この掌にあるもの   作:実験場

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第十四話 ウルキオラ

「心だと?」

 

 少女の答えはウルキオラには理解しきれないものだった。

 

「貴様等人間は容易くそれを口にする。まるで自らの掌の上にあるかのように」

 

 そんなものは在る筈が無いと少女から目を離さず言い放つ。

 

「俺のこの眼は全てを映す。捉えられぬものなど無い」

 

 絶大な自信。当然だった。『(ホロウ)』として生まれた時、何も無かった己に唯一あった眼。他の同族は眼があり、鼻があり、口があり、耳があった。しかし、自分には眼しかなかった。そんな自分に与えられた、たった一つのものを疑う筈がない。そして、その事はウルキオラをある考えに導いた。

 

「映らぬものは存在せぬもの。そう断じて戦ってきた」

 

 闇に覆われた空と何処までも続く白砂。命の息吹を感じられない渇いた死の世界を独り、

 歩き──

 歩き──

 歩き──

 歩き──

 歩き──

 歩き──

 歩き──

 歩き──

 たどり着いた考え。

 

 『目に映るものに意味のあるものなど何一つ無い』

 『目に映らぬものは存在すらしない』

 

「心とは何だ」

 

 少女を問い詰める。

 

「その胸を引き裂けばその中に視えるのか?」

 

 右手を少女の胸の前へとやる。

 

「その頭蓋を砕けばその中に視えるのか?」

 

 直後、少女を救いに来た黒の装束を纏う青年が現れたため、答えの返って来なかった問答。

 だが、ウルキオラ・シファーは確信を持って否定する。

 

 何も無いのだ。

 少女の中にも。

 自分の中にも。 

 

 と──。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ウルキオラの眼前ではロキ・ファミリアと食人花の死力を尽くした戦いが繰り広げられている。

 実に退屈でつまらない見世物だった。蟻と蟻が争っている様の何処に見どころがあるというのか。子供ならば興味を持ち楽しめるかもしれないが、生憎とウルキオラはガキではない。であるのに三分だけ待つと言った。言ってしまった。ヘスティア達が危機を迎えている現状に三分間もの貴重な時間を無駄に浪費するつもりでいる己の行動原理の不明瞭さに、ウルキオラ自身、疑問と少しの戸惑いがあった。

 

 戦いの流れが変わる。攻勢に出たロキ・ファミリアが食人花を押し始めたのだ。フィンを頭として他の者が手足となり動く呼吸の合った、さながら一体の生物のような絶妙なコンビネーション。

 

 ──そう、他の者が入り込む余地の一切無い。

 

 ウルキオラはぼんやりと自分とロキ・ファミリアの間に、折り重なった水晶のような物があるのを幻視する。水晶のような半透明の物体はウルキオラとロキ・ファミリアを隔てる。

 

 何もかもが違い過ぎていた。ウルキオラ達『破面(アランカル)』は“群”ではなく“個”でずっと戦ってきた。『(ホロウ)』は同族を食して進化、強さの維持をしていくのだから、それも当然といえよう。周りは全て敵だった。

 一人の主を頂点として同胞と呼べる者が出来た時でさえ個で戦っていた。

 そんな自分が得られる筈のない息の合った連携を、まざまざと見せつけられる。

 

 ウルキオラはただ静かに戦場を見ていた。

 一言も発さず。

 身動ぎ一つせず。

 瞬き一つせずに。

 

 時折、此方を見てきたロキ・ファミリアのメンバーと目が合う。しかし、誰一人として瞳に自分を映してはいなかった。後方から語りかけられるロキの言葉も、やはり自身に向けられたものではない。

 

 ロキ・ファミリアとの間にある半透明の物体が厚みを増していく。

 

 そんな時だ。ロキの言動に無視することの出来ない言葉があったのは。

 

『心を一つにしていた』

 

 

 

 

 どの口がほざくのか。

 整った眉根を僅かに顰めウルキオラはロキを睨みつけた。

 

「言いたい事は、それだけか」

 

 ヘスティアやベルがこの場に居たら驚いていたであろう。常日頃、能面のように表情を変えないウルキオラの顔に感情の色が表れたからだ。もっとも伝わってくる感情は不快感や怒りといったもので、ヘスティア達が向けられていたら焦りに焦っただろうが。

 

