Guilty Gear Xtension―ギルティギア エクステンション―   作:秋月紘

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Chapter 5 "Termination" Part A

Chapter 05

Termination

A

 

 

 

 身体を未だに焼き続ける痛みの中、二人に向かってそれは問いかけた。その単語に、どれほどの意味が含まれていたのかはわからない。

だが、瞳に映っていた恐れの感情を的確に読み取り、男は呆れたようにその口を開く。

まだブラッカードの野郎の方が上等な出来だった、せいぜいが中型程度までを制御するようなシステムなど、ギア細胞の兵器転用初期から既に完成していた、と。

 そして、命令を無視すること位は出来たが、摘出する方が楽だから従ったと平然と吐き捨てる彼の言葉は、僅かに残っていた男の自尊心を打ち砕くのに十分な破壊力を持っていた。

 

「そんな、馬鹿な……ならば貴様らは」

「どうでもいいでしょ。悪いけど急いでるから、早くアンタ達がさらってきた娘の居場所教えてくれない?」

「……教えない、と言ったら?」

「ならクタバれ」

 

 言うが早いか、ソルの右足が辛うじて焼け残った男の右腕を何のためらいもなく踏み抜く。ギア細胞によって自身をギア化していたとはいえ、もともとは人間であったその身に、遠慮も躊躇いもないその一撃は彼の心身に強烈な痛みと、恐怖心という名の深い爪痕を刻み付けた。

そして悲鳴にも似た怒声が、腕を踏み潰され苦悶の表情を浮かべるギアの口から放たれる。

 

「なっ、何故だ!? なぜ警察と協力してまで小娘一人を助けようとする! 貴様のような賞金稼ぎには無関係の事だろうが!?」

「……何訳の分かんねえ事言ってんだテメエは」

「……あのさ」

 

 ソルを制するように腕を差し出し、ホール内にある扉の内一つを顎で指したノーティスが男の側にしゃがみ込む。ため息と共に後ろに一歩下がり、ソルはそのままリーガル達が出てきた扉の方へと足を向ける。先へと進もうとするソルを一瞥し、少女は再び足元へと視線を落とした。彼女は、ウエストポーチから折り畳まれた一枚の紙を取り出し、息も絶え絶えなリーガルの眼前へと開いてみせる。

 

「アンタが賞金首の討伐を偽装してる事も、此処でその賞金首がのうのうと生きてるのも、全部知ってるんだよ。実利って意味じゃ並の賞金首狙うより美味しいわけ」

「それだけでこのような大きな騒ぎなど」

「後は個人的な理由。アンタみたいな連中大嫌いだからさ」

「くっ、化物が聖騎士団(正義の味方)気取りか……!」

「……何ですって?」

 

 蔑むような男の言葉に、ノーティスの眉がピクリと吊り上がる。不愉快そうに歪む表情を見て嗤いながら、男はそのまま言葉を続けた。猟奇殺人者が警察の真似事などしてどうする、聖騎士団じみた格好で人間に取り入るつもりなのか、化物が人と協調など出来るわけがない、そのような苦し紛れの罵倒を反論一つなく聞いていたノーティスが、ある一言を受けてその目を見開く。

 仮に貴様が聖騎士団だというならば、私を撃った時にあのような表情をしてはならない筈だ、と。鈍い音と共に、男はその口角を歪ませた。

 

「……聖騎士団の人間が、人を討って笑う筈がないだろう」

 

 右胸を貫く痛みの中、勝ち誇ったようにふらふらと立ち上がりながら此方を見下し嗤うギアを見据える。ふと下に視線を落とせば、地面から伸びた触手がその先端を銛のように硬質化させて、背後から少女を刺し貫いていた。

 だが、まるでさしたる問題ではないと言いたげに、胸部から飛び出しているそれを右手で鷲掴みにし、ノーティスはゆっくりと息を吐いた。

 

「……アンタは、二つほど勘違いしてる」

 

