真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷

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26:蜀/違和感の正体、心の拠り所①

50/僕の弱さ、キミの弱さ

 

 政務の手伝いを終え、参加出来る人のみで開く勉強会。

 会場となっている俺の部屋で行なうそれは、勉強と言うよりは説明会にも近い。なにせ教える立場の俺が、自分の世界のことをなんでも知っているわけではないからだ。

 振るう教鞭なんてものはなく、代わりに振るうのは人差し指。

 拳からピンと立てたソレをくるくると回しながら、貸してもらっている一室で自分が知っている知識を話して聞かせていた。

 ためになることから、自分も疑問に思っていることまでいろいろと話し、空いた時間にはひらがなの勉強や算数の勉強。

 1と書くにも壱と書くもんだから、数字自体がすでに難問と化していた。

 ……の割には、結盟誓約書には“壱”じゃなくて“一”って書いてあったような……。気にしちゃいけないな。

 

「えー、はい。この時、吾郎くんは100円玉を持って買い物に行きました。消費税5%のご時世に5円の菓子を目一杯買うとして、何個まで買えるでしょう」

 

 消費税の定義を語るとキリがないものの、一応は説いてからの問題。

 「“ぱーせんと”ってなんだよー」と散々質問を投げかけられ、一割~十割の計算の説明の延長というべきか、そういった喩えを持ち出しながらの説明に入り、ようやくいざ問題をって頃。

 これに対し、手を挙げた生徒Aの文醜さんは、

 

「これで買えるだけよこせって言やぁ解決じゃん」

 

 物凄い正論を言ってのけました。うん、説明したパーセントのこととか完全無視の答えをありがと───ああっ、ちょっと待った! そうだそうかとか頷かないでっ! これじゃあ問題じゃなくてなぞなぞだよ!

 

「……問題変えようね。吾郎くんの目の前に10個の桃があるとします。食べたいと思う人はその場に3人。これを均等に分けるとして、一人は幾つ食べられるでしょう」

「あたいが全部食べる!」

「鈴々が食べるのだ!」

 

 で、問題を変えればこんな感じ。

 生徒Bの鈴々とともにハイハイと手を挙げるでもなく、素直な答えを───って違う!

 

「三等分! ちゃんと分けて!」

「うー……あたいが八個食べて、他のやつに一個ずつやればそれでいいじゃんかよ~……」

「鈴々、十個くらいじゃ足りないのだ」

「あ、じゃああたいもっ」

「問題ぶち壊して増加を望むと!?」

 

 ああ、うん……ええっと……ねぇ……?

 どうして今日は、文醜と鈴々と関羽さんしか集まらなかったのかなぁ……。

 学ぼうとしてくれるのは嬉しいけど、これって問題に対していちゃもんつけてるようにしか見えないぞ……?

 

「えーと……思い付いた答えをすぐに口に出すよりも、頭の中で様々な考え方で答えを求めてみてほしい。あととりあえずは吾郎くんの存在を忘れないで……。問題の主役は吾郎くんだから……」

「ちぇー……ずるいよなー吾郎は」

「いっつも美味しいもの食べすぎなのだ」

「空想の人物にまでイチャモンつけないでくれ、お願いだから……」

 

 問題を出せば、誰もが自分と照らし合わせて考えるものだから、仕方も無しに誕生した吾郎くん。

 今のところ、その活躍を見た日は一度も無い。

 こんなことが続いていると流石に辛くなってきて、泣き言の一つでも言いたくもなるんだが───本日の救いは、懸命に頭を働かせている関羽さんの存在だ。

 

「……一刀殿。桃の答えだが、一人が三つと三等分にした桃を頂くことで解決、と……これでいいだろうか」

「あっ───か、関羽さぁあ~ん……!」

「うわぁっ!? こ、こんなことくらいで泣くんじゃないぃっ! こんなもの、少し考えればわかることだろうっ!」

 

 本当はその個数を数字に表してもらう予定だったんだけど、もうダメ。普通に正解してくれただけでこんなに嬉しい。

 すぐに答えなかったのは、鈴々と文醜が答えるのを待ってたからなんだろうけど……うう、出来た人だなぁ。

 算数から始めてやがては数学を……とか思ってた自分に“オタッシャデー!”とか叫びつつハンカチーフを振りたい気分だったもんだから、それはもう嬉しかった。

 この時、関羽さんの言葉に少しだけ違和感を感じたんだが……喜びが勝ってしまい、気にせず次の問題へと駆けてしまった。

 

