真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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02:三国連合/ただいまを言える場所①

05/死に向ける敬意、武に向ける敬意。そして───オチに向ける暴走。

 

 ようやく渇いた服を畳んでいる間、華琳は物珍しそうにオーバーマンのマスクを広げていた。

 取りはしたけど八つ裂きにはしなかったそれを、風が拾ってきたのがそもそもだった。

 

「お兄さん、これはどうするものなのですか?」

 

 未知……とまではいかないのだろうけど、軍師としての知的探求か、はたまた普通に興味があるだけなのか。

 それはべつとして、うんバレた。俺が劉備さんの着替えを事故とはいえ見てしまったのがバレてしまった。

 そうだよなー、豪快に宴の席を駆け抜けたんだ、気づかないわけがない。

 

「い、いいか風、俺はべつにすき好んで覗いたわけじゃあ……」

「いえいえわかっていますよーお兄さんのことは。顔を隠せるものを手に入れたならばと、つい覗きたくなってしまったのですね」

「違うから! 俺本当に覗きたかったわけじゃないから!!」

「へえ。で? 桃香の胸はどうだったの?」

「あ、とってもたわわに実っ───たわば!!」

 

 電光石火で華琳のビンタが飛びました。

 おかげで、“たわば”なんてヘンテコな言葉が完成した。

 

「お兄さん、風は正直すぎるのもどうかと思うのですよ」

「いや……ほんと……下着姿で、しかも侍女さんたちが脱がしてただけだから……その、なんといいますか肝心なところは見ないで済んだといいますか……」

「おかしな言いかたをしますねお兄さん。見なくて済んだでは、見たくなかったような言いかたじゃないですか」

「見てなかったら、きっとみんな暖かく迎えてくれたんじゃないかなぁ……。そう思うと、あれは間違いだったって思えるんだよ……」

 

 それなのに今の俺ときたら、死刑宣告を待つ犯罪者の気分だよ。

 なんて思いながら青空の果てを見るように遠くを眺め、叩かれた頬をさすった。

 

「さてと。じゃあ……」

「みなさんに会いにいくのですかー?」

「いや、その前に少し。えと、華琳? ちょっと頼まれてほしいんだけど」

「頼み? 大陸の覇王を顎で使おうなんて、いい度胸ね」

「えぇっ!? いぃいいいいやいやいやっ、そんなつもりはっ!」

 

 ニヤリと笑っているところから、華琳も本気で言っているわけじゃないっていうのはすぐにわかる。わかるけど、なにせ華琳だから確信までは持てなかった。となると、頼るのは逆に怖い。

 

「……よ、よし、じゃあ自分の力でなんとかしてみよう。あ、華琳───次に会ったとき、頭と体が離れてても愛してるから……」

「泣き笑い顔で恐ろ嬉しいこと言うんじゃないわよ!!」

「恐ろ嬉しい!?」

「落ち着いてくださいお兄さん。いったいなにをやらかすつもりなのですか」

「やらかすって……」

 

 そんな、“行動の全てが悪事に繋がってます”みたいな言い方しなくても。

 ああ、うん、日頃の素行がどうとか言うんだね、そうですよね華琳様。だからそんなに刺々しい目で見ないでください。

 

「……ちょっとさ。孫策と話をしておこうと思って」

「雪蓮に?」

「しぇ……? っとと、真名だよな、それ。危ない危ない…………うん、孫策に」

「……一応聞いておいてあげる。一刀、貴方いったいなにを話す気?」

 

 わかっているだろうに、華琳は言う。いっそ、睨むように俺を見て。

 そんな、自分を見上げてくる目を真っ直ぐに見て、俺は口を開く。

 

「黄蓋さんのことだよ。やっぱりきちんと話しておきたいからさ」

「…………」

 

 口にしてみると、華琳は“やっぱり”って感じに不機嫌そうな顔になる。

 不機嫌そう、じゃないな、不機嫌だ。

 