 その指に一寸の力を籠め、まるで果実を絞るように握り潰す。みちみちと肉や皮の裂ける音と悲鳴を聞きながら、彼女は一歩、地面を踏み砕いて前へと進む。一歩少女が前に進めば、ギアは一歩後退る。

しかし、触手を抜き取ることも許されないまま段々と距離は詰められ、苦し紛れに突き立てた残りの触手も歩みを止めるには至らず、やがて四、五歩で手が届きそうな距離まで近づいた時、瞳を紅く光らせた少女は。

 

「私は単に、アンタみたいな連中が大っ嫌いだからこの事件に首を突っ込んだ」

 

 一息に引き抜いた触手の一つを手前へと引き寄せ。

 

「それから」

 

 それにつられて浮き上がり、少女の眼前へと投げ出される肉体を目掛けて。

 

「人間は、ギアを討伐できたら喜ぶものなの」

 

 両刃の大剣のような姿と化した己の右腕を、相手の心臓を貫くように深々と突き立てた。

 

 

 

「どう?」

「……テメエか」

 

 昇降機乗り場の前、火災に反応して動作を停止したらしい昇降機を見ているソルに、あとから追いついてきたノーティスが問いかける。しかし、返ってきた言葉は芳しくなく、数回の押し問答の後、二人は炎の中階段を駆け下りるか、無理矢理に扉を抉じ開けてシャフトを飛び降りるかの二択を迫られる羽目になった。

 

「階段でいいでしょ? 飛ばし飛ばし降りれば速度は出るし、団長と居るならそう危ない事にはならないし……」

「飛び降りた方が早い」

「……あの、私素手なんだけど」

 

 少女の抗議もむなしく、ソルは当たり前のように扉を蹴破り、炎渦巻く昇降機のシャフトの中へとその身を流れる様に投げ出した。程なくして炎の中へと姿を消したソルを見送り、幾ばくかの迷いを経て、やがて諦めたように少女もその炎の中へと足を踏み出す。

髪や服を焼かれない様に法力を制御し、炎の熱に汗を滲ませながら落ちてゆく内に、ワイヤーに繋がる構造物が見え、背後を減速を始めているソルの姿が通り過ぎた。

 その一瞬の出来事が意味するところを理解したのか、助けを乞うように上方へと声を投げ掛けるが、返ってきたのは素っ気ない返事が一言のみであった。

 

「え、もうすぐ?」

「みてえだな」

 

 慌ててフロートを練ろうとするも間に合わず、壁面に爪を立てながら強引に速度を落として、少女は最下層に位置する昇降機の天井へと轟音と共に着地する。点検用扉の近辺に落ちたらしく、上体を起こそうとする間に底が抜け、体勢を崩して昇降機の中へとノーティスは転落してしまった。

 その際に後頭部を強打したらしく、ソルが悠々と着地し、扉から体を滑らせて降りてくるまでの間、彼女は着地地点のすぐそばで頭を抱えていた。

 

「いったた……」

「馬鹿かテメエは」

「階層分かるんなら教えてくれてもいいでしょ……っ!」

 

 言いながら扉を抉じ開け、廊下へと出た二人の耳を再びあの歌声が撫ぜる。そして、その声に呼応するように、炎の中からギアのものと思われる唸り声が聞こえてきた。

無意識の内に拳は握られ、二人の足が歩調を段々と速める。目的地はそう遠くないらしい。

 

「……急ごう」

「面倒くせえ……」

 

 響いてくる歌声に操られるように二人に襲いかかるギアを打ち倒し、身体中を這い回る嫌悪感に歯を食いしばり、少女は歌声の元を探して走り続ける。しかし、そうしている内に、彼女の心に一つ違和感が生まれる。意思を持たず、命令に従っているだけの筈のギアが、私を恐れている、と。

 二人の行く手を阻むために現れるギアは、ノーティスの比ではない程に容易くギアを屠り続けるソルではなく、何故か少女の方を過剰に恐れ、時にはソルを置いてでも彼女を狙いその牙を剥いていた。

