『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』二次創作
 昭弘・アルトランドとラフタ・フランクランドの「IF」ストーリーになります。
 もしも、ラフタがあの事件を生き延びていたら……という空想です。
 少しでも皆様の癒しになれば幸いです。

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ラフタ・アルトランド

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木星圏、歳星(サイセイ)のとある場所に、昭弘(あきひろ)は案内された。

 

「なんだって、こんなところに」

「いいから……黙って付いてきて」

 

 会わせたい人がいると、アジーに促されてやってきた場所は、昭弘とは縁もゆかりもない、歳星ではそれなりの規模の巨大(デカ)さを誇る病院だ。

 無論、この巡航艦(コロニー)を訪れること自体は初めてではない、むしろテイワズへの加入から始まり、今となっては通い慣れた地元のようなものですらある。だが、なんだってわざわざ病院になど。

 鉄華団の皆は、この歳星には親組織であるテイワズからの呼集でもない限り、補給時間中の買い出しや、食事や飲みなどの道楽で通う程度。ましてや病院や怪我人を満載する施設とは、昭弘たちは無縁な存在だった。

 オルガが団長となり、様々な戦いを勝ち抜き生き残ったおかげで、宇宙ネズミと罵られ、ヒューマンデブリと蔑まれる俺達でも、まっとうな病院の世話になることも十分ありえるようにはなった。それ以前まで――特にCGS時代など――は、無茶苦茶な阿頼耶識(アラヤシキ)の施術をはじめ、少年兵部隊である自分たちには、まっとうな保障や手当など、期待できる環境ではなかった。はっきり言えば、ゴミかクズのような扱われ方だった。そのことを思えば、今と昔は天と地ほどの開きがある。

 それだけでなく、団員や子供らの健康管理のために、船医をはじめとした衛生兵員の拡充も整っている。以前よりも、鉄華団のメンバーの戦死率が減少したことは喜ばしい事実だ。

 

 ――だが、それでも死んでしまう奴は、たくさんいる。

 

 昭弘は、数えきれないほどの人の死を見てきた。

 目の前で両親を失い、弟と生き別れ、阿頼耶識の施術を受け、CGSで自分と同じ連中が大人の都合で死んでいった。さらに言えば、昭弘自身も、人を死なせる立場にあり続けた。MW(モビルワーカー)乗りからMS(モビルスーツ)パイロットへと転向を果たし、今となってはグシオンという愛機を駆って、自分たちに害を及ぼすものを――仲間を傷つけるものを――家族を殺した連中を、この手で殺しまくってきた。

 

 そして、つい先日に起こった――今生(こんじょう)の、別れ。

 

「今は、あんまり……ここには、歳星には、来たくねぇんだよ」

 

 昭弘らしからぬ声の弱さだ。

 しかし、それほどに昭弘は、この歳星(コロニー)で経験した別れの味を……最後の抱擁を……あの女を、思い出したくは、なかったのだ。

 

「ラフタと最後に別れた場所、だから?」

 

 冷たい声が、こちらを振り向くこともなく、昭弘の胸を(えぐ)った。

 

「ああ……そうだ」

 

 昭弘は当然だろうとでも言いたげに、血のようにさえ思える何かと共に、吐き出していた。

 

 

 

 ラフタ・フランクランド。

 かつては鉄華団と銃火を交え戦った敵であり、昭弘のMS戦闘の師であり、地球でも宇宙でも背中を預け合った戦友であり、大切な仲間であり…………俺の…………

 

 

 

「昭弘?」

 

 アジーの声に、我に返る。

 

「何でもない」

 

 足を止めかけてしまう自分を叱るように、病院の床を蹴り進む。

 純白の施設内は衛生管理が行き届いている感じがして、割と落ち着くのに不都合がない。消毒液や薬の匂いも悪くないな。鉄華団結成以前は、まるで縁のなかった空気が満ちているのは新鮮な気分だ。

 ならば、自分の胸の奥で、未だに燻り続けるコレは、一体なんだ?

 苛立ち。

 怒り。

 焦り。

 恐れ。

 そういったものではない。それは確かだ。

 そういった諸々の感情は、あのクソ共に落とし前をつけさせたことで、とりあえず解消された。バルバトス・ルプス・レクスに蹂躙(じゅうりん)され、昭弘の駆るグシオンに潰され、宇宙のクズ(スペースデブリ)の仲間入りを果たした連中のことは、思い出しただけでも(はらわた)が煮えくりかえるが、そんなんじゃない。

 

 昭弘は理解できない。

 

 あの女を思い出しただけで、どうしてこんなにも苦しいのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アジーに導かれるまま受付を済ませ、病院の奥深く、最上階の廊下を進んだ二人は、ほどなくして、ある部屋の前にたどり着く。

 

「ここだよ」

「……誰かの病室か?」

 

 しかし、ネームプレートには患者の名などは一切記されていない。

 だが、アジーの手に握られる紙袋を見れば、ここに入院している誰かを見舞う意思が感じられる。

 鉄華団の誰かが入院している、わけはない。それなら昭弘が知らないはずがなかった。

 では、タービンズの誰かか? だが、昭弘はあの女所帯で知っている顔は、いくら(がく)のないヒューマンデブリでも、数えるのが容易なほどである。

 そんな疑念に囚われ黙考する男に構わず、アジーはインターホン越しに、中にいる人物に自分たちの訪問を知らせる。途端、キーが解除された。

 どこかのお偉いさんか、テイワズの重鎮でもいるのかと勘繰る昭弘であるが、アジーは無言で昭弘を室内に招く。部屋は一旦薄暗い間仕切り――風呂、トイレ、洗面台のスペースがあり、その奥の窓際が明るい寝室のスペースに分けられていた。

 二人が入室した途端、自動で扉が閉じられ、ロックがかかる。

 まさか焼きでも入れられるのかと、自分が何かアジーに対し礼を欠いただろうかと記憶を掘り返しそうになった――直後、

 

 

 

「いらっしゃい」

 

 

 

 馴染み深い――だが、もはや聞くことはかなわないはずの声が、昭弘を迎え入れる。

 痺れたように立ち尽くす昭弘にはやはり構わず、アジーは声のするベッドのもとへ。

 

「頼まれてたの、買ってきたよ」

「うわぁ、ありがと、アジー!」

「気にしないでいいから……というか、何でこんな目つきの悪いぬいぐるみを?」

「いいじゃない、別に。私の好みだもん♪」

 

 昭弘は、前に踏み出せない。

 闊達(かったつ)な笑みの気配。

 明朗(めいろう)な乙女の高音。

 光のように(まばゆ)い、記憶の中の住人。

 ありえないだろうという思考と、ありえてほしいという願望が(せめ)ぎ合い、屈強な男に二の足を踏むことすらさせなかった。

 

「昭弘、なにそこで突っ立ってるの?」

 

