ちなみにこの小説にシリアス分があるかどうかは、作者の名前を見て察したまえ。
___かないで___
___いかないで___
___れないで___
___はなれないで___
___わたしから、また___
___また、わたしをおいていかないで___
かえってきて___かえって___もういちど、わたしのもとに___
もういちど___もういちど___
いえ___いいえ___
もうにどと___もうにどと___
わたし を あいさない で
◆◇◆◇◆◇
夢から覚め、まだ目蓋を下ろしたまま最初に感じたのは波消しブロックにあたる波音だった。
目蓋を開き昼の陽射しに顔をしかめながらも目を凝らすと、そこそこ綺麗な海と水平線が目に入る。
辺りを見回せば俺は防波堤の先端に座っていた。寝ながらでも釣竿を放さなかったのは幸いだろう。徐々に意識が浮上し、この防波堤にひとりで釣りに来ていたという事を思い出して竿を握り直す。
釣りを放っておいてまでなんの夢を見ていたのか思い返そうとするが、霧が掛かったように何も出てこない。何故か重要だった気がするので思い出したいのだが、何故夢を思い返したいのか考え始めると途端に馬鹿らしくなり、竿に意識を集中させた。
とは言え、日が登る前から来ているのにも関わらず、未だ空の折り畳み式の生け簀がぽつんと立っている今日の戦果を見るに眠るのも仕方がないか。まあ、磯釣で大物を期待するだけ無駄というものかも知れないがそれはそれだ。
「ん…?」
とりあえず起きてから初めて竿を軽くあおろうとするが、糸も竿も全く動かない。
「根掛かりか……」
針が岩の間等に挟まり、抜けなくなってしまったのだろう。
要は"大地を釣った"という奴だ。
この時、何時もの判断ならハサミで糸を切っていただろう。だが、朝から何も成果がない現状と、回りに誰もいない事が重なりそのまま千切れるまで引き上げるという暴挙に出ていた。今使っている磯釣の仕掛けなぞ釣具屋のワゴンでワンコインで3つ程買えるという事も後を押した。
全力で引き上げた竿がしなり、暫くすると手応えが軽くなる。竿が上に跳ね、海面から糸が飛び出す。
『Aaaaaaaaaaaaaaaaa――』
だが、飛び出したのは糸だけではなかった。何かが歌のような音を上げて糸と共に水面から飛び出した。正午から傾き始めた太陽を遮る。陽光に照らされたソレはきらびやかに輝くライトブルーの色を目に映す。
だが、次の瞬間には重力に従い真下にいる俺目掛けて落ちた。
『Aaaaa…u!?』
「うぉぉ!?」
ソレは勢いよく俺の胸に飛び込んだ。
勢い余り俺はソレと共に防波堤のコンクリートの地面に背中から倒れ込む。倒れたまま自分の腹の上を中心に感じる軽めの重みから確かにソレが存在していると実感出来た。
頭を起こして受け止めた形になったソレを視認する。
まず目に付いたのは人間では到底不可能な半ば透き通るライトブルーの長髪だ。そして、両耳の後ろから生えている半ばから断ち切った輪を繋げたような黒緑色の大きな角とそれに走る金色の装飾染みた規則的な模様。全身を見れば160cm程で、肌に感じる温かさと微かに呼吸で上下している様子から女性の形をした生物のようだ。
『Auuuuu……』
暫く呆然としていると彼女は顔を上げ、閉じられていた目蓋がゆっくりと開かれた。
息を呑むとはこの事だろうか。開かれた直後から真っ直ぐと俺の顔を見詰める彼女の瞳は、淡く柔らかな黄昏の陽のように鈍い輝きを帯びた濃い桃色の瞳をしている。
暫く俺は固まったまま彼女を見詰め、彼女は少しだけ驚いた表情で目を見開いていた。
いつまで、そうしていたかわからないが、きっとそう時間は経ってはいないだろう。先に口を開いたのは彼女であった。
『――(?kvs…?』
しかし、開かれた口から紡がれた声は俺の耳には言葉には聞こえない。いや、言語として言葉として認識出来ない何かに聞こえた。ただ、何か呟いたという事だけはわかった。
多少冷静になったところで、彼女を改めて見回すと角に針が絡んでいるのを見付ける。
「これで釣られたのか…」
どうやら事の原因は俺にあるらしい。
彼女に付いている針を取る為に角に手を掛けようとすると、彼女は何処か怯えた表情になり、身を強張らせた。