「一刀……貴方、それがどういうことかわかってて言っているの?」

「もちろんわかってる。しただろ? 覚悟の話。戦場に立つ以上、どんな策で立ち向かおうがそれは立派な策。未来予知みたいなことをやって敵の策を打ち破るのも、“持っている知識を使う”って意味での立派な策だ」

「ええそうよ。そして───」

「───ああ。そして、戦場で死んだことに、戦地に向かう者は恨みを持ったらいけない。殺す気でいくんだから死ぬ覚悟だって出来てるはずだ。それを恨んだら、それは死んだ人の武への侮辱だ」

「……そこまでわかっていて、貴方はそれをするというの?」

「敵同士だったらきっとしなかったよ。でも、今は味方だ。味方に隠しごとをしたままで、仲良しで居続けられるほど我慢強くないんだよ、俺」

「………」

 

 あ、面白くなさそうな顔。

 

「貴方、それこそ八つ裂きにされても文句を言えないわよ?」

「そのときは全力で抵抗してみるよ。死にに行くわけでも戦場に向かうわけでもないし」

 

 うんっ、と頷いて黒檀の木刀を手に取る。と、華琳がフンッと鼻で笑いつつ、オーバーマンのマスクを岩の上へと投げた。

 

「抵抗? 小覇王と謳われた雪蓮に、警備隊隊長風情の貴方が?」

「ふぜっ!? 風情とか言うなっ! 警備隊は俺の、この世界での大切な仕事であり絆みたいなものなんだからなっ!?」

「その他にも魏の種馬という仕事もありますねー」

「風!? 仕事じゃないからそれ!!」

「大体、貴方そんなもので雪蓮とやり合えるつもりなの? 装飾がついているけれど、木なのでしょう? それ」

「ああ、思いっきり木だ」

 

 ご丁寧に鍔までついている木刀をヒョンッと振るって見せる。

 刃物と打ち合えば折られるか斬られるか。でも───ああ、そうだな。

 

「前提から間違えるところだった」

「……あら。気づいたの? 気づかなかったらそれこそぼっこぼこだったのに」

「あの……どの口が“言わなきゃわからないでしょ”とか言ったんでしょうか華琳さん」

「全てを与えたら成長なんてしないじゃない。私は自分の考えも持たずに与えられるだけ与えられて、自分で決断もできない、責任を取らない存在には興味がないわ」

「わかってるつもりだけどさ、ちょっと危なかったぞ今」

「気づけたならそれで十分よ。……で?」

「ああ。これは置いていくよ。武器持って向かい合ったら、どれだけ心を込めても話になんてならないもんな」

「ええ。わかったのならいいわ」

 

 満足……とまではいかないけど、華琳は少しだけ口の端を持ち上げると、踵を返して歩いてゆく。

 

「華琳?」

「呼んできてあげるわよ、そこに居なさい。呉の全員の前で言うよりは、まず雪蓮に話したほうがいいわ」

 

 そのほうが都合がいいし、と続ける華琳に首を捻る俺だが、たいへんありがたかったのでお礼と謝罪を混ぜた言葉が口に出る。

 

「……ごめん」

「謝るくらいなら言うんじゃないわよ。……まったく、あんな真面目な顔で言われたら断れないじゃない……」

「ん? なんか言ったか?」

「なにも言ってないわよ! ───風! 一緒に来なさい!」

「はいはいー」

 

 怒られてしまった。俺、そんなに危ない橋渡ろうとしてるのか? ……そりゃあ危ないよな。なにせ戦友を殺した張本人って言ってもいい。

 射ったのは秋蘭だけど、発端は俺の告発だ。

 

「でも……うん」

 

 歩いてゆく二人の後姿を見て、頷いた。

 黄蓋が孫呉の勝利を願って動いたように、俺も華琳たちの勝利を願ったからこそ行動した。

 魏に身を置く者として間違ったことはしていない。だから余計に、これは黄蓋への侮辱になるのかもしれない。

 ただ俺が“許してもらいたいから、心を軽くしたいから”と取った行動なのかもしれない。かもしれないけど、そこに憂いなんてあっちゃならないのだ。

 自分の心の深淵にあることなんて俺にはわからない。わからないから自分が願う行動に責任と覚悟を以って向かいたい。

 “許してくれ”なんて言えるはずもないし、言う気すら最初からない。

 

