真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

449 / 454
後日談2:いつかの約束③

 そんな、どこかいつも通りの調子で騒ぎ、その賑やかさを蹴散らさん勢いで現れた各国の武将代表を前に、李さんに「えぇと、彼女たちと戦え、と?」と訊いた。

 そしたら真っ直ぐな目で「はい」だって。

 アレレー? おかしいぞー? 俺っていつから武闘派集団の仲間入りを果たしたんだっけー。

 こんな、認められたくば力を示せ! なんて、RPGとかだと旅の途中の精霊さんやら中ボスっぽいやつが言いそうなことに、頷かなきゃいけないなんて……!

 けれどこれも、現代の大陸に住まう男性を見直させるための第一歩。

 言い訳を並べて逃れることは、そもそももう選択肢にはなかった。

 

「冥琳、何か他に案は───」

「ないな」

「じゃ、じゃあこうした方がいいかも、とかは───」

「圧勝してくれ、北郷。それが一番状況的にいい。なにより───力強い男、という意味では、私もお前の本気を見てみたい」

「───」

 

 いつかの世のラスボスに、信頼の笑みで送り出されてしまった。

 張り切らない手はございますか? とんでもございません。

 

「ははははは! お前が噂の御遣いか! あたしゅぶぎゅ!?」

 

 笑いながら武器を構えた魏・代表が空を飛んだ。

 

「呉代表、孫廼牙(そんだいが)! 魏代表を吹き飛ばしてみせたその武にいざ、挑ませてもきゅぴゅう!?」

 

 目を虎のように鋭くさせ、武器を構えた呉・代表が空を飛んだ。

 

「ままま待っていただきたい! 素手でも強いことはよくわかった! いえわかりましたから! まずは武器を持って……! はっ!? あ、あの、自分は蜀代表、劉……はれ? あっ!? あいぃっ!? いだぁーったたたたたたた!? 痛い痛いやめて痛いうわぁああああーん!!」

 

 戦いたくば武器を取れ! と叫ぶ蜀・代表が、アイアンクローの前に沈んだ。

 鍛えた五体はそれだけで武器にございます。

 それを、俺はあの時代に教え込まれました。

 武器を構えれば強いんじゃないんだよ……わかって、蜀代表の人……。

 

「そんなわけで圧勝できたんだけど───」

『納得いかん!!』

 

 各国代表が納得しなかったので、再戦というかたちになった。なので氣を究極に充実させて木刀に金色の眩さを纏わせ、その氣を高速で動かすことでチェーンソーのように悉くを両断する刃とする。

 試しに振るってみればゴキィンという音とともに、武舞台の石床の一部が煙を昇らせながら綺麗に切断されて『嘘ですごめんなさい!!』嘘だったらしい。

 

「なんというか……さすが一刀の血筋ね。謝り方が実にあなたっぽいわ」

「いや……あのとりあえず突貫しようとする姿勢なんて、まるで春蘭みたいじゃないか。あ、魏代表は“夏侯”だった筈だから、そういう血を持ってるのは納得なんだけど」

「というか……あなたそんなことまで出来るの? どれだけ便利に使いこなしているのよ」

「左慈に勝つために頑張ったもん」

 

 むしろこれが決め手といってもいい勝利だった。

 まあそれはそれとしてだ。

 顔を青くして怯える各国代表を余所に、李さんに訊きたいことを訊いてみることにした。これで一応、用事っぽい用事は済んだ筈だし。

 

「えーと、李さん。用事も済んだし、娘たちの墓参りをしたいんだけど」

「──────えっ、あ、は、ははははいぃっ! ただいまぁっ!!」

 

 呆然としていた李さんに声をかけると、ビクーンと体全体で跳ねた彼女が慌てて動き出す。

 一応、強い男性を見てみたいって目的は果たせたと思うし、いいよな、これで。

 

「けど……あの、李さん? 質問いいかな」

「は、はいっ! なんでしょうご先祖様!」

「いや、なにもそんな、声かける度にビクーンってならなくても」

 

 だが気になることは訊いてみよう。聞いてみよう。これ、とても大事。

 

