少し経って、料理は完成した。
いくつもの皿に載せられたそれらをおずおずと卓に並べる丕は、その顔に不安をたくさん乗せている。
その後ろで腕を組んで不敵な笑みを浮かべる華琳をちらり。
……俺の視線に気づいてか、不敵な笑みのままに俺を見た。
(…………アレー)
不思議だ。
桃香に料理を教えて、味付けを忘れた瞬間とやたらとかぶる。
もしやまた忘れたりとか……いや、華琳は同じ失敗を二度しない。
ならばこれは美味しい筈だ。むしろ娘の手料理である、美味しくない筈がない。
「……どっ……どうぞ、父さま」
卓に並べられた皿……その数、…………いくつですか丕サン。
あ、あれ? 朝にしてはちょほいと量が多いのデハ……?
あっ、やっ、きっとアレだね!? 機嫌直してほしくて、ちょっと張り切っちゃったんだよね!? ああもう可愛いなぁ我が娘は! だから一緒に食べましょう!? お願い食べて!? ちょっと量多すぎるよ!? ねぇ! 笑ってないで卓に着いてってば華琳さん!
そんな視線を送ってみるも、なんだかちょっと華琳の顔が苦しそうに見えた。
……幸せの絶頂の只中に居たからあまり気にしてもいなかったが、そういえばちょくちょくと味見を頼まれていたような。…………あれ? もしかして俺、これ一人で食べるの? 華琳さん、味見だけでお腹いっぱいですか!?
いや食べるけどさ、それでもこの量は……あ、そうだ、少しすれば鈴々も来るだろうし、みんなと食べよう。悪い気もするけど、残してしまうよりかはいい筈だ。
「あ、あの丕───」
「父さまっ……申し訳ありませんっ!」
声をかけた途端に、遮るような謝罪。
それを訊いた瞬間、長年を将らに囲まれて生きてきたこの北郷めは悟ったのです。
……ああ、これダメなパターンだ、と。
「疲れていたとはいえ、父さまにあのような返事を……! りょ、料理などで機嫌伺いをした上での謝罪など、と怒られるのを覚悟で、その……っ!」
「あ、い、いいからっ! 俺は気にして……イ、イナイヨ? 誤解だってわかれば、もう気にすることなんてなにもなかったから! ……な?」
慌てて言って、最後に宥めるように。
丕は不安げな顔で俺を見ていたが、笑みとともに「大丈夫、怒ってないよ」と返すと、たちまち笑顔で頷いてくれた。
だが……そんな丕へとこの北郷は、食べる前から敗北宣言を告げなければならぬのだ。
「そ、それでなんだけどな、丕。この量は───」
「は、はいっ、聞けば父さまは連日連夜、仕事に追われて疲れていると! ででですので、元気になってもらえればと母さまに疲れが取れる料理をっ!」
「ウワァアアァァ……!!」
多すぎるんじゃと言おうとしたら矢継ぎ早に言われ、しかも言葉を返し辛い理由が組み込まれて、逃げ道ばかりが塞がれてゆく。
こ、これが血か。
覇王たる者の娘、無意識にも相手の逃げ道を塞いでくるか。
フフフ、お、恐ろしい娘よ。我が娘ながらなんと恐ろしい。
「あ、で、でもな、丕。この量は」
「あ、りょ、量ですか? 母さまが言うには、これらは全てを食べることで効果を発揮するらしく、皿の数はどうしてもこうなってしまうとのことです!」
(あらかわいい……!)
必死になって説明する娘が可愛い……じゃなくて! 皿の量を訊いているのではなくて、皿の上の量の問題なんですが!?
どうですかすごいでしょって顔で見られても素直に褒められない!
結局これ全部俺が食うんですね!? そういうことなんですね!?
「そっ……そ、っかァアア……! あ、じゃ、……いただこう、かな……!?」
「は、はいっ!」
以前の華琳的口調もどこへやら。
いつかの素直な丕のままの口調で喋る娘の前で、口調は変えないと思ったのにな、なんて、ごくりと喉を震わせつつ覚悟を決めて、まず一口。
覚悟とは言うが、全てを食べる覚悟ではないのであしからず。
「んっ……───ん、おおっ!? すごいなっ、ちゃんと華琳の味だっ!」
「……その一品は私が作ったのだから当然でしょう?」
(アレーッ!?)
