いつもの笑顔を浮かべる浄正だったが、心なしかいつも我慢していたことがついに解禁された、と清々し、どうだ、すごいだろ? と自慢をする子供のような笑みであることに一夏は気がつく。
もしかすれば、浄正はその経歴が誇らしいのかもしれない。だが、一夏は眉をひそめ、
「……浄兄、そんなに仕事を転々と変えるなよ。もし、再就職するとなると不利になるぞ」
浄正が語った経歴、警察、防衛省、外務省、そしてまた防衛省という経歴を聞き、一夏は浄正を心の底から案ずるように忠告をした。
仕事を転々とすれば、再就職先を探すときに不利になると一夏は聞いていた。中央省庁の国家公務員ということで、国が就職先なら倒産の危険はないが、しかし何があるかわからない。それに、ニュースで自衛隊がISの登場により人員整理を迫られたことを放送して知っていた。それと、一夏は、防衛省が自衛隊に関係するものだという、受験の際に問題になりやすいために、一応の知識もある。つまり、一夏の中では自衛隊=防衛省、自衛隊=首になりやすい、防衛省=首になりやすい、という認識が成り立っていたため、首を切られやすい職場に勤める兄貴分に対して、再就職先に不利になるだろうという忠告だったのだ。ちなみに、防衛省は自衛隊、という認識は厳密にいえば異なり、防衛省が自衛隊を管理運営するのだが、ここでは関係なく、長くなるために割愛する。
その一夏の心の底から憂慮する言葉を聞き、浄正は椅子から転げ落ちた。
「浄兄、大丈夫か?」
さきほどと違い、うわべだけの心配だった。派手に転んだが、怪我をするわけがないと一夏には確信があった。そもそも、アパートの三階から落下しても怪我ひとつしなかった人間がこの程度で怪我をするわけがない。だが、世話になってるし、と一夏は一応声をかけるが、浄正は立ち上がり、
「一夏、お前、普通は驚くんじゃない? えー! 防衛省に勤めてるのか!? とか、ドイツに来てたのって仕事は仕事でも、国の仕事だったのかよ!? とか」
ぜぇぜぇと派手に肩で息をしながら一息に浄正はツッコミを入れた。
浄正がこれほどムキになることも中々ない。携帯で写真を取って、千冬姉に送ったら、さぞや千冬姉はいい笑顔を浮かべることだろうと思いながら、一夏も、よほどすごいことなのだろうなぁ、となんとなく理解した。
だが、一夏にとって浄正は、
「だって……浄兄って、ドイツにいたときから、遊んでばっかだったじゃん。よくこれで首にならないなって不思議だったけど、いきなり、そんなすごい仕事してたって言われても、なぁ……」
「ぐばぁ!」
突如、浄正が胸を抑え、床の上にあおむけに倒れた。
織斑姉弟はドイツ滞在中、いきなりの異なる言語、文化、風習、制度、人種など、慣れない生活に直面したが、アパートの隣人であるというだけの浄正がその都度に世話をして助けられたのは事実だ。
最初はかたくなに浄正の世話を拒んでいた千冬も、二人で話し合いが行われ、その後、千冬は言葉を変え、浄正の支援を受け入れるようになった。一夏には何があったのか知る由もないし、一度だけ千冬に尋ねると無言で睨まれたので口にはしていない。浄正に尋ねて、その後に千冬にばれたら恐ろしいのでダブーの一つとしたのだ。
だが、それを引いても、千冬は一夏が成績が下がったことを知れば、口々に、「将来、浄正のようになるぞ」と言うぐらいに、この男は遊ぶことが好きだったのだ。
一夏が日本人学校の帰りの時間が同じ時に浄正に誘われ、そのまま夜遅くまで遊んでしまい、遊び呆けてアパートで角を生やして待っていた千冬に二人で怒られたものだった。
でも、だからと言って、嫌いではない。
「大体、浄兄がすごいだなんて最初から知ってたし、俺にとっては今更だからな」