「……はぁ」

 

 しっかりしろよ、北郷一刀──────小さく呟いて、岩の上に置かれていたマスクを叩いた。

 あとでこれも使うことになるから、破かないでおいてよかった~と、暢気なことを考えながら。

 

 

───……。

 

 

 どれくらい経ったのか。

 緊張するなというのが土台無理な話の緊張の中、森をゆっくりと歩く人影に気づく。その影が見えるまで、座ることもなく歩くこともなく、ただずっと立ち尽くし、待っていた。

 座ってしまうとなにかに甘えてしまいそうだったのだ。

 “過ぎたことなんだからなんとかなる、今さら殺すなんて言わないさ”なんていう、自分の思考に食われそうだった。

 だから緊張を消さないために、川の前の草むらにずっと立っていた。

 

「…………」

「……」

 

 まずはなんと口にするべきか。───そんなものは決まっている。

 

「こんにちは、孫策」

「───御託はいいわ、言いたいことがあるんでしょう?」

「………ああ」

 

 もちろん、言いたいことはこんな挨拶じゃない。

 真っ直ぐに孫策の目を見て、恐らくすでに華琳から知らされていたのだろう事実を、真実として俺の口から。

 

「あの日、赤壁の戦いの中で黄蓋さんの策を華琳に報せたのは俺だ。黄蓋さんは魏の内部に入り込んで、火計でこちらに大打撃を与えるつもりだ、と」

「………」

「鎖で繋ぐことも知っていた。そのへんは真桜が上手くやってくれたから、黄蓋さんを逆に騙すことも出来た」

「………」

「それで、っ……!」

 

 特に拍子もなく、俺の喉に剣が……南海覇王が突きつけられた。

 真っ直ぐに、一歩を踏み出せば刺せる距離で。

 

「それで? それを私に話して、貴方はどうしたいの? 謝りたいだけ? それとも───」

「……謝らない」

「……?」

 

 冷たい目が俺を睨む。その目をしっかりと目を逸らさずに見て、言ってやる。

 

「謝ったりなんか、しない。許しを得たかったからこんな話をしたんじゃない」

「だったらなんだ。こんな話に謝罪以外のなんの意味があるという」

 

 女性ではなく、王としての眼光が俺を射抜く。

 それでも、口調や雰囲気に息は飲んでも、目は逸らさずに言葉を紡いだ。

 

「許してくれなんて言わない。ごめんなんて言ったりもしない。俺は直接戦ったりなんかしなかったけど、それでも自分の考えで誰かが死ぬ世界に身を置く覚悟で向かった。それは黄蓋さんだって同じだっただろうし、直接戦う分、死ぬ覚悟だっていつでも出来てたはずだ」

 

 ツ、と……俺の喉に鋭い圧迫感。───視線は、逸らさない。

 

「……意味ならあるさ。これから俺達は手を取って国を善くしていかなきゃならない。そのために、仲間を殺すきっかけになった自分を隠したままでいるのが嫌だった」

「だから……それが許しを乞う行為だって言っているのよ」

「違う。憎んでくれたっていい。嫌ってくれても構わない。ただ、そのために豊かにするべき方向を見失いたくないんだ。あいつが憎いからそこは手伝わない、彼女らには悪いことをしたから手伝わせてくれなんて言えない……そんな風になるのが嫌なんだ」

「………」

 

 さらに圧迫。プツ、と……嫌な音が耳に届いた。それでも、視線は孫策の瞳の奥に。

 

「これまでの戦いでたくさんの人が死んだ。臣下だけじゃない、兵や民だって、戦う意思を見せなかった誰かだって、たくさんのものを失った。……中には一緒に酒を交わした兵も居た。華琳たちには内緒で桃を買い食いして、バレやしないかってそわそわしながら笑い合って。でも……ある日、そいつは居なくなった。その辛さを、空虚を、知っている」

