188/然を守る=当然としてそこにあるものを守る。
さて……そんなこんなで夜である。
昼は買い食いで済ませるー、と事前に言っておいたから普通に終わったが、夜は……
「さ、兄様、召し上がれっ」
流琉が腕を振るった……多分薬膳料理的ななにかが、我が部屋の卓に並べられていた。
みんなの分は? と訊ねてみれば、皆様のは厨房にありますとのこと。
え? 俺だけここで、しかもこの量を食べるの?
問うてみたけど、「必要なことなんです」と困った顔で言われた。
……やっぱり何かが動き始めているのだろうか。
また誰かが何かを企んだとか。面白い側の企み事なら、雪蓮あたりがやりそうだ。
「じゃあ、いただきます」
でもだ。どんな事情があるにせよ、鳴る腹には勝てません。
良い香りにあっさりと散った意志を余所に、手を合わせて食事を開始する。
ちなみに丕も柄も、流琉の前に来た詠と月に促されるまま、厨房に向かっている。
“ああ、あんたはここで良いのよ”と言われた俺だけがここに残って……この量でございます。
しかしながら、不思議と食えるのだ。
消化器官が活性化でもされているんだろうか……薬膳料理とかの“奥深き”には、まだまだ理解には到りそうにない。“危うき”には近寄らずが常識だが、“奥深き”は積極的に探求したいと思う。なにせ口内が幸せであるからして。
俺が天に戻ってから学んだ料理なんて、既にみんなが知っているようなものばっかりだし。中国……ではなく、こういった古来の料理の効能に関しては、確実に流琉の方が詳しいだろう。
で、いったいこの料理たちがどういった効果を現すのかといえば。
「………」
俺の疲労回復のために作ってくれているらしいし、そのままに決まってるじゃないか。
心配してくれてるんだから、なにを不安がることがありましょう。
「うん美味い」
この料理は正解だった。
塩加減も丁度いい……無茶続きだった体に、染みこむようなやさしい味付けだ。
これのお陰なのか、風呂入ってリラックスした時みたいに、疲れがこう……ドロォ~って感じで抜けていく。力を抜いて湯船に浮くみたいに、こう……フワっというよりはドロって感じ。疲れている時はわかると思うんだが……あの感じは、ちょっと幸せ。
しかし美味しいなこれ。なんて名前なんだろ。
え? 名前は特に無い? 疲れにいい食材を、味が良くなるように調節して調理しただけ? ……つくづく思うけど、創作料理が出来る人ってすごいな。
そんな会話をしながらの食事は続いて、やがては食べ終わる。
ちょっと苦しいけど、吐きそうになるまではいかない心地良い満腹感に浸りつつ、笑顔で食器を下げて出て行った流琉や詠や月を見送って、はふぅと溜め息。
「体がカッカしてるな……」
あの生姜っぽいのが効いたんだろうか。
生姜……だよな? 体が芯から温められる気分だ。
「良薬口に苦しっていうけど、どうせなら美味しいのがいいっていうのは……贅沢だとしても願いたいもんだよなぁ」
美味しいほうが絶対にいい。散々な辛さが治るというのなら、苦さだってきっと我慢は出来るとしても、出来るなら美味しいほうがいいだろう。
自分の思い通りには行かない世の中……せめて対価を払って得るものくらい、自由でありたい。だからこそ多少わがままになろうが、独りで静かに豊かに食べたくなるんだろうなぁ。
今の俺のわがままを言うとすれば…………鍋。昆布出汁の利いた、鍋。
とても食べたいが、ソレはすでに多少のわがままではなくなってしまっている。
国どころか海を跨いだ先の味を求める意志は、もはやそれこそ天の意志をも左右しなければ得られないほどの我が儘にございます。
「しゅぅ……すぅう……」
まあそんなことはソレとしてだ。
立ち上がって、部屋の中心までを歩くと、そこで軽い運動。
呼吸法とともに動かすのは内臓。
消化を助ける運動ってやつだ。
ただでさえ熱くなってきた体には、少しの運動でも発汗が促されて、その汗も結構な量だ。そういえば……水分が多い料理ばっかりだったよな。
こういうことまで考えて作られてるんだろうなぁ……ほんと、料理人ってすごい。
