この掌にあるもの   作:実験場

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第三話 月は沈み陽が昇る

 廃教会の地下にある小部屋が、数あるファミリアの中でも底辺と呼ばれる分類に位置するヘスティア・ファミリアのホームだ。

 壁や天井には建物の歴史を感じさせる傷跡が多く見られ三人で暮らすには少々手狭な広さだったが、床にゴミは落ちていないなど清掃は行き届き、整理整頓もしっかりとされていた。

 なかでも目を引くのが家具で、古い地下室には不釣り合いな真新しい家具が部屋の所々に配置されている。

 

 そんな、古さと新しさが入り混じった部屋にある新調されたであろうソファーにヘスティアは座り、ベルの話を聞きながら時折隣にいるウルキオラの様子を窺っていた。

 別にベルを蔑ろにしている訳ではない。ウルキオラが帰ってくる前に聞いた話と同じだったため、話の内容よりもウルキオラの反応が気になるからだ。

 

 照れからか、つっかえながらも遠回しに話される内容は要約すると『アイズ・ヴァレンシュタインに一目惚れをしてしまったので何か知っていることがあったら教えて欲しい』だ。

 頬を桜色に染め、もじもじと尋ねる初な姿に可愛いと感想を抱くが、それに対するウルキオラの対応が容易に予想出来たヘスティアは、同情の視線をベルに送る。

 

「下らん」

 

 ──あちゃー、やっぱり。ヘスティアはウルキオラの想像通りの反応に思わず額に手をやった。

 

「そんな暇があるなら少しでも強くなるために頭を使えガキ。自分すら守れん愚図が」

 

「うぅ、す、すみません」

 

 ささやかな希望を一刀両断する返答に深紅(ルベライト)の瞳を涙で滲ませ謝罪するベル。

 

 他のファミリア、しかもロキ・ファミリアの人間への恋を応援するなど、本当に全く持って不本意だが、これ以上ベルが落ち込むのを見たくなかったヘスティアは、自身の感情をなんとか押さえ込み助け船を出す。

 

「あー、ウルキオラ君も知っていることがあれば、少し位は教えて上げても良いんじゃないかな?」

 

「時間の無駄だ」

 

 船は泥船で直ぐに沈没したが。

 

 ウルキオラのまるで劇場の役者のように洗練された動きで優雅に紅茶を飲む姿は、これ以上何も話すつもりはないと暗に告げていた。

 

「……ゴメンね、ボクでも無理みたいだ。でも、ウルキオラ君の言ってることは尤もだよ。現に今日だって死にかけたんだから。まあ、今は忘れて先ずは身を守れるようになるのを優先しなよ。どの道ファミリアの違うヴァレン某とは結婚出来ないんだし」

 

 普通、何処かのファミリアに所属している者は、同じファミリア内か無所属の異性と結婚する。違うファミリアの相手と結婚すると子供がどちらの所属になるのかという問題等、ファミリア間の交流に様々な支障をきたす可能性があるからだ。

 

 其処まで言っても全く諦める意志の見えないベルの表情。

 

 自分のことを大切に思ってくれているのは分かる。ちゃんと伝わっている。

 けれども、諦めるように言ったのにそれを聞き入れないなんて、まるでボクよりその娘を選んだようじゃないか。

 ヘスティアの心に沸々と、ある感情が湧き上がっていく。──嫉妬だ。

 

 まだヘスティア・ファミリアに加入して二週間程度だがベルの人となりは分かっている。

 純朴な田舎の少年。

 裏表なく、良くも悪くも真っ直ぐで人を疑う事を知らない。無知故に失敗する時もあるが、何というか保護欲をそそられるのだ。今時珍しい純粋さもそれに拍車をかけている。

 

 そんな幼子のような可愛いベルが恋をした。しかも他のファミリア。よりにもよってロキ・ファミリアの女性に。

 

 ──ベル君が取られた。

 

 その答えに行き着くと押さえていたヘスティアの嫉妬が爆発した。

 

「うぅぅ、うがーーー!! ロキの奴め、ボクの可愛いベル君を誑かすなんて一体どういう了見だい! 人の子供に手を出すなんて許せないよ! ……これはボクに対する宣戦布告だな。よーし、受けて立ってやる! もし、ボクの子供だと知らなくても世の中には知らなかったで済まない事があるのを教えてやるぞ!!」

 

 余程、ロキとは馬が合わないのだろう。ぐぎぎと歯を食いしばり地団駄を踏むヘスティアの頭の中では、何時の間にかアイズではなくロキが誑かしたことになっていた。

 

