「……ちっ……ここまでか」
深海のような底の見えない闇色の空の下、一つの戦いが終焉を迎えようとしている。
自身の敗北。そして、消滅。
ウルキオラは灰となって消えていく己の漆黒の翼から、勝者である橙色の髪をした青年に視線を移した。
「殺せ」
幾度も交えた刃。仲間を攫われた青年と攫った張本人。浅からぬ因縁に勝者の手をもってして決着を付けなければならなかった。しかし──。
「……断る」
「……何だと?」
「……イヤだって言ってんだ……」
「……」
「……こんな……」
青年は苦しそうに端正な顔を歪め、己の思いの丈を叫んだ。
「こんな勝ち方があるかよ!!!」
自身の中に眠る力の暴走により、無理矢理もたらされた身に覚えのない勝利。青年からすれば到底納得の出来ないものだった。
「──ちっ……最後まで……思い通りにならん奴だ……」
何度力の差を見せつけても決して諦めなかった青年に舌打ちをする。しかし、そこにあったのは怒りや苛立ちでは無かった。
最期の時が近づいている。時間はもう残されていない。
視線を青年から少女へと移す。
「……ようやくお前たちに、少し興味が出てきたところだったんだがな」
少女も悟っているだろう。これが最期の会話だと。
瞳に灯るのは同情か憐みか。
ウルキオラは少女へと問いかけた。
「……俺が怖いか、女」
少女は答える。以前と同じ答えであって違う答えを。
「こわくないよ」
怨敵に投げかける筈のない表情。そこにあったのは同情や憐みではなく、別の何か。敵である己に決して向けるべきではないもの。少女の二つの大きな瞳には、露の玉が形を崩し今にも零れ落ちそうになっていた。
「そうか」
少女の声色、表情、想いを受け、脳裏に戦いの前にした答えの返ってこなかった問いが蘇る。
もう、口を動かす力も無くなり声には発さず最期の問いをかけた。
それは 何だ
その胸を引き裂けばその中に視えるのか?
その頭蓋を砕けばその中に視えるのか?
貴様ら人間は容易くそれを口にする
まるで──
在る筈がない。ウルキオラはこの灰色の世界で、漸くその考えに辿り着いたのだ。だが、もし本当に在るのなら……。
何故そうしたのかは自身にも分からない。
ウルキオラは少女へと右手を伸ばした。
少女もウルキオラの掌へと手を伸ばす。
二つの掌が近づいていく。
しかし、伸ばし合った両の掌が繋がる事は無かった。
指が重なる寸前、ウルキオラの命が先に尽きたのだ。
指先から体が灰となっていく。
届かなかった掌。だが消えゆくウルキオラの顔は険がとれ少しだけ穏やかだった。
答えを得た。
最期の最後にウルキオラの虚無の世界に小さな一つの光、しかして消えることの無い輝きを持った光が差し込んだ。
◆◆◆
全身が粟立っている。小刻みに震える体は興奮によって。フレイヤは熱を鎮めるように両腕で体を掻き抱く。
ベルの放出した光は彼の魂と同様に無垢で眩い光だった。
「ああ……」
予想を遥かに超えたものを見せてくれたベルに感嘆の吐息を漏らし暫し見惚れていた。
そんなフレイヤを我に返させてくれたのは割れんばかりの大歓声──ではなく歓声に包まれ抱きあうベルとヘスティアだった。
歓声と賞賛のシャワーを浴び白銀の残光が舞う中心で、そっと抱き合う二人。何という幻想的で美しい光景なのだろうか。まるで英雄譚に綴られている最後の場面だ。
奇跡。……いや、それは二人に対して余りにも礼を失している。こんな簡単な二文字だけで表してはならない。
互いが互いを助けるために身を挺して戦い掴みとった勝利。
自らの力と知恵を振り絞り協力して勝ち取ったそれは、何の努力もせず生まれながらに持たされていた自分の美よりも美しいものではないのだろうか。現に今のベルとヘスティアは、高名な画家が遺したどんな名画よりも美しいとフレイヤには思えた。
どんなに力を込め自身を押さえつけようが体の火照りは冷めることはない。視線はベルとヘスティアに固定されたまま次々と湧き出てくる我欲に濡れている。
想い合う二人。
無力な身でありながら危険を顧みずシルバーバックに一撃を与えたヘスティア。
決して諦めず最後には信じられない力を発揮して大切な者を守り通したベル。
それらの力の原動力。二人の間にある絆の名。
それこそが家族、家族、家族!
