65/ただしいゆみのかまえかた
ややあって、昼が過ぎていく。
あれから馬超さんと魏延さんに弓の構えを叩き込まれ、言われるままに構える俺は、いい加減に目がぐるぐると回ってきていた。
だって、言われた通りに構えても別の方向から注意されて、そっちに言われるままに構えれば別の方からって、決着つかずで疲労ばかりが溜まっていく。
厚意を無碍には出来ないと思いながらも、「仕事とかはいいの?」とおそるおそる訊いてみれば、昼の時点で終わったと仰るお二方。神は死んだ。瞬殺だった。
どんな仕事をしていたのかが大変気になるが、話はそういうところに落着してくれない。つまるところ、俺はまだまだ解放されないらしい。
「そうそう、それだよそれっ! それが紫苑の構えだっ!」
「う、うん……そうだね……」
この遣り取りも何回目だろうか。
で、次に魏延さんが割り込んできて厳顔さんの構えを……って───
「……撃ってみろ」
「エ?」
───意外ッ! それは射撃命令ッ!!
てっきり別の構えを取れと言われると思っていた俺は、ぽかんとした顔で魏延さんを見つめていた。
が、すぐに気を取り直して的を睨む。
ここで話をしたら堂々巡りだ……というか、多分これで外したら……“言わないことではない! やはり桔梗さまの構えのほうが───!”といった感じに喧嘩に発展するのでは?
(しゅっ、集中! 集中!)
外せない! これは絶対に外せない!
狙いを定めろ一刀! 絶対に外すな! これは……これは彼女たちと俺の安寧を懸けた魂の一撃なるぞ!
「ッ───よく狙って……! ……、ここ───フワッ!?」
いざ! ……といった瞬間、鼻に強烈なむず痒さ。
思わずくしゃみが出そうになり、体が勝手に揺れ……無情にも弦は指から滑り、矢が……
「兄、続きをするにゃーっ!」
「うわぁったぁっ!?」
……放たれる瞬間、腰にしがみつく存在!
体勢をさらに崩し、左手で支えていた弓も揺れ、矢は見当違いの方向に……飛ばず、見事にドッと的に命中した。
鏃を潰し、布を巻いてあるから刺さることはなく、ぼとりと落ちる矢を眺めた。
「…………
くしゃみの心配も何処へやら、体勢を崩したままへたり込んでいた俺は、がばりと起き上がると背中側の腰に抱き付いている存在……孟獲を前に回し、抱き上げて振り回して喜びを表現した。
「中った! 中ったぁあーーっ!! うわはーっ! 孟獲! 孟獲ーっ!!」
これで喧嘩が無くなる! 二人が争う理由はきっと無くなる!
そんな嬉しさがこみ上げ、それを
そんな行為が孟獲も楽しく感じられたのか、両手を繋いだまま遠心力で空を飛ぶ状況に満面の笑みを浮かべて燥いでいた。……これで手を離したら飛んでいくね、ほんとに。やらないけどさ。
と、ふと声をかけられて、ゆっくりと止まる。
振り向いてみるとそこには魏延さんが居て、僕を睨んでおりました。
「次は桔梗さまの構えでやってみろ。美以に飛びつかれなければ中ったかも怪しいそれよりも、的中を見せるはずだ」
「え? あ、あの……え? あれぇ!?」
結論。
状況はなんにも解決に向かっちゃいなかった。
それどころか、中ったことで魏延さんのハートに火がついたようで、さっさとしろと俺を促してアワワァーッ!?
しかも直後に「紫苑の構えがそんなに気に入らないのかよ!」とか「そんなことは一言も言っていない!」とか喧嘩しだすし……。
「………」
一刀よ……強くなりなさい。
要するにどちらの構えも素晴らしいことを、二人に見せつければいいんだ。
(覚悟を……)
全て的中させる───動かぬ相手にいつまでも外してばかりではいられない。
そうだ、距離はそこまで遠くない。
もっともっと集中して、二人を満足させることが出来れば───!
