おまけ番外IF/ある日のトラウマ
ある日の中庭にて。
朝の鍛錬に出る途中で桃香と会い、中庭へと出る。
朝の一杯の水は既に補給済みであり、今日も元気だ鍛錬が楽しい!
これは中毒ですか? いいえ、あなたの嫁です。もとい、やらねばならぬことです。
「うーん……何度もやってると、この柔軟体操がちょっぴりだけだけど面倒になるよね。あっ、大事だっていうのはわかってるよっ? わかってるんだけどっ」
「ああ、それは俺も思ってるから大丈夫」
「あはは……やっぱりなんだ……」
でも体を動かすよりも準備運動を先にやる、というのは……慣れれば慣れるほど面倒になってくるもので。
たまには無視しちゃってもいいんじゃないかな……とか思ってしまう。
しかし柔軟大事、超大事。これも怪我防止のためだし、なにより体が曲る範囲は広いほうがいいのと、筋をやったりしないためにもってやつだ。
「それにしてもよかったよー、ひーちゃんたちの誤解が解けて。あのままずぅっとご主人様が誤解されっぱなしだったら、わたしとかいつか言っちゃいそうで……」
「あぁ……うん、ごめんな桃香。確かにずっと黙ってるっていうのは、気分のいいものじゃないよな」
「あ、あー……うん、正直に言っちゃうと、やっぱり……。でももう言ってもいいし隠さなくてもいいんだから、過ぎたことだよご主人様っ」
「ああ。ありがとう、桃香」
お互いに柔軟の手伝いをして、背中合わせで腕を組んで、ぐぐーっとそのまま体を折ると、相手の背が背中に乗る。
思うんだがこれって柔軟に関係あるんだろうか。普通に自分で曲げるだけでも十分な気がするんだが。
「ふぅううんぐぐぐぐ……!! ───はふぅっ……!」
でも桃香が一生懸命なので、無駄だとは言わない。
俺の背中の上で、目一杯伸ばされた桃香がぷはっと息を吐き、次に俺を背に乗せるように前屈。
俺も素直に体を伸ばすようにして脱力して、ぐぐーっとされるがままに。
そんな調子で柔軟を終えると、いつも通りに城壁へと登り、走って、走りまくって、降りてくれば軽く柔軟。
それらが終わってからようやく組み手に入り、寸止め攻防を開始する。
「んんっ、んんん~……!! うう、やっぱり氣で体全体を動かすのって難しいよー……」
「我慢我慢。ちゃんと前より持続するようになってるから」
「ううー……うん……」
寸止め攻防。
氣のみで体を動かし、素早くではなくゆ~っくりと攻撃をして、寸止めして、防御して。全ての行動を氣でゆっくりと、なもんだから、相当に集中が必要だし、筋肉は使わないから脱力も必要。でも攻撃を意識しなきゃいけないから体は筋肉で動いてしまい、それをしないように努めるとまた集中が必要になり……と、結構難しい。
ただしやり終えると氣の総量が上がっていたりして、氣の向上と集中力の鍛錬にはもってこいだったりする。
「そういえばご主人様?」
「ん? どした?」
「今日はひーちゃんたちは? いつもなら“ご主人様の鍛錬の時間には意地でも~!”って感じで集まってるのに」
「今日は朝から冥琳が勉強会を開くとかで、そっちに行ってるよ。サボらないように、子供全員参加の勉強会」
「さぼる……あ、ああー……琮ちゃんかぁ……」
琮ちゃん。呂琮である。
勉強が好きな呂琮ではあるが、わからない姉妹に物事を教えるのは嫌いなため、時折勉強だろうとサボる時がある。
それを見越しての子供全員参加型の勉強会なんだが……冥琳に迷惑かかってないといいなぁ。
「そっか。じゃあじゃあえっと、ご主人様っ」
「ど、どうした? べつにいっぺんに言ってもらってもいいぞ?」
「うん。えっと、私ね? 昨日頑張って、溜まっちゃいそうだった仕事を片付けてきたんだ」
「あ、うん。報告届いてた。頑張ったな」
「えへへ……だよね、ありがとご主人様。えっと、それで、なんだけど」
「?」
ハテ、なんだろう。ご褒美ちょうだいー、とかだろうか。
桃香ってやりたいこと欲しいもの、結構正直なところがあるから、妙に回りくどいのは珍しい気がする。
遠慮が先走る時はその範疇ではないものの、別に今さら俺に対して遠慮することなんてないだろうに。
