182/不安に思わない、なんてことは、きっと無理なのだ
やってきました、とある一室。
目立って存在するのは数個の椅子と卓のみ。卓の上にはトランプやメット、ハリセン等が置いてあり、壁には二胡が立てかけられている。
いわゆる遊戯室とも密かに囁かれている場所でございますが、そこに述を連れてまいりました。
城壁の上ではしっかりと兵に“サボり宣言”も伝えてきて……まあその、適当な将に伝言をと頼んできたわけですが。とてもとても驚いた顔をしたのち、“隊長は働きすぎなくらいですから、たまには昔に戻りましょうよ”なんて言って快く頷いてくれた。
その際、“今度酒でも奢るよ”なんて言ってしまったため、華琳にバレたらいつかのように怒られそうです。
「じゃあ述。……遊びながらお互いの胸の内を存分にぶちまけようぞ!」
「えぇえええっ!?」
特になにも教えられずに連れてこられ、着いた途端にこれ。
当然のことながら述は驚き、おろおろしだした。
だがこれでよいのです。最初から喧嘩めいた遊びをしながらの吐露なんて、この子に出来るはずがございません。
動揺しているからいいのです。動揺しているから吐き出せるものもあるのですから。
「よいですか述さん。溜め込む、ヨクナイ。今より父を父と思うな。ここでの俺は───ただの遊び人である! お前がぐうたらだと言っていた、まさにその通りのサボリ魔と受け取るのだ!」
「え、え……えぇ……?」
「返事!」
「は、はいっ!」
「うむよし! ではゲームの説明を開始する!」
冷静に考える時間は与えない。
必要なのは、場の勢い……そして、今は利用させてもらう“述の性格”だ。
強く言われたら断れないのか、“はい”と返事をしてしまってから不安そうにする述へと、畳み掛けるように説明。
不安を持った心のままで遊びは開始される。
当然困惑を増加させるために、遊戯の説明の際にも遠回しな説明をしてみたり、疑問に思った時には“し、知っているのか雷電”と訊くんだぞと嘘を教えてみたり。
そして───…………そして。
……。
あれ……っ? おかしいな……! あれっ……? あれっ…………?
「へぶっし!?」
「やった当たった!」
ハリセンが頭頂を叩いた。
「えへへぇ、あ~がりっ」
「なんですって!?」
気の長い二人ババ抜きが終了した。
「弐壱弐参肆伍陸漆捌玖あがりっ!」
「ゲェエエーッ!!」
スピードであっさりと大敗した。
「これとこれとこれとこれとこれと……あがりっ」
「こんな筈はァアーッ!!」
神経衰弱で、俺だけ衰弱した気分を味わった。
……と、そんなわけで。
(この子……ゲームの才能ありすぎ……)
武官としてはとても意味が無さそうな才能が、今この場で……父の目の前で開花した。
よもや。よもやこの北郷が最初の数度しか勝てぬとは……!
「………」
「? どうしたの父上っ! もっと、もっとやろうっ!」
はっはっは、入って来た時はあんなに俯いておったのにこやつめ、はしゃいでおるわ。
口調もすっかりほぐれた感じになって、とても子供らしく喋りおる。
…………いや、別に悔しくないよ? ほんとだよ?
「じゃ、じゃあ新しいのやろうな! 次は───」
既存のゲームにアレンジを加えて始める。
最初は一勝。大人げなく心の中で“ッシャァ!”などとガッツポーズを取るが、
「うん、覚えたっ!」
「エ?」
次は……勝てませんでした。
……。
気づけば笑顔の花が咲く。
今さらになって気づけたことがあって、ようするに述には“人にぶつける不満”なんてものはなかった。
あるのは気を使いすぎるために生まれるストレスによく似た、けれど微妙に違うもの。
不満は自分の内側にしかなくて、それは自分の中で“仕方の無いことだ”と解決しているように見える。
だからストレスではなく、自分への情けなさみたいなものがあって……俺にぶつけた不満はあくまで“ぐうたらな俺への不満”だったわけで。
遊びに燥ぐ述は、歳相応のとても眩しい笑顔を見せてくれた。そこに不満の文字は一切ない。
(しっかしまあ、よりにもよって遊びの才能とは……。応用の方面に意識が回る性質なのか、一通りの理解を得ると、ゲーム全体のある程度のルールを覚えてしまった。元々武よりも文に強いんだから、当然っていえば当然だよなぁ)
しかしそれでも頭でっかちってだけじゃあない。
ハリセンを取る手は速かったし、スピードで動かす手も速かった。
“ここにこれをこう嵌める”という頭の中の完成図があるものには、滅法強いタイプだ。
代わりに、そのピースがズレる……ピース? ちょっと違うか? ……あれだな、歯車がズレると、“それらが一気に動揺に傾く”って子だ。
だから常に予測がズレる“戦”ってものには滅法弱い。戦とまではいかなくても、鍛錬中の仕合とかでもそうだろう。
自分に合った氣の組み立て方もわかっていないから、そこらへんもだ。
じゃあつまり、えぇっと。
「………」
「?」
じっと見つめてみると、こてりと首を傾げた。
小さな思春がそうしているようで、心がほわりと温かくなって……な、撫でていいでしょうか。思春相手じゃ断られるから、こう、思春を撫でるつもりでそうしてみてもいいでしょうか。
誰かを誰かの代わりに~とかひどいものだが、でも思春さんってばそういうことをとことん嫌がるんですもの。
なので今回だけ。ほにゃりと緩む頬を隠そうともせずに手を伸ばして、ヒタリと喉に冷たい感触がホワァアアーッ!?
