真・恋姫†無双 魏伝アフター   作:凍傷(ぜろくろ)

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26:蜀/違和感の正体、心の拠り所②

 互いに座り、少し浮かんでくる緊張を飲み込む頃、早速と言っていいのか……関羽さんが切り出した。

 

「一刀殿。私は人としての一刀殿を、と言ったが───今さらですまないとは思うが、それは訊いていいことなのだろうか」

「ん……問題はないはずだよ。それってつまり、俺が日本……天の国でどんな生活をしてたか、とかでいいんだよな?」

「う、うむ。よかったら……いや、このように訊く姿勢を取らせておいてよかったらもなにも無いな、すまない」

 

 自分の強引さに呆れるように、彼女は少し俯いた。

 そんな彼女に、それは大したことじゃないって教えるためにも、笑みを含んだ言葉で「大丈夫」と告げた。

 そう、大丈夫。大したことじゃない。

 

「天の国の俺かぁ…………そうだなぁ、特別なことなんてなんにもない、普通の人だったよ」

「普通?」

「そう。争いがない場所で普通に産まれて、普通に遊んで普通に学んで。不自由なんて特にないくせに、あれが無いこれが無いって言っては、現状から抜け出す勇気もないのに……口では大きなことばっかり言ってるような、どこにでも居る普通の人間だった」

 

 そう、本当に……どうして自分がこの世界に飛ばされたのかもわからない、そんな存在。

 自分じゃなくてもよかったんじゃないか、自分じゃなくて別の誰かだったなら、もっと上手くやれたんじゃないか。そんなふうに思ってしまうことなんていくらでもあった。

 だってそうだろう?

 ただの学生だった自分の前で、戦を当然のように行なう人が居て、死んでしまった人が居る。

 そうしなければ生きられない家庭があって、死んでほしくないと願いながらも、子が戦に出なければ得られない糧があって───そんな世界を、特別なことをしなくても糧を得られた自分が見ていたんだ。

 なんの冗談だ、なんてことは当然のように思う。

 当たり前のように戦があって、当たり前のように誰かが死んで。

 子が死んだ家に届けられるのは弔いであって、二度とは戻らぬ子の笑顔に咽び泣く親が居て。

 

「もちろん天にも戦はあった。けどそれは何十年も前に終わっていて、世界のどこかでは確かに未だに存在しているものだけど……少なくとも俺が住む場所では、そんなものはなかったんだ」

「その中に在って、一刀殿は普通の存在であった、と───?」

「うん。俺より頭のいいヤツなんていっぱい居て、俺より強いヤツなんて山ほど居た。俺はそんな中で友達と馬鹿みたいに笑いながら生活をしてきて……気づけばこの世界に居た」

 

 結局俺は、それがどういった原因で起こったことなのかを知らない。

 華琳が願ったにしたって、どうして俺でなければならなかったのか。何故他の人が選ばれなかったのか。その理由を、俺は全く知らないのだ。

 だって、違う世界の……そう、この世界がたとえ本当の歴史であってもそうでなかったとしても、華琳は遥か未来の俺のことなんて知っているはずがないのだ。俺じゃなければいけない理由には繋がらない。

 御遣いの存在を願ったところで、どうして俺が御遣いでなければならなかったのか、その理由には至らない。

 誰でも良くて、たまたま俺だったってだけなんだろうか───なんて考えて、もし及川が降りてたらどうなってたのかな~なんて、可笑しなことを考えた。

 無駄にって言ったら失礼かもしれないけどさ、要領がいいからなぁ、あいつ。案外俺よりも上手く……ああいや、三国志のことはあまり詳しくないんだっけ。

 だったら……歴史の通り秋蘭は討たれて、華琳は赤壁で負けて……───いや。今考えることじゃないよな、これは。

 

「……一刀殿の言う“普通”とは、この国で喩えるとどのような……?」

 

 思考に向けて苦笑をもらしていると、関羽さんが質問を投げてくる。

 どのような、か。

 

