191/寂しがり屋が見下ろす景色
美以言うところのお祭りの最初の相手が春蘭だったことを知り、気絶したのち。
縄が首を絞めたり、蝋燭が体を焼いたりする前に蜀の軍師さまが割って入ってくれたこともあり、なんとか五体満足で朝を迎えた。
散々と“なにぃ!? 話が違うではないか!”という意見が飛んだけど、じいちゃん……俺、生きてるよ……! 今日を迎えられているよ……!
「………」
現在……隣で眠る春蘭を見て、何度目かの安堵の溜め息を吐く。
無事に朝を迎えられたこともそうだけど、その……久しぶりだったので、少々加減が……。華琳の時のように泣くまでとはいかなかったものの、それこそ子供が出来ますようにと何度も何度も……。
お陰でいつでもオールバック的な髪の毛は乱れ、前髪も額側に下りていて、パッと見では“春蘭だ”と認識できない。普段の性格からは想像出来ないくらい、穏やかに寝息をたてる美女が、そこにいた。
「………」
で、まあ、思うのだ。
これを、子供が出来るまで続けるのでせうかと。
いや、そりゃあ体を動かす筋肉が疲れたなら、氣を使って体を動かす方法もあるのだ。実際今回もやった。
けれどももちろん疲労はどうしようもなく溜まるわけでして。
日が経つにつれ、他の人の周期がまだ訪れないことに、月の終わりを目指して進む日々に恐怖を抱き始めました。
「春蘭、春蘭~」
けれどもそんな自分の恐怖と、彼女らの希望とはまた違う。
俺も子供は欲しいし、国の先を担う子は、きっと何人居ても足りないくらいなんだと思う。そういったものを育むのも支柱の勤めだし、そうしていきたいと思う自分自身の夢でもある。
「ん、んん……?」
肩に触れて揺すると、ゆっくりと気だるそうに開く瞳。
それが俺を捉えると、途端に頬が赤く染まった。
「おはよ」
「う、あ、う、うぅ……あ、あぁ」
その赤が顔全体を覆うと、彼女は自分の格好に気づいて自分の鼻の頭まで布団を被ってしまう。
いや、うん。昨日は本当に……その、何度も何度もだったから。いやさ、おかしいんだ。原因はなんとなく予想がつくんだけど、一度始めたら歯止めが利かなくなったっていうか……華佗の針の所為だよね、絶対。
あれだけの回数を深く深く……そりゃあ改めて顔を合わすのは恥ずかしいよな、うん。昨日は、どころか夜を跨いで、だったからなおさら。
「?」
あれ? ちょっと待て?
……排卵日ってべつに、一日限定ってわけじゃなかった……よな?
それじゃあつまり……排卵日が続く限り、その人とは何度も、というわけで……。
前にも考えたことだけど、縄だのなんだのの誤解でさえこんなに気苦労が働くことを、それこそ子供が出来るまで幾度も……?
「───」
俺、無事でいられるのかな。
そんなことを、少し涙目になって思うのでした。
……。
厨房で水をもらって、その場で朝餉の用意をしている凪に挨拶。
そんな時に呼び出され、中庭の東屋へ。
そこでは“秘密……?”の小さな集まりがあって、それがなんの集まりかを知る者は極一部。で、ここに集った二人は……
「はわわわわわ……!」
「あ、あわわわわわ……!」
相も変わらず、はわあわと狼狽えておりました。
「いや、そんな怯えなくても……」
「いえあのでしゅねっ……!? 何度も言おうと思ったんでしゅよ……!? ある日急に愛紗さんがやってきて、“お前たちの知識が必要だ!”と言われて……!」
「ち……知識が必要と言われては……あう……張り切らないわけには……あわわ……!」
「よよよ夜に集まりがあるからと行ってみれば、急に“今まで溜め込んだその知識、存分に披露されませい”と言われましゅて……!」
「あ、あの狭い部屋の……中で……あれだけの人に……き、期待を込めた目で……見られたら……!」
「───……」
蜀の兵を通じて呼び出された東屋。
辿り着いてみれば結盟者である二人が待っていて、顔を見るなり「はわぁあーっ!」とか「あわぁぁああ……!!」とか、そんな声とともに泣かれてしまった。
そして早くも許す以外の選択肢が見つからない状況。元々許すつもりだったのに、なんだろうこの罪悪感……。
そうは思うも、俺の罪悪感よりも、先に裏切る形になってしまった二人の方が罪悪感は上なのだろう。だったら早くそんなものから解き放つためにも、泣いて怯える二人の頭を撫でて、
「大丈夫。怒ってないよ」
そう告げた。
「ほ、ほんとでしゅ───はわっ!? い、いえ……! ご主人様ならきっとそう仰ると思ってましたから……!」
「だ、だから……ご主人様としてじゃなくて……あわ……結盟者として……」
「え?」
はて、なんでだろう。
許した筈なのに雲行きが怪しくなってきたような。
なんて思った直後、二人から……『罰を与えてくだしゃい!』という言葉が放たれました。
「───」
罰。
いやいや、罰って。
そりゃあそういう盟約だったけどさ。
「や、朱里? 雛里? そういうことは───」
「はうぅううううぅぅ~……!!」
「あぅぅううぅうううぅ~……!!」
「アウワワワ……!!」
涙目の困り顔で見つめられてしまった。
え……だめなのか? 罰は無しって選択肢、だめなの?
