なる母には追いつけない。

 私の目標は母を越える者になること。

 これくらいのことで動揺して、怒りに任せて今までの鬱憤を春蘭にぶつけるなど───

 

「だからさっきから言っているだろうに。小さな胸はあれはあれで良いものだと。お主はあれか。主と曹操殿との間に生まれた子の胸まで曹操殿と比較するという気か」

「華琳様の胸は至高だ! そしてその娘たる曹丕様も例外ではない! 日に日に成長してゆく曹丕様の胸を見ては、いつ膨らみが止まるのかとはらはらする日々だ! あれがもし華琳様のものより大きくなったとしたら、いったい華琳様はどのような反応を───」

「何を天下の往来で人の胸のことを熱く語っているかこの馬鹿者はぁーっ!!」

 

 ───無理でした。

 どうやら話し相手が居たらしく、趙雲が叫んだ私を見て「おや」などと呟いた。

 

「はっ!? そ、曹丕様っ!? 丁度良いところに! この愚か者が華琳様と曹丕様の胸を侮辱したのです!」

「私としては人が集まる中で人の胸のことを絶叫するあなたのほうがよっぽど愚か者に映るのだけれど!? そもそもそれはここでするべき話なの!?」

「はっはっは、いやなに、そこの茶屋で珍しくもこれと出会いましてな」

「貴様ぁ! 人を指差して“これ”とか言うな!」

「春蘭、少し黙っていて……」

「うう……曹丕さまぁ……」

 

 黙れと言われてしょんぼりする姿は、母さまに言われた時と変わらないらしい。

 

「私はまあ、飲むものとくれば酒ばかりなので、たまには茶を選んでみようと思い、こうして寄ったのですが。どうやら曹操殿にお使いを頼まれ……いや、強引にもぎとったのでしょうなぁ。買うべきものが書かれた“みに黒板”を持った愚か者が、ほれ」

「だから指を差して言うなと!」

「まあ、もぎとったという言葉は頷けるわね」

「曹丕様!?」

 

 それはわかったけれど、茶の話からどこをどうすれば胸の話になるのよ。

 そう問うてみれば、茶と筋肉の関係についてを語られた。

 お茶には筋肉に必要なたんぱく質なるものの吸収を妨げる成分があるらしく、鍛錬前後の摂取は好ましくないとか。「……だからどうしてそこで胸の話になるの」と問うてみれば、筋肉という土台がなければ、良い胸は成長せぬということを語ったらしい。

 ようするに覇王に喧嘩を売っているのかこの人は。

 

「喧嘩などとはとんでもない。私は事実を言ったまでであり、曹操殿の胸のことを勝手に語り出したのは夏侯惇だ」

「……え? そうなの?」

「ええ。私はただ、夏侯惇の胸のことを言ったまで。お主のように張った胸のおなごが茶を飲むと、将来的に大変なことになるぞと。……何故かそこから“ならば曹操さまの胸は永遠に輝き続けるなっ”と。ああ、曹操さま、という部分は真名で想像してくだされ」

「………」

 

 頭痛い。

 帰っていいかしら。割と本気で。

 

「本当なの? 春蘭」

「もちろんですっ! 華琳様のお美しい胸は永遠の輝きを───」

「そう。じゃあこのことは私からきっちりと母さまに伝えさせてもらうわ。よかったわね春蘭。あなたには母さまから、とてもありがたい褒美が下りるわよ」

「ほ、褒美……? そんな私はただ当然のことを……うへへ」

 

 とろけた顔でなにやら呟き始めた彼女をほうっておいて、溜め息を吐いた。

 そこへ、「大変ですな」と趙雲が笑いながら話しかけてくる。

 

「お願いだから、こんなくだらないことで警備隊が駆けつけるほど騒ぎを大きくしないで頂戴。走る方の身にもなってほしいわ」

「ふふっ、それは無理な相談だ。そうしたことの積み重ねで、街は日々を飽きずに過ごせるのですよ。誰か一人が楽をしたいからという理由で、人々の娯楽のひとつは消せませぬ」

「ええそうね、それが私にとっても娯楽であるのなら頷けたのでしょうけれど」

「ならば娯楽にしてみせればよろしい。苦痛も苦笑に、苦笑も笑みに変えられた時に、ようやく見える世界もありましょう。そうして笑んだ先で、それまでの自分を笑い捨てるか受け入れるかは自分次第。そこからを好きになさるといい」

「………」

 