「じゃあ次。また三等分の問題だけど、今度はわかりやすく……えっとそうだな。文醜さん、三等分の時はさ、袁紹さんと顔良さんと何かを分ける時と一緒って考えてみて?」

「なぁんだ、それならそうって早く言ってくれよ~。じゃ、“麗羽さまが欲張って斗詩が遠慮してあたいがいっぱい食べる”でいいんだなっ?」

「ごめんなさい今の無し。じゃあ次、鈴々。……桃香、関羽さん、鈴々で何かを綺麗に分けるとしたら───」

「お姉ちゃん、自分の分はお腹が空いた誰かにあげちゃうのだ」

「………」

「わっ! お兄ちゃんがまた泣いたのだ!」

 

 ……人を喩えに出しての問題、よくないね。桂花もそれで失敗してたきらいがあるし。

 そして桃香……キミ、良い人すぎ。眩しいくらいだよ。

 

(……桃香か)

 

 桃香、ときて思い出すのは執務室での会話。

 気づかなきゃいけないなにかと、気づいちゃいけないという自分の内側。

 いったい何が言いたいのか、自分の胸を裂いて覗いてみたいくらいだ。

 自分のことは自分が一番わかると誰かは言うけど、記憶に関しては随分と曖昧だな。……そう心の中でぼやきつつ、視線を戻す。

 

 今度の問題も関羽さんが答えてくれて、幾分救われながら授業を続ける。

 “考えることを基準に置いてくれるように”という名目で始めたはずなのに、鈴々も文醜も考え方を一つしか用意せず、我こそ至上最強の猪ぞと胸を張るが如く、思い当たった先から口に出している。それが外れると、次の問題が出るまで考えることを放棄しちゃうんだから大変だ。

 

「うーん……なぁ鈴々。戦ってる最中はさ、相手が次にどう動くか~とか想像するだろ? その延長みたいに、“この問題はこう、それがダメならこう”って、どんどんと考えを変えていくんだ。……出来るか?」

「んー……難しいことはよくわからないのだ。戦ってる時は、“やーっ!”って振るって“たーーっ!”って振るって、勝つって気で適当にやってれば勝てるのだ」

「しっかりしろよ御遣いのアニキ~、そんなの当たり前だろ~? 負ける気で行ったって得するわけでもないんだから、いくぜーって行けばなんとかなるもんなんだって」

「………」

 

 自分を喩えにあげることが好きなら、いっそ自分に喩えて考えさせてみたらと思った僕が浅はかでした。

 そうだよなー……実力の基盤からして、そもそもが常識から外れてるんだから。こんな比喩を出した時点で敗北は当然だったのか……。

 

(い、いやいやっ、可能性を捨てるのはよくないことだっ、次だ次っ!)

 

 うんっ、と頷いて次の問題へ。

 文句を言いつつもこれで結構楽しんでくれているのか、鈴々も文醜も逃げ出さずに聞いてくれている。

 文醜は袁紹さんと顔良さんに言われて仕方なく、鈴々は関羽さんに連れられての参加だったんだが───うん、少し安心した。

 

「次の問題ね? 吾郎くんが敵に囲まれました。吾郎くんの実力は、せいぜいで二人を倒せる程度。しかし相手は三人居ます。仲間が居る場所に戻るには全力で走っても───」

『根性で三人ともやっつける(のだ)!!』

「吾郎くんの武力を無視しないで!? 二人までなのに三人居るんだってば!」

「それって吾郎的には死地ってことだろ? 人間死ぬ気になればなんでも出来るって」

「吾郎はそんなに弱い子じゃないのだ」

「文醜!? それって吾郎くんにとって地獄でしかないから! 鈴々、キミどこのお母さん!?」

「いいや一刀殿。敵はたかだか三人程度。援軍が来ないのであれば、信ずるは己が武力のみ。生きるか死ぬかならば、せめて一人でも敵を削らんとする吾郎殿の心、汲んでやることこそ───なに、心配など無用だろう。吾郎殿ほどの者ならば、三人程度の雑兵などに遅れは───」

「関羽さぁああああんっ!!」

 

 とうとう関羽さんまでおかしな方向に走り始めてしまった。

 うん、戦いのことを問題にしたのは間違いだった。

 さらに言えば問題の主役を吾郎くんにすることで、いつの間にか吾郎くんが何でも出来るスーパーマン的存在として、三人の思考に植えつけられてしまっていたらしい。

 

(相手が雑兵だなんて一言も言ってないのに……、ん? あれ?)

