真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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150:IF3/過去形にはしない想い③

 ……遠いいつかを思い出す。

 笑えた日々は遥かに遠く、悩んだ日々さえ今は遠く。

 恐怖した日を笑顔で噛み締め、笑みを作った日は振り向けばすぐ後ろに。

 ねぇ、と誰かが自分を呼ぶ声。

 振り向けば小さな子供が居て、抱き上げればきゃははと笑った。

 今、自分はどんな世界に立っているのだろう。

 笑っていられてるだろうか。

 元気に誤魔化せているだろうか。

 

  ある夜に怖い未来を夢に見て、泣き出した日を思い出す。

 

 そんな恐怖を空へと叫んだいつか。

 すっかり平和に満たされた黒の下、見張りも居ない城壁の上で、独りで泣いたいつか。

 気がつくと傍にきみが居て、いつかのように俺の頭を抱いてくれた。

 子供のように、「怖い夢を見たんだ」と言うと、ぽかんとしたあとに盛大に笑ってくれた。

 

  その日の自分は何人を見送ってきただろう。

 

 もう皺だらけになった手が、子供をあやすように頭を撫でた。

 「覚悟なんて散々としたでしょう?」と問いかけるように言う彼女に、俺は涙でしか返せない。

 こんな筈じゃなかったなんて言えばいいのだろうか。

 きっとこの世が平和でなかったなら、泣きはすれども次の戦のために立ち上がっていけたのだろう。

 でも、次へ備えるにはこの世界は平和すぎて。

 備えれば備えるほどに、失う度に心が砕かれ、涙が溢れ、声を枯らした。

 娘の外見が俺より大人のそれになり、孫にまでその過程を迎えられ、それでもその姿のままで生きてきた。

 約束を、誓いを果たそうと、年月を重ねるたびに弱っていくみんなに手を伸ばすけど、みんなはそんな手は借りたくないと断った。

 守られてばかりだったから守りたかった。頑張ってきた意味を、少しでも返したかった。

 そう言うと、彼女はまた笑った。

 

  もう十分に守ってもらったのだから。

  それ以上受け取ったら、もう返せないじゃない。

 

 穏やかな笑顔だった。

 俺は「返せてなんかない」って言うけど、彼女は首を横に振って苦笑を漏らす。

 そして言った。

 もう十分に返してもらった。国にも、自分たちにも。戦ばかりで尖るだけだった自分たちを、幸せなんてものを感じられるくらいに守ってくれた、と。

 そんなわけがない、と食い下がろうとする、涙をこぼしたままのいつまでも子供な俺が、そんな状態だったからこそ思い出した。

 

  免許皆伝なんて、一方が押し付けるものじゃあない。

 

 自分が返せていないと言い張ろうが、相手に返してもらったと言われてしまえばどうしようもないのだと。

 そんなことを思い出してしまえば、返せていないと強情に言い張ってしまった過去に後悔する。

 せめて返せたと言って、安心させて送り出せればと。

 もう戻れない日々を思い、涙は余計に溢れた。

 

  天の御遣いが聞いて呆れるわね、まったく。

  あなたね、姿はそんなでもいい歳でしょう?

 

 口調は変わらないままの彼女が、だというにただただやさしい手付きで俺の頭を撫でていた。

 突き放してからそんな言葉を言ったであろう日々だって、もはや遠すぎる。

 思い出すことなんてあんな日々の中で、心から笑えていたことばかりだ。

 アニキさんが結婚した日のこと。

 相手との間に生まれた子供が男の子で、アニキさんより俺のほうが燥いだこと。

 娘の結婚相手が今から首を吊りますって顔で挨拶に来た日のことや、わざわざ真桜に作らせてまで用意したちゃぶ台をひっくり返したあの日。

 成長したアニキさんの子供とキャッチボールをして、感動して泣いた瞬間に、子供が投げた球が股間に直撃して別の意味で泣いた日。

 “楽しい”ばかりに埋め尽くされた日々だった。けど、不安がなかった日なんて、きっとなかった。

 それでも楽しい日々は楽しいままで、いつしか作り笑顔と本当の笑顔の境界線があやふやになっていて。

 そんな日々の中でも、華琳は随分あっさりと人の表情に気づいて。

 

