「いやぁぁああッッ!!!」
「助けてくれぇええ!!!」
「く、来るなァァア!!!」
「落ち着くんだ! 僕等がいる限り、皆には攻撃を通さない!」
フィンはパニックになっている住民たちの不安を払う為、大声を放ちつつ眼前のモンスターの攻撃を素手で巧みにいなし、後ろに庇っている者達を護る。
しかし、とは言ったものの、このまま行けばジリ貧に追い込まれるのは抗えようのない事実だった。危険を知らせてくれる親指も引っ切り無しに疼いて警告を発している。
目を配れば他の団員達もモンスターの攻撃を凌いではいるが、思う通りに動けない状況に苛立ちと焦りが見て取れた。それはフィンとて同じだ。だが、この場を離れて攻勢に打って出る訳にはいかない。
今、ロキ・ファミリアは壁となっているのだ。モンスターの脅威から住民達を護る壁へと。堅固な堤防がたった一つの罅から決壊してしまうように、持ち場を離れて穴を空けてしまえばこの壁も壊れてしまうかもしれない。
多くの命を預かっているフィンは一か八かの賭けで住民達を危険に晒すつもりは無かった。それ故の現状。この場にはベートを除くロキ・ファミリアの幹部達が揃っているにもかかわらず手こずっている理由。
そして、その原因たる逃走経路を塞ぐようにして取り囲んでいるモンスターは最悪のタイミングでフィン達の前に現れた。
フレイヤとの会談後、活気溢れる街とは正反対の雰囲気を醸し出して無言のまま帰路に就こうとしていたフィン達は、気晴らしに闘技場へモンスターの調教を観戦しに行くと言っていたティオネ、ティオナ、レフィーヤと会った。なんでも結局此方の話が気懸かりになって楽しめなかったので早々に切上げて、会合場所である『豊饒の女主人』へと向かい店の前で皆が出てくるのを待っているつもりだったそうだ。
ホームへの道すがらティオネとティオナにせがまれ話し合いの内容を伝えていた矢先だった。人々がごった返している通りの一角から、地鳴りと共に膨大な土煙を巻き上げながら地中から巨大なモンスターが出現したのは。
淡い黄緑色をした細長い胴体。先端部分は若干膨らみを帯びていた。
フィンは顔のない蛇と思ったが直ぐにそれは覆される。体の先端部分が開き咲いたのだ。
何枚もある花弁の中央には鋭い牙の並んだ巨大な口が存在しており、目の前の獲物が魅力的なのか唾液のような粘液を滴らせている。
住民達は突然のことで固まっていたが理解が追いつくと一気に恐慌状態となり我先に逃げ出そうとするが、そうはさせまいと再び響き渡る轟音。同種のモンスターが三体現れ退路を塞いでしまった。
即座にフィンはロキと住民達を四体のモンスターが取り囲む中心に集めると、他のメンバーに人々を護るため盾となるよう指示した。それが功を奏したのか幸いにして未だ怪我人は出ていない。しかし、それもいつまで続けられるのか分からない。
フィン、リヴェリア、ガレス、アイズ、ティオネ、ティオナ、レフィーヤの七人対四体の食人花。数だけなら此方が有利だが、LV3のレフィーヤではこのモンスターを肉弾戦で抑えこむのは不可能で、それはLV6だが同じく魔力特化のリヴェリアにも言えることだった。
何故魔法の使用を選択から外しているのかというと、二人の最大の長所である魔法を使用すれば一網打尽も可能だと、レフィーヤに使用を指示すればモンスター達の攻撃が殺到してしまい慌てて詠唱を中止させた経緯があったからだ。
魔力に反応し攻撃を狙い撃ちしてくる食人花相手では詠唱の時間が危険で、その間無防備になってしまう二人の護りに割く人員の余裕が無いのでは魔法は使えなかった。
しかも、食人花は本体の他に無数の蔓のような触手を持っており数の有利も消されている。これでは突破口を開くために敵に接近して輪を崩すのは住民達を危険に晒すのと同義語で、ロキ・ファミリアの面々は今いる位置から動けなかった。食人花も食人花で嫌らしいことに、ひたすら触手部分で攻撃してくるので本体にダメージを与えられない。そして、なにより苦戦している理由は──
「硬ったーい。やっぱ、素手じゃキツイねー」
「武器があれば、どうにかなるってのにッ!」
ティオナ、ティオネが言った通り全員が丸腰ということだった。武器が無く決定打を与えられないフィン達は次々に襲いかかってくる攻撃を逸らし、払いのけることでしか住民達を護る術を待たなかった。