 大切なものを汚された。その思いがウルキオラの胸の裡を占めていた。

 

「心を一つに、だと? 虫酸が走る。良く恥ずかしげもなく口に出来たものだ」

 

「……え……あ、ウ、ウル?」

 

 突然ぶつけられた悪態に戸惑っているロキを見ると、まるで負の感情を当てられる筈がないと高をくくっていたように思えて、殊更不愉快な気持ちが煽られてゆく。

 

 貴様達は、その心を一つにしていた者を、家族と呼んだ者を裏切った。

 黙って睨みつけるウルキオラの言わんとしているところが伝わったのか、ロキの顔色が青くなる。

 

「ウル、が……うちらを……う、恨んどるのは分かっとる。うちらを助けるために独りで戦ってくれたのに、むざむざ追放の憂き目に遭わせてしもうた。恨まれるのも当然や……許してくれとは言えん……言えんけど、ほんまに、ごめんなぁ、ウル、たすけられん、でぇ……」

 

 ウルキオラに憎悪を持たれていると認めるのが辛いのだろう、ロキは吃りながら言い始め最後には嗚咽混じりに謝罪を述べた。声色が、表情が、全身が、雰囲気が、悲痛さを訴えている。謝意も嘘、偽り、誇張も無い心の底からのものだと思える。しかし……。

 

 

 

 

 ──この女は……こいつ等は、本当に何も分かっていないのだな。

 

 ウルキオラには響かない。見当外れの謝罪が届くはずがない。

 ロキ達は思い違いをしていた。独りでの戦い、オラリオの追放、その二つはロキ・ファミリアを蝕む最大の後悔。実はその事に対してウルキオラはどうとも思っていなかった。過去のウルキオラが選んだ結果であり、今のウルキオラにとっては不都合は無いばかりか身体を早く取り戻す切っ掛けとなってくれたからだ。ロキ・ファミリアへの裏切り者扱いや軽蔑、嫌悪しているのは別の理由。ロキ達は知る由もないが、彼女達はウルキオラ・シファーにとっての最大級の地雷を踏み抜いていた。

 的外れな謝罪をウルキオラが受けるはずがなく、ロキの必死の言葉は虚しく食人花とフィン達の戦闘音の中に消えてゆく。

 

 聞く価値皆無なロキの謝罪から戦いの推移に意識を戻すと決着は間近だった。四体いた敵は残り一体となっており動きも大分鈍っている。よくよく観察してみると残った一体はロキを助けた際にウルキオラによって跳ね飛ばされた個体だった。ウルキオラとティオネが与えたダメージは深刻なようで倒されるのも時間の問題。このままロキ・ファミリアの手によって食人花は駆逐される。

 

 

 

 

 

 誰もがそう思っていた。

 

 窮鼠猫を噛む。

 最期の悪あがきか僅かに生じた隙をつき、フィン達の包囲から頭部を抜けだした食人花。最初に受けた仕打ちを覚えてるのか、それとも始末しそこなった獲物に止めを刺す気なのか、荒れ狂ったように獰猛な雄叫びを上げ、悪臭のする涎を撒き散らしながらウルキオラ、ロキのいる方へ襲いかかってきた。

 

 

 

 

「どういう……ことだ……?」

 

 メンバーの中で唯一驚きの声を漏らしたのはロキ・ファミリアの団長であるフィンだった。だからといって他のロキ・ファミリア面々が驚いていない、なんてことはない。全員が目の前で行われ続けている現象に声こそ上げないものの目を奪われ固まっている。

 食人花が死んだのか? ──いや、食人花は無傷だ。確かに無事なのは予想外だろうが、皆が驚いているのはそこではない。そもそも、食人花が死んだところで驚きは生まれない。

 であれば、強者であるウルキオラが傷を負ったのか? ──いや、攻撃の対象となったウルキオラも無事だ。

 攻撃をする者、される者共に無傷。 

 では、一体何がこの空間で起きフィン達を驚愕一色で満たしたのか? その理由は食人花のとった行動にあった。

 

 食人花は現在も大口を開けたままウルキオラの眼前で静止している。

 モンスターが殺すべき敵対者への攻撃の手を止める。そんなのは聞いたことがない。常識を覆す光景が起きている。信じられないといった静寂が広がっているが、それを破ったのはウルキオラだった。

 