「庶人」

「……は?」

「庶人となんら変わらない。俺は普通の街、普通の家に産まれて、普通に生きてきた。親に養ってもらって、成長して。違うとこっていったら、さっきも言った通り三食が約束されていることや、戦に出なくても糧を得られることくらい。むしろそんな辛さを知らない分、俺って存在は現状に甘えすぎていたくらいだ。この世界の民のほうがよっぽど逞しい……この世界から天に帰った時、心の底からそう思った」

 

 “生きることに必死になる”───それは、俺が知らなかった世界だ。

 地球のどこかの国で飢餓に見舞われている人が居ると聞いたところで、見たところで、可哀想とは思っても何もしないのと同じ。

 いざ目の前にして、手を伸ばせば助けられる人が居るならばと懸命になりはしたのだろう。じゃあ、もし自分の手の届かない場所でそんなことが起きたら? ……決まってる。その“現実”さえ気にせずに、“贅沢”を尽くしていたのだろう。

 目の前で起こらなきゃ“現実”には至ってくれないものが沢山あることを、俺はこの世界で知った。

 人の死も、生きる喜びも、食べられる幸福も、食べられない辛さも。

 

「庶人と同じ……? で、では貴方はっ……戦を知らぬ世界から来たというのに、乱世に身を投じたと……!?」

「……多分、それは違うんだよ関羽さん。俺は自分から投じたんじゃない、投じなきゃ生きられなかったんだ。兵にならなきゃ生きられなかった人たちと同じで、だけど戦場での立ち位置はまるで違った。俺は安全な場所で戦を眺めて、兵は“刹那”を生きるために必死で戦った。軍師に戦を望むべきじゃないとか言うかもしれないけど、俺は軍師としても役に立てたかなんてわからないんだ」

「一刀殿……」

 

 天の御遣い。

 その言葉が無ければ、俺はどこかでのたれ死んでいただろう。

 天の御遣いだから戦に身を投じることになったのに、天の御遣いじゃなかったら生きていられなかった、なんて……本当におかしな話だ。

 

「いつも守ってもらって、いつも誰が死んでしまうのか不安で仕方なかった。どれだけ“強い”ってわかってたって、誰もが死ぬときはあっさりと死んでしまう。……仲が良かった兵が居てさ、そいつとは随分と悪戯めいたことをやってたんだ。でも、ある戦のあと……そいつの姿は魏には無かった。ははっ……それがたまらなく辛くてさぁ……そうすると後方で何もしないで立っている自分が凄く情けなくて……」

「……それで、己を鍛えようと……?」

「理由の一つには……うん、なっていると思う。誰かが困ってる時に、何も出来ない自分が辛いからって鍛え始めたんだけど……ははっ、おかしいんだよ、それが。自分から鍛え始めておいて、それがいつからか自分の中で違う方向に向かい始めてる。守るために、出来ることを増やすためにって始めたのに、強くなるのは自分の気ばっかりで……」

 

 話ではなく力で解決しようとする。それは以前の俺からでは考えられなかったことだ。

 いくら魏のためだとか貞操がどうとか言っても、力任せに逃れるなんてこと、今までの自分はしなかった。

 そんな些細なことから、自分の力への疑問は始まった。

 

  “力を振るい続ける者はやがては修羅にもなろう。そんな者が修羅にならずに済むにはどうしたらいい?”

