この掌にあるもの   作:実験場

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第十三話 道化達の舞

 薄暗い闇の中に左右に整然と並べられた幾本もの柱が浮かび上がっている。床と柱と天井と壁。それ以外には装飾品など一切存在しない単調な空間。

 冷えた空気に重たい静寂。外ではいたる所で生存を賭けた激しい戦闘が行われているが、未だ戦場となっていないこの宮は物音一つせず静かで不気味さを感じさせる。

 

 ──カツッ、カツッ。

 

 静寂が破られた。床を叩き鳴り響いた靴音によって。一体の化物が人間の少女に近づいていく音だ。

 化物と少女、双方ともに白い似たような装束を着ている。が、それは必ずしも仲間という証ではない。

 

 化物は自身が攫ってきた少女に問うた。「怖いか」と。

 少女は己を攫った化物に答える。「こわくないよ」と。

 

 少女は理由を述べる。「みんなが助けに来てくれたから。あたしの心は、もう、みんなと同じ処にあるから──」と。

 化物は断じた。「……戯言だ」と。

 化物と少女の問答は続けられる。

 少女は自分を一息に殺せる化物から目を逸らさないまま。

 化物は苦なく殺せる少女の言葉に何をするでもなく、じっと耳を傾けている。

 

 少女は化物の主から既に用済みの烙印を押されており、目の前の化物によっていつ殺されてもおかしくはない。しかし、自分の言葉で不興を買うのを恐れず己の想いを口にしていく。

 化物は益の無い問いの答えを黙って聞いている。合理主義者の化物からは考えられない無駄な問いの答えを。

 

「──相手を大切に想い合って、相手の少し近くに心を置くことはできる」

 

 静かな空間に少女の美しい凛とした声色だけが奏でられている。

 

「心を一つにするって、きっとそういうこと」

 

 一つ間があって化物は更なる問いかけをした。

 

「心だと?」

 

 

 

 空虚な化物──ウルキオラ・シファーに一つの興味が生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 考えていた。

 フィン・ディムナは、ずっと何度も思い返し考えていた。

 三年前の戦闘でロキや他の神々を護るために防御に徹していたのは果たして正しかったのか? その答えを毎日のように己に問いかけていた。

 他に最善の行動があったのではないか? 

 そうすればウルキオラは神殺しを行わずに、今も傍に居続けられたのかもしれない。

 全ては団長である自分に責任がある。

 

 食人花が打ち下ろしてきた蔓の鞭を腕の外側で受け流す。蔓はそのまま地面を叩いた。攻撃の軌道を住民達から逸らせたフィンだったが悔恨から奥歯を噛み締める。

 

 幾ら過去を思い出し考えを重ねようと『たら、れば』の話。はっきりとした答え、正しい手段なんぞは見つけ出せない。

 

 だが確実に一つの過ちはあった。

 それは──ウルキオラを独りで戦いに赴かせた事だ。

 

「打って出よう」

 

 戦線にガレス達が合流するとフィンは迷いなく攻撃を提案した。

 フィンの攻勢に転じる意思が伝わると待ってましたとばかりに皆戦気を漲らせた。特にティオネは目を飢えた獣のようにギラつかせ、今にも飛びかかろうとしている。その変わり様に、この中ではLVもファミリアに加入した日も浅いレフィーヤはただ一人若干だが引いていた。

 

「策はあるんだろうな?」

 

 副団長であるリヴェリアから皆の心を代弁したと思われる疑問に、安心させるように焚き付けるように不敵な笑みと言葉で答える。

 

「──ある。オラリオ最大派閥の攻撃力をもってして敵を圧殺する」

 

「はぁん、団長かっこいい。好き。結婚して」

 

「なるほど。攻撃は最大の防御という訳か」

 

 一部場違いなノイズが入ってきたが、いつもの事だと切って捨て無視を決め込んだリヴェリアはフィンの意図するところを読み取ったようだった。ここら辺は流石長年共に死線を潜り抜けた者同士。抜群の意思疎通だろう。どこかのアマゾネスの姉も見習ってほしいところだ。