先の見えない泥沼の消耗戦。膠着状態は思わぬ形で破られた。
「ク、この……調子に乗ってんじゃないわよ! この糞花がァァアアアッッ!!」
執拗な食人花の攻撃に晒され続け、痺れを切らし頭に血が上ったティオネが前へと飛び出した。
「駄目だ、ティオネ! 突出するんじゃない!」
想い人であるフィンの一言で瞬時に我を取り戻したティオネだったが、既に開いてしまった穴は埋められない。ティオネの抜けた隙をつき食人花が触手を鞭のようにしならせる。
「誰かカバーを!」
フィンの指示が飛ぶが他のメンバーも、ここぞとばかりに攻め立てる攻撃によって自分の持ち場を護るのが精一杯だった。
迫り来る巨大な黄緑色の蔓の鞭。住民達の悲鳴が木霊するなか、あわやというところで触手は突如飛び込んできた影によって分断された。
「地上に戻ってきた矢先に何だってんだ、この騒ぎは」
「ベート!?」
暗くて見えなかった先に光明が差し込んだ。
◆◆◆
『ダイダロス通り』をベルはヘスティアの小さな手を握り、体のいたる所から訴えてくる痛みに耐えながら力の限り走っていた。命を脅かす脅威から少しでも離れるために。
事の発端は少し前、ヘスティアと偶然大通りで再会した時まで遡る。
『神の宴』に参加すると出かけて行った日から三日振りに会ったヘスティアは、良い事でもあったのか見るからに上機嫌で姿相応の子供のように無邪気にはしゃぎベルを振り回した。
ウルキオラがいないのが少し寂しそうで、それはベルにも残念に感じられたが、それでも二人は幾つもの出店を巡り仲睦まじく食べさせ合いっこなどをしながら祭りの雰囲気を充分に楽しんでいく。最初の方こそ多少強引に祭りに連れて来られ戸惑っていたが田舎育ちのベルにとっては、こんな大規模の祭典は生まれて初めてで、次第に盛り上がってきた興奮が胸の奥を支配していった。
何より隣にいるヘスティアが楽しんでくれているのが嬉しい。今日はダンジョンへ行くのをやめにして、このままヘスティアと一緒に祭りを満喫しようとベルは顔を綻ばせる。
しかし、そんな想いを踏み躙る事件が起こった。
「モ、モンスターだぁぁああああ!!!」
誰かの絶叫が聞こえ周囲の驚愕と恐怖の視線を追うと、ベルは自分の顔が引き攣り背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
其処には一体の巨大な猿がいた。
純白の体毛を全身に生やした野猿のモンスター『シルバーバック』。
ベルの到達階層より遥か下層を根城とする化物が荒々しく突進してくる。他には関心を示さず此方目掛けて一直線に。
出会い頭の短い戦闘で怪我を負い、自分では勝てないと判断したベルはヘスティアの手を取ると路地裏へと続く道に飛び込む。
戦闘で分かったのは力量差だけではなかった。シルバーバックは明らかにヘスティアをターゲットにしていた。
逃げるベル。
追う獣。
「どうしてっ、神様が、狙われてるんですか!?」
「し、知るもんか! ボクが聞きたいよ!」
答えが見つからない疑問を抱えながら懸命に足を動かす二人に更なる不幸が覆いかぶさる。
「……っ、ベル君、こっちは……!」
「しまった……『ダイダロス通り』、だ……」
方向も道順も考えず、無我夢中で逃走していたツケが回ってきた。
前方にあるのはオラリオに存在する、もう一つの迷宮。
雑多な規則性の無い造りは逃げるのに適しているかもしれないが、それは地理を知っていればこそだ。当然だがベルもヘスティアも知らない。曲がり角を曲がったら行き止まりだった、なんて羽目になったら洒落にならないし、一度入ったら二度と出られないとまで噂されている複雑な迷宮。そんな場所に足を踏み入れるのは躊躇われた。が、追手はもう直ぐ後ろまで迫っている。前進するしか退路は無かった。
「はぁっ、はぁっ……」
呼吸を乱しながらもヘスティアの手を引き、狭い路地を全力で駆ける。
追いつかれれば対抗しきれないベルは、ひたすら逃げた。
シルバーバックとは身体能力に差がありすぎるので何度も追いつかれそうになってしまうが入り組んだ地形を利用したりして、這々の体で難を凌いでいる。