 

 じいちゃんに、ちゃんと言われていたことだったのに。

 それに気づけずに、いつの間にか修羅に向かうところだったかもしれないんだ。

 

「顔合わせの時、魏延さんに信頼のことを言われて頭の中が冷たいくらいに冷えた。俺のことを八方美人だとか、出る言葉が口八丁とか、俺に向けられることはどうでもいい。でも、そんな俺を信頼してくれた人たちが馬鹿にされてるみたいで嫌だった。……その時さ、俺───どうしようとしたと思う? 話で解決がどうとかじゃない、“何をするかわからなかった”んだ」

「それは……大切な者を馬鹿にされて、黙っていられるほうがどうかしているだろう」

「うん、そうかもしれない。でも、以前の俺ならきっと、そんなことは思わなかった。そうなるとさ、力を得るってことは、やさしいままじゃいられなくなるのと同じなのかなって。そう思ったら、途端に……はは、情けないけどさ、自分の力が怖くなった」

「力を振るうことが……? ───なるほど、それが理由か。手合わせをしたがくすぐられたと鈴々が言っていた」

「…………ん。最初はさ、木刀を振るうつもりだったんだ。武器を振るう相手に勝つのなら、失礼のないように武器で、って。そしたら振るえなくてさ。咄嗟に後ろから押し倒して無力化を狙ったけど、鈴々の力だと簡単に返されるってわかってたから」

 

 だからくすぐった。

 そう判断するのに多少の時間があって、鈴々がそれで治まってくれたことにどれだけ安堵したか。

 もしかすると鈴々も、そういったものを感じ取ったから反撃しないでいてくれたのかと……今なら思う。

 

「“力を得ようとする者は、必ず力に溺れる時が来る。それを乗り越えられん者に力を振るう資格はない”。俺の師匠の言葉だけど、今さらになってぐさりと来たよ。自分が力に溺れてるなんて気づきもしなかったんだから、痛みも相当だった」

 

 そういった意味では魏延さんには感謝している。

 あ、いや、べつに持ち上げられたことに感謝したいわけじゃない。

 

「関羽さんは自分の力に疑問を抱いたこと、ある?」

 

 けど……俺はその溺れる自分から逃げたかったのか、そんな自分を克服したかったのか。

 気づけば自分の口からは勝手に言葉が紡がれていて、目を閉じ俺の話を聞いてくれていた彼女に質問を投げていた。

 関羽さんは……すぅ……と息を吸うとともに目を開き、俺の目を真っ直ぐに見て……「ある」、と言った。

 

「一刀殿。私の志は、桃香さまに“頂いた”ものなのだ」

「頂いた……? え? じゃあ今まで───」

「そう。私は桃香さまに頂いた志を以って、乱世を駆けていた。桃香様に会う前までの私は、世を憂い憤りのままに力を振るう粗暴な存在。その力を正しく振るう場も理解出来ず、村を巡り、盗賊達を討つだけで満足するような……そう。たったそれだけで、乱世を救う英雄にでもなったつもりでいた」

 

 かつての自分を思い出しているのか、関羽さんは視線を俯かせ、自分を恥じ入るように溜め息を吐いた。

 

「なんと矮小であることか。思い返せば顔が熱くなり、己が恥ずかしくなる」

「それは……間違いなんかじゃないだろ? その力で、確かに関羽さんは人を救っていた。そこに笑顔はきっとあって、助かった人だってきちんと居たはずだ」

「一刀殿…………いや。そうなのかもしれないが、もっと早くに気づいていればとも思ったのだ。己より弱き者に対してのみ力を振るい、遥かに強大な敵と戦うことなど考えもしなかった。“なぜ盗賊などが存在しなければいけないのか”。そこに目を向けることなど、しようともしなかったのだから」

「あ───……」

 

 ……そっか、同じなんだ。

 なまじ力があったために、何かが起きれば力で解決する。

 盗賊は悪でしかないと決めつけて、何故“盗賊をしなければいけなかったのか”など考えもしない。

 けれど盗賊を滅ぼせば村は救われ感謝もされ……誰かの笑顔が“自分に出来ること”を教えてくれたつもりになっても、それは叩き潰すことでしか得られない答えで。

 

「桃香さまは、そんな私の武に理由をくださった。武も才もないあの方が剣を握り、背に無力の民を庇い……百にも近い盗賊の前に立ちはだかる姿を、最初こそ理解が出来なかった。しかし理解できた時には───それがやさしさであり、あの方の強さであると知った時には、ああ……私の武とはなんと曖昧なものなのだろうかと。理由を持たず振るわれる力の、なんと矮小なことかと」

