Guilty Gear Xtension―ギルティギア エクステンション―   作:秋月紘

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Chapter 4 "Reminiscence" Part A

Chapter 04

Reminiscence

A

 

 

 真っ暗な夜の帳の中。悪路に車輪を時折弾ませながら、明らかに一般的なそれより高い速度で馬車は走り続ける。手綱を引き、黙々と馬を制御しているソルの後ろ、ガタガタと揺れる幌の窓から、火傷の痕がある程度引いたらしいノーティスが申し訳なさそうに顔を覗かせている。

 

「多少は動けるようになったらしいな」

「……おかげ様で。まだ肋骨とか左腕とか残ってるけど」

「……知るか」

 

 素っ気ないソルの反応に恨み言を口にしながら、少女は再び幌の中へと引っ込む。搭乗口として大きく開けられたままの布地が風に靡き揺れる様と、濃紺の星空とを眺めながら、少女はただ馬車に揺られ、少しでも傷を癒そうとじっとうずくまる。

 遠くに見える月に伸ばそうとした右手が、心を蝕む後悔を諸共潰すように握り締められた。

 

「ギアってさ、ホントはもっと凄いんだと思ってたよ」

「……あんなモンはただの化けモンだ」

「そ、バケモノ。だから人間に出来ないこともできるって、ずっと思ってた。あの後も、多分ずっとどこかでそう思おうとしてた」

「懺悔は俺の担当じゃねえと言っただろうが」

「……じゃあ、神サマにでも聞いてもらうわ」

 

 ぽつりと呟かれた言葉に、明らかに不機嫌さを滲ませたソルの方を一瞥して、やがて少女は瞳を閉じる。勝手にしろ、とこちらを見もせずに言う男の声を薄れていく意識の中で聴きながら。

 

 

 

『聞いたか、『死にたがり』がまたギアの集団を撃破したらしいぞ。このまますぐポーランドの方に出たメガデス級の封印作戦にも参加するらしい』

『なんだ、また死に損なったのか? 戦果を挙げるのは良い事だが……付き合わされる部隊の連中も大変だな』

 

──そんな心無い渾名を聞くようになったのは、いつからだっただろうか。法力や法術での補助も碌にできず、医療に聡い訳でもなく。

ただ自分がギアで、人間より格段に強いから、それだけの理由で前線に出て戦い続けていたら、いつの間にか、誰からともなくそう呼ばれるようになっていた。

 

「部隊も私も別にやられてないし。そもそも一緒に突っ込ませてるわけないでしょ、馬鹿じゃないの」

『……腕に自信があるのは結構だが、軍神の真似事はやめておけ。命が幾つあっても足りないだろ』

『死に場所を探したいなら勝手だが、カイ様の胃に穴を開けないようにしてくれよ。ただでさえソル=バッドガイの奔放ぶりに頭を抱えてるっていうのに』

「あんな子供に心配されるほど間抜け晒してないし、自分の事か軍神って名前の問題児を気にする様に言っといてよ。話聞いてるだけでも私より酷いし、天才サマはアレで次期団長候補なんでしょ」

 

──戦火の中から私を拾い上げたあの人から、自分より幼い少年を聖騎士団団長の後任にすると聞いて、始めは正気を疑った。

だが、聞いている内に冗談ではない事も、それに足る器であるという事も聞かされてその場では納得を示したが、やはり釈然としなかったし、プレッシャーも含めて相当な大任であるはずの団長職を、あのような少年が務めるなど、正直な話認められるはずもなかった。

 

『ええと、本日より、クリフ前団長の後任として聖騎士団団長に就任しましたカイ=キスクです。不安も、もちろんあります……ですが、私にこのような大役をお任せくださったクリフ様と、この神器、封雷剣に誓って。私は……いえ、我々聖騎士団の手で、人類を勝利へと導きましょう!』

 

──自分がその座に就くなどと、思いあがっていたわけではないけれど、10代やそこらといった年頃の少年が自分たちを率いるなど、到底考えられなかったのだ。

 だが。クリフ団長の辞意を受け晴れて後任となった彼は、事実としてそれに相応しい振る舞いをし、更には自身でも素晴らしい戦果を挙げ帰ってきて、いつしか何ら恥ずべきところもない、名実ともに聖騎士団団長としての振る舞いを身に着けていた。

 

──そして、それが気に食わなかったから。ギアである私の方が人間よりも多くの敵を倒せるし、多くの人を守れると戦場を駆け回り、やがて自分の身を省みなくなっていった。

 

