この掌にあるもの   作:実験場

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プロローグ 空っぽの掌

「ウル?」

 

 無数の塔集合体であるロキ・ファミリアの本拠地『黄昏の館』。

 

 塔の合間にある中庭を、頬を撫でる冷たい夜風に翡翠色の髪を揺らしながら歩いていたリヴェリアは、芝生に一人座っていた青年に気付き声を掛けた。青年は声を掛けられて気付いたようで、少しばかり驚いた様子だったが瞬時に外面を取り繕いリヴェリアへ顔を向ける。

 他の団員には分からない僅かな表情の変化だったが、長年一緒に暮らしてきたリヴェリアは青年の心の機微を感じ、普段とはかけ離れた姿が見れた事に少し機嫌を上昇させながら青年──ウルキオラへと近づいていき隣へと腰を下ろした。

 

「星を見ていたのか?」

 

 質問に短く「ああ」と肯定し再び空を見上げたウルキオラに倣いリヴェリアも空を見上げる。雲一つ無い漆黒の夜空には星が競い合うように輝いていた。

 

 

 暫くの間、ウルキオラと一緒に夜空を眺めていたリヴェリアだったが何気なく今の状況を分析する。

 

 夜。星空の下。二人きり。

 

 ……これはチャンスではないだろうか?

 

 衝撃の事実で速くなった鼓動を胸に更に思考を加速させていく。

 もう夜も遅い時間だ。団員達は自室に居るか寝ているだろう。最大の障害である駄……ロキも飲んだくれているか、酔いつぶれて寝ているはずだ。……つまり邪魔は入らない。

 そう結論付けたリヴェリアは、これからすべき行動について考え始めた。

 

 駄女……ロキなら迷うことなく押し倒す。現に何度も襲い掛かっているから間違い無いだろう。その都度、皆から制裁を受けているが全く懲りていない。こんな美味しい状況なら、ためらいなく飛びかかるだろう。本当に駄女神だ。

 だが、リヴェリア・リヨス・アールヴはエルフの王族出身だ。駄女神(ロキ)の様な、ふしだらな真似は出来る訳がない。淑女だからだ。ならばと天啓が降りてきたように閃いた行動を実行した。

 

 リヴェリアは静かに隣のウルキオラに身を寄せ、ゆっくりと体重を預けていく。心臓が早鐘を打つなか頭をウルキオラの肩に、そっともたれ掛からせ、上目遣いで中性的で少し幼さを残した顔を見上げた。

 

 交わる視線と視線。

 

 リヴェリアは羞恥、期待、様々な感情が入り混じり潤んできた瞳を閉じる。

 

 視界を閉じながらも気配でウルキオラの顔が近づいて来るのを感じ血液が沸騰したと錯覚するほど身体中が熱くなった。

 

 頭の中では、これからの二人が歩む幸せな未来が無限に広がっていく。

 

 

 

「眠いのか?」

 

 ぶち壊された。

 

「眠いのなら早く部屋に戻った方がいい」

 

 更に追撃してくるウルキオラにリヴェリアは戦慄する。

 

 だが、リヴェリア・リヨス・アールヴはエルフの王族出身で、ロキ・ファミリアの副団長で、冒険者だ。折れそうになる心を必死で保たせる。今の空気も必死に保たせる。

 

「ウル……」

 

 この好機を逃してなるものかという女の執念なのか、いつものリヴェリアからは到底聞くことの出来ない甘えるような囁きが口から漏れた。

 密着するほど身を寄せ、瞳に映る互いの顔が、はっきりと見えるまで顔を近づける。このチャンスを決定的なものにすべく言葉の続きを紡ごうと口を開いた。

 

 

「寒いのか、リヴェリア?」

 

「リアだ。リアと呼べ」

 

 命令だった。まごうこと無き命令だった。

 反射的に口から出たのは先程の甘える声色が嘘のような冷たい声だった。

 

 もう其処には甘酸っぱい空間など存在していなかった。

 

 

 寄せていた身を離しムードも何も無い奴めとウルキオラからしてみれば理不尽極まりない事を思いつつ睨みつける。

 何故睨まれているのか分からないのか、此方の様子をうかがっていたウルキオラだが、やがてここは大人しく従った方が良いと判断したのか一つ溜め息をついた。

 

「……リア。これでいいか?」

 