むしろ、一夏は浄正が好きであった。
一夏は浄正に連れられ、ドイツの知る人ぞ知る名所を巡り詳しくもなったし、また、ある時は、ドイツの貴族という由緒正しい家にお邪魔し、庭の森で狩猟をさせてもらったこともある。
遊んではいるが、どこかに遊びに連れて行ってもらう度、一夏は浄正の幅広い人脈と知識に感服し、ある種、姉の千冬とは別な意味で尊敬していた。いきなりすごい仕事をしていた、すごいところに勤めている、といわれても、ピンとこないのだ。
「……本当に一夏って、天然ジゴロだよ。俺が女だったら、千冬が義妹になってたね」
むくりと首を浄正は一夏を見た。
だから、普段の意趣返しとして、
「そしたら、不倫になるんじゃないか? ラウラが婿なんだしな。不倫は勘弁だぜ」
笑いながら、普段から一夏をラウラの嫁とからかっている浄正に対して、言ってやったつもりだった。
浄正が倒れたままの姿勢で右手を持ち上げた。その右手には、いつ用意したのか、細長いシャープペンのようなものが握られ、一夏が首をかしげた時、
『そしたら、不倫になるんじゃないか? ラウラが婿なんだしな。不倫は勘弁だぜ――』
一夏の数秒前の発現が再生された。
んなっ!!? と固まる一夏をよそに浄正は起き上がって手元の――ボイスレコーダーを手で遊びしながら、先ほどよりも笑顔を浮かべ、
「はい、いただきました。一夏くんの『ラウラは俺の婿』発現です。さて、ドイツ在中のラウラちゃんの住所は――」
がっくりと肩を落とし、一夏は降参する。
こういう面があるからこそ、一夏が武力と威厳で叶わない千冬が真面目な狼だとすれば、少年期に近所に住んでいた姉の友人と同じく、賢い羊である浄正には敵わないのだ。
「わかった、わかったから、俺が浄兄をからかおうとしたのは悪かった。だから、それはよしてくれ、本気で」
「ま、これは冗談冗談だ、冗談」
冗談にまったく聞こえなかったと一夏はうなだれるが、そんな一夏をよそに、ボイスレコーダーの消去ボタンを押して再び、浄正は椅子に腰かけた。
「さて、一夏、本題に入るが、お前がISを動かしたのは事実だな?」
「ああ、適性検査でISコア、だっけ? それが動いてここに連れてこられた。横暴だとおもわねぇ? それで浄兄、そろそろ家に帰りたいんだが、どうすればいい?」
一夏からしてみれば、いつまでも家に帰れず、ホテルに軟禁状態に置かれるのは勘弁してほしい。一夏からしてみれば、ISを動かせると判明しただけで、この仕打ちはあり得ないだろう、と思いがあった。そして、浄兄ならなんとかしてくれるんじゃないか? と一縷の望みがあったのだが、
「あぁ、それなんだが、一夏、いまは家に帰らないのが無難だ」
へ? と、予期せぬ回答を受け、呆ける一夏をよそに、浄正は手にしていた黒の四角い物体――リモコンを部屋の隅に差し出す。
そちらに一夏が視線を向けると、部屋の隅に置かれていたテレビの電源が入り、画面に映像が映し出される。
もう日の暮れた時間としては珍しく、スーツを着たアナウンサーが真面目そうに、テレビ画面に映る場所の説明をしていた。画面の右上に緊急中継と打たれている。
大きな事件が起きた時、こういった放送があることを一夏は見ていたし、もしかしたら、適性検査をまつ順番の間に大きな事件が起こったのか、と予測したが、画面に映る家家や、道路の様子をみて凍りつく。
なぜなら、その場所には、見覚えがあった。否、見覚えしかないと言っていい。その理由は、
「俺ん家の前じゃねぇか! ここ!!」
なじみ深い場所――織斑家の前であるからだ。
肝心の家の前には、警察官が数名立っていて、警備に当たっている。そして、テレビに映る報道陣の数も半端ではなかった。画面からばばばっと不快音が鳴っているのは、大方上空をヘリコプターが旋回しているためだろう。