「貴様も五十階層にいた虫けらと同じく感じとれるようだな」

 

 ウルキオラが全力で戦えない理由。

 力の大半を使って自身の内に押し込めているモノ。

 

『さあ──よ! 我々を──い──を! この────世界────つくせ!!』

 

 二十八年前、消滅の間際にこの世界へと引きずり込まれた時の記憶が呼び起こされる。

 

 ロキ・ファミリアと、二十八年前自分を利用しようとした愚者共。そのどちらもが感情を揺さぶってくる。

 幸いなのか、目と鼻の先には破壊しても問題のない、余計なものを思い出させてくれた塵がいた。殺す。そう決め実行しようと動き始めた時『探査神経(ペスキス)』で探っていたヘスティア達の状態が変化した。

 

 ベルの霊圧が消えかけている。

 ウルキオラから目立たないように食人花を始末するという選択肢が消えた。

 

 ウルキオラは静止している食人花の口の下、人間の顎にあたる部分を容赦なく蹴り上げた。ガゴッと人体が発したとは思えない硬質な物質同士が激しくぶつかり合った音がすると、風が巻き起こり空気を縦に切り裂いた。

 

「うそぉ……」

 

 呆けた声を出したのはティオナ。それは一部始終を見ていたロキ・ファミリア全員の気持ちを代弁していた。

 素手だけでは苦戦し魔法を使って倒せた屈強な食人花が──宙を舞っていた。

 巨大で硬質な身体となれば、かなりの重量があるであろう食人花がウルキオラの蹴りの威力で、地中深くに沈んでいた根ごと浮き上がったのだ。

 

 そして、ウルキオラは自分の中に封印してあるものの一つを少しだけ解放する。短い時間であれば己に影響は無い筈と。何よりヘスティアとベルの為に、忌まわしい力を縛っている鎖を少しだけ緩める。

 

 空中で藻掻いていた食人花が動きを止め花の部分を此方に向けてきた。

 

 ウルキオラは右手の人差し指を伸ばし照準を合わせる。狙うは成す術無く空中を浮遊している塵。指先に灯った翠色に輝く小さな球体を中心にして、うねった光の帯が収束していく。地面では砕かれた石畳の破片や建物の瓦礫の小さな物が恐慌に陥ったように震え悲鳴を上げていた。

 

 これは悪手だ。今から行うことがどれだけ愚かで、どのような結果を生み出すかウルキオラは熟知している。嘗てのウルキオラが、とあるファミリアへの報復として街中で使用し彼の代名詞となった、オラリオの住民に知れ渡っている魔法。それと同じようなものを使えば帰還は山火事のように一気に住民達へと燃え広がるだろう。既にこの場から退避した住民達もウルキオラの帰還は知っているが、まだ少数だった。街中へ拡散するのは時間を要した筈だ。だが、これを放てば多くの人々が目撃して帰還を知るだろう。それはウルキオラの本意ではない。──が、ベル達の命が懸かっているとなれば話は別だった。

 

 指先の輝く球体に伸びていた帯状の光が役目を終えたように消える。ウルキオラは万物の注意を引くために放つ。己の種族たる『(ホロウ)』の象徴となるそれを。

 

虚閃(セロ)

 

 翠の閃光は食人花をいとも容易く飲み込み、天へと高く、高く翔けてゆく。まるでその光景はウルキオラがオラリオへ帰還したことを知らせる狼煙のようだった。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 翠色に輝く極光が澄みきった青空へ吸い込まれるように消えた幻想的な光景を最後にして、戦いは終わりとなった。

 

 伸ばしていた腕を下ろすウルキオラ。

 リヴェリアは、まずいと焦りが湧き起こった。ウルキオラがこのまま立ち去ると直感的に感じたからだ。

 まだ伝えるべきを伝えていない。話すらしていない。

 

「待ってくれ、ウル! 話を……少し話をしないか?」

 

 体中を駆け巡る想いに後押しされウルキオラに走り寄り、意を決したリヴェリアの一言だったが、

 

「貴様と会話するなど時間の無駄だ。話す理由も無い。終わったのなら、そこの怪我をしている女を連れて帰れ」

 

 ウルキオラは全く意に介さず撥ね退けた。リヴェリアはめった斬りにされ、激痛のする胸に顔を顰めるも何とか説得を試みようとする。このまま行かせては駄目だと、それだけを行動指針として。しかし、会話は続かない。

