俺ばかりが箸を動かす中、ふと気になって訊ねてみる。
「ん……丕は食べないのか?」
「え、えぅ? え……えへへぇ」
娘はホニャーリと頬を緩ませて笑った。
あれか。いっぱい食べてる姿を見ていたらお腹いっぱいとか、そんなのか。
それは普通、自分の子供かわんぱく彼氏さんに言う言葉だろう。
(彼氏……)
いつかは連れてくるのだろう。
そして、そやつはこの北郷すら食べたことのない、上達した料理を食べるのだろう。
やがて俺に……俺に、娘さんを僕にくださいとかって! とかって……! トトトトトトカ、トカカカ……!!
「じゃ、じゃあ少しだけ……」
「やらんっ! 絶対にやらんぞぉおおおーっ!!」
「ひゃうっ!?」
おのれ誰がやるものか! 娘を貴様に!? 冗談ではない!
おぉおおおおおお本当に考えただけでも忌々しい! まだ見ぬ彼氏め、五体満足で帰路を歩めると思うな!?
「え、あ、え……あ、あの……父さま……?」
「───ハッ!?」
声をかけられてハッとする。
見れば、丕が料理に箸を伸ばしていたところで………………ア、アレ? 俺、なんと言いましたか?
「あ、いやっ! 今のはそういう意味じゃなくてだな! こんな風に料理を作ってくれる丕が、いつかは男を連れてくるのかとか考えたらっ! しかもその男が娘さんを僕にくださいとか言い出したらおのれおのれおのれぇえええええ痛い!!」
喋っている途中で暴走しだしたら、華琳に頭を叩かれた。
坊主頭を思い切り引っ叩いたような、激しい音が鳴りました。
ええ、それだけ痛かったです。
「娘の料理を食べながら、なにを暴走しているのよ」
そして溜め息。
いや、違うんだよ華琳、だってしょうがないじゃないか。
想像上の彼氏の野郎が娘さんをくださいとか言いながらドヤ顔で俺を見てくるんだ。
あんたの娘はもう俺のもんだァァァァとかねちっこい目で見てくるんだよ?
そりゃ殺意だって湧きましょう。
義理とはいえ親子なんだからスキンシップでもしましょうよぅと、天の言葉まで使ってにじりよってきた日には、スキンシップが鍛錬地獄になっても構わんという愛が俺にはあるのです。
「あ、う……ごめんな、丕。べつにその、丕の料理を独り占めしたくて言ったわけじゃ……」
「…………」
「丕、あなたね。そこで嬉しそうにしてどうするのよ」
「はうっ!? だ、だって独り占め……!」
…………あとで聞いたんだが、絶対にやらんぞと言われて、なんだか嬉しかったらしい。
いや、そういうことは彼氏に言われて喜びなさい。連れてきたら吊るすけど。彼氏を。
ともあれ、話に参加しだした華琳とともに、料理を
少しお腹も落ち着いたからと微笑んでくれた華琳には、感謝してもしきれない。
少し摘むだけ、なんてことは普段ならばやらないだろうに、今日の華琳はとても優しい。叩かれたけど。
「ああ、なんか幸せだなぁ。今日のこれだけで満足しちゃ───ふむぐっ!?」
満足しちゃいそう、と言おうとした口に、華琳が海老を突っ込んできた。
ちゃ、の部分で開いた口を狙うとは……覇王め、やりおるわ。ではなくて。
「……、、んむ……あの、急になに?」
「軽々しく満足などと言わないで頂戴。あなたにはこの程度で満足してもらっては困るのよ」
「うっ……そ、そうです、父さま。私はまだまだ上達しますから、こ、この程度……この程度、で……」
「よし華琳、デコピンしていいかい? その額が赤く染まるまで」
