……胡蝶の夢って言葉がある。
あの世界が本物なのか、この世界が本物なのか。
それとも、今見ているこの景色こそが全部夢で、産まれた日から今日までの全てが、蝶が見ているものなのか。
長い長い時間を生きて、人の死も誕生も見届けて、少しは悟った風な考え方が出来るようになっても、目指すものなんて変わらない。
歩きたい道だって、あの頃からちっとも変わってやしないのだろう。それこそ、夢であろうと現実であろうと。
だから、まあ。
俺達が所詮、夢を見ている蝶なのだとしても───蝶ならば舞おう。
人であるなら歩いてゆこう。
それだけの違いだ、生きる事実は変わらない。
「ていうかさ! 身分証を作るにしても、全員この格好で行くのか!?」
「? 当然じゃない」
「あっちではそうでもこっちじゃ当然じゃないからね!? ああもうとりあえず全員家に来てくれ! こっちの服、出来るだけ用意するから!」
『……。───家に……』
「ヒィ!? なんか一瞬にして空気が凍った!?」
「おーっほっほっほ! ではこのわたくしが! まずは一刀さんのご家族に優雅な挨拶をして差し上げますわっ!」
「か、家族に挨拶かぁ……。したいけど、その家族にまで“なんだか普通な人ですね”とか言われたらどーしよ……いやいやっ、むしろこの中で、その普通さが気に入られたり……!」
「お嬢様っ? ここは一刀さんのご家族に、私たちを売り込む良い機会ですっ! 上手く気に入られれば、華琳さんを出し抜いて正妻に……!」
「おおっ!? それはなかなかよい考えじゃのっ! でも主様に迷惑がかからんかの……」
「そんなことをいちいち気にしていては正妻の座は手に入れられませんよー? むしろ迷惑をかけるくらいが丁度いいんですっ、はいっ」
「お前はちょっとは人の迷惑っていうのを考えような!?」
一気に騒がしくなった大所帯。
みんながみんな、家に行く=ご家族への挨拶と受け取ってしまったようで、騒がしさも
「むうっ……天では武を競う催し物が何度も行なわれていると、いつか北郷が言っていたな……。その武で頂点を取れば……いや、今は武は忘れ、女として……いやしかし武は……いや……武……」
「あっはっは、華雄は相変わらずやなぁ。けど、一刀の家族かぁ。ウチは一刀のじーちゃんに会いたいなぁ」
「応。なにせ北郷の祖父じゃ、いい酒が飲めるじゃろう」
「楽しみよなぁ。ただまあ心配ごとがあるとすれば……この姿で、果たしてお館様の祖父が酒に付き合ってくれるかどうか」
「二人とも? それ以前に、こんな大勢を受け入れてくれるかの問題を忘れているわよ」
「紫苑は固いのぅ。まあ……かっかっか、酔わせてしまえばどうとでもなるじゃろ」
「ねーちぃちゃん。アイドルとして売り出せば、一刀のご両親にも気に入られるかなぁ」
「そりゃもちろんでしょ! 天下に轟く数え役萬☆姉妹の名は伊達じゃないわっ!」
「待って姉さん。一刀さんに聞いた話だと、アイドル活動を嫌う人も居るって……」
「えぇえっ!? そうなの!?」
なんかもう、騒がしさなんて自分の日常を構成するものの一部だ、なんて思ったほうが楽しいんだろうな、なんて奇妙な諦めも走る。
諦めなのに、顔は笑ってるんだからどうしようもない。
「おおぅ……皆さん必死です……。確かに気に入られるなら第一歩が肝心ですねー……。稟ちゃんはなにか良い策はありますかー?」
「無理に飾らず正攻法で。これに勝るものはないかと」
「ですねー」
「た、隊長の家族に……隊長のご両親にご挨拶……! あ、あわわわわ……!」
「おわー! 沙和!? 沙和ー! 凪が真っ赤になって目ぇ回しとるーっ!」