しかし、このままでは捕まるのは時間の問題で逃げ切れるとは到底思えない。
心臓は爆発するのではないかと思ってしまうぐらい大きな早鐘を繰り返し打ち鳴らし、足も感覚が無くなってきている。脳に送られる酸素が少なくなってきているのか頭にもやがかかったようになり、考える事すらままならなくなってきた。
あまりに早い体力と気力の消耗。
原因はトラウマに晒され続け精神が疲弊していったからだった。
ベルは五階層でミノタウロスに殺されそうになったショックで大型のモンスターに対してトラウマを植え付けられてしまっていたのだ。纏わりついて離れないあの時の恐怖がベルの精神を圧迫し体力と気力をすり減らしていた。
──どうすればいいんだ。
碌に回らない頭では打開策は見つからない。なので、こう思ってしまったのも無理は無かった。
こんな時にウルキオラさんがいれば、ウルキオラさんが助けに来てくれれば、と。
他人の力に助けを求め始めたのを責めるのは酷というものだろう。ベルには、どうすることも出来ないのだから。
「……ベル君、ボクを置いて逃げるんだ」
抱え込んでいる恐怖が伝わってしまったのか、ヘスティアが予想だにしなかった提案を持ちかけてきた。
「あのモンスターはボクだけを狙っている。ベル君一人なら追ってこない。だから、君だけでも逃げ延びておくれ」
繋いでいる手が震えている。ヘスティアとて怖いのだ。それなのに……。
『大切なものを守りたいから、僕は強くなるんです!』
ウルキオラと対峙して放った一言が霞がかった脳内に走る。そして──
『そこまで吠えるのなら、俺に見せ続けてみせろ──ベル・クラネル』
意識が落ちる寸前に聞こえたような気がした、初めて名前を呼んでもらえたウルキオラの言葉も。
「うぉあああああああっ!!!!」
「い、いきなりどうしたんだい!?」
自身に活を入れたベルの瞳に生気が戻る。
(何でこの期に及んでまで誰かの助けを期待するんだ! この場で神様を護れるのはウルキオラさんじゃない! 護れるのは、今ここにいる僕だけなんだ!!)
頭のもやが晴れ思考がクリアになっていく。
(考えろ。考えろ! 考えるんだ!! 神様を護れる方法をっ!!! 戦って勝つのも無理。逃げ続けるのも無理。だったら──)
細い裏路地とは違い見通しの良い場所へと出たベルの視界に、ぽっかりと口を開けた薄暗い横穴が入ってくる。闇の先は見えないが、きっと別の場所に繋がっているのだろう。地面には封鎖してあったと思われる鉄格子が歪な形で転がっている。
ベルは好都合とヘスティアを地下道の中へと押しやった。
「神様は先へ進んで下さい。僕が時間を稼ぎます」
これが考えぬいて出した答えだった。
「──な!? 何を言ってるんだい、ベル君も一緒に!」
「このままじゃ、必ず追いつかれます。だから……」
「ダメだ! そんなのは聞けない!」
「僕なら大丈夫です。時間を稼いだら逃げるつもりですから。すばしっこさには自信があるんですよ」
『ウォォオオオオオオオオ!!』
獣の遠吠えが聞こえた。シルバーバックは直ぐ其処までやって来ている。
「お願いですから行って下さい! 早く!!!」
大声で叫んだベルは反転すると、何時シルバーバックが飛び出してきても対応出来るよう重心をつま先に乗せ腰を落としナイフを前方に突き出した。
◆◆◆
荒れ狂う蔓の鞭を触れるか触れないかの所で掻い潜り、ベートの蹴りが本体へと炸裂した。
呻き声のような悍ましい声を花弁の中央から吐き出して体勢を仰け反らせる食人花。
『おぉぉぉおおおお!!!』
絶え間ない攻撃に晒され続ける恐怖を耐え忍んでいた住民達が、漸く武器を持つものが現れ助かる糸口が見えた安堵から大きな歓声を上げる。
しかし、アイズは歓声を後ろで巻き起こした者達とは反対に不安を拭えないでいた。
ベート渾身の蹴りであれば一撃で地に沈められないまでも、それなりの深い傷は与えられたであろう。
しかし、今はどうだ? 食人花の受けたダメージは身を仰け反らせる程度の軽いものにおさまっている。
それに、相手の攻撃に対する反応もギリギリで躱すのがやっとだと思えた。
どう考えても、自慢の脚力による速度も蹴りの破壊力も減少していて万全の動きではなく精彩さを欠いている。
