とある簡素な部屋に、三人の男女がいた。
男たちは揃って黒いタキシードに身を包み、女は給仕服に身を包んだ一団。
テラフォーマーの卵鞘が出品される、オークションパーティ会場のある階から、数階ほど下にある一室に、彼らはいた。
「全員耳に骨伝導スピーカーは付けたな?さて、それじゃあおさらいだ。FBIはガンキュールを、俺たちU-NASAはパッケージの確保が目的になる。もちろん、状況に応じてお互いの援護も行うぞ。加えて、可能な限りは避けたいところではあるが、戦闘になることも考えられる。しかしだ。こんなオークション会場にいる連中の中には、M.O.手術について知らないやつも多いだろう。あえて教える必要もない。ってことで、こいつを配布する」
普段はツナギで闊歩している故に、全く着慣れていないタキシードに身を包み、更には頭髪をオールバックに固めボーイに扮した男------つまりはスレヴィン------が、同じくスタッフに扮装したトーヘイとリジーに、それぞれ一枚ずつシート状の物を渡す。
「これは……哺乳類型用の変身薬ですか?」
「その通り。だが、いつものとはちょっと違う。U-NASAのイギリス支局が作ったもんでな、名称は『不完全変態薬』。効果は人間の姿を保ったまま、限定的に手術の効力を得られることだな」
「それって凄い技術じゃないですか?!」
「俺も驚いている」
イギリス支局謹製、『不完全変態薬』。
その効果は極めてシンプルであり、ベース生物の力を極々限定的な発現に抑える代わりに、人間の姿を保ったまま戦闘を行えるというもの。
スレヴィンたちは知る由もない事だが、これは中国が生み出した『
これが完成したと報告を受けた時の、キースの顔はそれはそれは悪い笑顔だったと、彼の側近や秘書たちは記憶している。
なんにせよ、これさえあれば人為変態によるM.O.手術、ひいては『免疫寛容臓』、テラフォーマーの存在の発覚を防ぎやすくなる。
その上で、スレヴィンは「だが」と言葉を続けた。
「だが、忘れるな。これはあくまでも、M.O.手術の存在を秘匿するためのもんだが、そんなもんよりお前たちの命の方が数倍以上に大事だ。この薬で得られる能力なんて、たかが知れている。少しでも必要と感じたなら、すぐに通常の『変態薬』を使え」
「寮監…………」
彼の言葉に、若い二人が目を見開く。
普段彼らは、言ってしまえば実験動物同然の扱いを科学者たちから受けている。
そのため、こうして技術や情報の秘匿よりも、自身の安全や生命を優先させろと言われるなど、ほぼ皆無に等しかった。
だからこそ驚き、そして嬉しく思う。
「って、おいおいお前ら。そういう面は、任務達成してからにしろ。頬が緩んでるぞ?」
「「ッッ!!?」」
揶揄う様な彼の言葉。
言われて気づき、咄嗟に二人揃って頬に手を当て、口元を抑えてしまう。
「ハハッ!素直で結構だ!そんじゃあ気合い入れ直せよお前たち!」
「「はい!!」」
そんな二人の背中を、男はバシンッと力強く叩き、笑いながら渇を入れる。
これからが仕事の時間であると。
命のやり取りが待っているかもしれないと。
必ず生きて戻る様に、と。
「それじゃあ、『
「「了解!!」」
三人が、戦場へと扉を開けた。
ピアノとバイオリン、ビオラにチェロの
ステージから響く音楽と、招待客たちの話し声がこの空間を巡る。
誰かが給仕に声をかけグラスを受け取り、そしてまた誰かとの談笑を楽しむ。
時折華麗なスーツに身を包んだ男が、シャンパンのグラスを片手に美しい女性に声をかけ、一晩の恋を楽しもうとするのは、こういう場でのお決まりというものだ。
そんな中、
「ジェームズか。こちらスレヴィン。予想外にシャンパンの出が良すぎる。追加を準備してくれ」
「ちょっと待ってくれボーイさん。今日の本業はそっちじゃないだろ」
「ぶっちゃけ、ハイスクール時代にバイトでボーイした時を思い出してる」