ライトをつけて、それぞれが大声でカメラに向かって話している様子がわかり、ご近所迷惑甚だしいと一夏が危惧を抱いていた。
もう一度、浄正に顔を向ける。
「これでわかっただろ? 帰ったら連中に捕まったが最後、もみくちゃにされて下手すれば家の中まで踏み込まれるぞ」
「いやいやいや! どうしてこんなことになってんだ浄兄! なんで俺の家の前にこんなにマスコミがいるんだよ!? 俺と千冬姉は人様に顔向けできねぇことをやからした覚えはないぞ!」
「いや、それはあれだ」
どうどうと詰め寄る一夏をなだめながら、再び浄正はテレビを指差した。
画面が中継映像から、記録映像へと切り替わっていた。そこには、よくニュース番組で流れる青天幕を背に、日の丸の旗と壇上に立って話をする六十代の男性が映っていた。一夏はその男性が誰なのか知っていた。最も、名前と職業を知っているだけで、直接会ったことも話をしたこともない。その職業に関しても、名前は知っているが、その職務がどういったものかは知らない。
その男性の職業と肩書は――内閣官房長官。
職務内容は日本の内閣府に携わり、政府のスポークスマンと呼ばれ、日本の政府公式会見を行う男だった。
『――ですので、本日実施しました日本国の男性に対してのIS起動適正に関する検査におきまして、二名のISコアの起動が確認され、その適正が判明したわけであります。本来なら、二名とも未成年者であるため氏名の公表を差し控えさせていただきますが、IS委員会より、公表するようにと要請があり、一般公開となりました。一名は、織斑一夏さん、15歳の――』
――織斑一夏と、一夏は自分の名前を読み上げあられていた。
「いや、すごいなマスコミは。住所公表したわけでもないのに、この発表の二分後にお前の家の前に最初の報道陣が突撃してきたぞ」
はっはっはっ!! と笑う浄正だったが、一夏はテレビに視線をくぎ付けにして見入っていた。
その後の記者団から質問で、織斑、ということで織斑千冬との関係を尋ねられていたが、個人情報のためお答えできませんと官房長官は言葉を濁すが、ほぼ特定されたといってもいいだろう。
「ナンデスカ? コレハ」
片言になり、長年油が差されず、整備のされていなかったブルギ人形のように首を動かして一夏はテレビから浄正に顔を向けた。
「なにって、内閣官房長官の談話だ。6時のやつだから二時間前になる」
「なんで官房長官が俺の名前を読み上げてるんだよ!? なんでこんなおおごとになってんだよ!?」
「そりゃ、お前がIS動かしたからだろう?」
「いや、それでも――」
「一夏、ひとつはっきりさせておくぞ」
ぞくり、と一夏の背が凍りついた。
まるで、鋭利な牙と爪を持つ捕食者に睨まれた哀れな小動物のように、動くことができなかった。部屋の中には、よく知っている浄正と一夏しかいないのに、突如一夏は、肉食獣のさまよう森に放逐されたかのように、戦慄するほかなかった。
「き、浄兄?」
いつもの調子で兄と慕う男を見るが、浄正はスーツの内ポケットから数十の封筒を取り出し、それらを一夏の座るベットのわきに放り投げる。その衝撃で、数枚の封筒の中身がベットの上に散らばり、入っていた紙が広がって、書かれた内容が露わになった。
「まずいことになったんだよ、とってもまずいことに、な」
苦々しく、この世のすべての憎悪を吐き出すかの如くに浄正は吐き出した。
その様子も気になったが、一夏が見たのは広がった封筒の束だった。
恐る恐る一夏が一枚を手にしてみると、細かな文字でびっしりと書かれていた。どれもアルファベットや記号のような文字が並び、日本語ではない。