「鍛錬しながらでいいからさ、ご主人様から見た子供……あ、禅ちゃんのことはいいんだ。禅ちゃんがね? 眠る前とか、ととさまがどうだったーとか自慢話みたいに話してくれるから」
「それは……なんか、ごめん」
「あ、ほんといいんだってばっ! ただそのー……わ、私もね? 禅ちゃんに、禅ちゃんの知らないこととか話せたらなーって」
「禅が知らない話……───華麗なる美髪公物語とか?」
「びはつ……え? 愛紗ちゃんの物語!? 初耳だよ!? え!? なにかあったの!?」
「いや、ただの作り話。俺が美羽や禅にたまに聞かせてる、即興昔話の中のひとつ」
「うわー……なんだかちょっぴり、ううん、大分気になるけど……でもそれって禅ちゃんも知ってることなんだよね? えと、作り話じゃなくて、ちゃんとふつーのが聞きたいな」
「ん、そか。じゃあ───」
こほんと咳払いののち、語りだす。
蜀王よ……よくお聞きなさい。
これからあなたに話すことは……とても大切なこと。
わたしたちが、ここから始める……
親から子へと、絶え間なく伝えてゆく……
長い長い……旅のお話なのですよ。
その名も───
───華麗なる美髪公伝説───
「だから愛紗ちゃんのことじゃなくて!!」
「いや、だってな? ほら、桃香は愛紗がなんで炒飯に魚突っ込むか、気にならないか? このお話はその話題を想像の範疇ながらも全力で前面に押し出した話でな? 美羽には結構好評で───」
「ご主人様!? それ全然華麗じゃなさそうだよ!?」
「そ、そっか? じゃあタイトル、タイトル~……っとと、題名、だな。題名が違うのはいけないよな。じゃあ───」
───業火に焼かるる飯物語(美髪公を添えて)───
「……なんか愛紗ちゃんがおまけみたいになっちゃってる……」
「あ……そうだな。じゃあ最後に“魚もあるよ”で」
「あのー……ご主人様? 私、炒飯のお話を聞きたいんじゃないんだけど……」
「じゃあ例えば誰の話を聞きたい? 子供の話だったよな」
「あ、うんっ! じゃあ……話のきっかけになったひーちゃんのこととか!」
「丕か。丕はなー…………昨日、町の飯店で昼食べようと寄ってみたら、壊れた椅子の前で頭抱えて苦悩してた」
「もーご主人様!? 失敗談を聞きたいんじゃないんだってばぁ!!」
いや……だってなぁ。
さすがは俺と華琳の子だって言えるくらい、あいつは案外失敗が多くてさぁ。
町中でたまたま見かけると、大体頭を抱えてるって言ったら信じてくれるだろうか。
っとと、けど今は桃香だ。
話題のきっかけが欲しいというのなら、この北郷めが語りましょう。
なにせ何年も子供を構い、子供に拒絶され、されど子供を追い、様々を知ってきた北郷です。必ずやあなたの期待に沿える話を差し上げましょう。
「あれは……丕がまだまだ小さい頃。ようやく走りだしては、けれどまだまだ転んじゃうような歳の頃のことだった」
「うんうん」
「東屋で丕を膝に乗せて視線の先で戦う二人を俺が見てたんだけどな?」
「……ご主人様? その内の一人が愛紗ちゃんだっていうのは無しだよ?」
「………」
「あの。あっ、でもでもっ、ほんとにそこに居たなら別だよっ!? 作ったお話じゃないなら、うんっ! 全然いいからっ!」
「………」
「………………ご主人様」
「いやいやいやいや怖い怖い怖い怖い怖い!! ななな凪だから! 凪と焔耶だから!」
「凪ちゃんと焔耶ちゃん? へー……あ、それでそれでっ? どんなことやってたのっ!?」
「ああ。これも結構体術の熟練者じゃないと難しいんだけどな? 動く相手に対して、全ての攻撃を寸止めで放つ、ってものなんだ」
「うわっ……聞いただけで難しいそうだよ~……! 普通に動いて寸止めする、ってことだよね? わー……今やってる“全部ゆっくり動いて寸止め”ってだけでも難しいのに……」
そう、あれは実際に難しい。
次に相手がどう動くかをきっちり、予測の範疇だろうと把握していなきゃいけない。