 そんな男の懊悩に気づいているはずのアジーは、やはり遠慮なしに手招きする。

 昭弘は一歩一歩を、足の裏の感覚全てを記憶に刻み込めるほどゆっくりと、踏み出し、歩く。

 そうして、そこにある奇跡を、確かめる。

 

 

 

「久しぶり、昭弘」

 

 

 

 そこに、失われた女の面影が、あった。

 彼女の名を忘れることは、昭弘には不可能。

 

「ラ、フ……タ?」

 

 ラフタ・フランクランド。

 太陽のように輝き流れる金色の髪。妙に艶のある、元気で勝気な声。悪戯っぽい碧眼が、昭弘の黒い瞳に吸い込まれていく。豊満な女体美は相変わらず存在感を主張しており、寝間着の前面を大いに膨らませている様はなんとも言えない。

 夢にも見れそうにない光景だ。

 昭弘は、頭を打たれ砕かれる以上の衝撃に、自失する。

 

「あははっ――なんて顔してんのよ?」

 

 それはこっちの台詞だろう。

 ラフタの顔――片目は、額まで覆う包帯で覆われて塞がれている。おかげで、輝く笑顔はそのままなのが、逆に凄みを増していた。注意深く見つめると、身体の中心――首元から胸の当たりにも包帯が無数に巻かれていることがわかる。明らかに重傷の身だ。病室に、車椅子が備え付けられた真っ白いベッドの上にいるのも、頷ける。

 だが、問題はそこじゃない。

 

「どうして……生き、て…………?」

 

 殺されたと聞いた。

 確かに、そう聞かされた。

 実際に遺体などを目にはしたわけではないが、(しら)せてきたエーコの表情や、テイワズの(かしら)であるマクマード――団長(オルガ)義父(オヤジ)が、そう言ったのだ。

 ラフタは殺された。タービンズを追い詰め、名瀬たちを殺した連中の手の者にかかって。

 だからこそ、鉄華団は無茶苦茶な仕返しを、復讐を、あのクソッタレな連中に対し、行った。

 当初こそ、オルガや皆はテイワズから睨まれ、報復されることを覚悟した。マクマードの下にいながら、マクマードの組織の者を潰し殺す。いくらこちらに義があろうと、許される行為ではない。しかし、だ。名瀬の兄貴やアミダの姐さん、他にもタービンズの仲間たちに行った――ラフタを殺した、その償いをさせるのだと、誓ったのだ。連中ほどの周到さとは無縁な昭弘たちは、どうあってもテイワズには戻れない……戻れば即座に殺されると、誰もが確信していた。覚悟していた。

 だが、テイワズは、マクマードのオヤジは、あろうことか「鉄華団にこそ()がある」と認めた。

 むしろ、あのクソ共の方をこそ“裏切り者”として追撃し、報復し、処刑する大義名分を鉄華団に与えたのだ。マクマード曰く「鉄華団(おまえたち)は、他ならぬ俺の命令で、あの裏切り者を討った」と。

 おかげで鉄華団は、テイワズでもかなりの位置にまで、数段飛ばしで駆け上がることになったのは、思わぬ誤算だった。何しろ最高幹部の“裏切り”にいち早く対応し、マクマードへ降りかかる害悪を排除する露払いをやってのけたのだ。これを評価しないことは、テイワズの存在にあるまじきことである。

 まぁ、そういった政治的なことは、昭弘の理解が及ぶことではない。

 問題なのは、ラフタは殺され死んだと、そう聞かされた事実だ。

 しかし、

 ラフタ・フランクランドは生きている。――生きていたのだ。

 

「アンタさ……この私が、銃弾の三、四発で、死ぬような軟弱に見える?」

 

 言われてみれば、確かに。

 地球でも宇宙でも、目の前の女は幾度の死線を、戦場を、昭弘たちと共に潜り抜けてきた強者(つわもの)

 それを考えれば、なるほど銃弾を喰らった程度で死ぬ筈もないと、頷けてしまう昭弘。

 だが、それだとあの報告は――ラフタが殺されたという情報は、何だったのだ?

 

「ごめん。マクマードさんに、私ら口止めされてたの」

 

 混乱の極みにある昭弘の耳に、窓辺に身体を預けるアジーの説明が響く。

 昭弘は丸椅子に座らされ、ここまでの顛末(てんまつ)を聞かされた。

 

 ラフタを撃ったゴロツキは、目撃者の証言やマクマードの計略(ラフタは密かに、マクマード直卒要員の監視下におかれており、その安全を害するものを注視させていた)から、首謀者の名は知れていた。テイワズの管理下に置かれた歳星の中で、白昼堂々そのような騒ぎを引き起こせば、犯人は容易に拘束できるはず。それができないということは、意図的に匿い、雇っている存在がいると考える方が自然だろう。これは見方を変えれば、テイワズに内乱を呼び込もうと言っても良い。だが、それだけに、絶対確実に首謀者一味を一網打尽に出来る、確たる証拠や状況が必要であった。ラフタを撃った張本人を、トカゲの尻尾切りよろしく送りつけられては、マクマードには手が出せなくなる。組織の長であるが故に、組織の法や則を乱すことはできない為だ。

 そこで、マクマードは確実な一手を盤面にさした。

 ラフタを死に追い込むことで、利を得ようとする親不孝者――マクマードが一切の責任を負うと決を下した存在に、あろうことか銃口を向けるクソカス共――を、炙り出す作戦が講じられたわけだ。エーコたちタービンズの残存メンバーは、その片棒を担いだに過ぎない。今にして思えば、ラフタが殺されたと報せにきたエーコの冷静な様は、「演技を完遂しよう」という意思があったのかも知れない。

 さらに言えば。撃たれたラフタが生きていることを他に知らせることは、被害者本人のラフタの証言から、撃った張本人を割り出すことも容易となる……故に、連中は確実な口封じの手に打って来るやも知れない以上、彼女の生存は、彼女の身内以外に――たとえ鉄華団の者たちにも――悟らせることは許されなかった。

 ラフタという女の死によって暴走し、テイワズでの地位を危ぶまれること確実な“鉄華団”。

 タービンズ崩壊からの一連の狙いが、急峻にして出世頭として台頭し始めた若い組織の破滅を期してのことぐらい、あのマクマードが感づいていないはずがないのだ。それでも、親であるからこそ、組織の長であるからこそ、組の頭(オヤジ)は苛烈かつ理不尽な振る舞いは許されない。テイワズという家族を守るために。それができていれば、名瀬たちを切り捨てる判断もなかっただろうに。

 だが、家族の中に、家族を殺そうとしたモノがいる。

 ギャラルホルンという道具(こま)を使い、マクマードの動きを縛ったのは見事であったが、さすがに今回のコレは酷すぎた。オルガたちが冷静に立ち回れることができたことで、あのバカは直截的な手に出るしかなくなったと。おかげで証拠は十分以上に出揃った。

 そうして、奴らはまんまと、鉄華団にケジメをつけられる羽目に陥ったのだ。

 

「……すまん。よくわからない」

 

