さて、と。
誰かにマグロ漁船のことを相談したいなと考えていれば、丁度ひょいと廊下へ出てきた美周郎殿。
「あ、冥琳、丁度よかった。相談したいことがあるんだ」
「北郷? ……ふふっ、随分と騒がしく逃げ出したと聞いたが、随分とまあ普通に帰ってくるものだな」
「実家だもの」
「そうか。それで? 相談とはなんだ?」
「うん。マグロ漁船なんだけど」
「───。……まぐ?」
「マグロ漁船。遠洋漁業だな」
「えんよう……」
ふむ、と軽く腕を組むような仕草で顎に曲げた人差し指と親指を当てる。悩むというよりは、それはどんなものだ? と軽くきょとんとするような感じ。
なので、まあ、俺もそこまで詳しいわけではないから、ざっくりとした説明を。
「そんなものは雪蓮にでも任せてしまえ。一年帰ってこない? 結構な話だろう」
「ひどい!! 冥琳ひどい!!」
……してみたら、なんか途中からひょっこり現れた雪蓮が、そのまま生贄にされそうな勢いで軽く扱われていた。
「……でも一刀? それってどんな仕事なの? あ、まぐろ、が魚なのはわかるわよ? 漁業っていってたものね。それで?」
「どんな仕事───……んー、睡眠時間5時間程度、あとは全部仕事」
「あっはは、冥琳、これ無理だわ」
「北郷、契約はどうすればいい? どこに行けば叶う。とりあえずこの馬鹿者を問答無用で海に解き放ちたいのだが」
「だから待って冥琳待って! 日本来てから冥琳冷たい!! 私ちゃんと頑張ってるわよぅー!!」
まあ、今じゃみんな等しく運命共同体みたいな状況で支えあってるもんなぁ。主に力仕事で。御遣いの加護のお陰で話し合いに問題はないし、現場監督さん(土木工事)にも“へえ! 日本語上手だねぇ!”なんて言われてたりする。
あの頃の俺も、きっとそんな感じだったに違いない。俺はただ日本語を喋ってたつもりなんだけどね。
「あ、ところでだけど。……チョコのこと、どうなった?」
「魏の覇王殿の指示で全て破棄となった。まあ、普通に考えれば吸い込んだだけで涙と咳が出るようなものが空気中に溢れたあの状況だ、ちょこれいとが無事であったかも怪しい。そういった状況を、逃げ出したお前の行動から分析、判断した」
「ウワーイ、物凄く読まれてルー」
「洗剤や薬品のことに関しても、それらに関して知識を深めていた朱里や雛里、桂花などから判断材料として知識を得た。もちろん全員反対などしなかった」
「へ? そうなのか? もったいないとか絶対に誰か言いそうだと思ったのに」
「……最悪死ぬとまで言われれば、さすがにな」
「あー……」
なるほどそりゃ確かに。
「ああ、でも春蘭は随分とゴネてたわね。北郷ならば問題なく食える筈です、とか華琳に言っちゃったりして」
やめて!? 春蘭さんあなたのその他人への奇妙な信頼とかはどこから沸いて出てくるの!? 最悪死ぬって言ってるんだから、俺なら大丈夫とかそんな信頼要らないよ!?
「その所為で……ぷふっ! 華琳に、自分のことは“おいどんと口にするように”と、“語尾にゴワスをつけなさい”って言われて……っ……ぷっく、くぷふっ! あははははははは!! そしたらそしたら“な、何故でゴワスかおいどん様! 私はおいどん様のために! ゴワス!”って! あの子“自分のこと”って部分を華琳のことだと思って、華琳のことをおいどんって呼んであはははははは!!」
「……、~……」
あ。思い出し爆笑してる雪蓮の斜め隣で、冥琳が顔を背けてぷるぷるしてる。
……いいのよ、笑っても。ていうかいっつもいっつも我らが魏武の大剣がすいません。
ところで……俺としては桂花が化学薬品について調べていた事実が怖くて仕方ないんだが。え? あの、ほんとなにを思ってそんなことをお調べなさるようになったので?
“混ぜるな危険”を“混ぜれば危険”として受け取った結果ですか? それを誰に使うおつもりで? ……エッ?
「さて、まあ相談というのが雪蓮の仕事というのならまたいつでも乗ろう。私たちはここらで戻るよ。お前には他に話し相手が居るようだ」
「ほ? 話し相手? 誰───」
きょろりと軽く視線を動かした。
───腕を組んで、む~んとかオノマトペがつけられてそうな威圧とともに、覇王が廊下の先に立っておられた。
コマンドどうする?