 だが、策を立てたフィンにも一つの懸念事項があった。住民達の存在だ。作戦とはいえ護りを無くすのは住民達からすれば絶対に大反対の筈だ。現にこの会話を耳にした時から不安が広がっているのが見てとれる。口を噤んでいるのは先ほどウルキオラに言われたのが効いているからと思うが、それもいつまで続いてくれるか。戦闘中に、また暴動のようなものが起これば今度は間違いなく戦線は崩壊する。

 しかし──

 

「だいじょうぶだよ」

 

 運命とは不可思議なもので──いや、これも善行の結果と言うべきか──示し合わせたように現状最も効果的な人物から援護射撃が飛んできた。

 

「めがみさまがいってくれたもん。『うちの子供達が皆を助けてくれる』って」

 

 ロキが住民達の輪の中にいた時に、あやしていた子供だった。

 

「だから、ぼくはおにいちゃんたちをしんじる」

 

 幼い子供が覚悟を決め信じている。その宣言を聞いて大人達は己を恥じたようだった。何も現状を打破する術を持たない自分達が唯一事態の好転に貢献出来るのは、ロキ・ファミリアの邪魔をせずただ信じて待つ事だけだと。

 

 ──これなら大丈夫そうだ。

 

 フィンは懸念を消してくれた少年に感謝を述べた。

 

「ありがとう。必ず皆を護るよ」

 

「うん! おにいちゃん、おねがいします!」

 

「…………お兄ちゃんか」

 

 フィンの決意に二重の火が灯る。

 一つは少年を住民達を傷一つ負わせずに護るという決意。そしてもう一つは──

 チラリと瓦礫の上に座るロキの前に庇うように立っているウルキオラに目線が移る。

 

 

 

『そうなんだ! じゃあ、きょうからぼく、ふぃんをおにいちゃんってよぶよ!』

 

『ははは、嬉しいよウル。本当に呼んでくれるのかい?』

 

『うん! だってぼくは、ふぃんおにいちゃんのおとうとだもん!』

 

 

 ──取り戻したい!

 

 嘗て向けられた笑顔を。言葉を。想いを。

 その為にはまず、何も出来なかった過去を、見送る事しか出来なかった過去を今、この場で払いのけ並び立ち、そして今度こそ対話をして互いの想いをぶつけ合う。

 その決意を胸に頭の中にある作戦を口にする。

 

 フィンは大まかな作戦の概要を皆に伝えると、戦闘に参加する者の中で一番ダメージを負っているベートに確認、発破をかける意味で声をかける。

 

「ベート、まだ動けるかい?」

 

「当たり前だろうが。下らねえ心配してんじゃねえ」

 

 返答は予想と寸分違わずベートらしいものだったが、長い付き合いのフィンにはそれが強がりで限界が迫ってきていると分かってしまった。それでもこの危機を切り抜けるには動いてもらわなければならない。

 

「ベートはそのまま待機をしていてくれ。だが頃合いを見て──」

 

「ああ。あのでか物をぶっ潰す」

 

 心強い返事に頷くとフィンはこの戦いの勝利への図面を描いてゆく。

 

「各自行動開始だ。一気に片をつけるぞ!」

 

 フィンの号令に各々が自分に課せられた役目を果たすべく動き出した。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 フィンの指示通り魔法を使用し上空へと上がったアイズに食人花の攻撃が殺到する。

 

「──っ!」

 

 風の中に舞う葉のように身を翻し襲い掛かってくる蔓を躱し続けるアイズ。金糸の髪が中空を舞台に華麗に踊る。だが、やはりというか多勢に無勢。このままでは捌ききれず限界に達し追い込まれてしまうのは自明の理。そこで──

 

「ティオネ、ティオナは僕と共にアイズの援護を」

 

 フィンは自身を含めた、ティオネ、ティオナの三人でアイズのフォローに入った。

 食人花は魔力に反応して攻撃をする。最初の方でレフィーヤが魔法を使用した時に判明した食人花の習性だ。フィンはこれを利用した。

 住民達全員を護るのは手が足りず至難だが、攻撃の対象が一人に絞られれば護る難易度は随分と易しくなる。誰を狙うのかも分かっている上に攻撃の範囲も狭くなるからだ。それに攻撃を受けるのは無力な住民ではなくLV5の冒険者であるアイズだ。自分で己の身はある程度護れる。

