「周泰さま!」
「はうわっ!? え、えと、はいなんでしょう!?」
びくーんと肩を弾かせた周泰さまに向き直って、真っ直ぐに見上げながら気持ちをぶつける。もはや迷うまい、惑うまい。というか周泰さまも私には“遠慮無用”でお願いします。少しずれているとはいえ、丁寧に話しかけられると調子が狂います。
狂うけれど言おう。これが、私の本気だ。私は───
「私はっ! 父さまが好きです!」
「はいっ、私も旦那さまが大好きですっ」
「………」
「………」
本気をぶつけてみたら、胸の前で手を合わせた満面の笑みで返された。
…………あれ?
「え? あの……え? わ、私、父さまが」
「? はい。旦那さまは素敵な旦那様ですですっ」
何故か“です”を二回言われた。
わ……私はあなたが好きなんじゃない、と言ったつもりが、まさかこう返されるとは。
と、呆然としていたら、ゴドォッて音がして、
「大変なのー! 隊長が倒れたのー!」
「い、いったいなにがっ……隊長! しっかりしてください! 隊長ぉおーっ!!」
「うあー……めっちゃ幸せそうな顔しとるわぁ……。あー凪? 沙和~? あんま動かしてやらんほうが隊長のためやでー……」
なにやら父さまが幸せな顔のまま倒れたらしい。何事だろう。というか、いつもの三羽鳥も一緒だったらしい。覗きが趣味とはいい度胸だ。
いや、今はいい。顔がとても熱いけれど、いい。むしろどこか清々しい気分だ。
そうだ、私は独占欲が強い。それを言葉にして何が悪い。
私は王ではないけれど、欲しいものを欲しいと言えずして何が“人”か!
そこに遠慮や躊躇を混ぜるのは、言ってからでも遅くはない!
「周泰さま。父さまは私が周泰さまをお慕いしていると勘違いして、周泰さまを私のもとへと呼び続けているのです」
「ふえうっ!? え、あ、ええっ……あうわうあ……わ、私には旦那さまという人がーっ!!」
「だから聞きなさい! そうではないわよ!! っく!? 口調……ぁ、あぁもうっ……! すぅ……はぁ……───私に女色の趣味はありません! 大体にして恋がどのようなものかも知りませんし、まだまだ早すぎると思っています! 父さまは何事に対しても慌てすぎなのです! もっとどっしりと構えて、動じぬ努力を───!」
「あ、やー……子桓さまー? 隊長は案外どっしり構えとんでー……?」
「……? どういうことよ、真桜」
言葉の途中で割り込まれて、つい睨みそうになるのを抑え、訊いてみる。
と、凪が父さまに肩を貸しながら言った。
「隊長も数年で随分と落ち着きを見せています。ここまで慌てる様を見せるのは、子桓さまや他の子供のことに関すること以外ではそうありません」
「………………嘘でしょう? 見る度に慌てている印象しかないのだけれど。それは、まあ、時折見せる凛々しい顔とか、その、あの、いいなぁ、とは思うけれど」
「その凛々しい顔が、今の隊長の普通なの。親になったからにはしっかりしなくちゃな、って、随分と頑張ったの」
「………」
まだまだ知らないことが多いらしい。
むしろ私がまた、これが普通なのだと決め付けていたようだ。
「父さまは、あのやさしい顔が普通なのかと……」
「娘達の前ではやさしい顔なの。子供に緊張を与えてしまうのは父親失格だ~とか言ってたの」
「ご立派です、隊長」
立派なのだろうか。私は凛々しい顔も見ていたいのに。
むしろいろいろな顔を見たい。
……これは恋ではなく憧れというものだろう。そもそも恋などをしてしまえば、私は母を恋敵として見なければならない。…………べつにそれはそれで面白いとは思う。敵対するのは、そうだ、構わない。ただこれが恋だとは、どうしても思えないわけだ。
沙和の所持する阿蘇阿蘇曰く、恋とは日々と女を彩る形のない衣装。
私はそんなことを意識してはいないし、父さまが似合うと言って買ってくれた服ならば、それこそこだわりなどなくなんでも身に着けられる。つもりだ。
なので、こだわらない私は、着飾らない私は父さまに恋などしていない。
恋をすると女性は綺麗になるそうだが、綺麗になろうとも思わない。ただ父さまが違和感を感じず、傍に居たくないと思わない程度の身嗜みが出来ていればそれでいい。
ほら。これが恋であるわけがないでしょう?
ふん、と鼻で笑ってみせた。拳を腰に、胸を張り。
すると三羽鳥が同時に溜め息。
? なによ。
「さっすが……隊長の娘やなー……」
「すっごい鈍感なの……」
「あの、子桓さま。そういったことを、口にするのはどうかと」
「………………えっ」
え? いや、え……え!? 口に出てた!?