『そういえば小隊長、そのバックル傷だらけですけど、最初なんて彫ってたんですか?』

「秘密。今更彫り直すようなもんでもないし。アンタがメダルの男の子の事聞かせてくれるんなら教えてあげる」

『ええー、それはちょっと……恥ずかしいじゃないですか』

「バックルの内容を自分で説明するのも結構嫌だからね」

 

──戦火の中で父を失い、自分が化物なのだと知った私が聖戦という地獄の中で出来たのは、戦う事しかなかったから。

 その様を端から見れば『死にたがり』にしか見えないのも、当然のことだった。

 

 

 

「ニューデリー郊外の部隊より救援要請。ギアの大群と戦闘中、大型ギアの姿も確認しており、現状の戦力では戦線を維持できないとの事です」

「……他の部隊は?」

「現在近隣の部隊も当区域にて同大群と交戦中、おそらく我々の部隊が最速で救援可能かと思われます」

「すぐに救援に向かおう。小型艇の準備も進めて、いざとなったら救護と法支援から人借りて私が先に降りるから。まだ欠番の守護神も決まってないし再編も終わってないんでしょ?」

 

 そして、2175年8月25日。聖騎士団所有の飛空艇、その管制室にはギアの出現を示す鐘の音が、救援要請のアラートがひっきりなしに鳴り続け、対応に追われる人員達が忙しなく艦内を駆けずり回っていた。もう既に夜も深く、聖戦という異常事態でさえなければ今頃は皆が夢の世界に居られただろうという時刻だ。

口内に歯を立て、慣れた手順で眠気を殺し、苛立ちを隠して、少女は壁に預けていた大剣をその背に負う。

そして、救援要請に答えるため全速力を上げて空を切る飛空艇の中、歯噛みしながら到着を待ち続けていた。

 

「!? ま、待って下さい、ここから北西方向、街道へ進軍するギアの大群を確認! こちらにも大型反応あり、ニューデリーの中心部へ向かっています!!」

「ちッ……陽動か、小型艇出して!」

 

 しかし、続けて鳴り響いた出現警報と、地図上に現れた光点に管制官の顔が青ざめる。悲痛な声を聞いて確認した地図に映っていたのは、此処よりも遠い地点の、しかも救援に向かっている場所から反対方向に現れた大量のギア反応であった。

 慌てて制止しようとする者の声も聞かず、少女は管制室の出口へと駆け出す。そして、扉の前で一度足を止めてノーティスは涼しい顔をして振り返った。

 

「隊長!?」

「法支援と法術一隊ずつこっちで使うから、残りは救援にそのまま向かって!」

「ですが」

「命令! アンタ達は救援先の指揮下に入りなさい。死にたがりの下より安全でしょ?」

 

 冗談めかして言う少女に、同行している部下の一人が笑って答える。違いありませんね、と。一瞬の間をおいて、肯定してるんじゃないとノーティスは不機嫌そうに言いながら扉の向こうへと姿を消した。

人の行き交う廊下を駆け抜け、小型艇の発着所へと飛び込んだ少女を、既に準備を済ませていた団員たちが出迎える。二三状況を確認するための会話を交わし、小型艇へと搭乗し発艦を待つ。

 

「遅れてる大型ギアを先に獲る。小型艇での追跡時間が大体30分程度になるから、法支援は準備を万全にしておいて」

「作戦は?」

「飛空艇で追跡してる間に高火力の法術と転移、それからフロートを両方準備。私が対象の直上から動きを止めるから、それを確認したら最大火力を一気にぶち込んでくれればいい」

「……奇襲、ですか」

 

 渋い顔をする一人に向けて、少女は頷く。

 

「救援要請は無視できないし、かといってこの戦力で前方の部隊を優先しちゃうと、大型ギアに追いつかれた時が危険でしょ」

「では、転移とフロートは」

「保険って所ね。対空攻撃を持ってるギアも最近確認されてるから」

 

 眉間に皺を寄せるノーティスを不安げに見る数名の姿。考え事をしていた彼女はそれに気付くと、わざとらしくため息を吐いて姿勢を崩した。その様に身構える者達を見て少女は気だるげに口を開く。

 

「『死にたがり』たって別に心中志願じゃないんだから、そういう視線向けるのやめて欲しいんだけど」

「し、失礼しました。私も、一度見たきりなので何とも言えませんが、なぜあのような戦い方を? 今回の作戦にしろ、ご自身が一番危険に晒される可能性が高いですし」

「別に、大した理由じゃないよ。その方が気楽ってだけだし、守護天使に任命されちゃってるけど、命預かるの性に合わないからね」

 

