この掌にあるもの   作:実験場

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第六話 身を焼き尽くすほど焦がれるモノ 後編

 黒い影の鋭利な爪が振り下ろされた。

 すんでのところで身を翻し回避するが完全にはかわしきれず、数本の白い髪と少しばかりの鮮血がダンジョンの薄暗い空間に飛び散った。

 額から流れる血を拭いもせずに心許ない短刀を構え直しベルは黒い影──ウォーシャドウと対峙する。

 新米の冒険者では勝てない相手。

 六階層随一の戦闘力を誇るモンスター。

 しかし、ベルは逃げるという選択ではなく、絶望的な戦いに声を上げ迷いなく突き進んだ。

 

 迫り来る黒爪が衣服ごと肌を薄く切り裂いていく。新たに刻まれた傷にベルは顔を歪ませた。

 敵の攻撃をいなし、回避し、斬りかかる。  ウォーシャドウと死の舞踏を舞うベルを突き動かす衝動を作ったのはダンジョンに入る前の出来事。

 

 惨めだった。

 恥ずかしかった。

 情けなかった。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが『豊饒の女主人』へと来店した時、ベルは大変驚き、そして歓喜し浮かれた。

 憧れの女性がやって来たのだ。14才の初な青少年には仕方のないことだろう。

 

 暫くの間、チラチラとアイズを盗み見しながら顔をだらしなく緩めるベルだったが、ミノタウロスから助けて貰った件のお礼をまだ伝えていないと思い至り掛ける言葉を探し始めた。

 礼も言わず逃走したのだ。しかもミノタウロスの返り血を浴びた生臭い真っ赤な姿で。返り血はベルのせいではなく不可抗力なのだが、第一印象としては最悪とは言わないまでもアウトではあるだろう。

 悪いイメージを払拭するためにも此処が大事だと気を引き締める。

 

 カッコ良く行くか? ──駄目だキャラじゃない。

 ユーモラスに? ──面白い言い回しが思いつかない。

 オサレに? ──何だろう? オサレって?

 

 ベルの頭の中をぐるぐると様々な自己問答が巡った。

 結局、小手先に頼らず素直に伝えるのが一番との考えに落ち着くと深呼吸を一度して気合いを入れる。

 あわよくば、これがきっかけでお近づきになどと青少年特有の淡い想いを胸にして。

 

 

 だが、そんな甘い妄想は粉々に打ち砕かれることとなる。

 

 

「俺は……まだ弱ぇままなのか……?」

 

 何を言っているのか分からなかった。

 

 声の主はベート・ローガ。ベルでも知っている第一級冒険者であり戦闘スタイルと性格からついた二つ名は『凶狼(ヴァナルガンド)』。

 弱い筈がない。圧倒的強者だ。

 其れほどの人物が一体何を言っているのか、とベルは思った。

 

「弱けりゃ奪われ失うだけだ!」

 

「──っ!」

 

 続けられたベートの言葉が刃となってベルに突き刺さる。まるで自分に浴びせられたように感じたからだ。

 ベルは祖父を、たった一人の家族をモンスターに殺されている。

 その場に居合わせなかったベルにはどうしようも出来ない事だった。

 

 だが、もう少し自分が強ければ? 

 

 祖父はベルを一緒に連れて行ってくれたのかもしれない。

 そうすれば祖父を守れたのかもしれない。

 そうしたら、今も故郷の村で生きていてくれたのかもしれない。

 

 祖父の死を知らされ独りきりになった家で泣き叫んだ夜、ベルはそう思わずにはいられなかった。

 

 今、新しく家族(ファミリア)という、かけがえのない絆がある。もし、それを弱いせいで護れないとしたら、再び大切な家族を失うとしたら──

 

「強く……もっと強くなりてぇ……っ!」

 

「強く……私も……」

 

 アイズ(憧れ)までもが更なる強さを欲していた。

 ベルは恥ずかしさ、惨めさ、情けなさ、そして自分自身への怒りで一杯になった。

 

 第一級冒険者ですら、あんなに強さを渇望している。其れなのに自分は何をやっている? 