「貴様一体これからなにをする気だ……」
「いらっしゃったんですか思春さんーっ!!」
いらっしゃったようです。
馬鹿な……あんなに燥ぐ娘を前にして、少しの気の揺らぎも感じさせぬとは……!
思春って結構親ばか気質があると思っていたから、今回ばかりは絶対に傍に居ないと思ったのに! でも考えてみれば俺の警護が仕事なんだから居ないわけがなかった!
「エ、エエト違ウヨ? 僕タダ娘の頭を撫でようトしたダけデ……!」
「ほう。娘以外に意識を飛ばしながらか」
「そんなことまでわかるの!?」
すげぇ! 護衛さんすげぇ!!
でも迂闊な言葉を吐き出そうものなら俺がいろいろと危険なのでストップ!
───あれ? ていうか。
「あのー……思春さん? もしかしてサボりを黙認するために、気配を消してたとか……」
「ぐぃぅっ!?」
真っ赤になった。図星だったようだ。
しかも言い当てられたのがよっぽど意外だったのか、奇妙な悲鳴まであげた。
いかん、これは顔がにやけてしまう。
「そ、そっかそっかぁ。述のためになると思ったからかぁ。なんだかんだで思春って述に甘───辛ァアアーッ!?」
喉に! 喉に鈴音が! なんで!? 娘に甘くて俺には辛い!
甘さと安寧を姓名に持つ人なのにとっても辛い!
「し、思春。提案がある」
「なんだ」
「晩御飯は適当な材料の適当な甘辛煮にしよう」
「………」
“何故急に食事の話に”とばかりに睨んでくる。
だがフフフ、甘興覇よ。この北郷とてなにも学ばず今までを生きてきたわけではない。
今朝のことも考えれば、思春が料理をしたがっていることなど明白!
「し、思春に作ってもらいたいなー、なんて痛ァアーッ!?」
「何故私が貴様の期待に応える形で料理を作らねばならん……!」
「ごごごごめんなさい調子に乗ってました! 俺も作る! 作ります! 一緒に作りましょう! むしろ朝のように俺一人でも───」
「!? い、いやっ! 待て!」
「ひぃっ!? ……エ? ま、待てって」
……なにやら急に言葉を遮られた。ていうか普通にヒィとか言ってしまって、娘の前でなんと恥ずかしい……。
あれ? でも述の方を見てみれば、なんかいつもの光景を見るってくらい平然としてらっしゃる。…………俺ってそんなに日頃からヒィヒィ言って…………る、ね……。うん……。
「いいだろう。そこまで言うのならその、わ、私も料理のひとつやふたつくらいは」
「え、いや、俺が作るから思春は座っててくれてもギャア切れる喉切れるーっ!!」
「作ると言っている……!」
「ごごごごめんなさいお願いします一緒に作りましょう頑張って作りましょう!!」
そこまで言って、ようやく鈴音が喉から離されました。
……いや、なんかもう……改めて言うまでもないけど、俺って本当に支柱なのかな……。
護衛任務についている人にこそ一番刃を向けられてるのなんて、きっと俺だけだよね?