潜入のためボーイを行っていたスレヴィンからの一番最初の通信に、別室で待機しコールを受けたジェームズが脱力した。
ちなみに、スレヴィンの持っているお盆の上にはシャンパンのグラスが3つ乗っているのみになっている。
だが、この状況は仕方がないのかもしれない。
なにせこのオークションパーティでは、比較的裏側の人間が多いものの、表側の金持ちまで多く参加している。
このオークションパーティには、テラフォーマーの卵鞘だけが出品されるわけではない。
合否合問わず、様々な美術品や貴重品、珍品が出品されるのだ。
珍しい物、美しい物、貴重な物、そして他人が持っていない物。
それらを欲しいと思うのは、人の常なのだから。
「まあ、それはそれとしてだ。そちらさんのターゲットは見つけたぜ」
「それを先に言え!」
「でけえ声出すなよ。こういうのはゆとりが大事だと俺は思うぜ?」
ジェームズを揶揄う様に、ククッと笑うスレヴィンだが、その目はターゲットを捉えて離さない。
視線で悟られぬ様に、視界の中央ではなく常に端に置き続け、時折客の間を移動するなどした際に自然にしっかりと再補足する。
既に彼はターゲットを、このオークションにおけるテラフォーマーの卵鞘の出品者であり、犯罪組織『ブラック・パレード』の幹部である『ガンキュール・ダッドリー』をいつでも捕らえられる姿勢に入っていた。
簡単な話だ。ゆっくりと、さり気なく近づき、忍び寄り。距離を詰めたら一気に捕らえる。
彼の手術ベースである『マダコ』も、その体表面の色素を変え、隠れたり忍び寄ることを得意としている。
人知れず指を数度、音を鳴らしながら握る。
護衛たちは見たところ腕利きのようだが、これでもアネックス1号の
まずは足だ。立ち振る舞いを見るに、聞き足は右足。ならば先にそちらを破壊しよう。膝を蹴り抜けば簡単に済む。
その次は両手を踏み潰す。それで完全に無力化できるはずだ。
卵鞘は、二人に任せれば大丈夫だろう。
些か以上に手荒だとは自覚しているが、可愛い青少年の命を預かっている身でもある。
自分が死ぬだけならそれで仕方ない。死ぬつもりもないし死ぬわけにはいかないが、人間死ぬときは死ぬ。軍属だった身の上故に、そこははっきりと理解している。
だが、あの若い二人はその限りではない。自身が守らなくてはいけない存在だ。
こんな鉄火場に連れてきてしまっているが、本当ならあの二人はまだまだ普通の学校に行き、普通の生活を送り、普通に友人と遊び、普通に恋をして、普通に青春を送っていたはずなのだ。
守らねばならない。普通の人生を歩みづらくなってしまった彼らが、普通の人生を送れる様になるまで。
タイミングは決まっている。テラフォーマーの卵哨が出品されると同時に、会場の全ての電気が消される。
それに乗じて、事を成せばそれでおしまい。
「悪いけどボーイさん。グラスを一つ貰えるかしら?」
「はい、シャンパンしかございませんが、よろしいですか?」
そう考えていた思考を、女性の声により中断される。
今はボーイに変装し、この場に紛れ込んでいるのだ。
ならばそちらの仕事もきっちり行わなくてはいけない。
自身に声をかけてきた、青く、華やかかつ胸元を強調した、思わず
「ありがとう。素敵なボーイさん?」
「ッ!……いいえ、どういたしまして。素敵なお嬢様?」
グラスを渡す際に、彼女はわざとスレヴィンの手を包む様に、甘い仕草と微笑みで受け取る。
それに一瞬驚いた表情になるも、すぐに平静を取り戻し答える。
「……ねえ?ここを抜け出して、一緒に私の部屋に来ないかしら?」
「お誘いは嬉しいのですが、まだ仕事がありますので」
「あら、残念ね」
話している間も、女はグラスとスレヴィンの手を離さず、まだ話足りないとばかりな様子を見せている。
「仕事は何時までなの?」
「このパーティーが終わってからも片づけ等ありますので……一概には言えませんね」
