「ン、ゴホッ……わ、わるい……誰か、水……水を───」
「あわわ……み、水でしゅね……! 今───」
「その必要はない。既に持っている」
「あわっ……? し、思春さん……?」
喉の渇きに襲われて、助けを口に出してみれば即座に受け取ってくれた雛里───の前に、突如現れたのは思春だった。
その手には水が入ったウォーターピッチャーと、一つのリンゴとナイフが乗ったグラスが。
「……見事なものね。一刀の様子を見て、必要なものを揃えてきたというの?」
「他に必要なものがあれば、纏めて持ってくるつもりであっただけです」
華琳の質問に、リンゴとナイフを脇に、まずは水を注いで渡してくれる思春さん。渡してくれるっていうか、注いだ水を飲ませようとしてきたけど、丁寧に断って普通に受け取った。
ぐいっと飲んでいくと、なんともまあ体の中に冷たさが広がっていくかのようだ……! 乾いた大地に水を垂らしたような吸収感と例えればいいのか、ともかく物凄い勢いで水が吸収されている感覚を覚える。
そうして水に感動しているうちに、思春は器用な、という次元を越えた手際と速さでリンゴの皮を剥き、二口サイズほどに切り分けてくれた。
「あ、ありがと、思春」
「口を開けろ。食わせてやる」
「へ? あ、いや、さすがに手くらい動くから自分で───」
「口を開けろ」
「や、だから」
「口をあけろ」
「あの……ね?」
「口をあけろ」
「その」
「………」
「なんでそこで爪楊枝がナイフに代わるんでしょうか!?」
ぷすり、とリンゴに刺された爪楊枝が、問答の末にざくりと刺されたナイフ様に代わった。
口を開けねば殺すとまで言いそうな雰囲気である。雰囲気っていうかもうこれ迫力です。空気がどうとかそんなレベルを超越してらっしゃいます。
さすがに口裂けおばけになりたくないので、素直に爪楊枝にていただくことにしました。
「ん、く…………あ、おいし……」
食べさせてもらったリンゴをしゃりしょりと咀嚼する。
べつに病気ってわけでもないのに何故リンゴ……と思ったもんだけど、なんだろ……リンゴの果汁とか食感とか味とか、なんもかもが体にやさしい……!
「次だ。食え」
「…………いやあの、思春さん?」
「食え」
「あの」
「食え」
「だから……ね?」
「食え」
「やっ、食うよ!? もらうよ!? 貰うけど、もうちょっとほらっ、ねっ!?」
さあ食えや、みたいな刺し出しかたもとい差し出し方じゃなくて、“はいっ、あ~んっ♪”みたいなやさしさとかございませんでしょうか……! いやもちろんそれがとても無謀な自殺行為的考えだっていうのはわかっているのですがね!?
病気とはまた違ったものだとしても、こうして看病的なことをしてくれるのなら、なんだかんだそういう系の扱いをされてみたいなぁとか……!
……そこには男のロマンがあると思うのです。断じて、狩った獲物の肉をナイフで捌いて、そのナイフに付き刺した肉をそのまま火で炙って、ナイフに刺さったままの肉をあぐっと食べるサバイバル的な世界を求めているわけでは断じてないわけで! 喩え長いなぁもう!
しかしこの北郷、こんな言い回しで思春さんがそれを受け入れてくれるわけがないことなどわかっております。
なのでここは───
コマンドどうする!?
1:口移しでお願いします(殺気が溢れ出よるわ!)
2:ナイフっていいよね! このままいただくよ!(妖怪口裂け御遣いの誕生である)
3:爪楊枝でお願いします。あの、出来れば“あ~ん”って言葉付きで(そして逆にあ~ん返し)
4:あぁん!? とメンチ切りながらフォークでください。(興覇様は告らせ───たりしない)
5:これ小娘、朕は食事がしたいのでおじゃ。そのようなものは要らぬ、飯を寄越せ(死ぬ)
結論:そもそも爪楊枝の時点で俺が食べてたら、この選択肢必要なかったよなぁもう!
