この掌にあるもの   作:実験場

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第十ニ話 道化はおどけ少年を慰め、少年は青年となり道化と共に生き、化け物は二人を冷ややかに見ていた

 太陽が分厚い雲に覆われ姿を隠した早朝。重苦しい空気がオラリオ中に蔓延していた。

 メインストリートの両端には、ずらりと人の波が溢れている。しかし、これだけ大勢の人が集まっていれば自然と生まれるであろう活気は微塵もありはしなかった。時折、隣の人間にひそひそ話をする以外は声らしい声は聞こえてこない。寂々としている。

 

 ポタリ、ポタリと天から雫が落ちてきた。

 雨が石畳に落下する小さな音だけがオラリオの街を包み込んでいく。

 

 

 深々と降り注ぐ雨に抱かれる。

 

 

 雨は公平に全てのものに降り注ぐ。それは超越存在とて例外では無い。

 ロキは額に張り付いた朱色の濡れた髪を払うと重苦しい雲に覆われた空を見上げた。

 

「空も泣いてくれとんのやな……ウチらみたいに」

 

 とめどなく溢れる涙。恩恵を奪った昨日で涙の井戸は枯れ果てたと思っていたが間違いだったらしい。雨水と混じった涙は今も頬を伝い地に落ち、石畳の上に染みを作っていく。

 

 ロキ・ファミリアはメインストリートから離れた、ある建物屋上に陣取っていた。驚く事に古参の幹部から新米まで、全てのメンバーが勢ぞろいしていた。仮に今、本拠地に攻め込まれでもしたら、もぬけの空の本拠地はいとも容易く壊滅するだろう。もし、そうなるのならそれでも構わなかった。それ程この瞬間、この場に、全員がいるのが重要だった。

 

 もう間もなく一つの刑が執行される。

 

 心情としては直ぐにでもメインストリートへと駆け出したいが、本人からの来ないでくれとの希望と、他の神々からの警戒によって叶わなかった。

 

 大衆もロキ・ファミリアも一人の青年を見届けに来ているのだ。

 大衆にとっては、オラリオでも指折りの有名人。LV6の冒険者であり『頂天』に並び立つとも呼ばれた男。

 ロキ・ファミリアにとっては息子であり、弟であり、兄でもある大切な家族の一人。

 

 ウルキオラのオラリオ追放の時間が刻一刻と迫っていた。

 

 

 深々と降り注ぐ雨に抱かれている。

 

 

 雨音しかないメインストリートにジャラリと金属の擦れあった異音が交じった。次に聞こえてきたのは住民達のどよめき。

 

「──な!?」

 

 ロキは糸目を限界まで見開き前へ身を乗り出す。

 

 どよめきの理由は先導に連れられたウルキオラの姿が見えると容易に理解した。

 

 白い透き通るような肌を覆うのは襤褸の囚人服で、両手には自由を封じる手枷。両の足首も鎖で結ばれ辛うじて歩けるゆとりがある程度だ。極めつけはウルキオラの首。細い首筋には後方を歩く二人の男から剣を突きつけられている。

 

「見せしめか……っ!!」

 

 聡いフィンが瞬時に意図を看破した。

 

 こんな非道が許されるのか。

 ロキは愛し子の変わり果てた姿に烈火の如く激怒した。目は真っ赤に燃え上がる。滾る憤怒の熱で衣服に滲み込んだ雨水が蒸発しそうだ。

 

 そして、体内を駆け巡る怒りに抗えなかったのはロキだけではない。

 

 ズンッと地面が僅かに揺れた。ベートが力任せに拳を床に叩きつけたからだ。

 

「何処へ行く気だい?」

 

 毛を逆立たせ無言で一点を見つめたまま歩き出したベートにフィンが問う。

 

「止めんじゃねえ。今回ばかりは命令でも聞かねえぞ」

 

 犬歯を剥き出しにして凄むベートの迫力に若手の団員たちが縮み上がる。

 だが次の瞬間、そのベートですら息を呑んだ。

 

「止める気は無いよ。僕が突破口を作る。その間にウルを助けろ」

 

 溢れる怒気。静かに滲み出る殺気。赤ん坊の頃から愛情を持って育てた弟分に対するこの仕打ち。フィンの心情は同じ時を過ごした者でなければ推し量れるものではないだろう。

 