もし相手が前に出る動作をしたならば、その動作に合わせて寸止めをする、というのだから……これがまた難しいのだ。
-_-/過去かずピー
───そう。あれは、曹丕が産まれてからしばらく経った頃のこと。
首がすわり、ハイハイから立ち上がるに到り、やがては不安定ながらも走れるようになった頃。大体転ぶが、まあそんな頃。
「ととしゃまー」
「おぉ、どうした、丕~」
でれりとした顔を自覚しつつも愛娘に視線を向ける。
といっても丕は膝に乗せて抱き締めているので、見下ろすカタチになる。
東屋の円卓から見る景色は、なんとも賑やかでもあり穏やかだ。
現在は凪と焔耶が軽い仕合をしていて、本気ではないものの、中々の寸止め攻防を繰り広げている。
「あれは、なにをしてりゅんでゅしゅか?」
「あれか? あれはなー、鍛錬っていうんだ」
まだ舌が上手く回らないらしく、“してるんですか”が“してりゅんでゅしゅか”になっていた。敬語のような口調は、多分周りの将からの受け売りみたいなものだろう。
「たんれん?」
「そう、鍛錬。強くなるために、守りたいものを守るために、頑張ってるんだぞー」
「まもりたいもの……んん、わかんない」
「んー……そうだなぁ。たとえば丕が大事にしてるものがあったとして───」
「ととしゃまー!」
「へ?」
「ひ、ととしゃまだいじー!」
「………………きゅんと来た」
いや、そうじゃなくて。
「そ、そそそそそっか。そっかぁあ……!! あ、そ、それでだな。……俺も丕が大事だよ」
「えへへぇ、うん!」
「…………俺……このまま死んでもいいかも……」
でもなくて。
「つまりだな、丕が大切にしているものが、急に壊れちゃったら嫌だろ?」
「うう……やー」
「だよな。うん。そうならないために、こう……自分で守るために、自分を強くするんだ」
「つよく……?」
「そう。いつかは丕もああして、自分を強くしていくようになるさ」
「うん! ととしゃまとかかしゃまは、ひがまもるー!」
「……良い娘……!!」
撫でまくりました。
前略おじいさま、一刀は、一刀は幸せにございます。
今なら幸せの絶頂に立っている自信があります。
動かない漫画家の読み切りの中ならば、浮浪者の怨念に襲われる確率が100%と言えるほど幸福です。
そんな中、丕が「おろしてー」と言い出したので、そっと下ろす。
下りた彼女は凪と焔耶の寸止めの攻防を見て、目を輝かせていた。
こうなると子供というのは真似したがるもので、「へやー!」とか「てやー!」とか言いながら俺の足にぺちぺちと拳を当ててくる。
くすぐったい。でもこれってちょっと違う。そう思いながら、大笑いしたくなるのを耐えた。
「おいおい、丕ー? ととさまが大事なら、ととさまを殴るのは本末転倒じゃないかー?」
「ほんま……? むずかしいこと、わかんない」
「そっかそっかー」
首を傾げつつ、ちらちらと鍛錬をする二人を見ながら拳を振るう。
たまに蹴りもしようとするが、まだまだバランスは上手くとれないらしく、途中で止めている。
そんな時だった。
中庭の二人が互いに礼をして、鍛錬を終了させた。
丕は急に終わってしまった鍛錬にこてりと首を傾げながらも、続きがあることを期待するようにぺちぺちと俺の足を叩いてくる。
しかし当然鍛錬は終わっており、続きなどあるはずもない。
(まあ)
だったらこっちも終わりにしよう。
そう思った俺は、良いところ悪いところを指摘し合っている凪、焔耶に視線を向けている丕にもきちんと聞こえるようにと、少し大きめの声で言った。言ってしまった。
「グワ、ヤラレター」
「?」
聞こえた声に反応してこちらへ振り向く丕さん。
そして、わざわざ椅子から下りて倒れたフリをする俺───と。
「ご主人様の仇は恋が取る───!!」
たまたま近くに居らっしゃったのか、最初から全力モードで無遠慮に氣を解放してらっしゃる───三国無双ォオオオオオッ!?
氣の波がモゴファーと皮膚を叩きつけるほどの圧迫感!
どこから持ってきたのか、鈍く光る方天画戟が放つ死の香り!
そしてなにより丕自身に向けられる、圧倒的な絶対強者の鋭い眼光!!
