真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

340 / 454
120:IF2/人=タイミングに縛られる生き物②

 ……しばらく走り、辿り着いたのは街のいずこかではなく城内。

 適当な部屋に入り、ぽつんと置いてあった椅子に私を降ろすと、彼女は「ふう、いい汗を掻いた」などと笑った。

 ……汗などかいているようには見えないが。

 

「……ここ、どこよ。というか、私は仕事中で───」

「それ以上は言わんでよろしい。時に仕事をサボるのも、まあ“おつ”というものです」

 

 私の言葉を、偉そうなのか砕けているのか、いまいち掴みどころのない飄々とした言葉が遮る。遮られた私は溜め息ひとつ、食って掛かろうと思ったものの……見たことがない部屋を見渡して、首を傾げた。本当にどこなのか。

 顔を胸に押し付けられていたために、どこをどう駆けたのかもわからない。

 ただわかることは、この部屋には寝台もなければ、生活感と呼べる、人が暮らしている温度も感じなかった。

 あるのは椅子が二つ。向かい合うように置かれていたそれに私は降ろされ、趙雲は目の前にある椅子に座った。それだけ。……あ、いや。街で会った時と今とでは、違うものがひとつあった。

 

「二胡?」

 

 私の問いに、趙雲は“ふふっ”と笑うだけ。

 それの底をとんと床につけると、手にした弦で二胡をギキュゥウウウウウウィヨォオ~ッと鳴らしてひぎゃあああーっ!?

 

「ちょっ、やめっ、やめなさいっ! 鳥肌がひどい!」

「おお、たったひと弾きで感動を与えるとは。いやはや、私の技術も捨てたものではないな」

「別の意味での感動よ! 飄々となんでもこなせるのかと思えば、二胡を弾けないの!?」

「おや。音色を聞いて鳥肌が立つのは感動の証だと、主に言われたことがあるのだが」

「音色ならばよ! 雑音で鳥肌が出るわけがないでしょう!?」

「はっはっは、これは手厳しい。ならば」

 

 すい、と差し出される二胡。

 え、と声を放つ間もなく、あまりに自然な動作だったため、流れるような動作でそれを受け取ってしまった。

 

「私が弾けないとでも?」

「もちろん」

「むっ」

 

 かちんときた。

 ならば弾いてやろうじゃないと構え、弾いてみれば……身の毛も弥立つおぞましい音色が。途端に力が抜け、「なんなのよこれは!」と叫んでいた。

 

「体験してもらった通り、それは普通では綺麗な音色なぞ出せぬもの。大多数にとっては正しく役立たずのもので、直しもしないものだから誰の手にも触れられることもありませぬ」

「捨てないであるのはどうしてよ」

「なに、難しいことではござらん。何事にも例外があるということです。一人、これで綺麗な音色を出せる人物がおる。それだけの話です」

「これで!? 嘘でしょう!?」

 

 だとするならとんでもないことだ。

 と思うのと同時に負けた気分になったので、ならば私もと弾いてみたのだが……半刻を待たずにお手上げした。

 

「その人物に会わせなさい!」

 

 お手上げと同時だった。

 負けず嫌いとでも言えばいいのか、このままなのはなんだか許せない。

 うがーと吼えつつ二胡を趙雲に押し付け言うのだけれど、趙雲はとぼけた顔で返すだけだ。

 

「残念ながら今は都にはおりませぬ。いつ来るのかもわかっていない上、人前でやることも限られている。というか、その者とよく一緒に居る人物も何度も試してはみたものの、結局上手くはいかなんだ。子桓殿でもおそらく無理でしょう」

「無理と思うから無理なのよ。やろうと思えば大体は出来るものよ。だから誰なのか教えなさい。私が知っている人物?」

「ええ、まあ」

 

 くすりと悪戯を好む目をしている。

 何かの策にでも嵌めようとしているのだろうか。

 

「さて、この二胡。直すもなにも、これが完成した形なのです。直したら逆に怒られてしまう。なにせその者、普通の二胡は弾けぬとくる不思議な人物。器用なのか不器用なのか。ああいえ、不器用なのでしょうなぁ。その方が面白い」

「随分と虚仮にするのね。身分の低い者……けれど城にも入れる? 楽隊?」

「さて。答えを唱えるつもりはありませぬ。ただ……」

 

 くっと弦を合わせると、趙雲は音を奏でた。

 先ほどのような気色の悪い音ではなく、きちんとした音色が……って。

 

「弾ける人ってあなたのこと!?」

「おっと」

 

 声を張り上げたら音は乱れた。

 ……もしかすると、よっぽど集中しないと音色と呼べるものは出せないというの?

