-_-/公瑾
…………なにが優れていた、というわけでもない。
他人との差という意味で明確に離れる理由があるのなら、それは単に受け取り方に問題があった。
幼い頃から他人に連れられ、学を得て戦を学び、人の死を見て人の生を見る。
孫文台という存在は絶対的であり、国の象徴とさえ呼べた。厳格であるかと思えば飄々とし、娘には厳しくあたるというのに影では心配ばかりをしていた。口には出さなかったけれど、態度を見ればわかりそうなものだった。
そんな人に連れられ、今日もまた戦を見る。死と生、どれだけ上手くことを運ばせても、戦である限りはこれ以上にもこれ以下にもならない。
絶対的な存在。周りからはそう見られていたけれど、私にしてみれば子の未来を思う母親以外のなにものにも見えなかった。
子、というのはもちろん、実際の娘であり。また、呉という国でもあった。
その娘である者と知り合い、ともに明日を夢見た。
子供の頃の自分といえば、特に物事に口を出すほうではなく、国のためにというよりは自分のために学び、自分のために生きていた。
一言で言えば自分勝手で生意気な小娘、といったところだろう。
他の者よりも一歩でも二歩でも前へと進み、気づけば自分と同じ考えを持つ者はあまり居なくなっていた。
子供心に思ったものだ───周囲の者の考えは自分とは明らかに違う、自分が特別なのではない、周りがおかしいだけなのだと。
しかしそれが違うことに気づくのに、時間はそう必要ではなかった。
周りがまず言い出した。“お前は他の者とは違う”と。
その才能を埋もれさせるのは惜しい、これからの国のために役立ててくれ、思い返すだけでもいろいろだ。
その言葉に惹かれるものがあったから学んできたわけでもないが、その頃の世では学を活かせる方法が国のため以外のどこにも存在してはいなかった。
特別な者として扱われ始めた自分は、より多くの学を得て、戦をこの目で見て学んでゆく。
孫文台という大きな存在の下、彼女が死するまでを長く、そして短く。
……いつだっただろう。周りが特別なのではなく自分が特別だということを教えられてしばらく、自分は周りへの関心が薄れていっていた。
当然だろう、己の思考に追い付けない者へ、わざわざ後ろを向いて手を差し伸べる余裕などない。
特別だどうだと言われようと、自分が特別であるのは思考の回転の早さを買われたにすぎないのだから。
味方であろうと上を目指すのであれば叩き落とす。自分のためになることを率先して選び、己が生のために知恵を絞る。
そうした生きかたを続けてきたある日、私はある意味での“本物”に出会う。
……いや、出会うという喩えは適当じゃない。
その存在のことは随分前から知っていたし、なにより彼女は孫文台の娘であった。
ともに戦場で育ち、戦をこの眼で見ながら育った、いわば馴染みの深い存在。私が知恵で特別に至ったのなら、彼女は産まれた瞬間から特別だったに違いない。
そんな彼女がその日、急にだが私に語りかけてきた。
「この戦場の末をどう見る?」と。まるで遊戯を楽しむかのように、にこーと笑って言ってくるのだ。
私はまだ発達しきっていない頭を駆使し、目の前の戦場の行く末を唱えた。
するとどうだろう。
彼女は一度きょとんと不思議そうにすると、「そっかー」とまた笑う。
そして……私が出した答えにさらに補足を唱え、「なぜそう思う」と問いかける私に言ってみせた。
ただの勘だ、と。
その後のことと言ったら笑えもしない。
予測した通りの終わりを迎えた戦を前に、私は……予測通りだったというのに唖然とした。
人が精一杯考え、出した答えに補足をした彼女……雪蓮の言った通りの結果が待っていたからだ。
他人が他人に興味を持つ、なんてことは、案外なんでもないことから始まる。
“特別”であることに意味など要らない、特別というのはこんな存在のことをいうのだ……それを知った私が自分から“特別”を脱ぎ去った時、私の頭は彼女の行く末を知りたいという気持ちでいっぱいになっていた。
意識して交流を持つようになってみてまず感じたことは、この女がとても我が儘で自分勝手だということだった。
私も恐らくはそうなのだろうが、彼女には負ける自信がある。というか負けたい。
しかしながら、そんな勝手な彼女の周りにはいつも人が居た。
彼女が持つ資質……と受け取るべきなのか。人を惹き寄せるなにか、というよりは自分から怯まず突っ込んでいく度胸が彼女にはあった。
魅力と呼ばないのは、それがあまりに魅力と呼ぶに相応しくない行為だからだと、本能的に唱えられるからだろう。
そんな彼女と長い時を生き、気づけば子供であった頃などずっと以前に置いてきてしまって───私達は大人になっていた。
仲間も増え、国として確立し、掲げた旗を誇りとして戦い……だが、ついには敗れた。
雪蓮は確かに特別だっただろうが、向けられた目が天下統一よりも民の笑顔だったことが、今では勝利に一歩届かなかった原因なのでは、と……嫌な夢を見る自分が居る。
その夢を見る私は決まって子供で、膝を抱えながら暗闇に差す光の下で、ずっと絵本を読んでいる。