……直後、愛娘は絶叫するように号泣、気絶しました。そりゃそーだ。
それから丕は三日ほど魘され、目覚めた時にはいろいろと忘れてらっしゃった。
防衛本能というものでしょう。
もちろん俺は恋に、あまり過剰に反応しないようにねとお願いをして、彼女も頷いてくれた。
───ともかく過去にそんなことがあったからか、本能がそうさているのか。
現在の三日ごとの鍛錬。
その途中、俺が仕合などで危うくなると、丕の挙動が明らかにおかしくなったりした。
急にカタカタ震えだし、視線をあちらこちらに飛ばしては、恋を見つけると真っ青になったり。
そんな娘を見て、この北郷めは思うのです。
……幼少時に勝るトラウマっていうのは、そうそうないんだろうなぁ、と。
-_-/今かずピー
……と。
「まあ、そんなことがあったわけで」
「わー……」
話し終えてみれば、桃香はそれはもういろいろな意味を込めた“わー”を口にした。想ってくれるのはありがたいんだけど、もうちょっとでいいから相手のことも考えてあげてほしかった。
まだ、世のなにもかもを知らずに居た、まさにあどけない少女と呼ぶに相応しい存在が、真っ先に心に強く刻み込んだのが殺気って、ほんと笑えません。
「でもそっかー、恋ちゃんはそんなに前からご主人様のこと見てたんだ。あ、もちろんそういう感じのことは知ってはいたんだけど、その時にもうそんなに、ほら、過保護~……って言っていいのかな。そんな感じになってるとは思わなかったから」
「そうだよなぁ……自分が俺以外に負けるのは嫌だっていうのは、天下一品武道会でも想像はついたけど、まさかなぁ……舌っ足らずな子供にまでそういった意識を向けるとは思わなかった」
お陰で号泣&気絶&三日間魘されるというトラウマフルコースみたいな状況になったわけだし。
「でも、恋ちゃんの気持ちもちょっぴりわかる……かな。ほら、こうして教えてくれるお兄さ……あ、わわ、違った、ご主人様、がさ? 誰かに負けちゃうのって……なんだか寂しいっていうか、悔しいっていうか。負けるのは自分じゃないのに、自分のこと以上に悔しいって思っちゃう時があるんだ」
「そんなこと言われたってな。俺より強い奴なんて、それこそごっちゃりって言っていいほど居るぞ?」
お陰で何度空を飛んだことか。
そう返してみれば、桃香は苦笑は見せるものの、「それでも、だよ」と言う。
まあ……そうか。俺も春蘭や霞が誰かに負ける姿は見たくない。
もちろん華琳だってそうだし、言っちゃえば沙和たち三羽烏が戦いで負けるっていうのも嫌だと思う。
けどそれは俺が魏側としての付き合いが長かったからであり、鍛錬の師匠云々ってこととは無関係だろう。じゃあ───……ああそっか、そうだ。
じいちゃんが誰かに負けるなんてところ、見たいとも思わない。
そりゃあ、春蘭と戦えば負けるのはじいちゃんだろう。
実際にそんなことになれば、負けてしまうんだろうと、理屈がどうとか以前に頭が勝手に完結してしまう。
……だとしてもだ。答えがわかりきっていても、負ける姿なんて見たくないのだ。
つまりはそういうことなんだろう。
「じゃあきっと、愛紗は桃香が負ける姿を見たくないだろうな」
「えぇっ!? え、えとー……それはちょっと難しいかなー……って……。鍛錬でも負けちゃだめとか、まだまだ無理だもん私……」
「じゃ、軽く仕合ってみるか? ゆっくり寸止めも終わったことだし」
「えぇえっ!? で、でも間違ってご主人様を殴っちゃったりしたら……!」
焦った様子の桃香が、中庭をぐるぅりと見渡す。
その視界に、恋は映らなかったらしい。
正解は城壁の角の見張り塔の上、そこからじぃっと桃香を見つめている。
ま、まあ……まさかね? もし蜀の王様が俺を圧倒しちゃったとして、そんなことで敵討ちとか……それこそあれだ、まさか、ねぇ?
「じゃあ、うん。やってみていいかな、ご主人様」
「もちろん」
言って、軽く体を伸ばすようにして───氣を循環。
手甲は外して、ぐっと構えてみる。
もちろん様子のつもりだから全力でなんて───
「───」
「………」
ぜ、全力でなんて……!
「─────────」
「……、……っ」
み……見てる……! めっちゃ見てる……!
なんかもう、“負けないよね? 負けないよね? 絶対に負けないよね?”みたいな期待を込めた目で、俺を見下ろしてらっしゃる……!
あれ? これってもしかして、俺もわざと負けたりしたらまずい……?
それイコール手を抜くのもまずい……?
ああ……! プレッシャーの所為か、天の御遣いを天空より見下ろしてきなすってる三国無双さんの視線が、ミシミシと心を軋ませてやまない……!
あ、だめ、これ手ぇ抜いたらいろいろまずいっぽいデス……!
「あ、ご主人様、まずは様子見っていうか、練習みたいなのでいいかな。さっきまでゆっくり動いてたから、最初は慣らすみたいに───」
「ぬおおおおおおおっ!! 100%中の100%ォオオォォォッ!!」
「ふぇ……? ってなんで
全力で氣を解放。
溢れ出る氣が金色の光となって、この北郷の体を輝かせおるわ……!