「ドイツ語は読めるだろうが、あいにくドイツは寄こしてなくて、ここにはない。まぁ、あれだ。この二週間で日本に寄こされた手紙の一部とメールをプリントアウトしてきたものだ。IS適合者、海本二代に対して、のな」
そういった浄正は笑っていたが、目が全く笑っていない。長年の付き合いの一夏でも、ぞっとするほど、冷たい目をしていた。なぜここで、海本二代の名と手紙がでるのかわからなかったが、言葉を飲み込んだ。
なぜなら、浄正の目が一夏を射抜き、ぎゅっと心臓をわしづかみされたかのように一夏は縮こまってしまったからだ。
「一夏、ISは兵器だ。この世界の常識を一変させた特大級の兵器だ。誰が何と言うとそれだけは事実」
一夏は知っている。ISが兵器として生み出されたのではないことを、製作者がそれを意図していないことを。だが、浄正の言葉は、それを否定し、ただただ現実のみをつきつけていた。
「だが、例外ができた。二週間前にISを動かした男――海本二代という例外が」
それは一夏も知っている。IS適正検査が行われるきっかけとなった事件の当事者の一人であり、どのように関わったのか、ニュースは事の顛末を何度も放送されていたから知っている。
だが、そのニュースの裏にはある騒動があったと浄正は述べた。国家機密だから話すなよ、と前置きして、浄正は一夏に説明していった。
「これに対して、各国の反応は二つだった。二派に綺麗に別れた」
浄正は手を突き出し、ピースサインを作る。
「一つは、男性適合者を貴重なサンプルとして、どうして男が動かせたのか徹底的に解明したいため、その適合者をIS搭乗者として育成、取り扱い、長期的にデータを収集し、そのために、その男性を赤子のように丁重に丁重に扱えとする一派――政府は穏健派って呼んでる」
人差し指を折り曲げた。
一夏にも、その理由はわかる気がした。
確かに、男性適合者が動かせたのか理由がわかればISの技術はさらに向上する。そのためにも、ISを学べばいいことがある、データを収集するためにご機嫌を取って、適合者自らが進んで協力してくれるためにも必要だろうと、予測がついた。
もしかすれば、もう一派と言うのは、男性IS適合者がいても放っておいて、以前の生活を送らせてやれ、その人間にも人生があるだろうから、と願う一派なのかと一夏は予測をつけたが、浄正の言葉は複数の意味で一夏を裏切った。
「そして、もう一派が徹底的に分析しろ、という共通部分を持ちながらも、そのためには人体実験などの非人道的手段も許容する、もしも死なせても、事故死という故意の死ではなく不慮の死として処理し、死後はサンプルとして回収、短期間で情報を集めろ、と訴える国々からなる一派――過激派だ」
浄正は中指を折って吐き捨てるように言い放った。
な!? と、声をあげたが、続く言葉を失い、一夏は立ちあがってしまった。
そして、その際、ベット淵に置かれた封筒が床に散らばった。一夏は散らばるものを見た。と、なればこれは――
「そうだ、それは海本二代という、IS適合者に対して、実験に使わせろ、解剖させろと、件の過激派の面々が送ってよこした催促状なんだよ」
「ふっざけんじゃねぇ! 誰がそんな馬鹿げた話にのるか! 第一に二代って人は実験動物じゃねぇんだぞ! 人間なんだぞ!」
声を荒げながら訴えた。確かに、今日まで男性適合者というのは世界中でも三人しか見つからなかったと聞けば、その貴重さは一夏でも理解できる。だが、それとこれとは話は別だ。そんな被検体のような生活はごめんだった。
「落ち着け、過激派の主張を日本政府は断った」
その話を聞き、ほっと一夏は胸をなでおろした。もしかして、政府は話にのってしまったかという懸念があったからだ。海本二代のニュースはあれから放送していないこともあったし。
