それぞれの生活が始まった。
「これが冷蔵庫なぁ~……っへぇえ……中身気になるわぁ~……たいちょ、分解してええ?」
「やめなさい」
北郷宅を拠点に、みんなが一歩から始める新生活。
「おぅい公瑾~! 儂の服を知らんか~!?」
「祭殿が脱ぎ散らかしたものなら、思春が持っていきました」
「ちょっと冥琳~!? 私の靴下がないんだけどー!」
「既にそこに分けてあるだろう、訊くよりもきちんと探してから言え」
「訊いたほうが早いじゃない。さってと~、退屈しない内はお仕事お仕事~♪」
「……策殿が仕事仕事と言っていると、不気味なものがあるのぉ」
「同感です。まあ、この時代のものに興味がある内は迷いもないでしょう」
「でもそろそろこの仕事飽きてきたかなぁ。ねぇめーりん? 他の仕事探していい?」
「権殿に報告してもいいのならな」
「あー……も、もうちょっと頑張ってみよっかなー……。逃げ場無いし、ずうっとねちねち怒られるのも……ねぇ……」
「ああ。当然私も存分に説教するがな」
「じゃあ行ってくるわねー! あ、祭ー!? 今日はウェビスとキリンジのビールを飲み比べるから、先に飲んでちゃだめだからねー!?」
「酒の話はいいからさっさと行け。寄り道はするなよ」
「はいはいしませんしませーん」
俺がそうだったように、みんなもまずは常識的なものから学んで、自力をつけて地力を高めるところから始まった。
そこから早速日給を手に入れて勇ましく帰ってきた女性たちに、なんかもう早速力仕事で仕事場に馴染むことが出来た云々を聞いて、引き攣った苦笑いをこぼしてしまった俺は悪くないと思う。
「む、むむう……この場合、どちらを買うのがいいのだろうか……。こちらは安いが……何故同じものなのに値段が……? やはり質が……?」
「愛紗、買うならその賞味期限間近の安い方だ。我々の人数で賞味期限の短さは気にするな。鈴々、余計なものは入れるな。我々に菓子を買う余裕などないぞ」
「……思春? 思春は随分と、あー……なんだ。この世界に馴染んでいる気がするのだが……」
「北郷に財布を預かったからには、全てを仕切らせてもらう。余計なものに使う金なぞ存在すると思うな」
「でも自分で稼いだ分くらいは自由に使いたいのだ! 雪蓮だってびーるとか買ってるのだー!」
「問題はない。勝手に使った数だけ食事から抜かせてもらっている。米すら出なくていいというのなら存分に買うがいい。使った金額の分だけ次の食事にも影響することを忘れるな。一食我慢すればいいなどと、甘いことをぬかすつもりはない。───星、そのメンマはやめておけ。会社の名前で値段ばかりが高く、質も量も大したことはない。───愛紗、今日の料理に生魚は要らん。置いてこい」
「……ふわぁあ……! 思春ちゃん、すっかりこの時代の人って感じだね……!」
「なんだかおかーさんって感じなのだ」
「! ……つまっ……こほん。つまらないことを言うな。財布の紐を任されたからには、気を引き締めなければと思っているだけだ」
「あはは、そうだねー。確かに私や愛紗ちゃんが持ってると、お願いされたらついつい買っちゃおっか、ってなっちゃいそうだし」
「う……それは、その。桃香さま、私はそのようなことは」
「鈴々ちゃんにおねだりされ続けて、ずっとダメ~って言える? 愛紗ちゃんなら、“今回だけだぞ”~とか言って、結局買っちゃうと思うなぁ」
「うぐっ……! それは……」
「にゃはは、よくわかんないけど、財布は思春が持ってたほうがいいということなのだ」
「ふむ? しかしなぁ鈴々よ。主が持っていた書物……“まんが”によれば、多くの場合は財布を預かる女性というのはその男の“妻”という立場のようだが」
「重いだろう思春。その財布、この関雲長が預かろう」
「断る」
