で、そんな日が───
「あ、あの……延さん? お父さん、べつに背中を拭くくらい、自分で出来るから……。こう見えて柔軟とかは積極的にやってたから、体の柔らかさには自信が……ト、トニオの料理を食べた虹村くんにも負けないくらいの自信が……」
「言うより先に背中を向けてくださいねぇ~?」
こんな感じで……
「料理だって自分で食べられるからっ……ていうか外に出して!? なんで俺軟禁状態なの!?」
「この間、厠と言いながら中庭に逃げようとしたじゃないですかぁ」
俺の言葉なぞ右から左状態で……
「あのー……延さん? 別につきっきりで看病しなくても……。むしろ寝る時くらいは自分の部屋で……さぁ」
「眠っている時にお父さんが急変したらどうするんですかぁ!」
「もう十分健康なんですが!? むしろそこまで急変───あれぇ!? なんかその言い方だと容体がどうとかじゃなくて、俺がメタモルフォーゼでもしそうなふうに聞こえるんだけど!? え、あ、ちょっ……容体だよね!? 俺別に突然変異で変身したりとかしないよね!? 愛紗の炒飯と春蘭の杏仁豆腐が長い年月をかけて体内で超反応を起こして~とか、そんなことないよね!? 延!? ちょ、延!? なんか言って!? ここで無言とか怖い!」
……三日、続いた現在。
「………」
「………」
にこにこ笑顔の丸眼鏡のお子が、俺の三歩後ろを歩いておるでよ。
ようやく外に出ることが出来て、のびのびサロンシッ……ではなく、のびのびと歩いていたんだが……気になりすぎて、訊ねてみることにしたのです。
「あ、あー……延? ほら、俺もう元気だから……ていうかそもそも元気だったから」
「お父さんは自分でも知らないうちに無茶をしてしまいますから、延がきっちりと傍で見守ってあげます。しっかり者の誰かが見張っていないと、お父さんはだめです」
「えぇ!? いやっ、いいって! そんなことより自分の時間を大切にだな! ほ、ほら、朝と夜を逆転させる話しがあっただろ!? あれの続きを───」
「お父さんに合わせていたら、すっかり慣れましたよぅ? 延は寝ている顔よりも、ちょっぴり不安そうに延にお願いごとをするお父さんがたまらなく好きですから~」
「───」
思考、一旦停止。
「え、えと。なに言うてはりますん? え……普通は!? 誰にでも平等なあなたは何処へ!?」
「先日お亡くなりになりました~」
「笑みながらそういうこと言わない! な、七乃か!? そういうのってやっぱり七乃が仕込んでるのか!?」
そうとしか考えられないんだが!? つかそもそもこの年齢でこの応答はどうなんだ!?
たっ……多感なお年頃で片付けていいんでしょうか!?
「いったいどうしたっていうんだ、延……。偏り無く、普通がいいって散々言ってただろう? なんかもうここしばらくでそんな印象はケシズミになった気しかしないけど」
「延はですね、考えました。ずぅっとずうっと考えていました。お父さんが皆さんに好かれる理由はなんなのかと。だからこそ何者にも揺らされぬ心を以って、お父さんを見てきたわけですが……こう、息を潜めて物陰からじっくりと」
「そっ……相談所ーっ! 娘が怖いんです! 繋いで僕の携帯! 繋いでぇええっ!!」
正確かどうかもわからない時間と、見慣れた待ち受け画面を映すソレは、番号を打ったところでどこにも繋がらない。……どころか、そもそも相談所の電話番号なんて俺、知りませんでした。
しかしここでハタと冷静になった。
娘を相手に、なにをこんなに慌てる必要が?
そもそも娘は自分を見て、いろいろと考えてくれていたんじゃないか。
なのに拒絶すること前提みたいに騒いだら、いくらなんでも傷つくだろう。
謝らなければ。
そう思い、真っ直ぐに延の瞳を見つめた───途端でした。
「お父さんは、だめですね~っ、いろいろだめです♪」
「グファアッ!? カッ……カハーッ!?」
言葉の槍が心の臓を貫いたのです。
だめ……だめってなにが!? やっぱり俺なんかが父親気取りなんて百年早いとかそういう意味なのか!? 仲良くやっていけていると思っていたのに、思っていたのは俺だけだったのか!?
