「はいはい、今戻りましたー」
「おぉ、ハリー。遅かったな?どこ行ってたんだ?……それどうした?」
「まあ、出かけた用事は後にして、これはあれだ」
ハリーがホテルの男部屋に戻ってきたのは、その日の深夜だった。
スレヴィンが昼間のビルから落下したダメージを消すために既に寝ており、腹の痛みで寝付けなかった東堂が訝し気に声をかける。
何故か出て行った時には持っていなかったのに、その手にいくつもの花が入ったバスケットを携えているのだから。
その花をいくつか手に取ると、備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを2つ取り出し、中身を半分ほど捨ててから花を生けるハリー。
そして微笑んでこう言った。
「素敵なレディが二人もいるのに、花の一つも贈れないようじゃあ
「ジョンブルすげえ!!?……ッ。いててて……!」
これが
人為変態をすればダメージも回復するだろうが、そもそも人為変態自体が体にかかる負担が大きい。
そのためスレヴィンからは、まだ人為変態で回復するのを止められていた。
その様子を見かねてか、ハリーが自身の専用装備を取り出す。
「まあ、見舞いも兼ねてだな。ああ、大河。腹痛んでるんだろ?キャロルに打つついでだ。ほら、痛み止め打ってやるよ」
「……なあ、それ中身聞いて良いか?」
「モルヒネ」
ハリーの専用装備とは、ケシを手術ベースとする彼の血液からモルヒネを生成、充填する『ヘブン・ステイアス』。
モルヒネは違法薬物としてのイメージが強いが、実際は医療現場でも使用されており、癌患者の痛みの緩和にも使われている。
とは言え、用法用量はシビアに守らなければいけないので、こんな気軽に「ちょっと痛み止め使っとく?」くらいの気持ちで使うものではないのだが。
「あ、あー……。気持ちだけ受け取っとくぜ」
「だよな。ほら、
「お、おぉ。ありがとうな」
「You are welcome」
ポケットから取り出した鎮痛薬の箱を大河に投げ渡し、続いて部屋に置いてあった新聞紙を先ほど花瓶にしたペットボトルへと巻き付けて、折り紙の要領で形を整えていくハリー。
事前に形をイメージしていたのか、その手の動きに淀みはない。
「……器用なんだな」
「ジェームズ・ボンドが不器用だったらがっかりだろう?」
「ハハ、確かにな」
そんな事を話している間に、新聞紙のデコレーションは完成した。
ペットボトル部分は完全に隠され、花びらの様な花瓶へと変貌している。
「……大河。この花を買った相手はな、まだ10歳になるかならないかの女の子だった」
「ハリー……?」
「そんな子供が学校にも行かず、籠いっぱいの花を、外人を狙って売りに来るんだ。金を持っているからな」
飾られた花の位置を、チョイチョイと調整し、最も映えるであろう造形を探していく。
「ジャパニーズだと、どんな貧乏人でも中学までは行けるから分かりづらいだろうが、ここはそういう国だ。……残念ながら、我が国イギリスも田舎はともかく都市部ではその傾向が出始めている」
そういう意味では、今最も上手くいっている国はフランスあたりだろうな。そう彼は嘯きながら、バスケットに残っていた花を一輪手に取り、花瓶に足す。
「この世界が人口の飽和によって慢性的な貧困が続いているのは知っているな?だが、
「とある人物……?」
「『ニコラエ・チャウシェスク』。1900年代において24年間に及ぶ独裁政権をこの国に築いた、独裁者だ。学校で習わなかったか?」
「……………………習った習った!うん!覚えてねえけどな!!」
「……さては学校サボってた口だな?まあ、良い。肝心なのは、このチャウシェスクが俺たちの探し物である、アダムの拠点を教えてくれたってことだ」
「は!?分かったってのか!?」
「ああ、明日の朝、隊長が起きたら説明する。大河も薬飲んだら寝ておけ。俺もキャロルにモルヒネ打ったら寝るさ」
自身の言葉に驚く大河に、新しく冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターとチョコレートを投げ渡す。
薬を飲むための水だけではなく、チョコレートも渡したのは空腹時の服用を避けさせるためだろう。