1:説得する。ここで(難航を極めるかもしれませぬ)
2:説得する。安らぎフートンに引きずり込んで(我、閨にて最強也)
3:持っているトリュフチョコで誤魔化す(明命にもらったものですが)
4:やあ華琳さん、今日もお美しいと言って抱き締めてみる(そう、で済まされる確率92%。絶が召喚される確率8%)
5:今宵の朕は糖分に飢えておる。さ、そこな小娘、朕の為に甘味を作るでおじゃ。(死ぬ)
結論:た す け て
1以外になにかあるのか!? これなにか出来るもんなのか!?
そりゃさ!? 2はさ!? なんていうかそのぅ……外史統一してからというもの、閨での華琳がものすっごいあのー……じゅ、従順? ていうか素直な感はあるよ!? 縛った上で後ろから召し上がった経験とかがどこぞの北郷さんの記憶から流れてきた時は、ほぎゃあああと頭を抱えて暴れまわったもんですが!
3に到ってはこれ明命にもらったやつだよ! 明命と、思春の二人がお金を出して買ってくれたやつだよ! それを献上して許してクラサイって……ただのクズじゃございませんこと!? そりゃ食べてみたいっていうなら一粒くらいはいいかもだけど!
あと4。それ絶対両方来るからやめれ。そう、で済まされて絶が来るから。
5。いい加減にしろ。
などと悩んでいるうちに雪蓮と冥琳は行ってしまい、その奥から腕を組んだまま威圧を撒き散らしてやってくる覇王様。
一体……いったいなにが彼女をこんなにまで威圧的に……!? はい、訊くまでもないですね。
「おかえりなさい? 一刀」
「ウ、ウン。イマカエッタヨ」
「ええ。で、だけれど。一刀? なにを言われるのか、予想はついているでしょうから回りくどいことは抜きにするわ」
「お、押忍」
「……よくもこの私を前に、“助けてぇ~”なんて悲鳴を上げて逃げてくれたわね」
デスヨネ。
覇王様が怒ってらっしゃった。それはもう、怒ってらっしゃった。
冥琳や雪蓮の話では、俺の行動からいろいろと思い至ってチョコは廃棄してくれたらしいが、だからって好きな相手に助けてぇええと叫ばれ逃げられる心境といったらどうだろう。……俺なら泣くな。うん泣く。
「いやっ、でもそれももう納得してくれたんだろ!? 真面目に生命の危機だって思ったから仕方なくっ……!」
じゃなきゃ素直に口から出た最初の言葉が“助けてぇええ!”なわけがない。
チョコに警戒心を持っていて、出てきた覇王様がチョコを持ってる。そりゃ警戒もするでしょ。だってあの刺激臭の中から出てきたんですよ? するって!
なんてことを丁寧にしてみると、「ええそうね」と、ちっとも“そうね”って納得していない目が俺をじとりと睨みあそばれた。覇王様はやる気だ!
「けれど一刀? それはべつにあなたが逃げずに説明していれば済んだ話ではなくて? 人がせっかくちょこれいとを手に出てきてみれば、あなたという人間は……」
「そりゃ俺だって華琳が出てきた時は胸がときめいたさ! サツバツとした空気の中で、もう逃げてしまおうって時に好きな人が出てくれば嬉しいよ! でも、じゃあ、説明してる最中に春蘭か鈴々が来て、いーから食べろ、食べるのだー! って口にチョコを突っ込んできたら!? そういうの、あの危機的状況でちっとも想像出来ずにいられるか!?」
「……、……。……~、……───、…………ごめんなさい」
想像してみて、鮮明に想像できて、段々と顔を青くして、彼女は心を込めて謝ってくれました。
「ええ、そうね…………そうね。考えが足りなかったわ。そうよね、人の話など聞かずに自分の行動を優先させる者ばかりだということを忘れていたわ。……けれど」
「けれど?」
つい、と。華琳の目が、俺が持っているトリュフチョコの箱に移る。その過程、そういえば明命と思春が居ないことに気づくと……なるほど、華琳は二人から報告を受けて、廊下に出てきたのかもしれない。