ひぃ、と喉が鳴りそうな状況に、ちらりと見てみれば……不安そうな顔の丕サン。
ああ違う、違うヨ!? 今のは味に恐怖していたから言ったわけじゃなくて!
(娘よ、うぬは知らぬのだ……華琳の味を真似るということが、どれほど困難かを……!)
だからきちんと華琳と同じ味がするというのは、たとえ娘であれど大変だと思った故の言葉でございましてね? 自称“華琳様直伝”の春蘭の料理の前に、儚く意識を散らせた経験があるパパとしてみれば、今の驚愕は当然だったわけで……!
(ていうか娘の料理をいただくというだけで、何をこんなに緊張しているんだ俺は)
少し冷静になろうか。
はい深呼吸。
…………よし、追いついた。
ただ食べて、思いのままを伝えてあげればいいのだ。
美味しくないから不味いと言うのではなく、オブラート先生に包んだ上で。
こぼれた苦笑が微笑みに変わって、ああ、なんて笑顔が弾けた。
一家団欒。
“これ”すら出来なかった日々が、今……消えてくれた。そう思えた。
大事にしよう。ずっと、壊れないように。
「改めて、いただきます」
「は、はいっ、めしあがれっ」
どことなくおかしな雰囲気に、俺と丕が顔を見合わせたのちに笑い合う。
つい先日までは有り得ないと思っていた光景の中に、俺は居る。
その上で手料理まで食べられるのだ。
これ以上は望まなくていい。俺……十分幸せだ。
「ん……」
ぱくりと頂く。
日本とは違い、やたらと長い箸で摘んだそれをおかずに、ほっかほかのご飯を食べる。
少し形が崩れていたが、美味しいソレ。
肉じゃがを作る際に崩れやすいじゃがいもを使ってしまった、とでも言うようなものだから、別にそれをとやかく言うつもりはない。むしろ崩れていたほうが多く手料理を食べられると意識を変えて、喜んで頂いた。
食べる食べる。
これは、なんというか……華琳の味に近いものの、どこか違う。
明らかに華琳が作るものの方が美味いと断言は出来る……けど、それとは違った温かさがこれにはあった。
たとえば…………そう、たとえば。
憧れの先輩にお弁当作ってきてしまった青春娘のお弁当のような───……マテ。
「………」
「…………!」
めっちゃ見てる。
手は胸の前あたりに縮こまったガッツポーズ気味に持ち上げられ、褒められるか落とされるかを待ち侘びているようだった。
味は、ハッキリ言えば普通以上。俺よりは確実に美味いですハイ。
まだ少々首を傾げるような部分はあるものの、この年齢でこれなら十分だろうってレベル。
だから俺は、口で伝えるよりも行動で示した。
きっと不安に感じているであろう娘の前で元気に食事をして、ご飯が無くなったところで椀を差し出して、
「おかわり! 大盛りで!」
まるで子供のセリフだなと心の中で苦笑しつつも、きっと顔は笑顔だった。
何も言われずに、不安が募っていた丕は……これで笑顔に。ご飯をよそって俺に渡すと、何故か卓の反対側に座って、俺が食べるさまをにこにこ笑顔で眺めてくる。……アレ? さっきまで横で見てたのに、何故? や、べつに座るなって言いたいわけじゃないからいいんだけど。
どことなくくすぐったい気持ちに襲われつつも、黙って……は無理だったので、素直に美味しい美味しい言いながら食べた。
そんな俺に“どんな感じに美味しいですか”と訊ねる娘は、さすが華琳の娘であった。
味というものにとても真剣でございます。
もちろんこの北郷、伊達に8年以上を華琳とともに在るわけではござんせん。
普段から華琳が欲するような言葉回し、受け取りやすい言葉で事細かに説明。
丕は小さな黒板メモに小さなチョークで文字を走らせて、ふんふん頷きながらもところどころで笑顔をこぼした。
くすぐったそうな笑顔が、見ていて心地良い。
(家族っていいなぁ)
誤解したままだったなら。
武のみを受け入れて突っ走っていたなら、こんな幸福も受け取れなかったのだ。