何をしていた? さっきまで再会に浮かれ舞い上がって……。強くなりたい、物語の英雄のようになりたいと思いながら、それに対してどんな行動をしている?

 ただ自分の倒せるモンスターを安全に狩っていただけだ! そんなので強くなれる訳がない!

 力も足りない。

 想いも足りない。

 

 何もかもが! 足りていない!!

 

 

「うああぁぁぁあああ!!」

 

 己の弱さを振り切るように、振り払うようにベルは駆け出した。ウォーシャドウの攻撃を身を低くして潜り抜け敵の胸に刃を突き立てる。 漆黒の影が灰となり消えたのを確認すると思わず疲労から座り込んでしまう。

 

「は、はっ……はぁっ……はぁ」

 

 ギリギリだった。文字通り満身創痍。どうやって勝ったのか思い出せない程だった。だがベルは荒い息を整える事もせずに重い腰を上げると、奥へと向かう歩みを再開させる。

 死の危険があるのは分かっている。

 

 でも、それでも──

 

「強く……なりたい……」

 

 何度も零した呟きを残してモンスターを求めさ迷うように奥へ奥へと進んでいく。

 

 願いが通じたのかダンジョン内にモンスターの現れる兆候が起き始めた。

 壁に亀裂が入り、先程まで激戦を繰り広げたウォーシャドウが生まれ落ちる。

 ベルは息を呑んだ。

 続け様に何ヶ所も亀裂が生じたからだ。

 それだけでは終わらない。後方からも獣のうねり声と共に近づいてくる沢山の足音。前方に意識を戻せば何体ものウォーシャドウ。完全に囲まれていた。

 完全に詰み。

 しかし、ベルは表情の抜け落ちた幽鬼のような顔をモンスターに向けると、手にしている短刀を強く握りしめた。

 

「僕は……強く……っ」

 

 自殺行為ともとれる突撃を実行しようとしたベルの横を白い死風が通り抜けた。

 

 声にならない断末魔の叫び。次々に灰へと還るモンスター。ベルがやっとの思いで倒したウォーシャドウとて例外ではない。あれだけ苦しめられた黒爪も振るう機会など与えられないまま、あっという間に瞬殺されていく。  

 

 ベルの身体の奥底にとある感情が湧き起こると、それは噴出した間欠泉のように一気に大きくなった。

 

 助かった安堵ではない。

 助けられた感謝でもない。

 ましてや、違ったタイミングであれば持ち得たであろう憧れでもなかった。

 

 ベルの無表情だった顔に感情の灯がともる。血がにじむほど歯を食いしばり、モンスターを蹂躙した人物を見つめ続けた。

 

 それは人間が誰しも持っている切ろうとしても切れない、醜く美しい人間らしい感情。

 

 モンスターの死灰の漂う中、悠然と佇むウルキオラに対する──

 

 

 

 激しい嫉妬だった。

 

 

 決して届かない圧倒的な差。比べるのも烏滸がましい、まるで地を這う獣と広大な天空を飛びかう鳥のような隔絶された、馬鹿馬鹿しい程の違い。

 

 欲しくてやまないものを、なりたい理想の姿を見せつけられたベルは無意識に伸ばしていた手で地面を叩いた。

 

「こんな所で何をしている」

 

 ベルは答えない。

 

「さっさとホームへ戻れ」

 

「……嫌です」

 

 唇を割って出てきたのは拒否だった。

 

「何だと?」

 

「ウルキオラさんは先に戻って下さい。僕は……」

 

「そんな()()()()で、まだ()()()()()を続けるつもりか」

 

 ウルキオラにそんな気は無いだろう。ただ事実を淡々と述べているだけだ。しかし、ウルキオラの一言はベルを蝕んでいく。

 

