実在の場所、国、伝説、人物、時代等をモデルにしてはありますが、関係ありません。性的描写は、ほんの匂わせる程度。『源氏物語』や映画『タイタニック』より健全だと思います。血が流れる等グロテスクな表現はありませんが、反社会的な(現代の法を犯している)描写があります。
また、東方神霊廟の設定を活かしたものとなっておりますが、神霊廟キャラクターの元ネタの伝説・逸話等とはかけ離れております。
昔昔ある国に、仙人になることに憧れた、一人の娘がおりました。その美しきこと、大いなる女神の愛情を身に纏う月のようであり、夜であれ昼であれ、娘の住む質素な家からは光が零れていたといいます。
娘の光ること如何にまばゆかったかについては、彼女についての最も古い記述、すなわち娘がその育ての親に拾われた際の話にも残っております。
彼女の育ての父親もやはり仙人に憧れていたものですから、常日頃より、やはり仙人になるために竹林にて修行をしておりました。ある日彼が修行を終えて、家へと戻っておりますと、新月の夜にも関わらず、遠くの方に煌々と輝く光を見つけました。星などという小ささではありませんでしたので、不思議に思って近寄ってみると、そこには美しく輝く赤子がおりました。面相見の才などがなくとも、彼女の貴い身は一目瞭然、彼は赤子を家に連れて帰りました。
家で彼を待っていたのは妻ではなく、実家から送られた身の回りをするための奴隷身分の女数名、しかし如何なる身分であっても女は女。赤子の世話をすることくらいは容易いだろうと、彼は赤子の世話を彼女たちに任せることにして……いえ、彼女たちの力を借りながら、なんとか自らの家で育てあげようと思ったのでした。いつの世でもあることです、彼もまた、隠遁の身でありながら、美しい娘がいるのならば、権力者に嫁がせようという俗人同様の欲を持ったのでありました。
そういえば、これはあまり関係のないお話なのですが、彼女の噂を聞いた海の向こうの国の人間は、彼女の噂を元に物語を書いたのだという話もあります。
その物語の主人公である姫君は、より美しく成長した後、数多の男に求婚されたのですが、さてこちらの娘はと言えば、なんともあっさりと縁談が決まったのでした。
お相手はとある権力者の息子、浮き名を流すようなこそなかったものの、一臣下としての評判はすこぶる悪く、戦に出してもいつも後ろに引っ込んでしまう、それでは策を練らせてみようとすると齢二十にも満たなかった雑兵から策の穴を指摘され、戦は駄目だ、都で政治の補佐をせよと言われれば、やはりろくな言葉一つ発せず、誰にでも彼にでも「その通りでございます」「まことに」「私も賛成です」などと申す、一言で言うなら「どうしようもない男」でした。いいえ、私も酷評するつもりはございません。それでも後に彼の妻となった…例の美女、名を青娥と申しましたが、その娘は彼をそう評しておりました。元より美しく聡明で、その割に質素な家で育ちました青娥、彼の贅を尽くす限りの生活に嫌気が差しておりました。或いは、彼女の仙女への憧れと、それから来る質素なものを好む性格も関係していたのかもしれません。
さて、このどうしようもない息子、ある日大変なことをやってのけたのです。すなわち、こういうことでした。
彼はその性質から、ある時あわや首を刎ねられるほどの危機に立たされました。その時、咄嗟に彼が出したのが、すなわち妻である青娥だったのです。
「分かりました、それでは我が妻に特別に接待をさせましょう、それでいかがですか。」
そう慌てて彼が言った途端に、彼の首を刎ねようとしていた高官はすぐさま機嫌を直し、そうか、名家の息子の妻にそのようなことをさせるなど、本来ならば許されないし、私としても気分が悪いものだが、その相手があの噂の美人となるのなら別だ。ああ、あの月のように、透き通るような白い腕で私に酌をしてもらいたいものだ、舞わせ、歌わせ、弾かせてみたいものだと、すぐに機嫌をよくしたのでありました。
そのことに味をしめた彼は、その後も青娥を、妻というよりはまるで自分の買った芸妓のように扱い、あちらの高官と繋がりを持つために青娥を利用し、こちらの高官と繋がりを持つために青娥を利用したのでした。
その中におりました官人の一人、海の向こうからいらっしゃいました芳しき香りの君が、青娥の運命を大きく変えたのでした。
芳の君が青娥の住まう家を訪ねました頃には、もう青娥はすっかり心を病んでしまっておりました。考えに考え抜いた結果、それでも自らの身を救う法など見つからず、そのうち考えることさえ虚しくなってしまいました。ただ毎夜毎夜、客人の相手をするばかり。
芳の君もそうなのだろう、そう思い、青娥は彼に宛がわれた寝室へと案内をし、しかしその後も暗く生気の抜けた表情で、中々去ろうといたしませんでした。
「なぜ、貴女はいつまで経っても去ろうとしないのですか。」