「あのさ。世界大戦でも影に潜んで勝利を得てきたとか聞いたんだけど……俺でも勝てる強さでそれって、ちょっと無理ない?」

「あの……はい。時代の流れといいますか。ご先祖様の仰る通り、現在は戦などありません。競い合う競技が多少ある程度で、それも氣を使ってしまえば有利に立てるので……」

「……多少鍛えた程度で満足してしまっていると」

「……お、お恥ずかしながら……っ!」

 

 なんだろう。

 今、初の超野菜人2になれた子供が青年になった頃のあの漫画を思い出した。

 これも平和ボケってやつなんだろうか。

 

「あのー……一応、俺も鍛錬のための書物とか残した筈なんだけど……実行する人、居なかったとか? それとも男が書いたものだから、って誰も実行に移らなかったとか?」

 

 だとしたら悲しいなぁ、なんて残念感を抱いていると、魏代表がしみじみと言った。

 

「三日毎とはいえ、あれを日課にしろとかご先祖様は鬼ですか!?」

 

 マジ声だった。

 ……。えっ?

 だ、だって俺、三日毎とはいえきっちりこなしてたよ?

 俺に出来たんだから、この大陸の女性ができないなんてあっはっはっはっは! ご冗談を!

 などと親しみやすい笑顔で言ってみたら、ひどくやさしい顔をした思春に、肩にポム……と手を置かれた。

 え? ……え? あの、え? えーっと……え? これ、俺がおかしいの?

 

「その、ご先祖様。もし会えたのなら、訊いてみたかったことがあります……! あの書物に書かれていたことは、氣を磨く者への心構えを記したものですよね!? 実行はっ、そのっ……ふ、不可能ですよね!?」

「え? いや、普通に三日毎にやってたけど」

『ひぃいいいいいいいいっ!?』

 

 北郷一刀。第二の故郷にて、末裔に悲鳴を上げられ引かれるの図。

 いやっ……いやいやいや! 出来るって! 出来ないならそれは頑張りが足りない証拠っていうか!

 ……あ、でも大前提として御遣いの気が無ければ出来ないっていうのもあるかも。

 あちゃー……そういう方向で考えてなかった。

 でも、やれるかやれないかで言えば出来はしたわけでして……う、嘘はついてないよな?

 しかしやっぱり信じられないのか、李さんがどこからか持ってきた書物───いつか俺が書き記した、鍛錬の仕方【粉骨砕身編】を広げ、「ほっ……本当に出来るのなら、証明を!」と言ってきた。

 やあ懐かしい、子供編や青年編、大人編があるそれの上級者向け……いわゆるとことんまでに自分をイジメ抜く“御遣い編”が目の前にあった。

 すごいな、まさかまだ原文が残ってるだなんて。

 

「あの……もちろん私どももこの書物に書かれた鍛錬に挑戦したのですが……その度に吐いて昏倒したほどの……その、鬼畜鍛錬、でした……。およそ人間のやるものではないとさえ噂されるほどで……。あの、本当に達成は可能なのですか……?」

「………」

 

 可能です。ていうかそこまで存在を疑われるほどじゃないと、自信を持って伝えたい。このくらいイジメ抜かなきゃ左慈に匹敵することさえ出来なかったんだから、むしろ左慈にしてみれば生ぬるい鍛錬に違いない。

 なので、あの頃の空の下の基準で考えれば生ぬるいに違いない……!

 というわけで、早速トレーニングを開始した。

 もちろん、疑り続ける夏侯さんの手を引っ張って。

 魏代表がするなら……と、他の国の代表も立ち上がり、甘尖さんも参加。

 どうせならと、一緒に来たみんなも参加した鍛錬は続き、桃香なんて久しぶりだな~なんて笑っているくらいだった。……だった。

 

……。

 

 で、数時間後。

 

『…………』

「よしっと。じゃあ次はたっぷりと柔軟な~……って、おーい、聞いてるかー?」

 

 死屍累々。

 別に言葉通り、“死体が多く重なっている”とかじゃあないが、それに近い状態が視界の先にあった。

 

「ほらほら、ぐったりしてても柔軟はするぞ? 散々足に負担をかけたんだから、血のめぐりを良くしてやらないと違和感が残るんだ。リンパとか小難しいのは抜きにして、むくみを取るものだって思ってくれ。ほら、立て立て~」

「ひぃ、や、やめひぇ……! うごかひゃにゃいれ……! ごめ、ぐすっ、ごめんなひゃい、みふはいひゃま……! うたぐって、ごめんなひゃい……!」

 