「ああッ……!」
己の全てを投げ打ってでも護りたいと思える相手。断ち切れない絆。自身の愛──男女の愛──とは違う、しかし勝るとも劣らない愛の形。
──欲しい。
それも堪らなく、だ。
手に入れたのなら、どれほど愛に満ちた毎日が待っているのだろう。きっと、些細な日常でさえも幸福で溢れている筈だ。
視線の先にいる二人は分厚い氷塊であれ忽ち溶かし尽くすような燦爛たる笑顔で何かしらを語り合っている。
あの煌いた笑みで何を話しているか気になるところだが、今は自分も一歩目を踏み出す時だと後方の眷族へと振り返った。
「オッタル」
名を呼び近くへとやって来させる。オラリオ最強に相応しい鍛えあげられた巨躯がすぐ傍で止まった。
「少し屈んでくれるかしら?」
告げられた願いに少しだけ不思議そうな気色を浮かばせたオッタルだったが、言う通りに片膝を折り屈んだ。
フレイヤは徐ろにオッタルの頭を自身の豊満な胸へと誘いそのまま抱き込む。完璧な形と弾力を併せ持ったこの世に二つと無い双丘が、ぐにゃりとオッタルの顔に合わせて形を変えた。あまりの展開に驚き、凍りついた可愛い眷族の頭頂部に掌を乗せ後頭部までの短い距離を愛おしく、慈しみを持って何度も撫でる。
「フ、フレイヤ様!?」
頭頂部に突き出ている両の耳がピクンと跳ねた。
突然の事で驚いているのだろう。
混乱しているのだろう。
焦っているのだろう。
──照れているのだろう。
「ふふ」
思わず笑みが零れる。
幾度も撫で続けていると男女の機微とは違う初めての感情が芽生えてきた。今まで感じていた燃え上がるようなものではなくて、もっと柔らかで穏やかな心地よいもの。
為すがままにされているオッタルを見ると、胸の中にある頭に生えた二つの耳は今では、へにゃりと
(こんな一面もあるのね、気付かなかったわ……)
それも当然だ。男とは女性の前では無様な姿を晒したくはない、格好つける生き物だとフレイヤは思い至る。
(他の子達も、きっとそう。なら──)
満足してオッタルを解放したフレイヤは悪戯っ娘のように無邪気に笑った。
不意の頭撫で撫でと晴れやかな笑顔の連続攻撃で軽く放心している眷族を置いて帰路につこうとするフレイヤの頭の中では、ホームへと帰ったら早速眷族全員の頭を撫でようと密かに決心していた。
(ふふ、楽しみね)
上機嫌に歩くフレイヤの歩調は跳ね、ダンスを踊るように軽やかだった。
◆◆◆
もうどの位この場所に座り込んでいるのだろうか? 魂を抜かれたように放心していると遠くから歓声が聞こえてきた。まるで自分達とは真逆だ。
アイズは虚ろな瞳で力無げに周りを見回す。皆、一様に生気を失った顔をしていた。その中でも、ロキ、フィン、リヴェリア、ガレスの消沈ぶりは目も当てられないほどだ。もう、何かをするという気力も無いのだろう。アイズがウルキオラと共に過ごした時間は凡そ六年間。だが、ロキ達が重ねてきた時間はアイズの人生よりも長い二十五年もの歳月。その心中は推して知るべしだ。
「笑わな……いと……こんな時こそ……──っ笑えないよ、ウルキオラぁっ! だってウルキオラはずっと、あたし達のために……なのにあたし達は……ごめん、なさい」
ティオナが掠れた声で懺悔する。アイズも同じ気持だった。
ウルキオラは己の全てを犠牲にしてロキ・ファミリアを護ってきた。だが、その事実を自分達は知らなかった。気付きもしなかった。無知とは罪。それを詫びたい。が、謝罪する相手はもう何処にも……やり場のない想いに苛まれる。
「いつも、いつも、アイツは……っ!」
ティオネの言わんとしている事は容易に掴める。
ウルキオラは戦闘時、自ら進んで貧乏くじを引いていた。身を置くのは常に最も激しい戦闘箇所。当たり前のように激戦地へと向かい戦っていた。自分を犠牲にしてまで。その事実が重く、重く伸し掛かってくる。
もしかすると、何時の間にか、無意識にウルキオラに頼りきっていたのではないのだろうか?
