インペリアルマーズ   作:逸環

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ある朝我らは船出する 頭をほてらせ
心中には憤怒と 苦い欲望を抱きながら
波の脈動にまたがって我らは進む
有限な海の上で無限の思いを揺らめかせつつ

~シャルル・ピエール・ボードレール『悪の華』より引用~


Flower Of Spy 任務完了

「………中にはゴキブリどもはいないみたいだな………」

 

 

本当ならば動かせない身体を、モルヒネで痛みをごまかしながら一歩一歩無理矢理動かし『バグズ三号』の内部を歩いていく。

その背におぶられた紅は、心労や疲労がたたったのか目を閉じて眠っている。

『バグズ三号』の近くにテラフォーマーが存在しないのには、つい数日前までいたシーザーが原因だ。

テラフォーマーが求める『技術』の塊である『バグズ三号』は、彼らからしたら垂涎物の品だ。

だが、近付けばシーザーによって殲滅される。

テラフォーマーたちはそのことを学習し、この近辺に立ち入ることを辞めていたのだ。

その判断はシーザーがいなくなって数日経った今でも続いており、それ故にテラフォーマーに荒らされることなく『バグズ三号』は存在できた。

 

 

「…あー…こっちの方にアレ(・・)があったはずなんだけど~……」

 

 

そんな『バグズ三号』の中を歩きながら、ハリーはとある物を探していた。

それは、過去二回の『バグズ計画』において、必ず搭載されていたもの。

一度目の時は地球に重大なサンプル(テラフォーマーの頭部)を送り、二度目の時は二人の生還者を地球へと送り込んだそれを。

そう、彼は―――――――――

 

 

「…………ああ、あった」

 

 

――――――――地球へ飛ばせる、小型ポッドを探していたのだ。

 

紅を小型ポッドの中に寝かせ、持ってきた地球までの40日分の水と食料を二人分。

それと、娯楽品を入れる。

40日という長い時間の中で、自分を保つために。

 

一応人為変態をしたことで、傷は塞がった。

それでも彼の身体が地球に辿り着くまで保つかどうかは、ほぼ不可能と言ってもいい。

だが、彼は最善を尽くし、地球へ向かう準備をした。

彼の悲願、大英帝国の再建のために。

 

積み込む荷物を入れ終え、ポッドの入口から眠っている紅の顔をハリーは眺めていた。

この後、この少女の身に起きるであろうことは、想像に難くはない。

紅式手術のサンプルとして、様々なことをされるのだろう。

その容易に想像できる未来に、胸が小さくズキリとする。

自分のしたことなのに、だ。

中国四班に潜入していた時、彼女らの偽りの仲間だった時。

彼はこの少し頭が弱く、しかし愛嬌があり優しい少女を可愛がっていた。

そのことは偽りではなく、本心からだった。

だから、今になって胸が痛みを訴えだした。

 

 

「……………紅…」

 

 

たった半日とはいえ、彼女をヘロイン漬けにした。

これから彼女の行き先に、地獄を用意した。

それらは全部、自分のやったことだ。

大英帝国再建のために、紅を犠牲にすることに躊躇いはない。

 

 

「(……だが、それでも…、せめて……)」

 

 

せめて少しでも、苦しい思いをしないで済むようにできるなら。

偽善的だが、ハリーはそう考えていた。

しかし、自分が地球に辿り着くまでに死んだら、その思いを伝える者はいなくなる。

いや、確実に自分はそれまでに死ぬだろう。

だからこそ(・・・・・)、紅をこのポッドに乗せたのだ。

一度打ち上げれば、特に操作しなくても地球へ帰るこのポッドに。

ポッド内の端末を操作して、扉を締めて1分後に飛ぶように設定をした。

後はメッセージを残すだけ。

端末に簡単な文書を打ち込み、保存する。

これで、準備は完了した。

 

そこで気付いた。

思わずその手で拳を作り、ポッドの外壁を叩く。

 

 

「……………あー、クソったれ…。なんで今なんだよ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じょうじ」

 

 

ハリーの背後の通路から姿を現したのは、一体のテラフォーマー。

火星は、個人の感傷など関知したりなどしない。

 

 

「…こりゃあ、俺は地球までは行けねぇなぁ……」

 

 

そう言いながらカプセル型の植物型用のクスリを服用して人為変態をし、小型ポッドの扉を外から(・・・・)閉めた。

 

1分。

飛び立つまでの1分間、『技術』を持つものを、女性を優先して狙う習性のあるテラフォーマーの魔の手から小型ポッドを守らなくてはいけない。

 

 

「(………可能か?)」

 

 

頭の中を、不安がよぎる。

例えモルヒネで痛みを誤魔化そうとも、ダメージを受けていることには変わりはない。

人為変態した際に傷そのものはある程度塞がっても、右肺はもう使い物にはならず、そして今も呼吸をするたびにゴボゴボと音がする。

 

だが、それでも。

 