「そう。じゃあ私の部屋番号を教えておくから、お仕事が終わったら、何時になっても良いから来てくださる?」
「……そこまでおっしゃるのであれば」
「良い?よく聞いてね?3……9……1……よ?分かったかしら?」
「…ッ!……ええ、分かりました」
蠱惑的な声色で彼女が部屋番号を教えると、途端にスレヴィンの表情が硬直するが、それもまた一瞬のことであり、ニコリと女に微笑みを返す。
「そう。それじゃあ、楽しみにしているわ。また後でね
「……ええ、また後で
そこでようやく、指先を名残惜し気に一度スレヴィンの手の甲に這わせてから、女はゆっくりと手を離した。
ゆるり、女に流し目を送ってから、スレヴィンは自然に、ゆっくりと。しかし会場から出る扉までの最短距離を、客たちやテーブルの間を縫いながら歩いていく。
そのまま会場の外へ出て、すぐ近くの一室------FBIの待機室へと入った。
「おい、どうしたんだスレヴィン?シャンパンの追加ならここじゃな「ジェームズ!この案件の調査をしているのは、FBIだけなのか!?」…………は?」
軽口で迎え入れたジェームズに、思わず怒鳴りこんでしまう。
突然の事に、目を白黒させるジェームズが何も言えないでいると、畳みかけるようにスレヴィンは言葉を続けた。
それも、衝撃的な言葉を。
「
「な………ッ!?」
幸い、この部屋は完全に防音となっており、スレヴィンの怒号も外には漏れることはない。
だからこそ、感情のままに彼も大声を出しているのだ。
「3、9、1だ!このホテル『ウンディーネ』は、3階に客室はない!そしてそれぞれの数字に対応したアルファベットは!?」
「……Cと…Iと……A………。おい、嘘だろ!聞いてないぞ!!」
「……クソッタレ!必ずしも共同歩調をとるわけではない上に、内容が内容だけに内密に進めすぎたな……!各所で連携が取れてねえ……!」
思わず二人揃って煙草を咥え、火を点けようとしたところでお互いに思い止まりながら、二人の思考は混乱の渦に巻き込まれていく。
「……スレヴィン、FBIにはCIAへは連絡していないし、逆もまたしかりだ」
「……こっちもだよ。少なくとも国家の害になる様な事はしねえだろうが……あそこは何を狙った作戦を組んでるのかが分からねえからな……。ただでさえ、この会場には犯罪者だってそれなりの人数いるわけだしな……。………ああ、それともう一つだ」
「……なんだ?」
自身の持っていたお盆に乗っていた、残ったシャンパンのグラスを飲み干し、目つきを鋭くしながら彼は伝える。
「………あの女、俺の本名を知ってやがった。手を握ってる間、モールス信号で何度も『V』を送ってきた。Vだぞ?」
「V……?それにお前の本名……というか俺のちゃんと知ってる方の名前と言うと……?………………Vサインか!」
「そうだ。Vサイン。つまりピースサイン。俺の本名は『ピース・ラックマン』。……まあ、俺はある意味では有名人だから仕方ないかもしれんが……」
「……警戒の必要はあるだろうな」
こちらの情報が一方的に相手に知られている状況。
CIAという、国家規模で見れば味方であるはずの相手に、強い警戒心を抱いてしまう。
「…………まあ、とりあえずCIAさんには警戒しつつでだが、予定通りに動こう。こっちとしては、それしかできない。だが、それさえできれば俺たちの仕事は完璧だ」
「だな。……頼んだぜジェームズ」
「任せな、同期を信じろって」
お互いにククッと笑ってから、拳を打ち合わせる。
20歳を過ぎて、何をハイスクールの学生染みた事をとは思うが、それでもやらずにはいられなかった。
信頼している同期の桜とは、こうも心強いものかと、思わずにはいられなかった。
笑わずには、いられなかった。
張り巡らされた蜘蛛の巣に、今にも引っかかってしまいそうな。そんな嫌な予感をしつつも。
テラフォーマーの卵鞘のオークションまで、残り1時間30分
まさかの事態に、パニクる大人二人。