205/物語というもの
許昌の町を出てその先へと進めば、すぐに白の軍勢が目に付く。
満月とはいえ夜空の下でも目立つほどの白、白、白。呆れるほどの数だ。
どうやって一瞬にして、なんてことは……きっと道術の類だと早目に納得してしまったほうがいいのだろう。
そんな、視界を埋め尽くさんとする数を前に怯むことなく立ち、息を吸って、吐く。
「久しぶり、と言うべきか?」
その拍子、現れたのは一人の男。
額に妙な紋様のある───……フランチェスカの制服を着た男だった。
「既に知っているだろうが名乗らせてもらおう。左慈だ。この外史を否定する、貴様の敵だ。……ああ、服のことは気にするな。あの日の借りを返すため、あえてこの服装をしているだけだ」
「……そっか。ああ、あんたの存在は知ってる。あんたと戦うために、ずっと鍛えてきたんだから」
広い広い平原を埋める白い法衣のようなものを纏った存在。
それぞれが確かに武器を持っていて、しかし微動だにせず立っている。
普通は揺れたりするだろうに、立っていることに少しの疲れも見せないように、まるで風景のようにそこに存在していた。
「後ろのやつらが気になるか? ……安心しろ、俺がやつらをけしかけることはない。于吉のヤツがどう出るかは知らんがな。貴様のお陰で随分と苦労したが───それも今日、ここで終わる」
「……確かめたいことがある」
「馴れ合いはしない。貴様が肯定に走る以上、俺の願いを否定するも同然だ。そして、俺は貴様の願いの全てを否定したい。散々と苦労させられたんだぞ、貴様の存在そのものを否定して、この外史という連鎖ごと消してくれる!」
「じゃあ俺はこの世界を肯定しないから、俺の否定と一緒にこの世界を肯定してくれ」
「ふざけているのか貴様っ!!」
言い回しが気になったから試しに言ってみたら、怒られてしまった。
俺の願いを否定するって言ってたのに。
「悪い。散々と振り回された結果、無駄に度胸だけはついてね。別れには未だに慣れないけど……戦うことへの覚悟は、もう嫌ってくらいにしたよ」
「……フン、ならばいい。この時までを待って、貴様が一瞬で死ぬようならばそれはそれで歯応えがない。あの瞬間、貴様が邪魔をしなければ、俺は───」
「それは俺じゃない俺だから、俺に言ったって仕方ないだろ。そういうの、逆恨みって言うんだぞ」
「うるさい黙れ分かっている!!」
……えーと。まいったぞ、こいつ結構からかい甲斐がありそうで困る。
それこそ……あれだ。別の出会い方をしていたら、友達にでもなりたいって性格をしている。
「くっ……おい、北郷一刀。俺と貴様はこんなくだらないことを話すために、この場に立っているわけじゃないだろう」
「ああ、そうだな……。じゃあメシでも食いに行こう」
「何故そうなるっ!!」
またしても、言ってみたら怒られた。
……正直な話をすれば、大切な人と別れたばかりなのに、戦いなんてものはしたくない。
やらなきゃいけないことがすぐ目の前にあるのはわかっている。
けど、別れにはいつまで経っても慣れてくれないんだ。
どれだけの覚悟を決めたって、どれだけの時を生きたって、こぼれる涙を止める術を時間以外に知らないんだよ、俺は。
笑ったって涙は出る。楽しくたって、どうしようもなくこぼれるものを知っている。
だから……話でもして、意識を前に向けなきゃやっていけない。
そんな弱さに気づいたのか、左慈が俺を見てフンと笑う。
「……弱いな、貴様は」
「自分が化物だなんて悟れるほど生きてないんだ。それは見逃してくれ、先輩」
「………」
「………」
見つめ合い、互いに前に出た。
突き出せば拳が当たる距離。
そんな距離で、左慈は静かに構えを取る。
「聞かせろ。貴様はこの世界に、外史というものになにを願う」
「想像することの自由を」
「その想像の度に振り回されると知ってもか。願われる度、くだらん“こうだったらいい”に振り回されるんだぞ。似たような世界をほんのちょっと違うだけの世界として、幾度も幾度も……! 自分がこんな結末は嫌だと変えようとすれば、鋭い頭痛とともに己を消され、目覚めればまた一からやり直し……そんな世界を何度もだ!」