 以上の説明を受けた昭弘であったが、さすがに理解が追いつかない。

 率直に何が何だかわからないと告げると、ラフタは吹き出し、アジーは呆れるように微笑むだけ。

 同じ説明を、今頃オルガや三日月たちもマクマードに聞かされているだろうと聞かされ、とりあえず自分が皆に説明する必要はないのだなと、妙なところで安心する。

 そもそも、昭弘の混乱ぶりはここ数年で最悪なレベルだ。馬鹿な頭では納得に至るどころか、理解への道筋すら整えられない。

 そんな男の懊悩を軽く笑いながら、その混乱の元凶は口を大いに開いた。

 

「アンチクショー共のせいで、キュートな顔が台無し。胸と腹にも喰らっちゃうし――ホラ!」

 

 いきなり寝間着を腹からめくり上げるなんて、羞恥心はどうした。などと、昭弘は思考することすら出来ない。

 そこも痛ましいほど白く映える包帯に覆い尽くされ、女ながらによく絞られた腹筋の肌色は、まったく窺い知ることができない。

 

「……お医者さんの話だと、これだけの重体で生きられたのは、奇跡なんだって」

 

 包帯を服の下に戻したラフタは、訥々と、まるで他人事のように話し出す。

 

「ヘッドショットはこっちの目を貫通したけど、胸と腹にまで一発ずつやられて、弾が残っちゃってさ。もう、あたり一面血みどろだったんだって。普通に考えたら、もう即死って連射だったけれど、お店のウィンドウや遮蔽物越しってことで、威力が若干落ちたのが幸いしたんだろう、って」

 

「なるほど」だなんて、昭弘は言えない。

 

「ふふん、さすが、私♪」

「……調子に乗らないの」

 

 とてもではないが、その時のラフタの状態が、尋常でなかったことは確かだ。

 場に居合わせた張本人――あのアジーですら、ラフタの惨状を目の当たりにして、慟哭の悲鳴をあげて然るべき惨劇に違いなかった。

 店内は銃撃で破砕飛散した硝子片やぬいぐるみと共に、ラフタの血飛沫や微かな肉片が、あたりに死を想起させる臭気を放ち、満たし尽くしていたのだ。

 名瀬とアミダ、多くの愛する家族を喪った悲しみに加え、親友への銃撃という悲劇を前に、普段はいかに冷徹に見られる熟練のMSパイロットであろうとも、そのような状況に堪えられる道理などなかった。

 あのアジーですら、絶望に顔を歪め、声の限りに悲嘆を叫んだ。

 

 それでも、ラフタは生き抜いた。

 生き抜く意思を――貫き続けた。

 

 かすかに息があることに気づいた店員やアジーをはじめ、マクマードの息がかかった救急センターの人々のおかげで、何とか一命はとりとめることができたわけだ。

 

「そりゃあ、私は別に良かったんだけど、問題なのはアジーの方。私を置いて買い忘れを買いになんて行かなきゃって、わんわん泣いてたんだよね。それだけならまだしも、私が意識を失っている間中、付きっ切りで看病して――そのあげくに私が目を覚ました瞬間にバタンキューとか、ほんと、笑えちゃうよね♪」

「笑い事じゃないの、本当に心配だったんだから」

 

 親友に(たしな)められて、ラフタは可愛く舌を出す。

 コロコロと笑い続ける少女の様を目の前にして、昭弘は何を言うべきか、本気で迷う。

 

「本当に……大丈夫、なのか?」

 

 我知らず(たず)ねていた。

 何がどう大丈夫なのか測りかねた様子で、ラフタは明るく言い募る。

 

「あー、うん――片目になった以上、もうパイロットは続けられないね。あーあ、辟邪はたった一度の出撃かぁ、もったいない」

「……おまえな」

 

 昭弘は呆れたように肩を落とす。存外、ラフタが元気で溌剌(はつらつ)なことが解って良かったと思い、喋り出す。

 

「片目が利かなくても、おまえほどのパイロットなら、十分復帰可能だろうが?」

「うん……そだね」

 

 昭弘らしい励ましの言葉に、ラフタはまっすぐ頷きを返す。

 昭弘自身には、慰めてやる気概など毛頭ない。ラフタは相変わらず強い奴だ。銃弾を浴びせられて生還したのみならず、こうして今まで通り、昭弘といつものような遣り取りを繰り返しているのだ。

 きっと、前線に復帰することも夢ではあるまい。そう思った。

 

「あと……」

 

 一瞬だが、ラフタの瞳が潤んだように見えた。布団を掴む両の手がかすかに震える。

 しかし、昭弘が怪訝(けげん)に思うより先に、女はさらに面白そうな微笑みを浮かべてみせた。

 

「私の可愛いお肌に傷が残っちゃうのがなー」

 

 言って、ラフタは自分の胸と腹をさすり、そこに残されるだろう弾痕にブー垂れてみせる。

 

「あーあー、これじゃもうお嫁にいけなーい!」

「おまえ……もう、名瀬の兄貴へ嫁に行ってるだろう?」

「あ、そっか」

 

 ダーリンとまで呼んで慕っていた男を忘れるはずもない。

 ラフタはそんな不義理な女でないと、昭弘は重々承知している。

 冗談を笑っていいのかどうかわからない。だが、ラフタの笑みには、どうにか応えたいと思えた。

 ぎこちなく表情を緩めてみる。

 

「あんまり、無茶はするな」

 

 せっかく生き抜いてみせたのだ。しっかりと養生してほしい。

 

「……うん、ありがと」

 

 静かで大人しい感謝に、昭弘は奇妙な既視感を覚える。

 ラフタのこの表情は、少し前にも見た気が。

 

「昭弘、そろそろ」

 

 アジーに促され、部屋の時計を見る。面談時間は限られていると受付で聞かされていたか。

 ラフタの状態を見れば当然である。いくら歳星の病院とは言え、今の彼女は重傷患者であることに変わりないのだから。

 本当に、ラフタは強い。

 傷ついた上体を起こし、枕にもたれておくだけでも傷に障るはずなのに、こうしてお喋りに興じ、笑みを浮かべて昭弘に応えてくれる。

 

「じゃあ、またね昭弘!」

「ん……ああ」

 

 立ち上がる昭弘は、何故か後ろめたい、何か大切なことを言い忘れている懸念を抱くが、

 

「昭弘」

 

 アジーに後ろ髪を引かれるように踵を返した。

 振り返ると、ラフタはアジーが持ってきたクマの手を振って微笑んでいる。

 昭弘は直感した。

 

 大丈夫だ。

 ラフタはここにいる。

 

 それがわかって、昭弘は心の底から安堵しつつ、部屋を辞した。

 

「早く治せよ。待ってるからな」

 

 昭弘はアジーと肩を並べて、穏やかな帰路に就く。

 

「ラフタが生きていて、どう思った?」

 

 見舞いの帰りがけに、言葉少なだったアジーは、硬い声で問いを投げた。

 

