真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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142:IF2/今、ここにあるやさしさ①

194/ただ、いつかで待つ悲しさ。

 

-_-/劉禅

 

 静かな時間が続いている。

 暑さの中に段々と涼しさが混ざり始めた日々の中、ととさまの部屋にて。

 時は朝。外は生憎の雨で、今日は外での鍛錬は出来ず。また───仕事の方も大体が中止になって、各自自室で待機というかたちに落ち着いた。

 

「はふ」

 

 走らせていたチョークを止めて、カツカツと黒板に書いていた文字を消す。うん、意味はない。

 ちらりと視線を寝台に移せば、子明母さまに耳かきをしてもらっているととさま。どうしてこんなことになっているんだろう……なんて別に考えない。ただ単に、ととさまの耳の中に虫が入ったのが原因だったから。

 虫は簡単に取れたんだけど、せっかくだからと耳かきを探したととさまを子明母さまが発見。耳かきでしたらありますという話になって……えと。そういえばどうしてわざわざ子明母さまがやることになったんだろう。不思議。

 

(……あとで禅もやってもらうつもりだけど)

 

 既に話は通ってる。ぬかりはないのです。じゃなくて。

 

「………」

 

 雨の音が聞こえる。

 雨でも降らなければいっつも騒がしいこの都で、この静けさは本当に貴重だと思う。ととさまの傍であれば、それは余計に。

 そんな静けさの中、誰にも邪魔されずに耳かきが出来る……すごい珍しいことだよね。ほら、扉を見ていると、今にも誰かがどっかーんって入ってきそうだもん。

 

「ねぇ子明母さま?」

「え? は、はい? なんでしょう公嗣さま」

「“さま”はいらないってばぁ……えっとね、ととさまの顔って、輝いてるってほんと?」

「っ……」

 

 聞いた途端に真っ赤だった。

 慌てて俯く視線の先には、膝枕状態のととさまの横顔。どうやら心地良くて眠ってしまったみたいで、穏やかな寝顔がそこにあった。

 

「ひやうっ……!」

 

 余計に赤くなる子明母さまだったけど、それでも……すーはーと深呼吸をして、じっくりとととさまの顔を見下ろして……とてもやさしい顔になると、ととさまの髪をさらりと撫でて言った。「はい……輝いていますよ。とっても……」と。

 そこには琮お姉ちゃんのような慌てた様子はなくて、ただ、えっと……なんていうんだろう。いとしさ? いとおしさ? まだ私が知らないようなとっても温かい感情があるように見えた。

 

「ねぇねぇ子明母さま。男の人の耳かきをするのって、どんな感じ? やっぱり他の人と変わらないのかなぁ」

「え……───あ、ふふっ……」

「? どうして笑うの?」

 

 私の問いに、一度きょとんとした顔を持ち上げる。

 けどすぐにくすりと笑って……その顔が本当に幸せそうだったから、どうして笑うの、なんて疑問も消えてしまった。幸せだから笑うんだ。きっとそういうものなんだろう。

 

「私も……私も、ですね? 小さい頃、母が父の耳のお手入れをしているのを見て、いいなって思っていたんです。いつか、自分にも好きな人が出来たら……って」

 

 幸せな笑顔がととさまを見下ろす。

 ととさまを撫でる手付きはやさしくて。

 まるで幼い頃の夢を叶えた人が、思い出の宝物に触れるくらいに穏やかで。

 

「………」

 

 静かな時間が過ぎてゆく。

 さらさらとととさまの髪に触れていた長い袖が、そのままのやさしさで耳かきを動かす。

 目を閉じれば雨の音。

 私にもいつか、こんなことをしてあげたいと思う人が出来るのかな。

 まだ全然わからない感情だけど、あんな笑顔が出来るのなら、それはとても……幸せなことなんだろう。

 

「ん、ん……」

「……大丈夫ですよ、旦那様。まだ眠っていてください」

「亞莎……うん……」

 

 寝返りをうとうとして、体勢がそれをさせなかったために起きたととさま。

 そんなととさまをそっと手伝って、反対の向きにさせた子明母さまは、穏やかな顔のままにととさまの頭を撫でた。

 すぅ、って。

 息を整えるような音がして、ととさまは安心した子供のように眠った。

 子供のように、っていうか本当に子供みたいだなって思ったけど……

 

