この掌にあるもの   作:実験場

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プロローグ 崩れた再会

 炎で焼け焦げた大地。

 氷覆われた岩山。

 落雷に穿たれた木。

 繰り返し戦士達の口から吐き出される熱気の絡んだ息。

 

 危機は去った。

 勝利への安堵から弛緩していく空気。

 

 生存の安堵からこの瞬間誰もが忘れてしまっていた。

 今自分たちが立つ場所は数多の名うての冒険者を食い殺してきたダンジョンなのだと。

 

 音が響く。

 先程までの戦闘音が嘘のように静まりかえった空間に音が響く。

 木々がへし折られ、薙ぎ倒されていく音。しかし、聞いている者達にとっては自らに近づいてくる死神の足音のように聞こえていた。

 

 やがて其処にいた全ての者の目にそれは映った。

 

「……冗談じゃねえぞクソッタレ!」

 

 いつもは好戦的な顔を忌々しげに歪めながら発した狼人(ウェアウルフ)、ベートの言葉がこの場にいた皆の思いだった。

 

「……あれも下の階から来たっていうの?」

 

「迷路を壊しながら進めば……なんとか?」

 

「馬鹿言わないでよ……」

 

 アマゾネスの姉妹、ティオネとティオナの呆けたような会話が静まり返った場に通る。

 目の前の状況を打破する為に頭をフル回転させながら金髪碧眼の小人族(パルゥム)フィンが呟く。

 

「……道理で親指の疼きが強くなる訳だ」

 

 

 それは先程まで戦っていた芋虫型のモンスターを下半身に持ち上半身は人の上体を模していた。扇にも似た厚みのない扁平状の腕は二対四枚。後頭部からは何本も垂れ下がる管のような器官。

 顔面部分には目も口も無いが、どこか女性を連想させた。

 

 フィンは階層主にも匹敵する巨体と何かが溜め込まれているような黒い腹部を見て、先程の戦闘を思い返す。

 

 芋虫型のモンスターの大半は力尽きる瞬間、その体躯を破裂させていた。あのモンスターも、もし死に際に内包する腐食液を根こそぎ撒き散らすのだとしたら。

 

 誰もが最悪の光景を想像した。

 

 しかし──。

 

 

 

 自分達が思い描いた想像など、現実は容易く凌駕するのだと思い知る事になる。

 

 

 木を薙ぎ倒しながら姿を現した巨大な女性型のモンスターはフィン達と平地を挟んで正対する。

 

「……なん……じゃと」

 

「うそ……」

 

 ドワーフであるガレスが目深かにかぶった兜を呆然と持ち上げ、金髪の剣士アイズの肉付きの薄い口から呟きがこぼれる。

 

 

 女体型のモンスターは一体ではなく群れだった。

 

 

 あまりの事に数々の苦難を乗り越えてきた一級冒険者達ですら絶句し、その事実に気を取られてしまう。

 

 それを感じ好機と見たのかモンスターの群れは、その四枚の扁平状の腕をゆっくりと広げ鱗粉のような極彩色の小さな光粒をフィン達の所へと漂わせる。

 

 ──っ! マズい!!

 

 我に返り即座にその場から退避しようとするが、気を取られたのが決定的な遅れを生み出してしまった。

 

 間に合わ──。

 

 瞬間、粒子群を翠色の極光が呑み込んだ。

 

 

 

 

 一枚上の岩から、爆華を咲かせる粒子群を呑み込んでいく翠の閃光を見たリヴェリアは今の動揺を鎮めるように手で胸を押さえた。

 

 知っている。当たり前だ。彼が最も使っていた魔法。

 いつもずっと側にいた彼が。

 ずっと想っていた彼が。

 見捨ててしまった彼が。

 

 

 ───今、視界の先に降り立った彼が。

 

 

「あぁ……! ウル…!」

 

 生きててくれていた。

 帰ってきてくれた。

 視界を涙で滲ませながら口から万感の想いが溢れた。

 

 

 

 

 

 翠の極光が巻き起こした爆発による盛大な砂煙が舞う中、フィン達を護るかのように一人の男が立っていた。

 