(秋蘭、祭さん、俺に力を貸してくれ!)
矢を番い、引き絞り、二人が喧嘩する中、やがて矢は放たれた。
……。
……夜が来た。
空は薄黒く染まり、昼の頃は暖かかった場もやがては寒くなり、だからといって寒すぎるわけでもなく……ええとつまり。
「桔梗の構えのほうが多く外しただろっ!?」
「それはこの男の腕が未熟だからだ!」
……ハイ、見事に外しました、ごめんなさい。
そうですよね、願うだけで弓のド素人が必中とか出来れば誰も苦労しませんよね。
真剣に、本気で、頭が痛くなるくらい集中しても、やっぱり外す時は外した。
何発も何発も撃って、中ったり外したりして、現在は芝生に胡坐をかいているところ。
その膝上に孟獲が乗っていて、猫のようにぐてーと脱力していた。
俺はといえば、そんな孟獲の頭に汚れがつかないように気を使いながら撫で、ぼーっとしていた。弦を引き絞るなんて普段やらないことをしたためか、実はわりと筋肉がピキピキいっていたりする。
普段使わない筋肉も出来るだけ鍛えていたつもりでも、やっぱりつもりはつもりだったようだ……弓の練習はこれからも続けよう。
「この喧嘩はいつまで続くんだろう……」
「それはあの二人に訊け」
「……だよなぁ」
既に説得は試みた。
「うるさい」、「ちょっと黙っててくれ」の一言ずつで全てが終わった。
だって、なおも止めようとしたら武器取り出すんですもの。
物騒だからって余計に止めようとしたら、何故か俺に向けてくるし……。
一応教えてくれた二人だし、ほっぽって立ち去るわけにもいかないからこうして待ってるんだけど……一向に終わる気配がない。
隣に居てくれる思春にも、ぐてーと脱力して頭を撫でられるままになっている孟獲にも、もちろん俺にも、この喧嘩の終わりが何処にあるのかなんてわかりはしなかった。
……こういった喧嘩は、魏延さんと蒲公英がよくするって聞いてたんだけどなぁ。
「ほら、二人とも、もう寒くなってきてるし、前の愛紗みたいに風邪でも引いたらまずいだろ? そんなことになったら桃香やみんなにも迷惑がかかるよ」
「ぐっ……桃香さまにご迷惑をかけるわけには……いや待て。もしワタシが風邪を引いたら、桃香さまが看病してくれたり……いやいやっ、それこそ迷惑や面倒をかけることに! あっ……いやしかし見舞いくらいなら……」
「………」
どうしよう。魏延さんが何処かの世界へ旅立ってしまった。
何も無い虚空を見つめて頬を染める魏延さんを前に、馬超さんが呆れとともに冷静になってくれたお陰で、一応喧嘩自体は終わったようだ……終わったよね?
じゃあとりあえず立ち上がってと……ってこらこらっ、しがみつくな孟獲っ!