であれば──
ウルキオラを殺したのは──
自 分 達 だ。
「あ……ああっ──」
波のように絶えず襲い掛かってくる、大切な者を失った喪失感と罪の意識。
「皆……さん……」
レフィーヤが痛ましい泣きそうな顔で声をかけるが誰の耳にも入らない。頭も心もグチャグチャだった。
もう、アイズには何をすれば良いのか、何をすべきなのか全く分からなかった。
思考も動かず、行動する力も気力も残っておらず糸の切れたマリオネットのように、ただ其処に在り悲嘆に暮れるだけ。いつも迷ったり悩んだ時に必ず前にいて手を引き自分を引っ張ってくれていた存在は、もう何処にも──
「立て、アイズ」
力強い声だった。
充満していた沈痛な空気が飛散していく。
「てめえ等もゴチャゴチャ言ってねえで、ささっと立ち上がれ。バカゾネスども」
その人物はいつもの様にアマゾネスの姉妹を煽ると未だ座り込んでいる自分達を不機嫌そうに見下ろした。
「地べたに這いつくばっているこの姿が
それだけ言うと此方に背を向け歩き始めた。
「ベート……さん」
責め立てる言葉。その声には怒りと──不器用な優しさが込められていた。
独り歩くベート。脚を引きずりボロボロだ。
それでも一歩一歩地を踏みしめ確実に前へと進んでいく。
その後姿がずっと追いかけていた背中に似ていて……。
ウルキオラ・フィーリスという人物はロキ・ファミリアにおいてどのような人間か?
ロキ・ファミリアに所属していれば誰もが口を合わせてこう答えるだろう。
“人と人を繋ぐ結び目のような人だ”と。
ロキ・ファミリアに拾われ、ロキ・ファミリアに育てられたウルキオラにとって家族と呼べる者は、やはりロキ・ファミリアの団員しかいなかった。だから自然と団員達を仲間というより家族のように接していた。団員達も初めは戸惑い、むず痒くなっていたが次第に慣れ始め心良く受け入れていく。そうすると今度はウルキオラに感化された団員同士が家族意識を芽吹かせていった。こうしてロキ・ファミリアは文字通り一つの大きな家族となった。そしてその中心にいたのは結び目であるウルキオラだ。
では、そのウルキオラがいなくなれば絆は解けバラバラになるのか?
