187/丕ぃ散歩 ~ べつに散歩はしない、ぶらり終点自室 ~
で、見事に何事も無しに部屋に辿り着いたわけだが。
「…………うりゃ」
「ぴうっ!?」
部屋の中、人様の寝台ですいよすいよと眠っていた丕の脇腹に、人差し指を埋めてみた。
と、跳ね起きて戦闘体勢。
「ななな何者!? こここここが父さまの部屋と知っての狼藉かぁーっ!!」
人様の部屋に忍び込んで寝台使ってる狼藉者なら目の前にしか居ないのだが。
目を回してあたふたと叫ぶ丕の言葉に、柄が「ろーぜきってなんだ?」と問いかけてくる。
うん、私塾で天の言葉は学んでも、主に桂花の話ばっかり聞いてるんだなぁお前は。……ていうか、狼藉って別に日本独自の言葉ってわけじゃ……なかったよな?
「はれっ!? と、…………父、さま……?」
「大変なんだ丕。狼藉者が現れた。そいつは俺の部屋に勝手に入って、寝台ですいよすいよと幸せそうに寝てたんだ。どうすればいい」
「へわう!? あ、え、あ、あぁああわわわわ……!! 潔く切腹!!」
「やめなさい!?」
少し意地悪をしてやるつもりが、何を思ったのか、目を回した愛娘は己の真剣を逆手に腹部を出し始めたので全力で止めました。
落ち着かせる意味も込めて状況を説明してやると、どんどんと顔を赤くしてゆき、最後には頭を抱えて唸りだした。……ウワー、ものすっごい親近感。親だけど。
「ほあー……丕ぃ姉は完璧な人だと思っていたが、これはまた随分と……なんというかそのー……」
「可愛い?」
「それだ」
「実の姉を捕まえて可愛いとはなによ可愛いとはっ!」
「顔を真っ赤にして言われても怖くないぞ、姉よ。その赤さが怒りからなら怖かったんだろうがなぁ……。父に可愛いと言われて赤くなばぁーばばばっ!?」
「それ以上言ったら……ふふっ、わかるわね?」
「こっ……怖いんだか可愛いんだか、どっちかにしてくれると私は嬉しいぞ、丕ぃ姉……!」
とてもとてもやさしい笑顔で柄の頬に刃の腹を当てる丕……の、頭をぺしんと軽く叩いてやめさせる。
華琳もよくやるけど、あれに慣れられると第二の華琳の誕生なので勘弁してくださいとばかりに。
「なんというか、父はどんどんと私たちへの遠慮が無くなっていっている気がするな」
「ん? そうか?」
「うむ。前までだったらそうして気安くぺしりと叩くことさえしなかったぞ。まあ、私はこっちのほうが気楽でいい。前のように顔色を伺ってばかりなのは、逆に疲れる」
「丕もそう思うか?」
「う……その。顔色を伺うという意味では、兵の皆よりも余計に感じていました……」
「───」
驚愕の事実だった。思わず呆然。
そりゃあ、なんとか仲良く出来ないかとかそういうことばっかり考えてたから、ご機嫌伺いのようなものをしていた自覚は……あるにはあるんだが。
でもこうして接してみて、子供というよりは大人っぽいなぁと思っていた我が子らが、その実妙なところで抜けていることに気づきまくって……そしたら安心したっていうところはある。
なんだかんだで俺自身、娘達に対して腫れ物を扱うーだとか、触れちゃいけないものなのではって、勘違いめいたものを抱いていたところはあるのだ。
もっと踏み込んでいけばよかったんだよな。隠し事なんてせずに。
そしたら…………
「でも最近ではそんな視線さえあまり感じなくなって……。……どうして私はあの時に……」
そしたら、なんだか脇腹を抓られるような現在を知ることもなかったんじゃないかなーとか思うのです。
あれなのかな。娘達にしてみれば、今までは他人みたいな人が、急に父親になってくれたみたいな状況なのかな。
だから手探りで知ろうとする中で、これは私の父だーみたいな独占欲めいた何かが働いて、俺が別の子供と仲良くしてると脇腹抓ってきたりとか……。
(ハテ?)