芳の君の落ち着きのある温かな声が、青娥の止まっていた思考を再び動かしました。
「なぜ…って、あなたさまのお世話をするためですわ…」
芳の君は心底驚いたような表情をいたしました。
「お相手…それは、貴女のご主人の命ですか。」
「はい。あのお方はいつもそうなんですの。もう慣れましたわ。ささ、興の醒めますお話よりも…」
「…逃げたいとは、思われないのですか。」
「…何とおっしゃいましたでしょうか…。」
「誰かから強いられる運命。貴女はそこから逃れたいとは思わないのですか。」
「法などどこにございましょう。」
「私がお作り致しましょう。」
そう言うなり芳の君は青娥を連れてさっと馬上へと引き上げ、遠く遠くまで連れていきました。
このようにして青娥は屋敷から解放されたのでした。その後、芳の君は青娥を一つの運河の舟のそばへ下ろし、その後の青娥の身の振り方についてお言葉を下さいました。
「港町まで行けば、我が国へ帰る船が着いております。この玉をお持ち下さい。船の者は貴女を拒むことはしないでしょう。賢い貴女には、我が国の聡き御子様にお仕えして頂きたいのです。」
ああ、また「お仕え」か。一瞬だけ青娥は失望色に染まりました。しかし、それでも一人の方にお仕えするのと屋敷に戻って芸妓扱いされるのと、どちらがましかと考えると、すぐに海を渡る決断を下したのでした。
「あなたさまはどうなさるのですか。一緒に海を越えないのですか。」
「私にはまだこちらで仕事が残っております。それに、貴女が逃げるための時間を稼がなければなりません。」
そうおっしゃる芳の君のお顔はどことなく物憂げだったのですが、しかし青娥はまだ考えるための十分な気力を取り戻しておらず、ただ
「分かりました。それでは、あちらでお会いできることを楽しみにしておりますわ。」
と別れの言葉を告げました。
それに対し芳の君もまた、
「そうですね、いずれは彼岸でお会いできることでしょう。」
そう言い残したと思いきや、さっと馬を繰って去っていってしまいました。
それからはあっという間でした。一人残され強がってはみたものの、やはり心細く、行く先を心配していた青娥を裏切り、運命というものは意外にも優しい面を見せるものでして、賊に襲われることもなく無事に港町へと着き、玉を見せれば芳の君を待っていた船員たちは慌てて青娥を船へと案内し、君を待たずして大陸を離れたのでした。
こうして聡く美しき娘は、大陸より更に東にございます島国へと渡ったのでした。
そこで青娥を待ち受けていたのは、大陸で受けていた仕打ちとはあまりに異なるものでした。女ながらに輝ける彼女の噂をかねてより聞いていたその国の聡き御子様は、彼女に主に仙人になるための助言を求めました。その重用すること重臣が如く。また聡き御子様は幸いなことに徳のあるお方でもあったため、決して彼女に溺れ国を傾かせることはありませんでしたが、その代わりに彼女をぞんざいに扱うことも致しませんでした。青娥の扱いは、始終異国から来た大切なお客人でした。
ですが、聡き御子様の時代も永遠に続くわけではありませんでした。聡き御子様も、普通の「お隠れになる」のとは別の意味で永い永い眠りに就く時が来たのですが、それを機に青娥も宮仕えを辞めることといたしました。別に居心地が悪かったわけではございません。ただ、政も青娥にとってはどうでもいいことの一つであった、それだけだったのです。
聡き御子様の助言係という仕事を終えた今、もはや青娥は自由でした。その頃には仙人になるための修行の成果もすっかり出ており、青娥はもはや人間ではなく、立派な仙人となっておりました。仙人となったからには桃源郷、すなわち仙人の住まう地にこそ身を寄せるべきだと考えた青娥は、ただ一つ人の世にございます心残りを解消するため、一度大陸の方へ寄り道してから彼の地へと渡ろうといたしました。
ただ一つの心残り、それは、聡き御子様も心にかけていた、あのことでした。
「私はかねてより貴女の噂を聞きつけて、貴女のお力を頼りたいと思って、大切な臣下の一人を大陸へとやったのですが、未だにあの者は帰ってきません。あの者は果たしてどうなったのか、生きているのか死んでいるのかすら分かりません。聡き御子と讃えられる私、大抵の物事はすでに片付けてしまったのですが、そのことだけが心残りです。」
そう言われて、初めて青娥もあの芳の君のことを思い出したのです。そうして思い出せば思い出すほど、思い出はより色鮮やかになって仕方がなくなったのです。それはもう、恋しいという言葉を用いても十分なほどの想いを抱くようにまでなっていきました。
仙人の術を手に入れた青娥にとって、島国から大陸へと渡ることはなんとも容易いことでした。ですが、大陸に渡り、芳の君の行方を探るために、まずは自らの囚われていた屋敷をそっと訪れ、かつて自らに宛がわれていた部屋を覗いた時の驚き、恐怖、絶望、そういったものが混ざり合った忌々しい感情を堪えることは、大変難しいことでありました。