俺も学校があるからつきっきりでなんていられないし、みんなも何もせずに道場で待つ、なんてことが出来るほど退屈好きじゃあない。
すぐに行動に移るあたり元気がいいことだが、そういう行動にこそ助けられているのも確かだ。
「あ、あ、あうぅうう……! もう我慢できないの! お洒落したいーっ!!」
「おわー!? 沙和がついに我慢の限界に!? ちょっ、凪ぃっ!? ぼさっとしとらんと押さえるの手伝いぃ!」
「あ、ああっ!」
「働いて帰ってきてもお金の管理は思春さんだから手元に残らないし! 服とかもっとほしいー! 阿蘇阿蘇……じゃなくてふぁっしょん誌もー!」
「うっ……押さえといてなんやけど、気持ちわかるなぁ。ウチも“機械”のことをもっと調べたいなー思とったし……でも先立つものがなぁ、お金がなぁ、難しい話やなぁ」
「というわけで思春さん! お金くださいなの!」
「一ヶ月以上を水道水で生きたいなら止めはしないが? 言っておくが一切の冗談も情けもありはしないぞ? 塩の一粒さえ許さん」
「いえっさー我慢します! なの!」
「ウチせめてカルキ抜きがええ! 水道水はやめたって!? ちゅーかちゃんとおまんま食べたいです! ほ、ほら! 凪からもなんかゆーたって!」
「私まで巻き込むな!」
全員が近くに居る現代での生活は、新鮮といえば新鮮で……心配といえば物凄い心配だった。
「わ、わわわわっ!? ちぃちゃんっ、せんたくきーが泡噴き出したよ!?」
「えぇっ!? ちゃんと説明書通りにやったわよ!? 読めないところは飛ばしたけど! なによこの妙な文字!」
「ちぃねえさん、それがアルファベットよ。わからなかったら訊いてってあれだけ言ったのに、なにをやっているの……」
「こ、こんなものは適当でやればどうとでもなるわよ! この液体が綺麗にするっていうなら、いっぱい入れたほうが綺麗になるに決まってるんだから!」
「ちぃ姉さん……思春さんに散々節約を言い渡されたの、忘れた……?」
「あ」
『………』
「やっ、ちょっ……なんで無言で距離取るのよ! べつに私がなにかするとかじゃないでしょ!? 大体ここにあの朱い悪魔が居るわけじゃ、ってほきゃああああーっ!? だだだっだだ誰!? こんな時に後ろから肩叩くとかどうせ一刀でしょ驚かせるんじゃ出たぁああーっ!? や、ちっ……ちちがっ違うのっ! これは入れ過ぎとかじゃなくて、あるふぁべんとーとかいうのが悪いんであって、ちぃはべつにっ!」
「洗剤の値段、噴き出る泡と水の量から換算……貴様の夕餉はないものと知れ」
「いやぁああああああああーっ!?」
ああそれから、思春がやたらと張り切って、いろいろなことを担ってくれている。
分担しようって言ってもやわらかい笑顔で“なにも心配はいらない、私に任せろ”とか言い出して、この世界のことの勉強から仕事、家事やらなにやら、様々なことに手を出し始めた。
……もしかして思春って……いや、もしかしなくても、一線を越えるとものすごーく過保護になる……タイプでしたね。そもそも蓮華に対してもそうだったし。
それが、自分の臨終の瞬間、俺の泣き顔を見てしまうことで爆発した……ってことでいいのでしょうか。自分が関係してしまっている分、認めるのがものすごーく恥ずかしいのですが。
ただ、言わせてもらえるのなら……今の思春、過保護すぎ。
「忘れ物はないか?」
「あ、ああ」
「歯は磨いたな?」
「磨いた……っていうか無理矢理磨こうとしてきたじゃないか」
「お前がもたもたしているからだろう。それと、ボタンはきちんと上まで締めろ」
「いや、これ上までやるとキツいんだよ。筋肉ついてきたし」
「だとしてもだ。お前がだらしのないヤツだなどと思われるのは屈辱だ。もういい、私が───ああこらっ、動くなっ」