 

 で、また違和感。

 なにかな、と軽く考えてみると、いつの間にか関羽さんから“一刀殿”って名前で呼ばれていることに気づいた。

 今日会うまではずっと北郷殿だった気がするんだけどな。ハテ。

 訊いてみようかとも思ったが、ここで訊いてもいろいろと野次が飛びそうだ。関羽さんだけの時に訊いたほうがいいだろう。

 

「じゃ、じゃあ吾郎くんを話に出すのはやめて、次はべつの誰かを───」

「除名されるのー!? 吾郎いったい何をしたのだー!」

「おいおいアニキぃ、さすがそりゃまずいだろ……」

「一刀殿! 吾郎殿ほどの者を手放すとはどういった理由が───!」

「あぁあもうわかったよ! 吾郎くんで続けるよ!! ていうかアニキってなに!? いつから俺そんな感じになったの!? 反董卓連合前に会った時は、“兄さん”とかって言ってたのに!」

「あ~ほら、一応“天下の大将”の傍に立つ人だろ? 御遣い様~とか呼ぶのもあれだし、兄さんってのも今さらだし。んじゃあアニキでいいかな~って。でもなぁアニキ、吾郎を外すのは」

「外さないから! 外さないから次行こう次!」

 

 いつの間にか、みんなが吾郎くんを好きになっていた。

 皆に慕われる吾郎くん……複雑だけど、笑えるんだから良し、でいいのかなぁ。

 

(みんなに慕われる……少しキミが羨ましいよ、吾郎くん……)

 

 苦笑をもらしながらそんなことを思う。

 問題も次から次へと破綻し、いつしかまったく関係のない話に至り───ふと気づけば、可笑しな話で鈴々、文醜とともに大笑いしている自分が居て。

 視界の隅で、そんな俺を見て関羽さんが小さく笑っている気がしたんだけど……見てみればそんなことはない。

 頭の中で首を傾げる自分を想像しながら、笑い話から引き戻された思考を授業に戻してゆく。

 ようはあれだ、“わかる人”の基準から物事を教えようとするから失敗する。

 だったら相手の気持ちになって考えて、十から百を教えるのではなく一から十を教えてゆく。それでもダメなら一から二までを噛み砕いて細分化して、これでもかってくらい丁寧に教える。

 何かを教えるっていうのは地道な作業だ、気長に行こう。

 

……。

 

 で……しばらくして。

 

「わかったっ! 答えは十だっ、吾郎は十個桃が買えるんだ!」

「違うのだ! 吾郎は十個買えるけど、おじちゃんが一つおまけしてくれるのだ!」

「ばっかだなぁ鈴々、これは幾つ買えるかの問題なんだぜ? 答えは十でいいんだよ。けどあたいなら、吾郎だったら二つはおまけしてもらえると踏むねっ」

「じゃあ鈴々は三個なのだ!」

「なにをーっ!? だったらあたいは十個だ!」

「二十個なのだ!」

「いいや三十個だね!」

「やめてぇええっ!! 潰れちゃうからぁあっ!! 吾郎くんが行っただけでお店潰れちゃうからぁあああっ!!」

 

 みんなの思考レベルとともに、吾郎くんの地位がどんどんと上がっていった。

 経験値からすれば、みんなの取得経験値と吾郎くんの取得経験値とじゃあ倍以上の差があったわけだけど。

 

「……こほんっ、うん。正解は十。二人ともやれば出来るじゃないか」

「っへへぇ、まぁ、あたいにかかれば楽勝だよ楽勝」

「えへへー、お兄ちゃん、褒めて褒めてー♪」

「これで余計な付け加えがなければなぁ……」

 

 頭を撫でられ、「にゃー♪」と声を上げる鈴々を見下ろしつつ、そんなことをぼやく。原因はわかってる。わかってるけど……なぁ。

 