 黙ってしまったリヴェリアに何ら関心を示さずウルキオラが歩き出す。

 

「ちょっと! 何処に行こうとしてるのよ、ウルキオラ!」

 

「そんな言い方は酷いんじゃない、ウルキオラ。あたし達は話をしたいだけなんだからさ」

 

「ウル、僕らに少し時間をくれないか?」

 

 声を荒らげ怒り心頭のティオネ、苦笑いに呆れ声のティオナ、穏やかに尋ねるフィンがウルキオラの進路を塞ぐ。

 

「ウル、お願い」

 

「逃げんなよ、ウルキオラ」

 

「話を聞かせてくれんかのう」

 

 金眼を揺らして懇願するアイズ、挑発的なベート、深刻な重い雰囲気のガレスも包囲に加わった。

 立ち上がり苦しそうに肩を上下させ、傷口を押さえながらもロキが此方へ近づいてくる。

 

「どうしても、うち達はウルと話がしたいんや。分かってくれ」

 

 ウルキオラとの関係が薄いため気を使ったのであろうレフィーヤは、離れた所から心配そうに此方を窺っている。結果、ウルキオラ一人をロキ・ファミリアの幹部全員が取り囲む構図となってしまった。卑怯かもしれないが、今、ここで逃してしまえば次の再会は何時になるか想像もつかない。別れたせいで一生会えない可能性だってあるのだと、リヴェリアは自分に言い聞かせた。

 

 皆がこの場での対話を望んでいる。心を一つにして返答を待っているとウルキオラがロキ・ファミリアの一人一人を見回していく。今までに無いその行いに期待と緊張は最高潮に高まった。全員の顔を見終えたウルキオラの唇が動く。

 

「ウルキオラ──」

 

 そして返ってきた答えは、

 

「ウルキオラ、ウルキオラ、ウルキオラ……気安く俺の名を呼ぶな。不快だ」

 

 望んでいない答だった。

 

「──え」

 

 誰かの口から零れ出た、聞く者の胸を抉る悲痛な声。もしかしたらリヴェリア自身のものだったのかもしれない。しかし、詮索する余裕など無かった。ウルキオラの発言が、頭の中から一撃で根こそぎ思考回路を刈り取っていったからだ。それは、ロキ達も同様のようで全員が硬直している。

 そんな中ウルキオラだけが歩を進めフィンの前まで行くと真正面から兄と呼んで慕っていた男を見下ろした。その目には侮蔑と嫌悪、まるで路端に打ち捨てられた塵屑を見るような心胆を寒からしめる冷たい輝きがあった。

 

「道を開けろ。貴様等と関わっている暇は無い」

 

 チリチリとした空気が肌を刺す。

 

「貴様等を護る枷は捻じ伏せた。道を開けないのなら力尽くで通るまでだ」

  

 一触即発。本気で自分達と戦う気だと伝わってきた。

 慢心していたかもしれない。話せば分かってくれる、許してもらえ再び良好な関係を築けると。一緒に苦楽を共にした家族と戦闘になるかもしれないとは考えもしていなかった。何と自分勝手な思い込みで浅はかだったのだろうか。

 周囲の皆も息を飲んで固まっている。それはウルキオラと直接対峙しているフィンも同様だった。物音一つしない、いや実際は街中なので様々な音がしているのだろうが、集中と緊張感で今のリヴェリアの耳には入ってこず静寂に覆われている気さえしていた。おまけに背中に流れる冷や汗のためか温度が急に下がったように思われる。

 ピリッとピアノ線のように張りつめられた空気。いつまで経っても動かない推移に痺れを切らしたウルキオラがフィンの横を通り抜けようとする。

 

「まっ……待ってくれ、ウルッ!」

 

 凍りついていた時が融け慌てて止めようとするフィン。

 

 それよりも早くリヴェリアは動いていた。

 

「ダメッ! 行かない──」

 

 普段のエルフの王族に相応しい威厳のある口調も消え、縋るようにウルキオラへ駆け寄る。エルフの王族、ロキ・ファミリアの副団長という肩書が度重なる予想外の展開で消し飛び、リヴェリア・リヨス・アールヴはただ一人の女として咄嗟に駆け出していた。現在のリヴェリアを動かしているのは心の深くに根付いたウルキオラへの想いのみ。離れていた愛しい男との距離が縮まっていく。