「邪魔する者は全て潰す」

 

 フィンは愛槍をゆっくり舞うように一回転させると刃先をメインストリートへと向けた。現れるはずの妨害者に対し一騎駆けをするつもりのようだ。

 

「待つんじゃ。儂やリヴェリアはともかく、お前さんには名を地に堕とせない理由があるじゃろう」

 

 ガレスの言った通りフィンには名声が必要な理由があった。

 一族の再興。

 その為には手段も犠牲も厭わないと公言しているフィンの宿願。

 その難題を達成するには旗印となる希望が、拠り所となる人物が欠かせない。ここで問題を起こし今まで築き上げてきた名を堕とせば一気に悲願から遠のいてしまう。

 

「此処は私達に任せろ。冷静さを欠いて己の原点を見失うな」

 

「……見失っていないよ。見失うものか。だけどね──」

 

 あそこにいるのが友人なら、恋人なら、リヴェリアの言う通り任せただろう。

 しかし、咎人にまで身を堕として生まれ育った故郷であるオラリオから追放されるのは、皆を助けるため命を賭してずっと戦ってきた可愛い大切な弟だ。

 家族を見捨てて一族を再興する? どの面を下げて言えるというのか。

 

「──家族一人護れない男に一族の再興など果たせる筈がないだろう」

 

 揺るがない強い意志にガレスは肩を竦める。

 

「やれやれ、これはどんだけ言っても無駄のようじゃな。では、共に盛大に暴れるとするかのう」

 

「三人よりも四人。当然私も行くぞ」

 

 フィンと同じく黒い気炎を噴き上げる二人。

 そして、ガレス、リヴェリアが参戦を口にすると二人を皮切りに堰を切ったようにどんどん声が上がる。

 

「私も、ウルを助ける」

 

「はぁ、仕方ないわね。どんだけ迷惑をかけるのよ、あの馬鹿兄貴は」

 

「私達の前からウルキオラがいなくなるなんて考えられないもんね!」

 

「そうっすよ! 未熟な俺っすけど参加させて下さい!」

 

 その灯は火となり炎となって若手達まで燃え広がっていく。瞬く間に全ての家族達がウルキオラを助ける為に参戦した。

 

「み、みんなホンマにええんか?!」

 

 無事で済むはずがない。ロキ・ファミリアでオラリオ中のファミリアと対立するという意味なのだ。それでも、子供達は迷いなく晴れ晴れと頷いてみせた。

 溢れる感謝。ロキは腹を括る。大切な子供達に親として責を負わす訳にはいかない。最悪の場合を考えて、皆が主神の命令に従ったという形をとらなければ。自分に出来るのはそれ位のものなのだから。

 

「おおきにな、皆。ウチが全責任を負うたる──ウルを助けてくれ、お願いや」

 

 これですべての罪も罰も己に降りかかる。後顧の憂いは無い。

 

 ロキは奪還作戦始動の号令を掛けようと手を振り上げた。後は手を勢いよく下し『作戦開始』を宣言するだけ。

 

 最愛の子と目が合った。

 ウルキオラも此方を見ていたのだ。

 

 深々と降り注ぐ雨に抱かれている。

 

 ウルキオラは一目で此方の様子を察したようで困ったように、仕方ないな、とでもいうように眉を八の字にすると、ずっと一緒に暮らしてきたロキすら見たことの無い──

 

 見る者全ての網膜に焼付く程の──

 

 あらゆる負の感情を消し去る程の──

 

 それはそれは美しい極上の笑みをロキ達へと送った。

 

「ああ…………っ」

 

 分かってしまった。

 ウルキオラは助けを望んでいないと。

 

 

 ウルキオラの顔に布で作られた袋が被せられる。

 

「乗れ」

 

 そのまま押送用の馬車の中へと。

 

 

「あああ」

 

 分かってしまった。

 ウルキオラは髪の先から爪の先、血の一滴までもロキ・ファミリアを愛していると。

 だからこそ、皆に迷惑をかけるぐらいなら、このままで良いと望んでいると。

 

 

 馬車がのろのろと動き出す。

 

