真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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14:呉/仲良くなるきっかけ①

35/日々を語る

 

 宛がわれた一室にて、話し声が幾つか。

 学校についての話のおさらいをしている俺、冥琳、亞莎、陸遜、朱里、雛里は陽が落ち切ってもまだ、話を続けていた。

 一つの机に俺が座り、今までメモに書いたものを確認しているんだが……あ、ちゃんと漢文でね? って、誰に言ってるんだ俺は。

 

「えぇっと~……学校というのは私塾が大きくなったようなもので~……」

「幼子が通う“幼稚園、保育園”から、小、中、高、大と学ぶ段階に分けての場がある、と……ふむ」

「えと、小、中までは義務教育として学ぶことが義務づけられていて、そこまでは給食という学校から提供される食事がある……で、よかったでしょうか」

「うん」

 

 そんなわけで、メモに纏めたものを陸遜、冥琳、亞莎が確認していく。

 それを俺の両脇から覗く朱里と雛里がふんふん……と頷きながら、小声で復唱しているのが聞こえて、少し可笑しかった。

 頭に叩き込むなら、復唱に勝るものはそうそうないとか聞いたことがあるし。

 

「この場合、すでに学のある者とそうでない者を段階ごとに分け、小中高大に分けるべき、なのでしょうか……」

「でも朱里ちゃん……下に見られて怒る人も……居ると思うよ……?」

 

 出た言葉がこれ。

 そう……雛里の言う通り、いくら歳が上で武力が素晴らしくても、勉強はてんで……という人物はこれで結構居たりする。

 秋蘭や凪あたりはそこらへんキチっとしてそうだけど、我等が魏武の大剣様は……アレだからなぁ。

 秋蘭が高校、または大学生だとすれば、春蘭は小…………でも通用するのか? ……だめだ、小学扱いにした途端に不平を漏らしつつ、一日でクラスの番長とかになってそうだ。確信に近いレベルで。

 

「じゃあまずはテストをしよう。簡単な問題から難しい問題を出して、それが解けた者を分けるって感じに。べつに三国の将の全てが通うわけでもないんだし、学びたいって言う人だけにそうした確認をする形で」

「…………北郷。その、“てすと”というのは実力を調べさせてもらう、といった意味で受け取っていいんだな?」

「っと、ごめん。そうなる」

「そうか。……実を言えば私も雪蓮も、公立塾を作るというのは反対だったがな。国も平和になったんだ、民に学ばせるのもそう悪いことには繋がらないだろう。事実、天の国では民が学ぶことが一般常識となっているんだろう?」

「うん。中学までは義務として学んで、高校、大学を受けるかは自由かな。学校に行かないなら社会に出る……まあ働くことになる───って、もう散々説明したな、これ」

 

 無駄にしないためにも出来るだけびっしりと書いたメモ。

 時々及川の落書きを発見するあたり、あいつは人のメモになんてことをしてくれてるんだとツッコミを入れたくなる。

 

「知恵を付けた民が暴動を起こさないとも限らない、ですか。私も桃香さまには同じことを言ってはみたんですが……その」

「少ししか話さなかったけど、桃香なら笑顔で“大丈夫だよ~♪”とか言いそうだな」

「人のことが言えるのか、北郷。私はむしろ、お前こそがそう言い出しそうだと思うのだがな。劉備が案を出さなかったら、お前が出していたんじゃないか?」

「……否定できない自分が怖い」

 

 朱里や雛里に言わせてみれば、俺の在り方は桃香に似ているんだそうだ。

 民や兵、将のために頑張る姿は本当によく似ていますと、この話し合いが始まる前ににっこり笑顔で言われ───雛里もその言葉に顔を赤くしながらこくこくと頷いていた。

 ……雛里ってやっぱり、物凄い恥ずかしがり屋……だよな。彼女らがここに来て、ちょくちょくと帰った日があったにはあったけど、結構顔合わせもしているっていうのに未だに慣れてくれない。拾われた猫と対面している感じだ。