 あともう少し。リヴェリアは手を伸ばした。

 切望を掴みとるために。

 ここで出逢えた天運を逃さないために。

 想いを伝えるために。

 幾度も触れ合ったウルキオラの手を自身の掌で包み込み──

 

 

 

 

 

 

 

 漸く掴めた大切な筈の手を振り払った。

 

 無意識に起こった反応だった。リヴェリア自身が誰よりも驚いている。

 

 眉目秀麗な種族であるエルフはその容姿から誇り高く潔癖で、他者との接触を容易には許さない。更には他の種族に対して汚らわしいと見下す習性があった。認めた相手でなければ肌の接触を許さないというエルフの特質。それが働きかけたのだ。

 

 それは、普通ならありえない現象だった。ウルキオラが赤ん坊の頃は、両の手で包み込んで子守唄を歌っていたのだ。お風呂にも入れて体を洗っていたし、悪夢を見たと泣き出した時には添い寝して、落ち着くよう背中を優しくポンポンと叩き寝かしつけた事も。肌の接触など、それこそ数えきれない位ある。しかし、エルフの醜悪な習性が反応した。呪いともいえるほど本能に刻み込まれたものが。

 

 それが意味するのは?

 

 やめろと理性が叫ぶ。

 聞くなと警鐘を鳴らし続けている。

 大切なものが無くなると絶叫している。

 

 エルフの習性を知っている皆を見ると青ざめた顔で此方を見ていた。フィンも血の気の引いた顔で危険を知らせてくれる親指を反対の手で押さえている。

 普通はありえない現象。しかし絶対に無いとは言い切れなかった。起こりうる一つの可能性が存在していた。それが皆の頭に浮かんでいるのだ。

 聞くのが恐ろしい。が、身体は頭の躊躇を無視して、抑えようにも抑えきれない震えを持った唇を動かしてしまった。

 

「誰、だ……お前……は……?」

 

 ウルキオラは振り払われた自らの手を顔の前へと持っていき、感情の読みとれない無機質な瞳で眺めていた。

 リヴェリアの心がズキリと痛む。反射的だったとはいえ、何て愚かな真似をしてしまったかと。

 

 ウルキオラが黙って自身の手を凝視しているので生まれた間。

 先に沈黙を破ったのもウルキオラだった。手を下ろしリヴェリアを見据え答える。

 

 

 

 

 希望という陸から絶望の海に突き落とす一言を。

 

「俺は、ウルキオラ・シファーだ」

 

 …………違う。

 

 リヴェリアは全身の血液が全て消失したような錯覚を覚えた。違っていたからだ。

 

 二十八年前、ダンジョンでロキが拾った赤ん坊に与えた名は、『ウルキオラ・シファー』ではない。

 『ある単語』と『ロキ』出逢った場所であり故郷となる場所『オラリオ』から付けたのは確かに『ウルキオラ』だ。しかし、一緒にその場に居た『フィン』『リヴェリア』『ガレス』からとって名付けられたファミリーネームは『シファー』ではなく『フィーリス』。彼が宝物のように大切にしていた名は『ウルキオラ・フィーリス』だ。

 名前の由来を聞いて自分の誇りとまで言っていた名を捨てるのか。

 

 もう、答えは出ていた。

 

 別人。

 

 呼吸が上手く出来ず吐き気まで襲ってくる。

 最悪の答えが出てしまった。それに連なり再び湧き上がる答えの知りたくない疑問。

 

 ──では、私たちの知っているウルは……何処に……?

 

 答えは問いもしていないのに、直ぐに明らかになった。目の前の、愛しい男と瓜二つの『ウルキオラ・シファー』を名乗る青年によって。無情にも。

 

「貴様らの知っているウルキオラは──死んだ」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 アイズは耳に入ってきた言葉を必死に拒否しようとするが頭が痺れたように働かず、ただ呆然と兄と慕っていた男と寸分違わない青年を見つめている。しかし、頭が動かずとも体は反応したようだった。気付くと先程まで正面にあった青年の顔を今は見上げている。無意識に膝を屈し地面へと着いていた。立ち上がろうとするが脚に全く力が入らない。それどころか感覚も無く下半身を失ったようにも思われた。青年から離せない瞳からは涙が流れ続け、頬を伝い、しなやかな太腿へと落ちる。青年の放った言葉を否定しようにも喉が張り付いた様に乾いて声を紡げず、代わりに荒い息だけが唇の合間を通って出てくる。