「……うん。正直、繰り返さなきゃわからないことだ。俺がどうこう言える問題じゃない」
「ああそうだ。だから言ってやっている。本来ならばすぐさまに殺してやりたいところだが、話をしてやっているんだぞ」
「左慈、お前ってさ。野菜星の王子だったり───」
「なんの話だっ!!」
「あ、じゃあステーキが好きな、どこぞのお嬢様のボディーガードの」
「だからなんの話だっ!!」
「……実は人造人間で、ロケットパンチが出来たりとか」
「……造られた存在という意味では変わらんが、ロケットパンチなんぞ撃ててたまるか!」
ツッコミのごとく振るわれた蹴り。
それをよく見て、氣を込めた手でパンと弾く。
「! ……ほう? 少しは出来るように鍛えてきたということか。そうでなくちゃ面白くない」
「必死に鍛えたからなぁ……っていうかな、攻撃するならするって言ってくれないと、後ろの皆様が怖いんだが」
「別に俺は何人で来ようが構わんぞ? ただし、間違ってくれるなよ北郷一刀。この戦いは俺と貴様とで決着をつけなければ繰り返すだけだ。それこそ、貴様は帰るべき外史との繋がりを失い、俺達のように剪定者として確立されることになる」
「こっちだって、そっちの白い軍勢が突撃してこなきゃ、他を突撃させる気もないよ。……わかってる。これは、俺とあんたの戦いだ。決着をつけるために鍛えてきたんだ、それを間違ったら意味が無い」
「………」
「………」
再び構える。
武器を持たない左慈は、構えからして蹴り技重視。
こちらは腰に木刀、手と足には手甲と具足。
けれど相手が戦う意思を完全に解放していないから、武器はまだ手に取らない。
「北郷一刀。この場で勝った者……俺と貴様のどちらかが銅鏡を手に、願いを叶えることになるだろう。俺は否定、貴様は肯定」
「ああ、そうだな」
「貴様は何を願う? 肯定は当然だ。だが、肯定にも望み方というものがあるだろう?」
「……そういうあんたは? 人に訊くなら、まずは自分からだろう」
「フン、口の減らん野郎だ……。俺は貴様という存在を消し、外史全てを否定することを願う。正史のみがそこにあればいい。願われるだけ繰り返す世界なぞに興味はない。飽きるほど知り尽くした世界の中で、尽くして悦べるほどマゾじゃない。笑顔だのなんだののために、何故俺達が苦痛を感じなければならない」
「……今、こうすることで苦痛を感じることはあるのか?」
「曹操は死んだんだろう? この世界の主が死んだ世界を他人がどうしようが、もはやそこに理は存在しない。だから今を選んだんだ。全力で貴様を殺せる今をな───!」
構える左慈の手が、軽く構えられたソレからギリリと力強いソレへと変わる。
そんな鋭い怒りを真っ直ぐにぶつけられても、俺は───
「じゃあ。俺は……そんな考えも肯定する世界を願うよ」
「なに……? 貴様、何を馬鹿なことを───」
「世界っていうのはさ、肯定も否定もあって、初めて完成するものだって思ってる。否定だけじゃ何も産み出せないし、肯定だけしてたって間違いには気づけない。……左慈、俺は今日まで誰にも言ってこなかったけどな。俺が願う肯定っていうのは、そういう肯定だ。“否定も肯定も合わせた世界を肯定する”。大体、この外史を生きてみて、自分の意思を通せたことの方が少ないんだ。そんな否定だらけの世界でも肯定したいって思える今を、最初っから否定するなんてもったいない」
「……ならば、貴様は」
「繰り返すことが嫌なら、繰り返さないことを肯定すればいい。否定癖なんてつけてないで、頷ける自分作りも始めようぜ、先輩さん」
言って、軽く拳を振るった。
左慈はそれを軽い動作でパンと弾いて、それから……俺の目を真っ直ぐに見て、笑った。
「それが貴様の願いか。そんなものが。そんな願いを叶えて、自分の外史さえも諦めるつもりか!」
「いや全然。むしろそれを願ってからじゃないと、本当の願いには届かないんだ。だから───あんたの願いも肯定するけど、負けてやる理由には全然、これっぽっちも繋がらない」
「なに……!? なにが言いたいんだ貴様!」
「なにが言いたい……ああ、えっと、うん。───肯定者北郷一刀! あんたをぶっ潰して自分の願いを叶える! 肯定することは当然のこととして胸に刻んだ! ここであんたを殴るのは、一人の北郷一刀として行き場の無い鬱憤を身勝手に晴らしたいだけだ! 文句あるか!!」