そんなのは有り得ない。ロキ・ファミリアは既に家族として繋がっているのだ。紡いだ絆はどんな鋏を持ってこようと断ち切れない。仮に結び目が無くなろうとだ。
一人では動けなかった。でも、二人なら。二人でも無理であれば三人。家族とは時には叱咤し支え合う人々の共同体だ。
アイズは歯を食いしばり唇を噛み締めると四肢に力を入れ立ち上がる。
「私も一緒に、行く」
つられたように一人、また一人と立ち上がっていく気配を感じた。
「大丈夫か? 私に掴まれ」
「……おおきにな」
出血の酷いロキにリヴェリアが肩を貸す。
全員が立ち上がると前方を歩くベートが一つ鼻を鳴らした。
「ありがとう、ベートさん」
感謝の言葉にベートは進むべき道の先を見据え後ろ姿のまま答えた。
「別にお前達のためじゃねえよ」
続けられた言葉は小さくぼそりと。アイズにしか聞こえないような声で。
「……アイツに託されたからな──俺は絶対に折れねえ」
「────!」
生きている。そう、兄のように慕っていた青年は此処にいる。皆を結ぶ絆として、託した想いとして、ずっと自分達の傍らに在り続けていた。
やらなければならないことが出来た。家族として知らなければならないのだ。ウルキオラがその細い背中にどれだけのものを背負っていたのかを。目を背けたくなる事実も浮き彫りになるだろう。だが、今度からは逃げずに真実と向かい合わなければならない。それが今まで気付けなかった、目を背けていた自分への罰だ。
今、ロキ・ファミリアの想いは間違いなく一致している。ベートを先頭に皆が同じ方向を見て進み始めた。
「フィン、ホームへ帰ったら誰かに使いを任せたいんやけど」
「いいけど、何処へだい?」
「────フレイヤんとこや」
驚きは無かった。そうするだろうと思っていたからだ。
「交渉だね?」
フィンの確認にロキは頷いた。
「それとな、このまま会議室へ直行するで。ウルのスキルを知らんかった者にもそれを伝えなあかんし、話さなあかんことがあるんや。……恐らく皆が知りたがっている事の一つや」
空気が揺れ皆がロキに無言で続きを促す。
「ホンマやったら墓場まで持っていくつもりやったけど、フレイヤへの交渉のカードとして使う気やから先に話しておこうと思ってな。ただ、絶対に口外したらあかん。……まあ、聞いたら事の重大さに話せんやろうけどな」
「……それほどのものなのかい?」
「──最悪世界が引っくり返る」
誰かのゴクリと唾を嚥下する音が聞こえてきた。
「それで話の内容は?」
「フィンは気付いとるんやない? フレイヤへの交渉の一手やったら、あの女が興味を示したもんや」
「つまり……」
「そうや」
「あーーーっ、まどろっこしいっ! 遠回りに話してねえでさっさと分かりやすく内容を話せ!」
一番前を歩きながらも聞き耳を立てていたのだろう。ピョコピョコと耳を動かしていたベートが痺れを切らした。
「アイタタタ、大声を出さんといて。傷に響く」
両手で脇腹を押さえ大袈裟に痛みを訴えるロキ。
「駄目じゃないか、ベート。ロキは怪我人なんだから」
ロキを庇うフィン。
「全くだ。少しは辛抱を覚えるのだな」
額に手を起き頭を振るリヴェリア。
「あの会話だけで察することが出来るなんて流石は団長です。抱いて」
ここまできても全くブレないティオネ。
「もう! ほら、馬鹿狼のせいで話しが逸れちゃったじゃない」
プンスカ起こるティオナ。
ベートが集中攻撃をされているが此等は全て演技。ベートへのお礼として、もう大丈夫だと普段のロキ・ファミリアを演じているのだ。内面を殺して。それこそ道化のように。
「あの……その……皆さん?」
レフィーヤは気づかず本気でアワアワしていたが。
「…………」
遠巻きに皆を眺めているガレス。