 そういう意味じゃ一人で好き勝手戦ってた軍神サマと大差ないかもね、などと自嘲気味に笑いながら、少女は甲板へとその足を向ける。やがてその縁に立ち、眼下に広がる暗闇の中から、ひときわ大きな紅い光を見つけ、その唇を歪ませた。

 

「よし、見つけた。準備は?」

 

 懐から取り出したメダルを開き、管制室へと問いかける。そして間もなく返ってきた『万端です』という声を聞き甲板上に展開された部隊を見て、少女は手摺へとその足を掛けた。

 

「戦闘開始、合図はこっちから出す」

 

 そして、少女の身体は深い藍の中へと溶けて行く。凍てつく風と、落下速度がもたらす高揚感に歯をぎしりと鳴らし、大剣をゆっくりと背中のホルダーから引き抜く。

三十秒ほどの自由落下、足を止めた大きな影がこちらにその紅い瞳を向けるのと、彼女の剣が重力を得て放たれるのは、ほぼ同時であった。

 

「喰らえッ!!」

 

 全身のバネを使って剣を振りかぶり、真下へと向けて力いっぱいそれを投擲する。おおよそ鉄塊と評していいそれがギアの肉体に突き立てられるまで、数秒の時も必要とはしなかった。肉と骨を貫き、重力とノーティスの力を一身に受けたその刀身は、小さくないクレーターを轟音と共に大地に作り上げる。メダルに向けて声を張り上げ、遅れて拳を突き立てようとしたノーティスだったが、違和感が悪寒を伴って背筋を襲う。

 直撃と同時に合図を出し、それから二秒。事前に詠唱を終わらせ、複数人で制御を分担する手筈であったのだが、一向に上の法術部隊から追撃が来ないのだ。本来であれば、合図の直後に発動できるだけの練度と下準備を重ねていたにもかかわらず。

その違和感と悪寒に従って反射的に防御姿勢をとったノーティスの目に、鞭のような何かが凄まじい速度で此方に向かってくるのが見えた。

 

「ぐっ?!」

 

 側面から強烈な打撃を受け、少女の身体が大きな砂埃を上げて地面へと激突する。煙る視界に微かに映ったのは、自分の乗っていた小型艇が、飛行型ギアの奇襲を受け爆発、炎上する姿であった。

驚愕に見開かれていた眼をすぐさま正気に戻し、バウンドする身体を空中で捻り体勢を立て直した直後、此方に向けて飛んできた物体を躱すように二本の足が地面を蹴る。

 少女が投擲された赤黒い塊の正体に気付くのに時間は要らず、足元に転がってきたメダルの破片が、()()が誰なのかを雄弁に語った。

 

「ぁ……あああぁぁぁッ!!!」

 

 咆哮を上げるノーティスの瞳が、目の前に立ちはだかるギアと同じ紅に輝く。そこから行われたのは、ギアと人間との戦争ではなく、理性を持たない化物同士の凄惨な殺し合いだった。

かまいたちを伴い振るわれた長く伸びる爪がギアの肉体を引き裂き、先端を硬質化した突起に守られた触手が少女の腹に風穴を開ける。

暴風が瓦礫を吹き飛ばし、ギアが放った炎をそのまま倍加させて大地を焼き払う。腕を引き千切り、足を切り裂き、やがてどちらが流した物かも分からない血に塗れた人影が、ギアの頭部を握り絞め、無くなった筈の左腕を剣に変えて刺し貫く。

 これまでの憎しみ全てをぶつける様に、何度も何度も顔面を裂かれ、いつの間にか大型ギアと呼ばれていたそれは、ただの肉塊へとなり果てていた。

 

「……行かなきゃ、アイツ等を殺さなきゃ」

 

 焦点の定まらない紅い瞳が遠くに霞む町明かりに向き、大きな裂傷を負ったはずの脚が地面を踏み締め、残りのギアを追い掛けようと進んだ直後。遠く離れたその場所で、一際大きな光が瞬いた。

 そしてそれが何の光であるかなど。考えるまでもなかった。

 

 

 

「これは……」

 

 そして夜が明け、立ち尽くすノーティスの姿を見た少年は絶句するしかなかった。赤黒い血溜まりの中心に打ち捨てられている、ズタズタに引き裂かれた大型ギアの死体と、全身を返り血で染め上げた生き残りの少女。彼女が持っていたのは、写真の切れ端が張り付いたメダルの欠片。言葉を交わすこともなく、少年はこの場所で何が起こったのかをおおよそ理解する。