 『リア』とはウルキオラだけが呼んでいるリヴェリアの愛称。幼い頃『リヴェリア』という名前が難しくて呼ぶ事が出来なかったウルキオラの為に、仕方なく妥協して簡単に呼べるようにと教えた略称だ。

 その事実を伝えられ、名前も碌に呼べなかった未熟な子供時代が体裁悪く感じるのか、ウルキオラは成長するにつれ段々とこの名前を呼ぶ回数が減ってきていた。

 

 実際はロキ、フィン、ガレスと次々に名前が呼ばれるなか、一向に自分の名前を口に出す気配が無い状況に嫉妬と焦りを全開にしたリヴェリアが一刻も早く呼んでもらう為に、そして自分だけ特別に愛称を呼ばれる光景という打算の元教え込んだのが真実。完璧に私欲だ。ウルキオラは悪くない。

 

 久し振りに愛称を聞けて溜飲を下げたリヴェリアは、急降下だった機嫌を上向きに修正させ、姿を見た時から気になっている星を見ていた理由を問いかけた。

 

「星の輝く姿を覚えておきたくてな」

 

「らしくないな。急にどうした?」

 

「俺らしくない……か」

 

 リヴェリアから視線を外しウルキオラは何処か寂しそうに呟くと再び空を見上げる。

 

「……俺は星の在り方に嫉妬している」

 

「星に?」

 

「ああ。星はその光を闇に鎖されず、己の存在を誇示するかのように光り輝いている。一瞬たりとも闇に飲み込まれ消えることなく……。星に寿命があるのかは知らないが、きっと最期の瞬間まで眩しく輝き続けるのだろう。──自分は此処にいると」

 

 右手を決して届かない星に伸ばしながらウルキオラは言葉を続ける。

 

「俺は……それが酷く羨ましい」

 

 静かな声だったが、それは叫びだった。

 淡々としていたが、それは嘆きだった。

 

 一言一言にどれだけの想いが込められていたのか、ウルキオラが何を恐れ何に苦しんでいるのかリヴェリアには想像もつかない。その事実に身を引き裂かれそうになる。だが、それでも伝えられる事があるとリヴェリアは力無く下ろされた手に自らの手を重ねる。

 

「私の体温を感じるか?」

 

 重ねた手の下にある傷一つ無い真っ白な手を優しく握る。

 

「私は掌にウルの暖かい体温を感じている」

 

 少しでも自分の体温を感じてもらえるようにと。

 

「大丈夫だ」

 

 少しでもウルキオラの不安を取り除く力になるように。

 

「ウルは確かに此処にいる」

 

 リヴェリアは想いを口にした。

 

 

 

 リヴェリアの想いが通じたのかは分からない。だが──。

 

「ありがとう。リア」

 

 ウルキオラは薄くだが確かに微笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

「リヴェリア」

 

 戦場の方向を見ながら、いつの間にか昔を思い出していたリヴェリアはフィンの呼び掛けに意識を戻す。

 

「作業は終わった。皆も集合を始めている。僕達も行こう。」

 

「ウルを……置いていくのか?」

 

「……僕はロキ・ファミリアの団長で君は副団長だ。私情で動き団員を危険な目に遭わせる訳にはいかない」

 

 分かりきっていた答えだ。団員全員の命を背負っているのだから。集合場所へと歩き出したフィンを追い歩き出す。この選択が最善だと自分の心に言い聞かせながら……。

 

 

 リヴェリア、ガレスに挟まれる形でフィンは集合してくる団員達が揃うのを静かに待っていた。

 作業を終え集まった者から、緩慢な動き無く素早く指示された通りに隊列を組んでいく様は、流石は遠征に選ばれた者達だと言えるだろう。

 

 その様子を見ていたフィンは疑問に思う。先程までの沈鬱な空気は感じられず、其処には万全とまではいかないが闘志、覇気といったものが若い団員達に戻ってきていたからだ。逆にアイズ達第一級冒険者達の方が、まだ引き摺っているのか表情は暗い。

 アイズ達も命令が下れば感情は別として割り切って闘ってくれるだろう。内心ですまないと謝罪しながらも若い団員達への懸念が消えたことに安堵したフィンは、出発準備が完了したのを見て取り四十九階層へ向かう旨を全員に伝える。

 

 心に刺さる棘を必死に無視して。

 

「揃ったようだね。時間もない。直ぐに四十九階──」

 

 だがその指示は。

 

 

 

 

