真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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11:呉/波乱の一日【中巻】①

29/「いつでも正解を出せる存在なんて居ないけど、それが正解だと自分が信じていれば、それはきっと正解なのだ」というケース29

 

 人間、慣れているつもりでも急なことには弱いもので。

 魏のみんなとは散々としたキスも、当然そういった雰囲気の中でするものだと確信していた俺にとって、周泰との突然のキスはとてもとても驚くべき出来事だった。

 と、城壁の上の硬い石畳で正座をしながら考えてみる。どうしてこんな場所でとツッコみたいところだが、硬い場所でなければ罰にならんと言われたからで。

 

「お前には客としての意識がないのかっ! 聞けば真名を許そうとした明命に、とととっとと突如接吻をしたとかなんとか! お前の言う友というのは真名を許した途端に唇まで奪うとっ……はっ!? ま、まさかそうして、雪蓮姉さまや冥琳の唇まで……!」

 

 見上げる先には孫権さん。この一ヶ月で、もう何度こうして怒られたか。

 や……だからね? 見上げる先で胸の下で腕を組むの、やめてください。絶景すぎてもう……じゃなくて。

 でも、なんだろう。少しずつ、ほんの少しずつ扱いが柔らかくなっている事実に、少しだけ頬が緩む。

 “貴様”だった呼び方も“お前”に変わり、たまにだけど話に夢中になると、言葉使いが王家の者としてではなく少女然としたものになることがある。

 それを聞ける瞬間が、この怒られている時の癒しでもあったりするわけで。

 

「聞いているのか北郷っ!」

「ああ、大丈夫。聞いてる」

「ならば言い訳の一つでも述べてみせろ! こうして座らせられ、一方的に言葉を突きつけられれば言いたいことの一つでも出てくるだろう!」

「友についてのこと以外は、違いはあっても大体事実だから言い訳はないよ。あ、でも雪蓮と冥琳とはそんなことにはなってないから、それは安心してほしい」

 

 胸に行きそうになる目を強い意思で正し、孫権の目を真っ直ぐに見上げて言う。

 対する孫権は……解決しない事態に頭を掻き毟るような面持ちで、震える息を吐いたのちに……ふと、静かに言った。

 

「お前は…………私と話す時は、随分と冷静に話すのだな」

「?」

 

 自分に言われるべき言葉かどうかが理解できず、言葉の意味が一瞬……文字通りわからなかった。

 冷静? ……冷静だろうか。こうしている今も、何気に自分の中の獣と戦っていたりするのだが……ただ、どちらかが熱くなってしまった状況での会話は、どちらかが冷静でなければ纏まらない。

 春蘭が熱くなれば秋蘭が落ち着かせて、春蘭と秋蘭が熱くなれば華琳が落ち着かせる……そういった状況を近くで見れば、嫌でもそういったことが身に着くってものだ。まあその、自分が冷静な状態でいられる状況なら、の話ではあるが。

 

「言いたいことはわかる。どちらも熱くなっては、交わす会話も実りにならん。だが、そこでただ只管(ひたすら)に冷静でいられては、熱くなっている私が愚か者のようではないか……」

 

 俺の目から視線をずらし、拗ねるような声でそんなことを言う。

 だからといって「よしわかった」と熱くなるわけにもいかず……俺はどうすれば目の前の人が笑ってくれるのかを考えてみた。

 思えば思春と合計したところで、笑っている顔を見たことなど数えるほど…………も、あっただろうか。

 

「怒ってもらえるって、大事なことだよ。褒められてばっかりじゃ見えないことっていっぱいあるからさ。見るところをちゃんと見て怒ってくれてるなら、俺はそれが嬉しいって思える。だから、孫権は愚かなんかじゃないよ」

「う…………それだ。お前はいつもそうやって、拍子もなしに人を褒める。お前が呉に来てから、私の調子は狂わされ続けている」

「調子?」

 

 調子……いや、身に覚えがないんだが。

 お、俺……なにかやらかしたか? 考えてみるが、思い当たる節が……どうしよう。いろいろあって、どれが原因だか解らない。

 と、首を傾げていると、孫権は大きく息を吐いてから寂しげに俺を見下ろした。

 