(あ……)

 

 そうだ。

 この都で、ととさまが安心して休める場所は少ない。

 なのに子明母さまの一言で、あんなにも安心して眠った。

 

「………」

 

 すごいことなんだ、これって。

 そう思うと、なんだか自分がこの場で、とても場違いな存在に思えてくる。

 思わず立ち上がって、部屋から出ようとした私に、子明母さまがにっこりと笑ってくれる。

 手招きをされて近寄ってみると、一言謝られてから頭を撫でられて……言葉のないやさしさなのに、どうしてかとても心に染みこんだ。

 促されるままに寝台にちょこんと座って、そんな穏やかさの隣で、流れる静けさの中を過ごす。

 

  地を雨が打つ音がする。

 

 ただただ静かな時間に、つまらなさもなにも感じない。

 気づけば場違いなんて思いも消え去って、幸せそうに耳かきをする子明母さまの隣で、こてんと寝転がった。

 このやさしい香りは子明母さまの香りかな。

 とても安心する。

 かかさまもいい匂いがするけど、かかさまってあれで結構、静かに出来ないから。

 

(……静かだなぁ)

 

 賑やかなのは好きだ。

 “楽しい”はもっと好き。

 みんなの笑顔が大好きだし、自分が笑える時間もとっても好きだ。

 でも……なんだろう。

 こんな静けさは、好きとか嫌いとかじゃなくて……とても嬉しくて、大事に思える。

 雨の日なんて何も出来なくてつまらないと思っていたのに。

 

「……ねぇ、しめいかーさま……」

「……、はい、なんでしょう」

 

 静けさを壊したくなくて、ゆっくりと喋る。

 子明母さまも同じように穏やかに返事をしてくれて、そんなやさしさも嬉しい。

 それをやさしさと言うのかなんて、訊かれたって答えられなくても。今はそれがやさしさと思えるくらい、この静けさが大事だった。

 

「子明母さまは……この先も、ずっとこうしていたいとか……思う?」

 

 ずっと先。

 それは、おじいちゃんおばあちゃんになってもって意味。

 きっともっと前から、全然姿が変わらないととさまと、どうしても老いてしまう私たち。

 そんな関係であっても、こんなやさしい時間を共有して生きていけたなら、それはどれだけ幸せで、嬉しくて、楽しくて……。

 

「………」

 

 返事はなく、ととさまの頭を撫でる手はやさしいまま。

 ちらりと見た子明母さまの顔は、変わらずに穏やかでやさしい。

 そんな子明母さまが、そのままの顔で言う。

 

「私は……幸せです。こんなにも人を好きになれて、大事に思ってもらえて。子供の頃のささやかな夢だって、この人はすぐに叶えちゃうんです。どんなお願いでも厚かましさでも笑って、“もちろん”って言って」

 

 ……うん。ととさまは、よっぽどのことでも文句を言いながらも叶えてくれる。

 簡単なことから難しいことまで、今出来なくても出来るようになる努力をする。そんな人だからあれだけの人に慕われていて、傍に居る人も幸せになれる。

 乱世を生きた人に比べれば、世の中の辛さの半分も知らない私でも、幸せの価値の多少くらいは知っているつもりだ。

 だからそんな幸せをくれるととさまが、みんなにとってどれほど大事なのかも知っているつもり。

 

「きっと……私がおばあちゃんになっても、旦那さまはこのお姿で……それでも変わらず愛してくれるし、大事にしてくれるのでしょうね……」

「……うん。それは、ぜったい」

 

 気づけば子明母さまの顔に、照れたような赤みはなくて。ただただなにかを慈しむ、穏やかな表情がそこにあった。

 

「私は怖いです。いつかこの人を置いて、誰も彼もが死んでしまったあとが。ずっとお傍に居てあげたい。ずっとお傍に居たい。でも……きっとそれは叶いません」

「……うん」

「いつか、幸せのままに死ぬのだとしても、それからを生きる旦那様を思うと辛いです。どうか泣かないでほしいと思っても……きっと、泣いてしまうのだと思います。……あ、あっは、ちょっと自意識過剰でしょうか」