一気にそんな考えが浮かび、視界が滲んできた。
「だめですからぁ~、人が集まるんだなって、ようやくわかりましたぁ~」
「…………エッ!?」
娘に頑張りを否定された親の気分って、こんな感じなんでしょうか。
冷たいなにかがトヒャアと背中を走り抜ける感覚だ。
しかしながらそれも一瞬。驚きに塗り潰されてしまった思考がようやく動き出すと、ああ、それ当たり前のことだったと納得した。
人は一人では生きていけないなんて、俺も蜀の学校の授業で教えたことだ。
需要と供給の知識の中にも含んで語ったそれは、ようするに“完璧な人は一人でなんでも出来るから、助け合いなど必要ない”みたいな考え。いきなり言われると“ひどいな”と受け止められるもので、まあ実際にひどいと思う。
ただ、完璧な人が本当に助力を求めない人だったなら、ひどいと思われること自体が心外なんだぞ、ってことを話したことがある。
だから、助け合いが出来る人は、それを胸の中でだけ誇っていい。
軽く頷く程度の喜び。そんな小さな誇り方で丁度いい。
誇りすぎれば亀裂しか生じなくなるからなぁ。
(困ったもんだよな)
“自分のため”は良い原動力になるものの、“自分のため”が過ぎると、相手の都合なんて一切考えない最悪の行動しか出来なくなるから気をつけよう。みんなと先生との約束だ。
……みたいなことを、ええ言いました。言いましたよ。
思い出すと恥ずかしいものの、戦の世界を見てきたから言えることもあったのだ。
完璧に近い人をたくさん見た。が、どんな人にも足りない部分はあって、それらを自覚している人が王をやっていた。
自覚せずに天狗になっていた人が民を苦しめ、自分のために動きすぎていたために滅んだ。そんな事実を、口でしか伝えることが出来ないとしても知っておいてほしかったのだ。
ほしかったのだが……まさかこんな状況で、言った言葉が戻ってくるとは。
「延よぅ……そういうのはな、もっときちんとさ、ほら。大人になってから、好きな人にでも言ってやりなさい。そしたら父さん、そいつ血祭りにあげるから。恋人にだめ呼ばわりされた相手に追い討ちかけるみたいなひどい精神で」
「先のことなんてわかりませんよぅ。今感じられる全てを今感じなければ、それまでの時間がもったいないじゃないですかぁ」
「……俺ももっと早くに鍛錬していればって思ってるよ……。強いんだよ愛紗さん……強すぎるんだ……。どうやってあんな領域に辿り着けっていうんだ貂蝉のばかー……」
先のことなんてわからない。うん、十分理解している。している故に反論しづらいです。
なんでこう、この世界の人たちは強いのか。
強い人に囲まれながら成長すれば、そりゃあこの歳でもこんな子が成長するよ。
だって甘やかそうとするのが俺くらいなんだもの。
頭だっていいし文字だってスラスラ書けるし武においても一丁前だし、よくもまあ俺の遺伝子が混ざってるのにこんなに良い子が……! とか、どうしても思ってしまう。
思ってしまうけど……やっぱり“ああ……”って納得出来てしまうところもあるのだ。
たぶん娘達全員の共通点。
精神的に打たれ弱い
これが絶対にある。
こんな歳なんだから当たり前だなんてみんな言うだろうけど、成長したってきっと変わりゃしないと言えるくらいに、妙な自信がある。
丕はそれこそ相当に打たれ弱いし、登と述なんて言うまでもない。
延は誰に対しても普通であることで保っていたなにかがあるだろうし、それが崩れた時の反動もきっとある。
柄は……柄は祭さん自身が壁になってるからなぁ。いつかいつかと躍起になっていても、そのいつかが完全な敗北として訪れた時、果たして彼女は立ち上がれるのか。