  悔しい

 

 泣きながらこぼした声に、頭を撫でる手が止まる。

 そしてある形に手を構えると、でしん、と俺の額を中指で弾いた。

 

  こんな空の下にまで辿り着いておいて、なにがよ

 

 夜だというのに見張りも居ない平和な空の下。

 山賊も盗賊も出ない平和へと辿り着いてどれほど経っただろう。

 日々はやることに事欠かず、仕事は探せば腐るほどあって。

 いつかに備えてと、腕を鈍らさないために鍛錬に付き合ってくれたみんなももう居ない。

 その技術を受け継いだかつての子供も立派な大人で、さらにその子供でさえ子供を持つ歳になっている。

 ……あきれるほどに平和な日々だった。

 見渡せば笑顔ばかりの日々に辿り着けたことを……そんな笑顔を見て、死んでいった仲間の……忘れてしまった仲間の笑顔を思い出せそうになって泣いてしまうくらい、平和な日々だった。

 桃を見ても、もう思い出せない。

 たくさんの笑顔に囲まれるたび、散っていった人たちの笑顔が塗り潰されてしまって、泣いたいつかもあったのに。

 こんな過去までいつかは笑い話に出来るようになってしまうんじゃないかって、それが怖くてまた泣いた。

 いろいろな想いが過去になる。

 いろいろな思いが新しい景色に塗り替えられてゆく。

 望んでいた筈の未来に、覇道に辿り着けた筈なのに、どうして泣いてばかりいるんだろう。

 

  いいのよ、これで。

  これこそ皆の覇道の果てじゃない。

  そして、私で最後。

 

 戦の中を生きた者は、もう彼女と俺だけだから。

 そんな果てまで、彼女は付き合ってくれたから。

 俺が独りで泣いてしまわないようにと、薬で姿を偽らずに、そのままで。

 そんなことを考えたからだろう。

 口から、「……華琳は、薬を飲ギャー!」ついこぼれた言葉に、額がビシャームと叩かれた。

 ぐおお、こんな老体のどこにこれほどの力が……なんて、いつかを思い出すような口調で言ってみれば、彼女は……やっぱりただただやさしい笑顔のままに返した。

 

  あら。使ってほしいのかしら?

 

 これが、出会った頃の彼女だったら、ニタリと見下ろすような視線で見てきたのだろうに。

 ……ああ、そうか。

 これが、老いとともにただただやさしくなっていく、ってやつなのか、なんて……静かに染みこんでいくみたいに心が納得してしまった。

 ……使ってほしい。

 素直にそう思った。

 願わくば、みんなのようにあの頃の姿のままで眠ってほしいと。

 きっとこれは我が儘だ。

 今だからそう思う。

 みんなも自然のままに眠りたかったに決まっている。

 なのにわざわざ薬で若返ってから眠りについたのは……

 

  ……ずるいよな、みんな。

 

 きっと、俺がこの姿のままで生きているから。

 だから、別れるのならあの頃の姿のままでと。

 

  なによ。今頃気づいたの?

 

 ずるいよな、という問い掛けに、彼女は呆れた風情でそうこぼす。

 そう、ずるい。

 今際の際にそんなことをされたら、もう返せない。

 もう言葉も、行動も、なにも返してやれない。

 だからせめて、気づけた今は。気づけたこれからだけは。

 

  ええ、いいわよ。眠りにつく前に若返るくらい。

 

 なんでもないようにそう言う彼女は、本当に、どれだけ歳を重ねても彼女だった。

 ───そんな笑顔まで、いつかは消える事実に、自分は……どれだけの覚悟を重ねれば笑顔を作れるのだろう。

 

「……じいちゃん……俺……わからないよ……」

 

 どれだけ頑張っても、強くなっても、わかりもしない答えを……誰かに教えて欲しかった。

 

 

 

204/あの日のような黒の下で

 