「すまねえな。あ、もしかしてさっき言ってた、出かけていた用事ってその事か?」
「いや、それとはまた別件でな。ちょっと人と会ってたんだ」
人と、な。そう彼は、微笑みながら言った。
同日同時刻。地球のどこか地下深くにある神殿の様な所で、一人の女性が苛立たし気にある気ながら電話を握りしめていた。
「あーもう……!なんだってあんなところに、
『
苛立たし気に握られている携帯電話は、ニュートン一族の中でも上位に位置する人類最高峰の肉体の力によって、悲鳴を上げながら罅割れていく。
だが、そんなことは気にしていられない。
見る事もなく適当に、しかし的確に放り投げられた携帯電話はゴミ箱に見事に収まり、その役目を終える。
先程までは機能していたそれから与えられた連絡は、彼女をして最大級に警戒しなくてはいけない、最悪のものだった。
曰く、この10年活動しておらず、そして1年近く存在が確認されていなかった『水無月 六禄』が、若返ってルーマニアにいる、と。
故・携帯電話のことは即座に頭から叩き出し、急いで廊下を走る。
別に彼がルーマニアにいる事が問題なのではない。
現状、彼によって侵害されて困る施設は、あの国にはない。
『水無月 六禄』がこのタイミングで生きていることが問題なのだ。
ニュートン狩りで有名な彼には、『槍の一族』も散々煮え湯を飲まされ、辛酸を舐めさせられた。
まあ、実際のところ被害を受けたのは槍の一族以外にもいくらでもいるので、この件に関しては槍の一族に限った話ではない。
最大の問題は、
あの一連の出来事において、エドガーは明確にオリヴィエを邪魔だと認識した。
それまでの放置で良いという捨て置く考えではない。自身が神になるにあたり、邪魔であると断じたのだ。
とすれば、打ってくる手はいくつか考えられる。
その中でも最悪に位置する手と言えば、ニュートン狩りを送り込まれる事。
2年前のあの時。既に彼は84歳というバリバリの後期高齢者。
その身は老いと病に蝕まれ、アメリカ陥落には遣わされなかった程の状態だった。
その状態で槍の一族に与する赤の宣教師たちの中でも最強の一角を、事もなく下したのは流石だろう。
だが、それがその時の限界だったのだ。
年齢に見合わぬ精強さ。しかし、老いは確実に彼を弱めていた。
例えば、体力。飛行機による移動すら、老骨には堪える。
例えば、食事。ご飯の盛られた茶碗に重みを感じ、トロミの付いていない食事ではむせ込むようになった。
例えば、病気。喫煙による肺癌は手術したが、肺の切除により呼吸機能は下がっていた。
だから、代理戦争には送り込まれなかった。
「なのに……!!」
『シド・クロムウェル』という自分を狙った存在を『自身の』騎士としたエドガー。シドもまた、数多のニュートンを狩った男だ。もちろん、彼も脅威ではあった。
だが、その驚異の長さに関して言うなれば、そして刻まれた記憶で言うなれば。エドガーではなく、『デカルトの』暗殺者たる六禄の方が強い。
およそ半世紀。50年近くに渡り、ニュートンを狩り続けたその歴史は、槍の一族にも刻まれてしまった。
その脅威が、全盛期を超えた最盛期を迎えてしまった。
真偽はどうあれ、見過ごす事はできなかった。真実であった場合、その駒をあのエドガーがどう使うかなど、容易に想像できてしまうから。
ならば、どうするか。
「呂布!呂布はいるっすか!?」
脅威は、更なる脅威で叩き潰すに限る。
辿り着いた扉を些か乱暴に開け、中にいるはずの人物に声をかける。
が、返ってくる声はない。
「……呂布?おーい、呂布ー?いるっすよねー?」
声をかけながら室内に入り、きょろきょろと見回す。
すると、いた。いるにはいた。
上はTシャツ、下はパンイチで耳にイヤホンと鉛筆を付けて新聞片手にラジオとにらめっこしている、2m近い巨漢が。
「……………………………」
入るまでの熱が、一気に冷めるのを感じる希维。
ゆっくりと近付き、彼の背後から忍び寄る。
「りょ「フンガアアアアアァァァァァァッッッ!!!!また負けたァァァァァァァァッッ!!!」ホンギャァ!?」
突如振り上げられた男の両拳が、希维の顔面にヒット!!