「私は……少なからずお前に嫉妬している。孫家の未来を思い、姉さまの傍で呉のためにと気を張ってきた。だがその実、私に出来たことなど限られている」

「孫権……?」

「……見ろ、北郷。眼下に広がる町を。そこで生きる民を」

 

 孫権が憂い顔で城壁から眺められる景色へと向き直る。

 ……促されても、現在正座中な俺にはどうすることもできなかった。

 

「皆、私などよりもお前に信頼を寄せている。口で呉のためとどれだけ並べようと、実行に移せなければそれは虚言と変わらない。私は……私には、お前のように民の怒りや悲しみを我が身で受け止める勇気がなかったのだ」

 

 口を開こうとする。それは違うと。

 けど、そうするより早く孫権が言葉を発していた。

 

「違わないのだ、北郷。“お前”を見てきたからこそわかる。将ではなく警備隊長という身分でありながら、曹操の、魏の信頼を受けているお前が……かつての敵国で出来ることなど高が知れる、すぐに馬脚を現すと踏んでいた。だが……お前は僅かばかりの信頼に応えるだけでなく、民を笑顔にしてみせた。……私には出来なかったことだ」

「………」

「私はお前が嫌いだった。自分に持っていないものを持っていて、それを姉さまに認められていることが悔しかった……そう、嫉妬していたのだ。そんなことをしている暇があるのなら、自分に出来ることを探せばよかったというのに、それすらせずに───」

 

 さあ、と流れる風が、孫権の長く綺麗な髪を揺らす。

 城壁から城下を眺める孫権の顔は、この角度からでははっきりとは見えないけど……小さく震える肩が語っている。自分には足りないものが多すぎると。

 

「なぁ、孫権。孫権は本当に探そうともしなかったのか?」

「なに……?」

 

 そんな顔が振り向く。表情はキリッとした顔だったけど、振り向く一瞬にだけ見えた悲しげな顔を、見ないフリなんて出来そうにない。

 

「雪蓮が言ってた。必要なのは将や王じゃなく、それ以外のなにかだって。だから雪蓮は俺に天の御遣いとしての在り方を望んだし、実際になんとかなってくれた。でも、その間に孫権が何もしようとしなかっただなんて思えない」

「なっ……なにを根拠にっ……」

「孫権が約束通り俺を見ててくれたなら、俺だって孫権のことを見てた。真面目でやさしくて、雪蓮や冥琳にも負けないくらい、孫呉の未来を思って頑張ってただろ。たしかにお互い、年中見てることなんて出来なかったけどさ、それでも一月だ。怒られながらでも注意されながらでも、言葉の中に見えてくる意思って、あると思う」

「う……っ……」

 

 思ったことを素直に真っ直ぐに伝える。……まあその、正座したままで。

 人っていうのは案外“見ている”もので、無意識であろうと印象に残るものは印象に残っていたりする。

 たとえば退屈な毎日を送る中、つまらないテレビドラマを見ながらでも好きな歌が流れたりすれば、“○○○のドラマで○○○の音楽が流れていた”と記憶できるように、他の内容は覚えていないのに、その音楽が鳴った部分だけは鮮明に覚えている。不思議だけど、それが印象ってものである。

 俺にとっての孫権のソレは、民のためと口にしないながらも仕事を決してサボらない在り方だった。どっかの誰かさんとは大違いである。

 おそらく今日も、どこぞの木の上で酒でも飲んでいるんだろう。それか町のじいちゃんと話をしているか。

 時々、孫権が王になったほうがいいんじゃなかろうかと本気で思ったりもする始末だ。もちろん雪蓮には雪蓮のいいところ、いっぱいあるけど。……あるよな?