 

「はははは、いやいやお恥ずかしい。白状すると、この二胡。氣を使うと良い音色が出るという変わったものなのです」

「え……氣!? 氣で音色が変わるの!?」

 

 ちょっと貸しなさいとばかりに強引に奪い、けれど品位は殺さず、心を落ち着けて、目を閉じて、そう……サアッと吹く風に揺らされる草原のような柔らかな心で、ゆったりと氣を込めて弾いた。

 するとどうだろう。

 先ほどとはまるで違う音が、ホギャアアアォォォォと鳴って───殴っていいかしら! ねぇ殴っていいかしら! なにこの音! あと趙雲! 笑うならはっきり笑いなさい! 耐えられるのもそれはそれでむかつくわ!

 

「い、いやっ……失礼っ……! ぶっふ! 穏やかな弾き方の割りにっ……ぶふっ! 随分と賑やかな音色で……くぶふっ!!」

「~っ……あなたって、本当にいい性格しているわね……!」

 

 しかし弾けないのも悔しいのと、嫌な音でも出して苦しめてやろうかという意地が沸いて出てきて、手放す気にもならなかった。

 ともかく弾いてみる。“弾けない”と理解したら“絶対に弾けない”と決めてしまうのは私の悪い癖だ。無駄を省いて時間を短縮、という意味では大事なことかもしれないが、それは大して学びもせずに全てを捨てるのと同じだ。

 

「……こう? いえ、こう?」

 

 加減を変えながら弾いてみるのだが、これが案外難しい。というより出来ない。

 キィ、きぃ、と嫌な音が出始めるとすぐに手を止めているのだけれど……本当に綺麗な音なんて鳴るんでしょうね、これ。……いえ、目の前でやられたのなら鳴ることはなるのよ。となれば、悪いのは私の腕だけ。

 二胡自体は偉大なる母に教わって、きちんと弾けるのよ。弾けないのはこの二胡が異常だからであって…………ああいえいえ、落ち着きなさい。だからといって“弾けはするもの”に対して悪意を持ってどうするの。心を落ち着かせて、そう……気分を尖らせては、どれだけ腕があっても良い音色は出せないと、母にも教わったじゃないか。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 深呼吸。

 ……途端、吐いて、吸うという動作が私に懐かしい香りを届けた。

 

「………」

 

 随分と前の、温かかった光景が目に浮かんだ。

 心に届いたのは姉代わりの美羽と…………父の香り。そして……まだ私が素直に、あの人を父と呼んで遊んでもらっていた頃の情景。

 なんだか、ああ、なんて心が頷いてしまった。

 これを弾ける人、というのは、きっとあの人なのだろう。

 何を疑うかとかそんなこと以前に、この部屋に残る香りと二つの向かい合わせの椅子なんてものだけで、この心は“ああそうか”と受け入れてしまった。

 姉代わりであの人にべったりな美羽は、様々が出来る異常な人だ。あれがかつてはほぼ何も出来なかったと言うのだから、七乃の冗談好きこそが異常ととれる。

 むしろ努力した結果があれだというのなら尊敬は出来るけれど、あの人が居なければ途端におろおろする姿は見ていて少々あれだ。

 

「……───」

 

 思い出してみよう。

 あの人をまだととさまと呼び、今では硬い表情ばかりの私が普通に微笑んでいた頃のことを。

 あとはその時の“楽しい”を氣に込めて、弾いてみればいい。

 上手に弾きたいから手に取るのではなく、誰かの笑みが生まれますようにと……べつに笑われたっていいのだからという心を込めて、弦を。

 