「も、もらう、もらうからその……ごめん思春、やっぱり爪楊枝にしてくれないか……」
「………」
言ってみればやれやれとばかりに、ナイフが刺さったリンゴにぷすりと爪楊枝が刺さる。
そしてそれが俺の口へと運ばれる。……蒲公英の手で。
ずいと差し出されたそれをつい、ひょいと口に含んで……シャリッ、と噛んでしまうと、途中で割れてしまったリンゴを「にっひひー♪」と笑って自分で食べてしまう蒲公英。
「ん、ぐっ……蒲公英……?」
「看病がどうとかーとか、そういうのはまだまだ誰かに任せた方が安心だけど、これなら蒲公英にだって出来るからねー。ほらほらお兄様っ、食べて食べて?」
「いやお前この状況でそんなことしたら───」
あ、ダメ、これこの後のことが簡単に予想出来る───そう思った時には、蒲公英が確かに摘んでいた筈の爪楊枝がボッと姿を消した。
「あれっ!? えっ!? つまよーじが……!?」
「なるほど……これで林檎を刺して……。これならば私にも……!」
「あぁーっ!? ちょっと愛紗ー!?」
爪楊枝を手にしたのは美髪公であった。
「林檎を貰うぞ思春よ。さあご主人様、そ、その……あ、あーん……!」
貰うぞ、と言いつつ既に強奪してあったらしい、林檎が乗った皿を片手に、謎の迫力をゴゴゴゴゴ……と撒き散らしつつ林檎を付き出してくる愛紗さん。
ど、どうしてだろう……! 口を開けた途端に愚地克己もびっくりの真・音速拳にも負けない速度で、あの林檎が口に突っ込まれる未来が見える……!
あーん、とか言ってもらいたいなぁとか思ってた俺へ、この言葉を送りとうございます。……其の先の未来、実に地獄に候。
「あ、愛紗ちゃん? ご主人様に対して以前に、病人に対して氣を撒き散らしながら迫るものではないわよ?」
「あっ、し、紫苑っ! なにをっ……」
けれどもそんな林檎が爪楊枝ごとひょいと取られる。
お、おお、ここに救いの女神がご降臨あそばれた……! と思えば、ひょいと取られた先の林檎が、ちょうどそこに立っていた恋の前に揺れて、拍子にそれをぱくりと食べてしまう恋。
「「「「「───!!」」」」
その時、年齢統一化がなされた少女らに、電撃が走る───!!
何故って恋が、食べてしまった林檎の半分を口に咥えたまま、俺と自分の口の林檎とを交互に見て、とことこと近寄ってきたのだ。
林檎はそこに。食べさせるべき相手はここに。その後の恋の行動が予測出来た歴戦の猛者どもが、それをみすみす許す筈もなく───!
「あ、あー! つつつ爪楊枝、折れちゃったなー! これは別の方法で食べさせてやらないと、な、なー!」
「お姉さまぁ……それさすがにきつい……」
「うぅうううるさいな蒲公英! そもそもお前が楊枝を奪ったりするからっ!」
「んふんっ? ねぇねぇ一刀~? シャオがぁ、今から一刀に林檎食べさせてあげる♪ もちろん、く・ち・う・つ・し、で~♪」
「ややややめないかはしたない! シャオ、どうしてお前はそうなんだ!」
「ぶーっ、お姉ちゃんっていっつもそー! 自分はそうする勇気がないからって人の邪魔ばーっかりしてー!」
「邪魔とはなんだ! 私にだってその……それっ、それくらいっ……」
「どーせ言うだけで出来ないんでしょー。だからぁ、ほらほら一刀~? シャオが───やんっ」
「だからやめろと言っているんだっ! かかかか一刀っ! 大体あなたがーっ!!」
「主様本当なのかのっ!? 林檎に蜜があるというのはっ!」
「HAHAHA、本当サ美羽サァン。ほぅら、あそこで目まぐるしく奪われまくっている皿の上の林檎の、少し水っぽく薄くなっているところがあるだろう? あそこが蜜が密集しているところなのサ」
「おお……! なるほどのっ! 主様は物知りなのじゃー!」
「───って聞いてるの一刀っ!!」
「すいません聞いてませんでした!!」
だって聞いててもいっつも人の意見とか聞いてくれませんし!
予想GUYデスどころか予想出来すぎる分、なんかもう結論だけパスしてくれたほうがなんかもう楽かなぁって!