 

「俺が持っているものを孫権が持ってないなら、俺が持ってないものを孫権が持ってるよ。自分だけじゃ出来ないことを成そうとするなら、自分に持ってないものを持っている人と手を繋げばいいよ」

「だが、それは……甘えになってしまわないか? 困難があればすぐに手を伸ばしたくなる、なんてことになってしまわないか?」

「……俺は魏の人間だけどさ、手を伸ばしてくれるなら喜んで繋ぐよ。もちろん、助けるだけじゃなくて、どうしたら変えられるかを一緒に考える。……国に返していきたい気持ちに、他国だからって考えは関係ないと思うから。なにより、自分がこうしたいって始めたことで誰かが笑ってくれるのってさ、うん……凄くさ、嬉しいんだ」

「北郷……お前は……」

「な、孫権。自分では出来ないことだ、なんて思う必要なんてないんだよ。雪蓮は孫権や冥琳や陸遜が政治を纏めてくれるから民と王との堺を削っていけるし、俺だってみんなが俺に自由をくれたから親父たちを笑顔にするために動ける。それはさ、誰かが欠けてちゃできないことなんだ」

「………」

「思春の権利剥奪はいろいろと不都合が出たかもしれないけど、誰も文句を言わずにそれが穴にならないように庇ってる。将だけじゃ足らないなら、水兵のみんなが、それでも足らないなら民のみんなが国を善くしようと頑張ってる。それはさ、そもそも“孫呉”って国がなければ出来ないことで、雪蓮や孫権やシャオは何よりも先に、一番大事なことをやってくれてたんだ。……だからさ、孫権が落ち込むことなんてない。全然ないんだよ」

「っ……」

 

 息を飲む音がする。俺を見下ろす瞳には困惑が混ざっていて、俺の言葉を真っ直ぐに受け止められない理由があるのだろう……一度頭を振ると、今度こそ「それは違う」と口にした。

 

「孫呉は母が……孫文台が育んだ国だ。そこに私の意思は関係ない。私はただ“娘だから”孫家に居るだけだ。名に負けないため、そして孫呉の宿願を果たすため、姉を追い母を追い……見ろ。辿り着いたのが今の私だ。私でなくともこなせることを坦々とこなし、いざとなれば一歩を踏み出す気概も出せない。……こんな私にでも……北郷、お前は一番大事なことをしてきたと言えるのか?」

「言える」

 

 考える必要なんてない。真っ直ぐにそのままの言葉を発した。

 

「娘だから孫家に居るだけじゃない。親が成した大業を大切に思って、孫文台の娘としての責任の重さから逃げずにここまで来たんじゃないか。たとえ王になるのが雪蓮だって決まっていたとしても、その妹になにも圧し掛からないわけじゃない。そこから逃げなかっただけで、親の意思を貫こうとしただけで、孫権は自分にしか出来ないことをやっていられてるじゃないか」

「………」

 

 驚きの顔のままに、孫権は俺を見下ろす。身動きひとつもとらず、真っ直ぐに。

 俺も真っ直ぐに見上げながら、これ以上自分を追い詰めないようにと砕けて笑ってみせた。

 

「過去のことは起きたことだし、過去に手を伸ばしても繋げる手はないよ。残念だけどさ。でもほら、笑顔でいてくれる人たちに手を伸ばして、もっと笑顔を増やすことは今でも出来ることだろ? だったらさ、“今出来ること”に手を伸ばすことから始めないか? にこっと笑ってさ、賑やかさに身を投じるだけでも見つかるもの、きっとあるよ」

 

 祭さんは“仲良くするだけで悪事を働く者が居なくなるわけでもない”って言った。

 それはたしかにそうだけど、町に笑顔が増えた今なら、受け取り方も多少は変わってくれているはずだ。

 悪事を働く人が居なくなるわけじゃない。だけど一人でも悪事を働かないで、笑顔を尊いものだって思ってくれたなら、そこにはちゃんと意味がある。

 たった一人程度、じゃない。一人でも居てくれることに意味があって、それが一人ずつだろうと、増えていってくれたなら、変われるなにかもきっとある。

 騒ぎを起こす人が全て居なくなるわけじゃない。ないけど、同時に笑顔が溢れる中で、少しでも“こんなのもいいな”って思ってくれたら……それを想像するだけで嬉しいから。

 

「俺や……たぶん孫権も、まだまだ教わる立場にある。教わった上で、自分がどう受け取るか、考えるかも学ばなきゃいけない、そんな立場だ。だからさ、よかったら俺と───」

「それはだめだ」

「あらっ!?」

 

 伸ばそうとした手が、膝から持ち上がるより早く却下された。

 思わずがくりとくるが、改めて見上げる孫権の顔は……笑顔だった。

 