しかし、何故か逃げようとはしない事を疑問に思い、手を宙に浮かせたまま彼女の様子を観察しているとあることがわかり、顔をしかめる。
「お前、縛られてるのか…?」
鎖のようなもので手足が縛られている。どうやら逃げないのではなく、逃げられないらしい。大方彼女を俺のように発見した人間が彼女を縛り付けてその最中に逃げられたと言ったところだろうか。明らかに人間ではないのは確かだが、こんな美人さんに対してはあんまりな扱いだ。
「全く……ちょっと待ってろ解いてやるから」
手を針から手枷に移して触れて、少し様子を見てみる。
紐並に細い割には異様な程強固な鎖だ。そこらのホームセンター等で取り扱っているような品では無いだろう。
仕方がないので俺の魔術回路に魔力を通し、肉体の強化に注ぐ。それから鎖を握り直すと、指の上で暫く鈍い音を立てていたが、ある力加減を越えた途端に半ばから千切れた。
『Aa…?』
酷く驚いた表情で切れた鎖と、解かれた手を交互に見詰める彼女。その結果に満足していると、彼女は心底不思議そうな様子で俺を眺めていた。さっきのような怯えた様子はもう無い。
『__doue#uq 0qddoue』
今度伸ばした手はすんなりと角に触れ、少し冷たく硬い感触が伝わる。絡まった糸を解しているとまた、彼女から声が聞こえた。
それにしてもやはり、俺の耳にはただの音の集合体にしか聞こえないようだ。ただ、その音は歌のように何処か心地好く耳に残る音色をしている。きっとこれが彼女の言葉なのだろう。わからないのが残念でならない。
『__0qd fy"@y ui ?』
「悪いな、言葉がわからない。俺の母さんなら君の言葉がわかるかも知れないが……と言っても最後に家に帰って来たのが1年以上前だしなぁ。あまり期待はしないでくれ」
確か、"カルデア"とかいうところで働いているらしい。とても標高の高い場所に造られた観測所だと聞いている。極秘らしく仕事内容は実子にも一切知らされていないが、観測所と言うのだから空に見える星の研究でもしているのだろう。
『__Aaaaaaaaa』
それを聞いてかどうか、彼女は最初のようにより歌のような声を上げる。
俺は彼女の足の鎖にも手を掛けて外す作業を行いながら、彼女はどういう存在なのか考えていた。
歌のような言葉
水色
宝石のような瞳
海で釣れる
これらから彼女がなんなのか、序でに縛られていたかを考える。すると簡単に答えは出た。実在したのだな。まあ、母さんが居るのだから居ない事もないか。
「そうか、君は"人魚"なのだな。そうだ違いない」
『at@$ 0qd wィ#js』
なんだが、抗議しているような気がしないでもないが、相変わらず何を言っているのかわからない。しかし、縛られていた人魚となるとこの辺りに彼女をそうした人間がまだ居ないとも限らないな。
「よっと」
『Aaaa?』
人魚さんの首の後ろと大腿部の後ろに手を通して抱える。一切抵抗せずに抱えられた彼女は驚くほど軽くまた、海から引き揚げられたというのに全く濡れていない。
ただ、それよりも気になったのは彼女の表情が、終始どこか物悲しげに映った事だろうか。放っておけば消え入ってしまう。そんな脆く儚い姿が酷く印象つけられる。
それを見たかからかどうかはわからないが、俺はいつの間にか口を開いていた。
「決めた。君は暫く俺の家に居るといい。もう決めたぞ」
密猟者……密猟者? まあ、いいやそういう存在が近くにいるのなら危ないだろう。見たところ陸に上がっても大丈夫なようだしな。
『Aaa…』
彼女は腕の中で暴れずにじっとしているので、了承も得たとしよう。俺はそのまま歩き出したが、暫く進んだところで足を止めて引き返す。
「竿、竿」
危ない釣竿を忘れるところだった。母さんが昔誕生日プレゼントにくれた大事な竿なんだ。"摩訶不思議な魔法の竿"等と言っていたが、母さんが持ってくる物はそんな眉唾な物ばかりな為、最早驚かない。
そう言えばこの釣竿に銘として刻まれている。
"ゼルレッチ"
というのはひょっとしたらこの釣竿の製作者だったり、前の持ち主だったりするのだろうか。人魚を釣り上げられる竿とは大した物だ。
そんな事を少し考えたが、腕に抱く人魚さんの事を思い出し、直ぐに忘れると家路についた。