「───……」

「……? ほう」

 

 静かに弾いた。

 最初はぎちぎちと鳴ったそれは、けれど最初だけ。

 心があの頃に戻れば戻るほど穏やかになってゆき、いつかの笑顔ばかりが溢れていた日を完全に思い出した頃には、綺麗な音色となってこの部屋に広がっていた。

 けれどそこまで。

 あの人のやさしい笑顔を思い出せなくなった途端、穏やかさに雑念が混ざって音が狂う。

 当然だと思う。“楽しい”を音に込めた途端に音色となるのなら、楽しいが無くなれば音など出るわけもない。

 ……そうか。私は今、楽しんでいないのか。

 今というのは“今この時”ではなく、あの人から離れてからの日々だ。

 充実しているつもりだったけれど、つもりはつもりだったのだろうか。

 

(……だからといって、今さらどうこうという気にもならないわね)

 

 だから溜め息ひとつ、二胡を置く。

 楽しい気分で構えなければ弾けないものなんて、今の私には必要がない。

 母は様々を興じてこその王というけれど、私は王ではないのだから。

 

「もういいわ。戻りましょう。仕事をサボる気はないわ」

「そうですか。ふむ、これは中々の難敵。ちょいと揺らせばころりといくと思ったのだが」

「ころり? なんの話よ」

「いやいや、こちらの話。ところで子桓殿。聞けば今現在警備隊に居るのは、警備隊の活動内容を知るためだとか」

「え? え、ええ、まあ、そうね。それが?」

「いやなに、ふと思い到り……こう言うのはなんなのですが、子桓殿が望む過去の記録は、魏に行かなければないのではと」

「───」

 

 ちょっと待て。じゃなくて待ちなさい。

 そう、そうだ、そうじゃないか。

 そもそも私はあの人の過去が知りたくて警備隊に入ったのよ?

 でも、都入りしてからの彼は警備の仕事などしたの? というか仕事している姿を見たことすらない私は、都の過去に何を期待したのか。

 え? あれ? もしかして、また? またなの? またやらかした?

 結論を急ぐあまりに、答えを求めるあまりにやらなくてもいいことをやらかした?

 

(……あ、あの警備隊の兵、ぶん殴ってやろうかしら……!)

 

 って、考えてみれば彼は、私の警備隊の記録が見たいという言葉に対して当たり前のことを言っただけであって、べつに私を騙したわけでもなかったぁあーっ!?

 

「……私…………私って……」

「お、おおお? どうされた? なにやら先ほどまでの元気加減が腐り落ちるほどの、暗黒を煮詰めたようなどす黒い顔色をしておりますが」

「いいの、ほっといて……ていうかいくら遠慮無用だからって、王の娘の顔色に対してその喩えってどうなの……?」

 

 ああ頭痛い。

 なんなのかしら、私。

 空回りばかりでいい加減うんざりだ。

 大体どうして私がこんな思いをしなければならないんだ。

 そうだ、そもそも詠が思わせぶりなことを言うから、こうして……!

 

「───」

 

 思わせぶり? 本当にそれだけ?

 彼女はただ、あの部屋には入るなと言っただけであって、別の場所───あ。

 

「っ!」

「おぉっとと? これこれ、急に立ち上がるものではありませんぞ? 二胡が足元にあることを忘れられては───」

「趙雲! 書簡竹簡が片付けられている倉庫! 何処にあるの!?」

「…………」

 

 半ば叫ぶように言う私を見て、きょとんとする。

 けれどもそのきょとんとした顔は次第ににんまりと笑みに変わって、

 

「軽い仕事くらい任されているでしょうに、倉の場所を知らんとは……」

 

 やがてそれは呆れの苦笑へと変わった。うるさいわね、どうせ片付けは兵に任せていたわよ。

 

「生憎と真実に近づくことを口にする行為は認められておりませぬ。探すのならばご自分で」

「そう。なら真実は倉にあるということでいいわけね?」

「さて。それはどうでしょう」

 