 

 

 しかし、ヘスティアは知らない。ヘスティアの爆発を我関せずで紅茶を飲んでいるウルキオラが元ロキ・ファミリア所属で、尚且つロキの一番のお気に入りだったというのを。全ての言葉がブーメランのように己に返ってきていることを。

 

 

 未だ口を尖らせロキへの呪詛を吐くヘスティアを宥めながら、何か落ち着かせる方法は無いものかと、さまよわせたベルの視線がテーブルの上で止まる。テーブルにはヘスティアがバイト先から貰ってきた大量のじゃが丸君が置いてあった。

 

「神様! そろそろ夕食にしませんか? 今日はウルキオラさんも戻ってきているので、久し振りに三人での食事ですよ!」

 

 ベルの提案はヘスティアの気分を一転させた。

 青色の瞳を太陽の光が反射して輝く夏の海のように煌めかせ、口からは「おおぉ…」と言葉にならない声が漏れている。先程まで固く握られ振り回されていた拳は解かれ感激と興奮からか小刻みに震えていた。

 三人での食事。それはヘスティアにとっての殺し文句だった。

 

 ヘスティアは眷族が居ない間、独りで食事をとっていた。偶に友神と飲みに出掛けてはいたが、しがないバイトの身。働いて得られる賃金も微々たるもので、大抵はこの廃教会の地下、古ぼけた小部屋で独り食事をしていた。

 本来、食事とは楽しいものだろう。ヘスティアもそう思っていたが独りになったことで、それが間違いだと気づかされてしまった。

 静かで冷たい地下室の空気の中、耳に入ってくるのは己の鳴らす食器の音と咀嚼音だけ。

 

 誰かと一緒に食べるからこそ楽しいのであって、ホームで独り食べる時間はヘスティアにとって苦痛でしかなかった。堪らなく嫌な時間だった。

 

 だが、ウルキオラとの出会いを果たした事によって、その時間は終わりを迎える。ウルキオラは口数こそ少ないが、必ず食事の時間にはホームへと戻り一緒に過ごしてくれた。ベルがやってきてからは、ファミリアの稼ぎの為にダンジョンに潜り何日も帰らない時もあるが、今度はベルが一緒に食事をしてくれる。

 

 ヘスティアは昔以上に食事の時間が好きになった。

 しかも、今日はベルの加入以来久し振りの三人だ。ベルの一言で機嫌が好転するのも無理はない。

 気分を良くしたヘスティアに、これを好機とみたベルが、とどめとばかりに畳かける。

 

「折角の食事が、じゃが丸君だけだと寂しいので、買い出しに行って腕によりをかけて作りますね!」

 

「おおー! なんて、なんて今日は素晴らしい日なんだい!! なら申し訳ないけどお願いしても良いかい?」

 

「はい! 神様もウルキオラさんも、ステイタスの更新がありますし」

 

「え? あぁ、うん。今のうちにやっておくよ。豪勢な食事を期待してるぜ!!」

 

「……が、頑張ります」

 

 お金を受け取り出て行くベルを扉まで見送ったヘスティアの背中にウルキオラの視線が刺さる。

 

「まだ、あのガキには言ってなかったのか?」

 

「……ベル君は純粋で正直だからね。これ以上隠し事が増えると負担になると思ったから、君に『神の恩恵(ファルナ)』が無いことは言ってないんだよ」

 

 ウルキオラの問いかけにヘスティアはバツの悪そうな顔で答えた。ベルに伝えていない理由は言った通りなのだが、同じファミリアの者に隠し事をしているという事実が胸を締め付ける。

 ヘスティアは落ち込みそうになる心を立て直すように息を一つ吐いた。

 

「それにしても『神の恩恵』を弾くなんて、本当にウルキオラ君は色々と規格外だね……」

 

 『神の恩恵』とは神々の使う神聖文字を、対象の背中に神血を媒介にして刻むことで能力を引き上げる神のみに許された力。『経験値』という文字通り経験した事象を成長の糧とし更に『神の恩恵』──ステイタスを上げることが出来る。 

 

 全ての冒険者がファミリアの主神から与えられており、『神の恩恵』を授けられて漸くファミリアの一員となれる。

 

 だが、ウルキオラの背中に『神の恩恵』は無い。

 

 それもベルに伝えていない理由の一つと考えたのだろう。ウルキオラが口を開いた。

 