「気に入らないわね。買ったものとはいえ、私のものよりも先にちょこれいとを食べるなんて」
で、俺が食べたことも報告済み、と。明命さん勘弁してください。
「えと。もらったのまだあるけど。食べるか?」
「そういう意味ではないわよ、ばか」
言いつつも、差し出してみればひょいとトリュフチョコレートのひとつを摘む華琳。シゲシゲとパウダーに包まれたそれを見る目は、好奇心に溢れている。可愛い。ほんと、料理とか食べ物に関しては関心が強いよな。抱き締めて撫で回したい。
そんな内心を誤魔化すように、俺が作った甘味なんかよりよっぽどおいしいぞー、なんて言ってみると、「へえ?」なんてニヤリと笑んで、笑ってる俺の口に───かぽりと、チョコを突っ込んできた。
「ふぇ? ふぁりん?」
「まあ、そうね。これでいいわ。納得させるわよ」
「? ん、んぐっ、ん。……誰を?」
「うん? ……ふふっ、ええ。私の中でやかましい、私たちを、よ」
そう言って、彼女は笑った。
ハテ……と自分の中で北郷会議が始まると、察しのいいどこぞの北郷が挙手。「ようするに、渡すのは明命に取られたけど、“食べさせる”のは自分がって意味じゃないか?」と。
華琳の中のどんな華琳がどんな内容についてどんな風にやかましく騒いでいるのかはわからないが───それはきっと可愛らしいことなのでしょうなぁ……。そう想像した途端、ワァッと全北郷が沸いた。他の理屈はどうでもよろしい。“あの華琳が俺にあげるための一番ななにかが欲しかった”という事実。そのためにやかましいらしい脳内華琳様方。それがいい。それが嬉しいのでそれにする。ていうかそれです。ありがとう、はいアーン。
そんな幸せな小さなお話。
「それにしても……なるほど、美味しいわね。私が作ったものよりも口溶けがよく、ほんのりと感じる苦味も……」
そしてすぐに食への研究に移る孟徳さん。
そんなチョコレート様にちょっぴり嫉妬する北郷ひとり。……俺だった。
なんかもう安らぎのフートンに引きずり込んで説得してしまおうか、なんて邪なる北郷が起立しそうだった。
そんな自分に溜め息を吐きつつ、顔を横に振るってシャキっとすると、もう臭いも消えた家の奥へと進もうと歩いた───先に、己が獲物を手にしなを作るでもなく構えを取る常山の昇り龍さん。
「………」
「………」
いわゆる“表へ出ろぃ!”がそこにあった。
武の手ほどき、諦めてなかったみたいです。
「星……氣が安定してないって言ってたんだから、無理にすること……」
「い、いやっ……いやっ! 武人がやると口にしたからにはっ! したからには……!!」
星って飄々としてるくせに、結構頑固だよね。心の中で呟いてみると、様々な北郷が頷いた。
「じゃあ俺が勝ったら俺の部屋で朝までお仕置きコースで」
「ひぅっ!? ……ぁあぁああるっ……あるじっ……? その、明日は仕事は……」
「学校も仕事も休み」
「───」
星は、瞳を潤ませつつ赤くなったり青くなったりと忙しい顔色をして、しかし覚悟が決まったのか、「では道場へ」と凛々しい顔で歩き出した。
歩く姿はとても堂々としたものだ。耳真っ赤だけど。
握る獲物も自然体の調子で、力みなどまったくない。耳真っ赤だけど。
そうして歩く傍ら、雪蓮が「何回勝負にするの?」と訊いてきたり、祭さんが「なにを言うか策殿、星の次は儂ですぞ」と言ったり、鈴々が「じゃあその次は鈴々なのだ!」と言ったり、愛紗が「こら鈴々、自分がそうしたいからと、無理に意見を捻り込むんじゃないっ! ……申し訳ありませんご主人様。ご主人様が良しと思った順番で構わないので、私も相手をしていただけたら」などと仰って───うん待って?
