193/普通って、いいよね
約束の下での戦いを終えて、痛む腹を庇いながら、いつものように樹の下に座った現在。
「楽しかったのだー!」
俺の胡坐の上には、燥ぐ元気な鈴々さんが……おがったとしぇ。
「あれだけ動き回ってまだまだ元気って…………はぁあ」
本当に、つくづく調子には乗らせてくれないらしい。
いいけどね、天狗になるよりは。
ちなみに胡坐はそうしたのではなく、鈴々にそうさせられた。
ぐったりと足を伸ばして休みたかったのに、テキパキと膝を曲げられてこんな状態だ。そんな鈴々さんは俺に遠慮無用に体重かけてきていて、すっかりリラックスモードだ。
痛むお腹をさすりたくてもさすれない。タスケテ。
そんな俺へと、呆れ顔の秋蘭が言う。
「あまり無茶はするなよ、北郷」
うん、もうほんと無茶だった。
秋蘭が立ち会ってくれるから次に挑んでくる人が居ない……そんな安心感を武器に、もう本当に全力でいった。いった結果がこれだ。
いやー……安定しないなぁ俺。
最後のだって一か八かすぎたし、腹へのダメージが無ければそんな好機もなかったし。好機と思ったのにあっさり受け止められるし……うう。いけるって思ったんだけどなぁ。
「もっと強くならないとなぁ……道は遠いやぁ」
「かっかっか、そう易々と抜かれてたまるか。ほれ北郷、もっと強ぅなりたいならば氣脈でも広げておれぃ」
「いや、今無理……カラッポすぎてくらくらする」
「なんじゃだらしのない」
「これがだらしなかったら俺の目標って高すぎて泣けてくるんだけど!? もう泣いたけど!」
打倒愛紗……愛紗かああ……!
最終的に鈴々を梃子摺らせることも出来ないんじゃ、きっとまだまだなんだろうなぁ。鍛錬あるのみとはいうけど、筋肉が鍛えられないのは痛い。
「でもでも、お見事でしたお手伝いさん! 眩しくて直視出来ませんでしたが、きっと激戦の中でも凛々しいお顔だったに違いありません!」
「キミの視界の中の俺は常時フェイスフラッシュをしてるキン肉族ですか」
随分と周囲に迷惑な凛々しさだ。
「ごめんな、禅。きちんと組み手とかやって教えてやりたいんだけど、この調子じゃ無理そうだ」
「大丈夫だよぅととさま。さすがにこんな状態のととさまに体捌きを教えてとか言わないもん」
「そか。じゃあ見るだけなら出来るから。ごめんな」
「いいってば、もう。ととさまはあれだね、私たちに気を使いすぎだよ。たまにはととさまだって甘えてもいいと思うよ?」
「ほっ! 一丁前のことを言いおるのぉ公嗣様は」
「黄蓋母さまっ! 公嗣様はやめてってば!」
「あらあら……公嗣さま? 照れなくてもよいではありませんか」
「黄忠さまも!」
「うふふ……わたくしのことは紫苑でいいと、言ってありますよ?」
「うー……私も禅でいいよ。私が偉いんじゃなくて、偉いのはかかさまだもん。だから、禅って呼んでくれたら………………こっちは、その、紫苑さま、で」
「では駄目です」
「いじわるーっ!」
……思うに、宅の娘らはからかわれやすいのかもしれない。
それが誰の影響なのか、どんな血が影響しているのかは……言わずとも理解できそうでちょっぴり悲しい。
そうして軽く落ち込んでいると、そんな俺の傍に立ちながら、キーキー騒ぐ禅に目をやる秋蘭がくすりと笑った。
「やれやれ……もはや、この賑やかさにも慣れてしまったな」
笑いとまではいかないまでも、彼女によく似合っている微笑。見下ろしてくる彼女を見上げながら、俺も“たはっ”と息をこぼすと、そこから笑う。
俺が感じている慣れと、秋蘭が感じている慣れは随分違うんだろーなーとか考えながら、腹に響いたけど、笑った。
そんな中、ちらりと視線を動かせば……弓使い三人衆を見つめながらもそろりそろりと逃げてゆく琮を発見。そういえば積極的に会話に混ざることをしなかった。でも気配が殺しきれてない上に───
(琮、琮ーっ! そっち行くと……あ、あー……)
後方にばかり注意していた琮だったが、前方不注意でなにかにぶつかり……慌てて前を向いてみれば思春さん。そんな、琮本人にしてみれば必死の逃走も、琮には悪いけど今はなんだかおもしろい。
(誇れる自分になりたいと張り切ることは出来たって、教えてくれる三人が三人とも違う意見だから、逃げたくもなるよなぁ……解るよ琮。俺もそうだったから)
焔耶と翠に捕まって、随分と振り回されたなぁ。
それももう8年前か。
懐かしいなぁ…………なつかし───……
(……起きる事柄まで遺伝したりしないよな?)