だがその理由を考えるだけの余裕はなく、段々と膨れ上がってくる不安だけがひたすらに少女の脚を動かし続ける。

 

「多分、あの扉の先だと思う」

「らしいな」

 

 施設の奥は被害が少ないらしく、いつの間にか微かに見える残り火と消火装置の類いが起動したと思しき水浸しの地面ばかりが目に映るようになってきていた。やがて行く手を阻む物が、ギアの個体から何かの一部らしき茨へと変わり、その茨の数が過剰と言えるほどに増えた辺りで、鉄の扉が軋みを上げた。

 

「そこっ!!」

 

 それまでの加速と体重を乗せて少女が放った蹴りは、歪んでいた扉を打ち砕き、目的の部屋への道を開く。そして彼女が目にしたのは、カイとブリジットの二人が助けるべき相手であるはずの少女と対峙し、その剣を振るう姿であった。

その様を見てからのノーティスの行動は早く、着地後すぐさま体勢を立て直して駆け出し、明らかにこちらを優先して襲い来る茨を掻い潜ってクリスに瓜二つのそれへと近付く。

 少女と同じ姿をしたギアだと判断してその腕を振りかぶったノーティスの目は、やがて驚愕に見開かれた。

 

「なん、で」

「い、や……」

 

 少女の耳に、恐怖心で上ずった声が聞こえる。それは紛れもなくクリス自身の声で、その言葉を放ったギアは、寸分の狂いもなく、クリスと同じ表情をしていた。そしてその現象は、少女を襲っていた違和感の正体に気付かせるには十分に残酷なものであった。

 

 ノーティスの体には、ソルと同様のモニターがあの時撃ち込まれていた。そして、ソルのように摘出されることのなかったそれは、指揮者であるクリスを素体としているギアの感情や、それを利用した外部からの命令を流し込んでいたのだ。やがてクリスとノーティスの距離が近づき、ギアが彼女の存在を明確に感知した時、その感情は行き先を得た直接的なものとなった。

 ギアが、素体であるクリスがノーティスを恐れていたから、彼女の感情の影響を受けたギアは少女を優先して襲ったのだと。

 

「嫌あああああっ!!」

 

 悲鳴と共に振るわれる力が、少女の体を強烈に弾き飛ばし、部屋の隅へとその身を打ち付ける。続けて襲い掛かる茨の槍を避けて距離をとるノーティスに向けて、ブリジットの叫ぶ声が響き渡る。

 

「ノーティスさん!?」

「来ないでっ!!」

 

 駆け出そうとしたブリジットを制する声にぴたりと脚が止まり、その隙を狙って茨が地面を打つ。弾けた水飛沫は刃物となって、反応が遅れた少女へと降り注いだ。逃げられないと悟ったか、瞼を固く閉じ、急所を守るように腕を辛うじて差し出した彼女は、一向に現れない痛みに疑問を抱いて瞳を開ける。そうして開けた視界の先にあったのは、真っ赤なベストに覆われた背中と、一瞬のうちに蒸発した水の刃が霧となって男を覆う様であった。

 

「……事情は知ってんだろうな?」

「ソル、さん……?」

「ソル! すまない、手間を掛けた」

「んな事言ってる場合か」

 

 遅れてカイがソルの隣に並び立ち、それぞれがギアの少女と一定の距離を保って構えを維持する。ノーティスと接触してからの一連の行動と攻撃パターンとを思い出し、カイは険しい表情を浮かべて息を吐く。そして、ソルに向けて彼は小さく呟く。『ノーティスを狙ったのは素体として囚われているクリス自身の恐怖心からくるもの』であり『彼女と接触した途端攻撃が苛烈さを増した』と。

 そして、その言葉を聞いたソルが最初に示した反応は舌打ちであった。

 

「ちっ……何をやらかしたんだ」

「恐らく広場での賞金首惨殺が原因だろう。……現場の状況を見る限り、普通の少女が目の当たりにしていいものではなかった筈だ」

「厄介事しか持ってこねえのかアイツは」

 