「ああ……何というか……良かったよ、本当に」

 

 未だに少し混乱は続いているが、昭弘は現状を飲み込み始める。

 考えてみれば、ラフタの遺体と対面したわけでもなく、ただ殺されたとしか聞かされていなかった。宇宙空間で機体が爆発四散したわけでもない以上、この可能性だって、十分ありえる話ではないか。何故その可能性を考慮できなかったのか不思議なくらいである。

 

「真正面から銃撃されたって話だが、だいぶ元気そうだったな」

 

 安堵感のおかげで口が軽くなった感じだ。

 いつになく弾んだ声で、昭弘は思ったことを唇からこぼしてしまう。

 

「やっぱり。あれなら退院した後、すぐ戦いに戻れそうだな。安心した」

 

 ベッドの上のあいつは、どこか手持無沙汰というか、物足りないものを感じている雰囲気が漂っていた。

 あいつは生粋のパイロットだ。片目という不利すらも、難なくはねのけるイメージしか湧いてこない。

 病院で寝入るよりも、戦場を駆けまわっている姿の方が、はるかに似合っているというもの。

 そう、昭弘は率直に思い、呟いていた。

 

「さっきは言えなかったけど……その話、ラフタの前では止めてあげて」

 

 だが、アジーは昭弘の言葉を真っ向から否定し拒絶する。

 昭弘は彼女の言を(いぶか)しんだ。アジーもラフタの戦友として、仲間として、数限りない戦いを、ラフタと共に駆けずり回った歴戦の女パイロット。にも関わらず、アジーはラフタの戦線復帰を望まないように聞こえた。強力な戦力を失うことの危険や不安を知らないはずもないだろうに、どうしてアジーはこんなことを?

 

「本当は、まだ言うなって止められてるんだけど……」

 

 昭弘の疑念を当然と受け止めたアジーは、諦観の色彩を帯びた表情で振り返る。

 

「ラフタは、もう、戦えないのよ」

「え? いや、だが」

 

 完全に回復すれば希望はあると言わんとする男を、アジーは鋼の声色で打ちのめす。

 その可能性は、希望は、ありえないのだと、宣言して。

 

「あの子……腹にくらった弾のせいで、脊髄をやられて……もう、歩けないの」

 

 昭弘は、自分の心臓が止まった気がした。

 もう、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アジーに頼んで、マクマードの許可も取って、ラフタは今日、昭弘と再会する場を設けた。

 二人が出ていった後、ラフタは一人きりで窓を見る。

 

「……ふぅ」

 

 ちょっと、笑いすぎた。

 目と胸と腹の傷に響いて苦しい。

 別に愛想笑いは浮かべていなかった。昭弘にまた会えて、嬉しかったのは本当だ。

 でも、それとこれとは話が違う。ただ笑う。たったそれだけのことで――以前なら何とも思わなかった日常の動き程度で、ラフタの体中が疲労感に覆われ、背中を柔らかな枕に預け休まねばならなくなる。

 常人なら即死して当然の致命傷。

 奇跡的な蘇生と、目覚ましいまでの回復力。

 しかし、今ラフタは、入院してから一番つらい時を、なんとか耐え抜いている。

 ――昭弘の奴、相変わらずだった。

 さすがに、死んだと聞かされた女と対面する時に見せた、度肝を抜かれたあの表情が印象に残っている。

 まるで死人に、幽霊に出会ってしまったら、あんな感じになるだろう驚愕っぷりだった。

 思い出したら、また笑えてくる。

 それと同時に、またつらくなる。

 身体と共に、心が軋む。

 

「っ…………」

 

 復帰可能……

 早く治せ……

 待ってる……

 彼の言葉が、思いの外ラフタの中心を穿ち抉った。

 昭弘が何も考えずに言っていたことぐらい、ちゃんと理解できている。

 そもそも、あの男に嫌味とかそういう諸々は縁がない。どこまでもまっすぐで、どこまでも純粋で……だから、ラフタは苦しい。

 彼の善意が、期待が、優しさが、胸を貫く気分を錯覚させる。

 

「私はもう、……戻れない」

 

 投げ出された自分の両脚を眺める。

 まったくピクリとも微動だにしない自分の脚線は、作り物が身体から生えているような気がして気分が悪い。自分で移動しようという時はズボンのすそを引っ張って持ち上げなきゃならないから、以前のようなタイトでミニな恰好は難しいかも。

 ……それ以前に、こんな脚では、もう戦えない。

 アジーやエーコが買い置いていくリハビリ用の電子書籍を、だがラフタは満足に閲覧することができない。

 読む体力がないわけでも、学がないわけでもない。

 読みたいと、思えない。

 状況は絶望的だ。治る見込みなどない。そう宣告されている。

 アジーたちや看護師さんは口々に、「希望はある」「諦めなければ」と言ってくれたが、ラフタの脚は動くことはない。その今ある事実が、あまりにも痛々しくて、どうしようもない。

 再び窓の外を眺め、見下ろす。

 ここ数日で見慣れてしまった、コロニー内の無機質な空の下、病院の庭園で、駆けずり回る入院患者だろう子供らが見える。

 

「――ごめんね、昭弘」

 

 片方だけの視界が滲んでしまってしようがない。

 彼によく似たぬいぐるみをかき抱いて、ラフタは肩を震わせ、嗚咽を噛み殺す。

 ――私は、もう、戦えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一命をとりとめたラフタであったが、その代償は高くついた。

 頭部への銃撃で片目を失い、胸の中心を穿った弾丸が心臓付近で止まっていたのみならず、下腹部から侵入を果たした弾丸が、彼女の背骨を正確に捉えてしまったのだ。いずれも多量の出血でショック死していてもおかしくない――事実、ラフタの心臓は二度ほど止まって、救命措置で二度も蘇生を果たした――くらいだ。

 下半身不随。

 両脚はまったく感覚がなくなり、叩いても摘まんでも、何の感覚も伝えることがなくなった。以前通りに動かすことなど論外。手足で操縦桿やペダルを操作しMSを操縦することを可能にするパイロットにとって、その後遺症は戦力外通知以外の何物でもなかった。機体を操作できないことは無論だが、人の手を借りなければ満足に移動することもできない。宇宙空間の無重力下であれば移動そのものは腕の動作で可能だろうが、やはり大地や床を蹴る脚力がないというだけで、日常的な即座の回避行動に支障が生じる。戦闘という極限状況に身を置くには、不向きである以上に邪魔にしかならない。後方要員や整備班として戦場に同道することは、最悪、味方の足を引っ張るだけの結果しか生まない。はっきり言えば、お荷物にしかならないだろう。

 ラフタ・フランクランドは、ある意味で死んだ。

 ラフタという戦乙女――MSパイロットは、確かに、死んだのだ。

 

「私の病室にネームプレートがなかったのは、アンチクショー共から身を隠すために必要だったからよ」

 