「いいって、自分でやれるからっ。……ほら、これで、ってなにすんの!?」
「髪もきちんと整えろ。髪は洗うくせにお前はいつもこうだ」
「梳かしてもこうなるんだって! クセ毛なんだよ!」
「……よし。じゃあ───いや待て、靴下が裏返しだ」
「靴履いてから気づくか普通! いやちょっとやめて無理矢理脱がそうとしなくていいから! やめてその仕方の無いやつだなぁって顔!」
……過保護だ。
蓮華が引くくらい過保護だ。
「なに? そんなことを相談しにきたのか?」
「そんなことって……秋蘭、こっちにとっちゃ随分と重要なことだぞ?」
「ふむ……まあ、興覇にしてみれば北郷、お前のことがそれこそ大事な身内に見えて仕方が無いのだろう。私や姉者が華琳さまをそういった目で見るのと同じく、やつにも心から守りたい者が見つかったと、それだけのことだ」
「それって蓮華じゃなくて?」
「それはそうだろう。私や姉者は、華琳さまや北郷以外とは、ああいった関係に到りたいとは思わんぞ? 興覇が抱く“大事”の方向性は、そういったものだろう。受け止めてやればいい。自分が許容できる限界までな」
「……そういうものなのか」
そんな過保護に対しての疑問や疑問解決、果ては暴走やら喧嘩やらもしょっちゅうあったけど、今のところはまあ……なんとかやれているのだと思う。
「フッ……今日も私が誰よりも貢献したぞ……! これを見ろ北郷! 給金が増えたぞ!」
「あの、華雄さん? 一日毎に襟首掴んで封筒突きつけるのやめてくれませんか……?」
「む。そうは言うが、他の者たちは“あぁはいはい”としか返してくれん。真面目に向き合ってくれるのがお前くらいなんだ」
(そこでしょんぼりされると余計に逃げられないんだけどなぁ……)
「まあともかく見てくれ。ええっと、なんだ? ふくざわ、という紙が一枚増えたぞ。これは高いのか? ああまあともかく私の武が評価された証だ! 誰よりも貢献した者に一枚贈呈されるという話だったのだ。やはり誇るべきは武であり力。存分に発揮してみれば見事に認められた」
「そ、そっか」
「北郷、お前は誇ってくれるか? そ、それともやはり武だけではだめだろうか。いやしかし、武が……武……私にとって武は誇るべきところであり……いやしかし……」
「もちろん誇らしいよ。華雄が一番得意で誇るべきところが認められたんだ、嬉しくないはずがないって」
「そ、そうか……そうかぁっ……! フッ……ならばもはやなにも躊躇する必要は無い……! 人員不足で嘆く仕事場の憂い、この華雄の武を以って終わらせてくれる!」
「……お手柔らかにな。俺は華雄の武も立派なものだって誇ってるけど、体だって心配なんだから」
「! ……そ、そうだな。そうか、そうだ。一度体験したとはいえ、私の体はもう私だけのものでは……いや身籠っているわけではないが、こう、将来的には……」
「ごめんな。あの頃みたいに都を担ってるわけでもないから、お金のことじゃ本当に苦労かける」
「む? ……フッ、それこそ気にするな。逆に“武将”の在り方がよぅく味わえる。国の援助があったから生きていられたあの頃とは明らかに違う。武というものがこれほど知に遅れを取る世界に立たされて、自覚出来ぬほどに愚かなわけではない」
「華雄……」
「私たちは生かされていた。他でもない、あの頃の国や都に。つまり北郷、お前にだ。お前は立派に私たちを支えてくれていたのだな。……ならば、今度は私たちの番だろう? 思春ではないが……お前は必ず、私たちが守る。共に生き、共に逝こうぞ、我らが柱よ」
「…………ああ。……───ああっ!」
自然と、胸をノックする回数が減ってきたのは……きっと、自分の中にそれだけ、物事に対する覚悟というものが固まってきたからなのだろう。
困難を前に、きちんと前を向いて歩く。