「なっ……!? ああいいだろうかかってこいこの見境無しの種馬野郎! 俺だって貴様が最初の北郷一刀とは関係ないことくらいわかっている! これだって立派な八つ当たりだということもわかっている! だがそれでもそれが決着に繋がる! ようやく解放されるんだ俺達は! だから……貴様を否定する! 文句はあるまい!」
「大有りだこの馬鹿! 逆恨みで存在ごと消されてたまるか!」
「こっちだって大有りだ! 苛々するんだよそのツラその格好! 人の希望をくだらん正義感で文字通り砕きやがって! カケラを追って来てみれば、貴様は守られながら女どもと幸せそうに……そんな世界を何度見せられたと思っている!」
「……ちょっと待て、もしかしてあんたの行動理由って妬みとか」
「そんなわけがあるか殺すぞ貴様!!」
本気の殺気をぶつけられるほどに違ったらしい。
でもなるほど、確かにそうだ。
ようやく希望を手に入れたのに邪魔されて、希望を砕かれて、それでもカケラを集めて願おうと思ったら、そのカケラ的存在が幸せになる外史ばかりを繰り返し見せられたら……うわあ、最初の俺を、俺こそが殴ってやりたい。
「俺はただ、北郷一刀というファクターによって作られたこの世界を壊し、俺の願いを叶えたいだけだ!」
「俺も最初の北郷一刀はブン殴ってやりたいけど、一緒に俺まで否定されるのは冗談じゃない。だから、全力で抗う」
「当然だ。それとも何もせずに死んでくれるのか?」
「いや。ただ、負けた時は……友達にでもなろう」
「正気で言っているのか? 俺は、殺すと言っているんだぞ」
「外史は否定すりゃいいさ。負けたなら従うのが当然。この世界で学んだことだ、逆らう気はない」
「……ほう?」
その時、初めて興味を持った目で見つめられた気がした。
まあ、それも当然なのだろう。
怨敵に抱くのは興味じゃなく、憎悪なのだから。
「けど、下した相手と手を取って明日を見たことも、この世界で学んだことだ。俺はそれを否定したくない」
「おい待て貴様。負けた上で、まだ肯定云々をほざく気か?」
「選択肢をひとつだけしか用意しないのはつまらないだろ」
「ならば貴様が俺に勝った時は、俺に友達になれとでもほざくつもりか?」
「いや殺す」
「鬼か貴様は!!」
息を吸って、吐く。
心を、戦場へと持ってゆく。
華琳は死んだ。みんな、死んだ。
もうかつての仲間は居ない。
かつてともに戦場に立った兵も、とっくに家庭を持ち、自分の故郷へと帰った。
戦を知るのは自分だけだ。
けど、相手も一人だ。
学んだことを全て活かせ。
与えられたもの全てを用いて実力以上の世界へ到れ。
そのための準備だった筈だろう? 北郷一刀。
「………」
手甲、具足、衣服に付けられた幾つもの絡繰が音を慣らす。
ひとつひとつに氣を装填しておけるものだ。
当然、手甲にも具足にも、それ自身に氣を込めてある。
氣脈の強化も十分だ。
それだけやってもまだ、勝利に確信を持っているかと言われればNOだ。
結局俺は、愛紗には勝てなかったから。
それに、歳を重ねるごとに、彼女たちがいつまでも武器を振るってなどいられなくなったのが最大の理由だ。
それは、主に俺が遠慮した。武器を振るうばかりでなく、女性として幸せになってほしかったからだ。
そうして重ねた日々の結果が、華琳が言うように幸せの上で眠りにつけたというのなら……それは、彼女達を守れたこととして、誇ってもいいのだろうか。
今となっては、もう誰も答えてくれない。
「フッ……いい具合に目が濁り始めているじゃないか。そのまま傾き、否定に染まってしまえばいい」
「傾いたら傾いたまま肯定するさ。あんたが年齢的にガンコなジジイなら、俺だってもうそんな歳だ」
「そうか。それは残念だ。ならば───」
「ああ、だから───」
距離をさらに縮める。
「貴様の存在を───!」
「それでも、これまでの道も、あんたの今までの人生も───!」
腕をどう振るおうがぶつかるような距離で睨み合って、やがて───
「否定する!」
「肯定する!」
否定と肯定が、拳と足をぶつけ合った。