 そう言うな、と呆れたようにため息を吐き、カイはその手の剣を構え直す。茨の籠に囚われている少女を開放できれば、おそらく素体と切り離されたギアは活動を停止するはずだと短くソルに伝え、彼は再び封雷剣を翻した。

正面からそれぞれを狙って襲い来る茨を切り裂き、躱し、籠へと向かうカイとは別にノーティスはギアの至近まで踏み込む。迎え撃つ棘を彼女は上体を捻って掻い潜り、不安定な体勢のまま腕を振り伸ばした爪でギアの表皮を引き裂いた。

 そして、怯んだ様子のギアに勝機を見出し、立て直す隙を与えぬように飛び出したソルは封炎剣に炎を纏わせる。

 

「っ……!」

「喰らいな!」

 

 だが、ギアの身体を引き裂こうとした剣は、不意に後ろから引かれるような抵抗を受けてその動きを止めた。その隙を突いて繰り出される攻撃を炎で焼き払い、ノーティスと共に飛びのいた男は、攻撃を中断した原因へあからさまに不愉快そうな視線を向けて毒づく。

 

「……何のつもりだ」

「それは……カイさんから指示があったんです」

「ああ?」

「……どうやら、悪い予想が当たってしまったらしい」

 

 服の裾を解れさせ、弾んだ息を整えながら構えを維持したままのカイが答える。目の前で再びこちらの様子を伺っているギアは、本体が受けた傷を素体に肩代わりさせていると。ノーティスがギアの体表を裂いた直後にクリスの体に傷が現れたため、ブリジットにハンドサインを出して攻撃を制止させたと男は険しい顔のまま続ける。

 つまり、ギアに与えたダメージはそのままクリス自身のダメージとなり、衰弱を始めている彼女ではそれに殆ど耐えようがないと、カイはそう言うのだ。疑念は抱かないでもなかったが、主たる目的の一つとして『クリスの救出』が存在している以上はそれに背くこともできず、苦々し気に彼等は表情を歪ませる。

 

「……面倒くせえな」

「同感。繋がってる茨切って終わりってわけじゃないの?」

「何度か試したが、一か所や二か所切った程度ではすぐに他の部位が彼女を再拘束してしまった」

「それに、一度カイさんが全部の茨を切ってくれた隙に、クリスさんを助け出したんですが、その時はクリスさんの身体からも茨が伸びて、その……またあの状態に戻っちゃったんです」

 

 ブリジットがカイの言葉を継いで話した内容を受けて、ソルとノーティスが不快感を露にする。二人がギアとの戦闘で把握して遅れてきた彼女らに語った事実は、結局のところ、クリスを死なせずにギアの方だけを殺してしまわなければ、クリスが衰弱して命を失うまでこの状況がずっと続くのだという宣言に他ならないのだから。

 

「……ホント、首突っ込むんじゃなかったよ」

 

 諦めたように呟く言葉は誰の耳にも入らないまま、再び始まった剣戟の音に紛れて消えていった。

 

 

 

 それから、どれだけの時間が経過しただろうか。囚われたままの状態となっているクリスの事もあって本体への攻撃を中々できずにいる四人と、放つ攻撃のことごとくをソルやカイに迎撃され、有効打らしい有効打を一切与えられていないギア。互いに無傷のまま続いていた戦いは、いつしか千日手の様相を見せ始めていた。

 

「団長、何か心当たりとかないんですか」

「……お前はどうなんだ」

「……残念ながら、特に思いつかないですね」

 

 襲い来る茨や殺傷力を得た水流などを捌きながら、カイとノーティスは一向に気の休まらない話を続けている。数秒ほどの迎撃を経てノーティスは前進し、そして何度目かの近接戦に突入する。振るう拳や脚を、ギアの肉体に直接危害を加えないように軌道を調節しつつ、なるべく相手の攻撃能力をそぎ落とそうと立ち回るうち、ふと視界に映ったある物に、少女の瞳は一気に意識を奪われた。