「……そんなこと、ないよ……。きっと悲しいよ。だって……」

 

 だって、こんなにも無防備に眠っている。

 爪を隠した獣っていうほど気性が荒いわけでもないととさまだけど、気配に敏感ではあるのだから。そんなととさまが頭に触れられても安心して傍に居られる人が死んで、泣かないわけがない。

 …………ああ、そっか。それは、怖い。

 そんなととさまがそんな人を亡くしてしまったら、どうなってしまうのだろう。

 思ってしまえば願わずにはいられない。

 

「……どうか。旦那様が、幸せで……。泣いてしまったあとも、私が大好きな笑顔で……笑えていますように」

 

 子明母さまも同じ気持ちだったのだろう。

 さっきまでのやさしい顔を、泣きそうなくらいの悲しい顔に変えて、さらりともう一度ととさまの顔を撫でた。

 それで起きたのか、うっすらと目を開けたととさまが子明母さまを見上げて……やさしく、その目尻に溜まった涙を拭った。

 

「ん……どうかした? 亞莎」

「……いいえ、なんでも。さ、旦那様、お耳のお手入れ、終わりましたよ」

 

 そう言う子明母さまの顔は、もう笑顔。

 そんな子明母さまの目尻から手を滑らせて頬を撫でるととさまは、一度溜め息を吐くと苦笑する。

 

  “そんな顔してなんでもないは無しだよ、亞莎”

 

 その苦笑に込められた意味は、なんとなくだけどそれだと思った。

 けれどととさまは何も言わない。

 何も言わないで、ただやさしく子明母さまの頬に手を当てて、穏やかな顔でじっとしていた。

 子明母さまもととさまの手に自分の手を重ねて、穏やかに微笑んでいた。

 

「………」

 

 今度は場違いだなんて感じない。

 ただただ穏やかな雨の日の中、静かな時間がここにあった。

 振り返ってみればなんでもないただの一日でも、感じ方ひとつでこうも違う。

 いつかおばあちゃんになっても、素早く動けなくなったとしても……こんなふうに穏やかに過ごせたら、幸せなんだろうな。

 言葉はなくても言いたいことがわかっているみたいなととさまと子明母さまは、そうして静かな時間を過ごしていった。

 

「よい……しょっと」

 

 少しして、ととさまが起き上がる。

 子明母さまはそれを止めず、今度は私に向かって笑って言う。「お待たせしました」と。

 それが耳かきのことだって思い出して、ちょっぴり笑った。

 早速子明母さまの膝に頭を乗せる……わあ、やわらか……じゃなくてすべすべ……じゃなくて、えとえと。……やわらかくてすべすべです。

 

「動かないでくださいね」

「は、はい」

 

 いつもはわたわたと慌てることの多い子明母さまを思うと、今日の子明母さまはとても穏やか。きっと、ととさまと二人の時にしか見せない……か、それとも見られない顔、っていうものなんだと思う。

 

「………はふ」

 

 サワ、と耳かきが耳に入ってくる。

 手付きはとてもやさしい。

 この香りに包まれているだけで心が穏やかになって、瞼が自然と落ちてくる。

 うう、だめだ、眠りたくない。この穏やかさをもっと堪能して……なんて思っていると、起き上がったととさまが私の傍に座って、脇腹をやさしく撫でてくる。

 くすぐったさもない、落ち着かせるようなやさしさが、さらに私を眠りの世界へと誘う。うう、なんだろう、ずるい。普段こんなことしないのに、ずるい。

 そう思うのと同時に、なるほどとも納得した。

 子明母さまがととさまと二人の時に変わるように、ととさまも……。

 

(……あぅ)

 

 全身から力が抜けた。

 気づけば既に夢の中。

 心地良い温かさと香りに包まれながら、私の意識はそこで途絶えた。

 

 

───……。

 

 

……。

 

 ……雨の音が聞こえる。

 けだるさが体をずしりと重くさせて、でも……自分を包む香りが、とても心を落ち着かせてくれていた。

 

「あ……ふえ……? わ、わたし……」

「目が覚めましたか?」

「あれ……しめいかーさま……? ふ、あひゅひゅ……」

 

 なんでここに、と言おうとして欠伸に負けた。

 そうしているうちに段々と眠る前のことを思い出して、ああそっかと納得する。

 