 だというのに、彼女は目の前の見舞客に――昭弘に、屈託なく笑えるのは何故だ。

 

「連中の残党狩りも順調に終わったって話だし、この病院のスタッフはマクマードさんの直営で信頼におけるから。でも、病院っていう大勢の人が出入りする場所だから、どこから私の名前が漏れるかわからなかったからね」

 

 さらに言えば。

 どうしてここまで、自分の命が危機に陥った状況を明るく朗らかに、目の前の男に語り聞かせることができるのか。

 昭弘はアジーに案内された翌日から、足繁くラフタの見舞いに通い出した。火星を長く空けることに罪悪感を覚えたが、「この際だから有給を消化しろ」と団長(オルガ)たちに言われ長期休暇を貰っている。その間の宿はマクマードの屋敷か、タービンズの新たな拠点の世話になることになった。

 今病室には、昭弘とラフタの二人しかいない。

 アジーなどがラフタの世話役兼護衛という名目で、先ほどまで室内に留まっていた。男を護衛として信頼している――以上に、ラフタへの気遣いから二人きりにされていると、昭弘本人はどれだけ察しがついているだろう。

 二人は、とりとめもないことを話し続けた。

 今日の朝食に何を食べたのか。ラフタの治療状況や、鉄華団やタービンズの皆の近況とか。アジーが昨日買ってきてくれたぬいぐるみが、昭弘にそっくりだとか。

 

「あー……俺、こんなに目つき悪いか?」

「うん。どこからどう見ても昭弘じゃん」

 

 昭弘とぬいぐるみを並べてはしゃぐ、隻眼のラフタ。

 相も変らぬ女の笑みが、まったく違うものに見えて、昭弘は居たたまれない。

 先日の自分の浅慮さが悔やまれる。

 自分は、なんて無責任な物言いをしていたことか。

 

「ねぇ、昭弘」

「何だ?」

「今日は、言わないの?」

「何を、だ?」

「いつ、戦いに戻れるんだ――とか?」

 

 昭弘は視線を落としてしまう。

 女の瞳を、視線を受け止める自信がなかった。

 

「えと……やっぱり。アジーが喋った?」

「……すまない。俺が、馬鹿なことを言って」

「ああー、違う違う。どっちも悪くないって、だから……ね?」

 

 アジーがラフタの本当の状態を知らせたのは、ほかならぬラフタと昭弘のためだ。

 ラフタは昭弘に気を遣って、アジーに喋らないようお願いをしていたが、まっすぐな昭弘の紡ぐ戦士の激励は、どうあってもラフタの心には負担となった。

 ――もはや戦えないものに、戦いに復帰するのはいつかと問うのは、知らないことだったとは言え、酷薄な言動に相違ない。いくら戦場で固い絆を結び、背中を預け合った戦友であろうと……否、だからこそ、“もう戦友ではない”女には、弾丸よりも危険な攻撃に成り果てていた。

 そういった二人のすれ違いや本当の負担を忌避して、アジーは口封じの約束を即日反故にした。

 そもそも、ラフタの足が動かないことは、少し調べたり、日常を観察すれば分かること。一緒に出歩こうなどと誘われれば、間違いなく動かない脚を引き摺るところを見せなければならないだろう。

 むしろ隠し続けることで、二人の間に修復不能な亀裂が走ることを、アジーが憂慮したことは明白である。

 そして、そんな戦友の気遣いを、昭弘とラフタが理解できないはずもない。

 

「私さ。もう、足、動かないの」

「っ……ああ」

 

 昭弘は獣が(うな)るように頷いた。

 苦しみをこらえているように眉間に力がこもる。

 ラフタの正直な告白に、昭弘は耳を傾けるしかない。

 

「脊髄をやられて、もう、歩けないって」

 

 今なら、あの時ラフタが、布団を掴んだ際に言おうとしたことの正体を理解できる。

 ラフタは初日に、自分で言おうと思った。

 けれども、言おう言おうとタイミングを計る内、昭弘の言葉に――戦線復帰の可能性を語る表情に打たれ、何も言い出せなくなった。

 そう、今さら告げてきた。

 

「はは……あー、ごめんね、隠しちゃって」

「いや……」

 

 隠してあたりまえだ。

 あの時の自分の無遠慮さに、昭弘は自刎したいくらいに憤慨してしまう。

 

「だ、大丈夫だって! こんな状態でも、後方での仕事はたくさんあるんだから!」

 

 昭弘は頷いた。

 だが、ラフタが書類整理や事務仕事に勤しむ姿というのは想像がつかない。

 あまりにもパイロットとしてのラフタの姿が鮮烈すぎて、瞼を閉じた裏で、容易に想起することが可能なほどだ。

 しかし、そんなラフタは、もういない。

 昭弘の沈鬱な黙考をどうとらえたのか、ラフタは空元気だと解るほど空虚な笑みを浮かべ、(のたま)う。

 

「えと、あ、ほら。な、何だったらさ、あれがあるし、あれ」

「……あれ?」

「昭弘や三日月と同じ阿頼耶識(アラヤシキ)っていうのも」

「っ、馬鹿なこと言ってんじゃねぇ!」

 

 カッとなって、昭弘は椅子を強く蹴り立ち上がる。

 

「こんなものを自分から? おまえ! 自分が何を言って……」

 

 気づけば、女に詰め寄るように語気を荒げていた。

 そんな激昂は、ラフタが震え布団を胸元に引き寄せる姿を見て、一挙に鎮静化する。

 

「……ごめん。本当に、ごめん」

「俺の方こそ、悪い。つい怒鳴って」

 

 病院なのだから静かにしなければならないという常識以上に、昭弘は謝罪を紡ぐラフタの姿に、半ば呆然となってしまう。

 

「――阿頼耶識だけは、絶対によせ。頼む」

 

 何とか、それだけを言い終える。

 一時の気の迷い――存外に、ラフタは正しい思考に欠けていることを、如実に物語っていた。半身不随という病態は、文字通り人の半分が喪失された状態だ。それだけの状況で普段通りに生活し思考できる人間など、いない。それを思えば、ラフタの繕うような笑みすら、無理して形作られたものだと見て間違いなかった。昭弘は胸を締め付けられる。

 しかし、それでも――ただの軽口や冗談だとしても、言ってよい提案ではなかった。

 これは、阿頼耶識は、昭弘たちにとっては忌むべき遺産だ。戦闘では超絶的な力を発揮できるが、はっきり言えば呪い以外の何でもない。人の背中に異物を埋め込んで、機械と融合するためだけの装置に、殺戮の道具に成り果てるなど――

 ラフタにだけは、なってほしくない。

 

「ごめん……ごめん……ごめんな、さい……」

 

 壊れた機械のごとく後悔の言葉を紡ぎ続ける女は、ひどく小さく見えた。

 俯く表情には覇気がなく、それまでの元気は一切ない。まるで別人のように表情は乾いている。

 だというのに、潤む片目からは止めどない雫がこぼれかけるのを、押し留めるのに必死だった。

 昭弘に一喝されただけで縮こまるほど、ラフタという女は弱くなどなかった。

 これまでは。

 