うら若き乙女としてはどうかと思う様な悲鳴を上げ、そのまま崩れ落ちた。
「あん?……おわぁ?!す、すまねえ希维ちゃんさん!この俺たる呂布としたことが!」
「い……いや、大丈夫っすよ……」
何故わざわざ自室なのにイヤホンをしてラジオを聞いていたのか。また負けたという事はネットなりなんなりで馬券を購入したのだろうが、セキュリティというものを何だと思っているのか。
その他にも希维は色々と言いたいことがあったが、巨躯を小さくしてオロオロとしている男を前に、頑張って飲み込んだ。
「そ、そうか……。あ、鼻血が……。えーと、てぃっしゅてぃっしゅ……この辺に……」
顔面事故で粘膜が切れたのだろう、希维から鼻血が垂れてきたのを見てごそごそと手近なテーブルの上を探る男。
それを鼻を押さえながら眺めつつ、何故自分はこんなのを戦力として真っ先にカウントしてしまったのだろうかと、自己嫌悪してしまう。
だが、それだけこの男は強いのだ。
どうしようもない程、失敗作だというのに。
「お、あったあった。ほら、希维ちゃんさん。鼻に詰めると良い」
「……こっち見ない様にお願いするっす」
「あ、はい」
希维も女性。そこに何らかの特別な感情がなかろうとも、異性を前に鼻にティッシュを詰めた姿は見せたくないのだ。
「と、いうわけで。貴方にはルーマニアに即座に行ってもらうっす」
「るーまにあ?希维ちゃんさん、俺たる呂布はるーまにあになんて行ったことはないが、言葉とか道案内とかは?」
「それなら、適当に人選するので、呂布もすぐに準備するっす」
「おっけい。俺たる呂布に任せておけ」
親指を立てて了承する呂布に、希维は溜息をつきながら言葉を返す。
「呂布。確かに貴方は最強となるべくして最強になっているっすけど、相手は人類最高峰の肉体を持つ一族を屠り続けた怪物っす。気を付けるっすよ」
「任せろ希维ちゃんさん。怪物退治は古来より、俺たる呂布の様な英雄の得意分野だ。ところで希维ちゃんさん。その怪物がいるって情報は、誰から聞いたんだ?嘘っぱちとかじゃないのか?」
「その点は大丈夫っす。最下位とは言え、槍の一族の人間が持ってきた情報っすから」
希维の言葉に納得する呂布。
それには理由があり、槍の一族たちはニュートンの一族の中でも特異な面々ではあるが、ニュートン一族が持つその社会性動物の極みの様なより上位の者に仕えるという本能と、その本尊たる『オリヴィエ・G・ニュートン』への崇拝は本物を超えて狂信的。
それを知っているからこそ、一族の者がニセ情報や確証のない情報を送ってくるわけがないと分かった。
「ふむ、それじゃあ俺たる呂布が怪物退治に
「あ、私は今回はお留守番っす」
「何ぃ!?」
なお、呂布はまだTシャツパンイチである。
希维と呂布が会話し、出立の準備を始めるまさにその同じ時間に、もう一か所。会話をしている人物たちがいた。
その場所は、フランス。
そこにいる人物とはつまり、
「クハハハハハッッ!!!あのバカ者め!急にいなくなったと思ったら、余を笑い殺す気か!!クハハハハハハハハハハハハッッッ!!!!!」
「私としては笑い事ではないんですけどねぇ?」
フランス共和国大統領、『エドガー・ド・デカルト』。
そして共に会話をするのは、仕立ての良いスーツを着た、初老の眼鏡をかけた紳士。
「ククッ!いや、しかし笑うしかなかろう。死にかけた老いぼれが若返り、道化に
「その死にかけた老いぼれが若返ったという段階で、私は泣けてきますよ」
「貴様はそうだろうな。余とてレオから最初に聞いた時には耳を疑った。あの
男の名は、『ジュアン・バルテ』。
医学に精通した医者であり学者であり、エドガーが私財で創設したフランス最大の大学の学長を務める人物だ。
およそ運動とは無縁そうな細い体躯であり、少なくとも戦う種類の人間でないことはうかがえる。
「そう言いながら、うちの倅にメールをしようとするのは止めていただきたいですな大統領。私のところに倅から鬼電が来るでしょう」
「余に指図をするな」
ジュアンの静止もむなしく、エドガーの手に握られた端末は仕事を果たし、送り先へとメールを届ける。
その数秒後にはジュアンの携帯から電話のコール音が鳴り響くが、彼は冷静に通話を拒否するとそのまま電源を切った。
「しかし、父にも困ったものですな」
「何事もなかったかのように会話を続けようとするな貴様。そういうところが貴様の父親とそっくりなのだ」