「どうしてあなたはそう、娘のことになると強いのよ!!」
「だぁああからっ! 料理に関しては華琳の“この程度”は当てにならないの!! その言葉でこの8年、どれほどの料理店が潰れたと思ってんの!」
「うっ……け、けれど私は、」
「けど禁止! 料理に対して真面目になるなとは言わないけど、俺達からすれば完璧すぎる料理よりも、みんなで気軽に行けて楽しめる店を求めてるんだから。ほんと、この8年で季衣と鈴々がどれだけ肩を落としたと……!」
珍しく立場逆転。
……そう、華琳の飯店突撃癖は直っていない。
新しく出来た店に興味は持つものの、時間の都合で行けないことなど多々あり……しかし俺と季衣と鈴々が足しげく通っていることを知ると、時間に無理矢理都合をつけて出動。
店に入り、味を知り、そして始まるのだ。完璧へ近づくための華琳様のお料理地獄が。
同じ材料、同じ機材で作ったのに明らかに違うその味に、店主が泣いて店を畳むパターンをこの8年で何度も見た。
いつからか“都で店を続けられた者は天上料理人だ”とまで言われるようになって、各国で腕を磨いた料理人が“俺……ここで成長したら、いつかは嫁と一緒に都に店を持つんだ……”とフラグ、もとい夢を語ってやまないという。
で、多くの場合は挫折。
都に店を持つも、心を折られて元の国へ戻るのだ。
そんなことが繰り返しあったため、都で店を持ちたいのなら、まずは屋台から始めること、みたいなのが暗黙の了解になっていて、それこそ多くの者が屋台の時点で店を畳む。今では挑戦者用の仮屋台が幾つか設置されているくらいだ。
「すごい……あの母さまが……」
珍しくもガミガミ言う俺と、その珍しさからびっくりしているのか反論もせずに聞いている華琳を見て、丕が驚きと……なにやら別の感情も混ぜたような目でホウと熱い溜め息を吐く。
と、華琳は居心地悪そうに俺をじと目で睨んできた。
「……ねぇ一刀? 言うにしても、場所というものを……」
「普段春蘭秋蘭桂花にやってることを考えれば、別に気にしないでもいいんじゃないか?」
「私にその趣味はないわよ! ……はぁ。知らなかったわ……父って強いのね。丕の前では随分と強気に出るじゃない」
「や、ただの見栄だって自覚はあるって。むしろほぼ完璧な華琳が隙を見せるのが珍しいくらいだ」
「……油断ね。まあ、わかるわ。こうしてみれば、あなたの夢も悪くないと思ったもの」
俺の夢? ……ああ、家族に求めるあれこれか。
そういえば華琳、さっきから顔が緩んでいた。
笑顔で居てくれてるんだなーとか思っていたけど、自然とそうなっているだけのようだ。
だけ、とはいうけど……俺にはそれが嬉しい。
「あぁ……」
なんか、本当に嬉しい。
……マテ? 家庭もなにも、俺結婚とかしてないぞ?
アレ? なんかいろいろあって支柱とかみんなのもの認定されたけど、俺って……。
「? どうしたのよ、急に頭抱え込んで」
「あ、いやその……俺ってさ」
「?」
「その……誰とも……結婚してないよな、って」
「ええそうね」
「そんなあっさり!?」
本当にあっさり言われた! それがどうしたのよって感じであっさり言われた!
え!? これって俺がおかしいのか!? ああそりゃそうだよな、じゃなきゃみんなのもの認定なんて認められるわけないもんな! 嫌がってたのって俺と桂花だけだったし!
「………」
じゃあ、結婚してなければ家庭に喜びを得てはいけないと?