 それなのに、やたらと手を繋ぎたがるというか……や、嬉しいけどさ。

 だってほら、ウチの……魏の軍師さんっていったらあんな調子だろ? こんなふうにして笑顔を向けながらとか恥ずかしがりながらとかで手を握るなんて…………あ、なんか視界が滲んできた。

 風も稟も桂花も、もうちょっと俺にやさしくしてくれてもいいと思うんだ……うん。

 

「話を戻そうか。学びにくる生徒たちには食事を振る舞うのか? それによっては学費問題が出てくるけど」

「そうですねぇ~……国が豊かになったとはいえ、無償で学や食事の提供を出来るほど、国庫は無限ではありませんから~……」

「じゃあ……弁当持参って形になるのかな」

「高等学校と言われる場ではそうなのだと言っていたな。だが金銭問題で学びたくとも学べない者も居る中で、通うごとに食料を必要とするのも問題があるな」

「だよな。出来れば“学びたい人”に優先的に学んで欲しいって思うし……」

「はぁ……たしかに嫌々学ばれても、教え甲斐は無さそう……ですよね」

「その点亞莎は熱心だから、安心だけど」

「え? ……ふえぇえっ!? わ、私ですかっ!?」

 

 一度話が始まれば、出てくる言葉は後を絶たない。

 こうすればいい、じゃあこれはどうなる、そっちはこうしようなど、学びたい者のためになる方向と金銭問題で学べない者のことも考えて考えて考えて……これがまた、結構難しい。

 

「あ、じゃあこういうのはどうかな。お金が無いけど学びたいって人は、国の仕事を手伝うことで免除される、って感じで」

「初めはそれでいいかもしれませんが、仕事というのも無限ではないです……。蜀はただでさえ、生活に困った人が仕事を求めてやってきますから……」

「その、桃香さまもそういった人たちを無下には出来ないお方ですから……」

「な、なるほど……」

 

 徳で名を知られる桃香だ、たしかにその通りなんだろう。

 となると、これは難しい。

 学びたいけどお金がない、お金がないから学を身につけ出世したい、けど金がない。働きながらでいいなら頑張りますから、なんて人はたくさん居ると思う。

 もし学びたい人たちが全員そうなら、国はかなり参るだろう。

 たしかに発展はするが、国庫が尽きるのが先か国が栄えて国庫が潤うのが先か。平行はまずないと思うから……これは難しいな。

 

「呉から学びに行きたい、魏から学びに行きたいって人の場合は、旅費も考えないといけないし、滞在するためにも金が…………んー……いっそ寮制度に───って、余計に金銭面での問題が出るか?」

「寮制度?」

「あ、うん。学校自体を大きな宿みたいに喩えて、学校で寝泊りをしながら勉強する、って感じかな。遠い場所から来る人は、どうしても金がかかるだろ? それを、一定の料金さえ払えば用意された部屋で寝泊りしながら学べる、って……そういうもの」

「なるほど……蜀だけで考えた場合でも、町から町へ歩くだけで陽が暮れてしまいますし……あれば便利かもしれませんね」

「それ以前に、蜀のみに学校を構える、というのが無茶ではないだろうか、と……思うようになってきたのだが」

 

 朱里の言葉に、冥琳が目を伏せた難しい顔で言う。

 うん、いっそ各国に学校を作ってみてはどうか、という話も少し前に上がった。

 けど、教えるのが頭の回る軍師たちである以上、国の仕事もあるわけだからそうそう時間も取れないわけで。

 特に呉は他の国と比べて将の数は少ない。

 学校を作り、たとえば冥琳、陸遜、亞莎を教師として任命したとしたら…………なんだろう、いろいろ危険な気がする。

 

「なぁ、確認したいんだけど……学校で教えるのは文字や歴史や……農作業とかそういったものでいいのか?」

「ああ、そうなるな。たしかにいつかは再び戦が起こるかもしれない。が、だからといって学を学びに来る者全てに戦術を教えるわけにもいかないだろう」

「学びに来る皆さんには、平和の実りになることを学んでいただければと思ってるんです。民の皆さんに頑張っていただいて、私達はその平和を守るために尽力する。そういった形でいいんだと思いますよ」