「ご、ごめんね子明母さま、すぐにどくからっ」

「あっ……」

 

 ばっと飛び起きる。

 途端、ちょっと急に動いたことを後悔。

 少しだけ、穏やかな空気が逃げてしまったからだ。

 

「………」

 

 ちょっと気まずい気持ちを抱きながら、ぽすんと寝台の上に座る。

 そのまま部屋を出てしまおうかとも思ったけれど、それをしたらこの気まずさが倍以上になりそうで、それが嫌だった。

 けれどもそんな気まずさなんて、私が勝手に感じただけのものだったのだろう。子明母さまは変わらぬ穏やかさで私の頭を撫でてくれて、それだけで……私の心も落ち着いてしまった。我ながら単純だなぁ、なんて思ってしまう。

 

(……なんか、いいなぁ)

 

 私もこんな人になりたいな。

 こんなふうに、好きな人との時間を心から穏やかに、大事にできるような人に───

 

「じゃあ、次は亞莎ね」

「え?」

 

 ───って思ってたら、幸せそうな笑顔が真っ赤に染まった。

 さすがととさま、こういう状況を覆すのがとっても上手だ。

 

「え、ふえっ……!? だ、だだだ旦那ひゃまっ……!? 次はわひゃっ、わらひって……!?」

「亞莎の耳のお手入れ、するよ? ほら、耳かき貸して」

「い、いいいいいえいえいえいえ結構でひゅからっ……! そんな、旦那様にこんな場所、覗かれるくらいなら……!」

「え……く、くらいなら?」

「……~……死にます……!」

「早まるなぁあーっ!!」

 

 一気に飛んだ。まさか耳の穴を見られることが死に繋がるとは思ってなかった。私もととさまも大驚愕だ。

 でもだ。

 

「子明母さま。ととさまもやってもらったんなら、ととさまもきっと子明母さまにしてあげたいって思うよ。子明母さまのお母様は、やってもらわなかったの?」

「はぅぇっ……!? あ、あの……その……ひゃあっ!?」

 

 さっきまでの穏やかさが嘘のように、慌てふためく子明母さま。

 そんな子明母さまの頭を抱き寄せるようにして、膝の上にこてんと寝かせたのは……当然、ととさまだった。

 

「か、かかかっか一刀様っ!?」

「亞莎~? 呼び方が一刀に戻ってるぞー」

「えっ!? い、いいいいいえちがっ、ちがいまっ……! 旦那様と呼ぶのが嫌になったというわけではなく、ただっ、そのっ……!」

 

 慌てる子明母さまを、ととさまはやさしく撫でてゆく。

 すると、どうだろう。あれだけ慌てていた子明母さまが、眠る前のととさまのように大人しくなっていって、慌てた口数も減ってゆく。

 

「じゃあ、入れるよ」

「は、はい……やさしく、してくださいね……」

 

 ……なんでだろう。とてもいやらしく聞こえた。きっと気の所為だよね。

 

「………」

 

 耳かきをするととさまは、さっきの子明母さまのように穏やかだ。

 そっと手を動かして、指に挟まれた耳かきでお手入れをしていく。

 一方の子明母さまはくすぐったいのか、時折肩をぴくんぴくんと震わせて、きゅっと目を閉じている。眠たくはならないのかな。力、抜けばいいのに。

 

「亞莎、痛い? 肩が震えてるけど」

「い、いえっ、あのっ……旦那様の息が、耳に……当たって……!」

「………」

「禅、不可抗力だから睨まないでくれ」

 

 けれどこればっかりは仕方ないと、続行。

 しばらくすると子明母さまも慣れてきたのか、次第に体から強張りが抜け───……た、と思ったら、こてりと眠ってしまった。

 

「う、うわっ……かわいい……───ハッ」

 

 無防備な寝顔を見るのは初めてなのかな。それとも久しぶりだったのかな。

 ととさまが子明母さまの顔を見下ろして、素直な感想を口からこぼしていた。本当に“こぼしちゃった”らしくて、とっても慌てている。

 

「………」

 

 小さくこほんと咳払いをしてから、耳かきをもう一度。

 私もくすくすと漏れる笑みを飲み込みながら、また寝台に寝転がった。

 


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