「関羽さん……」

「恐らく、ともに居た鈴々も同じ気持ちだったか……いや。純粋にあの方のやさしさに惹かれたのだろう。以来お姉ちゃんなどと言って、あとをついて回っていた」

 

 空を仰ぐように天井を見上げる彼女は、どこか懐かしさにひたるような穏やかな顔をしていた。

 そんな顔がふと俺に向けられて、彼女は言葉を続ける。

 

「盗賊達を追い払った後、そんな桃香さまが私達になんと言ったか、想像が出来るかな?」

 

 それは簡単な疑問。

 俺はその時の桃香の立場になってみて、その時の関羽さんを視界に納めるようにして……思考、イメージする。

 すると……

 

「……そんなに強い二人には、もっとたくさんの人を救うことが出来ると思うよ」

 

 するりと口からこぼれる言葉。

 それを聞いた関羽さんは、「ああ、やはり……」と小さくこぼし、穏やかに笑っていた。

 

「出会う頃、出会う形が違っていたなら、私は貴方の槍になっていたのかもしれない」

「え?」

「ふふっ……桃香さまに同じようなことを言われた。現状で満足し、限界を勝手に作っていた私には……その言があまりに眩しすぎた。かと思えば力が抜けたのか、腰を抜かして立てなくなる桃香さまを見て……眉間に皺を寄せてばかりだった私は、久方ぶりに大笑いをした」

 

 桃香サン……あんたって人は……。

 あれだろうか、ここぞという時に格好のつかない人なんだろうか───……あれ? それって俺もだろうか。

 

「いい具合に力を抜いてもらったと、今でも思う。それは己の武に、脆弱たる盗賊の群れに対して天狗になっていた私にとって、目が覚めるような脱力だった」

「……そっか。関羽さんにとって、桃香が寄りかかれる場所なのか。桃香にとっての寄りかかれる場所が関羽さんや鈴々であるみたいに」

「───そう、だな。だとするならば、私はそれを誇りに思う。と言っても桃香さまのことだ、蜀の将や兵や民を拠り所にしているのだろうが」

「理想的だね、それは。将も兵も民も、みんながみんなを好きでなきゃ出来ないことだ」

 

 眩しいなぁ……と一言口にして、装飾のついた窓から見える景色を見た。

 ……見えるのは庭と青空だけ。そんな空を、いつか学校の教室から空を仰いだ時のような気分で眺めていた。

 

「…………?」

 

 と、ふと会話が途切れていることが気になって視線を戻すと、関羽さんがぽかんとした表情で俺を見ていた。

 ……? なにかヘンなことを言っただろうか。

 もしかして、呉でやっていたみたいに思考が口から漏れてた!?

 

(それは危険だどうしよう! というか俺は何を考えてたっけ!?)

 

 軽くパニックになりつつ、しかし表情は出来るだけ平静に努めていると、ぽかんとした関羽さんが一度笑みをこぼした。

 

「な、なるほどっ……自分でしていることにまるで無自覚とくるっ……ふふっ、貴方は本当に桃香さまによく似ている」

「……、」

 

 あれ? なに今の小さいけど確かな痛み。

 なんだか「貴方は天然ですよ」って言われたような……あ、あれぇ? 一国の王に似ているって、誇っていいこと……だよな?