「お前は、あのガキに隠し事があるのが嫌なのだろう?俺を気にかける必要は無い。俺には『神の恩恵』がなくファミリアの一員でないことは早く伝えておけ。それに、あのガキが他に漏らしたとしても心配するな。……お前に降りかかる火の粉は全て俺が始末してやる」

 

 ウルキオラの物騒な物言いに苦笑いを浮かべるヘスティアだったが、一つだけ絶対に訂正をしなければならない言葉があったので、先程までベルが座っていたウルキオラの対面のソファーに腰を下ろした。

 

「ウルキオラ君。ボクが伝えるのは、君に『神の恩恵』が無いことだけだ。ボクも……ベル君もきっと、『神の恩恵』の有無は関係なくウルキオラ君を大切な家族(ファミリア)の一人だと思っているからね」

 

 『神の恩恵』とは家族(ファミリア)の一員であるという証。謂わば血だ。

 ヘスティアもファミリアにおいて『神の恩恵』がどれだけ重要かは良く理解している。

 しかし、世の中には血が繋がっていなくとも想いという絆で繋がっている家族もいるだろう。

 

 ──何を言われようとも、ボク達は間違いなく家族だ。誰にも否定させるもんか。

 

 ヘスティアは青みがかった瞳に強い意志を込めウルキオラの透き通るような碧色の瞳を見つめた。

 

「そうか」

 

「うん……だからさ、同じファミリアの一員だし、ベル君の事も少しは気にかけてくれよ」

 

「……ちっ、あんな下らんガキに興味は無いのだがな」

 

 気のせいかもしれない、或いは願望だったのかもしれない。言葉こそ厳しかったがウルキオラのいつもは冷ややかな声色が少しだけ、ほんの少しだけ優しく穏やかに聞こえた。

 

 安心したように相好を崩すヘスティアだったが、はっと何かを思い出したような表情になると小さな頭を両手で抱え込みだした。

 

「そうだ、ベル君……」

 

「あのガキがどうかしたのか?」

 

「……実はベル君がレアスキルを発現させてしまってね。ちょっと話を聞いてもらえるかい?」

 

「丁度良い。俺からも報告する事がある」

 

 途中、フレイヤからの勧誘のくだりで再びヘスティアが爆発するなどがあり、中々進まない二人の話し合いはベルが買い出しから戻ってくるまで続けられた。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 アイズの目の前を今も色褪せることのない光景が流れていく。

 黒い襟巻きをした青年と美しい金の長髪の女性。そして幼少のアイズが物語の中心だった。

 幼いアイズは、両親の前でころころと表情を変え楽しく幸せに過ごしていた。

 

 しかし、幸福な時間は永遠に続かない。

 

 両親の姿が世界から切り取られた絵のように、少しずつアイズの側から離れていく。

 

 ──行かないで!

 

 いつの間にか周囲は暗闇に包まれ、両親の姿だけしか見えなくなった。

 アイズは必死に叫びながら追い掛け、紅葉のような小さな手を懸命に伸ばすが距離は縮まるどころか、二人はどんどん遠ざかっていく。

 

 闇に溶け次第に消えていく遥か遠くの両親と入れ替わるように、真っ白な装束を身に纏う黒髪の青年の後ろ姿が浮かび上がった。

 

 

 

 

 景色が変わる。

 

 真っ暗な世界から見慣れたオラリオの街並みへと。

 アイズは月明かりと星々の光が地上へと降り注ぐなかを駆け抜けていた。前を走るウルキオラの後ろ姿を黄金色の瞳に映しながら。

 

 ──ああ、これは。

 

 オラリオで暗躍している正体不明の勢力の本拠地を発見という一報を受けた神々が立案した作戦行動の最中、先頭を駆けるウルキオラが急に足を止めた。

 この作戦は幾つかのファミリアが共同で行っている。少しでも時間に遅れることが許されない状況で、じっと何かを探るように動かないウルキオラ。

 疑問を抱いたアイズが声を掛けようと近づくとウルキオラの口が突然開いた。

 

『これは罠だ。ロキ達が危ない』

 

『急にどうしたんだい?』

 

『……ロキ達に多くの気配が近づいている。手遅れになるぞ!』

 

 ウルキオラは気配を察知するスキルなど持ってはいない。しかし、フィンに焦りを帯びた声で答えたウルキオラの様子はロキが危ないと物語っている。

 ロキの危機を察知出来た理由は分からないが、ウルキオラの言葉を信じたアイズ達は、すぐに引き返すことを選択した。

 

『先に行く。アイズ、ベートは俺に続け!』

 

