203/“いつまでも普通に”という言葉の中にあるもの
───秋が過ぎて夏が過ぎて、冬が過ぎて春が来る。
めまぐるしく、なんて言葉が全部を語ってくれるみたいに、普通に過ぎていた筈の時間は、振り返ってみれば馬鹿みたいに早く過去になってしまっていた。
「父! 父ー! 面白い遊びを作ってみたぞー! 是非見てくれー!」
「ととさまー! 柄姉さまが一人で球を投げて一人で回り込んで打ってるよぅ!」
「甘いぞ柄! その遊びなら既に星が開発済みだ!」
「な、なんだってぇ!? うぬぬやるな子龍さま……! だったら自分で投げた球を自分で受け止めるという全く新しい遊びを───」
「どうして独り限定の遊び開発に前向きなんだよお前は!」
「だったら遊んでくれ父! 秋にはどんな遊びがあるのだ!」
「焼きいもを作ろう」
「よし乗った!」
「えぇっ!? 柄姉さま、遊びは!?」
「捨ておけ」
「なんでそんなに男らしく言うの!? 遊びを作ろうっていうから一緒に居たのにっ! もうっ!」
「ところで禅。“やきいも”って字はこう……“焼き”、は漢字とひらがなで、“いも”はひらがなで書くのが良いと、父さんは思うんだ」
「日本語のことはまだそんなにわからないよぅ!」
ほうっておけば過ぎていく時間。
やろうと思えば出来ることも、多分そこら中に転がっていて、そういったものをやる勇気とか意志を持てるかが、失敗だの成功だのを左右するのだろう。と、偉い人は仰る。
が、やろうって意志だけじゃあ“出来るわけがない”には勝てないと、我らが覇王さまは仰る。自分が見る現実を“理想の範囲”に触れさせることが、まずはなによりも重要なんだそうだ。
「おーい華雄~? 大事な用事ってなんだ? この寒いのにわざわざ外になんて」
「とうとう来た……この季節が来たっ!! ふはははは雪だ! 雪が来たぞ北郷! さあいざ合戦の時!!」
「なんで毎年毎年雪が降ると俺に挑んでくるんだよお前は!」
「武の証明こそ我が存在の証明───あっ、だ、大丈夫だぞ? 今年はきちんと加減して雪を握る。だから以前のようには」
「あの、華雄さん? そう言って、毎年毎年俺の脇腹に雪球直撃させてるの誰でしたっけ? しかも鉄球みたいに硬くなったのを」
「こ、今年は平気だ!」
「その言葉を何年信じて何年血反吐を吐いてるとお思いで!?」
「石を仕込むあの猫耳軍師よりはマシだろう!」
「投擲力が強すぎるお前のほうがよっぽど問題じゃぁあっ!!」
人の在り方は相変わらず。
その相変わらずが人の数だけ“ほんのちょっと”の変化を受け取って、全体がほんのちょっとずつ変わってゆく。
そんなことの繰り返しで、街も、街の数も、人や人の数も変わっていった。
「お腹、空いた……」
「って言ってもな……お腹いっぱい食べたんじゃないのか?」
「……最近、みんなそう言う。食べさせてくれない……」
そう、人の数も。
恋が妊娠したのをきっかけにしたみたいに、他の将もめでたく妊娠。お腹が出っ張ってきて、それを食べすぎの所為だなんてことから始まった騒動も、安定に向かえば静かなもので。
一気に増える子供の数に、果たして最果てに行く前に過労死してしまいやしないかと、苦笑を浮かべる時間が増えた。
「父さま。歳の離れた妹も産まれました。私もそろそろ、父さまに甘えないような立派な姉を目指そうと思います」
「丕……そっか、丕ももうそんな立派なことを言える歳になったか……。嬉しいなぁ。嬉しいから、人の腕抓るの、やめような?」
「いえべつにこれに意味なんてありませんよ? 私の直感が急に働いて、父さまはきっとここが痒いに違いないと思い、孝行出来る娘でいようと思っただけです。ええ、仕事の時でも赤子を離さずでれっでれしている父さまに腹を立てたなど、とんでもないことです」
「そっかそっかー、寂しかったのか、丕」
「さみっ!? さっ……寂しくなど! 私はただ、赤子とはいえでれでれしている父さまが……」
「で、でれでれね……。華琳が言うには、丕が産まれた時なんてもっとひどかったそうなんだけどな。ん、よし。じゃあ───丕っ! 父さんの胸に飛び込んできなさい! これでもかってくらい甘えていいぞっ! ははっ、な~んて」