 ───……よく晴れた日だった。

 朝から雲ひとつ無い日。

 今日一日をともに過ごしなさいと言った彼女はいつの間にか若く、あの頃の姿のままで、俺の部屋をノックした。

 

「なによ」

「………」

「な、なに、よぷっ!?」

「……、……っ……ふ、ぐぅぅ、ううう~……っ……!!」

「なっ……!? …………はぁ。一刀、あなた涙もろくなりすぎていない?」

「だって、だって華琳が、華琳がぁあ~……!!」

 

 目の前に、ちっこい華琳。

 言ったら刺されるだろうから言わないけど、ちっこい華琳。

 あの頃の華琳だ。

 嬉しくて抱き締めた。

 静かに、決して壊さぬよう、やさしく。

 

「はぁ、まったく。ほら、いいから行くわよ。ああ、服はいつものアレにしなさい。フランチェスカといったわね」

「……発音とか、もう完璧だな……」

「知らない知識を頭に入れることは楽しいことよ。興味が向いているものに限るけれど」

 

 言われるままに着替えてから部屋を出て、歩き出した。

 促されるままに歩く日々が来るたび、視界が滲むのは何度目だろう。

 何度も何度も繰り返される出来事が、その度に自分の中のなにかを削っていった。

 ───最初は誰だっただろう。

 ノックされて、開いてるぞ~なんて暢気な声を返してみても誰も入ってこなくて。不思議に思って扉を開けたら、若返った彼女が居て。

 戸惑いながらも話を聞けば、この姿ででぇとがしたいなんて言い出して。

 それで……………………それで。涙をぼろぼろ流して、動かなくなった彼女へすがる俺だけが残されて。

 

「それで華琳? 行くって何処へ?」

「一刀。片春屠を出しなさい」

「へ? 遠出か? そりゃいいけど、それこそ何処へ?」

「魏よ。一日と掛からず全速力で飛ばしなさい」

「相変わらず無茶言うねお前!」

「あら。あなたこそ、随分と乱暴に物事を言うようになったじゃない」

「……こんだけ一緒に居れば、遠慮なんて無駄だって嫌でも悟るよ……」

「……ええ、良い心掛けね」

 

 歩いて、片春屠くんが置かれている倉まで行き、そこからは大急ぎ。

 呆れるほどに改良が加えられたこの絡繰も、弱い氣で随分と素早く動くようになった。

 ……眠りにつくまでとことん絡繰に熱心だった彼女も、こうして眠った後も使ってもらえているのなら本望……なのだろうか。

 いつまでも使ってほしいな、なんて言葉を最後にされては、どれだけ大事にしたくたって使わないわけにはいかない。

 本当に、みんなずるい。

 

「それでー!? まずは魏の何処に行くんだー!?」

「許昌へ行きなさい! ともかく速く!」

「許昌!? 精々で国境近くとかじゃなくて!? 一日掛からずって……ほんと無茶言うなぁもう!」

「その無茶を通したからこそ今があるのよ! いいから進みなさい!」

「だー! わかったから髪の毛引っ張るなぁっ! 子供かお前は!」

「……いいのよっ。過去に出来なかったことを、今やっているだけなのだから」

「へー!? 風強くて聞こえなかった! 今なんて言ったー!?」

「さっさと進みなさいと言ったのよー!」

 

 速度を出しすぎて、叫ばなければ声が届かない状況でも、何があったのか彼女はとても元気だった。

 そんな速度で行けば国境もあっさりと見えて、敬礼されつつ魏の領土に入れば、また大急ぎで許昌を目指す。

 途中途中で様々な町に寄って、もはや知っている顔の方が少なくなってきた蒼の下に、どうしてか……こんなにも平和な世界へと辿り着いたというのに、虚しさが胸をついた。

 みんな、俺が御遣いであることは知っていた。

 華琳を見た時は、教科書の人相描きと瓜二つだっていうんで様々な人が驚いた。

 自分が曹孟徳である、なんて言えば笑われるだろうと思ったのか、華琳は……───それでも胸を張って「我が世の覇王、曹孟徳である!」なんてノリノリで胸を張り、腕まで組んで言ってみせた。