 

「なっ……!」

 

 そして、動きが鈍ったその一瞬にギアの両腕が振るわれ、夥しい量の水が刃となってノーティスの肌を引き裂く。そのまま水流で弾き飛ばされた少女を庇うようにブリジットが前に立ち、二つのヨーヨーを同時に熊のぬいぐるみへと変質させる。普段の攻撃などと比較しても三、四倍は大きいであろうその巨体を盾として、ブリジットは止めを刺そうとしていたギアの攻撃をどうにか防ぎ切った。

 

「大丈夫ですか?!」

「う、ん、まあ。……あと、一応突破口、は、見えた……かも」

「言ってみろ」

 

 未だに盾として在り続けるロジャーに守られながらゆっくりと立ち上がり、ノーティスは自信なさげに口を開く。ギア本体の胸元に発光体が見えた、という言葉を聞き、その発光体の色や形、光り方などの情報を可能な限り思い出させ、それらを反芻したソルとカイは一つの推測に辿り着いた。

 

「……坊や、ガキの方に同じ発光体が取り付けられてないか探せ」

「ジルポッドを利用したペアリング、か」

「もしくは被検体の抵抗を効率よく奪ってギアの指揮能力を強める為のバインドとバフだな、せいぜい欠陥品がいい所じゃねえか」

「だが、彼女を助けるには好都合だ」

「上等ッ」

 

 ソルとカイの二人がロジャーの背後から左右に飛び出し、それぞれに狙いを変えて迫りくる攻撃を掻い潜りギアの懐へ向けて駆け抜ける。危なげなく茨を躱して、向かい来る水流や水の刃に正確な電撃を浴びせて相殺しながら距離を詰めるカイと、一息に振るった封炎剣とその業火で正面からくる攻撃全てを焼き払いながら駆け寄るソル。

その体捌きや立ち回りは正反対ながらも全く同じ速度でギアへと迫り、そして迎撃を行うギア本体には目もくれることなく、二人は籠の前へと躍り出た。

 

「グランドッ……ヴァイパー!」

 

 炎を纏って切り上げられた剣が、固く閉ざされた茨を燃やしながらその口を大きく開かせる。その勢いのまま、まだ火の移っていない箇所を蹴ってギアの本体へとソルは剣を振り下ろす。その攻撃を躱した少女は、ソルの着地で跳ね上がった飛沫を針へと変えて此方に刃を向ける男へと放ち、いつ来るともしれない必殺の機会を狙い続けている。

その間に、茨の再生が始まる中に飛び込んだカイが腕全体へ雷光を纏い、八方へとその光を放つ。真っ黒な炭と化し、再生する起点を失ってボロボロと崩れて行く茨の中央でクリスを抱えながら、カイはその時を待っていた。

 だが、ギア本体も危険を本能的に察知したのか、ソルを攻撃していた手を不意にカイの方へと向け、四方から茨と水流での攻撃を仕掛ける。

 

「ちッ!」

「そこかっ!!」

 

 やがてクリスの背中、そのある一点から茨が伸びるのと、カイが少女を突き放して封雷剣を翻すのは同時であった。カイの一閃は、彼を迎撃しようとした棘や、素体を自らの手で奪い返そうと伸び始めていた茨を切り落とし、茨の起点にあった発光体を切り裂き、淡く光る飛沫を舞い散らせた。

 だが、続けて返す切っ先は迫りくる茨の全てを切り落とすには至らず、残った数本がそのままカイの肉体を突き破らんとして勢いを増す。味方の援護も届かず、全てを回避することも叶わない状況を察したか、少なからず傷を負う事を覚悟して、彼は両脚と、その身を守る両腕に力を込めた。

 

「くっ!」

 

 だが、それらは決してカイに届くことはなかった。カイの攻撃に合わせて発光体の破壊を成功させていたソルが迎撃をも合わせて行っていたわけではなく、クリスの救出に動いていたブリジットが守り切れる状況でもなかった。