「っ! 僕は……強く……なりたいんです」

 

「貴様の理由など知ったことか。俺は帰れと言った」

 

「嫌……です」

 

 射抜いてくる翠色の冷たい瞳を努めて無視し、ウルキオラの背後にある奥へと続く道に向かう。

 

「ヘスティアが待っている」

 

 ベルは一瞬躊躇する。

 それでも天秤はヘスティアには傾かなかった。

 いつもであれば帰るという選択をしていただろう。だが、ウルキオラの強さを目の当たりにした事で自分もああなりたい、今すぐに、時間が惜しい、と強さへの切望に囚われてしまっていたからだ。また、嫉妬からウルキオラに素直に従いたくなかったというのも起因していた。

 

「……すみません」

 

 ウルキオラとすれ違う時に足を止め、顔を逸らしながら小さな声で謝罪を告げるとベルは再び奥へと一歩踏み出──

 

 

 何かが壁に叩きつけられた音がダンジョン内に轟いた。

 

 

 ベルは何が起きたのか全く分からなかった。朦朧とする意識のせいで頭の中も真っ白だったが少しずつ整理していく。

 壁、地面、天井、目まぐるしく変わった景色。

 何かを叩きつけたような音。

 

「……ッ!」

 

 口から咳とともに血が吐き出されると漸く思考が追いつきベルは理解した。

 

 

 壁に叩きつけられたのは自分だと。

 

「ぐ……ぁ……っ」

 

 遅れてやってきた引き裂かんばかりの痛みを耐えながら、ベルは紅い瞳を怒りで燃やし、こんな事をした人物を噛みつくように睨みつけた。

 

「何で……っ! 邪魔を……邪魔をしないで下さい!!」

 

 其処には振り抜いた右足を、ゆっくりと戻すウルキオラの姿があった。

 

「どうやら聞く耳を持たないようだな……」

 

 ウルキオラはローブを脱ぎ捨てるとベルを見下ろして言った。

 

「身の程を教えてやる」

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 大人しく従っていれば、どうこうするつもりはなかった。

 しかし、ウルキオラの予想に反して子供のようにベルは駄々をこね続けた。それはヘスティアの名前を出しても変わらない。あまつさえ名を出した時に一瞬の躊躇いを見せた。それは、ヘスティアが心配しているのを理解した上でヘスティアより自分の欲望を取ったということだ。

 

 大切に想われている眷族でありながら。

 

 

 ──躾が必要か。

 

 向かって来る気配の無いベルにウルキオラは侮蔑の視線を送る。

 

「どうした? 塵みたいなモンスターとは戦えるのに俺には向かって来れないのか? ──だから貴様は弱い」

 

「──!う、うわぁぁああー!」

 

 安い挑発に乗って突き出された拳を体を逸らし難なく避けるとベルの背後へ回り込む。そのまま後ろ髪を掴み、力任せにベルの顔面を地面へ叩きつけた。くぐもった声が聞こえるがウルキオラは構わず今度は後頭部を踏みつける。

 何度も。

 何度も。

 

 あくまでも躾だ。力も大分手加減している。ヘスティアが哀しむのは分かっているから殺す気など無い。

 

 ウルキオラにとってベル・クラネルという人間は仲間と思っていないばかりでなく、ヘスティアを抜きにすると、生きようが死のうがどうでもいい路端の石ころと同価値の人間だ。

 

 数週間前、初めてベルをヘスティアに紹介されたウルキオラは一片の興味も抱かなかった。緊張して、おどおど話しかけてくるベルを一瞥すると名前も名乗らずその場を後にした。本当の意味で初めての眷族だからだろう、やけに嬉しそうにベルを構うヘスティアだけが印象に残った。

 

 だからベルの想いや願いなど知った事ではない。

 ウルキオラはかねてより考えていた件に、このまたと無い機を利用する事にした。

 それは、ベルがダンジョンに潜るのをやめさせるというものだった。

 