 

 冥琳と朱里の言葉に頷き、その上で考える。……戦は教えない、か。そりゃそうか、兵に志願しに来るわけでも、将に志願したいわけでもない。

 それぞれの民がどんな考えで学びに来るのかなんて想像することしか出来ないけど、今よりももっと上の自分で在りたいって気持ちはよくわかる。

 それは知識ででも力ででも技術ででも、きっと変わらない。

 

「う、んん……難しいですね……。あの、ではいったいどうしたら纏められるんでしょうか」

「そうですねぇ~……亞莎ちゃんはどうしたいですか~?」

「わ、私……ですか? 私は……出来るなら学びたい人全てに学んでほしいと思っています……。私はこうして、学べる場へと迎えてもらえたから学べましたが……そうでない人はたくさん居ると思うので」

「う~ん……そのためにどうするか、ですね~……」

 

 ニ国の軍師がうんうんと唸っている。

 俺はといえば……頭を捻り続けていても良案が出ず、多分ほかのみんなよりも余計にうんうん唸っていて……相変わらずというか、両脇の二人がそんな俺をどこかうっとりした顔で見ていた。

 

「あ、の……やはり、一刀さんの言う通り、学費が払えない人には仕事を提供する形でやってもらうしか……」

 

 と、ここでそんなうっとりさんの片割れ、雛里が帽子の端をきゅっと握りながら言う。

 その言葉にみんながうぅん……と難しげに声を漏らすと、雛里は自信なさげに俯いて、深く帽子を……被る前に抱き上げ、椅子に座る俺の足の間へと、すとんと下ろした。

 

「ふわっ……!? あわわっ……!?」

 

 当然大慌てである。あるが、俯く必要も怯える必要もないんだよ、と伝えるため、ゆっくりとやさしく体を抱き締めながら頭を撫でてゆく。

 途端にみんなが驚きの目を向けるけど、俺は雛里には見えない位置で目配せをした。

 どうもあがり症の気がある雛里は、学校の話の時でも喋ることが滅法少ない。

 そんな彼女が落ち着けるようにと、驚かせない程度にゆっくりやさしく撫でていく……って、抱き上げて座らせた時点で相当驚かせてたか。

 

「……大丈夫、落ち着いて。言いたいことがあるなら言っていいんだ。怯えないで、もっと自分を出して。……はい、吸って~……」

「すぅうう……」

「吐いて~……」

「はぅうううぅぅ~……」

 

 吐く息が涙声でした。

 ……な、なんだろうなぁ、この……湧きあがる保護欲のようなものは。

 すっぽりと腕の中に納まる体躯に、びくびくおどおどとした風情……理由もなくただ守りたくなるこの衝動……! もちろんそんな欲が思考よりも先に走ったから、こうして抱きかかえるなんて行動に出てしまったわけだが。あ、もちろんいやらしい意味は一切ない。困難の時には守るって血盟を守っているだけだ。

 そう、二人が知識で守ってくれるなら、俺は力で守ると言ってしまったから余計……なのか、守ってあげたくなってしまう。

 そんな理由からかどうなのか、俺は雛里をやさしく撫で続け、声でも落ち着けるようにと大丈夫、安心して、力を抜いて、などなど、不安材料を出さない程度の言葉を投げかけ───こてり。

 

「あれ?」

 

 ハッと気づいた時には、雛里は俺の胸に頭を預ける形で眠ってしまっていた。

 

「………」

『………』

 

 ……やあ、何故か他の皆様の目がとても痛いような。

 

「えーと……どうしよう」

 

 と、朱里へ。

 

「一刀さんさえよければ、寝かせておいてあげてください。雛里ちゃん、いつまで経っても呉で眠るのに慣れてなくて、あまり眠れてなかったんです」

「……そうなのか」

 

 そのツケが今になって溢れたと。でもこのままじゃあ風邪引くだろうし……

 

「じゃあ抱きかかえて運ぶから、部屋まで案内してもらっても……あれ?」

 