と冗談は横において、俺は困惑する桃香を置いて、よくある“達人同士が距離を取りつつスタスタ歩くアレ”をしながら、恋の目から見て背中を見せるような位置で足を止めた。
そして、口だけ動かして伝える。
「桃香……! 全力でやらないとまずい……!」
「───? ……、───!? ~……!?」
言ってみたら、物凄く動揺。
顔ごと動かすことはなかったものの、視線が“ヤツ”を探すように泳ぎ───そうになるのを必死に止めたようだった。
じわりと瞳が潤んでゆく。
きっと今、彼女の頭の中には、俺が先ほど話した“ギャン泣き曹丕”の様子が上映されていることだろう。
なんたってあの恋の殺気だ……それを今度は自分が味わうかもしれないと───いや待て待て、俺だってまだまだ負けてないぞ!? ナチュラルに勝てる未来を想像なさっているところ悪いけど、負けませんよ!?
「ごっ……ご主人様……! わわわたし、すぐ負けるから、なにか強そうで派手な氣とか技を───!」
こそっと桃香が作戦内容を語りかけてくる。
それに対し、俺は氣の充実と笑みを混ぜぬ表情で返した。
「全力だ」
「え? あ、うん、全力で負けるから───」
「全力だ……!」
「えぁ、え? ごごご主人様……!?」
「全力だぁあああっ!!」
「えぇえええっ!?」
もはや止められぬ……!
この世のおなごが武を手に乱世を鎮めたのはこの北郷、しかとこの目で見てきもうした……!
だが! ああだが、だからといって男がその世にてなんの役にも立てなかったというのは否である! 意地があるのだよ! 男にだって意地というものが!
ならば往くのだ男の子!
地に足下ろして、目を伏せ意識し、氣を
「いくぞ漢中王───
「わわわわご主人様ー!? おちっ、落ち着いてぇえええー!!」
その日。
蜀のトップと都のトップが衝突した。
その報せはすぐに各国の王が住まう場にも届けられ、何事なるかと王や将が駆けつけたその場にて───
「助けてぇええええっ!!」
「……! ~……!!」
追い詰められた王を守るべく舞い降りた、目を爛々に輝かせた三国無双と戦う羽目になった御遣いさんが、なんともまあいつも通り泣き言を叫んでいたそうな。
うん……そうだよね……。結局こうなるんだよね……。
王が追い詰められたなら守るのが将だし、負けてほしくない相手が追い詰められたら、結局舞い降りるのが三国無双さんだし。
ええとその、つまり。
結論:どの道彼女は舞い降りた。
ということで。
「うおおおお! だからって負けてたまるかぁあああっ!!」
「ご主人様……! もっと……! もっと……!!」
「なんか言葉だけだと誤解生みそうだからその言い方やめて!?」
正しくは、もっと強い手応えと衝撃を、だろう。
ええはい、つまりはもう、一発ぶちかましました。
なのに今回はすぐさま戻ってきてもっともっととせがんで来なさる……!
あの、恋? 恋さん!? 桃香を守るって名目は何処へ!? これもう桃香関係なくなってませんか!?
ていうかこれ結局、この後に春蘭とかが次は私だとか、鈴々が次は鈴々なのだーとか言い出すパターンじゃないか!
だってのに余力残して恋を吹き飛ばすなんて出来る筈もなくて───! あぁあもう! なんでいつもいつも俺ばっかりー!!
「桃香!? 桃香ー! 交代して!? 俺もう流石に休みた───」
「フッ……ならば次はこの華雄が相手をしよう」
「え!? ほんと!? てか華雄いつの間に!? でもありがとう! じゃあ早速───……あの。なんで俺に向けて金剛爆斧を構えますか?」
「うん? 私が競うように戦う相手など、孫策以外ではお前くらいだろう」
「………」
「………」
───戦闘は、続行された。
もうこうなったら、全力を超えるつもりで戦い、“次”など不可能なのだと目の前で証明しようと、そう思ったが故の作戦だった。
もちろんそんな常識など通用しないことなど、この北郷は身に沁みてわかっていた。
だが三国の猛者どもがいつの間にか集ってしまったこの状況で、それ以外に逃げられそうな方法など見つからなかったのだ。
武官の誰かがこの北郷を“さあ始めようぞ”と引きずろうとも、きっと文官の誰ぞが止めてくれると信じて───!!
……ええ、まあ、はい。
大方の予想通り、無駄だったんですけどね。
言葉で止まってくれるなら、華琳も秋蘭も苦労はしなかったし、
汜水関もそう簡単には制圧されなかったんじゃないかなぁ……。