そんなこと言われたって、罰って……いやいやいやどうしてそこで桂花の顔が浮かぶ! だめ! あっち方面の、華琳に言われて桂花にやるような罰はまずい!
まずいので───
「あ、じゃあ。今日は凪が料理を作ってくれるそうなんだけどさ。例によって精がつくもの」
「はわっ!?」
「あわっ……!?」
「……辛いのとか、平気?」
「はっ……はわわわわ、はわわわわわわ……!!」
「あわわわわわわわわわ……わわ……!!」
物凄い挙動不審さを目の当たりにした。
汗を滝のように、視線はあちらこちらへ、けれど拒否できないそんな切ない状況。
「さあ軍師殿。この状況を覆す策はおありか!」
『ありません……』
「即答!?」
妙なところで蜀が誇る二大軍師に打ち勝ってしまった、ちょっぴり虚しい朝の始まりであった。
始まりであるからして、さあさと二人を促して立ち上がる。
途端にビクゥと跳ねる肩が、辛さへの恐怖を見せ付けているかのようだ。
そんな彼女らをさらに促して歩くんだが……ついてくる二人が今から奴隷商にでも売られるかのような怯え方&歩き方なのはなんとかならないだろうか。や、自分で促しておいてなんだけどさ。
「大丈夫だよ。凪の料理は確かに辛いのが多いけど、辛さの中にある旨味がきちんとわかる料理だ。辛さブームにあやかって、ただ辛いだけの料理を出す場所とは訳が違う。とても辛くてもきちんとラーメンの味がするラーメンと、ただ辛いだけで香辛料の味しかしないラーメン……どちらがいいかなんて訊くまでもないだろ? ラーメン食べに来たのにラーメンの味がしなかったらまるで意味がない」
少し戻って、手を握って歩く。
引かれるように、朱里が歩き、朱里と手を繋いでいる雛里も歩いた。
「だから大丈夫。凪の料理は美味しいよ」
「で、でも……辛い……ん、ですよね?」
「うん辛い」
「はわっ……!!」
「あわ……わ……!」
きっぱり言ったら怯えてしまった。
でもなぁ、辛さが苦手な人に、辛いけど美味い料理を知ってもらいたくなる気持ち、辛いもの好きの人ならわかると思うのだ。
だから知ってほしい未知の領域。
そうして怯える二人を急ぐでもなくゆっくりと引っ張って、厨房へ歩いた。
のんびり歩く朝の空気は心地良い。
なんというかこう……疲れた体に朝の空気はありがたいというか。
出来ることなら朝一番でシャワーでも浴びたい心境ではございますが……あー、川にでもいけばよかったかも。
いろいろ考えているうちに厨房には辿り着いて、もはや無言の二人とともに卓へ。そこへ、ずっと待ち構えていたとしか思えない速度で凪がお茶を用意してくれる。
「は、速いな……って、二度目だけどおはよう、凪」
「はっ。おはようございます隊長 」
「……朝から随分と凛々しいな」
「隊長に半端なものを食べていただきたくありませんから」
わあ、朝から物凄くキリっとしてらっしゃる。
あ、で、でもあれだよ? 今日はゲストさんがいらっしゃるから、あまり本気を出すと……。
「隊長は、辛さは平気でしたよね?」
「え? ああ、うん。平気だけど……あ、でもな、今日は」
「では仕上げに入らせていただきます!」
「へ!? やっ、ちょっ、凪!? 凪さぁーん!?」
言ったところで届かない。
もはや調理に集中しきってしまった彼女には、たとえ俺が何を言おうが……。
「はわわわわわわ罰が当たったんですきっと罰がはわわわわわわ……!!」
「しゅっ……ぐすっ……朱里ちゃぁあん……!!」
…………神様。
なんか罰を与える側の俺のほうが、物凄い罪悪感に襲われています。
これが、俺が思春に話してしまったための罰なのだとしたら、結構キツいです……!