 抱き上げようとしてみて気がついた。雛里の小さな手が、俺の服を握り締めたまま離さない。

 助けを求めるようにみんなを見るが、みんなは何やら微笑ましいものを見る目や、仕方の無いものを見る目で同時に息を吐いた。

 

「一人が寝てしまったなら仕方ないな」

「うーん……そうですね~、知らないうちに話を進めてしまうわけにもいきませんしね~」

「あの、それでは今日はここまで、ということで……いいんでしょうか」

「ああ、それで構わんさ。……亞莎、穏ととも今日のことを軽く纏めておいてくれ。私は今回のことを雪蓮に通してみようと思う」

「は、はいっ」

「任されますね~」

 

 で、そんな視線に戸惑っているうちにあれよと人は散っていき、最後に……雛里を抱える俺と、ぽかんとする朱里だけが残された。

 ……ああいや、気配を殺してるだろうけど思春も居るだろうな、きっと。

 つまり血迷って雛里や朱里に手を出そうものならサックリ切られるか腕をキメられて床に倒されて、監禁されたのちに華琳からの直々の命令でグッバイマイサンってギャアーッ!!

 

「あの、すごい汗ですよ?」

「い、いや……なんでもない」

 

 心配そうに俺を見上げる朱里に、“ニ……ニコッ?”と疑問的に笑んでみせた。

 さてと。これからどうしようか。

 雛里は俺の服の胸部分をぎゅっと握ったままだし、引き剥がすにしたってあまり乱暴なのはな。

 

「…………まあ」

 

 寝るにはまだ早い。城に戻るのが遅かった所為もあって、食事は学校会議の前に終わったし、今することといえば、寝る時間までをどうするか、だ。

 兵舎に行って兵のみんなと話をするのが結構好きだったりするんだが、この状態じゃあ無理ってものだ。

 だったら…………あ、そうだ。氣の練習でもしようか。

 

「……よし。目標は、小さく……けれど大きく」

「?」

 

 口にした目標に朱里が首を傾げるけど、気にしないで解放。

 発する氣に雛里が驚いて目覚めたりしないよう、氣の気配は小さく……だが、氣自体は大きく鋭く。

 ん、集中───……まずは右手にうっすらと集めて、と。自分の頬に触れてみてから、刺激がないことを確認。その上で、そっと雛里の頭を撫でてみた。

 

(……むっ、顔をしかめた)

 

 これじゃあいけない。もっと細めて、安定安定……!

 やさしく、やさしく……眠る赤子を撫でるくらい、やさしく───……

 

「………」

「?」

 

 やさしくやさしくと意識していたからだろうか。自然と目が細り、笑むような表情になっていた俺の視界の隅に、ふと朱里の顔が映る。

 映る……といえばたしかに映っているんだけど、その顔は赤く、その目は薄く潤んでいるようだった。

 あ、あれ? また俺、おかしな表情とかしてたのか? ……いやいや、こういう気になることがある時だろうと集中出来るようでなきゃ意味がない。

 深く眠れば雛里も手を離してくれるだろうし、リラックスさせる意味も込めて、ゆっくりと撫でてゆく。

 

(……こっちにも妹が居たら、こんな感じなのかな)

 

 魏の妹分的存在、季衣や流琉を思い出しつつ、普段はどこか、びくびくおどおどとしている雛里を見下ろす。……自分の世界の妹はいろいろとアレなので、思い出さない方向で。

 さて。そんな雛里が、眠気が溜まっていたからとはいえ自分の腕の中で眠ってくれることに、くすぐったいような嬉しさを感じる。

 妹と意識してみて最初に思い浮かんだのは季衣と流琉……なのだが、女性として触れ、交わってしまったからにはもう妹とは見れない自分が居たりした。だから妹“的”存在だ。

 後悔なんて、二人に失礼なことをするつもりはないけど……反省はしような、うん。

 

「あの……聞いてもいいでしょうか」

「ん……朱里?」

 