しかし現実に茨はカイの数cmほど手前で動きを止め、放たれるはずであった水流などは勢いを失い、重力に従い落下し、それぞれが元の水溜まりへと姿を変えてしまっている。

 

 そのギアは、自分が動けなくなった理由が分らなかった。素体の少女が切り離されたことが直接の原因ではないか、とまず考えた。彼女自身は知る由もないが、素体の少女はあくまでバッテリーに過ぎず、相性が良ければ良いほど稼働効率が大幅に上がり、自分の肉体の損傷を共有する盾となる。素体と切り離されることは、稼働その物を妨げるものにはならないのだ。事実、ソルとカイが素体であるクリスとギアとの接続を断ち切った後も、彼女は二人を殺すために攻撃を仕掛けていた。

 しかし、素体との接続が原因でないとするならば、尚更彼女に心当たりなどある筈もなかった。だが現実に体は言う事を聞かず、上位者が発した『侵入者を殺す』という単純な命令を完遂できずにいる。なぜ、どうして。

 

─LALALA─

 

 その時、ギア細胞の中にわずかに紛れた何かが、歓喜の歌声を奏でる。少女が生まれた頃から、時折耳の奥で聞こえた歌声。もし彼女に明確な自我というものが存在すれば、その歌声の意味が分かっただろう。もし、彼女が様々な経験を経て自意識というものを持ち得ていたのであれば、自分の動きを妨げるものが何かを知ることが出来ただろう。

 ただ一点の目的のためだけに生まれた指揮個体型のギアは、驚くほどに歪だった。

 

「やっと、捕まえた」

 

 ノーティスの身体の自由を奪おうとしていたはずのギア細胞は、僅かずつ紛れていた共鳴基(アモレット)によって自分より大きな権限を持つ個体と共鳴を起こし、結果として命令系統を全て奪われる形となった。

 金色だったはずの瞳を紅く染め、その身に浴びた裂傷による出血を腕で拭い、少女は一歩、二歩とギアへと近付く。動けなくなったギアは、ゆっくりと近付いてくる足音の正体が何であるかを、彼女に命令を下した者の識別信号で知る。その少女が生まれる前に起こった聖戦その元凶であり、全てのギアの頂点に立つ指揮個体。

 彼女を制した少女は、正義の名を冠した者とよく似た信号を放っていた。

 

「紛れ……込んでた、共鳴基使え無かったら、ちょ、っとキツかったかな……」

「ノーティス、大丈夫なんですか」

「平気です、一応」

 

 カイの問いかけの意図も分からぬまま、ただ相槌を打つように答えて少女は進む。指揮権限は奪い取った、ソルとカイの二人がクリスとギアを分断することに成功した、ならば、残るはこのギアを。

私がそこで座り込んでしまっている彼女を殺せば、それでこの事件は終わる。

 ようやく全て終わる、という安心感よりも心を占める不快感が勝ち、その足取りを重く鈍いものへとどんどんと変えて行く。永遠に思える距離を超えて、少女は自分が自由意思を奪ったそれの目の前に足を止めて立つ。

 

「……?」

「……ねえ、アンタの名前は?」

 

 彼女に感情を与える素体も今はなく、そして、ただ言われるがままに少女を依り代として生きただけの少女は、ノーティスの問いに答えるだけの知識も、経験も、自身を定義するだけの確信も、何ひとつとして持ち合わせてはいなかった。

 膝をついてしゃがみ込んだノーティスは、ぼんやりと視点の定まっていない少女と自ら目線を合わせる。ゆっくりと腕を伸ばし、血に塗れた指が白い肌をした頬に触れ、やがて撫ぜる様に首筋へと赤い線を引いてゆく。

 

「分からないんだ。じゃあ、教えてあげる」

 

 そして彼女は、自分が制御を奪った少女の名前を、自身もまた指揮個体型ギアである故に知ることが出来た名前を少女に告げて、慈しむようにその命を手折った。


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