 何もかもを塗り潰すかのような黒い髪をしているのに対し、透き通る程の白い肌。翠色の瞳をした中性的な顔は非常に整っており、真っ白な出で立ちと共に神秘的で近寄り難い雰囲気を醸し出している。

 

「ウルキオラ……?」

 

 誰かの口から弱々しい確認の問い掛けが洩れる。

 今、この場を支配しているのはモンスターへの危機ではなく、もう二度と会えないと思っていた大切な家族が目の前に現れたという戸惑い、驚愕といったものだった。

 

 そんな空気の中、ウルキオラと呼ばれた男が口を開く。

 

「奴らの相手は俺がしてやる。さっさと撤退しろ。邪魔だ」

 

「っ! いきなり現れて第一声がソレか?! フザケンな!!」

 

「そうだよ! 皆どれだけ心配していたと──」

 

「ベート! ティオナ!」

 

 普段の喧嘩が嘘のように同調しウルキオラに詰め寄ろうとする二人を止めフィンは思索する。

 連戦による疲労や魔力の消耗、武器すらも失っている者がいる中で、あのモンスター群と戦闘し勝利するのは不可能。

 

 撤退。それしかない。

 

 だがフィンはウルキオラに独り任せ撤退する気は無かった。

 ウルキオラの強さは知っている。嘗てずっと一緒に戦っていたうえに、オラリオを追放された後も、彼の英雄譚ともいえる噂話を聞いていたからだ。五十階層にいるという事は剥奪された『神の恩恵(ファルナ)』も何処かの『神の眷族(ファミリア)』に入って得ているのだろう。

 

 ──どうして戻ってきてくれなかった?

 

 そんな身体の奥から沸き起こる感情に今はそんな時ではないと蓋をし、だが、それでもウルキオラ独りでは無理だと結論づける。何よりあの女性型が死ぬ時に、どれ程の腐食液を撒き散らすか分からないのだ。

 敵が一体や二体なら、粒子群や腐食液に相性の良いと思われる風の魔法を使えるアイズと供に任せ、撤退する事も可能だっただろうがあの数では無理だ。

 ここはウルキオラと供に、此処にいる団員の中で戦闘を続行出来る者が複数人残り、他の者の撤退の時間を稼ぐ。頃合いを見て自分達も突破口を開きウルキオラと撤退。

 我ながら、こんなのは作戦でも何でもないなと自己嫌悪に陥りながらも考えをウルキオラに伝えようと口にする。

 

「ウル、提案がある。撤退はする。だけど僕達の中からも──」

 

「問答をする時間は無い。行け」

 

 それだけ言い終えると、これ以上は何も言う事は無いとばかりにフィン達に背を向け、悠然とモンスター群の方へと歩み始める。

 

「待って……」

 

 誰もがウルキオラの行動に動けないでいるなか、自分達の元から去っていく後ろ姿が三年前の彼の後ろ姿と重なったアイズは思わず声を掛けた。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインは後悔していた。いや、アイズだけではなく、フィン、リヴェリア、ガレス、ティオネ、ティオナ、ベート、──そしてロキ。

 

 三年前、あの場に居た皆が後悔しているだろう。何も出来なかった事を。自分達の無力さ故に家族がいなくなってしまった事を。

 

 ──もう置いていかないで。

 

 声が聞こえなかったのか歩みを止めないウルキオラに、このまま行かせればあの時と同じだと己の心を奮い立たせ、アイズは一歩前に踏み出した。

 

「待って!」

 

 その声に歩みを止めゆっくりと振り返ったウルキオラの翠色の瞳を見据え。

 

「私も一緒に戦う!」

 

 普段からは想像出来ない程の大きな声でアイズは宣言するように声を上げた。アイズの言葉に他のロキ・ファミリアの面々も自分もと続いていく。皆、アイズと想いは一緒なのだから。

 

 フィンが手短に陣形、作戦を伝える。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 アイズが風を召喚する。

 

 他の団員も武器を再装備し臨戦態勢になっていく。

 

 

 

 

 

 

 

「理解出来なかったようだな」

 

 

 そんな時だった。ウルキオラの声が聞こえたのは。一同の視線が集中するなか、ウルキオラは左手を頭上に掲げ──。

 

「貴様らにも分かるように言ってやる」

 