 

 剣は、さらに進む。まるで、一緒にするなと言うかのように。

 

「……一緒だ。付き合いの長さだけじゃない。国に貢献した数の問題でもない。誰だって生きていた。同じ旗の下に集まって、同じ意思の先を目指して戦った。強いからとか弱いからとか、そんなので片付けられるほど、この天下は軽くなかったはずだ」

 

 喉から胸へと、暖かいなにかがこぼれおちる。

 それでも……視線は、逸らさない。

 

「許してくれなんて言わないし、言ってほしいわけでもない。だけど、許さなくても繋げる手は今ここにあるはずだ。伸ばすだけで届く手が、繋げる手があるはずなんだ」

「………………そう。じゃあ訊くけど、貴方はそうやって手を繋いで、なにをどうする気?」

 

 冷たいままの視線を向けながら、孫策は言った。

 俺はそれにどう答えるべきか…………そんなものは、最初から決まっていたんだ。

 これこそが、会って話をして、届けたかった言葉なんだから。

 だから逸らすことなく真っ直ぐに、喉の痛みにも耐えながら口にする。

 

 

      「……国に、返していきたい」

 

 

 ……ふと、息を飲む音がする。

 それは果たして俺のものだったのか孫策のものだったのか。

 微かに震えた南海覇王が俺の喉を小さく刻み、思わず顔をしかめるけど……それでも、目だけは逸らさなかった。

 

「死んでいった人が残してくれたものを、ともに目指した場所で得たものを、いろんな人達が教えてくれたものを、この世界が与えてくれたいろんな思いを、全部」

「…………貴方……」

「死んでいった人達があっちで笑っていられるくらい、国を豊かにしていきたい。残された家族たちが、いつか“自分にはこんな子が居たんだ”って泣かずに話せる未来を築きたい。先人たちが残してくれた街に、国に、大地に……今度は手を繋げる全員で、その全てに恩を返していきたい」

 

 ……剣が震える。見つめる瞳は揺れていて、だけど……彼女もまた俺の目から視線を逸らすことをせず、向かい合っていた。

 そんな彼女が、一度喉をコクリと鳴らして……口を開いた。

 

「…………ひとつ、訊かせて」

「……ああ」

「貴方は、祭を……黄蓋を討ったことを、後悔している?」

「………」

 

 すぅ、と息を吸う。

 喉が痛むけど、構わずにゆっくりと。

 やがて長く息を吐いて、自分の心に問いかけた。

 “北郷一刀。お前はあの日のことを後悔しているか?”と。

 答えは…………確認するまでもなかった。

 

「後悔はしていない。黄蓋さんが孫呉のために命を賭けたように、俺だって曹魏のために“存在”を賭けて戦場に立った。……その場で殺されていたら、そりゃあ悔いは残っただろうけど、文句はなかったはずだよ」

「…………」

 

 孫策は俺の目を見つめる。

 言葉もなしに、そのままの状態で一分近くも。

 

(…………なんて真っ直ぐな目。でも……)

 

 でも、どうしてだろう。その目が、ふいに小さな驚きを孕む。

 

(でも……この子、悲しそう……)

 

 どうして驚いているのかも解らない状況の中で……ゆっくりと、剣が引かれる。

 

「そう。ならいいわ。私も、悲しくないわけじゃないけど……今さら貴方を殺して華琳に嫌われるのも好ましくないし」

「いいのか?」

「おかしなこと訊くわね。死にたいの?」

「いやいやいやっ……殺されないまでも、叩いたり殴ったりとかはされるんじゃないかとは、内心思っていたりはしたから……!」

 

 きょとんとした顔で死を口にする孫策に、思わず大慌てで否定の言葉を紡ぐ───ってこらこらこらっ! 一度納めた剣をまた抜かないのっ! そんな、ついでみたいなノリで殺されるなんて冗談じゃないっ!