邵はあの性格だからなぁ。大人しいけど元気っ子っていう不思議さを持っている裏で、いろいろとコンプレックスを持っているのは知っているつもりだ。なにせ明命の子だし。ああいう性格は、壁にぶつかったときが一番辛い。悩み始めると深いし長いし、なにより人に相談することを“迷惑”と思ってしまって、自分で考えすぎて潰れる、ということをやらかしてしまう。
琮は───……………じっくり考えてみたけど、好きな勉強方面で潰れる可能性がある。なにせ望むものと才能がバラバラっていうのは、かなり重荷になる。
禅は頑張り屋だ。頑張り屋だから、困難ってものを知っている。才能のほうは……まあ、これからだろう。今から才能才能言っても仕方が無い。確かに、既に“差”はあるものの、これから伸びる可能性だってあるのだから。
(あとの問題は……)
俺の血の所為で、ちょっとの成功で妙に天狗になったりして、あとで絶対に後悔するんだ……ああ間違い無いね。
この傾向は丕に強くありそうな気がしてならない。
私は出来る! と思った途端に鼻を折られてがっくりとか。
…………なんだろうなぁ、物凄く想像しやすい。
「………」
「?」
今、自分を見上げている延にもそんな日が来るのでしょうか。
と、思考が向かう先を無理矢理捻じ曲げてないで。
「まあ……これまでの生き方がどうであれ、俺の場合───今、他の人の役に立てているのかって、いっつも不安なんだけどな」
「立っているから、みんなあれだけ心配してくれるんじゃないんですかぁ?」
「…………無神経なこと言った。ごめん」
「えへへぇ、誤魔化さないで、子供にきちんと謝れるお父さんは立派です。みんな、ちゃ~んと知ってますから大丈夫ですよ~?」
「………」
子供ににっこり笑顔で諭されるって、情けないって思うのと同時に恥ずかしくて、でも学べることはあっただけにぴしゃりと言い返せないし、そもそもここで言い返したりするのはただの言い訳にしかならなそうだしで、なんかもう……文字通り返す言葉が見つかりません。
……ええと、うん。父とか年上とかそういう考えは置いておいて、一人の人として……今の言葉を受け取ることにしよう。
「じゃあ、この話は終わりでいいか? 父さん、もう十分心に叩き込んだから」
「はいぃ~、もちろんです」
「…………延は、本当に穏に似たなぁ」
容姿がただ“穏を小さくしました”って感じだもの。
喋り方から仕草まで、とことんだ。……胸もだけど。
この歳で膨らみがあるってわかるもんなのか? 俺が8歳の頃、周囲の女子ってどんな感じだったっけ。
「………」
三歩後ろを歩く娘の先で、少年時代の同級の胸を思う父の図。
想像してみたら両手両膝を地について、生まれてきてごめんなさい……と呟いていた。
な、なんだろうなぁこの恋人の前で浮気するような、奇妙な罪悪感。
いや、そうじゃなくて、浮気の経験があるとかそういうのでは………………ハテ、複数の女性と関係を持っている自分は、果たして浮気をしたことがないと言えるのか否か……や、やっ! 浮ついた心ではなかったなら浮気では───
(グハァーッ!!)
自分の言葉に物凄いダメージだっ……!
考えないようにしていてもどうしても考えてしまうが、やっぱりこれっていろいろと問題があるよな……!
みんなが真っ直ぐに好いてくれてるから俺もって、真正面から向き合ってきたけど……どれだけ真っ直ぐだったつもりでも、前提条件として“浮気”って言葉をつけるとこんなにもダメージがデカい……!
