この掌にあるもの   作:実験場

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第一章 光り輝くこの新しい世界で
第一話 白兎は跳ねる


 それは 何だ。

 

 

 その胸を引き裂けばその中に視えるのか?

 

 その頭蓋を砕けばその中に視えるのか?

 

 貴様ら人間は容易くそれを口にする。

 

 まるで自らの掌の上にあるかのように───

 

 

 

 

 

 

 雲の無い空が姿を隠した太陽を名残惜しむように、その身を茜色に染める黄昏時。街の外れにある小高い丘に、長い影を地に落としながら二人の人物が対峙している。

 片方はフードを目深に被り全身を覆い隠すローブのせいで、顔はおろか体格も見て取れないため性別すら不明の人物。

 もう一方の人物は艶のある黒髪を左右の頭部でそれぞれ結び、普段であれば整っているだろう幼さの残る丸い顔は、今は気まずそうに容貌を崩していた。

 

「ご、ごめんよ。覗く気は無かったんだ!」

 

 少女は頭を下げ謝罪するが、何も反応が返って来ない事にますます焦りが込み上げ、どうにか説明しようと沈黙を保っているローブの人物に話しかける。

 

「あ、えっと、ボクの名前はヘスティア。今、ファミリアの勧誘をやっていてだね、それが上手くいかなくて、それで此処に、うん、その……えー、良かったら……」

 

 ヘスティアと名乗った少女はローブの人物の醸し出す雰囲気にあてられ、しどろもどろになりながらも、この場所には偶然来て覗く気は本当に無かったと伝えようとするが、口から出る言葉はいつの間にか勧誘へと変わっていく。

 

 何をやっているんだボクは。まずは謝罪だろ、と混乱状態の頭を落ち着かせ、ヘスティアは今度こそと気合いを入れ直しローブの人物に視線を戻した。

 

 その時、一陣の風が吹きフードが捲りあがりローブの人物の顔が露わになるとヘスティアは瞠目してしまう。

 何もかも塗り潰すような黒い髪。冷たさを感じさせる翠の瞳。透き通るほど白い肌。

 

「あ……」

 

 ヘスティアは目の前の存在に思わず釘付けになった。最近まで友神の所に引きこもっていた自分でさえ知っている人物。

 嘗てオラリオを追放された『大罪人』。

 だが、その後の世界各地での功績によって帰還を許された『英雄』とも呼ばれる男。

 オラリオを追放された罪状は数多くの冒険者殺し。

 そして───

 

 

 

 

 

 

 

 神殺し。

 

 

 

 ───これは始まりの記憶。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 迷宮都市オラリオ。

 

 ダンジョンと呼ばれる地下迷宮の上に築き上げられた、都市、ひいてはダンジョンを管理するギルドを中核にして栄える大陸屈指の巨大都市。ダンジョンの真上に築かれた、遠方からでも視認出来るほどの高さを誇る摩天楼施設『バベル』を中心とし八本の大通りが放射状に街を囲う城壁まで伸びている。

 大通りの道端には、沢山の露店の店主達が活気溢れる声で接客や道行く人々へ呼び込みをしており、声を掛けられる方もドワーフ、エルフ、ヒューマンなど様々な種族で、軽装の市民達もいれば重々しい装備を身に纏った冒険者達もいた。

 

 そんな賑やかで平和な昼下がりだったが、一人の少年が大通りの喧騒の中を駆け抜けて行くと不思議と静かになっていった。

 井戸端会議をしていた主婦が、露店で商品を値切っていた冒険者が、二人の世界を作り周囲から射殺さんばかりの視線をぶつけられていた恋人達ですらも会話を止め、驚いて少年に注目していた。

 当の本人は視線に気づいていないのか、真っ直ぐ正面だけを見て速度を緩めることなく走り続けている。

 

 

 

 

 ……全身を真っ赤な血色に染めて。

 

 服に大きく破れている部分は無いので自身の血ではなく返り血なのだろう。物騒な話だが、ある程度腕の立つ冒険者なら、あんな大量の返り血を頭から被るなど殆どない。だとしたら、未熟な冒険者が頭から返り血を浴びたままの姿でこの天下の往来を走っている。その己の恥を晒すかのような間抜けな光景に段々と笑いが起こり始めていく。

 しかし少年は笑い声を気にしていないのか、はたまた気づいていないのか、ただ一心不乱に前だけを見て走り続ける。

 

 何が彼をそうまでさせるのか?

 

 仇敵を発見した憎しみから?──否

 

 命を狙う敵から逃げる恐怖のため?──否

 

 それは───

 

 

 

 

 恋に落ちたからだ。

 

 

 

 

 

 

「エイナさぁああああんっ!」

 

 ギルドに到着し扉を威勢良く開けた少年は、目的の人物を見つけると名前を呼び、直ぐに気づいてもらえるよう片手を挙げ大きく振りながら駆け寄る。

 

 ギルドの受付嬢、ハーフエルフのエイナ・チュールは自分の名前を呼ぶ声に顔を上げた。ほっそりと尖った耳にエメラルドの瞳。セミロングのブラウンの髪は光沢に溢れている。眼鏡が理知的な雰囲気を醸し出し、親しみやすい人柄と美しい容姿で男性の冒険者達から人気のある彼女は、名前を呼ぶ声の主を察すると自らも声を掛けるべく声の方向に振り向いた。

 

「きゃあああああっ!」

 