「寄って集って何だってんだ、てめえら!」
ロキ・ファミリアなりのコミュニケーションにアイズも参加する。
「ベートさん、お話の邪魔、しないで」
少しだけ非難の色を入れるのを忘れずに。
「ウグっ……」
轟沈するベート。
まだぎこちないが少しは普段の調子に戻ったきたように思われる。
これこそが道化師を旗印にしたロキ・ファミリア。ウルキオラ・フィーリスが育み愛し遺したもの。
巫山戯るときには巫山戯、締める時には締める。
切りの良い所でコホンとフィンが咳を入れると一変する。
「冗談はここまでにしておいて……内容は会談の際に女神フレイヤが僕達の知らないウルの情報と交換条件として出してきたもの」
フィンが目配せでロキに核心を話すよう伝える。全員の瞳がロキへと集中した。
会談の内容を思い出し答えに辿り着いたもの者。思い出せない者。そもそも、会談の場にいなかった者。この三つのタイプがいたが全員気を引き締めてロキの言葉を待っていた。
ロキの糸目が開かれ朱色の瞳が露わになる。
「三年前──」
其処にはいつもの緩い佇まいは無く、真剣さのみを帯びていた。
「ウルが罪に問われた本当の理由や」
どのような辛い現実が待っていようと過去と向き合う事を決心したロキ・ファミリアは此処から進みだす。
愛しい家族が背負っていた隠された真実へと──。
◆◆◆
「あの光は……」
暗い地下道の中でウルキオラはベルとシルバーバックの戦いの結末を見ていた。
この場所へとやって来れたのは、二者が衝突をした瞬間。
即座に介入しようとしたが思い留まった。ベルがこの世界では稀有な力を発していたからだ。
(やはり似ているな……お前達は)
歓声に包まれ抱き合うヘスティアとベルが前の世界での青年と少女と重なる。
ウルキオラはフードを目深く被り直すとヘスティア達の元へ向かうため地下道を進んだ。視線の先には歓声を受け太陽の光を浴びながら抱き合う二人。
足音が止まった。
ウルキオラは翠の瞳を左右に動かした。周囲に蔓延っている暗闇がローブの裾を掴んでいる。
聞こえてきた怨嗟や嘲笑の声。
お前は何処へ行くつもりだ。
行けると本気で思っているのか。
自惚れるな、自分が何者か忘れたのか。
お前は我ら『
暗い死の世界をずっと独り生きてきた化物。それが、ウルキオラ・シファーだ。
甘すぎる認識をしてしまっていた。二人と自分が同じ場所に立てるなどと。
光へと繋がる道を進んではいけないのだ。
光の中にいるヘスティアとベル。一方、地下道の闇の中に独りいるウルキオラ。
この現状が抗えようのない確たる真実。
ロキ・ファミリアの時にも幻視した折り重なる半透明の物体が再び作り上げられウルキオラを取り囲んだ。
それは『無』。
ウルキオラが『
色も無く。
音も無く。
香りも無く。
何に干渉するでも無く。
ただそこに存在する。
ウルキオラが眼にした中で最も『無』に近いもの。
手を伸ばす。届かない掌。『無』からは抜け出せない。
ヘスティア達との間は一足で辿り着ける距離だ。だが、ウルキオラには、その距離が途方もなく離れているように思われた。
水晶のような物体は変わらずウルキオラの周囲にあるままで、あちらと此方の世界を分け隔てている。
(そうだ……俺は……)
ヘスティア達へと伸ばした手は他者の血に塗れている。血みどろの手は二人には相応しくなかった。
ウルキオラ・シファーがヘスティアとベル・クラネルと共に光の中で過ごせるなど、迷夢もいいところだ。
ウルキオラはヘスティア達がいる場所とは反対の方向へと踵を返した。
暗闇が広がっている。自分が今まで通って来た道だ。
独り闇の中を躊躇いなく歩き出す。
これで良い。これが己に唯一許された生きる道だと、ウルキオラは闇の胸中へ自ら望んで飲み込まれていった。