しかし、ともすれば火に油を注ぐ結果となりかねず、また彼自身の未熟さも相まって、少年からは彼女自身の身を案ずる言葉を掛けることが精一杯であった。

 

「……ご苦労様です、ノーティス。遺留品の回収は我々で行います、貴女は休んでいてください」

「団長。……救援に向かった私の隊は、どうなりました?」

「……」

 

 光を失った瞳が、カイの方へと向いて問いかける。長く続いた重苦しい沈黙を破った彼の答えは、手放しで良いと言えるものではなく、ともすれば少女の精神に追い打ちを掛ける物にすらなり得た。

 

「ニューデリーで交戦していた隊の約半数が負傷、戦死しました。貴女の隊の損耗率は六割、その内八割強が戦死。……出来るなら貴女自身が、見送ってあげて下さい」

「……どうして、責めないんですか」

「それは」

「足元の大型ギアに気を取られて、飛行型を見落として……私の判断ミスで、死ななくて良い人間が死んだの。なのに、どうして」

 

 カイが小さく首を振り、短く整えられた金髪がそれに伴って揺れる。悲しみや怒りの混じる、しかし明確な決意が籠った瞳に射貫かれ、彼女は言いかけた言葉を飲み込む。

 

「相手がギアである以上、必勝も常勝も有り得ない事は皆理解しています。生き残った我々が出来るのは、後悔で足を止める事ではなく、この戦いを終わらせるために前に進むことです」

「でも」

「……幸いにも、避難をしていたからか襲撃にあった村での人的被害はありませんでした。貴女達が別動隊を追撃してくれたおかげですよ」

 

 やがて慰める様にカイが口にした言葉は、少女の心を折るのに十分な力があった。彼女らは、別動隊の最後尾にいた大型ギアと、飛空艇を襲った幾らかの飛行型ギアをかろうじて倒せただけに過ぎず、村にギアが到達することを伝えられた訳でもなければ、村に向かうギアを殲滅出来た訳でもないのだ。

 

 つまり、少女がその身を挺し部下を失ってまで戦わずとも村人は避難していたし、聖騎士団の手を借りずギアの大群を倒せるだけの何者かがその場にいて、少女らが手を出すまでもなく村は守られていたのだと。カイの口から告げられた事実は、そのような結論を導き出してしまった。

 

「……ノーティス?」

「『そこ』は、私が手を伸ばそうとして、届かなかった場所なんです」

 

 震える声が、カイの耳孔を叩く。

 

「何の、話ですか」

「伸ばされた手を端から掴んでいけるような天才サマには、ずっと分かんないでしょうね」

 

 そう吐き捨てて、血塗れの破片を握りしめたまま少女はふらふらと歩き出す。血で描かれた足跡を残し、カイの呼びかける声を無視して進む。とにかく、此処から一歩でも遠く離れたかった。

 

ただ単にそちらの調査が行われていないせいで、気付いていないだけなのかもしれない。そこへ行けば、今のような発言はしなかったかもしれない。だが、少年は、自分がこれまで『そうしてきた』ように彼女たちも『そう出来たもの』として今回の戦闘を語った。

 そしてそれは、戦うしか出来ず、その戦いすら満足にできないと悔いた少女の自尊心を、あっけなく砕いてしまったのだ。結局、カイは無理矢理にでもノーティスを止める、という手段をとることが出来ずに離脱を許し、この時を境に少女は聖騎士団という組織から姿を消すこととなる。

 

「……要するに、私に着いてきた連中は無駄死にって事じゃないの」

「なるほど、君があの大型ギアを倒したのか。その体躯に似合わず剛毅な事だ。ああいや、ギアか、それならば納得だが……彼といい君といい、自覚の有無はともかくとして近頃の聖騎士団は毒を以て毒を制すがモットーらしいね」

 

 血に塗れたまま街道沿いを一人歩く少女の前に、黒い影と紅いマントが姿を現す。蝙蝠のようなシルエットをとったマントの中から、一人の男がひょっこりと顔を覗かせた。モノクルとタキシードが特徴的な、髭を蓄えたその紳士は柔らかな口調で彼女に語り掛ける。

 

「アンタは」

「いやなに、君の敵ではない事は確かだ。ただ一つ、礼を言わせてもらおうと思ってね」

「……礼?」

 

 訝しむノーティスを気にする様子もなく、紳士はパイプを手に口を開く。

 