 ぐったりさん達を促して柔軟を促す。

 もちろん走る前にも入念な柔軟をさせたが、走り終わってからの柔軟だって相当大事なものだ。

 なにせ、やったのとやらないのとじゃあその後の鍛錬に酷く影響が出る。

 まずはゆっくりと水を飲ませるのも忘れない。水分補給、大事。

 次に足を肩幅より少し広く開いて立たせてから、その状態のまま足の外側で立つみたいにして足の裏の内側、土踏まずを持ち上げるようにする。故意にO脚を作るみたいな感じだ。

 その状態でしばらく固定。次は逆に足の裏の外側を地面から離すようにして、足を内側に絞る感じでぎゅ~っと……こちらもそのまましばらく固定。

 それを何度か繰り返したら、今度は軽く屈伸。あまり素早くやらないように。

 次は手を大きく伸ばして背伸びの運動~。

 はい次。はい次。はい次は───

 

……。

 

 コーン……

 

「華琳、大変だ。みんな動かなくなってしまった……!」

「少しは加減を知りなさいっ、このばかっ!」

 

 過去に生きたみんなは……まあ、武官であった皆様や一部の文官であった皆様は無事だ。一部の文官っていうのは主に亞莎。というか亞莎。

 が、現代に生きる子孫達はもう……本当の本当にぐったりさんで、もはや荒い呼吸を繰り返すだけの存在になっていた。

 

「お兄ちゃんの鍛錬、久しぶりだったのだー!」

「久しぶりにやるとさすがに疲れるな……」

「はい。蓮華様、拭く物を」

「ありがとう、思春。……けれど、前ほどは疲れないわね。一刀、やっぱりこれも“御遣いの氣”が原因なの?」

「たぶんね」

 

 両手を頭の後ろで組んで、にゃははと笑う鈴々の傍ら、軽く汗を拭って訊ねてくる蓮華にそう返す。予想は立てられても、実際にそうなのかは俺にもわからないからなぁ。

 というか蓮華さん。独り言と俺へ投げる際の口調が違いすぎます。独り言は男らしささえ感じたのに、俺に訊ねてくるとなったらどうしてここまで女の子になれるのか。これが王の在り方なんだろうか。

 うーん、王ってわからない。

 

「ん」

 

 ともかくだ。

 まずは少し休ませてから、良い体作りのための第二歩、栄養摂取を。

 ということで料理をしましょう。厨房を借りても平気だろうか。

 ぐったりさんな魏代表───夏侯頌瑛(しょうえい)さんに訊ねてみると、かろうじてこくりと頷いた。

 むしろ“今は休ませてくださいお願いします”と顔に書いてあるようだった。

 

(───)

 

 本当に出来る鍛錬法なのか、という疑問に乗っかるような結果になってしまってなんだけど。

 ごめん、娘達。向かうの、ちょっと遅くなる。

 

……。

 

 料理を作り終えたのちのこと。

 料理に関しては腕自慢の将……ああ、もう将じゃないんだった。

 流琉や斗詩、祭さんや紫苑に手伝ってもらって、普段の倍以上の量で仕上がった。

 それらを、俺を除いたみんなに食べてもらっている隙に、俺は一人、街から外れた場所に建てられた、立派な(びょう)の前に立っていた。

 中国の廟では墓は別の場所にあるっていうけど、ここだとどうなんだろう、なんて考える。いわばここは仏壇であり、墓とはまた違う。ここで手を合わせれば、墓まで届くかと言えば首を捻るけど……それは仏壇で手を合わせる日本でだって同じことだ。

 

「………」

 

 ……思えば、“こっち”じゃどういった作法なのかを知らない。

 かつてはみんなを見送りはしたけれど、あの頃と今のものが同じかどうかもわからない。

 適当にやっていいものではないだろう、とも考えたんだけど───どうしてだろうなぁ。作法はそりゃあ大事だけど、今は“俺らしく”やらないといけない気がした。

 だから……まあ。怒られた時は怒られた時ってことで、手を合わせた。

 ご苦労様ともお疲れ様とも言える、長い長い時間。

 いろいろと堅苦しいこともあっただろう。

 面倒なことだって当然のようにあっただろう。

 それでも…………ああ、それでも……こんな、自分のことばっかり考えていた親との約束を守ってくれて……本当に本当にありがとう。

 きちんと届いたから。

 この1800年後まで、届いてくれたから。

 