 

「……一刀殿。そんな貴方に訊きたいことがある。御遣いとしてでなく、北郷一刀としての貴方の拠り所は何処に存在する?」

「俺の? それは」

 

 それは魏……と答えようとして、声が続かないことに気づく。

 どうしてだろうと考えてみて、俺の頭が思い浮かべたのはどうしてか張勲と袁術。

 気づけと言い放ち続ける心がそんな考えを生み出し、気づくなと戒めようとする心がそんな考えを殺そうとする。

 拠り所の話のはずだろ? どうして気づく気づかないの話になるんだ? だってあれは“桃香の言葉”を聞いてから現われ始めた痛みで……。

 

(……繋がってるのか? 繋がりがあるのか? 気づけないなにかと、拠り所の話は)

 

 ……わからない。

 心が苦しかろうが、求められているなら気づかなきゃいけない。気づくべきだって思っているのに、俺はそれを否定したがっている。

 自分の心がわからない。

 俺はいったい何を……? 何に気づけてない……? 俺の拠り所は魏で、華琳の傍のはずだろ?

 だから俺は帰ってこれて、だから…………だ、から───

 

「…………俺」

 

 たとえば……ある普通の日常の中、誰かに「貴方の心の拠り所はなんですか」と訊かれるとする。

 思い浮かぶのはなんだろうか。趣味? 好きな人? 頼れる誰か? それとも……“家族”? 

 俺は“国”と答えようとした。だって“魏だ”と答えようとしたのだから、それは国だ。

 国を守り、国に頼り、国とともに生きていきたい。傍に居てくれる誰かと、傍に居たい誰かとともに。

 いつしか家族同然となったみんなとともに、生きた歴史を振り返ってみたい。

 

  でも……じゃあ、日本に置いてきた俺の家族は?

 

 この世界に来る(帰る)ことばかり考えて、どうせ時間は止まったままなのだからと安心して、夢中になって……。

 もし俺がこの世界で死んでしまったとして、家族はどうなる?

 たとえば、たとえばだ。

 俺が日本に戻った時、ただ単にこの世界に飛ばされる前の時間に俺が帰っただけであって、実際は時間が進んだ時間軸があるとして……その時間軸での母さんは? 父さんは、急に居なくなった俺をどう思う?

 気を使って遊びに連れ出そうとしてくれた及川は? 曾孫でも見せてみろって笑ってくれてたじいちゃんは?

 

「………」

 

 なんだ、これ。

 誰かを守るためにとか言いながら、一番一緒に居てくれた人を守れていない。

 育ててくれた人や、お世話になった人……導いてくれた人から、悪友まで……なにも、全然。

 

「ああ……だから、か……」

 

 魏を拠り所に、なんて言えるわけがない。

 

  あ~あ……気づいちまった……

 

 心の何処かで、他人事みたいに言う自分が居た。

 それはそうだ……気づかずに笑ってるべきだった。

 だってそうだろ? 家族よりこっちを選んで、この世界で笑って。

 もしかしたら自分の世界の先では周りを泣かせているかもしれないのに、自分だけ幸せに浸って。

 魏が拠り所だって? はは……北郷一刀、それは拠り所っていうんじゃない……捨てられるのを怖がって必死でしがみついている……依存、って……言うんだよ……。

 強くなって守るから、どうか自分をここに置いてくださいって。そう言っているようなもんじゃないか。

 気づかなければよかった、こんな弱さ。

 俺はいったい、今までなにを……。

 

(そんな言葉じゃあ、誰も諦めない……そうだよな、その通りだ)

 

 だってそれは、俺の言葉じゃない。

 魏や華琳のためと口にしてるだけで、俺の言葉では一切断っていないのだ。

 なぁ一刀……それも魏に捨てられないためか? 無意識下で、そうなることを恐れていたから断ってたんじゃないのか?

 

「一刀殿?」

 

 ぶつぶつと小さく呟いている俺を怪訝に思ってか、気遣うような声が耳に届く。

 ……本当に、嫌なタイミングで気づくもんだ。

 もっと早く気づいていたなら……そう、せめて呉に居る最中に気づいてあげられたなら、ちゃんと自分の言葉で言ってあげられたはずなのに。

 

「───あれ?」

 

 言う? 言うって……なんて?