……そんなことないな。
ああ、なんだ。その、解決した。
混乱したけど、それはそれとしてだ。
ああそうだな、まずは茶でも用意しよう。これでも茶を淹れるのは得意なんだぞー、なんて笑いながら言いつつ、華琳と丕と、最後に俺の分を用意して卓に着く。
早速飲んでみた丕が目を輝かせる様が眩しい。
華琳もなんだか……ええと、何故かどこか得意げというか、どう? みたいな笑みを浮かべて。
……地味に俺が認められるのが嬉しいのかな。違うだろうなぁ。
「ところで丕」
「? なんですか、父さま」
急に話を振られて、きょとんとする愛娘。
そんな彼女に重大なことを訊く心の準備をする。
料理は……気づけば腹に収まっていた。
華琳も丕も食べてくれたお陰だ。苦しいけど。
そんな俺だが……さっきも考えていたが、そう。丕に言わなければ、確認しなければいけないことがある。
「丕……お前、好きな人が居るか?」
「え───」
「ぽぶっ!?」
予想外の言葉だったのか、丕が一層にきょとんとする。
対して、華琳が茶を噴き出した。珍しい。
「げっほごほっ! かっ……一刀っ、あなた、なにっ……ごほっ! けほっ!」
「いや、この際だから華琳にも聞いてほしくてさ。せっかくの団欒に水を差すみたいだけど、どうしても訊いておきたかったんだ」
ハイ、と差し出したハンケチーフで口元を拭う華琳さん。
そんな母をよそに、丕は首を傾げたままだった。
「好きって……あの。よくわかりません」
「えっとだな。たとえばその人を見ていると、こう……胸のあたりがどきどきしたり、その人の笑顔を見るのがやたらと嬉しかったり、喜ぶ顔を見た日には、自分のことじゃないのに自分まで一日中幸せな気分だったり」
「一刀。それは誰を喩えにした話?」
「え? 俺が華琳を見てると感じるも───の……って待った今の無し子供の前でなに言ってんだ俺!」
「~……!!」
熱心に話している途中だったもんだから、急に振られてぽろりと話してしまった。
訊いておいて真っ赤になる華琳も華琳だけど、俺も相当顔が熱い。
ほんと、娘の前でのろけとかやめてください俺……。
「む、胸がどきどき、その人のことを考えるだけで嬉しくて、幸せで……、……」
「へ? あ、あー……丕? 今のは是非聞かなかったことにー……」
「ひゃうっ」
オウ?
……目が合っただけで顔が赤くなって、妙な声を出されたのだが。
もしやあれか? 今さら父と顔など合わせたくもないという拒絶の心が……!?
「ご、ごめんなぁ丕、やっぱり質問自体を無かったことに───」
「は、はいっ! ありますっ! どきどきしますし、うれしくて、幸せです! そ、そそそそうですか! これが、これが恋ですか! こい……えぇええええっ!?」
自分で言って自分で納得して、自分で驚いている。
すごいな覇王の血。まさかのなんでも一人でやってみせる根性。
こんな小さな頃から既に王への道を歩んでいるというのか。
「あー……その。それだけ驚いてるってことは、実際はまずいこと、っていうのは……わかってるんだよな?」
「…………いけないこと、でしょうか。私は……せっかく生まれたこの気持ちを、否定したくは……。だ、だって本当に嬉しいんです、幸せなんです。なのに周囲に理解されないからと諦めるのは………………辛いです」
「…………本気、なのか?」
「その。なにに対して本気か、と問われると、わかりません。でも、捨てたいとは思えません」
「………」
重い。
まさか丕がここまでだったとは。
……俺も、もっと早くに気づいてやるべきだったのかもしれない。
そうすればこうなってしまう前に、向きを変えてやることくらい出来たかもしれないのに。
「……そっか。じゃあ、もう父さんは何も言わない。自分の思うがまま、自分の道を歩いてみなさい」
「え……いいの? ……あ、で、ですかっ?」
「もう相手が居て、子供だって居る。それでも好きになったなら、想いをぶつけるくらい許されてもいいだろ。ただし、断られたらすっぱり諦めること」
「う……も、元の関係には……?」
「それは双方の気持ち次第だろうなぁ」
俺はべつにいいと思っている。
誰かに想いを届けるのは、そりゃあ場合によっては迷惑になるのだろうが、嫌っているわけではないのだから。
「言われて悪い気はしないと思う。丕に好かれたなら、本望だ」
「……! と、ととさま……!」
丕が頬を赤らめ、目を潤ませて……何故か急にととさまと呼んできた。
……ハテ? 俺、今なにか丕が喜ぶようなこと、言ったっけ?
ああそっか自信を持たせてくれたって意味でかな?
じゃあもう一押し。
華琳がなんだか額に人差し指当てて、難しい顔してるけど、一押し。
それも、出来る限りのやさしい笑顔で。
「じゃあ、想いを届けなさい。心を込めて」
「は……は、はいっ!」
「───明命に」
「───、……」
……その日。
鼓膜が破れるんじゃないかと思うほどの轟音とともに───
この北郷めの頬に、強烈な娘ビンタが炸裂いたしました。