 あれだけ、息巻いていた団員達もウルキオラの笑顔に当てられ誰も動けない。茫然と見ているだけだ。

 

「あああああああああああっっっ!!!!」

 

 分かってしまった。

 

 

 

 

 ──これが今生の別れになる、と。

 

 

 雨脚が強くなり石畳に水滴が叩きつけられる。

 

「──!! ────!!!!!」

 

 激しい雨の緞帳はロキ・ファミリアの涙も絶叫も慟哭も何もかも、その中に飲み込んだ。

 

 轟々と降り注ぐ雨に抱かれている。

 しかし、どんなに強い雨の抱擁であっても今のロキ・ファミリアの慰めにはならず、また悲しみと絶望を流し去る事も出来なかった。

 

 

 これが、五十階層、『豊饒の女主人』でも会えなかったロキのウルキオラを見た最後の光景だった。

 

 

 そして三年の月日が経った──。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 頭で考えるより先に身体が勝手に動いた。

 

 ヘスティア達を助けに行く決断をしていたウルキオラは困惑の渦中にいた。

 

 ──何故だ?

 

 この三文字が頭の中を回っている。

 

 助けるつもりは微塵も無かった。そして、その通り最初は放置してヘスティア達の元へ向かっていた。しかし、ロキの腹が食人花の蔓に貫かれると、ヘスティア達のいる場所へ一直線に進んでいた脚が急に角度を変えた。それにも驚きを覚えたが、何よりウルキオラに驚愕をもたらしたのは、見捨てると決めていたロキ・ファミリアを無意識に目で、霊圧で追っていた事だった。

 今となっては関係の無い者達。それどころか、簡単に人を裏切った口先だけの者共。ヘスティア達への救援。オラリオへの帰還が住民達に知られた場合の煩わしさ。

 此処に来ず見捨てる理由は少し考えれば幾らでも見つけ出せる。逆にロキ・ファミリアを手助けして得られるメリットは皆無なのだ。

 しかし、現実は残滓の影響を受けていない今、他ならぬ自分自身の意思で助けに来てしまった。

 

 何故、ヘスティア達を放っておいてまでこの場所に来たのか? その答えが考えども出てこない。まるで、出口に辿り着くのが不可能なインチキめいた迷路のようだった。

 

「お、おい、あれって」

 

「あ、あああ、ま、間違いない。『英雄』だ……」

 

 どうやら、現時点でもウルキオラに気付く者が現れ始めた。

 

 このまま見つからない答えを追い続け、無益な時間を過ごす訳にもいかず、内面に沈ませていた意識を浮上させると、涙で濡れた朱色の瞳に見つめられていた。

 

「ああ、夢やないんやな……やっと、やっと会えた……ウル……」

 

 存在を確認するよう指先で頬に触れてくるロキ。

 風の起こらない湖畔ともいえるウルキオラの静かな感情が俄に波立ち始める。

 ロキの体温、言葉、涙を見聞きする度に──

 

 

 

 

 

 

 得も言われぬ苛立ちが募っていく。

 

 事情を知らないロキにとっては理不尽で意味の分からない怒りだろう。そんなのはウルキオラも理解している。が、それでも感情は湧き起こり揺さぶられてしまう。

 

 原因については思い当たっていた。

 ロキも、ロキ・ファミリアのメンバーも目の前に居る自分を見ていない。ウルキオラ・シファーを通して過去のウルキオラを見つめ語りかけている。慈しむ眼差しも、暖かい声も、全て自身に向けられたものではない。自分を透過して後ろにいる過去に向けられたもの。

 その行為が言外に存在を否定されているようでこの上なく不快だった。

 

 元々、ウルキオラはこの世界の住人ではなく異邦人。愚者共の私利私欲の願望を達成するために呼び出された在ってはならない存在。異端者。いずれは世界に否定され朽ち果て消えてゆく宿命だと、とうに受け入れ、偶々手に入った少しばかりの寿命を利用して過去に果たせなかった目的を達成するだけだと冷静に割り切っている。であれば誰が己をどう思おうと関係ない。

 それなのに、ロキ達が此方に向けてくる視線、言葉の一つ一つがウルキオラの伽藍堂であるはずの胸の奥を絶えず刺激する。

 

 ──この場から早く離れるべきだ。今の俺は何処か精神に異常をきたしている。

 