「しかし、その当事国であるはずの日本は決められなかった。どっちの意見にも右往左往するのみだったんだよ」
「は?」
一夏は、浄正が何を言っているのか、理解ができない。言葉の意味は理解できるが、なぜそうなのかが理解ができない。
「決めたのは、ある理由によって、海本二代へ対して保護の動きが国内のある団体から、圧力があったためだ。過激派に与するよりも、その団体と穏健派に与した方が得策と判断した――まぁ、あれだ。政治的判断って奴だった」
「人の命を、なんだと持ってんだ、そいつらは」
わなわなと一夏に怒りがこみ上げる。正義を気取るつもりはないが、それでも、二代を助けたのは、そちらの方が得があるためと、人の命を命と思わない連中に対して、怒ったのだ。
あまりにも純粋で青臭い一夏の正義に、浄正はわずかに笑った。嘲笑ではなく、誇るような笑みだったが、一夏は気がつかない。
「落ち着けって、海本二代は穏健派の提案通り、丁重に扱われることになった。それで話は終わった」
まだ納得がいかない様子の一夏だったが、しぶしぶというように、怒りをおさめた。
だが、と顔をゆがめ、浄正は一夏を見る。
「お前ともう一人がISを動かせる適正が見つかっちまったんだよ」
その言葉の意味がわからず、一夏が首をかしげると、浄正が説明した。貴重な人間が三人もいることになった意味を。
「――1人じゃなくて、3人“も”、いる。それも、日本から3人だ」
嘆息をつきながら、浄正は一夏を見つめた。
「1人だけなら、どうにかなる。他の穏健派の国々を味方につけ、立ち回れるし、仮にほとんどの穏健派が過激派になっても、その圧力に屈することなく、日本単独でも守ることもできる。だが、3人となれば話は別だ」
ごくりと一夏は唾を嚥下した。
何を言おうとしているのか、大方理解した。だから、それが不穏なことはわかる。それがわかった時、のどが急速に渇いていった。だから、唾を飲んだ。しかし、のどが全く潤うことなく、むしろ、余計にのどが乾いてしまった。
「3人もいるんだから、1人ぐらい使わせろ、それが、過激派の、この二時間で何百何千と送られてきた要求書の内容だ。そして、政府も対応に困ってる。一人でも、決められなかった政府が、3人もいるとなって余計に混乱している。他にも男性適合者が発見された想定をされていたにはされていたが、二人の場合で、三人は完全にイレギュラーだ。2人なら、まだ何とかなった。
しかし、日本政府のみでは三人を守りきることができない」
それはそうだろう。
日本の方針は、あくまでも一人の場合だったのだから。
「じゃ、じゃあ、もしも、俺がISに関わらないと言ったらどうなるんだ? IS適正者が三人もいるから問題で、俺がISに関わらないと宣言すれば――」
しかし、そんな一夏の声を遮って、浄正は言葉を繋いだ。
「その場合、一夏は放逐される。マスコミさえ解決すれば以前の生活となんらそん色のない生活が送れる。だが、事実上、過激派に供物にされたと同義だ」
「なんでだよ!?」
「現在、国は一夏を守っている。しかし、それは男性IS適合者であった場合のみ。つまり、適合者であるための権利と義務を一切合財、一夏が放棄し、携わらないといえば、さすがの日本も一国民である一夏の生活を強制する権利も一夏に従う義務もない。けどな、それは一夏を適合者として守る義務もないことを明確にしたってことだ」
一夏は、その言葉を理解し、途端、恐ろしさがこみ上げた。
浄正の言わんとすることを理解したからだ。
「過激派の国がいつ、一夏を狙っても、国が一夏を守ることはあくまでも一国民として、だ。その時、お前だけじゃなく、近くにいるものも巻き込まれる」
