「……そういえばさー! 城にあまり人が居なかった気がするんだけどさー!」
「仕事を頼んだのよ! 少し遠出をしてもらったわ!」
「遠出ー!?」
町を巡り、時に買い食いをし、街の責任者と挨拶を交わして、時に挑まれては勝ってみせて。笑いながらの旅は続いた。
華琳が仕合ってあげると言った時は、挑んだ青年はぽかんとしていたが……ええまあ、何処から出したのかわからない絶にまず驚愕。次いで、華琳の実力にも驚愕。
お名前をとすがる青年に、華琳は無邪気な笑みをこぼしてこう言った。
“誰でもいいわ。ただの、この男の妻よ”、なんて。
当然、俺が誰なのかを知っている青年は驚いて、それよりも俺が驚いて、しかし嬉しかったのでそのままの勢いでがばしーと抱き締めたら、サクリと絶で刺されて絶叫。
相変わらずの反応だった。
「いや……でもさぁ、なにも刺さなくても……。あんな顔で、華琳があんなこと言うなんて……嬉しかったのに」
「だとしても時と場所を弁えなさいっ!」
「弁えたら抱き締めていいのか!?」
「……あなた、本当に度胸だけは無駄についたわね」
「実力だってついたよ。胸張れるほどかは別として」
「まあそうね。いつまで子供や兵たちに鍛錬をさせるのかと呆れたものだけれど。確かにお陰で、ここに攻め込む愚か者は居ないわね」
「まあ……誰が好き好んで、兵士までもが氣を使って戦う国と戦うかって話だよな」
「問題点があるとすれば、殺し合いをしたことがないところでしょうね」
「実戦を想定した鍛錬なら随分やらせたんだけどなー……殺し合いはさすがにさせるわけにはいかないし」
「……それで? そこまで鍛えた理由はきちんとあるんでしょうね」
じとりと睨まれて、笑った。
言ってしまってもいいだろうかと思うも、心配なんてないままに眠ってくれたほうがいいとも思うのだ。
「鍛えた理由かぁ。この世界を肯定し続けたかったから、かなぁ」
「肯定?」
「そう。たとえばこんな平和な世界なんて要らない~なんて言って攻めて来る人が居たとしてさ? そういう人達からこんな平和を守っていけたら、それって肯定にならないか?」
「……本当に、あなたってよくわからないことを行動理由にすることがあるわね。それだけが理由なの?」
「そ」
「呆れた。もし民が徒党を組んで謀反したらとか思わなかったの?」
「したらしたで、それでいいんじゃないか? 今の平和を否定するなら、俺も全力で肯定するだけだよ。話し合おうともせずに、教えてもらった武力で立ち向かうなら、同じ武力で叩き潰すだけだ」
「話し合いしか出来なかったあなたが、強く出るわね」
「……力を振るう恐怖は、もう散々覚えたよ。初めて蜀に行って自己紹介した時に、特に。だからこそ振るおうって思える。守りたいものを守るために身につけた力だもん、そこで使わなきゃ嘘だ」
あの日から今まで、自問自答をした回数なんて数え切れない。
どれだけ綺麗ごとを並べようと、振るうのは力で、貫くのは自分の意思だ。
それが、相手の希望を挫いてまで目指したいものかどうかを何度も何度も考えた。
相手を尊重することを考えれば大人しく否定されるべきか? それはつまり、この世界を諦めることか? それとも、そもそも相手の否定が外史の連鎖の否定であって、この世界単体の否定ではないのなら……そう考えることもあった。
けど、“肯定の可能性”のひとつとしてこの世界があるのなら、譲ってはいけないことの一つなのだろうと信じて、ここまで来た。
……答えのない未来ほど不安に思うことはない。
それで合っているのかと、何度だって不安に思った。それは、それこそ今も。
その度に、“そんな日々は当然だ”と言い聞かせて歩いてきた。
天狗になって調子に乗って、鼻を折られた日から今までも、日々はずぅっと不安で満たされていたのだから。“今さらだ”と一度だって笑えてしまえば、不安に囚われ続けることなどないのだと。
……そうは言ってもやっぱり人間だから、不安は残るんだけどね。
「な、華琳。お前の願い、きちんと叶ったかな」
「あら。あなたは……私が己の願いを叶えもせず、この歳になるまで燻っていると思うのかしら?」
「そうだなぁ。たとえば現状に満足しちゃって、目指すまでもない~とか思っちゃったとか」
「……この国に住む全ての民の平穏と幸福。そんなものはとっくに叶っているわよ。叶った時点で他の願いも目指し、全て叶えた。満足しているわよ」
「そっか」
「………」
「………」
魏の国で見上げる蒼の下、ふと途切れた会話。
それが嫌な空気に変わることもなく、ただ、ともに居られる時間を惜しむように歩いた。
片春屠に乗れば、また叫ぶように目的地や状況についてを話し合って、次に着いたら降りてから話して。
「俺さ、今日……最初に華琳に何処に行くのかって訊いた時、“成都へ”って言われるんじゃないかって思った」
「成都へ? 何故そう思うのよ」
「今日の華琳みたいに若くなったみんながさ、初めて出会った場所に行きたいって言うんだ。そこでお別れをした。子供や、今まで付き合ってくれた仲間の傍じゃなくていいのかって言ったところで、別れは済ませたからって笑うんだ」
「それでどうして成都になるのよ。私があなたを拾った場所が成都だったとでも言う気?」
「わかってて訊くのは反則だろ……」
「覇王を泣かせた罰よ。甘んじて受けなさい」