「君と、君の部下のお陰で村に怪我人や死者を出さずに済んだ。有難う」

「……大型ギアが一つ減ったくらいで何が礼よ。冗談じゃないわ」

「その大型ギア一つで戦闘の影響が何倍にも大きくなるだろう? 理性も品性もない兵器などに負ける道理は無いとはいえ、生身で出来る事には限度というものもある」

 

 そう穏やかに語る紳士の表情は至極真面目なもので、その態度にノーティスも少しずつではあるが警戒を緩めてゆく。信用するには情報が不足しすぎているが、かといって敵として攻撃に移るにも決め手に欠ける、という調子だった。

 

「何それ。慰めてるつもり?」

「まさか。君がどう受け取ろうと勝手だが、私は伝えるべき事を伝えにきたに過ぎんよ」

「……ああ、そう」

 

 投げやりな返事をして男の横を抜ける様に少女は再び歩き始める。足取りの覚束ない彼女を見るでもなく、紳士は靴音を鳴らして街道をノーティスとは逆の方向へと進み始めた。そして数歩進んだところで二人は足を止め、彼はどこへ向かうともしれない少女へと声を掛ける。

 

「無力感から逃れられないというなら、まずは自分の手の届く範囲を知るところから始めるといい。その上で折れるような事がなければ、いずれボタンではなく腕そのものを取れる様になるだろう」

「忠告ありがとう。その時は改めてこの欝憤をぶつけさせてもらうわ」

「礼には及ばんよ。観察者のたまの気まぐれだ。あと、気まぐれついでに一つ教えておこうか」

「……何?」

「復興が済んだら、君が守ろうとした村の酒場に行きたまえ。美味い酒が飲めるぞ」

 

 『スレイヤー』別れ際にそう名乗った男の袖から毟り取ったボタンを弄びながら、少女は不愉快そうに呟いた。

 

「『Dandyism』、ねえ……ていうか、一応見た目未成年なのに酒勧めんじゃないっての」

 

 

 

 一際大きな揺れに、少女の意識は現実へと回帰する。未だ走り続ける馬車の中でまどろむ少女は、インナースーツの胸元に手を差し込み、その中からチェーンに繋がれたメダルの欠片を取り出す。星と月の光に照らされて光るそれを見ながら、ノーティスは小さく息を吐き出した。

段々と小さくなる馬車の揺れが目的地へと近づいている事を示し、迫ってくるその時を思えば、自ずと意識が自分の今置かれている状況へとシフトしてゆく。あの時とは違う。自分の手の届く範囲ならば取りこぼさない、と。

 

「今ならあのオッサンの腕くらいは取れるのかしら」

「あん?」

「何でもないよ」

 

 ソルの訝しむような声に端的な言葉を返して、少女はメダルに視線を落としたまま男へと問いかける。

 

「……そういえば、何であの時殺さなかったの?」

「殺せと頼まれたわけじゃねえからな」

 

 一言答えてまた黙ってしまうソルに対して、どう声を掛けようかと迷い、やがて諦めたように首を振る。奴等の仲間からこの馬車を奪う直前の発言といい、先程のやり取りといい、ほぼ間違いなく彼はカイから事の顛末を聞いており、そして自分たちが向かう先に彼もいるのだろうなと考えると。

自業自得ながら、彼女の気分はより悪い方へと転がってゆくのであった。

 

 やがてしばらくの時間が過ぎ、街の一角で馬車はゆっくりとその動きを止める。そのまま搭乗席から降りて封炎剣を提げるソルと、まだ癒えていない傷があるのか、胸元を腕で抑えたまま幌の中から降りてくるノーティスの姿が街灯に照らし出される。

 

「で、どこのカジノって?」

「中心街だ。とっとと行くぞ」

「まだ肋骨痛むんだけど」

「知るかよ。走ってる間に治せ」

 

 アンタが折ったんでしょ、と毒づきながら少女は男の後を追って進み続ける。そうして目的の場所へと近付くほどに、何時からか少しずつ耳鳴りのような音が聞こえ始めた。始めは単なるノイズのようだったそれが、二人の足が速くなるにつれ、明確な音と声になり。やがて歌声となってその耳をくすぐる。

 

─LALALA─

 

 声質や音程といった部分ではなく、もっと根本的なところで不快感を煽る歌声。そして、それが聞こえていたのはノーティスだけではなかったらしく。

 

「チッ、まだ残ってやがったか」

「ねえ、この声」

「……ブラッカード社の連中の置き土産だ」

 

 数メートルほど先を早足で駆け抜けるソルが、表情を歪ませ忌々しげに吐き捨てる。そして夜明けのまだ見えない街の中心部から、微かに火の手が上がるのが、二人の目に映った。


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