 考えにふけっていた俺の聴覚に届く声。

 意識を思考から外して彼女を見ると、朱里は言葉を続けた。

 

「その……今さらですけど、一刀さんは何故、魏に下りたんですか?」

「魏に下り……あ、ああ」

 

 御遣いとしてって意味だよな? 何故と言われても……偶然だとしか言い様がない。もしくは、華琳が望んだからか。

 

「俺自身、何処に下りるかなんて自分で決められたわけじゃないんだ。“気づいたら、そこに居た”。魏に下りたってわけじゃなく、たまたま華琳が追っていた男たちの前に下りた」

「たまたま……ですか」

「そ。たまたま。そこで趙雲に助けてもらったし、一緒に稟や風にも会った。もしあそこで趙雲が俺を連れていってたら、俺だって魏に居たかどうかもわからない。稟か風と一緒に行ったなら、しばらくあとに魏に入ってたかもしれないし、能力不足で入れもしなかったかもしれない」

「え? あの、それでは……」

「うん。俺が御遣いとして扱われるかどうかなんて、あの時点では一択しかなかったんだ。趙雲にも稟にも風にも拾われず、華琳と出会う。それが、俺が魏へ下りた御遣いになるきっかけだ。そりゃあ、別の場所に下りていれば呉にも蜀にも居たかもしれない。きっかけっていうのはさ、なにが始まりかなんてしばらく経ってみないとわからないものだけどさ。俺にとってはそれがきっかけだったって、華琳に招かれた時点からわかってたんだと思う」

 

 意地っ張りで寂しがりで、本当は容姿相応に弱いけど強がりな少女。

 そんな華琳に出会って、一緒に天下を統一して。いつの頃からか華琳と見る景色が常になって、好きになって、愛して、別れて。

 いろいろあったけど、離れていた時間は余計に華琳への、魏への想いを募らせた。

 そんな想いも、この世界に戻ってこれたことで安定を見せてはいるが……“彼女のため”になることをしたい、抱き締めたいって感情はきっと、どこに居たっていつだって消えることはないのだろう。

 そこまで考えてみて、まるで恋愛に夢中になる女の子みたいだって思って笑ってしまったことは、一生華琳には内緒にしておこう。

 

「けど……そうだな。もし呉や蜀に下りてたら、華琳の敵になってたわけか。そこではどんな生きかたをしたんだろうな、俺」

 

 想像してみる。

 蜀はまだそう面識が高いわけじゃないからイメージ出来ないけど、呉なら少しは……と。

 んー…………まず雪蓮に振り回されまくって、祭さんに酒の相手をさせられたり、字が読めないから陸遜に文字を教えてもらって……うわ、襲われそうだ。文字は冥琳か亞莎に教わるべきだろ。な?

 あとは……明命と監視というの名のお猫様ウォッチングをしたり、蓮華と鍛錬をしたり思春に監視され続けたり…………あ、あれ? 魏に居る時とあまり変わらないような気がするのはどうしてだろう……。

 

「なんか……どこに下りても俺の立場ってあまり変わらない気がしてきた……」

 

 けど、秋蘭が死なずに済んだ一点においては、魏に下りることが出来た自分を褒めてやりたい。

 もちろん、赤壁の戦いで華琳が敗北することがなかったことに対してもだが。

 死んでいってしまった兵たちには謝っても謝りきれないけど……どうか、国の堺なんて気にせず、みんなで見守っていてほしい。

 必ず“笑顔で溢れる大陸”に辿り着いてみせるから。

 

「朱里はどう思う? 俺がもし蜀に……そうだな。桃園の誓いの前に、俺が桃香や関羽や張飛に拾われてたりしたら……なにかの役に立ててたと思うか?」

「はわっ!? か、一刀さんが蜀に、ですか? えっと…………」

 

 どうしてか顔を赤くしながら俯いて、胸の前で指をこねこねしながら思考にふける朱里。

 なにを考えているのかは知ることも出来ないだろうけど、なにやら小声でぶつぶつと……聞こえないな。理想のご主人様、といった部分がなんとなく聞こえた気がしたけど、はっきりとじゃないから確信は持てない。