 かといってこれでは、住民達を食人花の攻撃の手からは救えるが根本的な解決にはならない。敵の討伐が必須。だからフィンは次の手を進める。

 

「アイズが敵を引きつけてる間にレフィーヤは魔法の詠唱を開始。ガレスはレフィーヤの援護に付いてくれ」

 

「は、はい!」

 

「おう、任せておけ!」

 

「リヴェリアは今のうちに移動。リヴェリアへは──」

「私に護衛は不要だ」

 

 狙いは分かっているとリヴェリアがフィンに笑みを返す。

 

「ウィーシュの名のもとに願う!」

 

 レフィーヤの詠唱が開始された。

 

 エルフの少女、レフィーヤ・ウィリディスには一つの特殊性があった。普通のLV3の冒険者では、食人花は倒せない。しかし、レフィーヤには敬愛するアイズに攻撃をする不届きなこのモンスターを打倒する術があるのだ。それがこの召喚魔法。

 

「エルフ・リング」

 

 才能ある者でも最大三種類しか行使する事が出来ない魔法を、同胞であるエルフの魔法に限り詠唱および効果を完全に把握したものであれば使用可能という前代未聞の反則技。

 

「──終末の前触れよ、白き雪よ、黄昏を前に風を巻け」

 

 完成した魔法へ更に詠唱を上乗せ。別種の魔法が構築されていく。

 召喚するのはロキ・ファミリアの副団長、オラリオ最強の魔導師リヴェリアの攻撃魔法。

 

 迸るアイズよりも強い魔力に、四体全ての食人花がレフィーヤへと振り返った。

 

 魔力源に攻撃を仕掛ける習性を持っている食人花。それを踏まえて作戦を立てるのに、フィンには一つ気になる事があった。魔力源が二つになった場合何を基準にしてどちらを攻撃するのか? 魔力が発生した順番? 自身により近い方? 魔力の大きさ? 等、それによって対応が異なってしまう。

 どの場合でも対処出来るよう脳内で考えを練ってはいたが、その中でも食人花の反応はおそまつなものだった。正直、拍子抜けも良い所だ。

 全部の食人花がレフィーヤへと目標を変えたのならば近い方を攻撃という線は消えた。仮にそうであればアイズとレフィーヤに攻撃が分散するような位置取りをしていたからだ。実はこのパターンが一番きつかった。しかし、食人花が打ったのは悪手も悪手。順番か魔力の大きさ、このどちらでも勝利への道筋は見えている。

 今、この時を以て食人花は早くも詰んだ。

 ここからは獲物に飛び掛かる機を狙っていた頼れる一番槍の出番だ。

 

「行け、ベート」

 

 

 

 

 狼は牙を研ぎ澄ましその時を伏して待っている。

 獲物の首筋に牙を立てるのを。 

 臓腑を爪で引き裂くのを。

 じっと動かず、されど全身全霊で戦況を計る。

 

 ダンジョンで脚に負った傷は深い。動けるのも僅かな時間だけだろう。

 

 ベートは相棒である右足に装着された白銀のメタルブーツを一撫ですると、直立不動のウルキオラを視界の端に収める。

 

 ──一撃、一撃だ。一撃で仕留める。

 

 無様な姿は死んでも見せられない。

 その時に向けて闘気を練る。

 

 そして──待ちに待った機が訪れた。

 全ての食人花がレフィーヤへと意識を集中させたのだ。

 

 ──今だ!!!