「えと、じゃあ解散しようか。いつまでもここに居たら見回り番の人が安心出来ないし」
「へ? あ、ああ、そうだな……って、お前その手っ……!」
「え……ああ」
自分の右手を見下ろしてみれば、少し血が滲んでいる手。
下がけや弓篭手をしていようが、一日中やっていればこうなるだろう。
実は弓を構えていた左手も、人差し指と親指の間が赤く滲んでしまっている。孟獲の頭が汚れないようにって気をつけていたのは、これが主な原因だ。
何事も無理はいけないって一例だなこれ……騒ぐほどの痛みじゃないものの、じくじくときて嫌な感じだ。それにプラスして、明日は筋肉痛だろう。
軽くやるつもりだった練習が、いつの間にかキツい練習になっていた……そんな気分だ。
「も……もしかしてあたしたちが無理にやらせたからか……!? ~……ぁああああ……! ごめんっ! ほんっとうにごめんっ! つまらないことで意地になって!」
「ははっ……いや、いいよ。大変じゃなかったって言えば、そりゃあウソだけど……頑張って教えようとしてくれたことは、ちゃんとわかってるから」
「うっ……ごめん……」
心底悪いことをしたといった顔で、小さくおろおろと視線を泳がす馬超さん。
その横では魏延さんが未だに赤い顔でホウケているんだから、不思議な光景だ。
「ちゃんと学べることもあったし、謝られたらこっちが逆に悪いことをしたなって思っちゃうからさ」
「いや……学校の授業の時にも夢中になりすぎて、学びに来てくれているやつらに無理させそうになるの、助けられてるし……。ほんとあたしはこんなことばっかで……」
「えと……」
どうしたものだろうか……軽い自己嫌悪状態に入ってしまったようで、何を言っても俯いたままで受け取ってくれない。
そうやってどうしようかと考えていると、突然バッと顔を上げて俺の目を見る馬超さん。
その突然の動作に後退りそうになりながら、しがみついている孟獲を仕方も無しに抱きかかえつつ、見つめ返す。
「覚悟、決めた。何かあたしにしてほしいこととかないか? その……そんなので許してもらおうとか、ずるい話かもしれないけど───って、ももももちろんエロエロなのは無しだからなっ!?」
「…………」
馬超さんの中で、俺って何処までエロエロなんだろうか。
そんなことを、遠い目をしながら考えた。
でも……してほしいことか。そういうのって全然無いんだけど。
別にいいよって言うのも彼女の覚悟に対して失礼な気が……というか、それを言った時点で“それじゃああたしの気が済まないんだよっ”とか言われそうだ。
あ……じゃあ。
「………」
「……?」
手を差し出した。
わざわざ口に出してなるものじゃないって七乃は言うけれど、それでもこの手を握られる前に伝えよう。
「誓って言うよ。エッチなことなんてしないし、しようとしなくてもいいから。……俺と、友達になってください」
「───……」
それ以上に伝えることは無く、差し出した手が握られる瞬間をただ静かに待つ。
断られればそれまで。でも、だからって嫌いになる理由は何処にもない。
今がダメならまた今度、改めて。
そんな気持ちを胸に笑顔で、それでも望みは捨てずに待った。
「……………………はぁ!?」
ややあって、第一声はそれだった。
顔は真っ赤で、軽く体勢を仰け反らせる姿勢のまま、明らかに狼狽えてますよって顔での一声だった……と思った矢先に、捲くし立てるような言葉の嵐。「ななななななに言ってんだよ!」とか「改まって何を言うのかと思えばととと友達なんて!」とか……なにもそこまで驚かなくても。
「それにさ、あんたとかお前じゃいい加減呼びづらいだろうし。俺も出来れば一刀って名前で呼んでもらいたいんだ」
「な、名前……?」
「うん」
手を差し伸べたままの状態で頷く。
けれど馬超さんは、真っ赤な顔と引け腰のままでちらちらと俺の顔と手を見るばかりで───そこでハタと気がついた。
「あ……ごめん。血が滲んでる手で握手とか、気持ち悪いか。そこまで気が回らなかった」
「! ち、違うっ! 気持ち悪いとかそんなんじゃなくてっ……あぁあああもうっ!!」