さすがにそれはないとは思っても、想像してみるとありそうで怖かった。
「うー……それで、ととさま? 私、なにをすればいいかな」
「そうだなぁ……基礎がしっかりしてるなら応用だな。自分の中での“動きやすい型”を見つけると楽だ。氣の使い方から構え方まで、いろいろ学んで“これだ”って思うものを体に叩き込むんだ。で、叩き込んだらそこからまた応用」
「ふええ……応用ばっかりなんだね」
「いつまでも同じ型だとね……少し手合わせしただけで全部見切られるんだよ……」
「あぅ……いつもお疲れ様、ととさま……」
だから相手一人一人にしたって違う戦い方を考えなきゃいけないわけで、ああもう……本当にこの世界は頭の回転だけはずぅうっとさせてなきゃいけない世界だ。
日本じゃ調べごとなんて調べれば一発なのに、ここじゃあ“体で覚えなきゃわからない”有様。覚えるために何度空を飛んだかは考えたくもない。
それでも最終的にはこうして仲良く、笑っていられるんだから……ほんと、不思議。
「ねぇととさま。ととさまみたいに相手の内側に氣をぶつけるの、どうやるの?」
「鈴々いわく、“んー! ってやって、うおーっ!”ってやれば出来るぞ」
「わからないよぅ!」
「違うのだ! こう、うりゃりゃーってやって、どっかーん! なのだ!」
「な?」
「ますますわからないよ!?」
まあそこはおいおい。鈴々語を理解するなら、まずは彼女のうりゃりゃーがどんなもので、どっかーんがどんなものかを知るところから始めよう。え? 俺はわかるのか? ええ、もちろんわかりません。
「まあまあ。とりあえず少しぐったりしたいから、昼餉にしないか? 父さんお腹痛いのにお腹空いたよ……」
たははと笑いながら言う。
そんな俺を見て、秋蘭は懐かしむように「うむ」と頷いた。
「街の治安維持のため、兵となって駆けずり回っていた頃が懐かしいな。もはや走りすぎて吐くこともないか。逞しくなったものだ」
「あー……うん、あの頃はもう走りすぎて、ものが食べられないくらいだったのになー……。今じゃ動けば動くほど腹が減るよ」
現に殴られた腹は痛むものの、胃袋さんはそれはそれ、これはこれ。栄養よこせとばかりにゴルルゥと鳴っている。食べたって筋肉は作れないのに、なんと贅沢な。
……これって栄養とかは何処に行ってるんだろ。
もしかすると、天……日本に戻った時に、って、もしかしてもなにも、これはちょくちょく思ってることだ。日本に戻ったら栄養だの筋肉だのがいっぺんにドカンとつくのでは。
と、考えてみたところで一度戻った俺の体には特にこれといった変化はなかった……はずだ。もっとも、ただ単に俺がそれを普通として受け取りすぎてたから気づかなかっただけなのでは……というのも何度も考えたこと。
よーするに考えても答えは出ないのだ。しょうもない。
「鈴々、どいてもらっていいか?」
「わかったのだ」
言ってひょいと立ち上がると、グミミミミと大きく伸びをする。
俺もそうしてみたものの、腹が伸びたあたりで痛みが走って、苦笑とともに中断。
そんな苦笑を顔に残したまま、厨房へ───
「延姉さまぁーっ!! お手伝いさんが腹痛だそうです! 癒せますかーっ!?」
「あらあらぁしょうがないですねぇお父さんはぁ~っ♪」
「速ぁっ!?」
───移動を開始した途端、ふらつく俺を見たからだろうか。琮が叫んだ途端に延がシュザァと現れ、頬に片手を当ててにっこり笑顔。いやいやいやいやいやっ! あの速さで滑り込んできておいて、その仕草って物凄くヘンだぞ延!!
つか、そののほほんとした性格の何処からあんな速度が生まれる!? あぁああでも穏もああ見えて多節棍を武器に戦えるわけでっ……! 基礎の身体能力なんか、氣を使わない俺なんぞとっくに追い抜いているであろう娘に、何を言えるやら……!