 理解不能な自身の状態に、そう結論づけると元凶である腕に抱えた邪魔な荷物を放り捨てようとする。

 翠色の瞳がある一点で止まった。ロキの穴の空いた脇腹だ。致命傷では無いものの夥しい出血量。

 

「……────ちっ」

 

 ウルキオラはゆっくりロキを瓦礫の上へと座らせた。

 

「ぁ……」

 

 手を離すとロキが名残惜しそうに腕を動かし掌を伸ばしてきたが、視界から外し無視をする。

 

 ──やはり今の俺は壊れている。

 

 たった今のロキへの対応もそうだ。あんな女がどうなろうと構わないのではなかったか? なのに自分のとった行動はどういうことだ? 座るのに適した瓦礫を探しロキの傷に響かないように丁寧に腕から離している。

 

 己の支離滅裂な行いに、ぶつけどころの無い不快感、苛立ち、怒りが混ざり合い、時が経つにつれ治まるどころか肥大化していく。

 

「──────ッッ!!」

 

 やや離れた位置から、耳障りな金切り音が発生した。ウルキオラの手によって一時的に戦闘不能に陥らされていた食人花の復帰を示す怨嗟の声だった。余程頭にきたみたいで睨みつけているつもりなのか、口のみの顔部分をウルキオラの方向へ動かすと、そのまま止まった。

 

 予期せぬ再会に注意を持っていかれていたロキ・ファミリアは、雄叫びによって未だ四体の食人花が健在で、ウルキオラがどう動くか分からない以上、何も事態は好転していない現状に気づき戦闘態勢に戻る。

 しかし、今回だけはロキ・ファミリアの心配は杞憂に過ぎなかった。正確には、たった今杞憂となった。ウルキオラが食人花を、苛立ちをぶつける対象としたからだ。

 

 ヘスティア達に危機が迫っているので、余分な時間は掛けられない。さっさと敵を排除しなければならないのだが、突然の乱入者に怯えているのか、警戒しているのか、はたまた戸惑っているのか、攻撃を仕掛けてこない食人花。

 対するウルキオラは悠然と歩き距離を縮めていく。この程度の雑魚など瞬き数度の間に始末出来る実力からの余裕だった。仮に四体ではなく数十体いようが、その隔絶された力の差は埋まらない。塵が幾ら集まったとしても所詮塵でしかないと言ったところだ。ウルキオラにとって食人花は都合よく目の前に居た、不快感をぶつけれる体の良い獲物でしかなかった。

 

 塵を掃除するため霊圧を高めていく。全身の隅々にまで霊力を張り巡らし硬化させ劣化版『鋼皮(イエロ)』を創りだす。

 

 体は最硬級の鎧となり毛ほどの傷も敵には許しはしない。

 脚は爆発的な速度を叩き出し距離というものを無くして縦横無尽に中空を舞う。 

 腕はどんな名刀より鋭くなり、他の者にとっては硬質な食人花の体表であっても難なく切り刻む。

 必殺の『虚閃(セロ)』は不要、武器も要らず素手で充分、とウルキオラは目の前に生えた雑草の駆除へと取り掛かる。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 行ってしまう──。

 

 このまま見ているだけでは先日の五十階層、そして三年前の別れと同じ。ウルキオラは敵を倒したら、きっと何も言わずにこの場を去ってしまう。そんな確信にも似た予感がアイズにはあった。

 

 三年という時間があっても、自身を含むロキ・ファミリアのウルキオラ喪失の傷は癒えなかった。表面上は取り繕っていてもウルキオラがいつも座っていたファミリア全員の顔が見渡せる席、夜遅くまで訓練をしていた中庭の一角に何年も寝起きしていた私室、ウルキオラの影が残る場所へ訪れると、失った事を再認識させられ皆一様に表情を翳らせる。

 

 もう、そんなのは御免だ。

    

 皆を縛りつける後悔を断ち切るには、一歩目を踏み出さなければならない。望んだ未来を得たいのなら恐れを飲み込み行動するしかないのだから。

 

「……あ……ぅ」

 