「“一つのことに対して他方向、または多方向から考えろ”って言ったのはアニキだろ?」

「あらゆる事態を想定して~とも言ってたのだ」

「だからって十個も二十個もおまけがつくわけないだろ……買った数より多いおまけってなんだよ。……ん、でもそういうことが大事だって伝わってくれたなら、これはこれでいいのかなぁ」

「いいっていいって、そういうことにしとこうぜ~?」

「食べ物の話ばっかりしてたから、鈴々お腹が空いたのだ」

「そっか。……じゃ、今日はこれまでにしようか。何事もほどほどが一番。一日のうちに詰め込み過ぎても、整理出来なきゃ意味がないもんな」

 

 一歩ずつしっかりと覚えていけばいい。

 無理して壊れるのは、なにも体だけじゃないんだから───とか思ってるうちに二人はさっさと飛び出していってしまって、呆れる俺と関羽さんだけが残された。

 

「関羽さんも、お疲れ様。今日はいろいろとありがとう、お陰で助かったよ……精神的に」

「いや、構わん。私も貴重なものを見ることが出来た。あれが……鈴々が、笑いながら勉学に励む姿を見られるとは……一刀殿のお陰だ、礼を言う」

「べつに普通に授業やってただけだし……ってそうだ」

 

 一刀殿。急にそういう呼び方になったこと、訊くつもりだったんだ。

 

「えっと、さ。急に話を変えてごめん。その……呼び方のことなんだけど、どうして……」

「あ……いやこれは、べつに深い意味があるわけではなくてっ……だな、その。~……そう、だな。一刀殿も関係しているというのに、桃香さまだけに謝罪するのはおかしい」

「へ? 謝罪……って、なんの?」

 

 謝られるようなこと、あったっけ。

 あ、もしかして───って、覗きの件は事故だったとはいえ……いやいや、あれは不注意がどうとかでなんとかなるものじゃないら。

 

「先ほどの執務室での話、失礼だとは思ったが聞かせてもらっていた」

「………」

 

 執務室での……あの話か。

 盗み聞きって意味では確かにいけないことだろうけど、俺自身が困るような内容は無かった───いや待て、大陸の父計画はどう考えてもマズイだろ、って、さらに待て。そうだ、さっきはすっぽり抜けてたけど、きっかけを思い出した。魏延さんがどうにも不機嫌な理由って、やっぱり張勲と同じく大陸の父計画の話を聞いてたから……なんじゃないか?

 

「一刀殿が……天の御遣いが大陸の父になる。それにより、各国の同盟意識が強まれば、確かにこれ以上の戦は起こり得ない。承服するか否かを別に見て取れば……なるほど、悪い話ではないはず。しかし一刀殿、貴公はそれを望んでいない……そうだな?」

「うん。確かに俺がそういった軸になれれば、争いの種なんてそうそう生まれない。ある意味で、もっと安定に向かうかもしれないって思うよ。けど───」

「けど?」

「三国の絆って、そんなことをしなくても十分強いんじゃないかな。大陸の父とか、共通の財産とか、そんなものを用意しなくてもさ」

 

 自分が三国っていう場の支柱になる。それは、想像してみれば光栄に思えることだろうけど、そんなに簡単に決められることじゃない。

 周りがどれだけ言おうと、俺は今まで魏のため華琳のためと自分を高めてきた。

 今の俺がここに居るのは、魏を思っていたからこそだ。そのお陰で到った自分だと思っている。

 だというのに、やっと戻って来れたと思ったら大陸の父って……待ってくれとも言いたくなる。

 

「たしかに、同盟の絆は高いものと言えるだろう。王の仲も、将同士の仲も悪いとは言わない。それどころかよい均衡が保てている。だが民は、兵はどうだろう」

「……それは」

「一刀殿の考えを無視したことになるやもしれない。好ましくないものと関係を持つことなど、我が身に換えて考えれば怖気も走る」

「うん……それは、そうだ」

 

 頷く───が、関羽さんは俺の頷きに首を横に振るった。

 

「しかし、それは相手をろくに知らぬがこその嫌悪と私は思っている。……貴公は今、蜀の地に居る。今は表面でしか知り得ぬ間だろうが、これからいくらでも互いを知る機会はある。そして、私は───」

 

 続ける言葉を一度区切り、彼女は自分の手を見下ろした。

 どこか寂しげに、どこか悲しそうに。

 けれど、その顔が俺に向けられた時には、もうキリッとした真剣な表情へと戻っていた。

 