 

「…邪魔はさせないぞ、ゴキブリ野郎」

 

 

戦わない理由にはならない。

 

 

「オオオオォォォォォリャァァァァァァァッッッ!!!!」

 

 

右手の高周波ブレードを展開し、テラフォーマーに突撃する。

高周波ブレードの斬れ味は、容易くテラフォーマーを断つことができるほど。

覚悟も決めた。

 

だが、しかし、それでも。

 

 

グチャリ

 

「………カハ…ッ」

 

 

それで良い結果に繋がるとは限らない。

 

ブレードは避けられて空を切り、テラフォーマーの腕がハリーの腹部を突き抜けた。

モルヒネで痛みは感じないからといって、これは流石に辛い。

まだ、10秒。

まだ10秒しか、時間を稼げていない。

 

腕でハリーを串刺しにしたまま、小型ポッドへ向かうテラフォーマー。

最早ハリーを、気にしてなどいない。

ただ、後で死体を回収するのが面倒だから、連れているだけだった。

だから、気付けなかった。

 

 

「…この距離なら……、避けれねぇだろう……?」

 

 

ハリーの心臓の鼓動が、まだ止まっていないということに。

 

 

ズブリ

 

「…じょう?」

 

 

一瞬の煌めきの直後、テラフォーマーの胸、つまり食道下神経節に高周波ブレードが突き刺されていた。

間抜けな声をテラフォーマーが出し、その胸に刺さるブレードを視認する。

そしてそのまま、崩れ落ちた。

 

自分の傷から不必要に出血しない様に、刺さっているテラフォーマーの腕を斬り落としてそのままにしておく。

 

 

「……ああ、そうだ…」

 

 

もう一つ、やらなければいけないことができた。

左腕に装着されていた、『プレデター』を操作するための端末。

震える手で、その画面を決まった手順でタッチし、今必要としている機能を動かす。

これで、30秒経過。

タッチが終わると画面にカウントダウンが表示され、1分のカウントダウンが始まった。

その画面を確認すると、小型ポッドへ目を向ける。

紅はまだ寝ているだろう。

せめてもの彼女の幸せを願いたいところではあるが、これから彼女の身に起こることの原因とも言える自分にはその資格はない。

だから、代わりにこの言葉を贈るのだ。

 

 

「………良い女に…、なれよ~…。紅~……」

 

 

柔らかく、微笑みながら言うその言葉。

それが、可愛がっていた彼女に贈れる精一杯の言葉。

その言葉の直後に達した、1分。

小型ポッドが飛び立ち、火星の上空を突き抜けて行く。

この瞬間、彼の任務が達成されたことが確実となった。

 

そして、もう残り30秒。

この『バグズ三号』を残しておくわけにはいかなかった。

残しておけば、シーザーの不在によって侵入できることを理解したテラフォーマーたちが、『技術』を奪っていってしまう。

それだけではなく、小型ポッドがないという事実も、『アネックス一号』のメンバーたちに知られるわけにはいかない。

 

勿論、自分の死体を残すこともできない。

 

『プレデター』に搭載された、最後の機能。

それは、非常に強力で、何より無慈悲。

モデルとなった映画の中での、使用方法から名付けられたその名は『アナザー・ワン・バイツァ・ダスト』。

その正体は、超強力な時限爆弾(・・・・)

 

『アナザー・ワン・バイツァ・ダスト』、その意味は。

 

 

「…『地獄へ道連れ』だ、ゴキブリども……」

 

 

残り、10秒。

彼はふと、モデルとなった映画でこれが使われたシーンを思い出した。

 

 

「……は、はは……。ハハハハハハハッッッ!!!」

 

 

そう、そうだ。

こうして笑っていたんだった。

嘲る様に、何かに満足したかの様に。

 

そして、残り1秒。

笑うのをやめ、満ち足りた笑顔で彼は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「任務完了」

 

 

 

 

 

 

 

 

大規模な爆発が起こり、『バグズ三号』が原型を留めないどころか木っ端微塵に大破する。

『技術』も、『情報』も、『死体』も。

全ては爆炎の中に消えた。

これでテラフォーマーは『技術』を奪えず、『アネックス一号』メンバーたちは『情報』を知ることができなくなった。

 

彼の、『ハリー・ジェミニス』の任務は、これで完全に、そして完璧な形で完了したのだ。

 

 

 




芥子
花言葉:「恋の予感」「いたわり」「陽気で優しい」「思いやり」「忘却」「眠り」


はい、というわけで『ハリー・ジェミニス』はこれにて退場となります。
実はこの人の何が凄いかと言うと、現在火星にいる者たちの中で唯一、自分の目的を完全に遂行している、勝者なんですね。
あの『幸嶋 隆成』ですら、目的を達する前に死んでいますし。
書き終わってから、そんな事に気が付きました。

次回からは、燈たちの話になるでしょうか。

それでは、今回はこれにて。
『任務完了』。
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