青娥のいなくなって久しいその屋敷で彼女の代わりを勤めていたのは、あのうっとりとするような良い香りのする君と同じ香りを漂わせる娘でした。ただし、それはただの娘ではありませんでした。もちろん、一見しただけでは普通の美しくて芳しい娘でした。ですが、よくよく観察してみると、その娘は明らかに異様なのでした。呼吸をせず、食事もせず、眠ることもせず、また厚く化粧を施した顔をよくよく見てみると、健康的な美しい白さをしていると言うよりは、まるで血の通っていないような蒼白さを持っているのでした。
青娥は、心の奥底から湧き上がる真実を告げる声を押し殺し、必死にとうに出ている結論を抑えるように、物の陰から娘の身体に触れました。娘の身体は、ひどく冷たくございました。
この香り。あの君とあまりに同じ香り。背の丈も良く似ていらっしゃる。思い返せばあの方は殿方にしては少し小柄であった。あの夜、なぜあの方は私に何もさせずに、すぐに連れ出しなさった?少し戯れてから連れ出すという方法もあったものを。先を急いでいた?なるほどそう言われればそうかもしれない。しかし、それでも。
青娥には、目の前にいるこの娘があの芳の君と他人とは思えなかったのでした。
結論から言えば、青娥の推理は悲しいことに当たっていたのでありました。
「あア、青娥…さま。」
その口から零れた声の、なんと痛々しかったこと。
「愛し君、私の愛しい方。どうして、一体、何があったのです?」
しかし問いに答えるより先に、まず娘は無事で良かったと青娥をぎこちなく抱きしめるのでした。それからやっと、自らの身の上について明かしました。
芳の君、本名を芳香といったのですが、彼女は元々政の補佐を行う名家の生まれでした。困ったことにその家の唯一の男児は若くして亡くなってしまいました。そこで彼女の父は、政の際に重視される、大陸の言葉に最も明るい娘、芳香をその男児として育てたのでした。このようなわけで彼女は男の身なりをし、大陸とのやりとりを主に担当していたのですが、その仕事の一環が青娥を大陸へ連れて帰ることだったのでした。
芳香は青娥を川に下した後、彼女の逃げる時間を作るために、男の装束を解いて、大陸の女風に身なりを整え、夜分にそっと青娥の元夫の元を訪ねたのでした。芳香の美貌に虜となった彼は、青娥を失ったことを知っても、ただ代わりに良い娘が手に入ったと喜んだのみで、特に青娥に執着する様子を見せることはありませんでした。そして、それまで青娥にさせていたことを、代わりに芳香に行わせ、また客人が満足した後には自分の相手を芳香にさせるのでした。
それだけでは飽き足らず、ある日青娥の置き残した書物の中に「死人を腐らせず自在に操る術」があるのを見るなり、芳香に永遠に若く美しい姿のままでいてほしいと願った彼は芳香を殺め、そしてその術を彼女の死体に用いたのでした。
「そうでしたか。」
術が完全でなかったせいか、芳香の身体はぎこちなくしか動くことができず、その言葉も大変ゆっくりとしたものでした。ですからその話も大変長いものとなったのですが、それを聞き終えた青娥はゆっくりと立ち上がり、部屋の灯火を手に取り、それから部屋の中を素早く漁って紙を見つけるなり、それに火を移しました。
「せいが…サマ。何を、なさル?」
「この家の人間は皆重罪人です。あなた様をこのような酷い目に遭わせたのですから。」
部屋のあちらこちらに、炎が点ってゆきました。炎はやがて屋敷を焼き、庭を焼き、それでは飽き足らず、どのように移っていったのか、いつの間にか都中を燃やし尽くしたのでした。
その罪の重いこと。芳香を連れ桃源郷を訪れた青娥は、そこに入ることを拒絶される程でした。理由を尋ねると、本来は入ることを許されない者、つまり芳香を連れていたからではなく、彼女がはもはや仙人ではなく、ただの邪仙でしかないから、と答えられたのでした。
それ以来、この世で青娥と芳香の姿を見た者はおりません。時々風が、大陸で誰々が呪い殺されたとか、祟られる地があるとかいう噂を運んでくるので、青娥のことを知っている者はぼんやりと邪仙伝説を思い出すようなこともあったのですが、やがてそういう者も皆亡くなってしまいました。
ただ、悲しき邪仙は今でも、どこかで死体を愛でながら、寂しくも二人で楽しい日々を送っているのではないかと、こうして思いを巡らせるのみであります。
最後までお読み頂きありがとうございました。感想、ご意見等ございましたら、励みにもなりますので感想等残していって下さいますと幸いです。特に今回タグをつける際、R15とすべきかどうか、どのようなタグをつけるべきか悩みました。タグの付け方についてのご意見を頂ければ大変助けになります。