下ろそうとした俺の手に、バッと伸ばされた馬超さんの手が重なる。
真っ赤な顔のまま、半ばやけっぱちの如く俺の手を掴むその手には物凄い圧が存在していて───
「いたぁあったたたたたた!! 馬超さん! 指! 指ぃいいーっ!!」
「うわわわわぁあああっ!!? ごめんっ! 悪いっ!」
丁度血が滲んでいた部分を強く圧迫されたために、素直に痛かったです。はい。
とか暢気に言ってると、滲むだけだった血がたらたらと……おお、どれだけ圧迫すればこんなに……。点だった傷が引き裂かれたかのようだ。
で……視線を指から馬超さんに移してみれば、やっぱりしょんぼりな彼女が居た。
俺はハンカチをポケットから……って、だから明命の傷の手当てに使ったから無いんだってば。
溜め息とともに自分の手の血を舐め取ると、ちらりと馬超さんを見る。
……仕方ないよな。血よりはマシだと思ってもらおう。
「馬超さん」
「な、なんだよ……───なぁあああああああっ!!?」
視線を合わそうとしない彼女の手を取って、付着してしまった俺の血液を舐め取る。
幸い衣服にはついていないようだから、そこは安心した……直後に殴られた。
血よりは唾液のほうがマシかなと思ったけど、そういう問題じゃなかった。
「なななっなななななにすんだよっ! エロエロなのは無しだって言っただろぉっ!?」
「いたた……や、そうじゃなくてさ。俺の血、ついちゃってたし、服についちゃう前になんとかしないとって思って……。拭くものがあればよかったんだけど、前に千切っちゃったから」
「そそそそれにしたっていきなり舐めるやつがあるかよぉおっ!」
「え、と……その……ごめんなさい」
言われてみれば、いきなりはまずかった。
でも、訊いてみたところで絶対に頷きはしなかったと確信を持てるのは、俺だけかなぁ。
「大体そんなっ……あたしみたいな女の手を舐めるなんて、気持ち悪いだろ……」
「………」
「………」
「………」
「………」
「…………エ? あたしみたいな? って……なにが?」
言われた言葉の意味がわからず、じっくり考えてみたんだが……答えが見つからない。
仕方もなしに訊ねてみると、馬超さんは自らの恥をさらすような様子で「だからっ」と怒声にも似た声を張り上げた。
「あたしみたいな可愛くない女の手なんて舐めても、気持ち悪いだろって言ったんだよ! 槍を振り回してるから綺麗なんて言えないし、そもそもあたしは他のやつらに比べて可愛くなんかないしっ!」
「………」
エ? いや、ちょっと待って? 本気? え……これって本気で言ってるのか?
馬超さんが可愛くないとしたら、可愛いってなんだ?
「可愛くないの?」
「可愛いもんかっ! あたしがそんなっ、可愛いわけないだろっ!?」
怒鳴るように言ったと思うや、可愛くないところを熱弁されてしまう。
可愛くない……? 可愛いといえば───と、少し考えると、浮かんでくるのは麗羽の姿。可愛くない、といえば、じゃあ別の方向。
「…………ああっ、じゃあ綺麗なんだっ」
「うなっ!? なっ……な、なななななぁああーっ!? ななななに言ってんだよそんなわけないだろ!? 可愛くもないやつが綺麗なもんかっ!」
「あの。それって随分と偏った意見だと思うんだけど。じゃああれだ、美しい?」
「違うったら違うっ! なに言ってんだよお前!」
……取りつく島がない。
自分は可愛くないってことに無駄に自信を持ってしまっているんだろう……まるで凪だ。
「断言するけど……馬超さん、可愛いし綺麗だし、槍を構えてる時や馬に乗ってる時ってすごく“美しい”って言葉が似合うよ?」
「ひうっ!?」
正直な感想を、真正面から目を見て届ける。
馬超さんの赤かった顔はさらに赤みを増し、その狼狽え様は思わず心配になるほどのものだった。
「そ、そんなこと言って、どうせからかってるんだろっ! その手には乗らないんだからな!? いつもそうだ、どうせ今も蒲公英が何処かで見てるか、蒲公英にそう言えって言われたんだろっ!」
「えぇっ!? どうしてそこまで頑な!?」