「まあそんなわけで、思春。述には遊びの才能がある」
「……どうすればそこまで極端に切り替えが出来るんだ、貴様は」
「……………………慣れました……」
「あ、う……そ、そうか。それは、その。なんというか……」
常日頃から似たような状況を味わい続けて何年になりましょう。
もはやこの北郷、トラブルに驚きはするものの、きちんと対処法を探せるくらいまで順応しましたわ。
珍しくも言葉を探して視線を逸らす思春さんは、俺に刃を向ける筆頭でございますから……この動揺にもいろいろと思うところがあるんだろうなぁ。
ちなみに二番手は春蘭か華雄だと思う。
桂花は刃は向けないけど、敵意と虫を差し向けます。
「遊びの才能ですか……?」
と、ニタリと笑いながら虫が入った籠を振り翳す桂花を想像していたら、戸惑いを混ぜた声で述が訊ねてくる。
おお、そうだ、桂花のことを考えている場合じゃない。きちんと教えてやらないと、この手の性格の子は妙な受け取り方をしかねない。なにせ俺がそんな感じだ。
「最初からきちんと説明するから、出来れば全部を聞いてから受け取ってくれな」
だからまずはこう言って、続く言葉をきちんと述に届くよう、ゆっくりと語り始めた。
……。
翌日……と言わず、当日の……しかも直後から、中庭に移動して、それは始まった。
述に教えたのは、いわば自分の中で自分の行動を組み立てさせる方法。
相手がこう来たらこう返す……セオリーを覚えさせるって意味でもあるが、そもそもこの都には達人がたくさんおります。
だったらそのセオリーを、時間がかかってもいいから嫌ってほど覚えさせれば、嫌でも述の腕は上達しましょうということで。
最初は不安そうだった述も“出来ることへの可能性”というものを抱けたのか、今は真面目な顔で身体を動かしている。
「父上ー!」
「おー!」
途中、ひと息つくって感じになると、その度に手を振られる。
どうやら遊戯室での一件で、随分とまあ歩み寄ってくれたというか、気安い相手と判断されたようで。
うん、それはいい。それはいいんだが……。
「なぁ思春」
「なんだ」
「俺一応、サボってるんだけどさ……堂々と中庭に出るのがどれほど怖いか……」
「あぁ隊長、それなら楽進さまが“隊長の分まで私が!”と、仕事の内容を聞かずに駆けていってしまいましたが……」
「……部下に恵まれすぎてて後が怖い……」
そう、現在は中庭。
そこで述の体捌きを見ながら、遊戯の中で感じたことを実践してもらっているところ。
サボったというのにノコノコと中庭に現れた俺を心配してか、すぐに駆け寄ってきてくれた兵に感謝しつつ……仕事自体も多いわけじゃないから、誰かが肩代わり出来る内容ではあったものの……。凪にはまたなにか、奢るか誘うかしよう。
…………それはそれとして、隣に立つ思春さんの顔がとても怖いのですが、何事?
何故か僕のことを見てきて、その顔がピグピグと引き攣っておられます。
もちろん見るだけなら変に思ったりもしないんだが…………俺、なにかとんでもないことをやらかしてしまったのでしょうか。
(な、なぁ……俺、なにか思春に言ったっけ……?)
(え? なにがでヒィッ!?)
兵に訊ねてみれば、思春を見た兵が悲鳴をあげる始末。
ええ、怖いです。何故? 何故あんなに顔面を引き攣りあそばれてらっしゃるのか。
(隊長、またなにかいらない言葉でも言ったんじゃないですか……?)
(いや“また”ってお前)
つい冷静にツッコミを入れるが、困ったことに自分でも有り得そうだから悲しい。
今日まで生きて、ついに乙女心なぞ理解出来なかった俺だ。勉強は未だにしてはいるものの、8年以上を女性に囲まれながら生きてみてもわからぬもの……それが乙女心。
この思春をして、乙女心という言葉が果たして当て嵌まるのかすら謎なのだ。
……なんか、“あのなんたらをして”、って言葉、いいよね。一度使ってみたかった。
(あ、そ、それでは自分は仕事がありますからっ!)
(エ? あ、ちょ、待───! この状況で俺一人って!)
止める暇もなく、兵はかつてない速さで駆けていってしまった。
そして取り残される、思春の隣の僕。
ちらりとご機嫌を伺うように見てみれば、般若ともとれる顔で僕を見つめる思春さん。
問1:素直な気持ちを5文字以内で述べなさい
答 :タスケテ
脳内でそんな問答が生まれた。
そんな僕へ、とうとう思春から声が投げかけられ───!
「ど、どうだ」
「し、死にたくないです」
「なっ!? 何故そうなる!?」
それが僕にもわかりません!
訊ねられたら自然と口から漏れましたハイ! そして思春が珍しく驚いてらっしゃる!
これは……これは絶対によろしくない。
このままでは何もわからないままに大変な事態に……!