「お父さん? そんなところに蹲っていると他の人の邪魔になりますよぅ?」
そんな父の苦悩はどこ吹く風。
我が娘はやっぱり基本はマイペースらしい。
8年以上もこんな苦悩に悩まされていて、いい加減吹っ切ってしまえとは誰もが言うんだろうが……捨てきれない感情って誰にでもあると思うんです。
ええそりゃもちろん皆様のことは好きです。襲われた例もございますが、きちんと好きになってから抱きましたとも。
それからは連日連夜、朝昼夕と働いて、夜には代わる代わる…………そりゃ過労にもなりましょう。むしろ今までよく保った。
みんなが作ってくれた少量の料理のほぼが、精がつくものである事実に引き攣った笑いが浮かんだものの、本当に大事にされているなぁって自覚はもちろん湧いたのだ。
今では娘たちからも少しずつではあるけど慕われて、少しずつ少しずつ幸せと最果てに向かっている事実に笑みと緊張を抱いていた。
(───)
向かっている場所は何処ですか? なんて、軽い自問をしてみる。
答えは───まあ、適当でいいんじゃないかな。
明確な目標があるほうが歩みはしっかりするんだろうけど、曲げたくないものだけはしっかりと持っている。
見えない未来の姿、その最果ての覇道を目指していようと、信じているものはひとつだけ。“幸せ”って未来に真っ直ぐ目を向けていれば、多少の間違いなんて笑い飛ばしてしまえる。
その中で、絶対にやってはいけないことだけに注意していれば、間違った未来には辿り着かない。目指している全員が全員、それにだけは注意していれば……辿り着ける未来はきっと幸せだ。
だから───
「延」
「はい?」
「お前は、きちんとした人を好きになりなさい。多少情けなくても……まあ、多少、多少なら目を瞑ろう。延をしっかりと幸せにしてくれる、そういう人を好きになりなさい。まだまだ早いだろうけど……父さん、延が大人になるまでにはいろいろと心の準備をしておくから」
いい加減、親ばかからも卒業しないとなぁ。……あと8年くらいかけてじっくりと。
その頃にはいくら俺でも……なぁ?
そうそう、いい子に育ってくれて、今よりもきっともっと嫁に行かせたくなくなっていて、男が寄ろうものなら木刀持って───……あれ? 悪化してる?
「お父さんが認めてくれる人ならいいんですか?」
「正直に言うと、どんな男が来ても激怒する自信がある……」
「そうですかぁ……そんなお父さんは、ご自分を男として認めていますかぁ?」
「いやいや、まだまだ未熟だよ。……って、こんな俺に認められないんじゃあ相手が可哀相だよな。もっともっと、頑張らないとな」
「えへへぇ……ではお父さん? お父さんがお父さんを認められるって判断出来たら、教えてくださいね?」
「へ? ……そりゃいいけど、なんでまた。……いや、いいのか? 考えてみるとそれ、結構自意識過剰っていうか、恥ずかしいような」
「自分を認められない上に他人を認められないお父さんがそんなことを言っては、他の男性に失礼というものですよぅ? もっときちんと、恥だろうとなんだろうと受け止められるようになってくださいね~」
「………」
また子供に諭されてしまった……。俺って……。
でも、確かにそうだよな。もっといろいろなことへの自覚を持って、自分に自信が持てたら……その時は、恥じることなく胸を張って報告でもしようか。
それで───…………ハテ? 俺が俺を認めたとして、いったいなにがあるんだ?
俺には重要なことだけど、べつに延には関係がないような……。
あ、あれか? これが私の自慢のお父さんですとか紹介するためか?
……そうか、そういうことなら自慢の父として、相手を全力でブチノメ……ごほんっ! 迎えられるような懐の大きな男にならないとな。
「確認しますけど~…………お父さんが認められる男性ならいいんですよねぇ?」
「ああっ、応援するぞっ! 認められたらな! 認められたら!」
「……くすくす……はいぃ~♪」
内心ドキドキしながらの返事に、どうしてか延はくすくすと笑った。
もしかして動揺してるの、バレバレだったか?
や、でも仕方ないだろう。今でも娘が男を連れてくる瞬間を考えると、心の臓が躍動して……!
そんな落ち着かない俺を見上げて、延はまた笑って、言った。
「お父さんは本当に、しっかりした誰かがついていてあげないとだめですねぇ」
え? しっかりした人? ……居すぎて怖いくらいですが?
それに加わる気ですか娘よ。
この都にいらっしゃる方々といえば、他国で僕に憧れてくださった女官さんが“そこで私になにをしろというんですか”とかいって、辞退するほどにしっかり者達なのですが?