「……本当に困った男だな、お前は。認めなければならない部分がまた増えてしまったではないか」

「……え? 認めてくれてたの? 俺のこと」

「あっ……と……当然だろうっ、見ていてやると言ったこと、よもや忘れたかっ」

「いや、それは覚えてるけど」

 

 見ていてくれたからって、認めることにイコールするわけじゃないから……そ、そっか。少しずつだけど、ちゃんと認めてくれた部分、増えてたんだ。

 それで呼び方も貴様からお前に昇格していてくれたなら、なんというかうん……むず痒いけど嬉しいような。

 

「だが、私はお前と手は繋げない……───そんな顔をするな、嫌いだからではない。言ったろう、“嫌いだった”と。お前は呉の……いや、皆の笑顔のために動いている。将も兵も民も関係ない、ただ人のために動いている。そんな者を嫌えるはずがないだろう」

「そ……そっか」

 

 そういった意味の“嫌いではない”って意味だってことはわかっているんだが、こう真正面から言われると……困った、照れる。

 って、照れてる場合か。じゃあどうして手を……理由があるんだよな、そりゃもちろんだ。理由もなく手を繋ぐことを拒まれたんだとしたら、ちょっと、いやかなり、うん、いや……すごくショックだ。

 

「……? なにを俯いているのかは知らないが、きちんと私の目を見て構えてほしい。私はお前のそういったところも、その……評価しているのだから」

「う、ぐっ……」

 

 言いたい放題言った代償ですか!? なにやら恥ずかしいことを正面から言われた気がする! 認めてくれたのが嫌とかそんな話じゃなくて、こう……だめだ頭が熱くて表現出来ない!

 

「……え、えっとその……あ、ありがとう。意外だったけど、嬉しいよ」

「う、うるさいっ、意外とはなんだ貴様っ! 私は嘘は言っていない!」

 

 こちらも恐らく赤くなりながら言葉を返すと、孫権も真っ直ぐに言葉をぶつけられるのに慣れていないのか、息を飲むのと同時に真っ赤っかになった。

 そんな時だ。俺と彼女は案外、何処か似ているのかもしれない……そう思ったのは。

 まだまだ勉強しなくちゃいけないことが多くて、だっていうのに目指す場所は無駄に高いところで。

 諦めたくないから目指しているのに、目指す場所の高さに戸惑っている。

 そんな……小さな弱さを、彼女の中に見た気がした。そしてそれはおそらく、彼女から見た俺の弱さも。

 

「……孫権。訊いてもいいかな。どうして手を繋げないのか」

「───わかっているだろう?」

 

 だから、そんな言葉が返ってくるんじゃないかって……どこかで予想が出来ていた。どうしてと問いかけることもなく、たったそれだけで胸の中で納得出来てしまったんだ。

 

「私とお前はどこか似ている。未熟なところも、誰かに教えを請い、学ばなければいけないところも。どこから手をつければいいのかもわからず、だというのに理想だけは高く持っている」

「……うん」

「けれど……私はお前が羨ましい。誰にでも手を伸ばせ、請いたい教えを真っ直ぐに教えてくれと願えるお前が。それに比べ……雪蓮姉さまの妹だからと、孫文台の娘だからと、小蓮の姉だからと気を張っては、何を成すべきかが私には見えない」

 

 言いながら天を仰ぐ。まるで広大に続く空を自分の状況に重ね、手を伸ばしても何処にも辿り着けない未来を思うように。

 空に伸ばされた手が何もない空気を掴むと、孫権はその手を視線と一緒に下ろして……自虐と寂しさを混ぜた表情で小さく笑った。

 

「私はまだまだ未熟だ。手を繋ぎ、力にはなってやりたいが……その“力”が見いだせていない」

「孫権、それはっ」

「わかっている。未熟だからこそ手を繋ぎ、支え合っていくべきだと。だが私は……きっと甘えてしまう。今、雪蓮姉さまの……孫伯符の妹であることに甘えているように」

「………」

 

 目を逸らし、呟くように言う孫権。

 そんな姿を見ると、ふと思い出すのはじいちゃんの姿。

 

(……そっか)

 