 ──このガキは弱い。いずれ死ぬ。

 

 ベルが冒険者を辞めてホームに居れば死ぬ危険も無いし眷族と一緒に過ごせるヘスティアも喜ぶだろう。ダンジョンへは自分だけが潜りファミリアの資金を稼げばいい。それこそが眷族を大切にしているヘスティアの望んでいる形だろう。

 別段、難しくはない。痛めつけ、己の無力さを実感させる。何なら戦いそのものに恐怖を抱くように追い込んでもいい。

 手足の一、二本奪い無理矢理辞めさせるのも可能だがヘスティアは恐らく納得しない。ベルが自ら辞める意志を見せるのが重要だ。それだったらヘスティアも文句は無い筈。

 

 そろそろ頃合いか、とウルキオラは踏みつけていた足を退ける。

 

「無様だな。貴様は冒険者に向いていない。──もう二度とダンジョンに潜るな」

 

 全く動かなかったベルが、ぴくりと反応を示して起き上がる。

 

「何でそんなこと……ウルキオラさんに、決められなくちゃ、いけないんですか……っ」

 

 頭からの大量の出血で、雪のような白髪が嘘のように真っ赤に染まったベル。息も絶え絶えで意識も朦朧としているだろうに、目の焦点はしっかりとウルキオラを捉えていた。

 

 ウルキオラは少し離れていた場所に落ちている短刀を拾いベルの方へ放り投げた。

 

 突然のウルキオラの行動と足元にある短刀に、どう反応すればいいかとベルの表情に僅かばかりの疑問が浮かんでいる。

 

「使え」

 

「──!」

 

「貴様の誇りも、矜持も、強くなりたいという下らん願いも、俺がこの場で全て打ち砕いてやる」

 

「な、舐めるなぁぁああああっ!!」

 

 短刀を拾わず激昂して殴りかかってきたベルの攻撃を反撃せずに、ウルキオラはいとも容易くかわしていく。

 

 力任せの拳。あからさまな軌道の蹴り。コンビネーションもへったくれもない攻撃など当たることはおろか、触れることすらさせない。ましてや、万全の状態でも至難の業なのに、今のベルは体を動かすのもやっとだ。それでもベルは必死に拳を振るい続ける。

 

「下らなくなんかない……! この想いを、否定なんか、させてたまるかぁ……っ!」

 

 それも長い時間は保たなかった。当たらない攻撃を繰り返したベルは体力も精神も消耗させ、遂に俯いたまま肩で息をしているだけで動かなくなる。倒れないのは、せめてもの意地か。

 

 ウルキオラは右手でベルの首を絞めると片手のままで持ち上げた。

 抵抗する素振りが無いことから逆らう気が無くなったのか、体力が完全に尽きたのか、或いはその両方だろう。

 

「これが現実だ。貴様の強さを求める想いなど所詮この程度。無駄だ、諦めろ。貴様は強くなれない」

 

 言い終えるとウルキオラはベルを投げ捨てた。

 

 後はヘスティアへの対応だけか、と思案しているウルキオラに身じろぎをする音が聞こえてくる。僅かに驚き音のした方向へ顔を向けると其処には何とか起き上がろうともがくベルの姿が。

 

「……何故足掻く。何故諦めない」

 

 無意識に聞いてしまった。聞かずにはいられなかった。触れることすら出来ないベルは立ち上がっても、また痛めつけられるだけ。

 それなのに何がベルを動かすのか。

 それはまるで──

 

 ウルキオラの頭に過去に戦った青年がよぎる。

 

「これだけ無力さを噛み締めても、力の差を目にしても何故立ち上がろうとする」

 

「力の差……それが、何ですか?」

 

 蚊の鳴くような小さな弱々しい声。だが意志は力強く込められていた。

 

「今更、ウルキオラさんの強さなんか幾ら見たって変わりません」

 