それだけのことに足を震わせていたあの頃とはもう違うのだ。
50年以上を生きて、それでも決められない覚悟はあっても……絶対に立ち向かえないのかと言われれば、きっと俺は首を横に振るえる。
向かうものが違っても、恐怖の方向性が違っても、きっと……外史って世界に立ち向かうよりは、よっぽど気楽なのだろうから。
……ええはい、怖いものは怖いですがね。
「せいやぁあああっ!!」
「おぉおおおおぁあああっ!!」
「おうおう、飽きもせずにようやるのぅ」
「あら祭さん。今日、お仕事は?」
「午前で終わりじゃ。ほれ桔梗、すぅぱぁで安売りしとった350缶じゃ」
「すまんな。ほれ紫苑」
「ありがとう。もう、また思春ちゃんにおかずを引かれますよ?」
「おかずの一品が惜しくて酒を抜けるか。いざとなれば穏のやつからちょろまかせばよい。まあ、思春のやつもきちんと酒の値段を見ておかずを抜くから、儂も儂で計算しながら飲んでおる。言葉通り、これも計算のうちよ、かっかっか」
「それに私たちまで巻き込まないでほしいのだけれど……はぁ」
「言いつつも誰よりも先に開けとるぞ、紫苑」
「うふふ、だってご主人様の戦いを見ていながら、飲まないなんて」
「応、もったいないというものじゃろう。で? そうまで言うなら桔梗、お主の分は必要なかったか?」
「開けたものを飲まずに返せば礼を欠くというもの。喜んで頂く」
「素直ではないのぉ。で、北郷のやつはいつからやっておる」
「朝から。丁度祭さんが出かけて、いつもの鍛錬から始めて、星ちゃんが混ざってからよ」
「ほーう……? 北郷も随分と氣の扱いが上手くなったのぉ」
「まあ、当然よなぁ。我らが死んでからもずぅっと鍛錬を欠かさなかったと聞く。見る者が見れば荒削り……と言いたいところだが、なかなかどうして。北郷の動きとしてはあれほど無駄がないというのは……くっく、うずくのう。武器さえあれば一手願いたいほどよ」
「ええ。ふふ……今では左慈ちゃんを、ええっと、いめーじとれーにんぐ? の相手として見据えて、鍛錬をしているそうなの。左慈ちゃんの動きは見たことはないのだけれど……あの速さを見るに、よっぽど速いのでしょうね……ねぇ祭さ───あら?」
「よぅし北郷! 次は儂じゃ! 星、ちぃとばかり退いておけ!」
「あ、あー……もう、祭さんったら……桔梗、あなたからも───あら?」
「いいや次はわしだ! 祭よ、順番は守ってもらわんと困るぞ!」
「武器がないと言っておったろう!」
「そんなものは星が持っている竹刀で十分よ! さあ星! さっさとそれを寄越せぃ!」
「ほお、ふむふむ。なるほど、お二方の意見はよーくわかった。わかった上でお断りする。そもそも無粋というものであろう、人の決闘に土足で割り込むとは」
「決闘!? え、あ、えぇ!? 星!? 俺、星が練習って言うから付き合ってたんだけど!?」
「はっはっは、なんのことやら知りませんなぁ」
「知らんのなら寄越せ! 儂に!」
「いいやわしだ! これは譲れん!」
「あ、あらあら……はぁ、まったくあの二人は……」
そんな、胸の中にもうある覚悟をもって歩く世界は、賑やかだ。
楽しいことばかりではもちろんないけど、それでも。
約束された幸福が手の中になくても、一日の生活に目を回しながらやりくりをしていても、それでも……賑やかであることには違いなんてなくて、そんな世界で笑っている。
……なぁ、娘達。
きみたちが到った世界は平和だろうか。
誰もが笑っていられる国は、まだそこにあるだろうか。
誰かと誰かの間に立って、手を繋げる笑顔は……そこにあるだろうか。
いつか必ずそこへ行くから、どうか待っていてほしい。
その時は……おかえりを受け取ろう。
だからどうか、ただいまを言わせてほしい。