 周りの仲間たちも衝撃のあまり立ち尽くすのみだった。

 

「これで分かっただろう。死人と俺を重ねるな」

 

 意識がぼやけているのか男の声が遠くに聞こえた。

 

「は……はは、うそ、だよね。そんな冗談面白くないよ……? もう、ウルキオラは本当に冗談のセンスがないん、だから」

 

 ティオナが快活さが抜けた強張った顔で声を絞り出し笑った。

 

「そ、そうよ。言って良い冗談と悪い冗談があるでしょう!」

 

 怒った素振りで動揺を隠そうとしているティオネが妹に便乗する。

 

 アイズもまた、この二人の言い分に藁をも掴む気持ちで縋った。事実ウルキオラは真顔で本当か嘘か分からない微妙な冗談を稀に飛ばしていた。今のも、きっとその類なのかもしれないと祈りに似た希望を持った。が──、

 

「ウルキオラ・フィーリスは三年前に死んだ。これは純然たる事実だ。諦めろ」

 

 単刀直入に現実を突き付けてくる、ウルキオラ・シファーを名乗る男によってアイズの心は打ち据えられてゆく。

 

「違う。そんな筈はない。僕たちが、育ててきたウルの姿を見間違える訳がない……そうか、記憶を──」

「往生際の悪い奴等だ。叶わん希望に縋るのはよせ。……もう分かっているのだろう。体は同一だが中身は別の存在だと」

 

 フィンを一蹴した男の言葉は分厚い願望という名の皮をいとも簡単に剥がしていき、アイズ達は逃げ場を封じられ追い込まれていく。

 どんなに誤魔化そうとしても真実は変わらない。現実を受け入れなければならない時が来てしまったのだ。

 大切な家族は既にこの世にいない。

 自分達のせいで死んでしまった。

 償う事など出来ない。

 全てが手遅れだと。

 

「何……なんだ……。何なんだよ、テメエはッッ!!」

 

 噛みつかんばかりのベートの激昂に男は全く動じず静かに返した。

 

「──俺は奴の内側に封じられていた者だ」

 

 知らない、聞いたことも無い話だった。アイズは乞うように一番事情を知っているであろうロキに視線を送るが、ロキもまた大きく目を見開き絶句していた。

 

「封じ……られていたやて……」

 

「俺はずっと見てきた。奴の中から貴様達の所業を」

 

 明らかになっていく真実。

 

「この体を取り戻すのに、まさか二十五年もかかるとは思わなかったが」

 

「取り戻す……? 乗っ取ったの間違いじゃないのかい?」

 

 フィンから敵意が滲み出てくる。

 

「生憎逆だ。この体の本来の持ち主は俺だ。……いや、そうか。そういう見方であれば元々の持ち主は、あの男となるか……今となってはどうでも良い事だがな」

 

「返せ……」

 

「そうや……返してくれ」

 

 リヴェリアに追随してロキが数歩進み、家族を奪った男に詰め寄る。

 

「うちらのウルを返せ!」

 

「──っ」

 

 一瞬顔を顰めさせた男だったが即座になんでもないように元の無表情に戻った。

 

「事あるごとに力を貸してやったのに、随分と嫌われたものだ」

 

 男の言にアイズは引っ掛かりを覚えたが反応はロキの方が早かった。

 

「……どういう事や」

 

「そのままの意味だ。『虚無漏影(エクリプセルナル)』を知っているな。奴が力を求める度、代償と引き換えに力を与えていたのは俺だ」

 

 『虚無漏影(エクリプセルナル)』『代償』『力を与える』、どれもアイズには初耳だった。ベート、ティオネ、ティオナも寝耳に水だったようだが、ロキ達には思い当たる節があるらしい。普段の王族としての余裕ある落ち着いた姿を掻殴り捨て、焦燥感に駆られた様子でリヴェリアが反論する。

 

「事あるごと、だと。ウソ……だ。そ、そうだ、あのスキルは使わないとウルは約束して──」

「気付いてなかったのか? あの男は幾度も使っていた……貴様らが危機に陥る度にな」

 

 ウルキオラはずっと皆を護るために何かを犠牲にして戦っていた。では、何を犠牲にして?