「ベート、君まさか怪我を!?」
アイズと同じ懸念を持ったフィンの問いに口からの答えは返ってこなかったが、肯定するように装備している白銀のメタルブーツ『フロスヴィルト』の隙間から鮮血が舞いベートが膝を折る。
まだ、食人花からの攻撃は受けていない。であれば、ベートはダンジョンで受けたダメージを隠してこの戦いに参加していたのか。
足の傷が軽くはないと察したフィンの語気が焦りを帯びる。
「下がるんだベート、僕と交代だ!」
動き回らなければいけないアタッカーは無理でも、後方にいる住民を護るだけならば脚に掛かる負担も少ないと考えたフィンの指示だったが……。
「フザケんな。俺は下がらねえぞ」
ベートは静かに、だが強く拒否をした。
「その怪我では無理だ! 最悪君も──」
「それでも下がる訳にはいかねえんだ!!」
ベートがこのまま攻撃側でいるより、武器を持たないにしても怪我一つ無いフィンの方が上手く立ち回れるであろう。そちらのほうが住民達を護れる可能性が高いのも分かっている。ベートの拒否は周りを顧みない自分勝手な行動だ。しかし、鬼気迫る雰囲気に当てられてアイズは否定する気にならなかった。
それはフィンも同様のようで、単なる我儘ならば団長命令を使い無理矢理にでも後退させたであろうが、只ならぬ様子に一旦見送り他の皆と共にベートの言に耳を貸している。
「まるで、三年前と同じじゃねぇか。護って護って……最後に護られアイツを失った日とよ。一人敵に向かっていくアイツの背中を追えず、指を咥えてただ見ている事しか出来なったあの日とよ!!!」
アイズには痛烈に伝わった。
ウルキオラの側に一緒に付いて回っていた二人目の兄とも呼べる男の心からの叫びが。
悔しさ、惨めさ、情けなさ、不甲斐なさ。哀しみ、自身への怒り、失ってしまった絶望、過去を振り返ることへの怖れ。それらをごちゃ混ぜにして、業火の中でどろどろになるまで煮詰めたものを人は後悔と名づけたのだろう。
後悔が体内で蠢きベートを動かしている。
「ここで下がっちまったら同じだ。一歩でもいい、前に進んでやる……っ。そうしねえと遥か先を行くアイツに追いつけなくなる。もう追うことすら出来無ねえ負け犬になっちまう! そんなのは──死んだ方がマシだってんだよッッ!!!」
髪の毛が、全身の体毛が迸る覇気で逆立ち、頭の天辺からつま先まで流れる血を熱く滾らせ凶狼は食人花に突貫した。
同じ想いがあるのにもかかわらず、住民達を護らねばならないアイズは一歩も動けない。まるで過去によって足を地面に縫い付けられているかのように。
◆◆◆
『
しかし、ウルキオラにとっては答えなど考えることもなく最初から決まっていた。
一瞬の迷いも躊躇いも見せず選択する。
ヘスティアとベルの救援に向かうと。
ウルキオラはロキ・ファミリアを二人の例外を除いて軽蔑し嫌悪している。他の有象無象のように無関心で見下している訳ではない。明確に嫌っているのだ。
二人の例外もヘスティアとベルに比べれば取るに足らない存在。
そんな連中を助けに行く必要性は全く感じない。
少しでも早くヘスティア達の元へ辿り着けるよう霊子で足場を形成して空中へと駆け上がる。空中には遮蔽物が無く最短距離で進めるからだ。
怒号、悲鳴溢れるオラリオの街並みを見下ろす。驚異的な視力は、ヘスティアを護るようにしてナイフを構えるベルと住民達を護りながら戦っているロキ・ファミリアを捉えた。
「ベル・クラネル……」
ウルキオラの視線はロキ・ファミリアを意識的に外しヘスティア達のみに注がれている。
接敵するのはもう間もなくだが今のベルでは追い掛けているモンスターには勝てない。待ち受ける未来は死のみ。
あの眩い光を下等な畜生相手にむざむざと奪われるつもりはない。ヘスティアとベルこそが、底のない真っ暗な虚無に差し込んだ一条の光なのだから。
離れた距離を縮めるべく霊圧を高め脚に力を込める。
一歩目が踏み出せない。
胸の奥がざわめいている。
ロキ・ファミリアを助けてくれ、とでも言っているようだった。
「──それほど、あの裏切り者共が大事か」
答えは無い。答えられるはずがない。
嘗てこの身体を好き勝手に使っていたものは、今や残骸とも言える位に弱々しく消えかけている。
