インペリアルマーズ   作:逸環

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Purple Haze
LSDやマリファナなどの名称。
直訳で、紫の煙。


Purple Haze 紫の煙

『ハリー・ジェミニス』の人生において、その幼少期は極々平凡と言っても間違いはない。

空気は澄んで、森には狐などの野生動物が豊かな生態系を育み、人々は畑を耕し大地と共に生きている。

そんなイギリスの片田舎に生まれた彼は、都会、それもイギリスの首都ロンドンに強い憧れを抱いて育った。

少年だったハリーは、いつかこんな田舎を出て、ロンドンで大成功するという夢を持ち、日々努力を続けた。

その結果、高校を卒業した彼は通信の大学で働きながら学び、大学卒業後には念願のロンドンで公務員として就職を決めることができた。

彼は喜んだ。

これで憧れの都会に、夢のロンドンに行けると。

 

 

 

 

 

「…俺の実家はイギリスの田舎でなぁ~。家の周りは畑と森だった~…。だから、都会に凄く憧れてなぁ~…。一生懸命勉強して、就職する時にロンドンに出たんだよ~……」

 

 

力なく崩れ落ちた身体の中で、口だけを動かし言葉を紡ぐハリー。

潰れた右肺の内で、貯留した血液の中に空気が混じり泡沫音をさせながら話すも、その言葉に、述懐に淀みはない。

 

 

「俺だけじゃない~。ロンドンにはイギリス中から人が集まってたんだ~…。ロンドンに来れば、仕事があるって思ってな~…。一発当てられる、家族を食わしてやれる~…」

 

 

多くの人にとって、その国の首都は夢の舞台となる。

そこには沢山の憧れや希望、羨望が集まり、その分多くの人が集まっていく。

かつてのハリーも、その一人だった。

 

 

「………だけど、ロンドンは、イギリスは狭すぎた~…」

 

 

だが、理想と現実は、往々にして違うものだ。

 

 

「愕然としたさ~…。光はあちこちでこうこうと照ってるのにな、空は暗いんだ~…。道端じゃあガキどもが座り込んで物乞いしてるし、地下鉄のホームじゃあホームレスたちが寝転んで、路地裏じゃあ猫やカラスが誰かも分かんねぇ死体食ってんだ~……」

 

 

2600年代。

いや、それ以前から限界は来ていたのだ。

世界全体に起きていた、増えすぎた人類による地球のパンクは。

世界各国にその影響は出ていたが、一番ダメージを受けていたのは貧しい国ではなかった。

国土が狭い国々、その中でも先進国と呼ばれる国々だった。

元々、そのような国は第二次産業や第三次産業で発達してきた。

国土が狭いから、第一次産業での輸出国家としては不利だったが、技術力で他国と勝負してこれたからだ。

かつて大英帝国と呼ばれたイギリスも、そして産業立国である日本も、工業製品を始めとする第二次産業の商品を輸出することで国力を高めてきた。

 

だが、人類の飽和はそのような国々に、まるで毒の様に少しずつダメージを与えていった。

国土が小さいのに、人は増えるばかり。

国と一部の会社には、確かに金はある。

だが、その金が全体に行き渡るわけがない。

更に言うならば、例え全体に行き渡ったところで一人一人の分配は極端に少なくなる。

分母を分子が越えた。

越えた分子が受け皿から溢れ、町に社会からあぶれた人が転がる。

それが現在のイギリス首都、ロンドンだった。

 

 

「……俺の夢は、そんな夢のゴミ溜めだったんだよ~…」

 

「…それは、知っている。有名な話だし…、今の世の中どこにでもある話だ…」

 

 

実際、そのような話はイギリスに限らず世界中であった。

それが人類が飽和した世界での当たり前だった。

 

 

「だけど!だからって何で紅を!?」

 

「お前に分かるか!?自分の夢が!ただのゴミ溜めだと知った時の絶望を!!」

 

 

口から血の泡を吐き出しながら、鬼気迫る表情でハリーが吼える。

 

 

「だから俺は誓った!ガキの頃歴史で学んだ大英帝国を蘇らせると!!俺の田舎の様に!誰も食うのに困らない国にすると!広く大きく強い国にすると!ガキの頃の俺に!お前の夢はゴミ溜めじゃないと!胸を張れる様な国にすると!!」

 

 

呼吸は左肺だけで行っている。

右肺には貯留した血液の様で、まるで水中で溺れたかのような息苦しさを感じている。

だが、それでも彼は叫ぶ。

 

 

「それは首相も同じだった!俺たちは同じだった!大英帝国はすぐそこだ!例え何をしようとも!必ず果たしてみせる!!お前にそれを!」

 

 

理想に燃える瞳で。

それ以上に、漆黒の希望に輝く瞳で。

 

 

「邪魔されてたまるか!!」

 

「なッ!?」

 

 

それまで死にかけ、崩れ落ちていたのが嘘の様に機敏に動き、西に足払いをかけてバランスを崩させる。

それでも倒れはしないのが流石の西だが、一瞬の隙は生まれてしまった。

その一瞬の隙が、ハリーに準備していた最後の策を打たせる時間を与えた。

 

 

「オォォッ!!」

 

ダンッッ!!!