「凪ちゃん!? しっかりするのーっ!」
「お、お義父さま! お義母さま! 隊長を……私にください!」
「いきなりなに!? ちゅうかウチにそれ言ってどないすんねん!」
「そもそも隊長って言ったって、相手には通じないと思うの……」
「なんだなんだ情けない。挨拶と言っても相手は北郷の親だろう? 気負う必要などあるまいっ」
「それはもちろんだが、姉者。なにか良い挨拶でも思いついたのか?」
「ああっ! 北郷自身が言っていたことだっ! 人心は胃袋で掴む! というわけで私は料理の材料を調達してくる! 金などなくとも、そこらの山で猪でも狩れば問題あるまいっ!」
「だ、だめだ姉者……料理はだめだ……! 早まるな姉者ぁあああーっ!!」
いろいろと危険な話題が耳に届くも、あくまで服を取りに行く意識を前に出している俺は、嫌な汗を流すだけで顔は笑顔だ。顔は。
これも日常……だよなぁ。うん、あの世界での日々と大差ない日常だ。
「ねーねーお姉さまー? お姉さまはどんな挨拶するつもりなのー?」
「そりゃお前、こう……なんだっけ? やまぶきいろの菓子? を用意するんだっけ?」
「……お姉さま」
「な、なんだよ蒲公英その目は!! か、菓子を用意して挨拶するんだろ!? そうだったよな!?」
「馬超。山吹色の菓子、というのは北郷から得た知識によると、賄賂の意味に近いぞ。相手に金を渡して秘密を守ってもらうのに使う、と授業で聞いた記憶がある」
「うえぇっ!? そそそそうなのか!? そうだったっけ!?」
「そういうこーきんさんは、挨拶とかは考えてるの?」
「郭嘉と変わらん。こういう時に策を弄してもいい結果は得られんさ。馬岱、お前で言うのなら、飾らない無邪気さで進むのが吉、ということだ。騒ぎすぎて嫌われない程度に、と頭につくが」
「うー……愛紗ちゃんはいいよねー、真っ黒い髪だし、ご主人様が言ってた“やまとなでしこー”とかいう雰囲気だよきっと……」
「と、桃香さま、私はべつに……」
「と言いつつ、先ほどから髪をいじっているなぁ愛紗よ」
「うぐっ!?」
「愛紗ちゃん……」
「い、いえ桃香さま! これに深い意味は! ───星っ! 妙な言いがかりはっ!」
「あら。うちの冥琳だって綺麗な黒髪よー? ちょっと肌黒いけど」
「雪蓮はどんな挨拶をするのだー?」
「酒呑みにとって、お酒に勝る言葉はないわよ。交わせばわかるわ」
「あのー……雪蓮さまぁ? もし一刀さんの親族の方が下戸だったら、どうするんですかぁ?」
「え? 知らない」
「はぁ……姉さま、あなたという人は……」
「そうやって溜め息ついてるお姉ちゃんはどうなの? あ、もちろんシャオは大人の余裕でばっちり挨拶するつもりだけどー♪」
「私も普通にするわ。一刀の家族だもの、妙に緊張するのは相手にとっても嬉しくないわ」
「へー、立派になったわねー蓮華も。これで、言葉の割りに視線がうろうろしてなきゃよかったのにねー」
「ねっ、姉さまっ!!」
騒がしさに当てられたのか、左慈が片目を隠すような手の当て方で頭を抱え、于吉がくすりと笑う。
これも、昨日の敵はなんとやらってことでいいんだろうか。
まさか彼らのこんな姿が見られるとは。なんだかそれも嬉しい。
「うへー……挨拶とかって苦手だぜー……。なぁきょっちー、きょっちーはどんなこと言うんだ?」
「ボクは難しいこととか苦手だから、普通にするだけかなぁ。流琉は料理で攻めるの?」
「あのねぇ季衣、挨拶しに行って図々しくもいきなり厨房を借りられるわけがないでしょ……」
「あぅ……そうでした……」