「偶然が重なって生き長らえた贄の分際で俺の邪魔をするな」
無理矢理、沸き立つ残滓を捩じ伏せる。
「出来損ないの壊れた玩具は、出番を終えたらさっさと消え失せろ」
胸のざわめきは鎮まった。
だが、体は動かない。
ウルキオラの答えはとうに決まっているのに。
『決めた! この子の名前はウルキオラやー!! ……ウチが立派に育てたるからな』
『僕はウルのお兄さんかな』
『そして私が姉だな』
『なら、俺はさしずめ爺さんか? そんなに老けてはいないだろう……おい、何で黙るお前等。目を逸らすな』
『ウキル……ウルオキ……うん、分かった。ウルって呼ぶ』
『こんな所にいやがったか。フラフラしてんじゃねえよ! 探すこっちの身にもなれってんだ。これからどっかに行くときは、ちゃんと伝えてからにしやがれ。勝手にいなくなってんじゃねえぞ』
『ちょっとアンタ、団長と私がくっつくのを手伝いなさいよ! 妹の幸せを願うってのが兄としての役目でしょう! ……自分の魅力に自信が無いから手伝わせるのか、ですって?!! よーし、表出ろコラ』
『えへへ~。お兄ちゃんってこんな感じなんだな~って思って』
ウルキオラが見てきた光景。それは暖かくて大切なかけがえのない思い出なのだろう。
しかし、それでも──
ウルキオラの選択を曲げることは出来なかった。
身体を縛りつける煩わしい想いを跳ね除け、ウルキオラはヘスティアとベルの救援に向かうため空中を蹴った。
◆◆◆
ナイフを前方に突き出し身構えるベル。
モンスターの姿はまだ見えないが確実に近くに来ている。
緊張と恐怖で呼吸が荒くなっていき、腹から先ほどの露店で食べた物がせり上がってきた。
この場所は、間もなく命をかけた戦場となる。勝算が限りなくゼロに近い戦場に。だというのに……。
「どうして行ってくれないんですか!! 神様っ!!!」
ヘスティアは地下道の中から一歩も動かず、俯いてじっと立っているままだった。
「……れる……じゃ……か」
よく聞き取れない小さな声で喋ったかと思うとヘスティアが耳を劈く大きな声を上げた。
「家族を置いて! 逃げれる訳ないじゃないかっっ!!!!」
ヘスティアの剣幕に押されてしまうがベルも負けじと反論する。早急に離れてもらわなければならなかった。此処は死地となるのだから。
「神様だって同じ事をしようとしたでしょう! 僕が代わりに受け持つだけです!」
「ダメだ! それはボクの役割だ!」
「そんな決まりはありません!」
「ボクはファミリアの主神だ! 謂わば親だ! 親が子を護るのは当然じゃないか!」
「眷族は主神を護るためにいるんです! 何で分かってくれないんですか?! ……もう嫌なんです。何も出来ないで大切な人を失うのは。だから……護らせて下さい。僕の命に替えても神様だけは護ってみせます」
「やっぱり死んで時間を稼ぐつもりだったんだね」
図星だった。恨みがましい声に黙ってしまう。
どう転んでも勝つ見込みが無いベルにはヘスティアが無事に逃げ切るまでの時間、命を捨ててシルバーバックを此処に釘付けにするという方法しかなかった。
「……僕はあのモンスターには勝てません。神様を護るには、もうこれしか」
「諦めるのかい?」
「え?」
「諦めるのかいと聞いているんだ! 好きな人の事も! 家族で過ごした幸せな時間も! 君は諦めるのかと聞いているんだ!! 死ぬってそういう事なんだよ!?」
全身に雷に打たれたような衝撃が走る。死というものをベルなりに分かっているつもりだったが、それは漠然としたものでありヘスティアが具体例を出したことで真に理解したからだ。
死とは無。
死ねばアイズへの想いも、三人で過ごした幸福な時間も永久に失う。
極限の状況下というのもあったのだろう。そんな当たり前のことが頭から抜け落ちてしまい、安直な方法を取ろうとしてしまっていた。しかし──
「諦めたく、ない……死にたく、ないです。でも、他に方法は……っ!」
そう、ベルには思いつかなかった。命を懸けて時間を稼ぐ以外の方法など。
「戦おう」
力強く言ったヘスティアにベルは動揺する。
「神様も見てたじゃないですか……僕にあのモンスターは……」
勝てない悔しさとヘスティアを護れない自身の力量不足に対する情けなさでいっぱいになり、歯を食いしばりながら吐露するベルに一つの武器が手渡される。