料理人もだけど、レシピを考える人、効能を考える人もか。
つまりそれらをきっちりこなす流琉がスゴイ。
「ん……ほっ、よっ……っと」
内臓を動かすとはいっても激しい運動ではなく、ゆったりとしたもの。
主に上半身を傾けたり、腕を高い位置に広げたり伸ばしたりをして内蔵を揺らすイメージ。
水分ばかりの場合は胃酸が薄まるっていうし、気長に。
「馳走である!」
で、そんな気長なゆったり運動のさなか、どばーんと扉を開けて参上したのは……柄だった。とりあえず夜ということもありノックも無しだったので、静かになさいとばかりにデコピン。ディシィッ、といい音が鳴った。
「いたっ! ……す、すまん父よ。なんだか料理がとても美味しかったので、気分が高揚していたのだ」
「まあ、確かに美味しかったよな。で……どうかしたか? ん……特にここに戻ってくるような用事は~……無かったと思うんだけどな」
「遊びに来た!」
「遊戯室で遊びなさい」
「一人ではなにも出来んではないか! さあ父! 遊ぼう! 遊びでなら勝てるやもと母を誘ったのだが、典韋殿に料理について相談をされていてな……」
「自分に正直だなぁ柄は」
言いたいことをズケズケ言うタイプなのか、特に意識していないだけなのか。
……こんな性格だからこそ、祭さんも遠慮無しにゲンコツとかをかますのか。
「述か邵を誘えばよかったんじゃないか? 丕や登や延はやりそうにないけど、邵や……今の述なら喜んでノってくるだろ」
「述姉ぇはなぁ……まさかあんなにも遊びが上手いとは思わなんだよなぁ……。うむ、まるで歯が立たんから誘わなかった。邵は禅と話があるそうで、こっちもダメだ」
「話?」
「父の生態についてらしいぞ。よくわからんが」
「あの。なんで俺、娘に研究されてるんですか?」
「私が知るものか!」
「俺だって知らんわ!」
無意味に声を荒げて、のちにニカッと笑う。言葉遊びの延長だ。
笑ったあとは、俺の軽い運動を柄が真似し始めて、なんとも奇妙な空間が生まれる。
いつか蓮華とやった、太極拳もどきみたいな感じ。
……や、さすがに室内でかめはめ波は出さないぞ?
「父? この動きに意味はあるのか? なんだか随分と眠たくなる運動だが……」
「ん? んー……よし。じゃあ柄、体を動かすのを、全部氣でやってみろ」
「ぜっ!? ……全部をか。むう、そう言われると、途端に眠たくなどならない恐ろしい鍛錬のように思えてきた……!」
言いつつもしっかり行動に移る柄さん。素直だ。
ちょっと失礼して氣を繋いでみれば、なるほど、本当にすぐに氣での行動に移ったようだ。
ゆっっっっくりとした動きを、氣のみで再現するのは本当に難しい。
なにせ疲れるくらいの集中が必要であり、常に“動かすこと”をイメージしなければいけないのだ。拳を振るうために、拳を突き出すイメージを弾かせて終わらせる、なんて単純なことだけじゃ終わらない。
拳を突き出す際、突き出して戻す、もしくは突き出すってイメージ以外は特に働かせないものだ。けど、まあその。人間でございますもの、ゆっくりと動いてみればわかるけど、いろいろと別の思考が働くわけだ。
そして“氣のみ”で動かす場合、集中というものはとても大事なわけでして。
雑念が入りすぎると震える。滅茶苦茶震える。結果として片足だけで立つとかも無駄に難しいし、バランスを取るのは……疲れる。それを地道に体に覚えさせるわけだ。それこそ8年近くをたっぷりかけて。継続は力なり。何より難しいのは、ともかく“続けること”だと思うのです。
簡単だろとか思うことなかれ……日々を“……上達してるのか? これ……”とか思いながら続けるんだ。早く強くなりたいのに、実感の沸かないことをずぅっと。ええ、そりゃあもう気が滅入ります。
俺みたいに“筋力が増やしようがない”ってわかってるならそれも出来るだろう。そう、“まだ”、出来るほうだ。
しかしながら、そういったわけでもない、筋力や氣以外にも伸ばせるなにかを持つ人がそれを続けるとなると……とてもとても。
「ぬっ、くっ……お、おおっ……!? これは、また……! むずっ、むずかっ……!」