「恥ずかしがることはありませんですっ、親が好きなのはとても良いことですっ!」
一気に顔が赤くなる私を見て、けれど周泰さまは嬉しそうに言う。笑顔が眩しい。
同時に、自分で“その好きとは違う”と思ってしまい、自分の感情に困惑した。
「う、えぅ……と、とにかくっ! 父さまっ! 私はきちんと男性が好きなんです! 女性となんて嫌だし、そのことで誤解されるのだって嫌です!」
「なっ……なんだってーっ!?」
「ひえうっ!?」
叫んでみれば、しっかりとした反応。
どうやら既に意識は戻っていたらしく、バッと顔を上げた父さまは相当に驚いていた。
……そもそも倒れただけで、気絶はしていなかったのかもしれない。
「やっ……だって! あの華琳の子だぞ!? 女を好きになったって、なんら不思議はないかと……!」
「え? ………………あ、あの。父さま? 母さまは………………その」
「ア」
『隊長……』
三羽烏の声が綺麗に重なった。
こんな悲しそうな声で言うということはつまり、母さまは本当に……!
じょ、女色、というもので……!?
聞いた時には話半分で、まさかとは思っていたけれど、そんな、まさか……!!
「いっ……いやっ、いやいやいやっ! それが本当なら、丕が産まれるわけがないだろ!? かかか華琳だってもちろん男がす───」
「す……?」
「ス、ススス、ス……!」
父さまがカタカタと震えながら続きを言葉にしようとする。
けれど声は出ず、やはり“す”を続け……やがて頭を抱えて俯いてしまった。
「た、隊長しっかりするのー! 気持ちはわかるけどー!」
「隊長! もう一息です! 気持ちはわかりますが!」
「や、でもほらー……なんや? あれやろ? 隊長って華琳さまに好きって言ぅてもろてへんねやろ? 聞けばなんでもかんでも察しなさいで済まされとるとか」
「ゲブゥ!? ……───」
「あぁーっ! 隊長が膝から崩れ落ちたのーっ!!」
「まっ、真桜っ! いくら本当のこととはいえ、もう少し───!」
「今度は地面に妙な文字書き始めたのーっ!」
「凪かてひどいこと言っとるやん!!」
「うわぁああ違います隊長! 私はっ……!」
「だ、旦那さまっ! お猫様を見て癒されましょう! すぐに、すぐに連れていきま……っ……こ、ここから近いお猫様すぽっとは何処でしたっけ!? あうぁぅああーっ!!」
三人が騒ぐたびに父さまが沈んでゆく。
それに足して周泰さままで混乱し始めて、静かだった空気は完全にどこかへ行ってしまった。
「えっと……つまり、父さま。母さまは女色ではないのですね?」
「…………」
「隊長……そこで目ぇ逸らしたらおしまいやろ……」
「じゃあ真桜も質問されてみればいいんだ! 真っ直ぐに目を見て言えるか!? その質問に正直に答えられるか!?」
「うぐっ……」
真桜がこちらを見てくる。ので、父さまが言うように質問してみた。父さまにした質問と同じものだ。……というかやっぱり父さまはこう、落ち着きが無い印象しかないのだけれど。
「あ、あ、えと、ほら、そのぉ……あれや。…………沙和、あと頼むわ」
「えぇえええええぇぇぇーっ!?」
そしてまた混乱。
しかしここで埒が空かぬと感じてか、父さまがキリッと凛々しい顔になって……すぐに頭を抱えつつも言った。
「えぇっ……とぉお……その。華琳はな、お……俺と会う前は……いや、会ったあとも結構な女色家でな。今はそこまででもない……と思いたいけど、こればっかりは本人の趣向というか、まあそんなものだと思うし」
「父さまはそれでいいのですか?」
「それを含めての華琳だし」
きっぱりだった。
聞いているこちらの方が赤面してしまうほどの真っ直ぐさに、この場に居た全員が口を開けなくなってしまった。
むしろ、自分もそんなふうに想われてみたいとさえ思えてしまった。おかしいだろうか。
「あー……隊長? 娘の前とか部下の前でのろけるの、あんませんといてほしいんやけど」
「……私もここまで想われるよう、努力しよう……!」
「うわ……凪ちゃんがとってもやる気だしてるの……!」
「大丈夫やーって。隊長ならどーせ、悩むことなくウチらも愛してるーとか平気で言うねんから」
「では旦那さまっ、私たちのことをどう思っていますですかっ!?」
「へ? や、好きだし、大事だし、傍に居て欲しい人だって思ってるけど……」
訊ねられると、父さまは本当に平気で言った。
それこそ“それが当然だけど、改まって訊いたりしてどうしたんだ?”ってくらいに。
「うあー……」
「隊長、いっつもすごいこと平気で言うのー……」
「は、はいっ、隊長っ、自分も隊長のことがっ!」
「あぅあぅああ……いつまで経っても言われ慣れないです……! 顔が、顔がちりちりと……!」
四人はとても幸せそうだ。
……いいな、私もあんなふうに言われてみたい。
「でもなぁ隊長? 訊かれんかったらてんで言葉にせぇへんのはあかんで? 女っちゅーんはいつでもどんな時でも、好きな相手に好き言われたいんやから」