一夏の頭に友人の顔が浮かび、彼らが巻き込まれたらどうなるかを想像してしまった。
そんなことは、一夏は望んでいなかった。
一夏は死を望んでいない。
だが、死を回避するためには、IS適合者としての道しか残っていないことを理解してしまった。
「誰かが、犠牲になるしかないのか?」
ぎゅうっと胸を締め付けられる。
しかし、それを選べば、待っているのは三人のうち、一人が犠牲になるという結果だ。二人しか座れない椅子に三人もいれば、そうなるのは必然なのだ。
一夏は、その犠牲になりたいと思うわけがない。そこに行けば、人として扱われないのは目に見えている。人としての尊厳も奪われ、最後は死ぬ。そんなわかりきってる未来に進みたがる馬鹿ではなかった。だが、その犠牲になったのが自分でなくても、自分が誰かの犠牲の上に成り立っているということも納得できなかった。
やっと、言葉の意味が理解できた。
選ばれても選ばれなくても、犠牲がでることに。
「いや、お前はならない。千冬の身内で束博士と交流があるからだ」
一夏の姉、織斑千冬は日本代表として世界大会で優勝した経歴を持ち、そして、ISの生みの親である篠ノ之束は一夏の幼少期から付き合いのある人物である。
ゆえに、怒らせたくないというのがあることを一夏も理解した。
しかし、誰かが犠牲になる事実には変わりない。これは、一夏が椅子を一つ占有したために、もう一つの椅子を、他の二人が争うことになったのだ。
「……浄兄、俺どうしよう、とんでもないことをしでかして――」
茫然と、力を喪失してベットに座った。
もしも、弾の様子がおかしいからとして、研究員の静止の声を無視して帰っていれば、反省文百枚でも千枚でも書くことになっても、列から抜け出して帰っていれば、二人の男性適正者は政府から守られたはずだったのだ。己を責めるように、一夏が力を失って倒れたように座った。
それが床でも一夏は座っていたことだろう。それほどに衝撃だった。
「一夏、お前は悪くない。誰も悪くないぞ」
浄正はいまも苦しむ一夏に近づき、抱きしめる。その温かさに、なぜかほっとした。
そうして、どれほど経っただろうか、浄正が一夏の両肩に手を置き、視線を合わせた。
「落ち着いたか? 一夏」
「ああ、ごめんな、浄兄、俺少し、変だった」
はにかんで一夏がいったので、浄正も笑って応える。
「よし! それでこそ織斑一夏だ。」
浄正は、一夏の姉、織斑千冬に一夏を甘やかすなと言われていたが、これを改めるつもりはなかった。人間、誰しも参るときがある。そんな時、誰かがそばにいて慰めてやることが必要だと分かっていた。だからこそ、一夏を慰めた。
本来、あり得ないことだが、もしも、もう一つの歴史があり、そこでは一夏がドイツに行くことなく、千冬のみが行き、飯盛浄正が存在しなければ、一夏は屈強に育っただろう。この事実にも負けない精神を持っていただろう。その一夏と比べれば、飯盛浄正が関わって形成された織斑一夏はナイーブなところがある少年だった。
「さて、一夏、実はだな、一夏を含め、三人を救う方法だが、ないわけじゃない。これには一夏の協力が必要不可欠なんだが……」
一夏は顔をあげた。
「それって、なんなんだよ!? 教えてくれ! 浄兄!!」
一夏は、いまにも襲いかからんばかりに浄兄を見る。
「協力、してくれるか?」
首がおかしくなりそうなくらいの勢いで一夏は首を縦に振ってうなづく。
そして、その様子を見た浄正が、静かに呼吸を落ち着け、ゆっくりと目を閉じ、もう一度開く。まっすぐに、真剣に一夏を見つめ、こういった。
「――お姉さんを、千冬を俺の嫁にください」
「はい?」
思わず、一夏の目が点になった。
ご意見ご感想、お待ちしております。