 吞まれていた。多くの功績を打ち立て、オラリオ最大派閥とまで謳われているロキ・ファミリアの歴戦の勇士たちが、たった独りの男によって。

 

 張り詰めた空気の中、淡々と口を開いたウルキオラに現実を突きつけられた。

 

「足手纏いだ」

 

 受け入れることの出来ない言葉。

 それを直視させられた。よりにもよってウルキオラに。

 救われたのに救えなかった、見捨てる事しかできなかった家族に。

 

 誰もが否定したかった。だが、誰もが口を動かせなかった。皆、三年前に叩きつけられたからだ。自分達はなんて無力だ、と。

 

 追い打ちをかけるようにウルキオラが仮面を被るように左手を下ろした。

 

 ズッ…………。

 

 今までに感じた事のない程の重圧がフィンを襲った。濃厚な重圧は、まるで質量を持ったかと錯覚させられ膝を屈しそうになる。背骨に氷柱を突っ込まれたような寒さを感じているのに、顔は反比例するように汗が垂れ落ち、耳には自らの口から発せられる、かすれた呼吸音だけが聞こえている。

 

(な、んだ、これは。ウル……が? いけない、こんな状態で敵に…攻撃…されたら……!)

 

 団員達も同じような状態である事を確認したフィンは女性型モンスターの群れへと視線を移す。

 

(混……乱? いや…怯えて…いるのか?)

 

 

「この程度の()()でその様とはな」

 

 その一言にフィンは女性型モンスターの様子を見ていた瞳をこの状況を作り出した原因であろうウルキオラに向け瞠目した。容貌が変わっていたからだ。

 

 頭部の左側に白い仮面の名残のような物があり両眼の下には垂直に瞳と同じ翠色の線状の紋様が涙のように延びていた。

 

 粟立つ肌。次々と溢れ出る珠の冷汗。

 そして震えの止まった親指。

 普段は危機を察して伝えてくれる親指は静かになっていた。

 何故か? 聡明なフィンは既に答えに辿り着いている。

 意味がないからだ。

 どんなに策を練ようが、どんなに足掻こうが目の前の存在には完膚なきまでに破壊される。であれば危機を伝えたところで何の役にも立たない。

 

 万物を凌駕する桁違いの力。ただただ、圧倒されていた。

 

「そんなざまで一緒に戦うなど、よく言えたものだ」

 

 静かなこの場にウルキオラの声だけが響く。

 

「もう一度だけ言ってやる。早く撤退しろ。邪魔だ」

 

 それは明確な拒絶の意思。

 

「戦いの余波で無駄な死を迎えたいか?」

 

 一言一言がロキ・ファミリアの団員たちを刻んでいく。

 

「──それとも、俺に貴様達を守りながら戦えとでも言う気か?」

 

 それが止めだった。

 

「……総員撤退だ」

 

 掌から血が滲む程手を握り締めながらフィンが告げた。

 

「速やかに……キャンプを破棄。この場から離脱する! リヴェリアにも伝えろ。急げ!」

 

 普段なら噛みつかれるであろう、第一級冒険者としての矜持、迷宮都市最大派閥のロキ・ファミリアの誇りと責任を踏みにじる命令だが反論は無かった。だが、撤退の準備を進める団員達の顔は皆、苦渋の表情を浮かべていた。

 

 

 撤退の喧騒を背にし、混乱が収まりつつある女性型モンスターの方へ向かおうとしていたウルキオラは視線を感じ、その主の方へと顔を向ける。其処には一歩も動いていないアイズが立っていた。

 

「何だ」

 

 ウルキオラの何の感情も感じさせない冷たい視線がアイズを射抜く。その視線に萎縮したのか押し黙ったアイズに背を向け歩を進める。

 

「もう……一緒にいられないの……?」

 

 足を止めた。

 

 ウルキオラはアイズが自分によく懐いていたのを()()()()()

 

 だからこそ──拒絶しなければならない。

 

「そうだ」

 

 背を向けたまま言った。

 

「何で…? ウルも一緒に」

 

「行け。お前の仲間達が待っている」

 

 その言葉を最後にウルキオラは再び歩き始める。泣き崩れた少女を残して。


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