誰かの夢を叶えるために“特別”を脱いだ自分。そんな自分は間違っていたんだと、“ここまでに至った私”を突き放すように……子供の頃の私は絵本だけを読んでいた。
特別であった頃のほうがよかった。皆が驚き、褒めてくれた。私は天狗になっていただろうが、よく出来たという事実は私を決して裏切らなかった。
比べて、今の自分はどうだろう。
彼女の行く末を見届けようと“特別”を脱ぎ捨て、ともに国のためにと立ったというのに……辿り着いた場所にあるのは、別の意思によってもたらされた統一。
それが悪いと言うわけではない……確かに“宿願”は果たされた。
笑顔で満ちた民たちを見ていれば、回り道をしたけれど間違ってはいなかったと思える。
思えるのに……どれだけ知恵を絞っても、もう誰も自分を褒めてくれないことが、悲しいといえば悲しかった。
最後にあの人に頭をワシワシと撫でられ、あの料理を食べさせてもらったのはいつだっただろう。
よくやったと言われ、不覚にも嬉しさで自然と笑顔になってしまったのはいつが最後だっただろう。
もはや出来て当然、出来なければ落ち度にしかならない世界で、私は……いや、小さな私はなにを求め、この場で絵本を読み続けるのか。
……そんなことを考えていると、ふと……光が強くなる。
暗闇と、小さな私しか映さない夢の中、暗闇の空から差す光だけが強く眩しく輝いていた。
……なにか気配を感じて、小さな私が顔をあげる。
絵本しか見ていなかった目が、初めて眩しい光を見ようとした。
天から伸びているのだろうか……果てもないような光の先を仰ごうとして、小さな目が……人影を捉えた。
頭から光を浴びている所為か、暗闇だらけのこの世界ではよく顔が見えない。
それでも…………ああ、それでも。
「……やっと、見つけた」
“それ”が誰なのか、私はどうしてかわかっていた。
ずっと感じていた、この手だけにある暖かい感触。やがて全身に広がる暖かさが、“それ”からは感じることが出来たから。
くしゃり、と……頭を撫でられた。
くすぐったくて暖かくて、久しく忘れていた暖かさが頭から体を暖かく、もっともっと暖かくしてくれる。
あの日、“特別”を脱ぎ捨てることで置き去りにしてしまった子供の頃の私までもを、ひどく暖かく、そして……やさしく包みこんでくれた。
「……どうしてなでるの? わたし、なにもえらいことしてないのに」
だというのに、“わたし”は意地っ張りだった。
嬉しいはずなのに不思議そうな顔で、そんなことを言った。
困らせたいだけなのか、甘えたかっただけなのか───そんなことすらもう忘れてしまった私の視界の中で、“それ”はそれが当然のように……言ってくれた。
「絵本、貸してくれただろ? 最初は気づいてあげられなかったけど、ちゃんと手を伸ばしてくれたじゃないか。……思い出したから、ここに届けた。絵本って繋がりがなかったら、キミを助けられなかった」
そう言って、繋ごうかどうしようかと彷徨っていた手をやさしく握ると……座りこんでいた“わたし”を、絵本ごと引き寄せ、抱き上げた。
「わっ……」
「それにな? 頭を撫でるのは偉いことをした時じゃなくていいんだ。俺は、撫でたかったから撫でたんだよ」
「………」
眼鏡をかけていない、常にへの字口の“わたし”を肩車し、より光に届く位置へと持ち上げる。
“わたし”は戸惑い、だが……自分で“それ”の頭を抱くようにすると、込み上げる思いを抑えることもできずに───
「……また、なでてくれる?」
「もちろん」
「“いいこだね”っていってくれる?」
「ああ」
「わたしも、おにいちゃんのことほめていい?」
「ははっ、褒めたくなったらだぞ?」
「……いやなかおしないで、いっしょにいてくれる?」
「嫌な人のために、ここまで来ないって。な?」
「~……じゃあ、じゃあっ……」
……光が強くなる。
暗闇を照らし、影を消し、黒の空を蒼の空へと変え───
「じゃあっ……わたしたち、ともだちだねっ───」
…………最後に。
目を覆い尽くすほどの眩い光の景色の中で、私は───
初めて、子供の頃の自分の……“満面の笑み”を見た。
-_-/一刀
ばづん、と。ブレーカーが持ち上げられたみたいな衝撃とともに意識が浮上する。
気を失っていたのはどれくらいか───いや、失うのとは違った。
なんの冗談か、俺の氣で冥琳の氣脈を満たした途端、俺の意識は冥琳の意識と重なっていた。
さっき見たのは……恐らく冥琳の過去と、その深淵と呼べる場所。
誰も居ない真っ暗な闇の中で、ずっと一人ぼっちだった少女と出会った。
そして───そして。
「はっ───華佗!!」
「……ああ! 任せておけっ! っ……はぁああああああああっ!!!」
満たした気脈の中、一際濃い淀みを発見した俺は、華佗にその位置を即座に伝える。
途端、華佗の両目が薄緑色の輝きを放つと───彼の体から放たれる氣の量に、息を飲む。
……それは、ある意味で幸いだった。こんな氣圧でもぶつけられなきゃ、内側がボロボロな今の俺じゃあ今度は本当に意識が途切れる。
「今こそ我が全てをこの鍼に込めて! 我が身、我が鍼と一つなり!