の、割には、丕、登、延は相手が女の子の場合だけなような……。あ、いや、丕はなんかやせ我慢みたいな表情だったけど。
述は普通に他の子供全般に頬を膨らませたりするのだが……うん、あれは可愛い。写真に収めようとして思春に刺されそうになったのはもはや……い、いい思い出……ダヨ?
「で、丕は今日はもう仕事がないのか?」
「は、はい。暇です。予定を入れられようとも全てを拒否できるだけの覚悟が───この曹子桓には出来ているわ!」
『───』
柄と二人、なんだかとっても不思議な覚悟を口にしながら、覇王の覇気を放つこの小さな娘を前に微笑ましいものを見る目で黙った。
興奮しているのか、瞳の色が変わってらっしゃる。
俺のこげ茶の色から、華琳の蒼色へ。
興奮で目の色が変わるなんて、本当に不思議な娘だ。
華佗は氣の影響だって言ってたけど、そりゃそっか。事実として三つの氣を受け入れて生まれたんだもんなぁ。
俺の氣で攻守合わせて二つに、華琳の氣。妙なところで負担になったりしないかとか不安になったもんだけど、よかったよかった。
「………」
“他の娘にはその兆候がないのは?”とは、もちろん訊ねた言葉だ。
華佗の返事は単に“氣の相性”の問題らしい。
混ざり合い易いか否か。
俺の氣と御遣いの氣が合わさった事実と同じように、氣と氣が殺し合って混ざり合わなかった場合は普通に産まれるのでは、だそうだ。
なので丕は、“氣”って意味では一番親に近いってこと。
……悪い部分まで継承しちゃってるんだから、そりゃ近いよなぁ。
「そっか。でも生憎とこっちも仕事はないぞ? 最近やたらと手伝いに参上してくれるけどさ。丕もなにか趣味とかもってみたらどうだ?」
「え、趣味……えと、趣味、は…………親孝行!」
「おお! それを胸を張って言えるとは、流石だな丕ぃ姉!」
「ふ、ふふっ? これくらい当然よ。というわけで父さま! なにか孝行させてください!」
「え? 孝行……んー……いきなり言われてもな。……あ、じゃあそれだ。布団干すから手伝ってくれ」
「………」
布団を干そうと提案したら、とても悲しそうな顔で見られてしまった。
「あの……干したら……お日様の匂いだけに……」
「? や、そりゃそうだろ」
「と、父さまの暖かさが……」
「もう昼だし、俺が寝てた頃の暖かさなんてないだろ?」
「………」
「?」
首を傾げたい状況のなか、とぼとぼと布団を干しにかかる丕。
ハテ、いったいなにが言いたかったのか。
……しかしあれだな。
運ぶ際、小さな体で布団を抱え、よたよたと歩く姿はなんというかこう……。
「……、……」
「父? またしゃしんとかいうのを撮るのか?」
「ケータイの寿命が来た時点でそれも無駄になるって解ってるけどな。その一瞬はその一瞬にしか残せない。大事なのは残したか残さなかったか……それだけなんだ」
「なにやらいいことのようなことを呟きつつ、娘の姿を形に残す父の図である」
「説明しなくていいから」
言いつつもカシュリと。
画面の中には、なにやら消える何かを惜しむようにぎうーと布団を抱き締める娘がおった。
(……太陽の香り、嫌いなのかな……)
(丕ぃ姉は太陽の香りが嫌いなのか……?)
なんとなくそんなことを思いつつ、画面を覗き込もうとしていた柄と視線がぶつかった。漏れる苦笑。まあなんだ、こういう平和もいいもんだ。
「干した布団の匂いは、安心できるものだと思うぞ、丕ぃ姉」
「? べつに陽の香りは嫌いではないわよ」
「うん? そうなのか? だったら何故干したがらないんだ? 自分のものは率先して干すのに」
「え……あ、だ、だからそれは」
「?」
「……その」
「うんん? 丕ぃ姉らしくないな。ずばっと言わないなんて。もしかして言いづらいことなのか……? はっ!? もしや姉はおもらしをしていて、それを乾かすために率先して」
「父さまの前で何を間の抜けた勘違いをしているのあなたは!!」
雷が落ちた。
おお、丕の眼が真っ青に燃えている……! これ以上無いってくらい蒼い……!