「戻るっすよ、団長。」

 

 思わぬ形で止められた。

 

「……ラウル?」

 

 誰もが驚いて団長の言葉を遮った発言者に視線を向けるなか、フィンは視線の中心である青年の名前を思わず口にした。

 

「このまま逃げたら二度とウルキオラさんの前に立つ事は出来ないっすよ。それで良いんすか? ……撤退しては駄目っす。」

 

 驚きで時が止まっていた場が動き出す。現実を突き付けられて。考えないようにしていた事を白日の下に曝されて。ウルキオラと関係の薄い団員達にはそこまででは無かったが、アイズ達は完全に動揺していた。

 

「命令だ! 四十九階層へと向かう! 出発するぞ!」

 

 これ以上の動揺を防ぐ為、ラウルに話を続けさせないよう声を高らかに上げ出発の命令を出す。

 しかし、ラウルは止まらない。フィンの碧眼を真っ直ぐに見据え言葉を続ける。

 

「また拒絶されるのが怖いんすか?」

 

 

 

 ──……やめろ。

 

「五十階層まで来れるようになったのも何度も失敗と挑戦を重ねたからじゃないっすか」

 

 ──やめろ。

 

「一度や二度拒絶されただけで諦めるのが自分達“冒険者”っすか?」

 

 ──やめろ!

 

「黙れ!!」

 

「黙らないっす!! 団長や副団長達が辛そうに撤退する姿は嫌っす! 見たくないっす! 間違っているっす!」

 

 ──これ以上決心を鈍らせないでくれ。

 

「団長は……フィン・ディムナは本当はどうしたいんすか!!」

 

 ──鈍らせないでくれ……。

 

「これが最善なんだ」

 

「確かに皆の命は助かるっす! でも……それでは団長達の心が救われないっ!!!」

 

「僕達の私情で皆を死なせる訳にはいかない!」

 

「私情じゃないっすよ。団長もウルキオラさんも同じ家族(ファミリア)っす。これはロキ・ファミリア全体の事っす。それに何で死ぬのが前提にあるんすか? 失敗を前提にし、それを恐れて撤退する。それが“冒険者”すか!! そんな姿のどこが迷宮都市最大派閥(ロキ・ファミリア)っすか!!!」

 

『──!!』

 

 誰もが息を呑んで二人の遣り取りを見守っている。フィンの言っている事は正論だ。間違っていない。団長として何よりも命を優先させ撤退という選択を取った。一方のラウルは子供じみた感情論。フィン達の心を救いたいという想いだけだ。合理性などは存在しない。

 しかし、若さゆえの直情とは眩しいもの。年齢を重ね立場がある者には放てない光。そして、時として正論よりも感情をぶつける方が人々の心を打つ。

 

「クソがぁ! ああ、そうだ。こんなのは俺らしくねぇ。俺達らしくねぇ! 俺はあの野郎の所へ行くぜ。野郎のすました面に一発ぶち込まないと気がすまねぇ!」

 

「あたしも! 一発キツいのお見舞いしてやるんだから」

 

 ラウルの言葉に触発されたのかベートが吠えるとティオナが続いた。いつもの通り好戦的に快活に。

 

「私も……行く」

 

「お! アイズも一発かましちゃう?」

 

「殴るのは……でも、もう置いていかれたく、ない」

 

「なら、儂も便乗しようかのう」

 

「ガレス?!」

 

 フィンの驚きを横目にガレスは三人へと近づいていく。

 

「ガレスも一緒にぶっ飛ばしちゃう?」

 

 しゅっ、しゅっと拳を前に繰り出しながら問いかけてくるティオナに笑みを強める。

 

「いいや。儂は、この二本の腕で困った馬鹿息子を反省するまで、しっかりと抱きしめるだけじゃ」

 

 厚い筋肉に覆われた腕を広げそう答えるとガレスは豪快に笑った。

 

「すまない……私もウルと離れるのは、もう……」

 

 責任者感と生真面目さからかリヴェリアの声にも決断を口に出来ないフィンにガレスは困ったように頭を掻いた。

 

「ああまで若者に言わせてしまうとは、儂らは組織を預かる立場に馴れすぎてしまったようだのう」

 

「ガレス……」

 

 此方に顔を向けたフィンにガレスは驚くほど穏やかな優しい声色で告げる。

 

「──フィン。団長ではなく家族としての言葉を皆は待っておるんじゃ」

 