 いつかの自分はこんな顔をしていたのかもしれない。

 魏に、この世界に帰ることばかりを考えていた俺に、じいちゃんが言ってくれた言葉があった。

 

「孫権。シャオにも言ったことだけどさ、無理に背伸びすること、ないと思う」

「なに?」

 

 逸らされていた視線が俺へと戻る。

 その目は……まるで道に迷った子供だった。

 なるほど、こんな顔をしてれば、じいちゃんも言わずにはいられなかったに違いない。

 

「この世界は怖いよ。一人で無理して立とうとしても、一人じゃ出来ないことが大半だ。そんな中で自分は大人だ、なんでも出来るって言うのは怖いことだし、自分の虚勢で誰かに迷惑がかかるのはもっと怖い」

「……ああ、そうだな」

「いつかさ、俺はシャオに“大人ってなんだろうな”って言った。そのことで孫権に怒られるだなんて、夢にも思わなかったけど」

「うっ……あのときのことはっ……その……」

 

 気まずく思ったのか、孫権は顔を赤くして俯く。

 そんな姿に俺は逆に頬を緩めて、一度大きく深呼吸をしてから言葉を続けた。

 

「俺さ、大人になるってもっと大きなことかと思ってたよ。大きくなって、じいちゃんみたいに武道を伝えていくとか、結婚して子供を作って、教え導くこととか……そんなふうに」

「違うの? それはとても立派なことじゃない」

(あ)

 

 きょとんと返すその言葉が、いつの間にか砕けていた。

 歳相応の言葉で返すその顔は真実歳相応で、目をぱちくりとさせて本当に疑問に思ってるって顔が……その、可愛いって思えた。

 

「うん、違わない。でも、立派なのと大人になるのとじゃあやっぱり意味が違うんだ。子供でも立派なやつはきっと居る。じゃあ大人ってなんなのかなって考えて……考えてみたけど答えらしい答えなんて出なくてさ。大人に聞いてみたら、そんなことを訊いてくるうちは子供だって断言されたよ」

「……そうなの。貴方もまだ知ら……あ、おほんっ! お、お前もまだ知らないのか……」

「………」

「な、なんだっ」

「い、いやっ……」

 

 困った……この娘、すごく可愛い。思わず笑ってしまう自分を抑えられない。

 

「ははっ、でもさ。わからないうちはそれでいいって思えたのはよかったって思うよ。大人っていうのはなりたくてなるものじゃなく、自然になるものだって」

「北郷……」

「国のために生きて、自分のために生きて、誰かのために生きて。そんな自分をいつか昔話として誰かに話せる時が来たら……きっと、それが自分が大人になった時なんだって。自分はこんな壁にぶつかって、だけど自分の周りには助けてくれる人が居たからやってこれたよ、って……自分の子供でも町で(はしゃ)ぐ子供でもいい。誰かに伝えられる日が来たら、その時の自分はきっと笑顔であるようにさ、諦めずに頑張ってみるのも面白いんじゃないかな」

 

 俺はじいちゃんの言葉から、守ること、守られることの意味をほんの少しだけ知ることが出来たから。

 そこからどう学んでいくかが俺に出来ることなら、次は学べたことを誰かに広めることが出来るまでを、頑張っていきたいって思う。

 

「まずは自分のために動いてみないか? 誰かのためって重く考えるんじゃなく、自分のために動いてみて……今度はその“自分のため”が“誰かのため”になる行動を選んでみる。自分がやりたいことで誰かが笑ってくれるって……そんなに嬉しいこと、他にないよ」

「……そうか。だからお前は手を繋ぐのだな」

「え…………そうなのかな。俺はただ、俺には出来ないことのほうが多いから、それを支える人、自分にも支えられる人が欲しくて……あれ? なんか矛盾してるな、うーん……」

「ぷっ、く───ふふふふっ……! な、なんだそれは、まるで言っていることが滅茶苦茶じゃないか」

(あ……笑顔)

 

 俺を見下ろしながらくっくっと笑う孫権は……困った、やっぱり可愛かった。

 そんな笑顔を、偶然とはいえ俺が引き出せたことも嬉しかったけど……なにより、俺に向けて笑顔を見せてくれたことが嬉しい。

 