深い闇。
何も見えない。
一切のものが存在していないのではないのだろうかと思えるほどの闇だった。いや、眼に視えないものが存在していないのであれば何も無く、闇だけが存在しているのであろう。
──カツッ
もう一つあった。後ろを付いてくる足音だ。それは、ヘスティア達から離れていく証明でもあり。
ウルキオラは歩く。
一点の揺るぎもなく。
ウルキオラは独り歩く。
光ある世界が遠ざかっていった。
ウルキオラは独り闇の世界を歩く。
ヘスティアとベルに背を向けて。
ウルキオラは一度も足を止めること無く独り闇の世界を歩き続けた。
「あーーーーーーーっっ!!!!」
静寂が満ちている地下道を足音を打ち消した大声が突き抜けた。
振り返ると──
此方を指差すヘスティアがいた。
ヘスティアは喜色を全面に湧き出させ、ベルに肩を貸して光溢れる場所から闇の広がる自分の傍へと近づいて来る。
駄目だ、此方へ来させては。この二人は光ある世界で生きるべきだ。
──そして、血に染まった化物が傍にいてはならない。
ウルキオラは一瞬、思考が停止するが直ぐに自分の取るべき行動を始めた。
「止まれ。ヘスティア、ベル・クラネル」
従うよう威圧感を加え、願いではなく命令する。
「そこから先へは進むな。来た道を戻れ」
今ならまだ引き返せる。
「え?」
「ど、どうしたんだい? いきなり変だよ?」
「俺は勘違いをしていた」
そうだ。数多の同胞のいるヘスティアやベルとは違い、どこまでいっても自分は異端で化物。世界に周知されれば討伐されるべき存在。居場所になるとまで言ってくれた少女達を巻き込んではならない。
「何か……あったの、かい?」
自身が何者か再確認しただけだ。今も。ロキ・ファミアとの再会の時も。
『虚無』。それが自分だ。
何も無いのだ。
仲間も。
居場所も。
何かを感じることも無い。
だから──あの時から続く、この胸を締めつける痛みも全ては、まやかしだ。
エルフの女に手を振り払われて始まった疼き。
『うちらのウルを返せ!』
『貴様等の知っているウルキオラは──死んだ』
疼きは痛みへと変化し激痛となる。
どうでもいい別れ。それこそ、星の数ほどある取るに足らない別れ。
──そのはずだった。
「ウ、ウルキオラ君?!」
「ウルキオラさん!?」
ヘスティアとベルが唐突に驚き動揺している。
何に驚いているのか? 黙り込んで生まれた無音の間に驚く要素など皆無のはずだ。
「……何だ?」
「き、気付いて、い、いないのかい?」
ヘスティアが躊躇いがちに答えを言った。
「ウルキオラ君、今────」
「泣いているよ」
今度はウルキオラが時が止まったように驚愕した。
我に返ると指の先端を目元へ。
一筋の雫が指先を濡らす。
水滴は指を伝い掌へと流れた。
最期の瞬間、少女の双眸に溢れていたものと同じ温かい涙。
掌にある涙は暗闇の中でも輝いているように思えた。
信じられないように呆然と涙を見ていると、ヘスティアの小さな柔らかい手が、優しく重ねられた。
反対の掌も温かさに包まれる。ベルが、そっと握っていた。
「行くよ」
ヘスティアとベルはウルキオラに有無を言わせず突き進む。
光とは反対の方向。
ウルキオラが歩んできた闇の方へ。
「やめろ。止まれ」
「大丈夫だから」とそれしか言わず進む二人に、どうしてか抵抗出来ず為すがままになっている。
深淵に小さな光点が現れた。進めば進むほど大きくなり、目の眩むほどの光量を放っている。
差し込んでくる光にウルキオラは眼を細めた。
「例え闇の奥深くでも必ず光はあるんだ、光を探すことを諦めなければ。それに闇が深ければ深いほど光は強く射すんだよ」