「斗詩は料理で行く気だったのかー。あー、あたいやっぱりこういうの苦手だー!」
「挨拶……かぁ。な、なぁねね。アタシたちもなにか考えるべきか?」
「むしろどっしり構えるのですよ、焔耶。せっかく生まれ変わったと言ってもいいくらいの状況が整ったのです。経験を生かし、友として知った北郷一刀の在りのままを受け入れる姿勢で向かえば、障害などはそもそもあってないようなものです。恋殿を見るがいいのです。このどっしりとした構え。恐怖のかけらもないのです」
「ご主人様の親……ご主人様の……。気に入られなきゃ……捨てられる……? ……、……! ……!」
「……なんか、アタシの目にはもの凄い勢いで動揺してるように見えるんだが」
「恋殿!? しっかりしてくだされ恋殿ぉおーっ!!」
もう、この空の蒼もあの頃の空と繋がっただろうか。
ただ平凡に生きていた頃よりも人の感情の傍に立てた、あの頃の空と。
「あちこち建物だらけなのにゃ! もっと森が欲しいのにゃ! じゃないとみぃの心は満たされないのにゃー!」
「だいおーさま! 口のまわりが“あんこ”でいっぱいなのにゃ!」
「うぐっ!? お、おなかは満たされたのにゃ!? こっ……これは心の問題だから関係ないのにゃ!?」
「美衣ちゃんはお腹がいっぱいになっても心は満たされないの? 食べた後に眠ってる美衣ちゃん、幸せそうだけどなー」
「はう!? り、璃々はいじわるにゃ! そりゃみぃはお昼寝は好きだけど、それとこれとは話が別にゃ!」
「はああぁぁぁぅぅ~ん……! お猫様最高で……ハッ!? ち、違います違います、美衣さんはお猫様ではなくて“しんゆー”で───はうっ!?」
「腹を鳴らしてまで自分の分の“たい焼き”をあげる必要はないだろう……食え。半分だ」
「うぅ、ごめんなさい思春殿……」
「思春も随分と世話焼きになったのぉ……以前までならば、権殿が相手ならばまだわかったが。……ふむ。思春よ、北郷の家族への挨拶、お主ならばどう出る」
「!? い、いえ、挨拶など、私は」
「なんじゃつまらん。もう北郷に寂しい顔はさせぬのではなかったのか?」
「はっ───!? ……だ、大丈夫だ北郷、私に任せろ。全て上手くいく。……お前は安心して待っていればいい」
「なんかもういろいろツッコミたいけどとりあえず立場逆じゃないかなぁこれ」
「なっはははは、せやなーかずピー。性別が逆なら感動モンやったりするやろなぁコレ。男らしいわー、
繋がっているのなら、過去の歴史を紐解いて、その生き様を見てみたい。
自分が知っている歴史がそこにあったなら、ただただ胸を張って誇ろう。
そこで生きた人々は、必死に、今日を生きていたんだと。
「“たいやき”……焼きもので餡子を包む……この手法、ごま団子に通ずるものが……? あ、油で揚げるのではなくて、あえて焼いてみるごま団子……」
「亞莎、お前は少し落ち着け。大人のお前はまだ余裕があったろう」
「はうっ!? めめめ冥琳さまごめんなさっ……!」
「亞莎さん! 餡子を作ったお菓子なら私と雛里ちゃんも出来ますから、力になれると思いますっ! ……か、噛まずに言えましゅた! ……はわっ!?」
「しゅ、朱里ちゃん、落ち着いて……!」
「……頭の回転は速いだろうに、どうしていっつも噛むのかしら。蜀の軍師ってわからないわ。私なら、華琳様を思えばどんなに長い言葉も早口言葉も語り尽くせるのに」
「おー! せやったらこれゆーてみてー!? “孟徳さまが早々に猛特訓を冒涜した猛毒どもを葬送した”! ハイ!」