「じゃあ俺もまだまだ子供なのかも。実際に“教わること”のほうが多いんだから、無理して大人だって言っても仕方ないけど」

「そうだな。私もまだ……今はまだ、もう少しだけ子供の自分を自覚していよう。……そしていつか、自分にも守れるものが出来た時が───」

「ん。きっと、大人になれた時だ」

 

 孫権が屈むことで、二人、同じ目線で頷き合う。

 

「北郷。これからもお前を見ていていいだろうか。私は……自分の視界をもっと広げてみたい。今の自分では見れないものも、お前を通してなら見える気がする」

 

 事実、今までがそうだったのだと続ける孫権。

 そんな彼女に、俺は静かに右手を差し伸べた。

 

「い、いや、北郷。つい先ほども言ったが私は───」

「甘えられるのは子供の特権だよ。甘えられるうちに甘えておかないとさ……相手が居なくなってからじゃあ甘えられもしない」

「それは……、母さまのことを言っているの?」

「違うよ。俺は孫文台がどんな人かも知らないし、甘えさせてくれるような人なのかも知らないから軽口なんて言えない。けどさ、片意地張って過ごして、いつの間にか大人になってたらさ、甘えたかったな~なんて思っても誰も相手にしてくれないだろ?」

 

 にこやかに言ってみる。対する孫権は、「仕方の無い人……」と苦笑と溜め息を漏らした。

 

「貴方の考えはまるで子供ね。それなのに、不思議と不快にはならない」

「はは……実際、考え方が子供なんだよ。俺さ、行動力って童心から来てると思うんだ。興味から始まって好奇心で動いて、楽しければ笑って、悲しければ泣く。俺はそんなことが出来る自分のまま大人になりたいし、そのいい例がこの国には居るから、目指すのが楽しみになってきた」

「……祭と雪蓮姉さまね。あの二人を手本になんて、貴方は相当の度胸持ちか無謀者かのどちらかよ」

「まだ“誰のことか”も言ってないのに、祭さんと雪蓮を挙げる孫権もね」

「っ! あ、ち、違うわっ、今のは───あ、おほんっ! 違うっ、今のは言葉のあやというものでだな……わ、笑うなぁっ!!」

 

 腰を落ち着けて話してみれば、こんなにも楽しい。

 俺が伸ばした手は繋がれることはなく、いつの間にか俺も下ろしていたけど───うん、今はいい。彼女にも彼女なりの進み方があるし、俺にも俺の進み方があるのだから。

 そうして一頻り笑って、何を言っても無駄だと悟るや否や、同じく微笑をこぼして笑い始めた孫権を前に、言葉を紡ぐ。ライバル宣言じゃないけど、お互いがお互いへの勇気になるようにと。

 

「なぁ孫権。今度三国のみんながどこかの国に集まるような日が来るまでにさ、どっちの方が国に貢献できるかを勝負しないか?」

「勝負? 国への貢献を勝敗の対象にするのは感心しないぞ」

「もちろんそういう意味じゃなくて、俺達の気持ちの問題。焦る必要はそりゃあないけど、自分以外の誰かが自分よりも頑張ってるかもって思えば“出来ること探し”にも気合いが入るだろ? 勝負っていうのはあくまで意識的なきっかけで、それを糧に自分がどこまで頑張れるかを試してみないか?」

「………」

 

 再びにこやかに。孫権はきょとんとした顔で俺を見ていたけど、「そんな気概があってもいいかもしれない」と呟くと、俺に「立ち上がり姿勢を正し、左手を構えろ」と告げた。

 

「?」

 

 その意味も解らないままに立ち上がり、とりあえず左手を見下ろしたあとに「こう?」と軽く肩あたりの高さまで挙げてみると、孫権は右拳を構えた。

 ……子供みたいな考えかもしれない。けど、まだまだ自分たちが子供だっていうなら、それもいいと思えた。そんな自分だから、孫権がなにをしようとしているのかが反射的に解って、軽く構えた左掌に力を込めた───途端、“ぱぁんっ!”といい音が鳴って、俺と孫権の掌と拳が合わさった。

 

「私達がまだまだ未熟ならば、私達は二人でようやく一人前だ。いや、そこまでにも辿り着けていないのかもしれない。特に私は……つくづく傍に思春が居なければ駄目な存在なのだなと痛感している。頼り切っていたのだと。姉さまもそれを見越して、お前に思春を付かせたのかもしれない」