体を氣だけで動かす鍛錬は、子供たちは既に経験済みだ。
実際、それで城壁の上を走る鍛錬【子供向け編】は十分にやったと、丕も言っていた。
走るのなら結構慣れ易い。おかしな話、走るより歩く方が難しかったりするのだ。
俺は歩くことから初めて随分と混乱したものの、歩くのが楽になると……走る方も応用でなんとかなったのだ。慣れはもちろん必要だったが、歩くことに比べたら楽だった。あくまで、比べれば。
慣れたものだと、フンスと鼻息も荒く得意げな顔で始めた柄は、早くも表情に焦りを浮かばせていた。
片足で立ってみるも、筋力ではなく氣で足を持ち上げるのと、体勢を保つのとで大忙しだ。バランスを取ろうと咄嗟に広げる両手も、ハッとして氣で動かそうとして……失敗。見事にステーンと転んだ。
慌てて起き上がるかと思えばそうでもなく、むすっとした顔をしつつも胡坐をかき、俺を見上げながら「……父。これは大人向けの鍛錬なのか?」と訊ねてきた。
「ん、そうだな」
「これを続ければ母のようになれるだろうか」
「祭さんのようにっていうのはちょっと難しいな。そもそもお前、大剣使いだろ」
「武器にこだわるのはやめたのだ。経験を積んで、自分に合ったものを探すつもりだ。巡り巡ってそれが大剣だろうが構わんのだ。私はより高みを目指したい。目指した上で、今のこんな、なんでもないような家族の在り方を守りたいと思っている」
「………」
言われてみて考えた。
家族を守る……それって親だけの勤めだろうか。
親がどれだけ頑張ろうが、子が離れれば家族は壊れることなんて、俺はもうとっくに経験した。
けど今、その離れていた筈の子が、家族を守りたいと言ってくれている。
……嬉しかった。
と同時に、だからって娘に任せっきりにするわけがないでしょーが、なんて思いも湧きあがる。
「柄は、今の天下を好きでいてくれるか?」
「乱世を味わったことのない私でも、人が死ぬのは嫌だということくらいは知っている。親しい人が急に居なくなり、二度と話せないというのは嫌だ。それがもし母や父であったなら、家族であったならと考えるだけで胸が苦しい。だから……私は平和が好きだ。こんな日々が、ずっと続けばいいと本気で思っているぞ」
「……そか」
立ち上がって胸を張る娘の頭を、なんとも言えない気持ちでわしゃわしゃ撫でる。
わぷぷと多少の抵抗に出るが、少しすると胸を張り直して撫でられるがままになった。
いわく、「誇れることを言って褒められているのに、それに抵抗するのは嘘だ」だそうだ。
「なぁ父。父は天に家族が居るのだよな?」
「ああ、居るな」
「……気軽に帰れる場所ではないのだよな?」
「そだな。帰るとなると、周りのみんなが寿命で死んでしまう頃くらいになる」
「そ、そんなになのか。……家族と離れ離れで、寂しくないのか?」
「寂しい? んん……」
考えてみる。もう何度も考えたことだけど、娘に訊ねられて
そもそも寂しいもなにも、自分が望んで帰ってきたこの世界。
会いたいなと思うことはそりゃあある。
じいちゃんとの鍛錬メニューもまだ残っているし、及川との約束もあった。
学校だってあったし、あっちでしか出来ないこともまだまだ……。
だけどさ。考える度、思う度……“でもさ”って笑えるんだ。
望んでこの世界にもう一度降り立って、他の誰でもない自分が歩んだ外史をもう一度歩めて。大事な人が居る世界で大事な人がたくさん出来て。
そんな今までを振り返ってみて、いざ“寂しいか?”なんて問われてもさ。
「会いたい気持ちは、そりゃああるんだけどなぁ」
「お、おお? なんだか今日の父はやけに頭を撫でるな」
「生憎、寂しいなんて思うよりも、大事にしたいものの方が増えたよ。だから寂しくない。会いたいって思うだけで、いつかは会えるさって考えを持てるだけで、心の中がもう決着をつけちゃってるんだよ」
「それでいい、って感じでか……?」
「寂しく思う暇なんてないってことだよ。それだけ満たされてるんだ、これ以上は贅沢だ」
なにせこれ以下を存分に味わったからな! 娘達に嫌われまくることで!
あの日々に比べればこの程度……!