「ひぃ男!? 近寄るんじゃないわよなんで私があんたなんかの願い通りに動かなきゃいけないのよそこで白骨化して黙りなさいよ瞬時に!」
「なんで白骨化に対してみんな瞬時にこだわるん!? てかほんまに早口すごいわ! 早口暴言凄まじい!」
……かつて、戦いがあった。
正史をなぞった、けれど少し違う不思議な戦。
物語が願われて、物語が始まって、物語を歩いて、終わりを迎えて。
その先になにが待っているのかは、辿り着いてみなければわからない。一歩先さえわからない道なのだ、果てに待つもののことなんてわかるわけがない。
わからないのは怖いことだ。
それでも進む理由はなにかと訊かれれば、自分はなんと答えるだろう。
「なぁ華佗。さっきから気になってたんだけど……あっちの白い髪と髭の筋肉って誰? 華佗と俺のことをじーっと見てるけど」
「卑弥呼だ。貂蝉の知り合いだ」
「───」
「一刀。“やっぱり”って言葉を顔に貼り付けたみたいな表情になっているわよ」
「うん。華琳、平気って顔をしつつも俺の腕を折るくらいに抱き締めるのはやめてください。あと滅茶苦茶震えてる。誤魔化しがきかないくらい震えてるから」
「……一刀。あなた、私たちのことを守ってくれると、そう言ったわよね? ま、ままままずはあの、じりじりとにじり寄ってくる筋肉二人から私を守りなさい!」
「ちょっと待てぇええっ!! さすがにそれはないだろ!? もっと別の機会に聞きたかったよその言葉!!」
「守れだなんて失礼しちゃうわねぇん! 別になにもしたりはしなぁ~いわよぉぅ!」
「曹操よ! うぬもメノコであるならば、この迸る漢女の波動を感じるであろう! 女とは己のものだけでなく、相手の乙女心をもわかってこそ真の
「いやぁあああああっ!! 一刀っ! 一刀ぉっ!」
「だわぁあっだっ!? 人の影に隠れるなっ……って押すな押す───えぇっ!? なにこの可愛い反応!」
「ぬっ! こやつめやりおるわ! 我らの接近をダシに、オノコに抱き付き甘える機会を合法的に作りおった!」
「あぁ~らぁん! 曹操ちゃんてばやるじゃなぁ~ぁい!? これは私たちもぉぅ、ウカウカなんてしてられなぁ~いわねぇい!」
「どう見ても本気で嫌がってるだけだろ!」
答えるべき言葉は……今はまだ無い。
この世界で、自分の命の許す限りの果てに辿り着いたら、その時にでも見つかるんじゃないかな。
なんのために生きてたんだろうって振り返って、思い出に浸って、ようやくそれまでの自分に気づける。そんな人生で、その時にこそ満足して笑える自分で居たいって思うのだ。
あの時は一緒に歳を取ることもできなかったけど、今度は一緒に、笑顔で眠りたい。
「とにかく華琳が怯えるからそっちに居てくれ。ほんと、悪いとは思うけど」
「むう。好みのオノコに頼まれては嫌とは言えぬが漢女心。うぬもなかなかに漢女泣かせよ」
「そりゃぁ~そうよぅ卑弥呼っとぅぁらん! ご主人様は今や、様々な外史で様々な曹操ちゃんたちを虜にしてきた百戦錬磨のツワモノなんだからん! 経験だけで言えば、私たちよりも強者である可能性だってぇ、あぁ~るかもしれないのよぉん!?」
「ぬうそうか! この卑弥呼一生の不覚! 道理でこの私の胸も、だぁりんの前だというのに早鐘を打っていると思ったわ!」
「華佗、助けてくれ。この人達が話を聞いてくれないんだ」
「あ、ああ。二人は俺の知り合いだ、俺が話をつけておく」
「助かる……いやほんと、助かる……」
老いて、眠る時が来た時、自分はいったいなにを思って眠るのだろう。
ふと、そんなことを考えた。
誰かを思って眠る? それとも過去を振り返るだけ振り返って、懐かしんで眠る?