「雪蓮が? …………」

 

 頭の中に、にこーと笑う女性が浮かんだ。結論としては……うん、それはないんじゃないかなぁという結果になった。

 

「私達はまだまだ様々な人に支えられ、守られて生きている。だがそれを当然のことと受け止めず、その中でどれだけ努力出来るかが“今自分に出来ること”だと……お前と話していて思った」

「ああ」

「私の“(ほこ)”はお前に預けよう。これから私が進む道に“人を殺めるための戈”は必要ない───いや、必要が無くなるように努力をする。そのための覚悟をお前に預けよう」

「……ああ、預かった」

「そして……我が右手を武とし、お前の左手を文として───ともに知識を求め、この地、この国、この大陸からこそ学んでいこう。お前が言うように、そこから得た全てを以って、いつかこの国に返していくために」

 

 視線が交差する。

 逸らすこともなく赤くなることもなく、ただ真っ直ぐに、意思と覚悟を分け合うように。

 そして、その覚悟の意として彼女は告げる。

 

「……北郷……いや、一刀。貴方に私の真名を預けるわ。未熟な者同士、私を支え、貴方を支えさせてくれる?」

「もちろん。受け止めた覚悟に誓うよ。その……れ、れ……蓮華」

「ふふっ……ええ。頼むわね、一刀」

 

 手を繋がない代わりに、お互いを高め、支え、競い合うことの誓いを。

 初めて呼ぶ恋人の名前に躊躇するみたいな心境だが、なんとか口にした真名と、口にされた自分の名前を自分の中で反芻して頷いた。

 

(頑張る理由がまた増えたな。……やれやれ、もっともっと頑張らないと)

 

 やがて離れる拳に俺も手を下ろしながら、これからのことを思って……苦笑ではなく笑ってみせた。

 突然笑う俺を見て、蓮華が「どうしたの」と声をかけてくる。

 

「あ、ああいや、これからのことを考えて、ちょっと。苦笑が出そうになったけどさ、笑うなら笑顔だろ? 目指す場所が濁らないようにさ」

「───、ふふっ……ええ、そうね」

 

 言ってから蓮華も笑う。

 大きな声でではないものの、静かに笑う笑顔は綺麗であり可愛くもあり……───って落ち着け俺、事実は事実だけどいちいちときめいたりだな……!

 

「それじゃあ一刀? 支え合うその一歩として、私の剣術鍛錬を手伝ってくれる?」

「落ち着け落ち着───へ? 鍛錬?」

 

 急に言われた言葉に、今度は俺がきょとんとした。

 ……はて。彼女はつい今しがた、“戈”は俺に預けると……あれ?

 

「あ、あのー……蓮華? 蓮華は戈を俺に預けるって───」

「? それは人を殺めるための、でしょう? 民を守るための自身の研磨は今こそ必要だって、一刀ならわかると思ったのだけれど……」

「あ、あーあーあー! ソウ、ソウデスネ!?」

 

 根本的な間違いをしてしまった。

 そっか、殺すためじゃなくて守るため……なるほど、うん。

 

「あ……けど俺、そんなに強くないぞ? 俺だってまだまだ祭さんや思春や周泰に教わってるくらいだし」

「その三人に教えられている者が、いつまでも弱いわけがないわ。それに……一人より二人のほうが競い合えるし支え合える。そうでしょう?」

「う……」

 

 うっすらとピンク色に染まる頬を見て、思わず息を飲む。

 困った、可愛い───じゃなくて! 修行、修行な!? 己の研磨! いい言葉!  けど待ってください蓮華さん! 貴女性格変わってませんか!?

 

「……? ……おかしい? 今の私は」

「おかっ……いやいやいやっ! でも随分と変わったなぁとは……じゃなくてあぁあっ……!!」

「ふふっ、構わん。自分でも驚いている。自分にもこんな、誰かに甘えるという行為が出来るとは……夢にも思っていなかった」

「ウェ?」

 

 変な声が出た。甘え……甘える? エ? 誰に……俺に!?