けど……その時、俺は本当にそんな幸せすらも“この世界を守れるなら”と、見ないようにしていた。
……出来る筈だったんだ、“守るためなら”って。
でも、だめだなぁ。
覚悟を、と……叩いた胸に申し訳なさが込み上げた。
(いっつも空回りな覚悟ばかりを決めてごめん)
覚悟というものは、真実を見つめられない場合がほとんどだと祖父は言う。
“ソレ”に向けて覚悟を決めたつもりでも、数歩歩いて思い返せばズレた位置の覚悟を目指しているものだと祖父は言う。
本当の意味で覚悟を決めて、それを追い続けることが一番の困難であると祖父は言う。
人は辛さに弱いから。
誰かが手を差し伸べてくれるなら、決めていた筈の覚悟が僅かにズレてしまうのだ。
差し伸べられた手を断ったところで、もう遅い。
それを嬉しいと感じてしまったら、元の覚悟はもう見えないのだそうだ。
だから間違えて、後悔する。
たとえ手を差し伸べられなくても、苦しみを抱き続けていればまた、目指す位置も変わるのだろう。
悲しみも苦しみも、楽しさと同じで……ずっと同じものを抱いて歩くのは難しい。
ふと気づけばそれが当然のように思えてしまった時点で、もう同じ“楽しい”は抱けない。
でもまあ、その時に感じるひとつひとつが嘘なわけではないのだから……
(……おいし)
好物を口に、頬を緩ませたところで感じるコレも、嘘なんかではないわけで。
浮かぶ感情は歓喜。
考えることはこれからのことであり、未来への不安でもあった。
ごちゃまぜになる感情に戸惑うけど、なにもそんな戸惑いをここで持つ必要はないとも思える。
(コォオオオ……!!)
ならばと、心を愉快に。
呼吸法とともに胃袋に氣を送って活性。(させたつもり)
消化を促進させて、たとえ無理な量でも食ってみせると意気込んで立ち向かった。
娘の料理を残す? 美味しいのに残す? 馬鹿を言っちゃいかん。
それがたとえば、娘が好いた彼氏のために作ったものならいざ知らず、俺のために作られたものならば残すことなど有り得ぬわ。
知りなさい、娘よ。この北郷、たとえ食事ではないと思えるほどの味の、魚が顔を覗かせたチャーハンだろうと、死神が鎌を手に手招きをするような杏仁豆腐でも、全てを食らってみせる修羅ぞ。あ、でも口に含んだ途端に気絶するようなものは無理なので、勘弁ですごめんなさい。
「なぁ丕。この料理は───」
ともあれ、丕にも何処を頑張ったのか、何処を改善したら食べやすいかなどを訊いたり言ったりしながら食事を続けた。
丕は終始笑顔で、時折に見せる照れた顔や、何故か目を潤ませる瞬間の顔などに“ああもう”という気持ちが溢れてくる。つまり……娘可愛い。俺のっ……俺の娘は世界一やぁーっ! って叫んでも恥ずかしくないほどの愛しさが、今のこの北郷にはございます。
で、そんなでれでれな俺を見て、盛大に溜め息を吐きそうになるも、耐えてみせるのは華琳様。
その目が言っている。
“誰もが幸せでないと、呉側の夢が叶わないでしょう?”と。
なんかもうそれだけで、この覇王様に一生ついていこうって思えました。
こんな時でも周囲を見てらっしゃるよ。さすがすぎるよ。
これで、味見だけでお腹がいっぱいじゃなければまだ格好よかったのに。
“親子で娘の手料理を食べる”っていうのもきちんとした夢だったから、それはちょっと残念だった。他の娘達は料理がアレだからなぁ……。やろうとしないのが大半で、やっても失敗が大半。
仕事で忙しい俺に、夜食として禅が料理を作ってきた時は驚いたものだ。
驚きついでに誰に習ったのかを、わかっているくせに訊いたんだ。
……だって、チャーハンから魚が飛び出していたのだもの。案の定愛紗だった。
え? ええ、完食した翌日に腹を壊しましたよ? 癒しの氣を送ってもしばらくは治りませんでした。
だから美味しいというだけでこんなに癒される。
娘の手料理とくれば、より一層にございます。