戦が終わった成都の、黒の下。
流れる川の傍で消えたいつかを思い出す。
似たような川が魏にも呉にもあったっけー、なんて思ったのもいい思い出だ。
「そういえば。再会は川の傍だったよな。あれってやっぱり、別れたところと似てたから───ベンケェ!?」
「うるさいっ! 余計なことはいいから次へ行くわよ!」
「いっちちちち……!! はぁ……ほんと、結局こんな関係は出会いから今まで、変わらなかったよなぁ」
「………」
「……あの。なに? その“なにを言っているのよこの馬鹿は”って顔」
「出会った頃から変わっていないのなら、あなたが三国に与える影響なんて些細なものだったと言いたいのよ。適当に拾っただけの、利用価値が曖昧な者に重要な仕事を任せる馬鹿が何処にいるの?」
「……いや、うん。ごめん、そういう意味で言ったんじゃなかったんだけど。そうだよなぁ、実際に変わってないなら、女好きの華琳が俺と───いたっ!? でっ! ちょっ! 痛いって! 泣き所はやめて! 弁慶が泣いちゃう!」
「あなたは……! いちいち人の恥ずかしいことを抉らないと気がすまないの!?」
「そんなつもりは微塵もなかったんですが!? ていうかそれだけは華琳に言われたくない気がする!」
やりとりは変わらない。
学を得て、少しは魏のために貢献出来るようになって、それこそ……警備隊の案でやることが安定した頃から。
眠りにつかんとする秋蘭に随分とお礼を言われたっけ。
華琳様を支え続けてくれてありがとう、かぁ。
ほんと、最後の最後まで華琳様だった。秋蘭も、春蘭も。
最後くらい、自分の我が儘を押し付けてくれたってよかったのに。
「………」
それが俺の“守りたいもの”に繋がるかもとか考えたのか、終わりが近づくにつれ、みんなは俺に何かを残すことはしなかった。
遺言らしい遺言もなく、ただ、ともに歩めてよかったと。
本当に、言葉にしてみればなんでもないことだけを遺して、彼女たちは逝った。
「……なぁ。都にみんなが居なかったのってさ」
「ええそうね。許昌に呼んであるわ。流石に全員とまではいかなかったけれど。最後くらい、我が儘を言ってみようと思ったのよ」
「………」
「自分の最後くらいはわかるわよ。戦から離れて数十年と経てど、この身は武人のそれだもの。己の死くらい感じられるわ」
「最初から、そういう話だったもんな。最後の時くらい、若返ってもいい、って」
少女のままの彼女が笑う。
戦があった頃は滅多に見ることの出来なかった、それこそ少女のままの笑顔。
ふと、抱き締めて逃げ出したくなってしまうのはどうしてだろう。
目的地に行かなければ、まだずっと、こんな夢が続いてくれるんじゃ……なんて、そんなことを考えてしまう。
みんな同じだったんだ。
みんなが望むからと行きたい場所へ連れていき、その度に終わりを迎えて涙した。
今この時も、それが待っているとわかっているからこそ、心から行きたくないと───
「……俺。もう何度もお別れをしたよ」
「そうね」
「いつかはくることだってわかってた。当たり前のことなのに、辛くてさ」
「……ええ」
「最初は強くあろうって、笑顔で見送るんだ。でもさ、何度もやってるとそんな我慢もきかなくなってさ」
「……そうね」
「あとになって悔やんだよ。後悔って、ほんと文字通りの言葉だ。……別れの時に無理に笑ったって、相手に不安が残るだけだ。むしろ……どうして俺は、心のままに別れを悲しんでやらなかったんだって……」
「………」
「………」
思い出して、少しツンときた鼻をすすって、歩く。
再び片春屠に乗って、次の町へ。次の町へ。次の町へ。
それこそ、民に別れを告げるように、華琳は笑顔で訪れる町を歩いた。
誰もそれが覇王であると気づかぬまま。
気づいた者だけが何処か懐かしい日を思い出すように笑みを浮かべ、体を曲げて頭を下げた。
もう、町の人も知っている。
若返った人が町を訪れるのはこれが最初じゃないから、知っている。
この来訪が何を意味するのか。
この来訪ののちに、なにがあるのか。
だからこそ頭を下げ、小さく笑みを浮かべるも何も言わずに擦れ違う華琳に言った。
平和を、ありがとうございました
途端、華琳の足が止まりかける。
余裕を持った表情は一瞬にして砕けかけて、それでも彼女は歩いて……
こちらこそ、感謝を
そう残し、互いに擦れ違った。
……王だけが居て勝てる戦いなんて、きっとない。
民が生きる糧を用意して、その民を守る者が居て、戦う者が居たからこそ手に入れられたものがある。
だからこそ、感謝を。
生きてくれてありがとう。
平和をありがとう。
生き続け、迎える終わりを前に感謝されることほど、満たされることなどきっとない。
自分の人生は感謝されるほどに立派であったと胸を張れる。
……凪が眠りにつく際、数え切れないほどのありがとうを伝えた。
その時に、彼女は笑顔でそう言った。
満たされたまま逝ける自分は幸せですと。
「…………俺は」
そして、また見送るのだ。
満たされた人を。
残される自分が、何度も何度も。
自分が消える際、自分は満たされているのだろうか。悲しんでくれる人は居るのだろうか。
ともに居たいと願った人が次々と眠りにつく中、俺の願いがいったい何回叶っただろう。
そんなことを懲りもせず考えて………………俺はまた、泣くのだろう。