「……ありがとう」

 

 やっぱりそれしか伝えようがない。

 誇らしいって言うのとは違って、自慢出来る、と言うのとも違う。

 ソレは確かにそうであっても、欲しいのはきっと、叶えてもらった俺が踏ん反り返るような未来とか、そんなものじゃあ決して無い。

 じゃあなにが? と問われれば、結局ありがとうしか届けられない。

 今この場に居てくれたなら、自分に出来ることなら叶えてやりたいって思うのに。

 

好蓮(はおれん)桜花(おうか)(ふぅぁん)夜鈴(いぇーりん)(みこと)祀瓢(しひょう)結鷲(ゆじゅ)。…………華煉(かれん)

 

 ありがとうを唱えれば笑ってくれるだろうか。

 いつか見た幻みたいな仲間のように、笑顔をくれるだろうか。

 こんなに食べられませんよ、なんて……あんなふうに笑ってくれるだろうか。

 そんなふうに思うのに、口から漏れる言葉は違って。

 何を飾るでもなく考えるでもなく、俺の中で……俺の知らない間に、届けたい言葉なんてものは決まっていたようだった。

 

「……頑張ったな」

 

 届けた言葉は父としてのそれだった。

 手を合わせ終えた廟の中で、真っ直ぐに前を見て、目を閉じるでもなく、どうしようもなくこぼれる笑みのまま。

 確かに誇らしくて、確かに自慢したくて、届けたい言葉がありがとうだったとしても、他人行儀に感謝を届けるのではなく、過去に生きた伝説に届けるのではなく。

 ただ親と子として、褒める言葉を口にした。

 呆れられるだろうか。

 笑われるだろうか。

 それでもいい。

 それでいい。

 その方がきっと、自分らしいに違いないのだから。

 

「また来るな。って、次に向かうのが墓だから、またすぐに会うことになりそうだけど」

 

 たははと笑って、踵を返す。

 墓に向かう前に食事っていうのもなんか違うなって思ったから、実は何も食べていない。

 くぅ、と鳴る腹を一発殴ったのちに、やっぱり笑って一歩を踏み出───した直後。いや、踏み出したどころか、その一歩が地面につく前に、───

 

「………」

 

 くいっと、服を引っ張られた気がした。

 振り向いてみても、当然誰も居ない。

 そんな状況で思い出したのが、よりにもよって……子供たちが小さな頃に聞かせていた、即興昔話とかだったんだから笑える。

 当然、怖い話もしたのだから……なるほど、こんな仕返しもアリなのかな。

 怖い話をした所為で泣いたりしてしまった娘達を思い出して、やっぱり笑った。

 

「そこに、居るのか? ……居るなら聞いてくれ」

 

 笑ったけれど、それは“そんな馬鹿な”と嘲笑するようなものじゃあなくて。

 みんなと再会したあの日、かつての仲間たちの幻を見て泣いた日を覚えているからこそ、そんなことだってあるのだと理解しての笑みだった。

 

「頑張ったな、なんて言葉しか口に出来ないで、ごめんな。今さら頭なんて撫でられて喜ぶわけもないと思うけど、俺は───いてっ! え? あ、い、いててっ!? ……えぇっ!?」

 

 何故か、何も無いのに足を蹴られたような痛み。

 ……ワーイ娘ダ、娘ガオルヨー。

 じゃなくて、居る。確実に居てはります。

 凄いな、ポルターガイストとは違うんだろうけど……いや、そうなのか?

 なんにせよ……エート、まずはごめんなさい。絶対に、絶ッッッ対にマナー違反なのはわかっておりますが。

 

「激写」

 

 ケータイで写真を撮った。

 するとどうでしょう。

 

「………」

 

 ……腰に手を当てて、ぷんすか怒ってる華煉さんが居た。

 姿は……16~8あたりの歳の頃のものだろうか。

 その後ろに隠れるようにしている、幽霊の守護霊さんみたいな存在にも、呆れと同時に笑みがこぼれる。

 

「お前なぁ……どれだけ強い思念を遺せば、こんなハッキリ写るんだよ……。幽霊の存在率の定義なんて知らないけどさ」

 