 首をぶんぶん振る俺がおかしかったのか、孫策は苦笑を漏らした。まるで、出来の悪い弟を見るような目で、“仕方ないなぁ”って感じに。

 

「名前、貴方の口から改めて聞かせてもらっていい?」

「……っと、ああ。北郷一刀。姓が北郷、名が一刀。字と真名はない」

 

 あだ名って意味では、たぶん“かずピー”がそうなんだろうけど。

 

「じゃあ一刀。貴方は自分が起こした悔いのない行動を理由に、叩かれる、または殴られることを覚悟して私と向き合ったの?」

「行動に悔いはない。でも、人の感情って理屈だけで終わらせられるほど簡単じゃないだろ。戦場だから、仕方ないから、って全部を我慢したら、そのうち悲しみ方も忘れるかもしれない。……そりゃあ、本当に仕方のないことだってあるよ。俺だって華琳に、戦場で死んだことを恨むべきじゃないって言った。孫策さんにだって似たようなことを言った。でも───」

 

 ああそうだ。悔いは無くても、もしもを思えば悲しくなる。

 彼が生きていたなら、この世界の俺にも男友達が出来たのだろうか。

 内緒で酒を飲んで、桃を買い食いして、華琳に見つかってしこたま怒られて。それでもまた懲りずにやって、同じ空を仰ぎながら笑い合える馬鹿な友達が。

 

「どうせだったら、楽しさと一緒に悲しみの重さも分けてもらえる“手”でありたい。だから、少しでも気が晴れてくれるなら、叩かれてもいいって思ったんだよ」

「…………」

 

 孫策は、変わらずに俺を見ていた。

 見透かすように───俺の内側を覗くように。

 

「じゃあ、質問の仕方を変えるけど。…………貴方は、悲しい?」

「───」

 

 ずきり、と……心の奥底が痛んだ。

 後悔はしても前を向いていられるようにと誓ったあの日以来、こんなに鋭く痛んだのは久しぶりだった。

 

「………」

 

 孫策は変わらず俺の瞳を見ている。

 その目を見返すことが、少しだけ辛くなった。

 

「…………もしも、って……思うことがあるんだ」

「……ええ」

「もし、戦いなんてものがなくってさ。俺達が最初から手を取り合えていたなら……俺達が立つ世界はどうだったのかなって……」

 

 それは“もしも”を望む弱い心。

 もっといい道があったんじゃないだろうかと不安になる弱い心だ。

 そんな弱さを耳にして、孫策は───

 

「覇気もなく、惰弱に生きていたでしょうね」

 

 俺の弱さを、ばっさりと斬り捨てた。

 

「はは……そっか」

 

 そしてそれは俺自身が選んだ答えと同じものだったので、俺は笑いながら返す。

 

「あ、ちょっとー。答えが出てるなら訊かないでよ」

 

 そんな俺の反応に、孫策は面白くなさそうに口を尖らせる……って、何処の子供ですか貴女は。

 

「“それでも”って思うのが人間だろ? 自分が取った行動が途中で怖くなって、もっといい道が選べたんじゃないかって、あとで怖くなる」

「当たり前じゃない。だから後悔って言うんでしょ?」

「ああ。俺もそんな世界だったから、いろいろな覚悟を学べた。それを今さら否定するつもりなんてないよ。でも……みんなが生きて、ここで宴が出来てたらな……って、どうしても思っちゃうんだよ。孫策さんはそういうこと、ない?」

「私? ん~……そうね。祭だったらこんな席、逃すことは絶対にしないわね。賑やかなのとお酒が好きな人だから」

「───、………おごっ!?」

 

 孫策の言葉に沈黙すると、腹を鞘で突かれた。

 

「そんな顔しないの。言ったでしょ? 残念に思うことはあっても、恨んだりはしていないわ。逝った人が賑やかなことが好きだったなら、せいぜい死んだことを後悔するくらい楽しんでみせればいいのよ」

 

 そう言いながら、孫策は俺の頭を鞘でコンコンと叩いてくる。

 ……うん、地味に痛い。

 

「……一刀。手を出して」

「手? ……えと」

 