様々な理由を並べてでも自分が可愛いとは認めたくないらしい……この容姿でそう思えるのって、ある意味純粋なのかもしれない。
ん、んー……まいった。こうなると意地でも気づかせてやりたい。
凪の時は真桜や沙和がいろいろと手を回したみたいだけど、馬超さんの場合は……身近なところで蒲公英? いや、どうしてか余計にこじれそうな気がしてならない。
「じゃあ……馬超さん、もう一度手をとってもらっていいかな」
「え? な、なんだよいったい」
「友達として、誓って言う。他の人や馬超さんがどう思おうと、俺は馬超さんは可愛いし綺麗だと思ってる。この気持ちに嘘は無いし、この言が嘘だとしたら殺されても文句は言わない覚悟を、この手に込めるよ」
「ふえ……!? ばっ……馬鹿じゃないのか!? そんなことに命まで懸けるっていうのかよ!」
「うん、懸けられる。だって、可愛いって思うし綺麗だとも思ってるもの。これだけ言ってももし信じられないならさ、自分の容姿じゃなくて……友達の言葉を信じてくれないか?」
「や、な、う……うぅう……~っ……」
決して目を逸らすことなく、虚言ならば本当に槍で貫かれて構わない覚悟をこの手に。
繋がれた手に嘘はつかない。友達を裏切ることは絶対にしない。
だからどうか信じてほしい……友達って関係を、存在を。
自分の容姿にもっと自信を持ってくれるのが一番なんだけどさ、それを理解させるのはもっともっと時間が要りそうだから。
というか…………あれ? どうしてこんな話になったんだっけ? 確か握手して血がついて……あれぇ……?
「~………………なぁ。本当に、本当に……あたしのこと可愛いって思ってるのか?」
「? うん」
「嘘じゃないか!? 本当にか!?」
「手を取ってくれれば、覚悟を約束にして誓うよ。馬超さんは可愛い。当然、今もそう思ってる」
「…………っ」
手は差し伸べたままに言う。
馬超さんは一瞬手を伸ばそうとするが、様々な葛藤があるのだろう。途中で止まった手は宙を彷徨い、けれど俺から掴むことは絶対にせずに、ただ待った。
自分から認めないと、きっとこれからも自信なんて持ってくれないだろう。
凪を見てきた自分の目で見た彼女の挙動は、自然とそう思わせた。
……ていうか、当然のことを当然って言うだけのことなのに、どうしてこんなに難しいことになっているのか。……あ、そりゃそうか、麗羽みたいに“わたくしは美しいですわ~!”って認めるなんて、しかも人の目の前で認めるなんて、普通は恥ずかしいもんだ。
あれ? じゃあ俺、そういうことを認めろって言ってるようなもの?
……いや、でもここで“やっぱり可愛くない”とか言うのはおかしい、っていうか嘘はつきたくない。だって可愛いし綺麗だもの。男として好きか嫌いかとかそういう方向じゃなく、純粋に可愛いって思うもの。
「…………」
「………」
沈黙は続く。
横で魏延さんが「うへへへ……」と怪しい笑みをこぼしているけど、気にしたら負けだと思っている。
そんな中で、吹いた風に肩を震わせた馬超さんが、ゆっくりと、本当にゆっくりと俺の目を見て口を開く。
「……い……いいんだな……? 信じる……ぞ?」
「ん」
「あたしは可愛いなんて思ってないのに、お前が勝手にそう言ってるって……お前にはそう見えてるんだって信じるぞ!?」
「自分でも思ってほしいんだけど、うん。それは自然にそう思えるようになってくれれば」
「もしこの後で“可愛くない”とか言ったら本気で怒るからなっ!?」
「その時は刺してくれてもいいよ。それだけの覚悟と自信があるから」
「ひうっ……」
凪の場合は傷を気にしていた感があったけど、馬超さんは気にするべきところなんて見つからない。
だからってもちろん、凪の傷が気になったかどうかで言えば否だ。
自信を持って言えることだ……可愛いし綺麗だし、馬上で槍を振るう彼女は美しい。
……自信を持てるのは確かなんだけど、これってナンパとかの殺し文句じゃないでしょうか。いまさらになって気になってきた。でも取り消すわけにもいかないし……ええいなるようになれ! 本当にそう思ってるんだ! 取り消す理由なんてきっと無い!