「謝らなくていい」

 

 謝らないでくれという懇願にも似た響きに、ラフタは頷いてくれる。

 その様子がひどく(あや)うく、同時に健気(けなげ)で、どこまでも無力だった。

 昭弘は、ラフタの想いを、本当に願ったことの真実を、正確に読み取ってやる。

 

「おまえも、前のように戦いたかった……それだけだろう?」

「………………うん」

 

 昭弘の理解は、ラフタの望むことそのものだった。

 ラフタは生粋(きっすい)のMS乗りだ。タービンズの仲間たちを、昭弘たち鉄華団を、幾度も守り戦い抜いてきた誇りがある。

 そんな女が、それほどのパイロットが、こんな形で落伍(らくご)し、戦いから遠ざかることになるなど、誰が予想できただろうか。

 そうして、それだけの女が、戦いから潔く身を退くなんて、ありえない思考だ。

 どうあっても戦いたい。

 どうなっても戦いたい。

 何が何でも仲間を、家族を護りたい。

 その思いで試行錯誤を繰り返してみても、結局のところ、半身が不随という事実は、彼女に戦線復帰は望むべくもないという事実を突きつけるだけ。

 死んだ方がマシだとすら思うだろう。

 仲間の盾になれず、敵を撃つこともできない木偶(でく)に成り下がるなど、昭弘だって御免被る。

 

 だが――何故だろう。

 

 この女の代わりになら、なってしまえる自分がいる。

 代わってやれたらどれだけいいだろうと、代わってやれるのなら代わりたいだなんて、昭弘・アルトランドが思考している。

 

 馬鹿の極みな発想だ。

 行為の可否というよりも、その発言は、目の前の人物の矜持(プライド)が許さないと直感できる。

 だから、けっして言わない。

 そんなことを言えば、目の前のラフタは怒る。馬鹿な事を考えるなと、傍にある花瓶を投げてくるのも、実際ありえるだろう。

 そういう女だ。

 それだけは変わりようがないと、昭弘は信頼している。

 だから、何も言わない。

 

「怒鳴っちまってすまなかった」

「……うん……ごめん」

「詫びに、何か望みはあるか?」

 

 今なら買い出しなり何なり、いくらでもパシリをやってのけてやる。

 歳星の高級ジュエリーや化粧品は無理だろうが、せめて病院の購買で売ってる女雑誌や備品なら、いくらでも奢ってやれる。

 

「望み……?」

「ああ、俺に出来ることなら、何でも言え」

 

 気安く笑う昭弘をじっと見つめて、……途端、ラフタは頬を耳まで真っ赤にする。

 

「どうした?」

「あ、えと……」

 

 ラフタは僅かに逡巡するが、次の瞬間、悪戯っぽい微笑を浮かべ、告げる。

 

「じゃあ、さ……ぎゅーって、してくれる?」

「…………は?」

 

「ぎゅーっ」という行為が、物理的にシメられることではないことは理解している。

 それでも、昭弘はたまらず聞き返した。

 

「お……俺から、か?」

 

 無論、昭弘の方から。

 

「いや、だが……」

「お願い」

 

 言い淀み遠慮しようとする男を、その言葉を、ラフタは未然に塞ぎ、封じる。

 

「――私はもう、アンタには届かないから」

 

 切ない声が、両の耳を貫く。

 昭弘は、自分の愚かさを呪った。

 何故、この程度のことにも気づいてやれなかったのか。

 あの時に交わされた抱擁は、目の前のラフタから行われたもの。

 鉄華団でも長身を誇る男との身長差があるのに、彼女が昭弘の首に手を回せたのは、強い足腰があればこそ。

 だが、今のラフタはベッドの上。

 否――これからは一生、自分の足で立ち上がることもできないという。

 それは畢竟、あの時のような、ラフタからの熱い抱擁は、今後一切、望みようがない事実を物語っていた。

 

「わかった」

 

 自分への恨み言を一旦棚上げにし、昭弘は上半身を屈め、手を広げる女を、ぎこちない様子で胸の中に納める。

 

「……ナニコレ?」

 

 ラフタが不審げに、不満げに、声をあげるのも仕方ない。

 これではぎゅーっではない。ただ、手を背中に添えているだけだ。

 

「いや……加減が、わからん」

 

 互いの肩越しに、まるでのぼせてるような声で、昭弘は呻く。

 

「いいよ。そんなの気にしなくて」

 

 出来の悪い生徒か弟を――あるいは恋人を(たしな)めるような、そんな雰囲気。

 

「本当に、不器用で、優しくて……いい男だよ、昭弘」

 

 そっと頭と背中を撫でられる。

 でも、今のはダメだと本気で怒られる。

 昭弘にもわかる。これが模擬戦闘(シミュレーター)だったら落第点だ。

 

「ほら。ぎゅーってするの、ぎゅーって!」

 

 一旦体を離すと、からかうように、励ますように、ラフタは朗らかに笑う。

 そう見えた瞬間、何もかも忘れてしまうほど切ない雫を、ひとつきりの瞳がたたえ、頬を濡らす。

 

「お願い。昭弘を、アンタの全部を、私に感じさせて」

 

 ぎゅーって。

 

「――わかった」

 

 昭弘は穏やかな覚悟と共に、深く呼吸する。

 胸をいっぱいに膨らませる病室の空気と、とある想いが満ち満ちる。

 あの時、ラフタがしてくれた以上の力を、昭弘は己の腕に、肩に、胸に、全身に込める。

 

 

 

 

 

 

 

 本当に変わらない奴だと、ラフタは呆れ半分、愛おしさ半分で、彼を見ていた。

 重傷のラフタを(おもんばか)って、さらには、こういった男女のやりとりに免疫がない若造故に、昭弘はこの行為を――抱擁の意味や効果をまるで理解していないのだろう。

 それ自体は別にいい。

 誰にだって、初めての経験というものはある。ラフタ自身もそうだったのだ。

 ダーリンから受けた優しさ、姐さんから教わった戦いの方法、初めての家族。

 そして、目の前の彼に対して感じる……確かな想い。

 ぎゅーってするのと当たり前すぎるアドバイスを送り、昭弘を感じさせてなどと、ちょっと危ないことも口にしてみる。

 わかった。そう昭弘が応えた瞬間、ラフタは頬が熱くなる。

 大きな男に覗き込まれる状況は、入院生活で力の萎えたラフタには、さらに強壮に見える。

 それでも、逃げない。脚が使えないから逃げられないというのではなく、覚悟した男の力を、真正面から受け取りたいと願う切実さが、女の傷だらけの総身から溢れていた。

 震えそうになる笑みに、昭弘の顔が近づく。喉が勝手に声をあげそうになるのを、ぐっとこらえる。

 そうして、今度こそ、二人の身体が、完全に重なった。

 