なので謎だけは死って……ではなく知ってから、状況を受け入れよう。
「だ、だって般若みたいな形相で俺を見てて……俺、またなにかやった? 今日もやたらと鈴音を突きつけられたし……」
「般若っ……!?」
あ。
なんか物凄くショック受けてる。
般若……般若だったよな……? 怒りの形相で笑っているとでも言えばいいのか、ともかく般若っぽかった。
なのに何故こんなにもショックを受けているのか。
「……思春、もしかしてなにか悩み事とかあるのか? そういえば今日は朝から妙な感じだったし、なにか言いたいことがあるなら言ってくれ。俺、ちゃんと聞くぞ? ていうか周囲から鈍感とか散々言われてる俺に、“待ちながらわかってもらう”って方法はしないほうがいいぞ。自分で言ってて情けないけど」
「う……」
こればっかりは事実だから仕方がない。
俺が無理にわかろうとすれば、曲解して誤解しか生まないのはもはや周知。
なのでストレートに言ってくれたほうがまだいい。
……だというのに、どうしてか皆様は俺にまずは気づいてほしいと願っている。
何故? と年頃の璃々ちゃんに訊ねてみれば、“乙女心がわかってない”と返される。
女性というのはともかく、“気づいてほしい”ものなのだそうで……んん、わからん。
気づけなかったら怒られるのが俺で、気づこうとして頑張ってみても曲解して怒られるのも俺で、だったらもう口で言ってほしいとお願いしてみてもわかってないと怒られるのも俺で。
……あれ? ずるくない!? 乙女心ずるくない!? これが普通なの!? やっぱり悪いのはいつだって男なの!?
(…………)
最近……乙女心が怖いです。
最近? いや、これは前からか。
(さて、そんな軽い現実逃避はここまでにして)
問題は目の前の思春さん。
相当ショックだったのか、自分の顔をほにほにとほぐすように触りながら、珍しくも俯いている。
さあ北郷よ、これは試練ぞ。
ここで正解の選択を選べた時こそ、乙女心の扉を開ける雄と成り得るのかもしれない。
まずは疑問のかけらを集めよう。
何故思春は般若顔をしていたのか。
何故俺にだけ向けていたのか。
事前に俺がなにかを言ったりしていなかったか。
むしろ朝のこととかも考えてみたり。
一緒に料理がしたい? それとも一人で?
…………いまいち纏まらないけど、答えは?
1:述に母親らしいことをしてやりたい。料理とか。
2:般若顔はウォーズマンスマイルの真似。つまり俺を(略)
3:父を圧倒し、常に母は強いと思わせたい。
4:いや待て、スマイル? スマイル……笑ってるだけ?
5:彼女なりに笑顔で居たいだけ?
6:と見せかけてウォーズマンスマイル
結論:パロスペシャル
いやいやいや! いやいやいやいやいや!!
「…………、……」
「?」
「……~っ……!」
チラリと覗き見るも、少し俯きながらも疑問的な視線で返された。
そりゃあ恐怖で喉も鳴ります。
コ、コココここは、とりあえずなにか適当な話題でも振って!
このまま悩みのことを訊くのはマズイ気がする! ウォーズマン的な意味で! …………どんな意味だそれ!
ともかく視線を合わせずに……そ、そう! 述の鍛錬を見るついでみたいなきっかけで話をしよう! それがいい!
「そ、そういえばさぁ思春! 前に穏と延と一緒にいる時にさ!? なにやら妙な気配を感じてさぁ! ゴゴゴ護衛してくれてたならなにか知ってたり───と、か……」
マテ。護衛?
そういえばあの場に居なかった……もとい、見えなかった存在が一人、いらっしゃった。
思えばあの妙な息を飲む気配って、穏や延じゃなくて、…………エ?
おそるおそる、思春を見てみれば……うわ赤っ! 真っ赤すぎて怖い!
うわやややヤバイ! このパターンはよろしくない!
こんな状況だとまた鈴音が走る! 走───いや待て! 死中に活あり!
恥ずかしさからなのかどうなのか、いまいち赤くなっている理由が解らないままに、けれどわなわなと鈴音に手を伸ばしかけている思春さんを前に高速で思考!
エェトツマリ!? ツ、ツマリ……ア、アゥワワワ……!
ここここういう時って逆に思考って纏まらないよね!?
おぉおおお思い出すんだ! 息を飲んだ瞬間を! あの時どんな会話をしてたっけ!?
あぁあああそうこうしてる内に鈴音に手が! おぉおお落ち着け! やめるんだブロリー! それ以上気を高めるんじゃない! じゃなくてえーとえーと!! 美味しいオムレツを作る時はタマゴはってそれ前にもやっただろ!!
「───ハッ!?」
そんな時に思い返される走馬灯! じゃなくて記憶!
そういえばあの時、俺は穏に“あ~ん”の仕返しを……!
……な、なぁんだそういうことだったのか! 思春は俺と、あ~んをしたがって───えぇえええええええええええっ!?