闇の支配する空間が終わりを告げ、陽光が寄り添う色彩溢れる世界がウルキオラを優しく受け入れるように広がっていく。出口は目前。もう間もなくこの暗闇から抜け出せる。
──が、ウルキオラは立ち止まり、強引に二人の手を振り払う。
ヘスティアとベルは手を振り払われた勢いで、よろけるようにして出口を通過した。
地下道の中、闇に覆われているウルキオラ。
外に出て光りに包まれているヘスティアとベル。
光と闇の境界線を真ん中にして独りと二人は向かい合う。
これが自分達の正しい立ち位置だ。
光と闇。
正と負。
生者と死者。
この世に在るべき者と排除されるべき者。
それは交わってはならない。そう、交わってはならなかったのだ。
しかし──
「もし、君が闇に留まってもボク達はそこから連れ出すよ」
「……何故だ」
「だって、ウルキオラさん自身がそこにいる事を望んでないからです」
「それにボク達は君に傍にいてもらいたいんだ」
『さあ──』
二つの声が重なりヘスティアとベルが手を伸ばしてくる。
二つの掌が光から境界線を越え闇の中へと差し出された。
此方へ手を伸ばす二人が再び前の世界の青年と少女に重なる。
ウルキオラは気付いた。己の最低で愚かな行為に。
このまま手を取る訳にはいかなかった。また、その資格も無かった。
自分もヘスティアとベルに対して少なからずロキ・ファミリアと同じことをしていたのだ。
ベルには青年を、ヘスティアには少女を事あるごとに重ねて見ていた。自身がそう見られてどれだけ不愉快に感じたのかを棚に上げて。
過去ばかりを追っていた。
(奴等にとってあの男は、俺にとってのあの人間達ということか……)
俯き目を閉じるとウルキオラは二人にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「黒崎一護……」
決して折れず最後には自分を討ち果たした青年の名を。
「井上織姫……」
何もなかった自分に大事なものを教えてくれた少女の名を。
死神の青年と超常の力を持った人間の少女。
過去なのだから、思い出す事はこれからもあるだろう。過ぎ去った大事な時間。捨てるつもりはない。だが、今までのようにヘスティアとベルに重ねるなんて事はしない。
もう、青年と少女は何処にもいないのだ。過去なのだから。
決別を含んだ声は光と闇の境界線に散り誰にも聞かれることなく消えていった。
頭を上げ改めて二人の顔を見る。眼の前にいるのは他の誰でもないヘスティアとベル。澄みきった青空のような顔で二人は言った。
「行こう!」
「行きましょう!」
ピシリとウルキオラが幻視していた半透明の物体に亀裂が入った。
死の間際に得た答え。
ウルキオラは己の手を見る。綺麗で高潔な二人の手を穢してしまう血にまみれた手だ。
だが……。
もし、許されるのなら……。
受け入れてもらえるのなら……。
掌を伸ばす。以前のように無意識ではなく、はっきりとした意思を持って。
ヘスティアとベルに触れたかった。
右の掌をヘスティアに。左の掌をベルへ。
あの時、伸ばし合っても触れあえなかった掌は──
今──
ここに──
重なり合った。
「ああ、行こう。ヘスティア、ベル」
掌を包む温かさを感じつつウルキオラは一歩目を踏み出した。
闇が晴れ陽の光に抱擁される。見上げると、空に座す太陽は万物に差別なく、その陽光の恵みを惜しげも無く与えていた。
自分という大きな爆弾を抱えたことで、ヘスティア・ファミリアの進む未来は決して楽な道ではないだろう。しかし、何があろうと両の掌にあるものだけは護るとウルキオラは誓った。
三人は歩む。
あらゆる種族が生を謳歌するオラリオ──世界の中心を。
これは独りの空虚な化物が独りぼっちの神様と出会い、そこに独りとなった少年が加わって始まった家族の──