 

「代償って、なに……?」

 

 アイズの口から出たのは怖さのあまり蚊の鳴くような細く小さな、今にも消えてしまいそうな声だった。

 対照的にウルキオラ・シファーを名乗る男は変わらず、淡々と抑揚のない声で答えてきた。

 

「奴という器に亀裂が入る。そうなれば必然的に中身は流れ出ていく」

 

「なか、み……」

 

「知識、記憶、肉体、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚、本能、理性、理念、情念、思考、意識、意思、誇り、尊厳、夢、感性、感情、魂魄……言えばきりが無いな。──人を構成する全てだ。言い換えれば奴の『存在』そのものか」

 

 途中から呪詛のように聞こえてきてアイズは耳を塞ぎたくなった。が、まだ終わりではなかった。

 

「それらを代償にしてお前達を助けた訳だ」

 

 男の鋭い剣のような視線がロキ・ファミリアのメンバーを順番に貫いてゆく。最初はガレスに。

 

「お前だけに盾役をさせんと横に並んだ時も」

 

 次にフィンへ。

 

「予測できなかった突然の襲撃を受け、貴様の命令で殿を務めた時も」

 

 ベートへ。

 

「貴様が無理をした為に前線が抜かれた時も」

 

 リヴェリアへ。

 

「詠唱中に攻撃を受けそうな貴様を護った時も」

 

 ティオネへ。

 

「戦闘中に暴走し無駄な傷を負った貴様を庇った時も」

 

 ティオナへ。

 

「敵に包囲され孤立した貴様を助けた時も」

 

 自分へと。

 

「突出しすぎたお前を救うため囮となった時も。奴は力を欲した」

 

 言葉の刃は容赦なく振るわれた。そして最後はロキへと矛先が向かう。

 

「貴様は言っていた、皆を頼むと。奴はその約束を守った。その身を犠牲にし続けて」

 

 ロキが力無く崩れ落ちた。

 

「あの男が身を削り救っていたのに気付きもしてやらんとは、御目出度い連中だ」

 

 もう、誰も、何も、言えなかった……。

 

「貴様らは全くあの男を見ていなかった。奴はあれほど貴様らに尽くしていたのにな。心を一つに……だと? 笑わせてくれる。奴も哀れな男だな」

 

 それを最後に、もう語るべきは無いと男は姿を消した。

 

 希望を押し潰した絶望。アイズは自分の心が砕ける音を聞いた。

 光を失った眼。表情の抜け落ちた顔。だらんと放り出された身体。第三者がいれば、こう表現しただろう。死者のようだ、と。生命の証は止まらない涙しかなかった。

 だからアイズの耳には、皆の耳には聞こえず目には入らなかった。去り際に男が一ヶ所を見つめ零した一言は。

 

「こうなると分かっていても話さなかったのか。奴との約束がそれ程大切とは……まだ俺には理解できんな……」

 

 その言葉を向けられたただ一人を除いて。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 何もかもが無くなっていく──。

 虚無へと近づいていく──。

 

 窓が取り付けられておらず日の光が入らない地下牢。光源は点々とある魔石灯だけで仄暗い。そんな中、魔石灯とは違う光源が此方へと接近してきた。

 地べたに直接座していた青年は辛うじて残る最近の記憶から刑の時間がやってきたのだと思い至る。何をしてこのようになったのかは、もう覚えていない……思い出せない。

 鉄格子の向こうでは、やって来た図体の大きい男の持つ蝋燭が生温い風に合わせて、ゆらゆらと頼りなさげに揺れていた。まるで俺の存在の様だと青年は自嘲した。

 

「出──、ウル──ラ・フィー──。時──だ」

 

 威圧の込められた低音の声が物音一つしない地下に反響するが青年の衰えた聴覚では捉えきれなかった。

 

 目の前の男が言ったのは自分の名前なのだろうか? 自身の名が思い出せない。大事にしていたような気も、大事にする理由もあったような気がするが、幾ら考えども……思い出せなかった。

 

 穴の開いた花瓶に入っている水のように己を構成する全てのものが流れ出てゆくのを今も感じる。流出を防いでいた壁は無くなった。塞ぐ術は持たない。

 