そう思った瞬間、きゅっと手を握られた。
「あ───」
「~……」
血で汚れるだろうからと、滲んでいる部分は接触しないようにと構えていたのに、あえてその上からきゅっと。
赤らめた顔を軽く俯かせ、口を結んで何も言わない彼女。
でも、これでようやく届くだろう。
受け容れる姿勢を“繋いでくれた”彼女へと、俺は一言を届けた。
「可愛いよ、馬超さん」
「……★■※@▼●∀~っ!!」
自分が本当にそう思っているということを届けると、彼女は手を握ったままこれでもかっていうくらいに真っ赤になった顔を余計に俯かせた。
手を繋いだ瞬間から“信じてくれている”のだから、きちんと受け止めてくれた証拠……なんだろうか。あ、あの、ちょっと赤くなりすぎじゃ……? 夜にその赤さがわかるほどっていうのは結構危ないんじゃ……? まあそれはそれとして。
「やっぱり届けたい言葉をちゃんと受け取ってもらえるのって嬉しいなぁ」
「~……お前、こんなこと平気で言えるって、どうかしてるんじゃないか……?」
「いや、結構恥ずかしかったりする……でも、嘘は言ってない」
「わ、わかってるよ……! その、約束、だし……え、と……か、か……一刀」
…………。
「……うん」
一瞬、自分の名前が呼ばれたことに気づけなかった。
そっか、約束か……手を取った時点で友達で、嘘は言わない覚悟を誓って、俺の呼び方もあんたやお前から変える。
それに習う、こうして手を繋いでいる時間が妙にくすぐったい。
(でも、温かいな……)
誰かとこうして繋ぐことの出来る手が嬉しい。
服にしがみついている孟獲を左腕で抱えていることも相まって、妙に温かいし。
ほんとにいい匂いとかしてるのかな……自分じゃあわからないんだけど。
「……それからっ!」
「うん?」
「そ、そそそそれから、……あたしのこともその蒲公英と同じ……そうっ、蒲公英と同じで真名で呼んでいいからっ! いいんだ、何も言うなよっ!? 友達なんだからいいんだっ! 友達なんだからなっ!」
「いや……何も言ってないんだけど……」
でも、ありがとうを。
小さく礼を届けてから、握っている手に軽く力を込めた。
さて───……ところで馬超さんの真名って……俺、聞いたっけ?
いや、聞いた、聞いたよ。彼女本人からじゃなく、他の将との会話の中で。
翠……そう、翠だったはずだ。けど本人から聞いたわけじゃないのに急に呼ぶのも。
「馬超さん。一応馬超さんの真名は知ってるけど……馬超さん本人から許してもらってないから───」
「ふえっ!? あ、ぁあそっか、そうだった、あ、あははは、は……こほんっ! 姓は馬、名は超、字は孟起、真名は翠だ」
おおっ! キリッとキメ───たのに、顔は真っ赤だ……。
しかもすぐに俯かせちゃうし。
「じゃあ俺も。姓は北郷、名は一刀。字も真名もない世界から来た。よろしく、翠」
「すっ───あ、あぁあああ……うあゎああああーっ!!」
「ほぼっ!?」
顔の赤さが臨界点に達し、キッと俺を見る目が潤んでいるように見えた瞬間には、彼女の左拳が俺の顔面を捉えていた。
拍子に放した手から逃れた彼女は叫びながら走っていってしまい、ハッと気づけばいつの間にか魏延さんも居なくなっていた。
「…………」
「………」
残された俺と孟獲は、ただぽかんとしていた。
思春は“やれやれ……”って感じで溜め息を吐いている。
いっつも付き合わせるハメになってごめんなさい。
「みぃは美以にゃ」
……いえ、ぽかんとしてたのは俺だけだったみたいです。
左腕で抱えていた孟獲が、とろんとした眠たげな顔で俺を見上げて言う。……恐らくは、自分の真名である言葉を。
「……いいのか?」
「今日は面白かったにゃ。兄と居ると面白いし、いい匂いもするからいいのにゃ」
「…………」
いい匂いがするってところが強調されていた気がするのは気の所為ですよね?