「これを使ってくれよ」
鞘に納まった漆黒のナイフだった。
「これは……?」
「ヘファイストスに作ってもらったんだ。今までは助けられてばかりだったけど、ボクにも何かベル君の為にやれることはあるんじゃないかと思ってね。家族は助け合うもんだろ?」
ヘスティアが一つウィンクをした。
「神……様……」
「それにね、ボクだけじゃないんだよ。そのナイフにはウルキオラ君も一肌脱いでいるんだ」
「ウルキオラさん、も……?」
声が詰まるベルに、ヘスティアは表情を緩めると慈愛の微笑みを向けた。
「うん。言うなればそのナイフはボク達の家族の絆、『
危機迫る状況であるが、不覚にもベルは目頭が熱くなった。
「さあ、ウルキオラ君とボクの想いが込められたナイフを手にしているのに、まだ勝てないなんて情けないことを言うのかい、君は?」
悪戯っぽく笑ったヘスティアの前で、ベルは目元を拭うと力いっぱい宣言した。
「いえ! 勝ってみせます!!」
丁度、それと同時だった。爆音に近い着地音と共にシルバーバックが落下してきたのは。
「神様は──」
「ボクも此処に残るよ。ベル君が勝つって信じてるからね」
「……分かりました」
ヘスティアの、ウルキオラのお陰で恐怖は追い出せた。必ず勝利するという絶対の決意だけを胸にベルは漆黒のナイフを構える。
後ろにはヘスティアがいる。守り通さなければならない大切な家族が。
逃げるのは疎か後退すら出来ない不利な戦場。
ヘスティアを護る為に、二人で生き延びる為に、ベルは不退転の覚悟を持ってシルバーバックと対峙した。
「来い!! 此処から先へは一歩も通すもんかぁっっ!!!」
◆◆◆
ベルがいる周辺を一望出来る高所で、フレイヤはここまでの経緯の一部始終を見ていた。
『
『豊饒の女主人』でロキと別れた後、街で偶然ベルを見かけると悪戯心が芽生えてしまったのだ。
ベルの困るところを見てみたい。
驚愕の表情を見てみたい。
泣き顔を見てみたい。
必死な姿を見てみたい。
無垢で無色の魂を持つベルは、きっと沢山の顔を見せてくれるだろう。そして、その中でも特にベルの『勇姿』をみたくなった。こうなると止められない。湧き上がってくる欲望に逆らおうともせず身を委ね、闘技場まで赴き閉じ込められていたシルバーバックを魅了してヘスティアへとけしかけた。ついでに、救助や援護などのヘタな横槍がベル達に入らないようにするため、近くにいた数体のモンスターも解放して街を混乱の渦に落とし込んだ。
目論見は見事に成功してベルの色々な姿を堪能した。しかし、シルバーバックとの追いかけっこの時は興奮して見ていたのだが、ベルとヘスティアの遣り取りが始まると次第に興奮も冷め、今となっては満足感とは別種のものがフレイヤにもたらされた。
逃げないヘスティアに大声で文句を言ったベル。
そんなベルを此方もまた普段の天真爛漫さからはかけ離れた剣幕で叱りつけたヘスティア。
二人共包み隠さず己の言い分を相手にぶつけていた。
ベルはヘスティアの為を想って。
ヘスティアはベルの為を想って。
それが少し──
羨ましく感じた……。
お気に入りのベルとそういう風に接するヘスティアに、ではない。お互いに本心を晒け出せる対等な関係性自体に惹かれた。
それはフレイヤが持ってはいないものだった。
チラリと後方に控えるオッタルを見る。
急に顔を向けられて表情は動かないものの若干不思議そうにしているオッタルは自分が言えばどんな命令でも付き従う。それこそ命を賭して。他のフレイヤ・ファミリアのメンバーもそうだ。フレイヤに心酔している団員達は文句の一つも言わずに従うだろう。
それに何の疑問も持たなかった。不満も無かった。
──今までは。
互いに正面からぶつかり合う。
他人を望んでもいないのに魅了してしまい傅かれる宿命を背負っているフレイヤには経験のないことだった。言いたいことを言ってくれるのは精々がロキやヘファイストス、ヘスティアといった少数の女神位なものだ。だからこそ、堪らなく二人の関係性に興味を持ち始める。
一旦惹かれてしまうと、どうしても手に入れたくなるのがフレイヤの性分だ。とうにベルとヘスティアの関係を表す答えも出ている。