 俺は貴女達の想いを受け取れないって……そう言うのか? 魏が、華琳が好きだから───いや待て、それじゃあさっきまでの自分となにも変わらない。

 誰かと比べるんじゃない、俺が俺として、彼女達一人一人をどう思っているかだろ? 魏でもそうして、彼女達の想いを受け止めてきたんじゃないか。

 俺自身は、雪蓮や呉のみんなをどう思ってる?

 迎えてあげられないくらい嫌いか? それとも、好きだけどそれはやっぱり友愛でしかないのか。

 

「───」

 

 そこまで考えてみて、自分に呆れた。

 俺は迎えるだけで、自分から好きと言ったことがなかったのだ。

 訊ねられれば好きだと言えて、愛していると言えて。

 自分から誰かに好きだと言ったことなど───……

 

(霞にタラシだって思われてたのも仕方ないのかもな……はは、本当に……まいった)

 

 雰囲気に流されやすいんだろうか……いや、じゃあこんな自分をどう説明すればいいのか。

 自分の気持ちに気づいたから、誰でもなんでも受け容れるって?

 ああそうだ、嫌いなわけがない。発展してゆく世界で精一杯に生きて、真っ直ぐに自分に好意をぶつけてきてくれる人たちだ、嫌いになれる理由がない。

 それを自分は魏が華琳がと言い訳して、断ってきた。

 でもそれは確かな理由であって……なのに自分の言葉ではなくて。

 

「俺の……拠り所は……」

「? あ、ああ……拠り所は?」

 

 間が開き過ぎたからだろう。

 突然拠り所の話をする俺に、関羽さんは戸惑いながら意識を向けた。

 俺の拠り所か……それは何処だろう。

 かつての生活を捨ててまでこの世界に来て、俺が頼った場所……いや。

 頼るだけなら依存と変わらない。

 自分が志を持ったまま、華琳にもこの大地にも誇れる自分であれる場所。

 そう、助け合い、思い描く未来に笑顔を見せられる場所は。

 

  ……なぁ、北郷一刀。一度誇りも、好きも嫌いも捨ててみろ。

 

 頭の中でそんな場所を描こうとしたら、ふと誰かの声が聞こえた気がした。

 それは自分がよく知る声で、俺が声帯を震わせたなら、きっと聞こえる声。

 

  愛だの恋だのじゃなくて、自分がそうでありたい形を描いてみろ。

 

 考えて考えて、自分の弱さに呆れていた自分に暖かさをくれる声。

 自分の声だっていうのにヤケに凜としていて、胸の内に響いてくる。

 

  気づいてしまったなら仕方ないだろ。

  ちゃんと考えて、ちゃんと答えを出さなきゃな。

  ……誰かのためなのはわかるけどさ。

  気づくのが早いのもどうかと思うぞ、俺は。

 

 呆れるように言う。

 叱りつけるようにも聞こえるそれは、まるで───

 

  なぁ一刀。華琳は、魏のみんなは───ただやさしいだけの女ったらしを仲間として受け容れるか?

 

 それは違う。

 種馬だとか女たらしとか言われてたけど、やさしさだけで言うなら……きっと桃香のほうが上で、受け容れられるべきだった。

 理想が高くて理屈に沿ってなかったかもしれないけど、出会う形が違ったなら……やさしいだけでよかったなら、俺じゃなくてもよかった。

 

  だったらそれでいい。

  軍師としても武人としても役に立たなかったなんてお前は言うが、だったらそれ以外でお前はきちんと助け合うことが出来てたんだ。

  一途な……って言ったら語弊が出るか? ははっ。

  ともかく、一途なのは勝手だけど、みんなのお前への想いを軽く見るな。

 

 俺への想い? みんなの?

 でもそれは───

 

  “お前らしく受け止めればいい”。

  後のことなんか気にしないで、想いを受け止めてやればいいさ。

  それが“北郷一刀”だ。

  これで呉や蜀の娘の想い、民や兵の想いを断り続けたら、それこそそんなものは要らないって……潰されるぞ?