「私は団長が何を決断しても着いて行きます」

 

 ティオネも自らの想いを口にする。それぞれがロキ・ファミリアの幹部としてではない個人としての心の内を吐き出していた。

 

「それでも……危険だと分かっておきながら……」

 

「き、危険は承知しています」

 

 苦渋に満ちたフィンの消え入りそうな呟きを、サポーターの役割でついて来たヒューマンの少女、リーネの緊張で震えた声が止める。

 リーネは落ち着く為に深呼吸を一度すると言葉を続けた。

 

「ですが、私達もウルキオラさんの所へ行きたい気持ちは一緒です。私達サポーターを置いて向かえないのも女体形モンスターのようなイレギュラーがあるかもしれないからですよね? ……先程、ラウルさんが一人一人に意志の確認をしていました。危険だがどうするかと。私達の為に団長達が気持ちを押し殺してしまうのは、やっぱり嫌です。ですから、私達も一緒に行きます! それに……」

 

 そこまで言うとリーネは言葉を一旦止め、その顔に可憐な笑顔を咲かせた。

 

「ロキ・ファミリアは今までも一丸となって苦難を乗り越えてきたじゃないですか」

 

 全員の視線がフィンの小さな身体に集中する。何故なら、この場に居る者で心中を吐露していないのは、フィンただ一人だからだ。全ての者がフィンの言葉を今か今かと待っている。

 

 

 

 

 

「僕は……」

 

 

 

 

「──僕はウルの所へ行きたい。拒絶されるかもしれない。それでも、何もしないでウルがいなくなるのは、もう絶対に御免だ」

 

 フィンは団員達を見渡し頭を下げる。

 

「皆、協力してくれ!」

 

『はい!!』

 

 ずっと押し込めていた団長の願いに割れんばかりの肯定の意が草原地帯に轟く。

 

「ありがとう。皆」

 

 フィンは感謝を述べると腹に大きく息を吸い込む。表情には迷いなど無い。団員達の声に負けじとばかりに声を張り上げ号令を掛ける。

 

「我々は、これからウルの戦っている戦場へと向かう! 出発するぞ!!」

 

 

 だが、ロキ・ファミリア全体の想いは、フィンの声が響いたと同時に戦場の方向で起こった大爆発によってかき消された。

 

 翠色の光が半球体状を形作り周囲一帯を吹き飛ばしていく。女体形モンスターの爆発を想定し十分な距離をとった場所にさえ届いてくる爆風と衝撃。規格外の大爆発の余波に、誰もが腕で目を覆うなかアイズが風を召喚し爆心地へと飛び出した。

 

 爆心地に着いたアイズは絶句する。大地が底が見えない程、深く大きく抉れていたからだ。だがそれも一瞬。直ぐにウルキオラを探すため動き始める。首を振り辺りを見回すが姿は確認出来なかった。

 

 また、置いていかれた……。

 

 絶望的な気持ちが心を支配し、その場に立ち竦んでしまう。

 

「諦めたら駄目だ」

 

 遅れて到着したフィンの凛とした声に振り返る。

 

「探し出そう。何処にいようと必ず。だって……ウルは大切な家族だからね」

 

 アイズはこの日、新たな誓いを胸に刻んだ。

 

「──うん」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ロキ・ファミリアが向かった四十九階層への道とは逆の位置にある森林でウルキオラは切り株に座り身体を休めていた。

 

「……力を使い過ぎたか」

 

 頭部にあった白い仮面の名残も両眼の下にあった紋様も消えた姿で、右手の掌を見つめ忌々しそうに呟く。

 

 

 ───怖くないよ。

 

 

 声が聞こえた気がした。

 

 懐かしい声が。

 

 今では聞くことが出来ない声が。

 

 初めて興味を持った人間の少女の声が……。

 

 

 掌を見続ける。

 

 あの時、届かなかった掌を

 

 何も無い空っぽの掌を──。

 

 

 やがてウルキオラは立ち上がり歩き出す。自分が雇い十八階層に置いてきた、小うるさい小人族(パルゥム)の少女を拾い本拠地へと戻るために。自身と同じ黒い髪を頭部の左右で結んだ少女のような女神と、まだ数度しか会っていない雪のように白い髪をした少年の待つ廃教会へと。

 

 

 ──そして。

 

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 

「だぁああああああああ!?」

 

 

 物語が始まる──。

      

   




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