「っ、あ!」

 

 淡い期待にぷかぷかしていた身体が、男の(たくま)しい腕力に掴まれ、縛りたてられるよう。

 ギュッと息が止まるほどの力が、両の肩を、背中を、胸を、圧迫した。信じられないくらい強く、激しく、砕けそうなほどの勢いで抱きしめられる。太い指先が、荒々しく女の肩と背中に食い込み、はっきりと痛いほどだ。

 先ほどの、添えるだけの腕と同じだと信じられないくらい、昭弘の力を感じさせられる。

 

「ちょ、あき……っ!」

 

 思わず声が。

 傷が開いてしまう(おそれ)よりも、予想以上に遠慮のない男の姿にこそ、ラフタは愕然となる。

 昭弘が情熱的な男だと――しつこいくらいに向上心があり、気がつくと何かを悼んでいるような表情を見せ、仲間と家族のためなら幾らでも身を粉にできるほど誠実で、バカみたいに真面目で、融通が利かず、女心もわからないし、目つきも悪いだけでなく、あまり笑わない……なのに、ふとした時に見せる笑顔が、たまらなくたまらなくて――、そう知っていたラフタでも、こうして生の感触として、彼の本当の力を、男を、感じることは初めてだった。

 自分から彼を抱きしめた時、予想以上に分厚い胸板にときめいたけれど、昭弘から抱きしめ返されることは、当然なかった。

 今になって、はじめて昭弘の、本当の力を知れたのだ。

 

「……やめるか?」

 

 さすがにラフタの苦しみを理解したのか、昭弘がそう告げてくる。

 女は即座に返した。

 

「やめないで――」

 

 決して離れないよう、彼の背中に這わせた手に、今ある自分の力をありったけ注ぎ込む。

 離さないでと駄々をこねるように、彼の力を、感覚を、すべてを繋ぐ想いで抱擁を返す。

 

 柔らかくて、優しくて、暖かな想いが心地よい。

 

 昭弘が好き。

 昭弘が好き。

 昭弘が好き。

 好きで好きでたまらない。

 泣きそうになるほどの想いが、ラフタの奥底から湧き上がる。

 

 ぎゅーっとしていると、ここに生きているという実感が身体を満たした。

 女は男の抱擁を、その強靭な意思を、ありのままの力を、受け取ることができた。

 本当に、いい気持ち。

 

「ラフタ」

「……なに?」

 

 長い抱擁に疲れと痛みを感じつつも、それに勝るほどの甘い感覚を堪能するラフタは、彼の言葉を聞く。

 

「俺のところに来てくれ」

「…………はぃ?」

 

 聞いて、それが何なのか、数瞬以上も判断が遅れる。

 ラフタの沈思をどう受け取ったのか、昭弘はそのまま語って聞かせる。

 

「おまえが、名瀬やタービンズの皆のことが大事なことは、(わか)ってる」

 

 どこまでもラフタの事情や心情を理解している――なのに女心はわからない男は、胸の内に懐いたとある覚悟を、声として女に届ける。

 

「それでもいいから……俺と、一緒に生きてくれ……」

 

 ラフタの全身が、感じられないはずの爪先まで、震えた気がした。

 

「俺と家族に、なってくれ」

 

 しかし、乙女は狼狽(うろた)え、言われたことの真意を推し量る。

 

「ちょ……そ、それって、どういう? ……あ、あれ?」

 

 ああ多分きっと、同じ組織に、鉄華団に加入してくれという意味だろうと、ラフタは解釈する。

 恥ずかしい勘違いをしそうになる自分を何とか律することができて、半分安堵し、半分落胆を覚えそうになるが、

 

「俺と結婚してくれ」

 

 そんなラフタの解釈を、男は完膚なきまでに撃ち砕いた。

 

「え、え、え? ……いや、ちょ、ええええ?」

「ん。ああ、分かりにくかったか? 俺の嫁に」

「い、いやいや、それくらい、わ、わかるから」

 

 二人は僅かに体を離し、胸と胸の間に空白を生む。

 

「ほ……本気、なの?」

「冗談でこんなことが言えるか」

 

 その空白に(ほのお)があがった。そう錯覚するほどの高熱を、ラフタは顔面に感じ取った。

 

「わ……私、もう……歩けないんだよ?」

「それでもいい」

「わ、私……もう、戦えないんだよ? もう、アンタの背中、……まもれないんだ、よ?」

「それでもいい」

「こ、こんな、あ、歩けもしない、自分で自分の世話もできないのが、お、お嫁さんとか……絶、対……面倒……だよ?」

「いいと言ってる」

 

 頑なに、強硬に、昭弘はラフタのすべてを受け入れ、そして気づく。

 

「――というか、それくらいの奴なら、鉄華団には割と多い」

 

 冗談とも言えない軽口を叩いて、男は女の不安をすべて取り除きにかかった。

 

「おまえがどこかに行きたいというのなら、俺がそこまで連れて行ってやる。

 おまえが何かがほしいと望んだら、俺が必ず、それをおまえに届けてやる。

 おまえが守ってくれと願うなら、俺が絶対、おまえのすべてを守ってやる」

 

 雄々しい言葉で、静かに語り続ける。

 その間、ラフタは胸を震わせ、声を滲ませ、瞳を熱く潤ませ続ける。

 あまりにも弱々しい。昭弘が知る女から程遠いほど、今の彼女は脆く、そして儚い。

 こいつのすべてを背負ってやる。

 ラフタのすべてを受け入れる。

 

「俺は、おまえが好きだ」

「――えっ?」

 

 意外な言葉を聞いた気がしてラフタは驚きの声をあげたが、昭弘は気にしない。

 

「俺は、本当に馬鹿だ。おまえが殺されたと聞いて……おまえが死んだと聞かされて……おまえが本当に、俺の前からいなくなったとわかって……初めて、気づいた」

 

 どこかで、また会えると思っていた。

 いつか必ず、同じ道を歩けると考えていた。

 立ち位置や戦う場所は違っても、共に生きる仲間であることに変わりはないのだと。

 でも。

 ラフタが殺されたと聞いた瞬間、昭弘は、自らの過ちを覚った。

 彼女が弟たち同様に失われたのだと知って……どうしようもなく、苦しかった。

 

「あの時、二人で飲んだ帰りに、……おまえを無理矢理さらってでも、俺たちの所に――鉄華団に入れておけば、おまえが死ぬことはなかったんじゃないかって……ずっと、後悔していた」

 

 勿論、それで何が変わるわけでもなかったのかもしれない。

 たとえ昭弘がそれを実行していたとしても、あのクソッタレ共は、タービンズの他の女を標的にしたことだろう。アジーだろうと、エーコだろうと、例外ではない。ラフタが狙われたのはMSの外では無防備な、なれども卓越した戦闘能力を誇るパイロットである以上に、鉄華団と――昭弘と――親交が深い間柄だったことが影響していたと見て、ほぼ間違いない。