「天の御遣いとしてももちろんだが───それよりも私は、人としての。一人の北郷一刀殿を知ってみたいと思った」

「え───……人としての……俺?」

 

 訊き返す声に、声もなく頷く。

 それは意外な言葉だ。

 みんな、天の御遣いって名前から俺を知って、それから俺って人物を知る人ばかりだった。

 それはきっと華琳だって、雪蓮だってそうだったはずだ。

 けれどこの人……関羽さんは、天の御遣いという名ではなく、俺って個人を知りたいと……

 

「人のため誰かのため、兵や民を大事に思い、一人の兵や民のために涙を流せる貴公を知りたいと思った。……桃香さまに似ている部分を感じるというのに、そんな貴公がなぜ我らではなく曹操の前に降りたのか。“なぜ桃香さまの理想のために……今ではなく、必要だった時に手を伸ばしてくれなかったのか”。もちろんそういったことを考える。だがそれは、御遣いとしての貴公であり、過ぎたことでもあり今さら言ったところで天下が手に入るわけでも、再び戦が起きてほしいわけでもない」

「……うん」

「我らが桃香さまの在り方に感動を覚え、彼女の理想を叶えようと思ったように、貴公にも理由があった。ただそれだけの過去だ。もちろん叶わなかったことへの悔しさがないかといえば虚言にもなる」

「でも、自分だけの我が儘を通して“再び天下を”って立ち上がったら、誰かがまた傷つくことになる」

「その通りだ。この平穏が我らが戦った末に得られたものであっても、我らだけのものではない。この平穏は兵と民、我ら将と……王のもの。命ある限り守らなければならない尊いものだ。それを今さら私欲で崩すなど、出来るはずもしようと思えるはずもない」

「………」

 

 その意思は固いのだろう。

 そうしたいという雰囲気さえ出さず、たしかに主の理想は叶わなかったが“結果”自体は得られたといった風情で、彼女は頷いていた。

 理想の全てが現実と一致していなければ嫌だ、なんて……どこまでいっても我が儘でしかないんだろう。

 そんな理想を叶えるためには並々ならない努力と犠牲が必要で、それは桃香も関羽さんも望んでいることではないはずで。

 

「故に───今はこの平穏に感謝し、今伸ばしてくれる手を取りたいと思っている。貴公の人となりは魏と呉からの噂で多少は知っている。加えて朱里や雛里、恋や鈴々が真名を許していることからしても、悪い者ではないとは思う」

「……ん」

「しかし私は己が目と耳で、貴公という存在を知らなければ納得が出来ないだろう。……疑り深いと思ってくれても構わない。だが私は───刀殿?」

 

 語る彼女の目の前で、待ったをかけるように手を突き出す。

 納得出来ないのも疑り深くなるのも当然だって思うし、信じようとしているのにまず疑わなければならない彼女が少し辛そうに見えたから。

 

「……ありがとう、そんなふうに言ってくれて。俺、もっと嫌われてるかと思った。顔合わせの時は嫌ってなどいないって言ってくれてたけど、大陸の父の話を聞いてからは……嫌われても当然かもしれないって。たぶん魏延さんも、覗いちゃったこととかそれが原因で嫌ってるんだろうし、仕方ないことなんだろうって」

「あ、い、いやっ……覗きの件は私が無駄に騒いでしまったからっ……! すまないっ、まさかここまで大事になるとはっ……!」

「あ、ううん、それはいいんだ。事故だったけど、すぐに出て行かなかった俺も悪い。呆然としている暇があったら、さっさと出てればよかったんだ」

「う……」

 

 戻れたことへの嬉しさと、それとは別に目の前にあった状況への戸惑いと……いや、あの時は戸惑いしかなかったか。

 人間、本気で戸惑うと相手の状態よりも現状の把握に走るのかもしれない。

 それも状況によるんだろうけど、少なくとも俺は固まることしか出来なかった。申し訳無い。

 

「関羽さん、これから用事は?」

「いや、特にこれといった用事は無いが……」

「そっか。じゃあ少し、話に付き合ってもらっていいかな」

「元よりそのつもりでここに居る」

 

 俺の言葉にフッと笑い、真っ直ぐに目を見てくる。

 俺もそれに習って目を見つめ、互いに小さく笑ってから───俺は寝台に、関羽さんは椅子に腰を下ろした。


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