 足枷、手枷を外されぬまま地下牢から出される。一歩進むごとに、ジャラジャラと鎖の音がなっている筈だが耳には入ってこない。もう、聴覚は駄目になってしまったのだろう。

 両肩には後ろから剣が乗せられ首の前で交差している。妙な動きをしたら即座に首を切り落とすという脅迫か。手足を封じられ、歩くのもやっとな力しかない男の何処に用心を重ねる必要がある。臆病なものだと青年は思った。

 

 外に出ると上から水滴が落ちてきた。襤褸の囚人服に吸い込まれていく水滴を見て、この水滴の名前は何だっただろうかと考えながら青年は衆人環視の中を歩く。水滴の名は……やはり思い出せなかった。

 

 それほど距離は離れていなかったが、鉄の鎖で繋がった足、手枷のせいで疲労を覚えた青年の前には押送用の馬車が止まっていた。これに乗り何処とも知らない場所で降ろされる手筈となっている。しかし、青年には分かっていた。生きてこの馬車から降りることは出来ない、もう、そう時間が掛からないうちに自分と言う存在は塗り潰されてしまうと。既に、聴覚、嗅覚、触覚、味覚はまともに機能していなかった。

 

 せめて慰みに、五感の中で唯一残っている瞳に最期の光景を焼き付けようと周りを見回していると、遠くに陣取った一団が目に入った。遠目でも分かるくらい剣呑な空気を醸し出している。青年が吸い寄せられるようにして見ていると集団の一人と目が合った。朱色の髪と、朱色の瞳をした綺麗な女性だった。周囲にいる人達とは、何というか纏っている気のようなものが違う。魅入られたように目を逸らせなかった。

 

 ──ウル。

 

 頭と胸の中に霧を晴らす涼やかな風が吹いた。

 

 思い出した。

 思い出せた。

 

 あそこにいるのは──

 

 心底信頼していた頼れる小人族の兄。

 厳しくも優しいエルフの姉。

 生意気で不器用な可愛い狼人の弟。

 何かとつっかかってくるが一緒にいるのが楽しいアマゾネスの妹。

 同じく、笑顔を絶やさない、いつも元気をくれるアマゾネスの妹。

 人と少しずれていて目が離せない金色の髪をした妖精のような妹。

 自分を拾って生を授けてくれた慈愛溢れる神の母。

 重荷を背負わせてしまったドワーフの──。

 そして、その他の沢山の弟、妹達。

 

 自分の命より大切な愛する家族。名前を思い出せないのが口惜しい。だが、多大な幸福感が青年の身体の中を満たしていた。

 

 青年は己のすべき最後の仕事を発見した。

 あの殺気だった様子だと愛すべき家族は今にも此方へ突撃してきそうだ。気持ちは充分に嬉しいが、どの道自分はもう長くはない。止めなければ。仮に言葉を使えば皆のやろうとしている事が周りにバレてしまう。却下だ。それ以外で気持ちを伝える方法。

 

 

 ──閃いた。笑顔を贈ろう。

 

 大丈夫だと安心させるように──

 今まで幸せだったと感謝を込めて──

 愛している想いを乗せ──

 

 最高の別れの笑顔を。

 

 そして笑顔と共に、全てを失った自分に唯一残ってくれた、この心を皆の元へ置いて行こう。

 

 目を細め、頬を緩ませ口の両端を持ち上げる。

 上手く笑えているだろうか。こんな事なら普段から鏡の前で笑顔の練習をしていれば良かったと、青年は似合わない考えをした。

 笑顔を向けた者達は家族……いや、青年──ウルキオラ・フィーリスにとって生きる目的、世界そのもの。愛する世界を網膜に、脳裏に、身体に刻みつけた。永久に忘れる事が無いように。

 

 

 

 

 疼く。

 疼きはやがて痛みへと。

 痛みは激痛へと変化した。

 

「──っ」 

 

 『響転(ソニード)』で空を駆ける最中、ウルキオラ・シファーは視線を痛みのある箇所、胸へと落とす。今まで味わった事の無い痛み。ウルキオラ・シファーにはそれが何なのか分からなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 




ようやく出せましたウルフィーさん。
ウルフィーさんの名前の由来の『ある単語』は分かっても心にそっとしまっておいて下さい(切実
二章の頭に書く予定なので。

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誠にありがとうございます。


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