 時は一刻を争うのか、フィンの指示を待たず普段では絶対しない独断専行をするウルキオラは、言葉と共に凄まじい速さでロキの元へと向かった。

 

『チッ! 俺に命令してんじゃねえ!』

 

 憎まれ口を叩きながら地を疾走するベートと風を纏い中空を翔けたアイズが見たのは、門の前で血溜まりに沈む警備の兵。そして、この作戦に参加した神々達のいる館に火の手が上がり始めた光景だった。

 一瞬、手遅れかと最悪の想像が頭をよぎるが、ロキが死に天界に送還されれば消える筈の『神の恩恵』はまだ残っていた。それに耳を澄ませば剣のぶつかり合う、甲高い音も聞こえてくる。

 先に到着したウルキオラの援護と神々の救出のため、アイズとベートは館へと突入した。

 

 

 

 

 またも場面が変わる。

 

 

『くっ……』

 

 聞こえてきた誰かの呻き声で意識が覚醒したアイズは軋む身体、痛む傷をこらえ戦況を把握するために、なんとか立ち上がり絶句する。

 

 絶望的な状況だった。

 

 ロキ・ファミリアの仲間達は誰もが既に満身創痍。それに対する側は被害こそ出ているものの、まだ充分に余力が見てとれ勝利を確信しているのか、にやにやと嫌な笑みを浮かべている。

 

 

 ──あの時の夢……。

 

 

 誰がどう見ても勝敗は明らかだった。

 

 敗因の一つは激しい戦闘を想定していたので、犠牲者を減らすために少数精鋭でこの作戦に参加したことだ。

 アイズ達と敵戦力。一人一人の力で言えばアイズ達に軍配は上がるだろう。しかし、いくら個で勝っていようとも戦い続ければ肉体も精神も疲労していく。数の暴力で絶えず波状攻撃にさらされ続けたのが一つ目。

 

 そして最大の理由が護りながらの戦いだったということ。

 冒険者はダンジョンに潜り、モンスターを倒して生活している。謂わば攻めの戦いだ。

 だが、今の状況は違う。神々を護らなければならない。

 力を封印し、普通の人間と変わらない神々がいるためリヴェリアの魔法など大技は撃てない。常に狙われている神々の側から離れられないので攻める事も出来ない。

 ロキ・ファミリア、いや冒険者は常に護るべき者が側にいる戦いという経験が圧倒的に不足していた。

 

 全滅。

 

 脳裏に最悪の言葉が走ったアイズは、それを払うため力を振り絞り、剣を構え切っ先を敵に突きつける。

 

 

 

 その時、左肩に場違いな心地良い重みを感じた。アイズが顔を向けると肩にはウルキオラの右手が乗っている。

 

『ここまでか……』

 

 諦めとも取れる言葉に驚いたアイズの頭をくしゃりと不器用にウルキオラは撫でると視線をアイズから外し、まるで目に映るものを心に焼きつけるようにゆっくりとフィン、リヴェリア、ガレス、ティオネ、ティオナ、ベート、そしてロキへと移した。

 

『すまない。皆』

 

 泣き笑いのような表情を浮かべたウルキオラは、それだけ言うとアイズ達に背を向け敵の方へと歩き出しロキ・ファミリアと敵の中間地点で立ち止まる。

 

 

 

 瞬間。

 

 巨大な滝に打たれているような圧力がこの空間を襲った。

 質量を持った圧力によって悲鳴を上げる建物。

 

 戦いの余波で崩落した天井や壁の一部が、カタカタと音を鳴らし震えている中でアイズの耳はウルキオラの声を捉える。

 

『目障りな屑が。死ね』

 

 目を離した訳ではない。瞳を閉じた訳でもない。だが、ウルキオラの姿がアイズの視界から消えた。

 

 一瞬、一秒、十秒、どれだけ時間が経過したのか分からないが漸く全身を押し潰すような重圧から解放される。

 

 最初に動いたのは敵()()()者達だ。頭部がゆっくりと本来あるべき位置からずれはじめ胴体から離れると、忘れていたように鮮血が吹き上がり吐き気がこみ上げてくる錆びた鉄の臭いが辺りに広がった。

 血飛沫が舞う場所より奥で一拍遅れて三つの光の柱が天へと昇る。

 

 神が死に天界に送還される際に生じる光の柱に囲まれるようにしてウルキオラは立っていた。

 