考えてみても、やっぱり特には思い浮かばない。
ただ、“これだけは”と思うものは確かにあった。
どうか、自分を先に眠りにつかせてほしい。
……大切な人を、何度も見送ってきたのだから。
それだけは約束された先で、眠りたいと……そう思うのだ。
だからまあ、それまでは思う様に生きよう。
“地”から続くこの“天”で、命尽きるまで。
ならば───ああ、ならば。
「女性というのは元気ですね。挨拶挨拶と言っていますが、あなたたちは自分達が認められるとでも?」
「……? 急になによアンタ」
「え、詠ちゃんっ、喧嘩腰はだめだよぅっ……!」
「いえ、べつに構いませんよ。一応、あなたたちよりも世界というものを知っている私から、ひとつ質問をさせてもらいます」
「だから、なによ」
「詠ちゃんっ」
「……この世界でろくに職も持たぬ者が、相手に簡単に認められるとでも?」
『───!』
「あぁそれとも学生で通すのでしょうか。ええ、確かに見た目は学生のそれですね。皆お若い。ですが学生と口にして、果たしてそれだけの学が、常識が、あなたがたにありますかね」
「う、うー、うー……! か、華佗のおじさんは医者なのだ!」
「いや、俺にはべつに、北郷の親に認めらようとする理由がないんだが。───ハッ! そうだ、この姿なら言える! 俺はおじさんではない!」
「ていうか、華佗がこの世界で医者になったら、もうゴッドハンドレベルだろ。治せない病気がないぞ?」
「───一刀」
「へ? な、なに? 華琳」
「仕事を紹介なさい。お義父───ごほんっ! ご家族への挨拶はそれからよ」
「紹介って……あれ? 今華琳、お義父さんって」
「お黙りなさい!」
「ごめんなさいっ!?」
───天命は“我ら”にあり。
さあ、共に舞おうではないか。
夢幻を飛ぶ蝶としてでもいい、ここから始まる覇道の中を。
いつまでも、みんなで。
「あれ? そーいやかずピー、なんで子桓ちゃん達おらへんの?」
「え? いや、フランチェスカ探すために別行動とってるとかじゃないのか?」
「……いえ、ご主人様……。この世界に下りた中に、平……娘達は居ませんでした」
「璃々は居るのに、妙な話よの」
「ハッ!? まさかかずピー、娘がおったら安心して子作りが出来んからって、意識的に除外を───!」
「そんなわけあるかぁっ!!」
「でゅふふ、きっと大丈夫よん。“役目”を果たせばァ、きっとひょっこり現れるわん」
「もしくは“産まれる”でしょうか」
「貴様らが思うよりも、人の絆とやらは強いということだろう。……北郷一刀」
「え? な、なんだ?」
「出来るだけ早く“行ってやれ”。果たされなければ眠りにつけない想いというものもある」
『…………』
「熱はないっ! いちいち額に触るな貴様らっ!!」
───……
……。
───/───
……白みかけた空を眺めた。
荒れる息はようやく整い、生きている今にとりあえずは安堵する。
「氣が残っている者は負傷者の手当てに当たれ! それ以外の動ける者は白装束の残りが居ないかを警戒せよ!」
夜通し続いた争いは、こちらの勝利でなんとか幕を閉じた。
呆れるほどに生まれ続ける敵を、それこそ全国力で潰しにかかるような、ひどい乱戦だった。
相手には戦法なんてものはなく、ただただ殺しにかかるという厄介な存在。
痛みも感じないのか、怯むことさえなく、怯ませてから繋げる技法などがそもそも通じなかった。
「華煉姉さま」
「桜花か。死者数は?」
「重傷者は居ますが、なんとか」
「……そうか。よかった」
「……はい。氣や戦い方を教わっていなかったらと思うと、眩暈がしますよ。民であった者たちも兵であった人達も、皆が学んでくれたからこそ得られた勝利です」
「ああ。そうでなければ今頃……」
「………」
血を流す者は沢山。
それを癒し、生かす者も沢山。
その技術が無ければ死んでいたものが大半であり、それを思えば先人には感謝以外のなにも浮かばない。
「……ふふっ、見ろ、桜花。武や氣を学びつつもどこか腑抜けていた者たちが、生きていることを噛み締めている」