 

「どこを!?」

「うわぁっ!? な、なにを急に大声でっ……!?」

「へ? あ、いやっ、ごごごめんっ!」

 

 突然出した大声に、聞く姿勢で待っていた関羽さんは滅法驚いたようだった……すこぶる申し訳ない。

 うん、でもいい具合に心が落ち着いた。

 うじうじと考えるだけだった自分の心が、少しだけ軽くなった。

 

  ここまで言えばいくら人の心に疎いお前……いや。俺でもわかるだろ?

  少しは学習しろ、まったく。

  曹孟徳はそんな不出来なヤツをいつまでも傍に置くほど、寛大じゃないぞ?

 

 う……それは、まあ。

 好きだからって気持ちを盾に、傍に居続けることを許すような存在じゃないかもしれない。

 ……素直じゃないとは思うけど、その場合は鬼になって突き離してでも成長を望むと思う。

 

  だったらこの呉や蜀を回ってる今が、その突き離されてる瞬間だって思っとけ。

  ……まったく、自分の心まで他人のため他人のためって。

  いつか後悔するぞ? せっかくまだ気づくなって言ってやってたのに。

  気づいちまったら、これからが大変だ。

 

 ……自覚してるよ。本当に、大変だ。

 もう魏や華琳を言い訳には使えないし、求められたらきっと───

 

  間違ってたら大人しく華琳や魏のみんなに叱られろ。

  最悪いろんな首が飛ぶかもしれないけど、それはお前の自業自得だ。

 

 飛ぶ首って一つしかないよね!? 頭以外どこが飛ぶの!?

 

  いーからいーから……じゃ、お節介はここまでだ。

  お前はお前らしくいろ。

  お前らしく、自分のことより他人のために走っていればいい。

  それがお前で、それが北郷一刀だ。

  それに…………ああいや、これは俺が言っても仕方ないな。

 

 ……“俺”の声が消えてゆく。

 それは俺の中へとしぼんでいくように、小さくなるように、納まるように。

 言いたいことは言った、伝えたいことは伝えたというかのように、綺麗に。

 

  ああそれと。どれだけ綺麗に纏めて見せても、華琳は絶対に仕置きを用意してるだろうから。

  そこのところは彼女の可愛い焼きもちだと思って、しっかり受け止めてやれ。

 

(エェッ!? いやちょっ……それは困っ……!)

 

 ……などと戸惑っているうちに、それは完全に“元の形”に戻ってしまった。

 流れる氣を追うように辿ってみれば、それは深い深い深淵に置かれた……小さな“絵本”だった。

 

(…………)

 

 何処で何がきっかけになって、何に気づけるのか。

 そんなものはわからないものなんだろう。

 たまたまやってきたことがプラスに働いてくれただけにすぎないし、これからもそうとは限らない。

 けれど“気づけた自分”はここに居て、“気づいてしまった自分”もここに居る。

 さて……俺はまず何をするべきなのか───と考えて、とりあえずは気づかせてくれた冥琳との絆や、治療を手伝ってくれた華佗に感謝を。

 

「…………うん」

 

 答えは胸の中に。

 言い訳がましく言うんじゃない、もっと前向きな気持ちで、はっきりと。

 

「ね、関羽さん。また話を変えて悪いんだけど……関羽さんは自分の力に疑問を抱いたことがあるって言ったよね?」

「うん? ああ。私の志は桃香さまに頂いたものだと言ったな」

「その志は、たとえ貰いものでも……今では自分の志として誇れるもの、だよね?」

「無論だ。貰いものだと、自分のものではないとどれだけ言われようとも、私はその志が眩しかったから桃香さまの槍となった。そこには迷う理由も足踏みする理由もない。ただ信じ、桃香さまの願う全てを叶えるための槍になりたい。私はそう思った」

「そっか。……うん、そうだよな」

 

 さあ、北郷一刀。お前の答えはなんだ?