 声が震えてはっきりとした音を紡げない。

 怖いからだ。拒絶されるのが。

 再び突き離されてしまったらと想像すると恐怖で口が凍ってしまう。どんなモンスターの前でも恐れなど抱かなかったのに、ことウルキオラの件になると話は別になり身体が他人の物になったように言うことを聞いてくれなくなる。

 

 アイズが躊躇っている間にも事態は進んでいく。

 ウルキオラから発せられる重圧が増幅して戦闘態勢に入ったと感じられた。

 対する食人花も相手の出方を探っているのか、動きはないものの攻撃の意思を滲ませている。

 

 四方から殺気を浴びせられていても悠然と独り敵の方へと歩くウルキオラの姿が三年前と嫌でも重なってしまう。

 

 それでも動けない。下半身が泥沼に浸かったように一歩目が、大事な一歩目がどうしても踏み出せない。

 

「てめえは手を出すんじゃねえ! 引っ込んでいろ、ウルキオラ!」

 

 迷い、躊躇しているアイズにベートの威勢のいい大声が聞こえてくる。ベートもこの場をウルキオラに戦わせると誰も前に進めないと感じているのか、声色に僅かながらも隠し切れない必死さを滲ませている。

 

「そんな情けない姿でよく言えたものだな。貴様等では無理だ。俺が片付けてやる」

 

 対照的にウルキオラは冷たく静かに返す。

 

「これは俺達の戦いだ。横からしゃしゃり出てくんな!」

 

「貴様等のつまらん感傷に俺が付き合う義理も無ければ馴れ合うつもりも無い。さっさと失せろ、目障りだ」

 

『────!!?』

 

 それは紛れも無く拒絶だった。

 

 ウルキオラから拒絶の意思を受け取ったアイズは、心臓を鷲掴みにされたような激痛を胸の奥に感じた。

 

 ──もう一緒にいれないの?

 

 五十階層での問いかけが蘇ってくる。きっとウルキオラは前と同じく「そうだ」と返すのだろう。答えの出てしまった問答。どうあがこうと、覆らない結果。

 ウルキオラに焦点を当てていた視界の端に水滴が滲む。

 

 皆も似たような想いに至ったのか、誰も動かず一言も発さない。

 ウルキオラの断固たる拒絶の前に諦めや哀しみが入り混じった暗い沈黙の帳が下りてきた。

 だが──それに屈さない者もいた。

 

「舐めるのも大概にしろよ、てめえ」

 

 ウルキオラと対峙し続けているベートだ。

 

「俺達は此処で引くわけにはいかねえんだ!」

 

 食らいつくベート。それに対するウルキオラ。

 

「──あ…………」

 

 嘗ては毎日のように繰り広げられていた在りし日の記憶が目先の光景を通じてアイズを包み込んだ。

 

 

 

『ウルキオラ! てめえ、俺の肉を盗りやがったな!』

 

『濡れ衣だ。言いがかりはやめろ』

 

『お、まーたウルに絡んどる。ベートはホンマにウルが大好きやな』

 

『ウルにかまって欲しいんじゃろう。ふむ、青いのう』

 

『言ってやるな、あれがベートが唯一出来るウルに対するコミニュケーションなのだからな』

 

『な……ち、違えよ!』

 

『ははは、ウルも毎回大変だね』

 

『もう、ウルキオラとベートなんてほっといて下さいよ。はい、団長、あーん』

 

『どんな状況でも本当に君はブレないね、ティオネ』

 

『五月蝿え! 話が進まねえだろうが、外野は黙っていろ! てめえも、とっとと肉を返しやがれ!』

 

『……俺ではない。盗ったのはお前の横にいるティオナだ』

 

『わー-っ!? なんで言っちゃうのウルキオラぁ!』

 

『真実を言ったまでだ』

 

『もう! そこは黙っておいて、悪逆非道な男から可愛い妹を身を呈して護るところでしょ?!』

 

『これは話が別だと思うが』

 

『バカゾネス……犯人はてめえか!』

 

『なによ。良いじゃない、ちょっと位。男がケチケチしないでよ。そんなんだから意中の女の子にモテないんじゃない~』

 

『んだと、コラァ!』

 

『べーだ』

 

『こ、こんのクソアマァァ!!』

 

 

 

『アイズ、これも食べろ』

 

『ウル、これって……』

 