香る料理の匂いはとてもおいしそうなのに、ちらりと視線を移せば脳内でドナドナが流れるような雰囲気。目を閉じて鼻から息を吸えばこの後が楽しみなのに、目を開けば……いっそ料理が来なければと思ってしまうほどに怯えている少女二人。
……どうしろと。
あ、そ、そうだな、なにも全部が全部辛いわけじゃないだろうし、辛いのは俺が引き受ければ───
「隊長! お待たせしました!」
───……なんて思っていた時期が、つい数秒前までありました。
どどんと置かれる赤。
次いで置かれる赤、赤、赤。
白い輝きを放つものが米しかないほどの状況下に、朱里も雛里もはわあわ言うことも忘れ、静かにぽろぽろと涙し始めた。
い、いやいや大丈夫だよ二人とも! 凪の料理は美味しいから! 辛くても美味しいのが素晴らしいんだから!
「いただきます!」
「はいっ!」
よほどに自信があるのか、彼女にしては珍しく元気に返された。
頑張ってくれたんだろうなぁ……ありがたくいただこう。
じゃあまずこっちの皿の赤から。……赤しかないけど。
「はむっ、ん、んん…………おっ? これ餃子かぁっ」
「はい。カリッと仕上げた餃子に餡をかけました。相性も考え、出来るだけカリカリさを損なわないよう仕上げた餡なのですが、どうでしょう」
「うん、美味しい。こっちじゃ水餃子が基本だから、焼き餃子とか揚げ餃子は嬉しいなぁ!」
早速ご飯を掻っ込むと、浮き出してきた辛さが米に染みこんで中和される。この時の絶妙な刺激が好きだ。単体では辛いのに、ご飯と合わさるとこうも美味い。
もちろん餃子だけでも美味しいが、やっぱりおかずはご飯とともにだろう。
「ほら、朱里も雛里も。ご飯と一緒に食べてごらん。怖かったら先にご飯を口に入れておくのもいいかも」
個人的にはおかずのあとにご飯を追わせるのが好きだけど、やっぱりそれも個人の好みだ。辛さに刺激されて出てきた唾液に、ご飯の甘さが合わさる感覚がいい。
さらに言えば辛さのために刺激に弱くなった口内に、熱々のご飯を放り込んではふはふするのがたまらない。
こんな味を是非とも、知らずに怯える人たちに伝えたい。
「………」
「………」
おそるおそる、箸を取ってご飯を。
次いで、赤い餡かけ餃子をカリッと食べる軍師二人は───
「ふわっ───」
「ほわっ───」
俯かせていた顔を持ち上げ、目尻に溜まった涙を散らしながら、頬を緩めた。
「は、はわっ、はわわわわ……! おい、美味しいです、美味しい……!」
「あわわ、かりかりしてて、はふはふして、ぴりぴりして、あかくて、しろくて……やっぱり辛いでしゅぅううううっ!!」
珍しくも雛里絶叫。
けれど少々の苦しみを見せただけで、涙を溜めつつも食事に向き合った。
……そう、そうなのです鳳雛殿───辛さにはクセになるなにかがある。
それがなにかと唱えるならば、この北郷。それを魅力と唱えましょう。
ひとたび口にすれば刺激にやられ、多少のつらさも覚えるだろう。しかし、何故か後を引く。もう一度その刺激が欲しくなる。やがてその刺激に舌が慣れた時───
「…………!」
「……、……!」
ならば他の辛さとはどういったものなのか。別の辛い食べ物にも興味が沸くのです。
餃子を攻略した二人は次に、隣の真っ赤な野菜炒めへ。それを口にして、辛さと旨味が上手く絡まったシャキシャキ感に感動。辛さに涙しつつもご飯をはむはむと食べて、次を次をと箸を進める。
人の知識とは、なにも本のみから得られるものではない。
未知を知ろうとすることを喜びと感じる知将ならば、舌で探る未知の味にも興味を示すと期待していた。
そしてそれは、上手いこと彼女たちの味覚を掴んでくれたらしい。……二人とも、辛さと熱さで涙ぼろぼろだけど。
「あの……隊長? 箸が止まっていますが……お口に合わなかったでしょうか」
「へっ!? あ、いやいや美味しいよ! ちょっと二人の食べっぷりに驚いてただけだから!」
「……そうですね。私も、お二人のここまでの勢いを見るのは初めてです」
新しい味に目覚めた人の食欲というのは、結構激しいものがある。
用意された皿も多いため、こっちはあっちはと味を確かめる度に、子供のように目を輝かせる二人を見ていると、こちらも頬が緩んでしまう。
しかし緩んでいるだけで終わるものかと、俺の胃袋も次を催促するかのようにぐるるぅと鳴った。笑いながら箸を持ち直すと、空きっ腹を鎮めるべく二人に負けない勢いで食べた。
お腹の中が空っぽな、朝っぱらから辛いもの。
……後日の厠が怖いなぁなんて思いながら。