 ラフタだけが狙われたことは、むしろ僥倖(ぎょうこう)だったのかもしれない。

 彼女ほどにパイロットとして鍛えられた戦いの能力――危機感知や反射神経の速度、何より引き絞られた鋼の肉体がなければ、確実に命は尽きていただろう銃弾の雨だ。アジーですら生存は危ぶまれただろう惨劇だ。並の女……と言っては他の女たちに失礼かもしれないが、他のタービンズのメンバーでは、確実に死んでいたはず。ラフタほどに頑強な戦乙女は、あの時点ではあまり残っていなかったのだ。

 ――結果だけを見れば、ラフタはタービンズの仲間を護ったとも、言える。

 その身を犠牲にして、ではあったが。

 

「でも、おまえは生きている……生きていてくれた」

 

 だから男は、願わずにはいられない。

 一度は取り戻せないと諦めた。そんな女が、目の前で息をし、自分を見つめてくれる奇跡を、誰にでもなく感謝する。

 

「俺は、もう……おまえを失いたくない」

 

 死んだ名瀬の兄貴には、不義理な話じゃないかと思う。

 こんな弱っているところに付け込んで、さらうように嫁に来いだなんて、男として最低かもわからない。

 それでも昭弘は、ラフタを腕の中に包み込み、もう決して離れないよう、熱く堅い抱擁を繰り返した。

 

 ラフタは泣いている。

 泣けてきてしようがない。

 もう我慢することもできない様子で、乙女は頬に幾筋の光と熱を零し出す。

 昭弘たちにはあまり見せない弱さの象徴が、止めようもなく頬を伝う。男の肩を濡らしてしまうが、互いに構うことはない。

 

「……うん」

 

 かすかに男の肩の上で頷く。

 

「うん!」

 

 もう一度はっきりと、女は男の誓いを受け入れた。

 昭弘は、言葉にならない思いを、自分を受け入れてくれたラフタのために、力に変える。

 ラフタは実感する。

 

 

 

 大好きな人をぎゅーってするのは、とても素敵なことだけれど。

 

 大好きな人からぎゅーってされるのは……とっても、とってもとっても、幸せなことだった。

 

 ダーリン。姐さん。みんな。

 

 私はこいつと……この人と、幸せになって、いいのかな?

 

 

 

 もはや互いに(いと)うものや遠慮すべきことなどなく、障壁も何もない距離感で、男と女は(むつ)み合う。

 

「でも、私は――“好き”じゃないよ」

 

 困惑する男の顔を手繰(たぐ)り寄せる。

 そのまま、自分の胸に押し当てる勢いで頭を下げさせた。

 意外な奇襲に面食らう彼に、いかつい眉毛の、鋭い視線のほぼ中心に、ラフタは自分の唇を落とす。

 

 

 

「私は、昭弘のこと、“大好き”だから!」

 

 

 

 額に受けた感触に対し、真っ赤になる男の頬が可愛らしい。

 だが、それを指摘することはできない。

 何故なら……ラフタも同じくらいに、顔が熱く火照ってしようがなかったから。

 

「――俺も、そうさ」

 

 短く告げられた言葉が、たまらなくくすぐったい。

 愛し愛され愛し合うことが、とてもとても幸せで。

 

 微笑み合い、手を絡め合う、昭弘とラフタ。

 どちらからともなく顔を近づけ、瞼を閉じる。

 二人はもう一度、互いの熱と柔らかさを確かめる。

 

 影が一つに重なった。

 ――いつまでも。

 ――これからも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、長い月日が()った。

 

 

 幾多の戦場へ赴き、幾度の死線を乗り越えて、男は女のもとへ帰ってきた。

 

 

 スポーツウェアに豊満かつ引き絞られた女の身を包み、黒い眼帯(アイパッチ)を片目に施すラフタがいるのは、リハビリ室の歩行練習機だ。長い二本のパイプが平行線上に伸びており、その中を、彼女は両手でパイプを掴み、大粒の汗を額に滲ませ、奇跡のようなありさまを見せてくれる。

 動かないと、もう歩けないと診断された、ラフタの脚が――前に、進む。

 その歩みは遅く、ようやっと神経が再び通い出したばかりの衰えきった両脚は、歩くことを覚えた幼児よりも覚束(おぼつか)ない様子だが、ただ動く……それだけでも医者には驚嘆して然るべき進歩ぶりである。

 

 あれから――昭弘とラフタが結婚し、家族となってから、彼女は精力的にリハビリを行い続けた。

 いつか戦場に復帰する――ことは不可能でも、ラフタはラフタの戦いに挑むことを諦めなかった。

 本音を言えば、足が動かなくて半ば自棄(やけ)になっていた帰来もあったが、昭弘と結婚したことで、やはり彼に甘えてばかりの自分が許せなくなったということで一念発起(ラフタ曰く「現金だよね、私」)。車椅子でも家事一式を行うことはすでに慣れたが、しかし、自分の脚で、昭弘の隣に並び立ちたいと――そう強く思えたのだ。

 昭弘は、そんな妻の言うことやることをすべて受け入れた。

 暇を見つけてはリハビリに付き添い、将来、戦争が終われば、二人で農業に勤しむのも悪くないと語り合った。鉄華団やタービンズの皆と共に、火星の大地を耕す自分たちの姿を夢に見ながら、ひとつの家を買って、そこで共に暮らした。車椅子でリハビリに通うラフタを送るのも慣れたものだ。

 

 昭弘は、懸命に前進するラフタを、()くことなく眺めてしまう。

 

 一歩、また一歩を踏み締める足が、とても(いと)おしい。彼女が生きている――生きようと懸命になっている様子は、とても言葉では語れないほど、美しかった。

 やっと終着点にたどり着いた。置いておいた椅子にゆっくりと身体を預け、今日の付き添いをしてくれたアジーから手渡されたドリンクを飲み干す。まるで戦闘の後の休息時間を思い出された。これが、今のラフタの戦いであるのだ。

 それを理解し尽くす昭弘・アルトランドは、ようやくリハビリ室の入り口をくぐり抜ける。

 ラフタ・フランクランド……改め、ラフタ・アルトランドが、昭弘に気づく。

 闊達(かったつ)な笑みを浮かべ、自分の夫を迎え入れる。

 

「おかえり、昭弘♪」

 

 家に戻ってきたように、ラフタは声を張り上げる。

 元気な妻の笑みにつられ、夫はいかつい表情を緩め、微笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ――ただいま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【終】

 

 

 

 




[あとがき]
ねぇ。
こんな終わりがあっても、いいよね?



[旧あらすじ]
41話……
ラフタ……
視聴当時は、本当に悪夢でした……

こんな未来があってほしいというif、空想です。

42話……見るの怖い。
(02/05追記)
見た……「黄金の(略)号」だけは笑えた……ラフタ……昭弘……

(04/02追記)
最終回……昭弘……よく、よくやった……
いい土産話ができて、本当に、よかった……

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