『ああ、喧嘩に夢中のベートとティオナの皿から盗ったものだ。人を決めつけで犯人扱いしたのと濡れ衣を着せようとした罰だ。それにどんな時であれ周囲に気を張っておかなければ一流の冒険者とは言えん。まだまだ未熟だな二人共』

 

『……ウルが悪い目、してる』

 

『そうか? そら、二人に気づかれる前に早く食べてしまえ』

 

『うん』

 

『こっちも食べるといい』

 

『これはウルの分、じゃ……』

 

『遠慮は無用だ。ベートやティオネ、ティオナのように自己主張が強いのも困りものだがアイズは逆に少し乏しいからな。これからはして欲しい事などがあったら言ってこい。ある程度なら叶える器量は持っているつもりだ。勿論、時と場合にもよるが』

 

『いいの?』

 

『ああ、遠慮はいらんと言っただろう──』

 

 

 

 

 

『俺達は家族だからな』

 

 

 

 また失うのか。もう取り戻せないのか。あの陽だまりのような暖かさを持った黄金にも勝る綺羅びやかな日々を。

 

「それだけは、いや……」

 

 過去を乗り越えるべきは今。

 

「行か、ない、で……」

 

 途切れ途切れで耳を澄まさないと聞こえないほど小さかったが、万感の想いが込められた声はウルキオラへと届き立ち止まらせてくれた。

 

「これは、私達がやらなければならない、戦い」

 

 過去のウルキオラの発言と一度口を開いたことによって、先程までの躊躇いが嘘のように溶けて消え、伝えるべき想いを伝えなければと感情が奮い立ってくる。

 

「護ることしか考えてない者では塵共を始末出来ん。アイズ・ヴァレンシュタイン、お前達は其処で大人しくしていろ」

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン──他人のようにフルネームで呼ばれ胸が締め付けられる。

 それでも、

 

「それじゃ、ダメなの。お願いウル、私達にやらせて」

 

 己の意を貫き通した。

 

 双方共に感情表現が薄く石像と形容された男と美しさも相まって人形と揶揄された少女が見つめ合う。

 周囲は入り込むのは無理だと少女に想いをを託し固唾を呑んで成り行きを見守った。

 数瞬か数秒か。少女から漂う緊張感で正確な時間は分からないが長くとも短くともない時間が経つと男は視線を切り言った。

 

「…………勝手にしろ」

 

 人形とも呼ばれたアイズの、ありったけの想いを込めて送った視線と言葉が難攻不落だったウルキオラの牙城に風穴を開けたのだ。

 

 しかし、話はここで終わらなかった。モンスターの攻撃によって多大なストレスに晒され続けていた住民達が猛反発をしたからだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうして協力して助けてくれないんだ!」

 

「これまでの戦いで分かっているじゃないか! ロキ・ファミリアだけでは俺達を助けられない!」

 

「私達の命を何だと思っているの!?」

 

「そちらの都合に俺達を巻き込まないでくれ!」

 

 護るべき住民達の怒号にアイズは黙ってしまう。彼等の言い分は何一つ間違っていないからだ。

 この戦いを共闘もせずロキ・ファミリアだけで請け負うのは飽くまでも自分たちの都合だ。例えば、これからの戦闘でロキ・ファミリアの誰かが傷ついても己の信念に基づいた行動からの負傷であり後悔など無いだろう。

 しかし、住民達は違う。彼らは形はどうであれ傷一つ負わずに助かれば良いのだ。

 そしてアイズには、とある確信があった。どうやって絶大な力を得たのかは知らないがウルキオラが戦えば早急に決着はつき住民達は望みのままに助かるだろうと。でも、それでは駄目なのだ。

 護るべき者の無事を踏み台にして自分達の都合を押し付けるのか? 住民達の安全、自分たちの想い、二つの選択肢の間で揺らぎ始めたアイズに更なる非難が重ねられていく。唾を飛ばし畳み込まれる一方的な物言い。

 責め立てられるアイズを救ったのは思わぬ人物からの横槍だった。

 

「よくもベラベラと回る舌だ。余程恥を知らんと見える」

 

 英雄とも称される男から前触れ無く発せられたあんまりな台詞に言葉を失った住民達。

 正面から視界に入れるのも不快なのか横目で蔑んだ冷淡な視線を住民に飛ばしウルキオラは言い切った。

 