 娘の強き執念を知った気がした。

 その後ろにたくさんの……人影、シルエットって言ったほうがいい、輪郭しかないヒトノカタチがあるのに気づいたけど、それはきっとここに意識を遺した者たちの影なのだろう。

 俺達や娘達だけが頑張ったから果たせた約束じゃあないのだ。だからこそ、想いも約束もここにある。

 

「………」

 

 廟の中には、俺以外には誰も居ない。

 監視役は居るようだけど、李さんが話は通してありますと言った通り、注意されることもない。写真を撮った時は睨まれたけど……うん。とりあえず自ら近づいて、事情を説明した。もちろん写真も見せた上で。そしたら逆に感心された。俺が、じゃなくて華煉が。

 そうだよなー、本当に怖いくらいにハッキリ写ってるもんなぁ。

 なんかもうお墓参りの時にある独特のしんみり感なんて、これだけで吹き飛んだよ。

 風情云々よりもまず、この方が俺達らしいなんて思ってしまうあたり、散々とあの時代で振り回された者の“慣れ”ってやつが、随分と染み付いてしまっているようだ。

 

「禅も、頑張ったな。随分と待たせちゃったけど……───ただいま。今、帰ったよ」

 

 写真の中、ぷんすかさんの後ろに隠れるようにして存在する娘にも、感謝を。

 ようやく果たせた約束を思って笑った途端、なんだか懐かしい香りがした。

 亞莎に膝枕をした雨の日に抱きしめた、娘の香り。

 

(……どうしてだろうなー、そんなわけじゃないのに、俺が“抱き締める”とか考えると別の方向に誤解されそうな気がするのは)

 

 漏れるのはやっぱり苦笑。

 昔からずうっと、たぶんそれはこれからもあまり変わらない。

 もっと素直に笑えたらいいのにって思わなくもないけど、苦笑だって立派な笑みだ。

 慣れてしまえば、そんな笑みだって大事に思える今に辿り着ける。

 だから……だから。

 

「みんなぁっ! ───今っ! 帰ったぞぉおおおおーっ!!」

 

 しみじみ言うだけじゃ足りない。

 待ちくたびれて、疲れてしまった人にも届くようにと大声で叫んだ。

 

  ───途端、ぱちんって音。

 

 まるで視覚のスイッチが切り替わったかのように見えている景色が変わって、あの頃の景色が見えた。

 それは長い時間ではなかったけれど、その景色の中に、見知ったみんなを見た瞬間には……我慢することもせず、叫んでいた。

 ただいまもごめんなさいも、遅くなったもありがとうも。

 触れることの出来ない景色に精一杯に手を伸ばして、待っていてくれた人達に叫んで届けた。

 娘達だけじゃない。

 民や兵が、国で隔てることもなく、そこに居た。

 溢れるように届けられる感情は“ありがとう”ばかり。

 寄せ書きに、感謝と名を連ねた者の姿もたくさん見つけて、恥と取ることもなく泣きながら感謝を叫んだ。

 感謝の数だけ想いは溢れて、自分がそんなにも感謝されていたことに、当然の困惑も抱いたけれど……それを疑って捨てるほど馬鹿じゃないし、みんな以上と自負できるほどに俺だって感謝してきた。

 こんな自分と一緒に歩いてくれてありがとう。

 信じてついてきてくれてありがとう。

 ともに笑顔でいてくれてありがとう。

 ……一緒に死ねなくて、ごめん。

 もう、自分がなにを叫んでいるかもわからないくらい、感情が溢れていた。

 涙は止まらないし嗚咽が邪魔して上手く声を出せなくて。

 それでもみんなは笑顔でそこに居て……笑顔のまま、静かに消えていった。

 

「……い、いまの……は……」

「………」

 

 震えながら声を絞り出したのは、一緒に居た監視役の人。

 彼にも見えたのだろう。

 呆然としたまま震えて、けれどその目からは涙がこぼれていた。

 溢れるほどのたくさんの感情に当てられたのだろう。

 ……困ったことに、俺も涙が止まらない。

 

「…………~……」

 

 みんなから届けられた言葉は“ありがとう”と……“おかえりなさい”。

 それと、激怒と一緒に届けられた“死ねなくてなんて言うな”だった。

 


 ▲ページの一番上に飛ぶ