「はい是非!」
「あれぇ!? 甘えない立派な姉って何処!?」
人の成長を見守るって意味で、なるほど、不老っていうのは随分と都合よくもあれば、寂しくもあるもんだ。
産まれたばかりの赤子が、赤子が産まれた頃の娘らと同じくらいの歳になると、そんなことをしみじみと思う。
いつまでも体が成長しない俺を、民はどう思うだろうか。
化物? それとも天の御遣いだからと妙な納得の仕方をするのか。
そんなことを、時折城壁の上から街を眺めては、思いふけっていた。
「父、父」
「はいはい、なんだい姫」
「ん。姫、大きくなったら父のお嫁さんになる」
「宴の準備をしろぉおおおおおおおっ!!!」
「うおっ……!? 北郷隊各員に伝令! また隊長の病気が始まった!」
「だぁああもう! 隊長ぉおっ! いい加減娘離れしてくださいよぉっ!!」
「だだだだだって呂姫が! 娘が俺のお嫁にって! こんなにストレートに言われたの俺初めてなんだもん!」
「隊長……姿はそれでももう“だもん”って歳じゃないでしょう……」
「まっ……真顔でなんてことを!」
恋のように喋るのが苦手なのか、ちょっとだけつっかえながら喋る。
これがまた物凄い……えーと、自分で言うのもなんだが、ファザコンだ。
凪との娘である
この数年で自分の娘の数は倍以上にもなり、もはや首を横に触れないほどに……種馬って言葉が似合う自分へと到ってしまった。
子供が産まれることは喜べるものの、やっぱり種馬って言葉は遠慮したい。そう思うことくらいは許されたって……ああうん、絶対に許そうとしない軍師さまからも、子供が産まれた。
名前は
え? ああ、うん。文字は似ているが、断じて褌と書いてフンドシではない。惲と褌で紛らわしいが、惲な、惲。“小”が“うん”、“ネ”が“ふんどし”、と覚えれば大丈夫だ。
可愛い娘ではあるのだが……なにがどう働いてそうなったのか、丕ととても仲が悪かった。むしろ筍惲が一方的に嫌っていた。
「けどさ。袁尚って名前、ややこしくなかったか? 今さらだけど」
「あぁらぁ~、一刀さん? ま~だ言ってますの? この美しくも美しいわたくし、袁紹と同じ読みの名を受けた娘。きっと美しく育つと一刀さんも頷いたではありませんの」
「いやまあうん、最終的にはね。……むしろこっちの意見を麗羽がちっとも聞いてくれなかったというか」
「いやぁ~、でもアニキ~? お嬢はすっごい頭いいんだぜ~? ……誰かと違って」
「そうなんですよ? 難しい問題もすぐに解いたりして。しかも間違ってないんです。……誰かと違って」
「おーっほっほっほっほ! 当然ですわぁ~? 大陸に名だたる袁家の名を継ぐ者が、周囲に遅れを取るなどあってはならないことですわっ! ……けれど髪が黒いのが残念ですわね。髪型もあんなに地味に纏めて」
「いやいやいやいや麗羽様っ!? お嬢はあれがいーんですって!」
「そうですよ麗羽様! あんな小さな頃から妙に自信家で急に笑い出したりしたら、友達がいつまで経っても出来ませんしっ!」
「……ちょっと斗詩さん? 急に笑い出すとは、いったいどなたの何を指して仰っているのかしら?」
「ひぐっ!? え、あ、えとっ……!?」
「うわっ! 珍しく猪々子じゃなくて斗詩が自爆した!」
「うえっ!? 珍しくってどういう意味だよアニキ!」
けどまあ。騒がしさは……というか、やっぱり根っこの方は相変わらずと言っていいのかどうか。
それを騒がしさとして認識している辺り、俺ももう、すっかりこっちの世界の住人だった。そりゃそうだ、もうこっちで生きている時間の方が長いのだ。
「父上様! 炒飯を作ってみました! お味見を!」
「チャヴァァアアハハハハ炒飯!?」
「…………あの。母上様の“炒飯?”が危険物なのは私も知っていますから、炒飯と聞いただけで叫びながら退くのはどうか……」
「あ、ああ、ごめんな平……。わかってはいるんだけど、どうにも警戒信号というか、心の警報が……あ、ああえっと、味見……だったな。するよ、うん、する」
「……私自身で味見は済ませてありますから、そんなに怯えないでください」
「俺だって食べ物に恐怖したくなんかないよ!? よ、よし! そんなイメージを払拭するためにもいざ! んっ、んぐんぐ……」