 ベルが、ぼろぼろになりながらも立ち上がる。己が意思を貫き通すために。

 

「ウルキオラさんが僕より強かったら……僕が諦めるとでも思っているんですかっ!」

 

 ベルの言葉が耳に入るとウルキオラの思考の一切が消え去った。

 

 あるのはたった一つの過去。

 敵だった青年との最期の戦いでの会話。

 

 自分に敗北を刻んだ橙色の髪をした青年がベルと重なる。

 

 ……馬鹿な。何故、奴とあのガキの姿が重なる。同じとでもいうのか、こんなガキと奴が……。そんな筈が無い。

 

 

 ──いいだろう、確かめてやる。

 

「戯れ言を……貴様のそれは真の恐怖を知らぬ者の言葉。教えてやる、これが真の恐怖の姿だ」

 

 ウルキオラは頭上に左手を掲げ仮面を被るように静かに下ろした。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 ──死。

 

 死が現れた。そうとしか形容出来ない。

 死という形の無いものが姿形をとったら、きっとベルの目の前のような存在となるのだろう。

 

 ウルキオラの姿にはそこまでの変化は無い。左頭部に仮面の一部のような物があり、両眼の下に翠色の涙のような紋様が延びているだけだ。

 だが、気配とでもいうべきものが先程までとはまるで違っていた。

 矮小な自分とは一線を画した存在感。

 

 それはまるで──

 

「かみ……さ……ま……」

 

 水気の枯れた唇から思わず漏れた。ウルキオラから肯定の返事がきたら迷わず信じるだろう。

 

「俺は『破面(アランカル)』だ」 

 

 曰わく、魂を喰らう化け物。

 曰わく、同族すら喰らい力の糧とする悪霊。

 曰わく、生あるもの全ての敵対者。

 

 ウルキオラが左手の人差し指をベルに向ける。

 

「故に、貴様を殺すのに躊躇は無い」

 

 ベルの後方の壁が爆ぜた。

 

 知覚出来ない攻撃。

 ベルはその場に腰が砕けたようにへたり込んだ。

 所詮、先程まで自分を奮い立たせていたものなど、本物の恐怖という濁流の中では呆気なく沈む小枝に過ぎない。

 

 ベルは驚くほど自分の死を受け入れてしまっていた。

 どう足掻こうと助かる道は皆無。

 

 もう、早く倒れたい。

 もう、早く楽になりたい。

 早くこの感情(絶望)から解放されたい。

 ベルは恐怖と絶望で自失寸前だった。

 

 

 ウルキオラには司る死の形がある。

 

 『虚無』

 

 『虚無』は今まさにベルを飲み込もうとしていた。

 

 ウルキオラの指先に翠の光粒が集まり始める。

 

「恐怖に屈するのなら、死にたくないのなら俺に従え。……俺が怖いか、ガキ」

 

 言われるがままに、『怖い』そう答えようと口を開く。

 

 

 

 何かが終わってしまう気がした。

 大切なものが。

 終わらせては駄目なものが。

 

 我を取り戻したベルだったがウルキオラの指先に集まる光粒を見ると再び恐怖、絶望、諦念が襲ってくる。

 

 死ぬ。

 ……僕が死んだらどうなる?

 

 そう思った途端、帰らない祖父を待っている自分の姿がヘスティアへと変わった。

 

 

 ──っ! あんな、あんな思いを味わうのは僕だけで沢山だ! 僕は何が何でも生きて帰らなくちゃいけない、神様の待つ(ホーム)へ!

 ……そうか、間違っていたんだ僕は。こんな自暴自棄で、神様に心配をかけるやり方はしてはいけなかったんだ。

 

 でも──

 

「ぐっ……うおぉぉおああああっ!!」

 

 ──それでも、強くなりたいという想いは、決して間違いじゃない!