なのに顔は真っ赤である。大丈夫か、いろいろと。
「じゃあどうしてそれ、早く干さないんだ?」
「えっ? ───あっ、いえ、ちがうのよこれは。ただほら。その。布団というものは手放しづらい妙な魅力があって……!」
問われ、慌てたのかパッと手を離す丕さん。
ドシャアと落ちる俺の布団。
慌てて拾い上げようと屈み、ゴドォ、と寝台の角に勢いよく頭をぶつける丕さん。
蚊の鳴くような声で、「くぁあああぅぃいぃぃぃ…………っ!!」と苦しむ丕さん。
そしてそんな姉の姿を前に、「しゃったーちゃんすだ、父よ」と激写を促す我が娘。
どうしてそういう言葉ばかりを覚えるんだ、娘よ。
思いつつも写真に収めて、ほっこり笑顔な俺が居た。
ていうかなんかもう見ていられなかったから近寄って抱き締めて、ぶつけたところを撫でてやった。
「なるほど。父はそうして、数多の女性を落としてきたんだな」
「落とすとか言わない。そういう言い方は、それを目的として近寄っているヤツにだけ言ってやれ」
「んむ……ああ、それこそ正しくなるほどだな。目的としてないのに落とすとか言われるのはちょっと嫌な感じだ。父は~……あれか? やっぱりそういうことをいろいろなやつに言われたりするのか? そういう事実に頭を悩ませたりしたのか?」
「父さんとしては、娘にこういう話題を振られるって今現在に首を傾げたい」
「いいじゃないか、私以外じゃこんなことを訊くやつが居ないだろ。父はあの母を出し抜くほどの素晴らしい人だが、それ以上にこの気安さを受け入れてくれるから好きだ。こーきんなんかはひどいんだぞ、やれその態度はーだのその口調はーだのと」
こういうことを訊くヤツって意味では、案外延がズバズバ踏み込んでくるんだが。
のんびりゆったりペースで訊いてくるもんだから、聞き方によっては相当ねちっこく。
でもまあ……言われたりするのは事実だ。また落とした~とか、なぁ。
「まあ、そうだな。言われるよ。また種馬が~とか、またですか~とか。冷やかしみたいなもんだから笑って誤魔化すしかないんだけどね」
言いつつ、浮かんできた丕の涙を拭う。
ついでに赤く腫れている額に氣を集中させて、癒すのも忘れない。
「ふむ……? 父はその、種馬~とかいうのはもう受け入れているのか? なんというか、娘としてはあまり、聞いていていい気分になれるものじゃないのだが」
「言われ慣れたって部分はあるよ。大体、否定したところで現状がそんな感じなんだし、どうとも言えないだろ」
「いやいや、待ってくれ父よ。種馬、では男側など誰でもいいみたいに聞こえるじゃないか。私は嫌だぞ、父が父じゃなければ絶対に嫌だ。母も母だ、こんな不名誉な呼称を言わせたままにするなど……」
「へ? いや、むしろ率先してその言葉で俺をからかってきたのは祭さんと雪蓮だけど───」
バッ───と。
ここまでを聞いていた丕が、突然俺の抱擁から逃れ、柄に突きつけた時もそうだったがいつから持っていたのかわからない剣を鈍く輝かせ───って光どこから来た!? ……って違うだろ! まず武器をどこから出したのかを疑問にだな! ええいもうなんか慣れすぎてる自分が怖い!