気づけば武官の皆様が横や前や後ろや斜めにぞろぞろと歩いていた。
星も驚いたらしく、そんな皆様を見渡して……そうして見えたその顔は、それはもう耳と同じく真っ赤だったわけで。
「隊長、胸を貸していただきます!」
「ア……凪、キミもなんだ……」
そうなればあとは早い。
いつの間に集まったのか、道場に着く頃には武官のほぼがいらっしゃって、俺は笑顔で「帰りたい……」と呟いていた。……帰る家、ここだった。
しかしだからといって逃げるのは自分の鍛錬に対しての冒涜と思い、戦う意思を以って錬氣解放。
まずは星とぶつかり合い、ぶつけ合い、削り合い、振るい合って───やはり御遣いの氣の所為で以前ほど巧みに動けない隙をついて勝利……するも、即座に雪蓮が参戦。
鈴々がぶーぶー言っていたので「じゃ、じゃあ鈴々が雪蓮と! 雪蓮と! 戦うか!?」と言ってみれば、「鈴々が戦いたいのはお兄ちゃんだから嫌なのだ」とキッパリ。
……ちくしょう。
「そうそう、一刀と戦いたいから集まってるのに、そんなことする筈がないじゃない」
「……愚かなり小覇王……! なんならここで、万全の状態の俺と戦いたいなら、って条件をかければ、恋ならきっと動いてくれる……!」
「ちょぉっ!? やめてよね一刀! それちょっと本気で洒落になってないから! それよりもほらほらっ、やるわよ一刀っ! この日のために仕事もほどほどに氣の練習してたんだからっ!」
「……ほう?」
「あ」
雪蓮の言葉を聞いた美周郎殿のコメカミに、ビシィと青筋が走る。
「喜べ雪蓮。妹君に訊いたが、遠洋漁業は大間というところが盛んらしい。そこに連絡をして眼鏡に適えば、貴様も晴れて労働者だ」
「だから待って冥琳待って!? 私もう労働者だってば! いっつも頑張ってるでしょー!?」
「にゃはははははっ! 雪蓮は忙しいみたいだからやっぱり鈴々がやるのだ!」
「いや。ここはこの華雄が武威を示そう」
「兄ちゃーん、こんなちびっこよりボクが相手になるよ!」
「もうちびっこじゃないのだ! 春巻きだって鈴々と同じくらいな癖にー!」
「なんだとー!? 確かに胸じゃ負けるけど、ボクの方が腰やお尻の形だってなー!」
「なんなのだー!?」
「なんだよー!!」
……全員、俺と同じ年くらいになってくれたのは嬉しい。素直に嬉しい。
鈴々とか璃々ちゃんとか、あれからどうすりゃそう育つのってくらい、スタイル抜群です。でもさ、その頃のノリでぶつかってくるから、もう正直どう扱っていいやら……!
蜀北郷だって“これが鈴々!? え!? えぇえええっ!?”って本気で驚いたくらいだ。あ、璃々ちゃんの成長には素直にえびす顔になって喜んでた。父心だな。
「───」
皆様が騒いでいる間に錬氣錬氣。そして少しでも回復を図る。
と、目敏くそれに気づいたっぽい桂花がさっさと始めなさいよ的な発破を掛けたため、騒ぐ皆様を押しのけて翠が……って桂花お前ぇえええええっ!!
「いくぞご主人様っ、なまってる氣を叩き起こすの、手伝ってもらうからなっ!」
(是非そのままナマっててください!)
強くなられると僕が困るんです日々の挑戦的な意味で!
しかしそんな言葉を届けられる筈もなく。
今日も今日とて次から次へと激戦を繰り広げ───最後に、例のごとく恋に空を飛ばされるのでした。
(*了)
「……ところでさ、華佗」
「どうした? 北郷」
「結局華佗ってなんで玄関で気絶してたんだ?」
「お前の妹が味見は男の仕事だと言った途端、夏侯惇が“なんだそうなのか! ならば食え!”と口に緑色をしたドロドロの液体を突っ込んできてな……」
「なんかごめんなさい」
「咄嗟に危険だと判断して吐こうとしたんだが、まず顎が痺れて動かなくなった」
「怖いよ!?」
「だから無理矢理手で口をこじ開けて吐き出した───まではよかったんだが、唾液を通して成分が体内に入ってしまったようでな。少しすると氣脈にまで異常が出てきて、我が五斗米道の真髄とも言える一鍼同体の理も引き出せなくなり……なんとか体が動く内に部屋からは逃げ出したんだが、玄関で力尽きた」
「───」
「あとで妹さんに泣くほど謝られたよ……」
「ごめんっ……なんか俺も泣くほど謝りたいっ……!」
恋に飛ばされ、気絶した俺が運ばれた小部屋での、そんな小さなお話。
先客だった華佗はつい先ほど目覚めたらしい。運んだのは妹だとか。
しばし後、男ってつらいなぁ……なんてこぼしてみれば、素直に同意された。
俺達の明日はどっちだろう。
ギャフター小話/完