 

 溜め込んでいた闘気を爆発させ一気に駆け出す。踏み出すごとに脚を刺し貫く痛みに構わず、一体の食人花へと。

 

「アイズッッ!!」

 

 呼びかけと同時に跳躍する。

 

 名を呼ばれた意味を理解したアイズが応え、ベートの右足に装着されている魔法効果を吸収する特殊武装『フロスヴィルト』に風の力が宿った。

 渾身の一撃を繰り出すべく空中で体勢を整えると、下らない退屈な見世物を見るように熱無く戦場を眺めているウルキオラが目に飛び込んできた。

 

 

 

『そうだったな、ベートはいずれ俺に追いつくと言っていたか。安心しろ、俺は勝手にいなくならない。いつもお前の前にいるようにする』

 

『はあ?! 何、変な解釈してんだ! 俺はどっかに行く時は伝え──って、な!? 気安く頭に触れてんじゃねえ! おい、聞いてんのか!』

 

『相変わらずの反応だな。随分と捻くれてしまった弟だ。照れるな昔は良くやっていただろう──大丈夫だ、俺はずっと此処にいる』

 

 

 ──ふざけやがって! いなくなっちまっただろうがッ!!!

 

 ウルキオラの視界の先が動く。此方から別の場所へと。

 

 プライドを踏み躙られた激情を胸に、風の力を得たメタルブーツをレフィーヤに突貫しようとする一体の食人花に突き出した。

 

「よそ見してんじゃねえぇぇええええっっっ!!!」

 

 凄まじい速度で対象に衝突した風の砲弾は食人花の頭蓋を消失させても勢いは収まらず、地面に着弾して大きなクレーターを作り出した。

 ぐらりと食人花の長躯が前後に揺れ轟音を立てて倒れ伏す。

 

 ここに膠着状態だった戦場の均衡は崩れ去った。

 

 クレーターのど真ん中で片膝をついたベートは辛うじて動く脚を真っ直ぐに伸ばして立ち上がると、三体の食人花の向かう先、レフィーヤの方へと動き出した。

 

「早くしねえと同族がもたねえぞ。クソババア」

 

 脚を引き摺り歩くベートは、そう独りごちた。 

 

 

 

 

 均衡と共に崩れ落ちていく食人花の亡骸を遠目で確認したリヴェリアは、自身が担う役目に最も適した場所へと辿り着くために走る。レフィーヤと食人花から離れた位置へと。かといって離れすぎてもいけない。それでは作戦が失敗してしまう。敵に捕捉されるギリギリ、絶妙な距離が必要なのだ。

 

「皆、此処から落ち着いて逃げるんだ」

 

 後ろからフィンの住民を先導する声が聞こえてくる。一体の食人花が斃れ包囲網の崩れた一角から住民達を逃がしているのだろう。食人花の攻撃が魔法を詠唱しているレフィーヤへと殺到している今がチャンスだ。攻撃対象から外れたアイズ、その援護をしていたティオネ、ティオナも手分けをして住民の護衛とレフィーヤのフォローに入っている。しかし、二ヶ所に護り手を割いていては、流れ弾のような攻撃しか来ない住民達は護れるだろうが、レフィーヤの魔法は敵の集中砲火により中断させられる可能性が大だ。

 

「この辺りか」

 

 リヴェリアはレフィーヤの位置から付かず離れずの位置に到着すると、食人花へと向き直り魔法詠唱を始めた。

 

「終末の前触れよ、白き雪よ」

 

 最強の魔導師による魔法。

 迸る膨大な魔力の波動。

 レフィーヤへ殺到していた蔓の嵐が止む。

 

「黄昏を前に風を巻け」

 

 エルフの王女は歌う。美しい歌声に聞き惚れる人々を海底へと引きずり込むセイレーンのように。

 三体の食人花は奏でられる旋律に引き寄せられていく。近づいていくことが破滅へのカウントダウンだと気付かず本能の赴くまま、リヴェリアを呑みこまんと突撃する。

 巨大な魔法円の中心で不動のリヴェリア。

 一直線に接近してくる食人花。

 離れていた距離が零になる。

 

 

 

 

 ──寸前、リヴェリアは詠唱を中断して身を翻し、食人花の突撃を躱した。

 

「私とレフィーヤ、二人とも無事に詠唱を完成させられるとは思っていないさ」

 

 飛散する魔力。

 より大きな魔力の先を攻撃していた食人花は突然対象が消失したので右往左往する。

 