「柄、いくわよ。二人がかりででもあの勘頼りの元呉王を潰すわ」
「今までの雪辱を晴らすときだなっ、丕ぃ姉! ……あ、母はほうっておく方向で」
「はいはい待ちなさい」
『ふぐっ!?』
しかし今こそ好機、打って出ると言わんばかりの二人は止める。頭を鷲掴みにしてでも引き止める。
まずあの二人に勝つというのが無茶だし、そもそも俺は別に気にしていないから平気だ。
「けど父さまっ! 父さまを種馬扱いなど、私はっ!」
「おぉなるほど。種馬が相手だから璃々姉ぇも、父を相手に~とか思ってるとか? 対象が“種馬”ならば、父親とか兄として見る必要がないから」
「わたっ───………………」
「ん? はて? どうした丕ぃ姉、続き、言わないのか?」
「ひうっ!? えあっ……い、言うわよ!? 言えばいいんでしょう!?」
「え? え? なんで私が悪いみたいに怒鳴られるんだ?」
なにやらわたわたと自分を奮い立たせる我が娘。
ちっこい華琳さんに黒髪が混ざったような容姿そのままに、左拳を腰に、右手をバッと右方へと払うように広げ、まるで華琳のような姿勢で俺に向き直る。
「と、父さま!」
「うん、なんだい、丕」
そんな姿が背伸びをする子って感じがして、微笑ましく思う。
なもんだから口調もやさしく、にっこり笑顔で続く言葉を待った───
「り、璃々姉さまと子供を作るんですか!?」
───結果がこれだよ。
やさしい笑顔も裸足で逃げ出すわ。
「丕……そりゃね、紫苑には何年か前、璃々ちゃんが大人になったらって言われたよ? でもな、だからって本人の意思を蔑ろにした行動は───」
「いやいや父よ、待っていただこう。璃々姉ぇのあの父を見る表情……あれは父に惚れてるぞ? 同じ女として断言しよう」
「手を繋ぐ先の行為を握り潰しと断言した子のどんな発言を信じろと」
「うぐっ……!? だ、大丈夫だ! 代わりにその先の行為については博識だぞ!」
「はっはっは、偉いぞ柄ー。その意気を見込んで、桂花の寝顔に虫の大群をばら撒く仕事を依頼したいくらいだあっはっはー」
ええい私塾でどんなことを吹き込んどるんだあの猫耳軍師はァァァ……!!
日常的に人の悪口ばっかり叩き込んでるじゃなかろうな……!
「………」
ああ、うん。なんかもうそれが当たり前すぎて、今さらなに言ってんだって自分にツッコミ入れちゃったよ。
前略おじいさま。娘達の知識の量が、まず性教育側から強化されていっている気がしてなりません。華琳に言って、罰の厳しさをUPしてもらわないとやめるものもやめないんじゃなかろうか……。
「なぁ二人とも。桂花が嫌がることってなんだと思う?」
「父さまに関係することの全てです」
「父に抱き締められたり愛を囁かれることじゃないか? 随分嫌っているし」
「ウワー……」
もはや娘達にまで、嫌われてるって事実が広まってるぞー桂花ー。
「いっそ今度は筍彧さまと子供を作ってみてはどうか。毛嫌いする相手の子を宿すとなると、相当な屈辱だと思うんだが」
「冗談でもそういうのはやめような、柄。実際にそうなって泣いた人だって居ると思う」
「う……そ、そうか。考えが足りなかった、すまぬ父……」
きちんと謝れるのは、それだけですごいことだと思う傍ら……なんだか言われたことがいつか事実になるんじゃないかと不安に思ったとは、口が裂けても言えません。
さすがにもうないよな……いくら華琳の命令だからって、桂花を抱けとかは……なぁ?
「あ……父さま、桂花といえば───」
「? あ、そうだ父、思い出した。嫌がることで引っかかっていたんだが」
「ん? なにかあったのか?」
ハテ、と訊ねてみると、こくりと頷いた柄ではなく、丕が説明してくれる。
「はい。桂花が教えることに偏りがありすぎると、民からの声があったとかで。……何度目かは忘れましたが。母さまが盛大に溜め息を吐きながら“罰が必要ね……”と」
「そう、それだ。私も聞いたぞ。私の場合は、民が話しているのを偶然聞いただけだが」
「───」
ああ、フラグでしたか……。
そう思いつつ涼しげな笑みを浮かべ、布団を干した窓から遠くを眺めることしか出来ませんでした。