そうしてぎゃいぎゃいと騒がしくなる自室が混沌と化す中、いつの間に行動していたのか、俺の横に座ってしゃりしゃりと林檎を剥いている華琳様。
綺麗に切ったそれを爪楊枝だの口移しだのでもなく、ただ「ほら、食べなさい」と手で摘んで差し出してくる。
戸惑いつつもそれを口に含むと、くすりと悪い笑みを浮かべて「指が汚れてしまったわ。舐めて綺麗にしてちょうだい」と仰った。
あ、はい、そういうのはあなたの背後で、“必ずやこの北郷めをぶち殺してやる”と血涙さえ流しそうなほど目を血走らせてる猫耳フードさんにやってもらってください。
「あー! 華琳さん抜け駆けずるいー!」
「なっ……!?」
「ほんと華琳ってそういうところあるわよねー? 人が騒いでる横でちゃっかりーって感じの? じゃ、私もこれもらっちゃうわね? はい一刀、あーんしてあーん」
「ちょっ、雪蓮!? それは私が剥いたっ……!」
「わ、私もっ! ご主人様っ、あーんしてっ!?」
「桃香!? あなたまでっ……!」
そんなドS顔の華琳様に、指を差しての指摘をするは、酔えば対華琳様用決戦兵器に昇華する蜀王様と、普通の時でもある意味天敵となれる元呉王様その人だった。
そうして覇王から余裕の様相が削がれれば、もはやどの勢力も黙っているわけがなく。
さらにやかましくなっていく我が自室にて、静かにニコリ……と華佗へと笑み、「気力充実のOFF日になる筈だったんだ……」と静かに語った。
彼は静かに俺の肩に手を置き、俺のそんな儚くも短い一日を偲んでくれた。
「………」
食事はまだ届かない。
俺はこの喧噪の中、お腹をぐーぐー鳴らしながら、どうやら口移し目的らしい少女らに次々と食われていく林檎たちの末路を見送った。
性格が大人しい人たちが参戦しないのが、せめてもの救いだ……なんて思っていれば、七乃にそそのかされて別の方向での参戦を始め、それが林檎口移し戦力によって妨害されれば正式にこの喧噪への参戦が大決定。
俺は静かに、エネルギー不足で動かなくなっていく体を寝かせながら切に願った。
神様……。俺にあの、チャーハソを食って感動していた時間を返してくれ……と。
凪や斗詩が懸命に場を落ち着かせようとしても、それで止まってくれる皆様だったらきっともっと静かな日々だったと思う。
むしろ王様方が騒いじゃってたら止める方の勢いも削がれるってもので。
そんな時、モキリと青筋ひとつを盛り上がらせた思春さんがついに立ち───!!
「思春! あなたもそう思うわよね!?」
「えっ……れ、蓮華様? いえ、私は」
「そう思うわよね!?」
「い、いえっ、あの、あの……」
シャオとの言い合いが白熱してらっしゃる蓮華に急に答えを求められ、困惑していた。
あ、だめだこれ、この場における俺の味方側最高戦力があっさり飲まれちゃった。
はっ!? いや、まだぞ……! まだ頼りになる友が居る! 星、冥琳! どうかこの場を───あ、二人とも無理だ。そういえば星は仕事の都合で帰りが遅くなるとか言ってたし、冥琳は雪蓮と祭さんのわがままを抑えるのと孫家から思春を守るので手一杯だ。
「……華佗さんや。どうか鍼で眠らせてくださらんか……」
「い、いや、さすがに料理ももう出来ると思うぞ? なにも今から眠らなくても」
「見えるんだ……。出来上がって運ばれてきた料理が、みんなの手で奪い合いされまくる未来が……。ていうかあのー……俺、一緒に運ばれてきた箸、手にする機会が一度でもあると思う?」
「……、………、……───」
長き時を生き、様々な世界を見てきたこの北郷の知る限りでも最高峰の名医さんは、沈痛な面持ちで俯き、なにも仰ってはくれませんでした。
どんどんと騒がしくなるこの部屋には果たして、俺が求めた気力充実の“き”の字ですら存在することが許されないのだろうか。
そうして華佗と二人、どこか遠い目で、このあと訪れるであろう当然のように予想出来る未来の光景を……待つのでした。
……あ。ちなみに。
こんな混沌とした状況を一発で鎮めて、俺を看病してくださったのは実母でした。
母は強し。そんなお話。