 来るもの拒まず受け容れるのか? それとも自分の言葉で好意を断り、あくまで友として生きるのか。

 

(答えなら、もう出てる……んだけど、ちょっと卑怯というか男としてそれはどうかというか、なんていうかそれって今さらなんじゃないかって思って自己嫌悪というか……はぁ)

 

 まいった。本当にまいった。

 気づいたからには受け容れなきゃいけないことがあって、それはお世辞にも褒められる行動じゃないというか。

 客観的に考えたら、相当に痛い男になってしまう。

 まず考えてみよう。

 俺は華琳のもの……これが前提。

 けど華琳は俺を“大陸の父”……つまり三国の支柱にすることに“一応”の頷きを見せたというし、そこにどんな考えがあるにせよ“頷いた事実”は覆らない。

 

 絵本の俺が言った通りだ。そこは俺が行動で示して、結果として華琳になんと言われようと受け容れなくちゃいけない。

 で、もう一つ……これが自分の中の“男”の部分を疑いたくなりそうな考えなんだが、華琳が良しと言う限りは俺は三国のものであり、彼女が他国の将に“手を出してもいい”というのなら、受け容れてもいいわけで……ええと。

 つまり俺は華琳のものであって、魏の将のものではない。

 たとえどれだけ凪や霞たちがそれはだめだと言おうと、華琳が許すならば良し、ということになってしまうわけで。

 いや待て、それどころか雪蓮が魏に乗り込んだ時点で、魏のみんなへの説得はあらかた済んでいると考えるべきであって……えーと……案外俺、みんなの目からしてみれば「まーた一刀の女癖が始まったー」くらいにしか思われてないかも…………。

 

「……はうっ!?」

「一刀殿?」

「い、いやなんでもないっ! 泣いてない、泣いてないよ!?」

 

 もっと自分ってものを考えてみよう。

 鍛錬を始める前の、もっといろいろな部分が弱く、弱いなりに出来ることがあっただろう自分を。

 なまじ出来ることが増えてくると、見失ってしまう部分もある。

 だから…………だから……───

 

「───……」

 

 思考のリセットはさせないままに、もう一度窓から見える青を眺めた。

 先ほど見た時は、教室から仰いだ朱を思い出したのに……今は、ただただ青い空だけが視界の先に広がっていた。

 すると……するん、と……がんじがらめだった思考がほどけた気がした。

 

「……そうだよな。現状維持じゃない。もっと、行けるところまで高みへ───」

 

 手を伸ばす場所は魏だけでいいか? ───違う。

 笑顔を育む場所は魏だけでいいか? ───違う。

 一刀。お前が守りたいと思う場所は、未だ魏のみか? ……違う。

 だったら答えを確かめる必要なんてない。

 届く場所、届く人へ、限界にぶち当たるまで伸ばし切ってみろ。

 たとえ伸ばしすぎて微笑ますことが出来なかった人が居たとしても、次こそはって諦めずに精一杯足掻いてみろ。

 守るためにつけた力が人を傷つけることになるなら、そんなことをする余裕がないくらいに守るものを増やしていけ。

 そして───守れたと、自身を褒めることが出来た時こそ……その時自分の周りに居る人たちと、思いっきり笑い合ってみろ。

 それが、いつか“俺が求めた強さ”へと繋がるはずだ。

 そういった覚悟を胸に、俺は華琳の傍に居続ければいい。

 現状では満足せず、進めるのなら進み、繋げる手があるのなら繋いで。

 ……で、こういうのは自覚してしまうとただの女ったらしにしかならないわけで。あー本当だ、気づかなければよかった。

 

「関羽さん、拠り所、見つかった」

「……聞かせてもらって、構わないかな?」

「ん、是非。俺の拠り所は……」

 

 魏だけじゃないのなら、呉でも蜀でもない。

 それは人ではなく、もっと大きな場所……そう、それは───




 なろうの方でもツッコまれましたけど、このかずピーは確かに悩みすぎだと思う。

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