「そんなことは、どうでもいいんです。それで、わざわざその報告のためだけに私を呼んだわけではないのでしょう?」
「うむ。一つ聞くが、貴様が声をかければ、あのバカは戻ってくると思うか?」
「あの父がそれで戻ってくると思いますか?」
「やはりそうか。……そこの棚にロアールの2510年がある。取れ」
「グラスは二つでよろしいですな?」
「許す」
ジュアンが棚からワインボトルとグラスを取り出し、慣れた手つきでコルクを開けようとして気づいた。
「コルク開けはどこですかな?」
「ボトルをよこせ」
ジュアンからボトルを受け取ると、人差し指を立てるエドガー。
そのままコルクへと指をあて、さして力を込めた様子もなくコルクをボトルの中へと押し込んでしまった。
コルクはちゃぽんっとワインの中へ落ち、色々間違ってはいるもののボトルは確かに開封はされた。
「それ、父もやってましたよ」
「余にこれを教えたのは貴様の父親だ」
あのバカ親父と天井を仰ぐジュアンを尻目に、2つのグラスにワインを注ぐエドガー。
深い赤の液体が並々と注がれ、グラスぎりぎりまで達する。
それを零さずに持ち上げて飲むエドガーと、零さない様に先に口から迎えて飲むジュアン。
「……そういえば、最近私曾孫が生まれまして」
「貴様孫が10人はいただろう?一番上のところか?」
「ええ、それで思ったんですが、玄孫が生まれたとなれば戻って来る事はないにしろ、顔を出しに来るのでは?」
「それで一時的に帰ってきても、あの男の場合面倒ごとも一緒に連れて来そうだからやめろ」
「確かに」
そう言い合いながら、2人揃って頭を抱える。
あの男、父。そう呼ばれる存在はそれだけ頭痛の種だった。
『水無月 六禄』は、頭痛の種だった。
そうしてしばらく話していると、不意に廊下から慌ただしい声と足音が聞こえてくる。
それに目を向け、ようやく来たかと三つ目のグラスが用意される。ただし、酒は高いワインではなくハイパードライを新しく出したが。
そして勢いよく私室の扉が開けられ、男が飛び込んでくる。
「親父!大統領!!爺さんがルーマニアで若い女に手を出したって本当か!?」
「「……………違うわバカ者ォッ!!!!」」
「え!?違うの!!?」
エリゼ宮殿に、フランス共和国親衛隊第二歩兵連隊長、『セレスタン・バルテ』の声が轟いた。
「それで、奴らの本拠地ってのはどこなんだ?」
「簡単な事でした。「ここはルーマニア」という奴の言葉を紐解けば、容易に分かった事です」
翌朝、ハリーは『トート・ダガー班』と無自覚カップルを相手に説明を始めた。
「ルーマニアはかつて、『ニコラエ・チャウシェスク』という独裁者によってとある存在が生まれました。それが
かつてルーマニアに君臨した独裁者、チャウシェスクはその政策として国民に産めよ増やせよを奨励した。人工妊娠中絶の例外を除いた禁止まで行い。
その他にも様々な人口増加政策の結果、町には貧しい孤児たちが溢れかえり、ストリート・チルドレンの集まりとなっていった。
『チャウシェスクの落とし子』という、忌み名を付けられて。
「彼らはこのルーマニアの寒く厳しい冬を乗り越えるために、ある場所に集まり、そして犯罪組織として拡大していきました。そしてその場所を、ターゲットたちは利用しているものと考えられます」
タブレット端末を操作し、一つの図面を見せる。
「都市に埋められた地下のパイプ網。その出入口の一つの上に、あのビルは建っていました」
「あー……どうりですぐに姿が消えたわけだ」
「つまり、ムロクさんは!」
「さーて、そろそろ分かった頃か?早く来いよ、ガキ共。俺がボケてくたばる前にな」
太陽の光が注がぬ地下空間。
怪物はそこで、待っていた。
英雄たちを、待っていた。
おまけ1
ハリー「ほら、モルヒネのついでと言っては何だけど、女性の部屋に来るんだ。花の一つもないとな?」
キャロル「うわぁ、綺麗……あれ?この花瓶って、もしかして手作り?」
ハリー「そういう事。ちなみに、こういう事もできる」(キャロルの手を握ると、スルスル出てくる万国旗)
キャロル「それ、スパイじゃなくて泥棒がやった奴じゃない?」
ハリー「チッ、バレたか」
キャロル「舌打ち?!」
おまけ2
ロスヴィータ「それじゃあ、検査するわね」
六禄「どんとこい」
ロスヴィータ「100-7は?」
六禄「あ、体の検査じゃなくて認知症検査の方?」