「家族……」
フレイヤは静かにベル達の方へ視線を戻した。銀色の瞳に羨望の光を灯しながら……。
◆◆◆
偶然だった。
「怖いよぉ、怖いよぉー!!」
「大丈夫……大丈夫や。ウチの子達がきっと皆を助けてくれるから安心しい」
親と逸れて事件に巻き込まれてしまった泣きじゃくる子供を抱きしめ背中を擦って落ち着かせていると、不意に視界の隅にそれが入ったのは。
道路の端、影となっている部分に泣きながら小さく蹲る逃げ遅れた獣人の少女がいる。モンスターは気づいている様子は無いので幸いだったが、このままでは遠くない未来に目を塞ぎたくなるような惨劇が起こる可能性があった。
蹲っている少女の頭上では建物の壁が食人花の攻撃の余波で亀裂が入っており、いつ崩れてもおかしくない状態となっていたからだ。
大声で危険を伝えれば食人花に少女の場所が知られ攻撃を許してしまう。かと言って何もしなければ壁が崩れ落ち瓦礫の下敷きとなる。
建物が倒壊する瞬間は刻一刻と迫ってきており悠長に手段を考える時間も無い。
ロキは抱きしめている子供を、壊れやすい薄い硝子の器を扱うようにゆっくりと離し「此処でじっとしてるんやで」と告げると密集する住民達の間を掻き分け輪の外へ出ようとした。
偶々だった。
ロキが輪の外へ出るタイミングと、ベートの高らかな咆哮が重なったのは。
住民も、モンスターも、ロキ・ファミリアのメンバーもベートに気を取られてしまう。
その結果、ロキは誰にも気づかれず簡単に輪の中から抜け出せた。抜け出せてしまった。
「ロキ!?」
最初に近くにいたリヴェリアが気付くがもう遅い。
ロキは走る速度を加速して一目散に目的の場所へと向かう。開かれた朱色の瞳に映すのは救うべき姿だけ。思考の一切を放棄して無我夢中で駆ける。
ウルキオラを赤ん坊から育てたのが、この場合は災いした。
幼少時からウルキオラの世話を焼いていたロキは殊更子供の危機というものに敏感になっていたのだ。それは他の神々の
亀裂は大きくなっていき、遂には少しずつ崩れ始めていく。
どうにか間一髪で間に合い、自らの体を盾にして少女に覆いかぶさった。庇った際に落下してきた瓦礫によって負傷してしまい額から流血しているが構わず、まずは腕の中にいる少女が安心するように柔らかい笑みを浮かべた。
「堪忍な、急に抱きしめてしもうて。でも息苦しくは無いやろ? ウチ、胸があらへんからな」
自虐ネタも交え軽口をたたいたロキは膝を折り目線の高さを合わせると、少女の頬を掌で包み込み溢れる涙を親指で拭い取る。
「もう泣かんでもええよ。ウチが必ず護ったる」
ロキの言葉に少女の顔が安堵の色に染ま──
「避けろぉぉおーー! ロキィィーーー!!」
近づいてくる風切り音。
反射的に少女を突き飛ばしたロキの脇腹を食人花の蔓が貫いた。
「……がはッ!」
そのまま後ろの壁に背中から叩きつけられる。
食人花の攻撃は終わらない。貫いた体から蔓を引き抜くと、ぐるんと反時計回りに一回転させ速度の増した一撃でロキを打ちつけた。
「──ぁあっ!」
全身をバラバラにしたような、焼き尽くすような今まで感じたことの無い痛みが襲ってくるが、ロキは腹から上がってきた鉄の味の液体を無理矢理飲み込むと再び笑みを浮かべ直し少女に向ける。
笑みを絶やしてはならない。
絶やせば少女の心が傷を負ってしまう。
苦痛で顔が歪み始めると、そう己を叱咤した。
「さ、ここは危険やから、早く遠くへ行きぃ」
迷いながらも最終的には逃げてくれた少女を姿が見えなくなるまで笑顔で見送ったロキは一歩も動けず、その場に倒れこんでしまった。
ロキのぶつかった衝撃で今直ぐにでも建物は崩落するだろう。
しかし、ロキにはもう動く力は残されていなかった。
「ロキーーーーっ! 早く其処から離れるんだ!!」
フィンも、
「動け!! 死にたいのか!」
リヴェリアも、
「今行く! 待っておれ!!」
ガレスも、
「邪魔、しないで!」
アイズも、
「退けぇっ!! 雑魚がァッ!!!」
ベートも、
「この糞花ァアアア!!!」
ティオネも、
「いい加減にしてよね!!」
ティオナも、
「道を開けて!!」
レフィーヤも、必死に助けに来ようとするが食人花に妨害されて先へと進めない。