「何のために離れた場所に来たと思っている」

 

 まだこの戦場にはリヴェリア以外にも魔力の奔流は残っている。朗々と詠唱しているレフィーヤだ。

  

 来た道を戻る食人花。しかし、リヴェリアを攻撃対象にして生まれてしまった少しのタイムロスは致命的だった。

 

「私は時間稼ぎ。本命はレフィーヤだ。残念だったな」

 

 リヴェリアは間もなく魔法を完成させるであろうエルフの少女を見守る。勝利は時間の問題。レフィーヤから、眉一つ動かさず傍観しているウルキオラへと視線を移す。

 

 

 

『フッ……ん? ああ、すまない、ふと思い出してな。覚えているか? 幼い俺が皆に自分との関係を聞いた時だ』

 

『驚いた、覚えているのか? あんな昔の事を』

 

『当たり前だ。俺に兄と姉が出来た瞬間だからな。妹と弟は増えていくが、兄と姉はこれからもフィンとリアだけだ。絶対に忘れる筈がない特別な思い出だ』

 

 

 ──そう言って幸せそうに笑っていたな。大切な兄姉の許から離れる気か? それとな複雑だったんだぞ? あの時の私は。

 

 想い人に姉としか認識されていない悲しさと特別だと言われた嬉しさ。

 どんな表情を浮かべていたのか想像も出来ない。大層微妙な表情をしていたように思われる。

 全く鈍感でデリカシーの無い男だとリヴェリアは苦笑した。

 

 嘗て腕の中で護っていた幼子が手を離れ一人で歩けるようになると、後ろをトテトテと危なっかしく付いてくるようになった。そして足取りがしっかりしてきたと思うと、気付けば隣に並んで歩いている。かと思うと今度は前を歩き始め、その背中しか見れなくなった。そして真っ先に自分が矢面に立てるように、皆を護れるように誰よりも先に進んでいく。いつしか、その姿に惹かれてしまった。

 

 ──だから、だから。

 

「帰ってきてくれ……」

 

 胸に手を当て小さく願いを零した。

 

 

「ウィン・フィンブルヴェトル!!」

 

 ウルキオラを見て自分の想いを再認識していたリヴェリアの視界が白と蒼に染まる。レフィーヤの魔法が発動した。三体の食人花の内、一体しか直撃しなかったがその効果は充分だ。一体は物言わぬ氷の彫像となり、残りの二体も多少の影響を受けたのか動きを鈍らせている。その氷の像も住民達の避難が終わりに近づき、手の空いたアマゾネスの姉が嬉々として破壊した。

 

「あまり無茶はしてくれるなよ、ティオネ」

 

 聞こえはしないだろうが、頭に血が上ったら何をするか分からないアマゾネスへ、リヴェリアの口から思わず心配の声が漏れた。

 

 

 

 

 残る二体の食人花。唯一残った魔力源であるアイズを執拗に追い回すも、動きの速度は魔法を喰らう前とは異なり大きく落ちていた。

 

 動きの鈍った食人花。

 殆ど完了した住民達の退避。

 ニィッとティオネは唇の両端を上げた。

 

 硬い。確かに硬い。だが、そんなもの一方的に攻撃に晒されるストレスに比べれば、なんぼのもんだというのか。痛みがなんだ。今まで耐え忍んできた鬱憤を晴らす時が来たのだ。

 

「オラァッ!!」

 

 アイズのみを狙い隙だらけな怨敵の根元に拳を叩きこむ。そこから電光石火の連撃。皮が剥け出血する拳で何発も打つ。効いたのか大きく身を捩じらせる食人花。飛び散った自身の鮮血が頬に付着したティオネは、それを舌で舐め取ると更に口角を三日月に曲げた。

 

 ──気持ちいい!!