「どのみち貴様等はこいつらがいなければ死んでいたんだ。早々に戦うことを放棄し、逃げ惑うしか能のない弱者は負け犬らしく身を縮め運命に身を任せていろ。それが嫌なら自らの手で抗え」

 

 さっきまでの威勢は何処へ行ったのか、住民達は皆俯き黙ってしまった。

 ウルキオラは本当に下らなそうに、目線を逸らす住民を一瞥すると歩き出した。

 

 ──この場から去る気だ。

 

 失念していた。

 戦わないのであればこの場に留まる必要も無くなってくる。ロキ・ファミリアを拒絶している様子の今のウルキオラであれば尚更だ。

 ここで姿を見失えば今度はいつ再会出来るか分からない。今回はこのような事件があったからこそなのだ。

 アイズは何か引き止める術はないかと模索する。

 

「待ってはくれんか?」

 

 何時の間に回り込んだのだろう。丸太の如く太い鍛えられた右腕がウルキオラの進行方向を塞いだ。

 

「何のつもりだ、ガレス・ランドロック。退け。邪魔だ」

 

 フルネームで名を呼ばれるとガレスが眉根を顰め悲しそうに目を細めたのをアイズは見た。が、直ぐに表情を立て直して、らしからぬ豪快さの抜けた硬い口調でウルキオラに懇願した。

 

「お主にこんな事を頼むのは虫が良すぎるうえに、お門違いなのも分かっておるが……どうか、この戦いが終わるまでロキを護っては貰えんか?」

 

 感じる違和感。二人の遣り取りに何かが引っ掛かった。見落としてはならない何かが。

 しかし、アイズはその違和感に蓋をした。今はそれよりも注目するべきは二人の動向だと判断したのだ。

 

 やがて、膠着状態だった二者の間に展開が生じる。

 ウルキオラがガレスに背を向けたのだ。

 駄目か。この場にいる全員の気持ちが落胆と絶望で一致した。が──

 

「三分だ。お前に免じて三分だけ待ってやる。それを過ぎれば俺は行く」

 

 予想を覆す返事に気持ちが高揚する。まだ話し合える余地があるかもしれないと。

 

「……そうか、もう……──感謝する。行くぞ、ベート、アイズ。とっとと片づけるぞ」

 

 しかし、高揚は冷や水を浴びせられたように急速に熱を失った。

 続けられたガレスの語気に力強さは戻っておらず悲哀が含まれていたからだ。

 

 希望が見え始めたのに何故? とアイズは疑問を持った。

 

 それに前半部分も気になる。『……そうか』と『もう……』。

 

 『そうか』。

 理解した時に使われる言葉。

 

 『もう』。

 ガレスの雰囲気を考えると終わってしまった事を指しているのだろう。

 

 あの短い会話の中で何が終わってしまったとガレスは察知したのか。

 ここでアイズに二人の遣り取りの始めに感じた違和感が戻ってくる。 

 ウルキオラの応対は変わらず冷淡だった。哀しく思うがそれは再会してからずっとそうなので引っ掛かった何かではない。となればガレスなのか? 思い返し気になる場所を探す。──あった。

 

 『お主』

 

 これだ。ガレスはウルキオラの事を『ウル』もしくは『お前』と呼んでいた。友人ぐらいならまだ分かるが『お主』なんて何処か距離を置いた呼び方を、息子同然に育ててきた者に使用するだろうか?

 アイズは抱いた違和感の原因に辿り着いた。それはガレスもウルキオラも、何故ここ迄他人行儀なのだろうかということだ。

 

 ──ゾクリ

 

 首の付け根の後ろを冷や汗が撫でた。辿り着いてしまった違和感の正体。

 気付かなければ良かった嫌な答えを頭を振って追い出すと、これ以上思考に集中しないようにアイズは戦場へと戻るガレスの後を追いかけた。

 

 

 幾度もあったヒントを真実を知る恐ろしさから捨て置いた。

 弱さによって現実から目を逸らし、希望だけしか見てこなかったツケが回ってくるのだ。

 

 物語は分かり切った結末へと流れていく。

 最も苦しく残酷な結末へと。 

 

 

 


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