「無理もありませんよ。実際に戦うなんてことにならなければ、学んできたことなんて何処で活かせばいいのかもわからなかったのです。気の長い結果にはなりましたが……学んだからこそ生きています」
「ああ。その通りだ」
夜が完全に明けてゆく。
自分の体についた赤は、返り血などではなく全部自分や味方のものだ。
敵は切り捨てれば煙のように消える。
傍で味方が斬られるたびにその血を浴び、下がって癒せと命令しては敵を斬った。
経験が少ないという事実は、随分とこちらの寿命を減らしてくれたと思う。
なるほど、こんな経験をしてしまっては、戦なんて馬鹿げたものだと心底頷ける。
それは、ここに居る皆の総意だろう。
が、逆にそんな経験は未来に繋がる。
平和に呆けた時にやってくる脅威ほど恐ろしいものはないのだ。
父の教えに従い、続けてきたことは無駄ではなかった。
それが嬉しい。生きていられることが嬉しい。
嬉しいが……
「……父さまは、もう行かれたのだな」
「そのようです」
「1800年後か。父さまがその時代から来た、という話は聞いていたが、約束のことをお前から聞かされた時は驚いたものだ。……また、気の長い約束だな」
「ええ。けれど、きっと届かせましょう。そして───」
「ああ。帰ってくるのを待つとしよう。母さまの時にも帰ってきたというのだ、きっとまた帰ってきてくれる。それが1800年後だというのなら、それまでに国を育て、うんと豊かになったこの大陸に驚いてもらおう」
「はい。では、まずはそのために」
「とりあえずは皆の治療だな。それから、今日の恐怖をのちの世にも伝えてゆこう」
「はい。……ああえっと、それとは別に
「却下だ。それは父さまから厳重に言われている。“それだけはやめてくれ”と」
「根回しは完了済みですか。さすがは“ととさま”」
「その呼び方も懐かしいな」
父さまはもう居ない。
居ないのなら、先へ届けよう。
私たちの頑張った証が、その目に、耳に届くように。
それが私たちの進む理由であり、父さまとの確かな約束だから。
「さて、では行こうか。───未来で、父さまが待っている」
「はい。命果てても、想いこそは、いつまでも」
黒から白へ、やがて蒼に変わる空の下───こんな歳になってからの私たちの突端は、始まりを告げた。
私達に残された時間はそう長いものではないし、終端なんてあっさりと迎えてしまうのだろうが……自分達が遺す何かが、遠い未来へ届くよう、死する瞬間まで頑張ろう。
向かう先が“天”という未来なら、私たちはこの“地”から歩いてゆく。
きっと届くよう、胸に覚悟を叩き込んで。
「覚悟完了、か。ふふっ……生まれ変われたら、意志が娘でも婚儀は可能だろうか」
「まだ諦めてなかったのですか!?」
そしていつか、果ての未来に想いが届いたなら……たくさんたくさん唱えよう。
───帰ってきてくれた父へと、“おかえりなさい”と。
何度でも、何度でも。
真・恋姫†無双 魏伝アフター / 了
はい、これにて終了となります。
あとは蛇足ではありますが、軽い後日談的なものをUPするかしないかで。
そちらはお墓参りをして終了、というカタチで終わると思います。
それにしても……440話かー……毎日コツコツUPしていれば一年くらいで終わるかな? なんて思っていたらとんでもない、結局一年と7ヶ月くらいかかってしまいました。すまぬ……。
番外にプラスして、こっちでの真名名づけ物語を書くのもいいかもですね。
あっちの方向にはいかない書き方で。ただほんとキャラが多すぎて辛い。
性格考えるのも楽じゃないですね、ほんと。
あ、おさらいとして、以前にも番外で書きましたが───
華煉⇒曹丕
桜花⇒劉禅
祀瓢⇒黄柄
です。
ではではこれにて、一応完結済みを掲げさせていただきマシュル。
読んでくださった方、応援してくださった方、評価してくださった方、ありがとうございましたー!!
もうね、何度も最初から読んで読破してる、って方には感謝感謝です!
更新滞ってばっかりですみませんでしたぁああっ!!