 

 

車両のコントロールパネルに、事前に準備していた最後のキーを叩く。

 

 

「…なっ!?」

 

 

その瞬間、西の視界は奪われた。

突如立ち込めた煙に、目の前を閉ざされたから。

 

煙幕発生装置(スモーク・ディスチャージャー)』。

それは、大量の煙で煙幕を発生させ、視界を封じて身を隠すための機能。

この車両に搭載されていた、元々は緊急時にテラフォーマーから逃れるための装備。

 

能力を封じた。

攻撃手段も持った。

そして、視界を封じた。

 

人類は情報を得ることの大部分を視覚に頼っている。

では、そんな人類が突如、視界を奪われたらどうなるか。

 

 

「(み、見えねぇ…ッ!!どこにいやがる!?)」

 

 

どんなに冷静な人物であろうとも、パニックに陥る。

そしてその隙を、ハリーは逃さない。

 

 

「…邪魔を」

 

「ッ!?」

 

 

西の後ろから聞こえた声。

咄嗟に後ろを振り向くが、もう遅い。

 

 

「………するな!」

 

「カッ!?」

 

 

突如煙の中から注射器を持った腕が現れ、西の首筋に注射針が打ち込まれる。

首筋に打ち込まれた注射針から、一気に血管内に薬剤が流し込まれ、そして注射針が引き抜かれたと同時に膝から崩れ落ち、そのまま倒れた。

崩れ落ちる最中で、西は気付いた。

正確には、極々近距離だから、煙の中でも見えた。

 

 

「(…こいつ…、変態してやがる……)」

 

 

近くから見えたハリーの険しい顔。

それは、顔に線が浮かび上がり、ゴーグルから覗く髪には植物の葉の特徴が。

つまり、人為変態を遂げていた。

 

 

「(…モルヒネ…か……)」

 

 

徐々に霞がかって行く思考の中で、西はその結論に達した。

ハリーが死にかけの身体で俊敏に動けた理由。

それが人為変態をしたことにより体内で精製された、モルヒネによるもの。

モルヒネは医療の世界でもよく使用され、ホスピスなどでは末期ガンの患者に対し日常生活を送るのに支障のない量を服薬させることで、痛みなく生活を送れる様にしている。

つまり、今のハリーは擬似的な無痛状態。

奇しくもそれは、人類を脅かすテラフォーマーたちの持つ利点と同じものだった。

 

打ち込まれたヘロインの影響で、動くこともままならない西。

だが、それで終わるわけがなかった。

 

 

「…カッ!?カハッ!?」

 

 

混濁していく意識の中で、気が付いた。

呼吸ができない(・・・・・・・)と。

 

 

「………言ったはずだ。邪魔はさせないと…」

 

 

ヘロイン、いや、麻薬系の薬物には、ある特徴がある。

過剰摂取をすると呼吸中枢が抑制され、呼吸ができなくなるという特徴が。

今、西を襲っているのがそれ。

ここまで来たらもう、後は昏睡し、眠る様に死ぬしかない。

 

 

「…そのままそこで、寝ていろ」

 

 

倒れた西を放置し、紅へと向かうハリー。

痛みをなくしたが、ハリーの身体は動かせる様な状態ではない。

それでも、無理矢理動かして紅を抱え、高速脱出機へと向かう。

それが彼の任務だから。

 

 

「クソ…ッ。とんでも……ねぇもん……。ブチかまして…くれやが「……おねがいです…」…あ?」

 

 

不意に、彼の耳に届いたか細い声。

 

 

「…おねがいです……。西さんを…助けてあげてください……」

 

「…紅……お前…」

 

 

それは、涙を溢れさせながら大切な人のために懇願する、少女の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ!?」

 

 

西は目を覚ました。

咄嗟に飛び起きて、辺りを見渡す。

一瞬、ここがあの世かと思うが、辺り一面の苔と岩を見れば火星だと分かった。

でも、何で自分は生きているのか。

そのことが頭をよぎり、そしてその答えは足下にあった。

 

 

「…これは、人工呼吸器か?」

 

 

自分が立ち上がったことで足下に落ちたのであろう呼吸器が、そこにあった。

しゃがみ込んで手にとってみると、どうやらそれはこの車両に標準装備されている物の様であり、チューブが席の一つに繋がっていた。

そこでようやく胸元まで脱がされた『マン・イン・ザ・シェル』に気が付いた。

おそらく、呼吸器を取り付けるために脱がされたのだろう。

今こうして呼吸器が外れた状態で呼吸をしても無事だということは、細菌の毒は風で散っていることが分かる。

 

 

「……なんで、生かされたんだ…?」

 

 

解けない疑問が頭の内側を叩いてくるが、今それ以上に彼女には気がかりなことがあった。

 

 

「…紅は…連れて行かれたのか……?」

 

 

周囲を見渡しても、彼女が助けに来た少女はいない。

その疑念が確信に変わった時、彼女の中で何かが溢れた。

 

 

「………紅ンンンンッッ!!!」

 

 

少女の名前を呼んでも、答えはない。

ただ、風の音だけが聞こえるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「…さぁて、着いたぜ〜」

 

 

途中から現れた夥しいテラフォーマーの死体の上を、高速脱出機で移動した先にそれはあった。

まるで卵の様なフォルムをした、無数のテラフォーマーたちの死体の中に存在する唯一の文明の証にして、ハリーの希望。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『バグズ三号』だ」

 

 

その時は、訪れた。

 

 

 

 




勝者、『地獄の快楽』。

はい、というわけで、ハリーの勝利です。
かなりギリギリのラインで、ですけどもね。

とうとう『バグズ三号』に到着したハリーと紅。
二人はどうなるのでしょうか。

次回の更新を、お楽しみに!
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