 理想のご主人って……桃香のことだよな、きっと。結構慌てやすいイメージがあったけど、そっか。そんなふうに言われるなんて、案外しっかり者なんだろうな。

 真っ直ぐに慕われる桃香が羨ましく思えて、真っ直ぐに慕える朱里が凄いって思えて、すぐ隣の彼女の頭に手を置いてなでなで。慌てる必要はないって意味も込めてだったんだが、撫でた途端に俯いた顔は一気に真っ赤になって、もうなにがなにやら。

 

「そ、そそそそのっ、内緒ですよっ? 私がこんなこと言ったなんて、内緒なんですからねっ?」

「え? あ、うん、なにを話す気なのかは解らないけど、わざわざ言いふらすようなことはしないから、安心して」

「はわ……そ、そうですか、それでは、その……」

 

 うん、と一呼吸おいて、もう一度俯かせた顔を起こして……彼女は口を開いた。胸の前で両手をきゅっと握り締めて。

 

「その、ほかの皆さんがどう思ったかは解りませんけど、私と雛里ちゃんと桃香さまは……もっと頑張れたと思いましゅっ! ~っ……!」

「うわっ! また噛んだ!」

 

 きゅううう……と細い声を出して痛がる彼女を、雛里と同じく足の上に抱き上げる。

 咄嗟の行動だったにも係わらず、「はわぁっ!?」と声をあげるだけで抵抗らしい抵抗を見せない朱里の口を覗き、血が出てないことや血豆がないことに安心しつつ、ほぅと一息。

 

「………」

「………」

「すぅ……すぅ……」

 

 ……マテ。俺、なにやってますか?

 心配するのは解る。咄嗟の行動もまあ頷けないわけじゃないが……その咄嗟がどうして朱里を抱き上げて引き寄せることと繋がるんだ俺!

 欲求!? 欲望!? 俺の中の獣はそこまでどうしようもない状況に達しているのか!?

 い、いや……これは心配の表れだ。だって、引き寄せて一番最初にしたのが傷の心配だっただろ?

 俺はやりとげたのさ……そう、これはただの心配だった。だからこの手を離して、今すぐ朱里を解放……しませんよこの右手さまったら!

 

(あ、ありのまま今起こったことを話すぜ……! 俺は舌を噛んだ朱里が心配になった……と思ったら、いつの間にか隣の彼女を椅子に座る自分の膝の上に引き寄せていた……! な、なにを言っているのか…………普通にわかるよな、これ)

 

 よし落ち着こう、俺。

 手を離さないことにはそれなりの理由がある。きっとある。いつの間にか言葉通りの両手に花状態だが、左腕の彼女が服を離してくれない以上、これは仕方のないこと……なのか?

 でもまあとりあえずは。

 

「はわ……か、一刀、さん……?」

 

 雛里と同じく、膝に乗せた彼女を胸に抱くようにして頭を撫でた。こう、片腕で頭を抱き、その手で引き寄せるように。

 舌を噛んでしまった痛みに出た涙を見た瞬間、こうしてやりたいって思ってしまった。

 こうして引き寄せる行動がそこから来てたとするなら、もう無理矢理にでも納得しよう。

 

(……泣いている子をほうっておけるわけ、ないもんな)

 

 ぺふりとヘコむ帽子ごと、さらにさらにと、雛里の時と同じく氣を込めて、やさしく撫でる。

 胸に抱き寄せて、片手で抱き締めながら撫でる……はっと気づくと、それってまるで恋人同士みたいじゃないか? なんて考えが浮かんでしまって、しかし今さら急にやめるのも気まずくなりそうで。えーと。

 

(………)

 

 細かいことは気にしないことにした。今は朱里の涙をなくすことが最優先。

 舌を噛んだだけで泣くことなんてとも思うだろうが、朱里や雛里は迷子になっただけでも泣くからなぁ……。

 と、思い出すのは半月くらい前のこと。

 新たに出た本を買うために、朱里と雛里が町へと繰り出した時のことだった。


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