 この都には様々な物事の“達人”が居る。

 言ってしまえば先人というもので、習おうと思えば様々を学べる。

 一歩進めばその道の知識の鬼に出会えるような場所で、覇王の娘なんて肩書きなどは飾りのようなものだ。実際、私はまだほとんどのことを知れていない。

 当初の目的である警備隊に入ったきっかけもまだだ。

 人に出会えばありがたいお言葉を齎され、その度に学ぶわけだけれど……学べ学べと言われ続けているようで、正直な言葉で言うのなら“疲れる”。ただ、学べることも事実であって、反発しかしない我が儘を振り翳すつもりもない。

 そう考えれば益々母を尊敬するわけだ。

 そんな人々の上に立ってみせた母。

 届かぬ存在と思ったことは何度もあるけれど、諦めようと思ったことは……ない、と言えないが、諦めるつもりは今のところはない。

 私は母に認められたいのだ。

 だから学べる既存は学びつくして、まだ見ぬ何かを自分で拓ける自分になりたい。

 ……そんな目的は、目の前の彼女が言うように“娯楽”に出来るものなのか。

 

(…………違うわね)

 

 出来るものなのか、と考えている時点で、出来るかじゃなくてやろうとしていない。

 してしまえばいいのだ。彼女だってそう言ったのだ、してみせればよろしいと。

 それを民が娯楽として受け入れられるのかと言えば絶対に違うだろう。が、決めた。

 私は私の目的を日々の糧とし生きよう。

 わくわくするのであればそれは娯楽と受け止める。

 

「おや。妙に顔つきが変わったと思えば。先ほどまでの疲れ果てた顔は、もう良いのですかな?」

「やりたくもないことを続けていれば疲れもするわ。ただ、そこに目的があるのなら、こんな疲れる日々も手段のひとつでしかないと気づいたのよ。母がよく言っているわ。様々を興じてこそ王だと。楽しんでやろうじゃないの、辛さも、謎解きも」

 

 フッと笑ってみせると、趙雲は遠慮することもなく笑った。

 本当に遠慮がない人だ。子供だからと遠慮は無用の通達は知っているのだろうし、今さら遠慮されてもとは思うけれど……この笑いは正直むかりとくる。

 

「目的といえば子桓様……おっと、遠慮無用とのことでしたな。では子桓殿。お主は警備隊の内情について知るために入ったと聞きましたが」

「ええそうよ。……傍に指示を出す者が居るところで言うべきことではないでしょうけれど」

 

 ちらりと見ると、一緒に駆けてきていた彼が、赤い顔でうねうねと奇妙に蠢いている春蘭をどうにかしようと必死に語りかけていた。

 趙雲は趙雲でそんな二人を見ては袖で口元を隠し、くすりと笑う。

 

「警備隊の内情か。なるほどなるほど、それはまた中々に愉快。しかし警備隊というものに入ったのなら、あまり苦労はせずに手に入る情報もござろう。あまり気負いせずに励まれるがよろしい」

「……くすくす笑いながら言われても、奮い立つのはやる気ではなく腹と苛立ちなのだけれど?」

「はっはっは、なに。お主が調べている人物のことは私としても無関係ではござらん。彼は私の友でもある。私が思うこと願うことは、どうかもっと彼のことを知ってほしいということだけ」

「友? あなたの?」

 

 ……それはまたなんとも。

 知るのが少し怖くなってきた。

 

「おや、微妙な表情。心配せんでも彼の人の良さは私と冥琳、ねねと焔耶が保証しましょう。実際に彼のお陰で警備体制も良くなったし、学ばされたことも様々だ」

「め……っ……あの周公瑾が?」

「学ぶということよりも冥琳の名に反応しますか。まあわからんでもありませぬが」

 

 ふむと一息。それから彼女は語ってくれた。

 彼女と周公瑾と友達関係にある男のことを。

 聞けば聞くほど信じられないような人で、氣が未熟な時に周公瑾を命がけで救ったことがあり、仕合の際に趙雲から一本取ったことがあるそうだ。

 すごい。

 そんな人の名が知れ渡っていないなんて何かの冗談だろうと思うくらい。

 ……そこまで考えて、ふと思った。

 知れ渡るもなにも、もしや既に死んでしまっているのでは、と。

 だから知られることがないのではと。

 死、と考えて、ふと頭に浮かんだのが呂琮の言葉。

 

  今、父と思っている人はお手伝いで、本当の父は───

 

 ……そこまで考えてぞくりと震えた。

 もしも、仮にもしもそれが真実なら、もしや私の本当の父はとんでもない人であり、あの父は育ての親というだけの話に……。

 だから情けなかったのだ、だから弱かったのだ、だから仕事などなかったのだ。

 “仮に”が頭の中にある疑いから理屈を固めてゆき、どんどんと答えを作る。

 その答えが私の中で固まってしまえば、もう私はあの男を父として見ることなど絶対にないだろう。それでいいのだ、と心が笑う。

 けれど……

 

  やさしく笑い、頭を撫でてくれた感触を、今でも思い出せる。

 

 そんなやさしさまで否定していいのだろうか。

 勝手に真実だと思い込んだことで否定してしまって、本当にいいのか。

 ずっとなにかが引っかかっていた。なにかおかしいと思っていた。

 子供の頃、父を拒絶してしまったあの日、私は───

 

 

  まあとりあえず、俺は丕の前ではてんで仕事はしてないな。それは事実だ。

 

 

 …………え?