取り出されたのは金色の鍼。
そこへと持てる限りの氣を集め、華佗がそれを高く高く振り上げる。
続けて言う言葉は───俺の時には成功しなかった、あの言葉だとわかっていたから。
「元っ───!」
「気にぃいっ───!」
『なれぇえええええええええええっ!!!!』
彼の言葉に声を合わせ、声帯が許す限りに高らかに叫んだ。
淀みの奥底で、たった独りで居た彼女にも、この声が届きますようにと願いながら。
……やがて。
鍼は、逸れることなく真っ直ぐに、気脈の淀みを……断ち切った。
38/“悪くない”世界
-_-/周瑜
とたたたたっ……ばたばた……どたたっ……!
「…………ん……」
いつの間に目を閉じていたのか。ふと開けた視界が映すのは、毎日飽きることなく見上げる天井。
いや、横たわっているのなら見上げるという言い方は適当ではないか?
……小さなことだな、忘れよう。
「……ここは」
体を起こし、辺りを見渡してみれば自分の部屋。
天井を見た時点でわかりきっていたことだが、それとは別に、何故自分がここで眠っていたのかがわからない。
……それよりも気になることが、先ほどから部屋の外で騒いでいるわけだが。
「ふむ」
耳を澄ますまでもなく、どたばたと何かが走り回る音。
そして……慌しい音に混じって耳に届く、人の声。
「……ったわよっ……蓮華っ───」
「……い! ……蓮姉っ……!」
聞こえてきたのは雪蓮と蓮華様の声……だけではなさそうだ。
呉の将総出でなにかをしているのか、少なくとも知らない声はない騒がしさを耳に、これ以上は眠れそうもないなと溜め息を。
「やれやれ……落ち着いて眠っていられもしないか」
自国の、自分の部屋だというのに。つくづく自分の周りには騒がしい者が集いやすいらしい。
溜め息を吐きながら立ち上がろうとするのだが、体を襲うだるさは酷く重く、どうやら立ち上がれても歩けそうにはなかった。
「ほれ亞莎っ! そこじゃっ!」
「ひゃうっ!? ごご、ごめんなさい一刀様っ!」
「ごめんって言いながら暗器を飛ばっ……っと、たわっ!? ギャアーッ!!」
…………。騒ぎの元凶は、どうやら北郷らしい。
丁度部屋の前を通ったのだろう、はっきりと聞こえた声に……
「うん……?」
普段なら呆れるだけで終わるはずが、どうしてか心が暖かく、そして寂しいと感じる。皆の輪から半歩ずれた位置に立ち、傍観することが自分の生き方のはずなのに……なぜ、こんな寂しさに襲われるのか。
「………」
寂しいのだとしても、体は思うようには動かない。まるで自分の中が、自分のものではないもので埋め尽くされている気分だ。
……本当にどうかしている。自分の体が自分のものではないような曖昧な気分だというのに、私はそんな気分にこそ、“嫌悪”を感じるどころか満たされているのだから。
「…………?」
ふぅ、と息を吐き、すぅ……と息を吸ってみると、どこか懐かしい香りに頭が覚醒し切る。
どこかぼうっとしていた睡眠への欲求も完全に吹き飛び、香りのもとを視線で辿ってみれば……
「………………」
机の上に、懐かしいものが乗っている。
あの方の気が向かない限りは作られないそれは、あの頃となんら変わり無い香りで、この部屋を満たしていた。
「あ……」
やれやれ、といった大人びた溜め息など出たりはしない。
代わりに、“小難しいことは考えずにあれを食べたい”と思うのに、立ち上がることさえ満足にできない我が身を、少し呪いたくなった。呪いたくなったのに、全身を満たしているこの感覚が暖かくて、嬉しいのだから救えない。
「重症だな……」
他人事のように呟き、仕方も無しに寝床に身を預ける。
今は……眠るだけでいいだろう。体が何かに満たされ、心も何かに満たされ、鼻腔までもが何かに満たされている今……不思議と確信していることがあって、私は笑った。
(おそらくは……もうあの夢を見ることもないのだろうな)