「うわあああああっ!」

 

 少年の血だらけの姿に驚いたエイナの悲鳴と、エイナの悲鳴に驚いた少年の悲鳴がまるで二重唱のようにギルド内にこだまする。

 

 

 少年はめちゃめちゃ怒られた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 ギルドのロビーに設けられた小さな一室で、少年──ベル・クラネルは血だらけだった事を散々怒られた後、エイナに此処へ来た目的を話していた。

 先程までの真っ赤な血色が嘘のような雪のように白い髪に深紅の瞳。まだ、あどけなさの残る顔が百面相しながらダンジョン内の出来事を伝えていく。

 

 その行いが一度鎮火しかけた炎に油をどんどん注いでいるとはつゆ知らず。

 

「へー、駆け出しのベル君はアドバイザーの私の言いつけを守らずに下りた五階層でミノタウロスに遭遇。そこをアイズ・ヴァレンシュタイン氏に助けられたけど恥ずかしくなって、お礼も言わずに逃げてきちゃったと」

 

 エイナは笑みを浮かべてベルの語った内容を確認した。

 

 

 目は笑っていないが。

 

「はい。ですからヴァレンシュタインさんの情報を教えて貰おうと……」

 

「ベル君。私が、いつも口を酸っぱくして言ってる事覚えてるかな?」

 

 少し前のめりの姿勢になりベルの話を遮ったエイナは笑顔と親が子供に話しかけるような優しい声で尋ねる。

 

 

 目は一切笑っていないが。

 

 

 あ……これ怒られるパターンだ。

 ここにきて漸く気付いたベルだったが悲しいかな後の祭り。目の前の火山は噴火寸前。弱冠14才の身では、それを鎮める方法など思いつきはしない。喉をごくりと鳴らし、冷や汗をかきながら馬鹿正直に答えた。

 

「ぼ……『冒険者は冒険しちゃいけない』です、よね?」

 

「──そうよ!! ただでさえ単独(ソロ)で危険なのに不用意に下層へ行くなんて! 今回は偶々助かったのよ!! 分かってる?!」

 

 噴火した荒れ狂う火山を前に出来た行動は、頭が取れるほど勢いよく何度も下げ謝罪することだけだった。

 自身の油断や慢心で言いつけられていた二階層から一気に五階層へ下り、エイナに心配をかけてしまったベルの心は申し訳なさで一杯になっていく。

 

「ダンジョンでは、さっきまで笑いあっていた隣の人が、次の瞬間には命を落とすケースだってあるのよ!」

 

 エイナの頭には、脳裏に刻まれた光景が次々に走馬灯のように駆け巡っていた。

 

 四肢の一部を失い絶望の表情を浮かべた冒険者。

 仲間の犠牲で助かったと泣きながら帰還した冒険者。

 笑顔でダンジョンに向かい、そのまま帰って来なかった冒険者。

 

 そんな残酷な光景をギルドのアドバイザーとして、エイナ・チュール個人として少しでも減らしたかった。だからエイナは、誰であろうと煩わしく思われようが本気で怒り注意する。

 

 人が何事もなく無事に帰って来ることに勝るものは無いのだから。 

 

「す、すみませんでした!」

 

 ベルの嘘偽りの無い謝罪が通じたのか、エイナは息を一つ吐くと前のめりだった姿勢を戻した。

 

「ベル君。若い時って無鉄砲になりがちなの。口うるさく感じるかもしれないけど、それを諫めるのは私達大人の役割。……無茶は本当にダメよ。」

 

「はい。二度と忘れないと誓います」

 

 本心からの返答に満足したエイナはベルの額を人差し指でちょんと押し「よろしい」と微笑み、ベルが此処へ来た本来の目的の方へと話を移す。

 

「それで、アイズ・ヴァレンシュタイン氏の情報なんだけど……。もしかしてベル君、ヴァレンシュタイン氏を好きになっちゃったの?」

 

「うえぇ!? 何で分かっちゃうんですか?!」

 

「そりゃ、わかるわよ……」

 

「うぅぅ……」

 

「んー、でも私が教えられるのはベル君も知ってる公然となっていることぐらいよ?」

 

 ものの見事に言い当てられ顔を真っ赤に染め俯いたベルから視線を外し、自分では何も役に立てない事を告げる。

 

「そ、そこをなんとか!」

 

「だーめ! 規則は規則なんだから」

 

「そんなぁ。……そうだ、ひょっとしてウルキ──」

 

「ん?」

 

「あ、いえ! 何でもありません! か、帰りますね」

 

 何かを言いかけ慌てて口を塞いだベルを怪訝に思いながらも、ギルドの出口まで着いていったエイナは前途多難な恋を抱いてしまった事にギルド職員としてではなく、一人の知人として何かかけれる言葉はないかと考えを巡らせた。

 

「その、色々と問題があって大変だと思うけど、諦めず頑張ればもしかしたら、ヴァレンシュタイン氏も振り向いてくれるかもよ?」

 

 口から出た月並みで簡単な言葉に、嬉しそうに笑い駆け出していく背中を見送っていたエイナだったが、突然立ち止まり振り返ったベルに何事かと首を傾げる。

 

「ありがとぉー! エイナさん大好きー!」

 

 

 大声で聞こえてきた突然の不意打ちに、エイナは顔を真っ赤にし魚のように口をぱくぱくと開け閉めする事しか出来なかった。

 


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