 

 硬質な物を殴った痛みより、憎ったらしい敵を気兼ねなく殴れる快感に身体が歓喜の震えを起こす。しかし、これだけでは猛り狂う気持ちは治まらない。ティオネ・ヒリュテという女は、そんなお安い女では無いのだ。攻める時はより大胆に。

 

 茎の部分に脚を掛け一気に頭頂部へと駆け上がる。

 

「沈めやコラァッ!」

 

 勢いそのままにティオネ渾身の膝蹴りが食人花の頭を激しく揺らした。

 

「まだまだァッッ!!!」

 

 浮遊している最中、腕を振り上半身を強引に捻って一回転。上半身、腰、脚へと力を伝播させ遠心力を乗せた回し蹴りがダメ押しとばかりに食人花の頭部を襲う。

 

 風を切って地に叩きつけられた食人花に少しだけ怒りを鎮めたティオネは、離れた位置に両膝を折って着地するとキッとウルキオラを睨んだ。

 

 

 

『全く、フィンの前では淑やかにしているのに俺に対しては打って変わって表に出ろか……』

 

『アンタが魅力に自信が無いのかとか言うからでしょう!』

 

『やれやれ、良いだろう。可愛い妹の頼みだ。少しだけ稽古を付けてやろう。なに、少しの間足腰が立たなくなる程度だ。礼は要らんぞ』

 

 

 ──本当に動けなくするとはね。……アンタがいないと団長と上手くいかないストレスを何処にぶつければいいのよ!

 

 此方のダメージを度外視して負わせた手傷によって食人花は暫くの間動けまい。

 止めを刺す決め手を持たないティオネはアイズの援護に入るべく、最後の一体の所へ向かう。目的の場所には跳ね回る妹が。

 

「アイツの前だからティオナったら張り切っちゃって」

 

 呆れながらもその声には温かみがあった。

 

 

 

 

「えーい!」

 

 アイズを貫かんとする蔓を蹴りによって方向転換させる。

 

「そりゃー!」

 

 一本の蔓の方向を変えたらすかさず次の蔓へと移動。軽やかに戦場を飛び回るティオナは巧みに立ち回り、食人花の攻撃の妨害に成功していた。

 己の役割は認識している。アイズの援護。そして──望みを叶える手助け。

 

 空を舞い踊るアイズの心中は痛いほど良く分かる。アイズがロキ・ファミリアにやってきて一緒にいた時間が一番長いのはウルキオラだ。無論、ロキやリヴェリア達も世話を焼いただろうが、教育係としてずっと傍にいたウルキオラには勝てない。

 勉強するのも、ダンジョンに潜るのも、食事も、寝る時も、何をするにしても一緒に行動していた。

 どちらもあまり感情を表に出さず、何処か浮世離れしていたことから髪の色は違えど兄妹のように見えていた。いや、本物の兄妹だったのだろう。血ではなく心で繋がった。

 ティオナはそれを羨ましいとは思わない。何故ならロキ・ファミリアに拾われ育てられたウルキオラは団員となった全員を心の底から家族として接していたからだ。なので団員が傷つけられると過剰に反応していた。一度、アイズが他のファミリアに傷つけられた時は過激な報復を行っている。無論、お咎めもあったが、その一件のお蔭でアイズとウルキオラの仲が深まったのは不幸中の幸いだったろう。

 

 ティオナは蔓の対処の手を休ませずにキョロキョロと首を動かす。

 戦場となった場所は人々がごった返していた大通り。もしかしたらアイズの手助けになる“あれ”があるかもしれない。一生懸命に記憶を掘り返し、食人花に襲撃される前の街並みを思い出そうとするが細部までは無理だった。しかし、状況的に考えても“あれ”はこの場にあっておかしくない。多くの人が行き交えっていた大通り、冒険者も通っていたであろうこの道なら。

 

「──眩しっ!」

 

 不意にティオナの瞳に光が差し込んできた。潰れた屋台の残骸の隙間から何かが日光を反射しているのだ。

 

 ──あったぁっ!