思い出すのは、暗闇の中で独りきりの子供の頃の自分。
どんな言葉を投げかけてみても届かなかったというのに、あっさりと……本当にあっさりと暗闇の外へ出ていった“彼女”は、いったいなにを望んだのか。
……今は、その全てがこの部屋と自分の中を満たしている確信がある。だからもう、あんな夢を見ることもないのだろう。
「あ、あっ……あのなぁ雪蓮んんっ! 病み上がりの人にこの仕打ちってどうなんだー!?」
「一刀が逃げるからでしょー!? 大人しくお礼受け取ってって言ってるのにー!」
「冥琳が無事だったならそれでいいじゃないかっ! なのにそのお礼が呉の女性とよよよ夜をともにするとかっ……滅多なこと言うなこのばかっ!」
「あー! 馬鹿って言ったー! 一国の王を馬鹿呼ばわりしてただで済むって思わないでよ一刀ーっ!」
「みんなが冥琳のことをどれだけ大切に思ってたのかは、そのお礼の内容だけで十分わかったからっ! だだだけど俺は魏に全てをだなっ……!」
「いいじゃないのよ華琳から許可は得てるんだしー! いっそほらー、蜀の子たちも落としちゃって、大陸の父になっちゃえばいいのよ。私、今さら誰か適当な男との間に子供なんて欲しくないし───って、あー! 逃げたーっ!!」
「逃げるわぁあああっ!!」
……人の部屋の前でなにを騒いでいるのか。
呆れ果てるくらいの会話の内容だというのに、誰も見ていないのをいいことに、私は表情を崩して笑っていた。
ふっ……と冷ややかに笑むのではなく、もう……どれくらいかぶりに、小さく声を上げて。
(……子供か。ああ、悪くないかもしれないな……)
いずれ我々も老いてゆく。
次代の呉を担う者も、それなりのものを持つ者でなければならない。
そういった意味では天の御遣いの血は……今の民にも親しまれ、大事にされることだろう。
ああ、なるほど。雪蓮の行動は、全然これっぽっちも間違ってはいない。
たった一月と半分程度の時間で、呉という国の信頼を得た彼が国の父になるというのなら、民も兵も将も、大多数の人が笑顔でいられるのだろう。
……いや、そんなことを抜きにしても、雪蓮の言う通り……今さら誰とも知らぬ者と子を成すためにともになる、というのは怖気しか生まれない。
そこまで考えてみれば、祭殿はおろか亞莎までもが北郷を追う理由も頷ける気がした。
「はっ───くふっ、ふふふふふ……あっはっはっはっはっは!」
いろいろと問題になることはありそうだが……今は笑っていよう、たった一人の存在が変えてしまった呉という国と、これからの呉を思って……子供のように。
そして、自分の体が回復したら、同じく北郷を誘惑してみるのも悪くない。
やりたいことなど山ほどある。それをやれる今があることを、それをやりたいと思える自分が居ることを、この天の下に感謝しよう。
望んだ平穏ではなかったかもしれないが……なるほど、民の心に届くはずだ。こんなにも楽しいと思えるのなら、“もっと早くにわかり合えれていばよかったのに”と思ってしまう。
「文台様……呉は、今に笑顔で満たされます。言うほど容易ではないでしょうが、必ずそれは叶うと……我が名に懸けて誓いましょう。……貴女は、笑ってくれますか?」
……。私の言葉に応える声など、もう返ってきはしない。当然だ、もうこの世には居ない人だ。
それでもあの方が望んだ呉の未来が“誰もが笑っていられる国”だというのなら、皆が笑っている中であの方だけが笑っていないはずがない。そう考えれば私も自然と笑み、笑っていた。
(…………)
……さて。それでは少し休むとしようか。原因はわからないでもないが、体がひどくだるい。
ゆっくりと眠り、体が動くようになったら……冷めていてもいい、机の上の青椒肉絲をいただくとしよう。
そして、空腹も満たしたら…………
“友達”に、絵本の感想でも訊きに行くとしようか───