 

 力を振り絞り立ち上がったベルは光り輝く瞳でウルキオラを真っ直ぐ見つめた。すると、自分がとんでもない過ちを犯そうとしていた事に気がついた。

 

 

 あぁ……今、僕は何を口走ろうとしたんだ。

 

 どんな姿をしていようが、何者だろうが、この人は……

 

 

 

 

 たった二人の大切な家族なんだ!!!

 

「怖くありませんっ!!!」

 

 瞳が大きく見開かれたウルキオラにベルはよろよろ近づいていく。

 

「僕は弱い……。だからこそ強くなろうって頑張れるんです。皆に無駄だと笑われても、僕は確実に一歩ずつ積み重ねている」

 

 感覚の薄まっていく足で大地を踏みしめ一歩、また一歩、前へ進む。

 

「もう、失いたくない。奪われたくない。心配をかけたくない。──大切なものを護りたいから、僕は強くなるんです!」

 

 

 そして、貴方も……。

 

 真っ直ぐ視線を合わせた時、ウルキオラが水晶のような半透明の物体によって外界から鎖された空間に、たった独りで居るような感じがした。

 おこがましいかもしれないが、ベルは助けたいと思った。

 

 霞む視界。

 想いの全てをぶつけるようにベルは最後の力で拳を握る。

 ウルキオラに伝わるように。

 ウルキオラを覆う壁を破壊出来るように。 

 

「これが……人間……」

 

 動かない。いや、動けないウルキオラ。

 

 

 ありがとうございます、ウルキオラさん。貴方のお陰で大切なことに気がつけました。

 

「その為だったら百回、千回、一万回倒れたって、踏まれたって、立ち上がってみせます!!」

 

 何があっても!

 誰が相手でも!

 絶対に折らせてはいけないんだ──

 

「これが──……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──“心”だけはっっっ!!!!

 

 ウルキオラの呟きは気力だけで立っているベルには聞こえなかった。

 ベルは死力を尽くし拳を振りかぶる。

 

 力が足りず甘く握られた拳。

 殴るというより頬に触れただけの拳。

 

 

 だが、それでもベルの(想い)は確かにウルキオラに届いた。

 

 力尽きウルキオラにもたれ掛かるように倒れ込むベル。意識が闇へと沈みゆく最中に、それは聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

『そこまで吠えるのなら、俺に見せ続けてみせろ──()()()()()()』 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 動けなかった。あまりに眩しい光だったから。

 

 拳が触れた頬に掌を重ねる。

 感じるのは己の冷たい体温だけだった。

 

 ウルキオラは小さく頭を振り意識を切り替えると気絶したベルを地面に横たえ、懐から昼間リリルカに買わせたポーションを取り出しベルに使用する。

 元々、ヘスティアにベルのことも気にかけるよう言われたので渡すために購入したものだ。 新米冒険者には手の届かない高価なポーションで傷口は見る見る塞がっていく。

 

「怖くない……か」

 

 ──こわくないよ。

 

 元の世界での最期の瞬間。胡桃色の髪の少女。

 

 ──怖くないよ!!!

 

 黄昏の丘。少女のような女神。

 

 

「お前で三人目だ……」

 

 もしかしたら、今日、此処で、今、ウルキオラ・シファーとベル・クラネルは真に出逢ったのかもしれない。

 

 ウルキオラはローブを纏うと傷の癒えたベルを肩に担ぎ歩き始めた。

 

 自分とベルの帰るべき場所、ヘスティアの待つ(ホーム)へと。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 一方──

 

「アイズ、お前はホームへ戻れ」

 

「ぇ……ベート、さん?」

 

 ウルキオラは侮っていた。理解しようとしていなかった。

 

「俺は、このまま暫くダンジョンに潜る」

 

「私も一緒に……」

 

「お前はロキから止められてるだろうが。ホームには時々戻る。そう伝えておいてくれ」

 

 彼らもまた──

 

「ウルキオラ、俺は必ず……っ」

 

 ベルと同じく、強い人間だということを。

 


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