 突然だったけど、言われるがままに手を出す。

 すると、その右手が右手に包まれ、しっかりと握られる。

 

「難しいことは難しいことが好きな人に任せればいいのよ。笑うべきときは笑わなきゃ嘘になる、ってね。だから、貴方が国に返していく思いに、私は私の手を繋ぎたいんだけど…………それでいい?」

「───……」

 

 少し、ポカンと口を開ける。

 けどそれも少しの間で、俺は慌てて頷くと、今度は俺の方からしっかりと手を握り返した。

 

「じゃあ、私のことはこれから雪蓮って呼ぶように。いいわね~? か~ずとっ♪」

「へ? でもそれ、孫策さんの真名じゃ───」

「いいわよ、私は全然構わない。恩を国へ返すんでしょ? もちろん私たち孫呉にもいろいろと貢献してくれるのよね?」

「あ、ああ……それはもちろんだ。俺に出来ることがあったら、遠慮なく言ってほしい……むしろ望むところだから」

「だったら雪蓮でいいわよ。国のために働いてくれる人を、ずぅっと他人行儀で迎えるのなんて肩が凝るだけだし。……はぁ~あ、ちょぉっとからかうつもりだったのに……してやられたなぁ」

 

 伸びをするように、俺の手から離した手を天へと伸ばしながら、孫策……じゃなくて雪蓮は───……ん? マテ、今……妙に気にかかることを仰りませんでしたか?

 

「からかう、って…………え? なにを?」

「え? あぁうん、そのー……罪悪感とか持ってるなら、それを利用してつついちゃおうかなーって。祭が一刀の知識の前に敗れたのは、華琳から聞いてたから」

「………」

 

 か、からかう……? 俺、からかわれてたのか?

 いやいや待て待て、いくらなんでも死んだ人をからかうためのタネに使うのは───…………え?

 

「あ、あのー、つかぬことをお訊ねいたしますが、雪蓮さん?」

「ん、なぁに?」

 

 悪戯の真相をようやく明かせる子供みたいな、満面な笑みをにこーっと浮かべた雪蓮が俺を見る。

 認めたくない、認めたくないんだが……

 

「……その。こ、黄蓋さんって……もしかして……」

「祭? 祭がどうしたの~?」

 

 い、嫌な予感がふつふつと……!

 

「そ、その、だな……まさかとは思うんだけど………………い、生きてたり、とか───」

「ええ。ついさっき盗賊団殲滅遠征先から直接こっちに来て、今は大好きなお酒をがぶがぶ飲んでるところよ」

「なぁああああーっ!?」

 

 生きてた……生きてた!? えぇ!? な、あ、えぇえっ!!?

 

「なぁあっ……えぁあ!? だ、だだだって雪蓮、さっきこんな席を逃すはずは~とか言って……!」

「それがね? 今回の遠征はちょっと面倒でさ。それを祭に行ってもらったんだけど、思いのほか片付け難いものだったみたいでね? 今日中には来れないかもね~って冥琳と……ああ、周瑜のことね? 冥琳と話してたの」

「…………つまり。遠くに居ようと、今日という宴の席を黄蓋さんが逃すはずがない、という……意味……だったと……?」

「そうだけど?」

「………」

「………」

「俺の覚悟を返せぇえええええっ!!」

「きゃーっ、一刀が怒ったーっ♪」

 

 爆発した。

 言った言葉の全てが空回りになり、恥ずかしさとして返ってきたかのような恥ずかしさ。

 とにかく形容しがたい感情が胸の中で爆発するや否や、俺は両手を上げてオガーと叫びつつ、笑いながら逃げる雪蓮を追い掛け回した。

 

「死んだことを後悔するくらいとか言ったじゃないかー!」

「だって華琳がそう言えって言ったんだもーん!」

「だもーんじゃない! そんなこと───えぇ!? 華琳が!?」

 

 ちょっと華琳!? 華琳さん!? あなた思い悩める男の子の決意を利用して、なんてことを!