皆が懸命に自分を救おうとする姿に、場違いだと思いつつもロキの心は抗えようのない幸福感に満たされていた。
(勝手に動いたウチのために……。ウチはホンマに、えぇ家族に巡り会えたんやな……)
ロキのとった行動は主神としては失格だ。主神が死んで天界に送還されればフィン達の『
ロキも分かっている、分かってはいたが、あの時は頭よりも先に身体が勝手に動いてしまっていた。
しかし、自分の行動に後悔は無い。例え何回同様の場面を繰り返されようと、きっと同じ選択をして助けに走るだろう。
そして、このまま自分が死んで家族を全滅させる気は毛頭ない。
どんなに惨めでも、笑われても、醜くても、生きなければならない。
大切な家族のために。
腕になけなしの力を込めて動かす。自らの血と瓦礫の破片で美しい顔が汚れ、足を引きずり地を這う虫のような姿なりながらも、その場から離れようとする。
だが、幾ら神といえど時は待ってはくれなかった。
今まで持ったのが奇跡だったのだろう。倒壊する建物。
降り注ぐ絶望的な量の瓦礫の下でロキは……。
(誰でもえぇ。ウチはどうなっても構わんから、どうか……どうかウチの大切な宝物だけは護ってくれ)
そう
(ウルに一目だけでも会いたかったなぁ……)
無情にも瓦礫の雨はロキを飲み込んだ。
◆◆◆
「ロキィィィイイーーー!!!」
食人花が出現した時とは比べ物にならない大量の土煙が辺りに舞う中、リヴェリアは袖口で目を覆い何度も主神であり恋敵の名を呼ぶ。
だが、返答は全く無く最悪の予想が脳裏を掠めた。倒壊で生じた風は収まったが土煙のせいで視界が悪く周囲が見えないのも悪い考えを助長する。
冗談ではない、巫山戯るな、と声を大にして叫びたくなった。
少女を身を挺して救ったロキは眷属として、家族として誇らしく思う。
だが、それで自分が犠牲になってしまえば残されてしまった者達が何を感じるかはウルキオラがいなくなった時に分かっているだろう。
神に勝るとも劣らない端正な顔を歪めたリヴェリアは、残された僅かな可能性に賭け建物のあった場所へと駆け寄る。
土煙の中を記憶と感覚を頼りにロキのいた所へと向かっていたリヴェリアだったが、迫り来る気配を感じて咄嗟に横へと飛ぶ。流石は第一級冒険者の勘と言うべきか。大口を開けた食人花の本体がリヴェリアいた場所を通過していった。避けなければ口に飲み込まれていただろう。
しかし、リヴェリアの表情に安堵は見えず、それどころか逆に顔を強張らせていた。
食人花は速度を緩める事無く突き進んでいく。
リヴェリアの向かっていた方向──即ちロキがいると思われる瓦礫の山へと。
慌てて追いかけるが避けたのが原因で一手遅れてしまい間に合わない。
「やめろぉぉーーーー!!!」
リヴェリアの静止の叫びも虚しく食人花が土煙の中心へと顔を突っ込ませた。
「ロキィィイイイーーーーッ!!!!」
次に視界に映るのは家族の血に塗れた無惨な姿か。
最悪の予想がロキ・ファミリア全員の想像力を支配した。
体を動かせない。動いてしまえば最悪の想像が現実になるような気がして。
しかし、現実は直ぐにやって来た。
喉が枯れんばかりに叫び声を上げたリヴェリアの横を何かが土煙を切り裂き飛んでいった。食人花だ。食人花が逆再生のように来た道を地面と平行に、有り得ない速度で吹っ飛んでいく。凄まじい勢いは数度バウンドしても収まらず、地面を擦り石畳をガリガリと削った事で漸く止まれたようだ。魔石化していないので死んではいないようだが、痙攣するだけでピクリとも動かない。
「…………は?」
突然不可解な場面に遭遇すると人間の頭は思考を止めるようで、その例に漏れず平時は凛と構えているリヴェリアからも、らしからぬ抜けた声が出た。
大型のモンスターである食人花が吹っ飛んでいったことによって起こった風に乗り、周囲を覆っていた土煙がゆっくりと晴れていく。
「こんな雑魚相手に、いつまで遊んでいる」
抑揚の無い平坦な声色。
濡羽色の髪。
処女雪のような白い肌。
見るものに冷たさを感じさせる翠の双眸。
「……あ……れ? 何で、ウチはまだ生きて──ウ……ル……?」
ロキがその名を口にする。
土煙が舞っていた中心には、フードが捲れ顔を露わにしたウルキオラがロキを横抱きにして立っていた。