 

 丁度その時、タイミングを合わせたようにティオネがやってくる。

 

「ティオネ、少しの間此処をお願い!」

 

 一目散に駆け寄り瓦礫に埋もれた“それ”を引き出す。アイズの望みを叶えてくれる“それ”を。

 

 ウルキオラを見つめ目を細める。

 アイズの想いは痛いほど良く分かった。

 

 ──お兄ちゃんに格好良い所見せたいんだよね。

 

 自分も同じだからだ。

 

 

 

『そうか、ティオナには兄がいないのだったな』

 

『うん! だから、すっごく毎日が新鮮で楽しくて嬉しいんだよ!』

 

『その眩しい笑顔を毎日見れる俺は本当に果報者だな。ずっと見ていたい位だ』

 

 

 ──だったら戻ってきてよ! ロキ・ファミリアに!

 

 ティオナは“それ”を手にした腕を思い切り振りかぶる。

 

「受け取ってー! アイズーっ!!」

 

 大きく足を踏み込み、一旦腰を仰け反らせて一気に前に倒す。その運動によって反動の付いた腕を振ってアイズへと放り投げた。最後のピースとなる“それ”を。

 陽光を反射して希望のように光輝く“一本の剣”を。

 

 

 

 

 ティオナから投じられた剣を捕らえるとアイズは更に上空へと上る。

 受け取った剣は普段使っている愛剣とは比べるのも烏滸がましい脆弱な物。全力で振るえば長時間は耐えられず壊れてしまうだろう。

 だからこその一瞬の一撃。

 最大出力の風を身に纏い剣を引き構えをとる。

 ティオナが繋いでくれた願いを叶えてくれる希望は手の中に。 

 

 横に並びたかった──並べなかった。

 ついて行きたかった──ついて行けなかった。

 

 いつも一緒にいてくれた男は、両親を失い独りになってしまった自分にもう一度家族を与えてくれた青年は、家族たるロキ・ファミリアを護る為に己が身を犠牲にして罪人へと堕ちた。

 

 情けない。

 悔しい。

 もっと力があれば……、そう思い強さをより求めこの三年間を過ごしてきた。

 そして、今がある。三年前より強くなっている。

 見て欲しい、成長した証を。もう独りで背負わなくても大丈夫だと、生まれて初めて出来た兄を安心させたいのだ。

 

 条件は整った。

 風に靡く髪をそのままに目標を金色の瞳で射抜く。

 この戦場で魔力を使っているのは、今ではアイズ唯一人。食人花は全ての蔓、本体を総動員して空中に静止しているアイズに襲いかかってくる。

 溜めていた力を開放。一気に最高速へと爆発的に加速する。ベートが全てを破砕する風の砲弾ならば、此方は万物を刺し穿つ風の螺旋矢。

 

「リル・ラファーガ」

 

 一撃必殺の技の名を唱えアイズは風の鋭矢となる。

 対する食人花も生命の危機を察しているのか蔓を振るい迎え撃つ。迫り来る蔓の波。

 交差。

 一瞬の均衡も許さず切断。螺旋矢は緑の海嘯を貫き残る本体へと突き進む。

 追い詰められた食人花は雄叫びとも思しき声を上げるが抵抗すること能わず。頭部を穿たれ長駆を立てたまま絶命した。

 

 食人花を討伐したアイズは着地を試みる。右足を先に地に着けると、それを軸に体を半回転させ両足で踏ん張った。ズザザザーーーッと石畳と靴の裏が擦れ合う。バランスを崩さないよう前傾姿勢のまま少し後方に進むと漸く勢いが消え止まれた。

 体を反転させた事で視界に入ってきた、灰となっていく食人花の先にいるウルキオラ。

 決着は着いた。残る敵はティオネが昏倒させた一体のみ。アイズはあの時とは違うと熱のこもった視線をウルキオラへと投げ掛けた。

 

 

 

『ああ、短いからウルの方が言いやすいだろう。ロキ・ファミリアへようこそ、アイズ。俺がたった今、お前の兄となったウルキオラだ』

 

『ウル……兄さん……』

 

『──ふむ、これが兄と呼ばれる感覚か。庇護欲なんだろうな、護りたいと思う気持ちが一層強くなってくる。安心しろアイズ、これから仮にどんな危機が迫ろうとも俺がお前を護ってみせる。家族だけは絶対に護ると決めているからな。例え──俺の何を犠牲にしても』

 

 