 とぼけて言うが、顔は笑っていた。穏やかな、嬉しそうな顔だ。

 ……なんなのかしら。隠しているというのに真実に早く辿り着いてほしいみたいな、その振る舞いは。邪魔するわけでもないし、むしろ“さあさ”とばかりに行動を促してくる。

 そうなのよね。どうしてかあの人の部屋に入ることだけを禁止している。

 こうなるとあの部屋が気になって仕方がないのだけれど……それとなく禅に訊いてみる? ……いや、こういうのは自分の力で行けるようにならなければ意味がない気がする。

 そうね、真実を見てしまえば、いろいろ変わることもあるはずだ。

 その時は───

 

「…………」

 

 その時は。……どうするんだろう。

 掌を返すのか、それとも……。

 

「自分は自分のままに。……許されている分だけでも、好きなように生きればよろしい」

「っ……随分とまた、人の心を覗いたようなものの言い方をするのね」

「はっはっは、なにを当然のことを。都は人を見るには事欠かぬ場所ゆえ、人の考えを読むなど容易い容易い。特に素直でない者の内側となれば、もはや己の思考とさえ思えるほどに容易い」

「……そう。なら、あなたは好きなように生きているのね?」

「当然。許される限りに、友の現状を心配する程度には」

 

 …………。ここまで考えることがあれば、もういい加減わかることもある。

 彼女の友とはあの人のことだろう。

 そもそも私は彼の過去を知りたいから動いているのだし、その過程で出てくる者といえばあの人くらいのはずだ。

 

(ようするに)

 

 間違っていたのは私のほうだ。

 それを、少しずつ受け取っていく。

 確信にはまだ早い。ただ、見下していた自分を戒めるつもりで、一歩一歩自分を叱りつける。たとえ勘違いで終わったとしても、もう……辛い当たり方などしないように。

 

(さて、行きましょうか。真実までもう一歩。これで全てがわかる筈だ)

 

 倉を目指して歩く。

 急ぐことはしない。きちんと一歩一歩を胸に刻むように、ゆっくりと。

 

(………)

 

 部屋を出て、兵と言葉を交わし、倉を目指す。

 倉のことを訊いた途端にぱあっと表情を明るくした兵に、少し呆れたけれど……もう少し。

 案内されるままに辿り着いた大きな倉。

 鍵がかけられていて、見張りをしていた兵は案内してくれた兵に説明されるとやっぱり笑顔。けれど私に一礼をしたのち、当然のことを訊いてきた。

 

「開けるのは構いません。が、どういった目的で? よほどのことがない限り、開けることは良しとされてはおりません」

「目的? それは───」

 

 あの人の過去を知りたいから……では、報告しようがないし、鍵は開けてもらえないだろう。見たい竹簡がある、なんてことも同様だ。言って開けてくれるのなら、悪事を働かんとする者の一人や二人、出てきてもいいくらいだろう。

 ならば? 賊では無理で私ならば出来ることは───……

 

「……その。わ、私が書いた竹簡に、誤りがあった気がしたから。それを調べるために、よ」

 

 自分の失敗を口にするようでとても屈辱的だ。けれど、これで文句はないでしょう? とばかり睨んでみせると、兵はやっぱり笑った。

 

「ははあ、それは仕方がありませんね。纏めて提出される分は手前側へと揃えてありますので、その中から探してもらうことになります。ああ、なお一度入っていただきましたら、隙をついての賊が侵入しないよう再び鍵をかけさせていただきます。調べ終えたら扉をのっくしてください。開けますので」

「そう、わかったわ」

 

 まずは安堵。

 なんだかとても嬉しそうに鍵を開ける兵を前に、ふぅと息を吐いた。

 そうこうしている内に錠前の鍵は開けられて、兵ら二人は『ぃよしっ!』なんて小さく言って拳をゴツッとぶつけ合わせていた。なんなのかしら、ほんと。

 どうぞと渡された、火の灯った燭台を手に倉の中へ。


 ▲ページの一番上に飛ぶ