 

「あ……」

 

 丕の前で。

 あの日、父はそう言った。

 今でも思い出せる。苦い思い出だ。友達だと思っていた子たちに拒絶された日。忘れたいことほど忘れられない人って存在は、そんなことばかりを思い出せる。

 だから覚えている。あの時は悲しむばかりで拾えなかった言葉でも、なにかがずっと引っかかっていた。

 私の前では。私の前ではと言ったのだ、あの人は。

 

(待って……待って、やだ、待って)

 

 そうだ。

 考えてもみれば、私はあの人といつも一緒に居たわけじゃない。

 部屋にはずっと入れてもらえなかったし、自分が寝ている時だってあの人が何をしていたかなんてことは知らない。

 私はただ一方的に嫌っていただけだ。

 思い込みを抱いて、勝手に距離を取っていただけ。

 

(ち、違う。違う)

 

 そうだ、違う。

 もしそうだったら、私はただ一方的に誤解をして見下して、冷たい言葉を放って突き放していただけだ。誰も教えてくれなかったなんて言い訳にはならない。

 書類整理が主だと言っていた。支柱をやっているとも。そうだ、妙に棒読みみたいな喋り方だったけど、答えていたのに。

 自分のことでいっぱいいっぱいで、まともに受け取ることもしなかったのだ。

 

(………)

 

 最低な考えが頭の中をぐるぐると回っている。

 あろうことか、自分の罪悪感から逃れたいがために、父がだらしのない男であってくれだなんて思っている。

 そうじゃないことを望んでいたくせに、ひどい掌返しに吐き気がする。

 

「おや、どうかされたか?」

「……べつに、どうもしないわ」

 

 ただ、ひどく身勝手な自分に吐き気がしただけだ。

 一度こうと決めてしまうと、それをひたすらに基点に置くのは自分の悪い癖だ。揺るがないのはいいことだけれど、それは時に弱点になるわよと母にも注意されたというのに。

 ……少し頭を冷やしたい。強くそう思った。

 今の自分では冷静になれない。

 仕事に没頭すれば、まだ少しは───

 

(……弱いな、私)

 

 事実であろうことから目を逸らそうとした自分の中で、寂しがり屋な自分がそう呟いた気がした。

 けれどもそんな弱さも自分の中から湧き出る言い訳に埋め尽くされてしまい、次いで聞こえた春蘭と警備隊の上官(?)の喧噪によって消えてしまう。

 冷静ではない私は、すぐにその騒ぎに乗じて焦燥から逃げた。

 

「───」

 

 少しだけ、声が震えているのが解った。

 溜め息混じりに話す私を客観的に見る自分がひどく怖いと感じた。

 淡々と今の自分を冷静に語る、そんな自分。

 しょうがないじゃないか。だって怖いのだ。どうしろというのだ。思いつく限りの言い訳を並べようとしても、陳腐なものしか出せていない自分に呆れもした。

 その時になってようやく気づくのだ。

 

  ……自分はまだ、背伸びをしていた子供でしかなかったのだと。

 

 片親を見下して、大人になったつもりでいた子供だったのだと。

 

「あ……」

 

 事実を事実と受け止めた時、知らず……涙が滲んだ。

 やめろ、それをこぼすな。私は強くあろうとしてきたのだ。

 それをこぼしたら、私はもう───

 

「ふむっ!?」

「おっと子桓殿、すまぬ。手が滑って、食べようとしたメンマが貴女の口に」

 

 押さえ込んでいた弱さが外に滲み出した途端、途中から何も言わずに私を見ていた趙雲が私の口にメンマを捻りこんできた。

 少し口を切ったかもしれないが、血の味が滲むよりも先にとんでもない美味さが舌を襲うと、悲しみが一気に紛れて……心が混乱するのもお構い無しに「はっはっは」とわざとらしく笑った彼女は、この場を春蘭と警備隊の上官(?)に任せると告げると……私の顔を胸に隠すようにして横抱きにし、駆け出した。

 


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