せいぜいまた噛まれないように気をつけよう……。
(うーん……)
真名の価値って人それぞれなんだろうか。
簡単に許しちゃう人も居れば、逆もまた。
でも……許してもらうと距離が縮まったって思えて……こう、くすぐったいんだけど嬉しいんだよな。
孟獲に習って俺も名乗るけど、自分に真名がないのが、やっぱりちょっと悔しいって思えた。
「……戻るか。孟獲……じゃなかった、美以の部屋って何処なんだ?」
「あっちにゃ」
考えても仕方の無いことを、頭を軽く振ることで拭ってから促すと、美以は適当な方向を指差す。
とりあえずは通路らしい。
気を取り直すつもりで深呼吸。美以を抱え直して歩くと、思春も音も無く歩き始めた。
それにしても、ちょっとの鍛錬のつもりが本当に大変な一日になったよな。
そもそもが食休みの間の軽いものだったはずなのに。
(それでも楽しいって思えたあたり、無駄じゃなかったわけだし……いいよな)
通路を歩く。
訊ねるたびにあっちにゃこっちにゃと指差す美以の指示に従って、ひたすらに。
やがてもはや歩き慣れた通路に差し掛かると、なんとなく嫌な予感がふつふつと。
「あのー、美以? こっちには俺が借りてる部屋しか……」
「そこでいいにゃ」
「よくないよ!? ちゃんと自分の部屋に戻らないと、他のやつらも心配するだろ!? あのほら、えーと……ドラえ───じゃなくて」
「シャムとトラとミケにゃ」
「そうそう、その娘たち。だから、な? きちんと戻ろうな?」
言いながらも結局は部屋がある通路に差し掛かってしまう。
どうしたものかなーと考えて……ふと、暗がりの先の部屋の前に誰かが立っているのに気づく。
思春は……後ろについていてくれてるから、思春じゃないよな。
朱里や雛里にしては背が高いし……えぇと? と、首を傾げながらも近づくと、やがて見えてくるその姿───よりも先に、ぐるぐるのドリル髪が見えた。……ワァ。
「ア、部屋間違エチャッタァ」
「あぁら一刀さん奇遇ですわねっ」
「部屋前の暗がりで待ち構える奇遇ってなんですか!?」
そしてあっさり見つかる俺。
や、そりゃあ声を出せば見つかりもするさ。俺の馬鹿。
「や、やあ麗羽……こんなところでどうしたんだ?」
「え~え、少しこちらに用事がありましたの。ええ本当に奇遇ですわ」
(……こっちの通路、この部屋があるだけで行き止まりなんだけどなぁ……)
ツッコんだら負けなんだよきっと。
そう思うことにして、無難な言葉を探りながら会話を。
「そ、そう。それは奇遇だね。それで、その用事って?」
「あぁ~らそれは言えませんわ」
「そっか、それは残念だなぁ。じゃあ俺もう部屋に、……な、なにかな」
そそくさと逃走を図ろうとしたら、腕をしっかと掴まれました。
振り向いてみれば、どこかぶすっとした顔の麗羽が美以をジト目で指差していた。
「気になったのですけど。その獣娘をどうするおつもりですの?」
「や、なんか部屋に来たがってるみたいだから」
満足するまで遊ぶなりしてもらおうと思ったんだが。
それを全部説明するよりも先に聞こえる高笑いに、嫌な予感しか沸かなかった。
「あぁらぁ~、それでしたらわたくしもお邪魔しても構いませんわね?」
「エ? な、なんで───」
「か・ま・い・ま・せ・ん・わ・ね?」
「ア……ハイ……」
華琳さん……わかっていたことだけど、女って怖いです……。
そして思春、溜め息を吐くよりも止めてくれるとありがたいんだけど……え? 庶人扱いなんだから無茶言うな? ……デスヨネ。