あぁ、でもじいちゃんには会いたいんだよなぁ。
言われても訳がわからず受け取れなかったことも、今ならわかる気がするのだ。
あと及川。
人のバッグにいろいろとアレなものを仕込んでくれたアイツに、一言いろいろな意味でのお礼をしたい。
もちろんあの、この世界に帰ってきたばかりの頃の、オーバーマン的な恨みも忘れていない。一発殴ろう、うん。
「わからないぞ、父。私は家族と一緒に居るのが好きだから、父の言う贅沢は、贅沢とは思えない」
「生きてりゃ見えてくるものもあるってことだよ。今見えないからってあまり焦らないこと。……って、これは祭さんからの受け売りだけどね」
……育ててくれた家族よりも優先させたい人たちや世界がある。
そんな世界へ戻りたくて、一年間、自分を苛め抜けるほどに帰りたい場所があった。
家族は大事だ。
でも、戻りたい場所はどこかを考えてみれば、結局は───
「柄は、俺に帰ってほしいのか?」
「!? ち、違うぞ!? そんな意味で言ったんじゃない! 家族と一緒がいいって言ったじゃないか! 一人でも欠けるのは嫌だ!」
「っと……!?」
意地悪くも訊ねてみた言葉に、柄は予想以上の反応を見せた。
なんというか……もう今さらな気もするのに、きちんと“家族”って枠に入れていることが嬉しい。
蹴られてばかりだった日々が、もう遠い日のようだ。
「いや、ごめんな。俺もそういう意味で言ったんじゃないんだ。俺も家族と一緒がいい」
いいんだけどさ、と続けて、柄の頭を撫でた。
「困ったことに、どっちにも家族が居るから、柄が言うような贅沢じゃないっていう考えは、どうにも持てないんだ。こうなると、俺の本当の贅沢っていうのは……どっちの家族も同じ場所に居るって状況なんだと思うし」
「む……確かに、それは贅沢かもしれない。そうであれば嬉しいが、そうなってはくれないのだよな、父」
「そうなんだよなぁ……。───……ところで柄。お前はどうして、一言一言で俺を呼ぶんだ? べつに今は俺と柄しか居ないんだし、父父と呼ぶ必要はないんだぞ?」
「はっはっは、何を言うかと思えば父よ。子龍様とて主よ主よと仰っておるではありませぬか」
「やっぱり星の影響か……」
納得しながらも考えるのは、置いてきた家族のこと。
いくら向こうの時間が経たないとはいえ、何も言わずにこちらへ来てしまったことへの罪悪感など、もういつの間にか軽くなってしまっている。
そんな自分に呆れながら、もうやめてしまっていた運動を再開することもせず、寝台に座った。
「………」
どっちの家族を、なんて……優先順位なんてものを作ってしまったことに、後悔がないといえばきっと嘘で。
もう散々と悩んだそれのことを、吹っ切ったというよりは忙しさにかまけて忘れようとしていたというところもあった。
今もう一度振り返って、あからさまに話題を逸らしてみて、まだ家族の顔や声を思い出せるくらいには、薄情ではないらしい。
いつか帰ることが出来たら。
その時は、この世界で過ごした分、出来なかった家族孝行でも……したいな、なんて思っている。今はそれだけで十分だ。
今この世界に居るのなら、居ることが出来る時間だけ、この国に返してゆこう。
三国を歩いた分、都というものが出来た分、余計に三国との繋がりが出来た分、返したい想いが次から次へと溢れてくるけど、きっと……華琳に望まれたこの世界での役目が終わる頃には、返せていると思うから。
(返せてなかったら、どんな想いで帰ることになるんだろうか……)
その時になってみなければわからない。未経験のものの大半はそんなものだろうが、どうか辛さに潰れてしまうほどの状況で帰ることがないよう願いたい。
「柄、出来ることをたくさんやろう。まず手始めに、今やりたいことを言ってみてくれ」
「え、お、えおおっ!? どどどうしたんだ父よっ、子龍様の話から何故そんなことに!?」
「使命感に目覚めたんだ。真実と使命感を求める44の鉄連盟選手のように」
「訳がわからんのだが!?」
今なら氣を用いて44ソニック・オン・ファイヤーとか投げられそうだ。ボールが燃えつきそうだけど。
バッと寝台から立ち上がり、驚いている柄へと畳み掛けるように言葉を紡ぐ。
家族を思い出すたびに心が沈む、なんてことがないように。
「さあ柄! やりたいことはなんだ!? 父は全力でそれに応えよう!」
「お、おお……なにやら父がやる気に……! よくはわからんがこんなことは滅多に無いと受け取ろう! というわけで母と戦ってみてくれ!」
「嫌です」
「即答!?」
いや……いやいや。何を言うてはりますの、アータ。
「柄……俺はお前のやりたいことを聞きたいんだ。やってほしいことじゃなくて……こう……な? わかるだろ?」
「普通に“母とは戦いたくない”と聞こえるのだが……」
「うん戦いたくない」
強くはなりたいけど戦いたいかって訊かれれば、それは当然NOでございます。
力があるから戦うのではない……戦いたいから戦うで十分だ。もう8年前にも確認した事実だし。……そして俺は戦いたくない。
そもそも俺が得た武は守るための武。自慢するための武じゃあないし、急に喧嘩をふっかけるためにあるような武でもない。
だから戦わない。……べ、べつに負けるのが怖いわけじゃないよ? 負けるのはもう、俺がまだまだ未熟だからって意味では当然として受け取れるから、怖いわけじゃあない。
ただ本当に、力があるから誰かと戦うというのは違うのだ。
だからと、腰を再び寝台に落ち着けて、じっくりと話すポーズを。