「い、いやっ、“しょうがない”って、俺はべつにっ……!」
「はいはい男の子特有の強がりとか負けず嫌いはいいですからぁ。早くお腹見せてくださいねぇお父さん」
「聞いて!? おわぁっ!? いやいややめろやめなさいこら脱がすな脱がすなぁあっ!!」
俺のことを、誰かが傍に居ないとだめな人と断じてしまったらしいあの日から、延は本当に過保護である。どっちが親だってツッコミを入れたくなるほどに世話をしようとするから、やめなさいやめなさいと言い続けているんだが……ああ、うん、その甲斐あって、そこまで踏み込んでこなくなったよ。現に恋との時はそうでもなかったし。
ただし、こうした失敗みたいなのが起こると、“やっぱり傍に居ないと駄目じゃないですかぁ~♪”と、これまた嬉しそうに言うんだ……。
(ああもう……)
癒しの氣に特化していることもあって、こちらが怪我をしようものならこうしてズズイと踏み込んできて……氣脈の問題とかだったらそうでもないんだ。問題は怪我があるか否からしく、こうなるとこっちの話なんてそれこそ右から左だ。
……ああ、なんだろう。ちょっとだけ、ちょっとだけだけど……もし延に彼氏とかが出来たら、きっと彼氏くんは苦労するんだろうなぁとか思ってしまった。
その苦労の中にはきっと、俺という親の存在も混ざっているのだろうけど……うん、割と娘を見ていると思うことだから、今さらだった。だからもし現れるのなら彼氏くん……胸に覚悟を刻んでくるのだ。……なんて、軽く目の前の出来事から目を逸らしている場合じゃなかった。
「それではお手伝いさんのお世話は私と延姉さまに任せて、みなさんは厨房へ! 大丈夫です! べつに食事の時まで三竦み状態で食べたくないとかそんなこと全然───あれ? あの、黄蓋母さま? なぜ私の襟を掴むんでしょうか。あのっ!? 私にはお手伝いさんのお世話という重要な使命がっ!」
「ほう? 癒しの氣は使えるか?」
「ふふん、伊達に目だけを褒められているわけではありませんよ? そんなものはちっとも使えません!」
「……よう言うた。それを恥とせず言う勇気には見事と言っておこう」
「……あれ? 褒められました? ……や、やりましたお手伝いさん! 私褒められ───はぴう!?」
拳骨が落ちました。
うわーいほんと容赦ない。
「飯はお預けじゃ。妙才、紫苑。こやつに氣と武のなんたるかを叩き込むぞ」
「いたたたた……! なにをするんですか褒めておいて拳骨なんて! これが噂のあれですか!? “ほめごろし”とかいうのですか!? おのれ喜びを持たせてからそれを破壊するなんて! こうなったらいつか靴を脱いだときに砂利を入れて、つぶつぶとした地味な痛みに困惑させてやります……!」
「……いちいちやることがみみっちぃのうお主は」
「本気で嫌がらせをして、本気の嫌がらせをされたら泣いちゃうじゃないですか!」
「それ以前に嫌がらせをやめればよいだろうに……」
ああ、祭さんが頭が痛そうに額に手ぇ当ててる。
しかもそんな祭さんに「頭痛ですか? お酒ばっかり飲んでるからですよ?」と普通に言う勇気ある娘。……拳骨は直後だった。
そういったやり取りに、珍しくも秋蘭が肩を震わせて笑った。笑った上で、言うのだ。
「くふっ……! はっはっは……! うむ、良い性格をしているな、琮は」
なるほど、物凄い皮肉にも聞こえるし、実際いい性格だとも受け取れる。
本人と親の前で随分とはっきり言うなぁなんて、苦笑いと一緒に漏れてしまうのも仕方ない。
ただまあ、琮の場合はそれが褒め言葉になることなどないわけで。
「え? 本当ですか? お世辞にもいい性格だなんて思いませんけど……これがもし相手だったら引っ叩いてますよ私」
本気できょとんとする琮を前に、秋蘭の笑顔が引き攣った。
「良い性格すぎるぞ北郷……なんとかしてやれ」
「そこでいきなり俺に振る!?」
驚く俺は現在、延に道着を引っ張られてキアーと叫んでいた。
「そ、琮ちゃん……? 自分でそう思うのなら、少しは改めようとかは……」
「それで周りが変わりますか? 変わりませんよね? みんな私の目のことしか褒めず、目と武にしか期待しません。いいんですそれで。私は私が誇りたい、誇ってもらいたい道を歩みたいだけですから。……なるほど、そうですね、私も掌返しは嫌いみたいです。裏表なく真っ直ぐに見て、真っ直ぐに誇ってくれる人が一人でも居れば、それで満足だと思えます」
言いつつ、俺のところへテトテトと小走りに……やってくる途中で捕まった。
「さぁ琮、鍛錬をしよう。父上と遊びたいのなら、まずは───私を倒してみるがいい!」
述である。
何処からやってきたのか、琮を抱きかかえると走り、少し離れた位置へとすとんと下ろす。
「……述姉さまはもうちょっと空気を読むべきだと思います」
「読む暇があるのなら、一歩だろう。むしろ“今だ”と思ったから降りてきたんだが。……お前に習い、見張り台から見ていたんだ。実に暑かった。ああいや、そんなことはいいんだ」
「……なんですか」
「琮……私もいろいろと他人事みたいに見ていたことがあった。けど、お前の鍛錬を見て、私も決めたぞ」
「なにをですか……?」
「私は知を得ようと思う」
え? 今なんて言ったの述。
え? チヲエヨウ? ───知を……あの述が!?