「お前は俺に、一日に何回好きって言えっていうんだ」
ここには三国の王や将が集まってるんだぞ、と言う父さまは苦笑いを浮かべている。
言われてみて思い出したのか、真桜も「あちゃ、そらそうや」と言ってきししと笑った。
父さまは好きな人が多いのだろうか。それはそうか。でなければ、違う女性との間にあんなにも妹が出来るわけがない。
でも倉で見た書物によれば、それは父さまが支柱だからとか同盟の証だからとかではなくて、きちんとお互いが好き合ったからだと知っている。そうでなければ、私はきっと恋なんてものにこんなにも興味は持たなかった筈だ。
「出会う人全員に好きって言ってたら、そのうち刺されそうで怖い」
「隊長が刺されたら、私はその者を刺し違えてでも潰します」
「怖いよ!? だ、大丈夫だって! 言ってみただけだから!」
そうだ。父さまが刺されたなら、私はその人を許さない。
凪が言うように、刺し違えてでも潰してくれよう。
……というかそんな命知らず、まず居ないわよね。
父さまだってただでやられるとは思えないし、傷でも負わせようものなら……
「っ……!」
脳裏になにか、嫌な思い出が一瞬だけ蘇った気がして、すぐに頭を振る。
お陰ですぐにそのなにかは消えてくれたけれど……二度と思い出したくはないわね。
それがなんであったのかすらももう思い出せないが、それでいいと心が怯えている。
いったいなにがあったというのかしら。
「え、えと。ところで、父さま」
「へ? あ、ああ、うん。どうした? 丕」
「はい。結局のところ、母さまは女性が好きで、けれど男性では父さまだけが好き、ということでいいのですよね?」
「……あ、ああ。うん。恥ずかしいけど、勝手に察するなら、そうだ」
「んっへっへ~、隊長~? 子供相手になに照れとるん~?」
「隊長、照れてるの~っ♪ かっわい~♪ ほきゅっ!? い、いったーい!」
「あだぁっ!? ~っ……お、おぉお~……! な、なにするんや凪~っ……!」
「隊長をからかうな。……大体、華琳さまは真っ直ぐなお方だ。何人の女性に目を散らそうとも、隊長のことを深く想っているのは見ていればわかるだろう」
「そらそうやけど、なにも殴ることないや~~~ん……」
「そうなの、凪ちゃんおーぼーなのー!」
……父さまの照れた顔を、間近で見てしまった。
顔が緩む。た、耐えなさい曹丕、だらしのない顔を父さまに見せてもいいの?
「でも旦那さま、華琳さまからは未だに“察しなさい”としか言ってもらえてないのですよね?」
「ん……まあ。それも華琳なりの考えがあるからだとはわかってるつもりだけどね。前に丕に料理を作ってもらった時だって、この程度で満足してもらっては、って言ってたし……うん」
恥ずかしそうに頬をこりこり掻きながら、父さまは自分で確認するように言う。
「俺が満足したら、俺がここに居る理由が無くなるかもしれない。無くなったら、また天に帰ってしまうかもしれない。そういう不安を抱えてるんだと思う……って、そうだよ! 俺まだ言ってないこといっぱいあるじゃないか!」
「え? あの、旦那さま?」
「あ、あー……悪いみんな! 俺ちょっと華琳に言わなきゃいけないことを思い出した! だから急で悪いんだけどこれで───」
? 言わなきゃいけないこと? それって………………ハッ!?
「す、好きと言いに行くんですかっ!?」
「違いますよ!?」
訊いてみたら即答された。違うらしい。
じゃあなんなんだろう……などと考えているうちに、物凄い速度で走っていってしまう父さま。追おうにも、あれは無理だ。
「隊長……足、速なったなぁ~……」
「日々の鍛錬の賜物だな。私も付き添うものとして、恥ずかしくない己で在り続けよう」
「や、凪はもうちょい砕けたほうがええって。ただでさえ今の隊長、なんでか知らんねんけどほれ、蜀の関羽───あぁ、まあ真名許してもろてるからええか。愛紗を打倒するのが目的とかゆー噂があるやろ? 真面目で説教ばっかで~、なんて続けてたら、凪ぃ? 今度は凪がそうなってまうかもやで?」
「た、っ……~……隊、長が……!? じぶっ……じじ、自分、を……!?」
「きゃーっ!? 凪ちゃんがすっごい勢いで真っ青になってくのーっ!」
「あ、やっ! うそ! 嘘やで凪! もしもの話やもしもの!」
「でもでもですよ? そもそも関羽さんはどうして旦那さまに狙われることになったのでしょう」
「へ? そらやっぱしあれやろ……説教したり真面目すぎたり?」
「うわあぁーっ!! 隊長! 自分はっ! 自分はぁーっ!!」
「あわわわわ凪ちゃん落ち着くの! 落ち着くのーっ! 欄干に頭ぶつけてもなんにも解決しないのーっ!」
「………」
なんというか、もうこんな光景を見慣れてしまっている自分が悲しいわね。
警備隊でもこれなのに、どうして私は休日にまでこんな光景を見ているのかしら。
遠い目をしながら、そっとその場を離れて移動を開始した。