 子供達、爆笑。

 少年少女は「すげー! すごーい!」なんて驚いて、大人は「あらあら」なんて微笑んで……老人は深々と頭を下げた。

 もちろん、無礼であるだなんて理由で人の首が飛ぶ時代なんて、とうに過ぎ……俺達がそうなるように働いたからこその、随分と静かな平和が、そこにはあった。

 無礼がすぎれば死刑もある。そこらへんはまだまだ上が束ねなければ、無法者が増えるだけだとの助言だ。

 けど、今の時代に華琳が、かつての姿でそんなことを言ったところで若い者は本人であるだなんて思わないのだ。

 言ってしまえば、今この瞬間では明らかに華琳が浮いてしまっているのだから。

 

「……寂しいって……そう思っちゃ、いけないんだよな」

「良い世の中じゃない。願って、その場へ辿り着けたのよ? 民は私たちの思い通りに動く駒ではないのよ。胸を張りなさい」

「いずれ自分たちの手で、世の中を動かしていけるまで、なんて……それ、ただ俺達が損してるだけじゃないかって思う時があるよ」

「あら。願いは叶ったのだから当然でしょう? なにもせずに任せるのは、世を束ねようと立ち上がり、束ねれば“任せた”と言って投げ捨てるのと同じよ。何かを成功させるのであれば、自分が持つもののなにから何までを犠牲にしていいのか、きちんと決めて動くべきだわ。私は覇王となって、自分の持てる限りで理想の天下に辿り着くことを心に刻んだわ。私だけの道ではなく、三国の王や将や民が手を取って辿り着く場所。そこがここならば、一体何を損と謳うべきなのかしら?」

「……相変わらず、理解が早いっていうか早すぎるっていうか。もっと我が儘を言ってもよかったんじゃないかって話をしたいんだよ、俺は」

「我が儘?」

「命懸けで戦って、世界を平和にしてさ。その後にやることが世界平和の維持、って。命懸けで戦うだけじゃ足りなかったのかなって……今になって思うんだ」

 

 みんな必死だった。

 知恵を絞って状況を見極めて、兵の命だって一人や二人では済まないくらいの数を背負って、一度のミスが沢山の命を散らしてしまう状況の中を駆けてきた。

 そんな世界をようやく乗り越えてもまだ、人々が安定して暮らせるまでを見る必要があった。

 わかってはいるんだ。

 民が維持してくれたもののお陰で戦ってこれたことくらい。

 それに報いるためにも頑張って、それこそ死闘を超えて辿り着いてもまだ……どれだけ平和になってもまだ、いつまでも王でいなければいけなかった事実が、少しだけ悲しかった。

 いつまでも王で居る必要なんてないんじゃないか?

 どれだけそう言ったって、彼女は結局王で。

 我が儘らしい振る舞いはそりゃあしてきたけど、結局はそれが“国のため”に繋がっていた。

 結果で誰かが幸せになれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

 そう思ったことだってもちろんある。何度も思ったことだ。

 でも……じゃあ、華琳だけのためのものって、いったい何があったのだろう。

 そう訊ねてみると、彼女は驚いた表情で俺を見て……そのまま何故かポムと赤くなって、俺の足をドゲシと蹴った。

 

「なっ、なんで蹴っ……!?」

「何度言えばわかって、何処まで近い言葉を言えば理解出来る鈍感なのよあなたは! 失敗があっても不都合があってもあなたを放さなかった理由を考えればわかりそうなものでしょう!?」

「へっ!? あ───え、えぁぁああーっ!?」

 

 けど、まあ。

 我が儘っていうのは、人に知られずに実行されていることの方が、言葉通りの意味に近いのかもしれない。

 数十年、手放すことなどしなかった御遣いが居ることが、彼女なりの我が儘だったというのなら……なるほど、出会いから加入、それからの日々を思えば、確かにそれは彼女の我が儘だったのだろう。


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