 

「散々待たせたお返しだから、徹底的にやって頂戴、って。この作戦考えたの、華琳よ?」

「あれだけ殴っといてこれ以上なにを望むんだよあの覇王様はぁーっ!!」

 

 叫ばずにはいられなかった。

 さよならシリアスようこそ理不尽。

 

「華琳!? かりーん!! ええい誰かある! だれっ……誰かぁあっ!! 誰かこのどうしようもないモヤモヤを取り除いてぇえーっ!!」

 

 そりゃあ、死んでいなかったのなら嬉しい。嬉しいが、この恥ずかしさはどうしてくれよう。

 頭を抱えて身悶えする俺を、雪蓮は楽しげに見るだけだ。この場には他に誰も居ないんだから、助けてくれる人なんて当然居ないわけで。

 

「って、どうやって!? いや取り除き方とかじゃなくて、黄蓋さんはどうやって……」

「えぇと、それがその。本人の名誉のため、あまり言いたくないんだけどー……言わないとだめ?」

「じゃなきゃ納得出来ない。秋蘭……夏侯淵に討たれたはずだろ? なのにどうして」

「むー…………あのね? ここだけの話……」

「……あ、ああ…………」

 

 ごくりと息を飲み、言葉を聞きこぼさないよう意識を聴覚に集中させる。

 すると……

 

「…………胸の大きさがね? こう……矢が心臓に達するのを防いだというか……あ、もちろん筋肉も骨もだけど」

「実家に帰らせていただ、って離せぇええええっ!!」

 

 現実逃避を実際の逃避に昇華させる勢いで、足早に去ろうとしたら捕まった。

 

「何処に帰る気よ、もうっ! 一刀は魏に恩を返すんでしょ!?」

「お、おっ……俺がどれだけの覚悟を以って切り出したと思ってんだっ!! どれだけの覚悟を以ってここに立ってたと思ってるんだっ!! 華琳に“殺されても仕方ない”みたいに言われて、緊張しっぱなしで心臓がドクンドクンいってたのに、結果がからかいだった上に胸!? 胸で助かったのか!? む、胸っ……胸って……」

 

 ひどく脱力。同時に呆然。いや、よかったよ? よかったんだけど。この行き場のない妙な気持ちや覚悟や恐怖はいったいどうしたら……。

 

(俺……もうなにも信じない。遠くへ行こう……どこか遠くへ……)

 

 今こそ霞との約束を果たすのでもいい……羅馬に行こう。

 そんな思いを胸に、とある“遠くへ行きたい歌”をルルルーと口ずさみ始める。

 処理しきれない状況による困惑を、冗談や意味のないものを混ぜることで誤魔化しにかかるのだ。怒りや焦りに飲まれそうなときには、と、じいちゃんに教わったことだ。

 え? 効果のほど? てんで冷静になれません。

 

「目が虚ろで怖いから落ち着きなさいってば! それだけで助かるわけがないでしょ!? 華佗って医者が助けてくれて、彼が居なきゃ祭は本当に死んでたんだから!」

「……え?」

 

 ハタ、と止まる。

 暴走していた思考も治まり、“死”という言葉が自分を、むしろさっきよりも冷静にさせた。

 華佗……華琳に紹介されて、一度会ったことがある男の名前だ。

 あの時は原因不明だった“俺の消滅への予兆”のことで、診てもらったな……その男の名前が華佗だった。

 同一人物……だろうな。

 

「心臓に達していなかったにしろ、あの戦いで祭が重症を負ったのはわかっているはずよ。船から落ちたにしろ船ごと流されたにしろ、赤壁は混戦状態だった。そんな中で重症の人間が助かる可能性なんて限りなく少なかった」

「………」

 

 それは……そうだ。

 あの炎の中、あれだけの傷を受けて立っていられたことが奇跡だった。

 そこに秋蘭の矢を受けたんだ……気絶で済むことも奇跡なら、生き抜けたことも奇跡だった筈だ。

 