「……ど、どう、ですか……?」
「───…………」
「うえやわぁあああっ!? ちちち父上様!? 何故!? 何故涙を!?」
「……ちゃーはんだ……へ、へへっ……ぐすっ……へへへへ、ちゃーはんだぁああ……!! ひぐっ……うっ……うぇええええ……!!」
「いえあのそれはそうですよ!? 炒飯を作ったんですから……って、ですから泣かないでください!」
母の手料理に絶望して料理を学んだ娘は強かった。
娘の炒飯に感動して涙した日、俺は兵士の何人かを片春屠くんに乗せて、氣の許す限りに全速力でオヤジの店へとかっ飛ばし、ささやかな宴会をした。
地味にその味を知っている北郷隊のみんなも涙とともに祝ってくれて、暑苦しい男達の宴は朝まで続き……戻ったのち、朝の仕事に間に合わなかったために覇王さまからライデインが降り注いだ。
そんな日々までもが懐かしく思えるくらい、一歩歩いたと思えば過去が遠くなっていた。
一歩のつもりで踏み出したのに、振り向いてみれば……平和の只中で寿命で死んだ老人たちの笑顔ばかりが頭に浮かぶのだ。
戦で死ぬことは無くなった。
食糧難で死ぬことだって無くなった。
病気で死ぬことは、華佗や延、それか俺が間に合えば、治療をすることも出来たけど……間に合わなかった場合は、どうしようもなかった。
氣を学び、医療を学んだ子達が成長して、病気の人を助ける場面を何度も見た。
でも、氣だって医療だって万能じゃないから、“助けたかったのに助けられなかった”と涙する少年少女だって何度も見た。
「……北郷、どうだった?」
「華佗……ああ、だめだったよ。じっちゃん、若い姿のまま……眠った。……やっぱり、若返りの薬っていったって寿命が延ばせるわけじゃない。一定時間が経てば勝手に元の量に戻る、なんて、液体の量まで若返るとんでもないものでも……出来ないことって、やっぱりあるんだな」
「そうか……やはり万能の薬などないのだろうか。我が五斗米道も寿命には勝てない。いや、勝ってはいけない。自然に死にゆく者を生かし続ければ、その果てには滅びしかないのだろうから」
「全員が死なずに生きる世界か…………はは、それは、確かに」
「天ではどうだったんだ? ここより人は居るんだろう?」
「ああ。それこそ数えていられるかってくらいに。人は滅んではいなかったけど……そうだな。今この時よりも、天のほうが……誰も死ななかったら、あっという間に滅びそうだよ。住む場所が無くなって、自然を削って、食べるものが無くなって。餓えでも死なないんだったら、それこそ地獄みたいな世界になるんだろうな」
「……そうか。北郷、お前はそれでも生きたいと思うか?」
「…………、俺の希望は、秘密だ。たったひとりくらい不老が居てもいいんじゃないかとは思うけど……それはきっと、つまらないなんてことはないだろうけど、楽しいことでもないよ」
「ああ。俺もそう思う」
「………」
「………」
「そんな顔、しないでくれ」
「……そうだな。やれやれ、俺もすっかり“おじさん”だ。お兄さんじゃあ通じないっていうのも悲しいな」
「笑うと目尻にシワが」
「ぐっ……ほうっておいてくれっ! 生きている証拠だっ! ……おっと、それじゃあ俺は次の町に行ってくる。この世に病ある限り、医者に休みなど無いからな」
「片春屠くんで送っていこうか?」
「やめてくれっ! お前はこのあと休憩だろう!? そんなことを頼めばお前の娘達に殺されるっ!」
「ちょっと待て! さすがに殺っ…………こ…………せ、せいぜい……半殺し?」
「よし! 俺は走っていく! また会おう!」
「速っ!? あいつの氣も、大概普通じゃないよなぁ……はは……はぁ。───うん。長生きしてくれよ、華佗」
人の死を見届けると、心の中に穴が空く。
そのくせ、軽くなるどころかずっしりと重くなる。
都に住んでいたじっちゃんが死んだ時、自分の祖父の死を連想して胸が苦しくなったのを覚えている。
知り合いでこれなら、仲間である兵だったら? 関係を持った他国の将だったら? ともに生き抜いた魏の将だったら?
頭の中をぐるぐる回る恐怖を何度も何度も誤魔化す日々は、もうとっくに始まっていた。