 アイズ達は此方側と向こう側を分けるように舞う血のカーテンの先にいるウルキオラを呆然と見つめていたが、聞こえてくる足音と声に我を取り戻す。

 恐らく敵拠点へと向かった他のファミリア達だろう。己の主神の名を大声で呼びながら助けに来た者達は此処へと辿り着くと、この惨状に驚愕し言葉を失っていた。

 

『そ、その男を取り押さえろーっ!!』

 

 そんな時だった。護られた一柱の神が叫び声を上げたのは。

 

『何をしている! そいつは神を殺した!! 捕縛という命令を無視してだ! その男は危険だ! 早く取り押さえろぉぉぉーー!!』

 

 端正な顔を真っ赤にし絶叫する神の言葉を聞いたアイズは何を言ってるのか分からなかった。もし、あのままだったら間違いなく全滅していた。命を助けられたのにどうしてと思う。それに、ウルキオラがやらなくても捕縛された敵方の神々は、この作戦に参加した神々の手によって天界に送還されていただろう。

 しかし、事態は待ってはくれず神の命令を受けたロキ・ファミリア以外の冒険者達がウルキオラへと殺到する。

 

『やはりこうなるか……』

 

 どこか寂しさと哀しみ、諦めを含んだウルキオラの呟きがやけに耳に残ったアイズは神の暴挙を止めてもらおうと自身の主神に縋るような視線を送る。

 だがロキは動かない。

 青ざめたロキの顔を見たアイズは自分には理解出来ない何かが起こったのだと悟った。

 主神が動かない今、アイズ達はウルキオラが無抵抗に血の海に押さえつけられ拘束されていくのを為すすべ無く見ている事しか出来なかった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ウルっ!!」

 

 手を伸ばし飛び起きたアイズは頭を二、三度軽く振り、乱れている呼吸を戻すため深呼吸を繰り返す。

 魘されていたのだろう。汗が酷く寝着が肌に張り付き不快感を覚えるが、夢のせいで着替える気も汗を拭う気すらもおこらない。

 

 夜はまだ明けていない。

 

 朝食まで時間はあるので再び眠ることも可能だが、また同じ夢を見るのを恐れたアイズはこのまま朝が来るまでシーツにくるまり待つことにした。

 

『どうした、アイズ? 怖い夢でも見たのか?』

 

 不意に子供の頃、同じような状況で掛けられたウルキオラの言葉が頭を過ぎったアイズはベッドから離れ着替えを始める。

 

 駄目だ。このままでは駄目だ。夜明けを待つだけの子供では絶対駄目だ。

 

 着替えを終え、中庭へと向かい暗闇の中で稽古用の剣を無我夢中で振る。それが自分に出来る唯一のことだから。これが夜明けに通ずると信じ精一杯のことをする。

 

 やがて夜の闇を太陽の光が斬り開く。

 

 息を切らし芝生の上で大の字になり朝日を身体一杯に浴びていたアイズのお腹が小さな音を立てる。朝食の準備もそろそろ終わるだろう。アイズは流れる汗を拭うと、仲間達の集い始める食堂へと駆け出した。

 

 涼やかな風と暖かい陽光に包まれながら。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 朝食を終えたロキ・ファミリアは遠征の後処理を団員総出で手分けして済ませることになり魔石の換金、道具の補充等それぞれ役割が与えられホームを出発していた。

 

 無事に冒険者依頼の報酬の受け取り、ドロップアイテムの換金を済ませたアイズ達。次に破損した武具の整備をお願いするため付き合いのあるゴブニュ・ファミリアへと向かっていた一行だったが、突如アイズの足が香ばしい匂いにつられるように一件の露店へ、ふらふらと進んでいく。

 一緒に行動しているティオナ、ティオネ、エルフの少女レフィーヤの驚く声が聞こえるがアイズの足は止まらない。

 

 仕方ない。これは、ちゃんと与えられた仕事を達成したご褒美だ。それに夢見が悪く稽古のお陰で疲れもとれていない。今、身体には甘い物が必要だ。リヴェリアだって分かってくれる。でも告げ口はしないで欲しい。

 

 夜は打ち上げだと知っているにもかかわらず間食をしたことが母親のような副団長にバレた時のことを想像し、背筋が寒くなったアイズは一瞬躊躇うが、大丈夫、今回は大丈夫と根拠の無い自信という名の欲望に後押しされ目的のお店へと到着した。

 

「いらっしゃい! おっ、いつもありがとう!」

 

 元気な声で顔馴染みの少女のような女神が、頭の両側で結ばれている黒い髪を弾ませ声を掛けてきた。


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