 ──もう、ウルだけが犠牲になるのはダメ、家族なんだから。これからは、みんなで、一緒に……。

 

 期待、懇願の込められた必至の眼差しを、アイズは一時も逸らさずウルキオラに送り続けた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 前方の後ろ姿から目が離せない。

 見れば見るほど細い背中だった。女性と間違われるような頼りない痩躯。ローブに包まれていようが華奢な体つきは隠せない。しかし、その実幾度と無く家族の危機を救ってくれた大きな背中だった。

 誰よりも先に矢面に立ち後方の家族を護り、目の前にいる如何なる強敵も打ち倒して来た背中。

 三年前、心に焼き付ける程の笑顔を残し消えてしまった背中。

 もう二度と会うことは叶わないと思っていた大切な愛し子──ウルキオラの背中。

 

 ロキはじっと黙って見ている事しか出来ないでいた。ガレスが作ってくれたチャンスなのにだ。戦闘を三分以内に終わらせてもウルキオラがこの場に残って話をしてくれる保障は何処にも無い。寧ろ、先程この場所から去ろうとしたのを考えれば可能性は限りなく低い。ならば、今此処で対話の糸口を掴むのが自分の役割のようにロキは思えた。

 怖い。躊躇もある。拒絶されたらと想像するだけで全身の血肉が凍ったように感じられる。だが──ウルキオラの背中越しに皆と食人花の戦闘が見える。家族たちは今も戦っているのだ。もう、ウルキオラの背中を追うだけでは無い、横に並び立ち一緒に前に進む事が出来る、これからは決してお前独りで行かせない、と。

 子供達だけ戦わせて、のうのうとしている親なんぞにはなりたくない。ロキは乾いた唇を、ゆっくり動かした。

 

「凄いやろ? あの子達の連携は世界一やと、うちは思うとる」

 

 ウルキオラに見られている意識があるのだろう、覇気を漲らせ見違えるような動きで敵を翻弄するロキ・ファミリア。フィンの指示によって一秒の無駄もない、芸術とも称せる抜群のコンビネーションを魅せる。それはまるで、一体の生物のように噛み合った連携だった。

 

 ウルキオラからの反応は無い。ロキは続けた。

 

「ウルがいなくなってから、もう同じ轍は踏まいと死にもの狂いで鍛錬してきたんや」

 

 相変わらずウルキオラは返答どころかピクリとも動かず前を見たままだ。ロキは挫けそうになる心に、挫けてしまっては子供達に示しがつかないと活を入れる。

 

「例え同じ状況に陥ろうとも、心を一つにして皆の力を合わせれば切り抜けられると信じてな。……後悔からの代償行動かもしれん。でも、そうせんと過去に縛られたままや。だから、あの子達は強うなった。一歩目を踏み出すために」

 

 無事に戦場から逃げていく住民達。フィン達は結果を出した。ならば自分も。

 ロキは息を深く吐き一つ吸うと胸に手を当ててぶつけた。想いの丈を。

 

「三年前から想いはずっと変わらへん。う、うち──達はウルを愛しとる」

 

 途中少し日和ってしまったが続ける。肝心な言葉をまだ伝えていない。

 

「皆の想いは一つ。嘗て、うちらと心を一つにしていたウルに──帰ってきて欲しい」

 

 ここまで全く変化の無かったウルキオラに反応が表れた。振り返ってくれたのだ。翠の視線と朱色の視線が触れ合う。

 

 

 

『──そうか、それが俺の名の由来か』

 

『単純な理由でガッカリしてもうた?』

 

『いや、尚更自分の名が大切になった。俺が俺である証に良いものを付けてくれて、ありがとうロキ』

 

 

 ──うちが付けた名前。その名の通り……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「言いたい事は、それだけか」

 

 聞く者を凍りつかせる絶対零度の声によってロキは現実に引き戻されたのだった。

  

 

 

 

 

 

 




レフィーヤのファンの皆様にはすみません! ウルさんとは関係が薄いので……。
何処かで必ず見せ場は作ります。大分後になるかもしれませんが。

もう一人は仕様です。


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