「正気ですか? 今まで周囲の反対を押し退けて武を学んでいたのに。その延長で私にまで武を学べと言ってきた述姉さまが」
「しょっ……!? 正気を疑われるほど、頑固者だったのか、私は……」
あ、なんか落ち込んでる。
うーん……でもなんか、妹と話す述って珍しい気がする。むしろよく話していたのが登……子高ばっかりだったから、珍しいというよりは……ああいや、やっぱり珍しい。
「ああ、その、なんだ。私はあまりこう、話すのは得意ではないが……逃げるのは嫌だから、きっかけをくれたお前には言おうと思った。武を磨きたいのに知の才……才と呼べるのかもわからないものしかない自分が嫌だったが……生意気にもひとつ、得意だと自信が持てるものを得て、“改めて考える時間”を持った」
「考える時間……ですか」
「“遊戯が上手い”。こんな才、なんの役にも立たんと、ある日ひどく冷静に受け止めてしまった。途端に、目指した武を磨かずになにをしているのかと自分を殴りたいとすら思ったんだが……」
「殴りました? 痛かったですか?」
「いや殴ってない、殴ってないから興味津々って顔で目を輝かせるな」
「残念です。あ、舌打ちは嫌いなのでしませんよ? こういう時は“のり”でそういうことする人が居ますが、聞いていて不快なので」
「真面目に聞く気はないのか……」
「いえ、ただ本気なのかなと。目指した場所なんてどうでもよくなりましたか?」
なんでもないふうに訊く琮は、けれど手だけはぎううと強く強く握り締めて、顔では冷静に述を見ていた。
「ああ、どうでもいい。それは私の目指したものではなく、状況によって目指すことを目標にされたような道だと気づいた。“母のようになりたい”。強い母が傍に居れば、それを目標にしてしまうのは、私の中では然たるものだった。だが……私は、そうするよりも遊びの才で人の笑顔を引き出せることの方が嬉しかった。だから悩んだ。本当にこのままでいいのかと」
「いいんじゃないですか? 遊びも武も知も、全部手にしてしまえばいいじゃないですか。周囲が期待しているから、目指したなにかを諦めて、なんて。そんなの誇れません。そんな自分は私が嫌です」
「そうだ。だから私は知を得る。知を得て、要領の悪いこの頭に理解力を叩き込み、その上で効率良く武を磨く。先ほど父上が仰っていたな。自分の力を応用してこそ、と。いい言葉だ」
「……そうですか。つまり、述姉さまは」
「ああ。私は知を得て、知を応用して武を得る。知を得れば遊びの才も広がるだろう。これが応用でなくてなんだ?」
わあ、素晴らしいまでの“頭いいだろ私はっ”て顔。やめなさい、背後に麗羽の幻覚が見える。
そんな姉を前に、琮はとほーと溜め息。
「同類だったんじゃないですか……目的は違うかもしれませんが」
「いや、もちろん褒められたいという思いはある。何をやっても身に付かなかった私だ。褒められることの嬉しさは、正直捨てられない」
「私はとうに諦めてましたけどね。私になにかを言ってくる人なんてみんな同じ。同じなら、感情なんて込めずに薄目で見ていれば、誰に何を言われようがどうでもよくなります」
「……お前が半眼な理由って、それなのか?」
「目がいいって、いいことばかりじゃありませんから」
ふん、と鼻を鳴らして、半眼のままに述を見る。
亞莎のように“見ようとしている所為で目つきが悪い”のではなく、“見たくないものから目を背けようとして目つきが悪い”、なんて、親子で間逆のものの見方のままで。
「そうか。だったら私は同類だ、存分に見てくれて構わない」
「え? 嫌です」
そして即答だった。
黙ってことの成り行きを見守っている全員で、ズッコケそうになってしまった。
ここで丁度400話目でございます。
分割するとこうまで長かったのかぁ……と遠い目中です。
ささ、あと50万字もないと思うので、お気楽にまいりましょう!