「医者がそこに居たから助かった。居なかったら助からなかった。それも、ただの医者じゃ助からなかったのよ」

「それは……」

「射られた場所が悪かった所為もあって、復帰にはかなりの時間がかかったわ。祭が生きてたことを知ったのだって、私達が華琳に負けたもっと後のことなのよ? 意識不明だったから華佗が預かってくれていたってだけで。久しぶりに会えたときも結構辛そうで、その間にも五胡っていうおかしな連中が襲ってきて、祭は無理にでも戦線に出ようとするし、放っておけば隠れてお酒を飲もうとするし……」

「…………」

 

 最後の“酒”に関する言葉で、シリアスが裸足で逃げていった気がした。

 

「ええっと……じゃあ、その。今日飲む酒は、久方ぶりの無礼講の酒ってことなのかな」

「そ。完治祝いの酒と言っても過言じゃないんじゃない?」

「…………ちなみに、黄蓋様は普段、お酒をいかほど……」

「一刀。流れる滝が全部お酒だったらいいと思わない?」

「……訊いた俺が馬鹿でした」

 

 つまり、それだけ飲むんだろう。

 そしてそれだけ飲めるってことは、本当に心配はいらないってことで……いいんだよな……はぁ……。

 

「安心した?」

「う……それはまあ、したよ。どんなに伸ばしても届かないはずだった手が、望めば届く場所にあってくれた。…………うん、安心もそうだけど、嬉しいよ」

「へーえ……」

「……? な、なに?」

 

 にこー、と人懐こい顔で笑う雪蓮が、両の手を腰の後ろで組んだ状態で、俺の顔を下から覗くようにしてじりじりと近づいてくる。

 値踏みするとかそういうんじゃなくて、俺の目の奥を覗き込みたがってるみたいな……なに?

 

「ねぇ一刀。孫呉に来ない?」

「え? それって遊びかなにかで?」

「違う違う、天の御遣いとして、孫呉の肥やし……じゃなかった、孫呉で働いてみない?」

 

 あの。今、肥やしとか言いませんでした?

 

「ごめん。俺は、この身この心の全てを魏に捧げた。街の発展の手伝いくらいなら喜んでやるけど、魏からべつのところへ降るっていうのは考えられないよ」

「ぶー……了承を得られるとは思ってなかったけどさー、ちょっとでも揺れ動いたりはしてくれないのー?」

「揺れないよ。そしたらこの一年が無駄になる」

「───、……」

 

 雪蓮の疑問に、改めて真っ直ぐ雪蓮の目を見て口を開いた。

 すると、雪蓮は俺の目を見たまま固まったように、口を開けっぱなしにして目を瞬かせた。

 ……はて。なにかおかしなこと、言っただろうか。

 

「……雪蓮?」

「はっ! ……う、うー……なんか悔しい……」

「へ? く、悔しいって───」

「よし決めた。決めたわ私。まずは───…………とっとと、そうだった! 一刀、私はこれで戻るけど、華琳が一刀は“ますく”とかいうの被ってきなさいって言ってたわよー!」

「ますく? ……って行っちゃったよ」

 

 自分の言いたいことだけ言って、雪蓮は風になったかのようにゴシャーアーと走り去っていった。

 

「…………え?」

 

 さて……そうして残された自分は、いったいなにをどうするべきなのか。

 チラリと後方の景色を見やれば、流れる川と岩に置かれたマスク、そして乾いた服が畳まれて重ねられたバッグ。

 オーバーマンマスクは被るつもりだったけど、まさか華琳からそういった指示がくるとは思わなかった。

 

「はぁ…………こればっかりは謝らないといけないからな」

 

 事故とはいえ、着替えを覗いてしまったのは事実。

 よし、と覚悟を決めて、私服に着替えたのちにオーバーマンマスクをジャキィィインと装着した。

 

「オーバーマンズブートキャンプへようこそ! 大丈夫! 私たちは出来る!!」

 

 なにかがいろいろ間違っている言葉を口にして、リラックスのための材料にする。

 うん落ち着け俺、ほんと、いろんな意味で。

 


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