「ウルが罪に問われた……本当の理由……」
「そうや。それを餌にしてフレイヤから情報を引き出したる」
「本気、のようだね」
「うちらは知らなければあかん。ウルに何があったのか──ウルとウルキオラ・シファーの関係を」
「呆けてないで早く帰りましょう、オッタル」
「お、お待ちください、フレイヤ様」
捨てようにも捨てられない、切ろうにも切れない繋がりを持った者達。
新しい絆を得るため動き出した者達をも巻き込んだ──
──“
そして、胸に空いた孔を埋めようとするウルキオラ・シファーが光り輝くこの新しい世界で紡ぐ物語。
ウルキオラは満面の笑みで話しかけてくる二人と繋いだ手が離れないよう強く握る。
「そうだ! 良いこと思いついちゃったぜ! ベル君手を」
ベルの伸ばした手をヘスティアが握る。
「ほら! これで三人が繋がったよ!」
ウルキオラとヘスティア。
ヘスティアとベル。
ベルとウルキオラ。
一つ一つの点の間に線が描かれる。
掌で結ばれた絆は、どんな名剣でも傷がつかないような強固さを持っているように感じた。
きっとそうだ。これこそが魅せられ求め続けたもの。
やっとこさ一章最終話まで辿りつけました。これも読んでいただける皆様のお陰です。
感謝しかありません。ありがとうございます。
あとがきの最後にちょっとした台本形式のものを書いておりますのでよかったらどうぞ。
一応補足です。
この小説では、ベート君とアイズたんは距離が原作よりも近いので敬語を使っておりません。
やたら出てくるウルさんが幻視した半透明の物体が折り重なった山というのは、公式キャラクターブックスにある、ウルさんの虚時代の話からです。
この話はウルさんの根っこのような話なので、いずれガッツリやると思います。
キャラ崩壊待ったなしの内容です。ツッコミは無しで。最近真面目なことを書きすぎたので。ではどぞ
本編後 街中で
ヘスティア「そうだ、ウルキオラ君。ここで少しベル君と待っていてくれよ」
ウルキオラ「? ああ」
タッタッタッタ
ヘス「お腹空いているだろうと思って。はい、新発売の“ジャガ丸くん抹茶クリーム味スパイシービネガー風”だよ!」
ウル「なん……だと……」
ヘス「あ、お腹いっぱいだからボクの分も食べてくれていいよ」
ウル「なん…………だと……」
ベル「僕もさっき食事をしたばっかりですからウルキオラさん全部どうぞ」
ウル「なん…………だと……?!」
フレイヤ・ファミリア
女神の戦車「待て! 何故列に加わろうとしてやがる」
猛者「……俺はまだ、この撫で撫での列には一度も入ってない筈だが?」
女神の「白々しい。この“撫で撫での会”が始まる前に一人フレイヤ様に撫で撫でしてもらったんだろうが」
猛者「だが、それはこの“撫で撫で祭り”とは関係のない話だ」
女神の「フレイヤ様に撫で撫でをしてもらったのには変わらねえっつてんだよ」
猛者「男の嫉妬は見苦しいぞ。気持ちは分かるがな。フレイヤ様の撫で撫で。あれは確かにいいものだ」
炎金の四騎士 一「どうやら」
炎金の四騎士 二「状況を理解できない者が」
炎金の四騎士 三「二人もいるようだ」
炎金の四騎士 四「な」
猛者 女神の『何?』
炎金 一「気付いてないようだから」
炎金 二「教える。二人がフレイヤ様に」
炎金 三「撫で撫でされている姿」
炎金 四「は──」
猛者 女神の「ゴクリ」
炎金 一「絵的に」
炎金 二「ものすごく」
炎金 三「アウト」
炎金 四「だ」
炎金 一「だから」
炎金 二「ここは」
炎金 三「我々」
炎金 四「が」
猛者 女神の『貴様ァッ!! 表に出ろ!』
フレイヤ「あらあら。うふふふ」
お付き合い頂きありがとうございました。