 

「な、なに? 甘えられるうちに甘えろと言ったのは貴方でしょう?」

「やっ……そーだけど……」

 

 ころころと変わる口調に、どうしても頬が緩んでしまう。

 そ、そっか、甘えて……甘え……甘ァッ!? 雪蓮や祭さんや冥琳や陸遜じゃなくて俺!? 俺なのか!?

 や、うん……嬉しい、嬉しいぞ? 俺に甘えてくれるなんて思いもしなかったし。

 そりゃあお互いの現状を話し合って、弱いところも曝け出して、普段は言わない弱音を吐き合ったりもしたけど…………あれ? そうすると逆に、俺も蓮華以外にはあまり弱いところを見せたくないような……あ、あれぇ……?

 いや待て、俺はたしかに甘えられるうちに~とか言ったぞ? 言ったけどそれは、手を繋げる人と素直に話し合う~とか支え合う~とか寄りかかる~とか、そういった意味で合って……マテ、何処でなにを間違えた。

 

「?」

「………」

 

 穏やかな笑みが目の前にありました。

 それを見たら、いろいろぐるぐると考えるのが馬鹿らしくなった。

 だって……笑顔を前に難しい顔して悩むなんて、無粋もいいところだもんな。

 けどその前にっ!

 

「ごめん蓮華、その前にさ」

「わかっているわ。明命のことね?」

 

 はいと言わざるをえない。

 事故……と言ったら相手に失礼とはいえ、偶然であることは確かで。

 いや、なにも言うな。こんなときに偶然なんてない、あるのは必然だ~なんて言おうものなら、どこぞのU子さんであろうと今だけは許したくない。

 

「……支えると言ったのなら、私も行くべき……よね」

「あ、いや……ごめん、一人で行かせてほしい」

「そう? 力を貸してほしくなったらいつでも言って。私に出来ることなら、喜んで力を貸すわ。ただ今回のことはさすがに、事が事なだけあって支えるのは無理そうだけど」

「………」

 

 物事ってものには、どうしようもなく“反動”ってのがつくものなんだろうか。

 あれだけ一線引かれていたっていうのに、今ではやさしいこの態度。人の感情って不思議だ。

 

(でも……)

 

 わかる気もする。

 蓮華は俺を“見ている”と言ってくれて、その実しっかりと見ていてくれた。

 そんな蓮華を俺も見ていて、お互い話し合ったことなんて僅かだっていうのに、俺達はお互いのことを多少は知っていた。

 知人以上で友達未満……そんな関係を続けてきて、いい所も悪いところも、苦笑するところもおかしいところも見つけて───ここでこうして意見や弱音を吐き合った。

 そう。やっぱりきっかけなんてものは、何処にでもごろごろと転がっているものなのだ。ただ“それ”をソレと気づけず、掴めないままに流していってしまうだけ。

 お互い、見ているばかりじゃなくさっさと話し合っていればとも思う。

 しかしながら、ずっと見ていたからこそじっくりとわかり合える会話を成立させられた。

 たとえばこれが初見のときで、急にじっくり話し合いなんて始めて、俺達は寄りかかり、支え合う関係に至れただろうか。……って、考えるまでもなく無理だよな。

 距離をとっていた時間は無駄なんかじゃなく、目の前の笑顔はそんな時間があったからこそのものだ。

 そう思うことにして、蓮華に軽く挨拶をして歩きだす。

 

「事が事なだけあって、かぁ……」

 

 キスだもんなぁ……それも、おそらくファースト。だめだ、考え始めたら止まらない上にヘコんできた。

 ラッキ~、とかそんな次元の話じゃない……これは相当に辛いぞ。あんな……あんないい子のファーストを、よりにもよって事故まがいに俺が奪ってしまうなんて……!

 な、ななな泣いていたりするんだろうか。それともショックで寝込んでいたりとか……!

 

「いや。悩むよりもまず話してみないとな」

 

 考えるとループする。

 まずは突貫して……そ、そう、当たって砕ける精神で。ゴー・フォーブローク! ヘイテリー、ゴー・フォー・ブロークヨ!!

 ……などと。せめて頭の中だけは賑やかにして、城壁のから下方へ続く石段を降りていく。

 さて、どうなることやら……。

 


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